はてなキーワード: キックとは
映画「進撃の巨人」見てきました。監督は「平成ガメラ」の特撮監督である樋口監督、脚本は「あの」町山智浩さん、ってことで、かなり期待して見に行ったんですが…
脚本というか、話は突っ込みどころ満載で、正直、調査兵団が間抜けの集団にしか見えない描写が多々あって、かなりキツかったです。
映画では、原作以上にエレンは「ミカサ!ミカサ!」とミカサに夢中です。たとえば、兵士がミカサの肩を掴んだだけで「ミカサに触れるなぁ(# ゚Д゚)!!(マジギレ)」と殴りかかるくらいミカサに執着してるんですね。
でも、「なぜエレンがミカサにこんな恋心を抱いているのか?」が劇中で全くといっていいほど描かれていないし、二人が絆を深めるシーンもないので、エレンが「可愛い幼なじみに盛っている思春期の童貞」にしか見えてなくて(実際にエレンは童貞設定だと思いますが)。
原作では、「共に人殺しをしている」という特別な関係があるから、ミカサとエレンの関係は特別なものになっていますが、映画ではそれをパージしています。パージする事自体は悪いことではないと思うのですが、「人殺し」にかわる何かの要素を入れないと、「何でこんなに執着しているのか?」がわからず、単に盛っている思春期にしか見えなくて、かなり残念な感じになっています。
エレンのミカサへの恋心はかなりしつこく描写されるんですね。でも、第一回目の巨人の襲撃でエレンと生き別れになった後、ミカサは、立体機動を教えてくれたシキシマ隊長(映画オリジナルキャラクター)と出来てしまっていて。
で、シキシマ隊長がエレンに見せつけるように、自分のかじったリンゴを「お前も食べるか?うまいぞ」とミカサに差し出して、ミカサもリンゴをかじるんですね。その間接キッスを見たエレンは「うわぁあああああああああああ!」と発狂。いや、お前は童貞か!調査兵団の仲間が巨人に踊り食いされてもそれなりに落ち着いていたのに、間接キッスで発狂する男、エレン。この男、童貞である。
で、このNTRシーンがその後のシーンのカタルシスにつながるなら、ありだと思うんですよ。でも、全くつながってきません。正直、まるまるなかったとしても話は通ります。
主人公を成長させるために主人公を精神的に追い込むのは、少年漫画ではよくある手法ですが、NTRで追い込んでも仕方ないだろ!個人的には、NTRてズタボロになった男が自分の使命に目覚める話、大好きなんですけど、それは日常劇の話で、進撃の巨人みたいな話でそれをやられても「人が死んでんねんで!」としか思えません。
脚本家の町山智浩さんは、早稲田大学時代に、彼女をサークルの先輩に寝取られた経験があるそうで、podcastでも何度も語っていたんですが、それが関係しているんでしょうか。
失意のエレン君。でも、すぐに調査兵団のシングルマザーのキャラクターが「あら、意外と子供なのね♡」「歳上は嫌い?」と迫ってきて、おっぱいを揉ませてくれます(この間、実に3分)
エレン君もなし崩しにおっぱいをもんでしまう。いや、緊張感ゼロか!人が死んでんねんで!
まず、このシングルマザーのキャラクターとエレン君の関係がそれまで全く描かれていないので、「歳上は嫌い?」と迫ってくるのが、かなり唐突です。なんですかね、巨人が襲ってくる未来では、人類全員発情してるんでしょうか、そのくらいの盛りっぷり。
で、誘われるままにおっぱいを揉もうとすると、そこで巨人襲来。シングルマザーは服をはだけたまま踊り食いされてしまう。もうね、調査兵団が油断しまくりの間抜け集団にしか見えないんですよ。
原作でも描かれていた「爆薬で開いてしまった穴を塞ぐ作戦」が映画の中でも実行されます。で、その爆弾は「人類最後の爆弾」とされていて、これがなくなると、永遠に穴をふさげなくなるってしろものです。
けれど、その爆弾を積んだ車を謎の覆面男(非武装)にアッサリ奪われてしまう。なぜ奪われたかって?兵士が誰も車にのっていないから!セキュリティどうなってんだよ!真面目に仕事しろよ
覆面男に車を奪われたことがキッカケで作戦を失敗してしまうんですけど、なんていうんですかね「詰めが甘いってレベルじゃない」ので、正直、見るのが馬鹿らしくなりました。
序盤の巨人襲撃でミカサとエレンは生き別れになってしまうんですね。で、再開すると、ミカサはエレンにそっけない態度をとる。
あと、脚本の問題をいうと、ところどころのシーンが死ぬほどダサい問題があります。
たとえば、壁に囲われたつかのまの平和に辟易しているエレン君が不発弾を何度も蹴り飛ばすシーンがあって。そこで、最後に不発弾を見てエレン君が「俺もこいつと一緒だ…」って言うんですね。いや、それ口で言わなくてもわかるよ!口で説明しなくても、意味ありげに不発弾にあたりちらす、現状に不満を抱えた男がいれば「俺もこいつと一緒だな」なんて言わなくていいから。こういう「説明過剰」の脚本を町山智浩さんは何度も批判してきたと思うんですが、忘れちゃったんでしょうか。
あと、悶絶したのがミカサとシキシマ隊長がリンゴを食べるシーン。シキシマ隊長はサタンを意識していると町山智浩さんがおっしゃっていたので、ミカサにリンゴをすすめるシーンは「エデンズアップル」のメタファーでしょう。(町山智浩さんは失楽園の構造で物語を語るのが大好きだから)
いやさぁ…いまどきリンゴを「エデンズアップル」のメタファーとして描くって、ダサすぎるよ!手垢つきすぎて垢太郎をつくりだせるくらいじゃないですか。そこをドヤ顔でリンゴをシャキッと噛むカメラ目線のシキシマ隊長が出てくるもんだから、もう悶絶ですよ。
事前にアナウンスされたように、原作とは「壁に囲まれていて、巨人が襲ってくる」「キャラクターの名前」くらいしか一致していないので、原作の「あのミカサ」「あのアルミン」を見たい人は、本当に行かない方がいいです。
エレンが巨人に変身できる理由などの重要設定も、原作とは大分変わっていて、原作真理教の人は「原作とちがう!」のラッシュで憤死すること確定なので、「巨人が出てくる映画」として見ることができない人は見ない方がいいと思います。
で、色々と突っ込んできたんですけど、上のようなことなんて、全部どうでもいいことなんですよ。リアリティの詰将棋をやっても映画が面白くなるわけじゃないし、矛盾がなければいい映画かっていうと違う。
突っ込みどころがあっても人の心を掴む映画はいくらでもある。たとえば、ブルース・リーのドラゴンシリーズなんて、映画としての出来はイマイチだけど、ブルース・リーのアクション一発で、世界中の男子の心を掴んだわけじゃないですか。
だから、どんなに突っ込みどころがあっても、映画としての「抜きどころ」があればOKなんですよね。
じゃあ、この映画の抜きどころはどこか?もちろん、「巨人の人間踊り食い」「立体機動装置のアクションシーン」「エレン巨人vsモブ巨人」じゃないですか。
この3つがよくできていれば、エレン君が嫉妬深い童貞野郎でも、調査兵団が職務中に乳繰り合う間抜け集団でも、何でもいいんですよ。この3つがよくできていれば。じゃあ、この3つはどうだったか?
序盤のシーンで、人類の築いた壁が超大型巨人によって破壊されて、その穴から、巨人が侵入してきて、人類が踊り食いされます。
進撃の巨人といえば、このシーンですよね。このシーンはかなり頑張っていた
特撮とCGを上手く融合させた巨人のビジュアルは、原作の巨人が持っていた「妙なゆがみ」をしっかり再現できていて。人間ではあるんだけど、人間の理とは違う生き物である巨人の不気味さを、実在感を持って表現できていて、心を掴まれました。
あと、踊り食いですね。PG12指定なので、残酷表現には限界があるかな‥と思っていたんですが、しっかりグロをやりきっている。人間が噛みちぎられたり、引きちぎられる、原作の絶望感が映像でも再現されていて、持ってかれます。血もバンバン出るし、身体もバンバンちぎられるので、オジサン、大満足!
みんなだいすき、立体機動装置アクション。これはどうだったか?
個人的には「かなり残念」だと思いました。なんていうんですかね、「巨人のCGを背景にワイヤーで移動しています」感が凄くて、実存感や浮遊感が足りないというか。
製作陣は「スパイダーマン」の飛翔アクションくらいのクオリティを意識したそうですが、映画「スパイダーマン」の跳躍シーンほどの、躍動感、スピード感、開放感は全然ないです。
CG合成が上手くないのか、背景から動きが浮いていて、スパイダーマンのような「市街地を蜘蛛の糸でかけめぐってる!」ってリアリティが全然伝わってきませんでした。なんだろう、「ツィーーーー」と移動している感じ。
もちろん、邦画としては頑張っている方なんでしょうけど、満足のいくものでは到底ないと思います。
でもね、でもね、これだけDisってきて、僕がこの映画を嫌いになれないのは、ちゃんと抜きどころがあるからなんですよ。
この映画も原作のように、エレン君がハイパー巨人化してモブ巨人を駆逐するシーンがラストにあるんですが、このシーンが最高で。さすが平成ガメラの樋口監督、素晴らしい仕事ぶり。
エレン巨人も他の巨人も特撮中心に使ってとってあるので、「存在感」「重量感」がある。ここを安いCGだけでやってしまうと、どうしても「ペラい感じ」「ゲームのムービー感」が出ちゃうんですけど、特撮なので、パンチやキックの重み、衝撃がスクリーンを通じてビシビシ伝わってくる。
かつ、最新の編集技術で、とろくなりがちな特撮バトルがスピーディーになっているし、血しぶきのエフェクトもクール。それまでのイライラが溜まっていた分、「やれ!駆逐しろ!」とアドレナリンどくどくですよ。
重みだけでなく、スタイリッシュさもあわせもつこのシーンは、新しい和製怪獣映画の名シーンとして、平成ガメラの渋谷崩壊レベルには語り継がれるくらいの出来だと思います。ラストの怪獣映画としての出来はすさまじいので、特撮映画ファンなら絶対に劇場に足を運ぶべき。
たぶん、これから進撃の巨人について、「突っ込みどころ満載!」とか「原作崩壊!」みたいなレビューがわんさかあがってくると思うんですよ。でも、それで「ふーんクソ映画なんだ(鼻ホジホジ」とわかった気になるのは、人として本当にダサいし、やめた方がいいと思う。
あのな、オレは1800円払って見たから文句言ってんだ。貶してんだ。1800円も払わずに、ネットのレビューだけ見て、見た気になってこの映画を貶す奴は俺がぶっ殺す。あと、こういう特撮映画をDVDで見て「なんか迫力いまいちだったね」とか言う奴も俺がぶっ殺す。
進撃の巨人は若い人なら誰でも知っている超人気作品だし、「意外と健闘してた」でも「クソ映画だった」でも話のネタにはなるし、議論できるので、それだけでも劇場に見に行く価値はあると思います。ぜひ、劇場に足を運んでみてください。
クルマのあるある話だから、クルマを所有していない節税貯蓄がマストなライフハッカー諸氏には関係ない話題で申し訳ない。
15年くらい前から上述したタイトルの状況になると、相手側ならばわずかにバックして直近のわき道にクルマを入れて避けてくれればスムースに通行できるのに、バックしてくれないことが多く、しょうがないのでこちらがバック300メートルなどして交差点や三叉路まで戻るのがザラだったことにとにかく気になってた。というかイライラしていた。
んでもって先日クルマを買い換え、自己所有のクルマがマニュアルからオートマになって、ようやくその理由にたどり着いたというか実感できた。
オートマではギアを替えることが特別な儀式になってしまってる。
ギアチェンジという行為が、ドライバーの精神に求める負荷が大きくなってる。
マニュアルでは走行開始からコーナーをいちいち通過するたびに当たり前のようにギアチェンジを行うわけで、ギアをローに入れることも2/3/4/5と順に入れることも別になんてことのないごくごく当たり前の普通の所作である。
バックであるRに入れることもその範疇に過ぎず、ドライバーに対する精神的な負荷はまったくといっていいほど、ない。
家の駐車場でDに入れてから、目的地に着くまでの路上で、LやRに替えることなどほとんどない。
傾斜のキツイ急坂ならばLに入れることもあるかもしれないが、そうでもない場合はアクセルをダブルキックして乗り切るのが普通なのではないか?
そんなギアチェンジの必要性のない安楽なドライブに慣れきってしまったら、タイトルのような状況に陥ったときすぐさまギアをRに入れてバックしてと、クルマを細かく操作しようとする気持ちが沸くわけがない。
実際俺も最近バックしてやんなくなったし。
相手が下がるまでブレーキ踏んでるだけのが多くなった。
だってめんどくさいよね。
自分は運動音痴ではあるが、水泳だけは人並にできる。ただしクロールと背泳ぎ限定。
これは、小学生の頃スイミングスクールでクロールと背泳ぎまではマスターできたものの、平泳ぎが壁となり、そのままタイムアップとなってしまったからだ。
というわけで、頑張って頑張ってマスターできなかった平泳ぎだが、平泳ぎが出来ないというのは即ち、キックが出来ないと同義である。
実にこれを2年位やった記憶があるが、とにかく前に進まない。キックしまくっても進まないうちに身体が沈んでしまって更に消耗すると。
一般に平泳ぎは「最も楽な泳ぎ方」と言われているけど、絶対嘘だと思った。一番疲れる泳ぎの間違いじゃね?みたいな。
そもそも足の裏でキックとかどうやっても無理というか。
でも他の人はどんどん上達する。
彼らとの違いは多分脚の形で、自分は当時からO脚・偏平足・内反小指と三拍子揃った、相当悪い脚だった。
大学の知り合いもやはりO脚で平泳ぎが出来なかったと言っていたので、O脚に平泳ぎは無理なのだと思っていた。
それから四半世紀。
アラフォーになって基礎代謝を上げる必要が出てきて、でも最近はジム通いが飽きてきたタイミングで、知人から地元のプールの大人向けスイミング教室の話を聞き、しかも格安だったので気分転換に行ってみた。
平泳ぎ・バタフライのコースだけど、まあ初回はキックが出来ないことの再確認で終わるだろうと予想していた。
ところが、である。
なんと初回のレッスンで、あれだけ苦労した平泳ぎが、難なく習得できてしまったのだ。
これだけで泳げるようになるなんて、一体昔の苦労は何だったのだろう。意味がわからない。
昔と今で何が違うんだ?という感じ。
そして泳げて嬉しいは嬉しいが、もっと早く泳げるようになりたかったというのが正直な感想である。
というのも、個人メドレーっぽいことをしてみたい自分としては、ゆくゆくはバタフライという、全く未知の泳ぎを一から習うことになる。
ライブ映像が好きで、好きなミュージシャンのライブ映像をよく漁っているんだけど、彼らが若いころの(若いってほどでもないかもしれないけど)映像を見ていると、表情や全身から大量の熱を振りまいていて、そのエネルギーを見ていると泣けてくる。あるいは、今となっては見せない一生懸命感とかね。
そんなわけで、おれが涙した映像を紹介させてほしい。
それぞれのファンにとっては既知のものばかりだろうが、その辺はご容赦願いたい。
https://www.youtube.com/watch?v=3od114a4o7Y
1982 のライブ映像らしい。彼は 1949 生まれらしいので、33 かそこら。年をとっても自信たっぷりで確信にみちた表情は変わらなかった彼だが、晩年はやはり体も縮んで声が出てないところも多かった。このライブ映像では声はもちろん、表情からも体からも、あらゆるところから熱を発しており、その輝きはおれの涙腺を強烈にキックするわけです。残念なことに彼は 2011 に他界。
彼を知らない人はまずは 49:40- の Alien を聴いてみてほしい。ついでに言うとこの映像に含まれない名曲もたくさんあるので興味あれば掘り下げていただければ。
https://www.youtube.com/watch?v=9ZNVhiOY_ug
ギターを手にする人にとってはスライドギターの人として、映画好きの人にとってはヴィム・ヴェンダースの劇版の作家として、もっとも一般的にはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの仕掛け人として知られる Ry Cooder。この映像は日本の BS で流れたモノらしく 1987(日本語字幕では88と表記されてるけど。。) のライブ映像とのことで、このとき彼は 40 かそこら。
ゴスペル/テックメックス/カリビアン といった要素のミックスなんだけど、それぞれのプレイヤーがズブズブに土着音楽をやってる感が強い。それを一つにしているのは Ry Cooder の才能という他なく。。それぞれのプレイヤーがそれぞれのバックボーンから全力で音を発しているにもかかわらず、たった一点に収束するその集中力と音楽への愛情はおれの胸を深く打つのです。
https://www.youtube.com/watch?v=EkM3Wiy7j5Q
ジャズを聴かない人にとっては「誰?」って感じかもしれませんが、長年にわたって最重要プレイヤーの一人。ジャズ界隈で活動してるんだけど、彼もまたアメリカンルーツミュージックの求道者。(ただ、多作で時期によってやってることが全然違うため一言で説明しずらい人でもある。)
この映像は彼が 42 ぐらいの時のものでボブ・ディランのカバー。カバーを良くやる人で、いずれもオリジナルのもっとも重要なエレメントをきっちり握っている。
また、彼は客演で非常に良い仕事をする人。驚くほどあちこちに顔を出しており、どこに行っても自分の世界全開にもかかわらず、それがその曲の重要な要素を際立たせるという触媒のような人です。
映像の演奏は奇をてらわないアレンジで、美しいコードの上で朴訥としたメロがフォーキーさを増しており、それはやさしくおれの心に触れるのです。
結構大変そうなアレンジを楽器にかじりつくように弾いていて、弾き終わった後に見せる表情は今となってはあまり見られないものではないかと。
https://www.youtube.com/watch?v=lYbrrbbnXnA
現在では WAR と LOW RIDER BAND の 2つに分裂してしまった WAR の 76 年(だそうだ) gypsy man のライブ映像。キンキンに集中したライブ演奏は 70年代の WAR の特筆すべき点の一つだと思う。なかでもこの映像の BB ディッカーソン のガッツあふれるベースは何度聴いてもおれの胸の奥に熱いものをあふれさせてくれるのです。
個人的には、ディッカーソンはソウル/ファンクにおいて最重要ベーシストの一人だと思うんだけど、あまり注目されない(おれが知らないだけで、ベーマガなんかで特集されてるのかもしれないけど)のでぜひ。
WAR は主要メンバーの何人かはすでに他界しているが、ディッカーソンは LOW RIDER BAND で健在なもよう。
https://www.youtube.com/watch?v=wln_zQsynNY
spilit が凄いのでこちらもぜひ。ダルな前半からサックスソロをきっかけとして風景が変わっていくこの流れは WAR にしかできないと確信できる。
https://www.youtube.com/watch?v=zSnbV1FrIhA
最近ではベースはTMスティーブンスに弾かせて、自分は歌ったり叫んだり、ライブハウスの壁を登ったりしている Bootsy ですが、ただただ全力で音楽をやっていたころがあったようで。
I'd Rather be with you は今でもライブのハイライトなわけですが、若いころは熱の入り方が全然違う。映像は 1976 年とのことで、51年生まれの彼は 25歳?ですね。。そら熱も入るわ。wiki 見ると、75 年ぐらいまで P-funk 界隈とかかわっていたようで、映像は初リーダーアルバムが出た年。
funk 独特の時間をかけてじわじわ熱を込めていく前半のあの感じから、キックとコーラスがモゴモゴと盛り上げていく中盤、そしてついに歪んだベースソロに入って行く流れ、もう涙腺崩壊するしかないという。
今年はあまり仕事をしなかったけれども、もう12月も終わりなのか、1年が経過した実感がほとんどない。
で、タイトルの話なのだが、2年前のちょうどこの時間に上司に殴られた。厳密に言えばミドルキック1発と、投げ飛ばされたギャボーってな勢いで吹っ飛ばされた。
事の発端は俺にある。体調も悪く死ぬほど機嫌が悪かったので、忘年会に参加したくなかったのだが、どうしても直属の上司の許可が降りずに欠席ができなかった。
元々酒を飲むことが苦手だし、酒を飲んで盛り上がることが嫌いなのに、ただでさえ嫌な気分で酔っぱらいの相手をすることに対してもイライラしていた。
おとなしくしていてくれればいいのに、毎度毎度ハメを外しその時も飲み物は何回もこぼすは、グラスは割るはで非常にめんどうだった。
それでもなるべく遠くで眺めているだけだったのが、なぜかひな壇で胴上げが始まり、クソ面倒くさいことに自分も引っ張り出されかかった。当時腰痛がとても醜くてイスに10分ぐらいしか座ってられないレベルで、胴上げなんてされたらマジで腰が崩壊すると思ったので、丁重にお断りした。
だが、酔っぱらいの他部署の上司(その時は降格しており俺と同じ平社員)が俺を引きずっていこうとしたので、最初は手を振り放ったのが、それでも引っ張ろうとしてきたので、思いっきり手を押しのけてしまった。案の定逆上した彼は俺の胸ぐらを掴んできたタイミングで、他の社員が間に入り一旦お開き。
そして俺が帰ろうとしていたら、再び彼がやってきて「調子に乗るな!」的な感じでまた絡んできた。幸い同僚がいたのだが、同僚を振りきって俺にミドルキックを見舞ってきた。不意打ちもあり、思いっきりミドルキックを人生で初めて受けて、仲裁に入った同僚ごと俺をふっ飛ばした。この時、ギャボーという効果音のように見事に吹っ飛び完全に腰が崩壊し、そのまま動けなかった。マジでダメージがでかくて頭のなか真っ白け状態だった。
その間同僚は必死に俺を守ってくれていたのだが、その同僚も殴る勢いだったので、タックルしてすぐに横四方固めをした。この時初めて高校の体育の柔道が役に立ったと実感したのは置いといて、最悪なことに俺が上になっている状態で、他の社員に見つかり、喧嘩両成敗的な感じになった。
元々、彼が俺を殴ってきたのは俺の仕事ぶりが気に食わなかっただけで、前から殴りたかったんだと思う。冷静に見れば三ヶ月も休職していた俺も悪いのだが、毎日来なくても遅刻してもいいという社長の了解があったので、無理して会社に戻っただけで、仕事に対してのモチベーションなんて全くなかった。だから、俺のことを気に食わなくても当然だったとは思う。
結局それ以来正月休みが明けても一度も出社しないで退職をした。今でも腰が治っていないのは、その時の影響もあるんだろうな。腑に落ちないのは会社の姿勢にもある。治療費なし、本人の謝罪なし、だから俺も社会人としての最低の対応をしてしまった。
仕事のことで殴り合いは歓迎するが、気に食わないとかで殴って何か解決するのかな?彼は今年から正社員ではなく、契約社員になったらしい。本人の希望か会社の意向かはわからんが部長から降格して平社員になっても何の成果が出なかったので必然的にそうなったのではないかと思う。
俺の器が小さいところは、2年前のことでも根に持っていることだ。
今年は少ししか働かなかったので、収入も本当に最低だった。来年は、今年の彼の年収を超えることが数字の目標で、法人化のメドをつけたいと思う。
来年は笑い話にして済ませられるほど、充実した1年にしたい。
(本人はジュヴィナイルくらいのつもりなんですけど面倒なのでそう名乗ることにしました)
文章を書いてデビューして商業で食べていくために、まずは第一に作品を書き上げ、それを続ける能力が必要だというのはよく言われる通りです。速度と持久力。文章書きとしての体力です。これは本当に先人の言う通りです。
しかし、もうひとつのそれと同じくらい重要な部分には十分な指摘がないように思います。この記事はそれについてのメモです。
日本社会では職人が尊敬を集めるために、妥協というのは悪であるかのように受け取られがちです。作家という職業は良くも悪くもクリエイター(職人とアーティストの間にある幅の狭い所に住む妖怪の一種)だと思われているらしく、その認識も妥協を許さないバイアスとして働きます。
そもそも志望者が何らかの作品を書き上げたとき「まあよかんべ力」が足りないと「こんなのおれの作品じゃねえよ、ビリビリビリ」と破いてしまうので、投稿もくそもできません。
つまりある作品にたいして完成OKをだすためには「まあよかんべ力」が必要なのです。
(脇道ながら捕捉しますと、この「まあよかんべ」と「俺の作品は世紀の傑作だと疑わない」というのは全く違うことです。「まあよかんべ」というのは、自分の実力や作品の出来不出来を見つめ、その美点欠点を理解しつつも、歩みを止めないという前提で、「今回はここで勘弁してやる」という態度や能力です)
この「まあよかんべ力」はデビュー作にのみ必要なわけではなく、いえむしろ、完成までに自由に好きなだけ時間をかけられたデビュー作などよりも、よほど商業創作では必要になってくる能力です。
担当、編集部、出版社、営業、広報、流通、書店というさまざまな利害関係の中で、作家は最上流に位置します。これは別にえらいという意味じゃないです。作家がボールをキックしない限りほかの人にでかい迷惑をかけるという意味です。その流れと関係の中で、自分が納得できない作品であっても「まあよかんべ」が必要になることは必ずあります。
そもそも作品に粗があるのは当たり前です。今完璧に見えたとしても数日すれば粗が見えてきます。粗が見えないとすれば作家として成長してなかった証拠です。
今年自分はこの「まあよかんべ力」の件で周囲に多少迷惑をかけてしまいました。もちろんそれで得たものもあるのですが、総合的に見てマイナスのほうが大きかったと判断しています。このことは反省し、来年はもうすこしゆるく周囲を見渡せるようになりたいと思います。
前回に引き続き今回はカラオケにおける振る舞いについて書いてみる。
ちなみに筆者は20代中盤で、同世代くらいの相手を想定した記事となっている。
これを読むことで、皆の合コンライフが少しでも豊かになることを祈る。
最初に強調しておきたいのは、合コンにおけるカラオケというのは歌が上手い奴がドヤ顔するための場所ではない。
むしろ、どんなに歌が上手くとも毎回ラブバラードを入れまくるような男は合コンに呼んではいけない。
理由としては、合コン参加者全員が歌が上手いなんて可能性はほぼないのだ。
それにも関わらず誰かが自分の歌の上手さを見せつけるためだけの歌を歌っていると、
自分の歌唱力に自信がない、特に女の子は気後れしてしまい会全体に気まずさを感じてしまう。
わかったら手元にあるミスチルだかエグザイルだかのバラード全集を投げ捨てろ。
また、一人で一曲を通じて歌い切るよりもマイクを回し合うなどしてみんなで盛り上がれ。
大事なことなのでもう一度書くと、カラオケで選ぶべきはみんなが楽しめる曲だ。
基本的にはみんなが知っている、歌える曲が望ましい。
デュエット曲は合コンに相性が良く、男性デュエットも自分ばかりが歌っている印象を抑えることができるし、
男女デュエットは共同作業感を出すことができて仲良くなりやすい。
周りにことわりを入れた上でその子に向けてそれを歌うことは有効な一手だ。
ただ、歌があまりに下手な場合逆に好感度ががくっと下がることもあるため自分の実力をわきまえろ。
年代が近い場合、年代メドレーを入れてみんなでマイクを回しながら歌う→歌えなかったら罰ゲーム、というのも盛り上がる。
【鉄板】
気分上々↑↑
【わりとあり】
RAD いいんですか
【まぁあり】
【場合によってはあり】
歌上手い奴のバラード
【女の子に歌ってもらい盛り上がってもらう曲】
お前全然わかってねーよ。
誕生日もクリスマスを祝うことが禁じられた子供時代ってどんなもんかわかるか?
終業式や始業式で歌う校歌も歌っちゃいけないしし、起立もしちゃいけないんだぞ。
そのたびに周囲から向けられる奇異な目に、どんな思いをすると思う。
あと、今子供がいる年齢ならセーラームーン絶頂期に小学校時代だったはずだ。
そういう、誰もが手に触れるガジェットを「サタンの仕業」とか言われて禁じられて生きるんだぞ?
この車に轢かれても輸血してもらえないから死ぬしかないんだなと思いながら
そういう暗黒時代を、同じ日本にいながら北朝鮮みたいな人生を送ってきた人間に
お前が選んだ学校だろうが、お前が自由を行使した末の選択肢だろうが!
この宗教を親に持って生まれた人間、親がこれにハマってしまった人間には
そういう育ちの人間から見れば、目の前の普通の、自由で満ち足りた自分の子供が
だからツリー元の増田は落ち込む必要がない。しょうがないことだ。
だが、そこで同じことをしたら、あのクズなカルト宗教どもと同じ狢の穴ってやつになる。
(ぶっちゃけ彼らには、神の名を借りて子供を虐待して憂さ晴らししたいという一面がありはしなかったか。
だって、普通の、大した欠落もない家庭には、カルト宗教なんて入り込めないはずなんだ)
ツリー元の増田にできることがあるとしたら、今の幸福を一生懸命噛みしめることだと思う。
誕生日ケーキを誰にはばかることなく買える自由、クリスマスツリーを飾れる自由。
未だに足抜けできず、親子そろって伝道して回る独身二世なんて珍しくもない。
そして、我々だけに許された楽しみがある。
君自身も解ってると思うけど、否定することを主体として話をしても解決もしないし終わらないんだよね。
なにかを模索する上での否定行為じゃないくて会話として否定しきりなわけだよね。
あれと同じだってことは、たぶん君も気が付いてるよね。
なにか話をつづけたくて、否定してみてるだけ。
スポーツファンの否定もそれでしょ。采配がダメだ、キックがなってない、あの選択は納得いかないとか。
スポーツの話を延々したいだけなんだよきっと。
延長する方法として、楽しく肯定的な話だと「だよねー」以外の反応ができない不器用な人なんだよ。
実際そんなに好きだったり解説できたりするわけじゃないんだよ。ちょっとだけ専門用語を出してダメと否定すれば
それなりにのめりこんで楽しんでる気持ちになれるんじゃない。
結局、否定でものを言うのって、話してる本人もあんまりわかってないんだよ。
ただ雰囲気を楽しみたいんだよ。そんなのが交差点に集まってハイタッチとかしてるわけじゃん。
否定で話す奴らってなんなの、とそれを否定する側も何なのかあんまりわかってないわけじゃん。
たのしいよね。否定して、だだをこねるのって。
警告。この話はうんこに関係する話です。他人のうんこ話に興味がない人は読まないでください。あと個人的見解と独断に満ちあふれています。
夜はホテルでシンポジウムのバンケットだった。それでフレンチを食べたのだが、自分はどうやらフレンチを食べたら腹痛を催す体質らしい。以前にも結婚式でのフレンチにより猛烈な腹痛に襲われたことがあった。しかしフレンチを食べるのが久しぶりだったせいでその記憶・恐怖が完全に忘れ去られていた。腹痛を体験しない人には想像できないだろうから、腹痛について説明する。世の中には2種類の腹痛がある。ひとつはただお腹が痛むだけで、寝てウンウン言ったり病院へ行くと治る。そしてもうひとつは腹が痛くなると同時に便意を催すものである。この場合は我々が取る手段はただひとつ「トイレに行け」である。この後者の腹痛は時と場合により人の人生を破壊する威力を持っている。例えるなら人体は原発でうんこは核燃料である。漏れでていない内は平和で快適な生活が送れるが、ひとたび然るべき場所で漏れでてしまうと、グラウンド・ゼロは不毛の土地となり周辺部は二度と振り返れない姿となる。このような恐ろしいものを人体は内蔵していることを覚えておいて欲しい。そして腹痛持ちは度々メルトダウンと戦っているのである。
続きを書く。バンケットが終わったが、電車の時間が近づいていたこともあり、複数の友人と駅まで小雨の中を走った。電車に乗った時、ピーンと来た。これは腹痛の種が育っていると。書き忘れていたが、自分は中学生の頃から腹痛と戦ってきた百戦錬磨の者である。腹痛に襲われたことは数あれど、メルトダウンしたことは数えるほどしかない。さて補足説明を行うと、腹痛の種とは腹が痛いというわけではないけどなんか違和感があり、いままでの豊富な経験によりヤバイ級の腹痛に育つ可能性がある腹部の違和感である。腹痛の種を感じることによりに腹痛との戦いがフェーズ0として始まる。ちなみにフェーズ1の腹痛とはお腹の痛みを覚え始めるころの腹痛である。この腹痛の種は適切に行動することで高確率で消散させることができる。例えば自分が得意とするのはクロスホールディングとリンパ促進法である。クロスホールディングは上体を屈めながら両脇に手を差し込み、お腹と脇の下のリンパ節を同時に暖める技である。この技からリンパ促進法につながると腹痛の種を消散させることができる。百戦錬磨の自分は今までリンパ促進法により数々の腹痛の種を消滅させており、今回も違わず種を散らすことに成功した。しかし過去の経験より、今回の腹痛は腹痛の種が消えたと言っても時を置かずにフェーズ1の腹痛として復活することは目に見えていた(一般に食事が原因の腹痛は種を散らしても復活する可能性が高い)。復活するまでの時間を経験の内から30分と見積もった。電車はあと15分で駅に着き、そこからはバスで15分の道のりである。
駅に着いた時には腹痛の種はなくなっていたが、腹の奥の痛みと共にフェーズ1に移行していた。ここでひとつ致命的な間違いを犯した。電車を降りてトイレに行くことを選択せず、腹痛を抑えられると判断してしまったのだ。たとえバスが30分に一度しかない、一緒に友人がいたなどの理由を考慮してもこの選択は最悪と言ってよかった。思い出してほしい、人間はうんこという核燃料を保持していて、メルトダウンにより人生を破壊される可能性があるのだと。たとえ過去に100個の腹痛の種のうちの1つだけしかフェーズ1に移ったことがなかったとしても、一度メルトダウンが発生すると次はないのだ。すなわちいくらメルトダウンの確率が低いと言っても一度メルトダウンが発生するとそのコストは無限大となるのだ。どんな理由があろうともトイレに行く選択をするべきであったのだ。
これは完全な偏見だが、腹痛の時、電車の中では便意は減退し、バスの中では逆に便意が促進する。これは電車の縦横への揺れが気を紛らわせる効果があり、バスの細かい縦揺れがうんこを押し出す効果があるのだと思う。そして今回自分の体は雨で湿っていて、電車の中の暖かい空気で保温されていたということを注記しておく。停車しているバスに乗って座席に座った時、腹痛は第2フェーズに入った。このフェーズは腹痛に加えて膀胱あたりにも圧迫感が現れ、肛門にだけに集中することができなくなるのだ。まさに前門の膀胱、後門の肛門。腹痛第2フェーズでは更に厄介なことに、気温変化および体表面へのストレスに対しての感応性が飛躍的に高まり、僅かな風や冷気を含む空気により猛烈な勢いで腹痛が悪化するのだ(腹痛で苦しんでいる人に水をかけたり扇風機を回したりしちゃだめだよ)。これらの条件のもとでは第0フェーズと第1フェーズで活躍するリンパ促進法でも改善は見込めない。リンパ促進法での回復量と同等な量を消費してしまうのだ。第2フェーズに突入してしまうと百戦錬磨の自分でも悪化しないことを祈ることしかできない(そもそもこのフェーズになる前にトイレにたどり着くべきである)。
まだバスが出発するまで1分ほどあったが、自分は動けなかった。動いたらもはや打つ手のない第3フェーズに突入してしまうかもという恐怖と計算ではぎりぎり間に合うという後ろ向きの思考が、バスを降りるという決断を妨げたのだ。バスが動き始めた瞬間、自分の過ちを知った。バスが動き始めた瞬間、腹痛が第3フェーズに突入したのだ。このフェーズでは刺すような膀胱の痛みと便意に加えて、細かな違和感がお腹の奥のほうで点滅する。この状態になると防戦一方となってしまう。三方向からまったくのランダム時間差攻撃をされると想像してほしい。こうなると反撃は叶わず、ひたすら消耗を最小限に抑えることが最適解になるのだ。つまり時間との戦いが始まる。
バスは停留所に止まることなく一路走行する。しかしすでに大勢は決しつつあった。到着10分前にして、第3フェーズの特徴ノッキングが始まっていたのである。ノッキングとは要するにアレの先端が\こんにちわ/する状態である。これは腹痛からの最終勧告であると同時に最終決戦の前の最後の安らぎである。一度ノッキングが起こるとそのあと数拍は腹痛が薄れる状態、すなわち死線を越えた状態となる。したがって自分のような百戦錬磨の者は死線を越えた状態をできるだけ長引かせるように、ぎりぎりまでノッキングを我慢してから一瞬開放し、そのあと弛緩して次のノッキングを遅らせるのである。しかしこの技術をもってしてもノッキングを克服することは不可能である。なぜならばノッキングの間隔は非線形に短くなるからである。間隔が十分に短くなると、腹痛を我慢しつつノッキングを我慢するというために、お腹と肛門を手で抑えるという見たままのスタイルを取らざるを得なくなる。
バス停に到着した時は、のぐその覚悟はできていた。隣の野原でしてしまおうと考えていたのだ。しかし当然ながら友人たちと同時に降りるのでその解決案は諦めねばならなかった。その代わり負けを認め、多少こぼれてもいいから最速でトイレに駆け込むべきだと決断した。我が心の語録にも「最善を捨てることによって最悪を避けるシステムに切り替わったのだ。」[数奇にして模型, 講談社文庫, p621] とある。決断を行ったことで気持ちの整理がついたので、荷物を友人に預け、体を軽くすると同時に抑えるところを抑えながら駆け出した。予想通り駆け出してすぐにノッキングが激しく、そして力強くなった。自分にはこの理由が分かる。トイレを利用しようとしたら一つしかないトイレの個室を占領している奴がいて、はじめはおとなしくノックしていたけど段々我慢の限界が近づくにつれ激しくノック否キックするようになるようなものだ。何度かパンツと肛門の接点が膨らむような感覚があったが、気にかけることなく奥義ツヨイ・オサエを信じて、エントランスを駆け抜けて、トイレの個室に滑り込んだ。
正念場であった。公衆便所を見てわかるように、便器の一歩手前でうんこを漏らす人は多い。これは便器の一歩手前もしくはズボンを下げた瞬間、集中力が途絶えてメルトダウンしてしまうからである。したがって個室にたどりつたとき真に重要なのは、集中力を途切らせることなく便器に座るまでの一連の動作を行うことである。経験がない人はそんなの無理だろ今までギリギリだったのに、と思うかもしれないが意外と達成可能である。これは全精神力を費やして驚異的な強度で肛門を閉じることで、だいたい10秒程度の最後の時間を得ることができるからである。自分も体験するまでは、ゲーム内の「全能力を消費して短時間強化→全能力ダウン」について、嘘々少しぐらい力が残ってだろうし全力を使うなんてねーと思っていた。しかしこの最後の時間を経験してからあの設定は意味があったのだとまさに実感したのである。おそらくゲームの開発者はうんこを漏らしそうになったことでこの設定を思いついたのであろう。なぜならばもし間に合わずに漏らしてしまったとすると、最後の時間に絶望して「こんな設定意味無いとみんな知っているだろう」と考え、設定は採用しないからである。最後の時間を発揮することでメルトダウンは回避できた。そしてノッキング、{ドライ,ウェット}ベントによる汚染を確認すべく膝の間のパンツを眺めたところ、汚染痕跡は発見できなかった。奥義ツヨイ・オサエは名に恥じぬ奥義であった。勝ちでもなく負けでもない今回は引き分けとする。個室には1時間居た。
最後に名も知らぬ女性に感謝を捧げる。彼女が完璧なタイミングでエントランスのオートロックを解除して外に出てきてくれなかったら、引き分けには持ち込めていなかった。ありがとうございました。
「統合失調症がやってきた」の松本ハウスが来るというので、行ってみた時のこと。
狭い会場に二百人以上が詰めかけて、それに加えて立ち見のギャラリーもイル。
会場に掲げられた白膜には「精神科医療における松本ハウスの歴史的意義」だって。
司会をしていた精神科医いわく、100年以上にわたる、排除の歴史から統合失調症がやっと地域社会に帰りつつある。我々は、ハウス加賀谷=松本キックが、統合失調症をめぐるタブーを打ち壊す歴史的瞬間に立ち会っている!
精神疾患をお題に名披露目した松本ハウス(とくに当事者であるハウス加賀谷)は、その象徴的存在であるそうだが。。。
ハウス加賀谷は「統合失調症がやってきた」という本を昨年の8月に出版した。私はとくに興味もなかったし、そういう「商売」にのる気もなかったので、買っても読んでもいないが、彼らが言うには初発の症状は中学2年のときだとか。
夏の暑いある日のこと、教室でふと振り返ったとき、友だちが下敷きで顔を仰いでいるのを見てしまった。友だちは自分の臭さを吹き飛ばすために下敷きでパタパタやっている、彼は一瞬でそう理解した。
それ以後、「加賀谷、クッサー」という声が聞こえるようになったという。
以後、事実でもない声が聞こえてくる彼は精神科とのつきあいをはじめる。ようは、通院がはじまったということ。
それでもビートたけしが好きで漫才師になりたかった彼は、17歳のときオーディションを受け、松本キックと出会い、「松本ハウス」としてデビューした。
――――ある時、鞄いっぱいの薬を見つかり、病気を告白。その症状を聞いた相方が、それ、漫才に使えんか? ということで、すでにこの時代に、病気をネタにしていたらしい。
幻覚、幻視。病気の症状を面白おかしくしゃべる加賀谷にキックの方が突っ込みを入れて、笑いを誘う。
それって是か非かどっちだ?
病気の症状で笑いをとることに不快感を表したある統合失調症患者の女性が、その思いを自分のブログに書いたり、松本ハウスのブログにコメントを入れたところ、ファンから袋叩きにあったというエビソードもある。
確かに話としては面白いが、当事者として症状で苦しんでいる人には笑えるものではないだろうし、侮蔑と感じる場合もあるだろう。
「昔のような切れはもうないけれど、今できることを探していこうと思っている」と相方の松本キックはいう。
「薬のせいで感情が平坦化していて、昔のように言葉のキャッチボールはできないけれど、いまは、その鈍さを笑いにしてしまえばいい。僕はそんなふうに思ってます。笑いには計り知れない力がある。病気だってできることはたくさんある。みんな、統合失調症だって、こうして働けるし、社会復帰だってできるんです」
そして、「統合失調症」の当事者として本の出版とともに復活し、その体験をネタに、現在の「地位」を築き上げたのである。ネットを見渡せばわかるが、ソーシャルサイトの囲い込みも検索エンジンのSEOも広報マーケティングには抜かりがない。病気で稼ぐ、精神疾患ネタで稼ぐ。彼らにとって「統合失調症」は一種の鉱脈なのかもしれない。彼らは鉱脈を見つけた者として、その権利を決して手放さず、「精神村」にいつづけるに違いない。
ストリートファイター4のパチンコが打ちたかったからだ。
カプコンも業績があんまり良くないので、モンハンと一緒に出稼ぎに来ているのだろう。
台に座る。懐かしい顔ぶれが、まだ、闘っていた。
ブランカの強キック(バク転みたいなやつ)を連発されると何もできないまま負けたものだった。
そこから、ジャンプ強キック→しゃがみ強キックっというコンボを覚え、
立ちガードからしゃがみガードに切り替えられない友達を倒しまくったものだ。
それから、親指の腹の痛さと引き換えに波動拳を覚え(同時に竜巻旋風脚も)
そこから「前に歩きながら波動拳を出す」という友達のアドバイスを信じ、
そして波動拳で飛ばし、昇竜拳で落とし、ソニックブームには竜巻旋風脚という、
いわゆる波動昇竜という基本の闘い方を覚えた。
そこから、中段攻撃と投げ、弱中強の使い分け、めくりという概念、
とにかく、僕はリュウと一緒に、もう20年近く闘ってきている。
そんなところにずっと、ずっと惹かれている。
懐かしい顔も、見たことがない顔も居る。
とにかく、彼らの闘いはまだ続いているし、
リュウは20年経った今でも、真の格闘家を目指して闘っている。
手持ちのお金が半分くらいになったところで大当たりを引いた。
そのまま確変に突入した。確変中はリュウがライバルと闘うのだ。
僕のリュウは強い。並み居るライバル達を波動拳でKOしていく。
大当たり中、確変中は意外と退屈なので、僕はスマホを弄っている。
ダンは相変わらずダンだった。
どうしようもなく格好悪くて格好良くて、愛すべき男だった。
僕のリュウはどんどん勝ち進む。
僕が小学生の頃、必死で覚えた波動拳を繰り出し、ライバルを倒す。
闘う。波動拳。KO。増える出玉。
僕は退屈な顔をしてケータイを弄る。
当然勝つと思っていた僕のリュウは、3ラウンド目で相手の必殺技を喰らい、
呆気なくやられてしまった。
ずっと続くと思っていたリュウの快進撃は意外と呆気なく終わった。
それでもリュウは「俺より強いやつに会いに行く」のだろう。
彼の闘いはまだまだ続く。
僕の元には出玉だけが残された。
なんとなく、なんとなくだけど、
リュウがあのラスボスみたいなヤツを倒せなくてよかったと思う。
どうにも説明できない、個人的な感情だけど。
僕は勝つリュウの背中も好きだけど、挑み続けるリュウがひどく好きだったんだなぁと思った。
もう当分、パチンコ屋には来ないなと、思った。
あんまり、話題に上がることもないだろうから、ゲームセンターCXの映画版について話したい。
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一応言っておくけど、キックアス2を見れるならそっちを見た方がいい。
どっちが好きでどっちが面白かったかと聞かれれば、間違いなくキックアスが500倍面白かった。
その上で、
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①通常回のゲームセンターCXを楽しんで見ることができ、10本以上見ている。
②30代~40代
③通常放送でマイティボンジャック回を見ていない。
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以上の条件にジャストフィットすれば、まあ見に行っていいんじゃ無いかと。
僕は奇跡的に当てはまった。
ディープなファンだとマイティボンジャック回を見ちゃってて、その攻略自体はそのままらしいから楽しくないかも。
人がファミコンやってんのを見て何が面白いのか理解できない人は番組コンセプトから合わないので、やっぱり楽しくないでしょ。
攻略パート初見、ドラマパートぐっと来る、そんな人も世の中にはきっといる。僕がそうだった。
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いかネタバレ。
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1986年、中学二年生のダイスケが女の子を好きになり、失恋する話なのだけど、途中にファミコンソフトを通したヤンキーの介入があり、オールドスクールのヤンキー達の表現はかなり面白かった。
特に、主人公をダイスケちゃんと呼ぶ同級生の加藤は味があった。
ああいうヤツ、いた。悪いやつと言うより配慮の足りないヤツ。大人になれば意外に楽しく酒を飲める。
ファミコンを黙々とやり続ける阿部先輩も実はそんなに怖い人ではなさそうなんだけど、中学校という狭い社会だと僕も怯えて避けたかもしれない。
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クラブトラックなんか作ってるなら余計にそうだと思うけど、デフォルトの音量は音源によっても違う。
ミックスというのは、原則、「パズルのように音を綺麗に詰める作業」だと思って間違いない。
パラメータは物理的な前後(トランジェントの制御)・左右(パン)、上下(これはコンプのアタックなんかで制御できる)。
そして音域による上下。同じ場所で鳴る音(ex.キック&ベース)ならば、音域で住み分けをさせる。
コンプを強めに掛ければ(圧縮すれば)音は細くなる。潰さなければ「広がって」聞こえる。
これらを踏まえて、どこかが過剰だったり耳障りにならないように、綺麗に配列する。
>スネアやハット、主旋律、ベース、和音のベロシティやパンをどのように考えてどれぐらいの数値にしているのか
最初にも書いたけど、サンプル音源だとベロシティは「音色変化の指標」と捉えたほうが扱いやすい場合もある。
一昔前みたいに誰も彼も同じDTM音源を使ってる時代でもなし、他人の数字的な指標はあまり役に立たない。
「自分がいいと思った曲が、どのように音を詰めているのか」を聞いて分析するのが一番いい。
何を前に、何を後方に、どの楽器のどの音域を立てて、どの程度の太さで配置しているのか、とにかく分析あるのみ。
こうしたらこうなる、が理解した上で、目指す完成形を学んでおくこと。
「提督、提督が僕のために大型建造で三隈を迎えようとしてくれているのは嬉しいよ。でも、大型建造は資源を消費しすぎるんじゃないかな。通常建造で迎えられる鈴谷や熊野だって航空巡洋艦になれるんだし、彼女一人のために艦隊に迷惑をかける訳にはいかないよ。そのうち…そう、そのうち余裕ができたら、その時また三隈を迎えに行こうよ」
「あ、ああ…そう…だな(通常建造で鈴谷熊野が出ることを知らなかったなんて言えない…)」
十八駆逐隊のモーレイ海での任務が不調なので、最近提督さんは苛立ち気味。
特に不知火ちゃんはなぜか初戦で大破することが多くて、そのせいで提督さんに目をつけられてるみたい。
レベリングを怠っていきなり北方海域に出した提督さんの自業自得なんじゃないかなって思ったりもするんだけど。
まあ、大破したらちゃんと撤退させてくれるだけうちの提督さんはまともな方なのかもしれないけどね。
……ああ、とうとう手が出ちゃった…。大丈夫かな不知火ちゃん…。
「テメェがっ、ちゃんと避けねぇからっ、今日も撤退しなきゃならなかったじゃねえかよぉっ」
「なんで毎回毎回テメェばっかり被弾するんだよ、他の連中はしっかり避けてるじゃねえか、あぁ?」
不知火ちゃんは気丈よね。
「ほんとにわかってんのか? モーレイで羅針盤の野郎が南に行ってくることなんてめったにないんだぞ、折角のチャンスをふいにしやがって。だいたい弱ぇくせにちっと喰らったくらいで30分も風呂に入ろうなんざ贅沢なんだよ、わかってんのか? タイムイズマネーなんだよ! それにな、ドックは二つしかねぇんだ、そのうちのかたっぽをテメェなんぞに30分も占拠されたら邪魔でしょうがねぇんだこのうすのろ!」
さらに平手。だんだんお説教の内容が理不尽になってきたよ。そもそもそんなに時間が大事ならドック拡張するなりバケツ使うなりすればいいのに。貧乏性なんだから。倉庫にバケツが千杯以上貯まってるの、ちゃんと知ってるんだよ?
「うるっせぇ、何だその目は、なんか文句でもあるのか!?」
「申し訳ありません、申し訳ありませんてバカの一つ覚えみたいに繰り返しやがって、それだけ言ってりゃ許してもらえるとでも思っているのか? テメェホントは俺のことバカにしてやがるんだろ!」
「いえ、そんなことは、断じて」
「うるせぇ、テメェの顔にそう書いてあるんだよっ!」
ああ、ついに足が出た。お腹に十六文キック。いや、そんなになかったな。提督さんのはせいぜい十文くらいだったっけ。割と小柄なんだよね、提督さんって。それでも一応男の人だから、それなりに力はあるみたい。不知火ちゃん、バランス崩して倒れちゃった。
「この、いつもいつも人を小馬鹿にしたような態度をしやがって、この、この」
不知火ちゃん、気丈なのはいいんだけど、感情があんまり顔に出ないからけっこう他の人に誤解されやすいんだよね。もう少しお姉ちゃんみたいに笑ったりすればいいのに。可愛いんだから。今みたいに鬱憤晴らしに蹴られ続けてる時なんかは、ガマンしないでうめき声くらい上げてもいいんだよ?
「申…し訳…ありま…せ…ん」
……不知火ちゃんも結構不器用な性格なのかもね。あ、とうとう動かなくなった。提督さんもそろそろ気が済んだろうし、ここらが潮時かな。
「あぁ? あ、あぁ…チッ、今度は気絶したふりかよ、まあいい。おい、まるゆが上がったら次はこいつを風呂に突っ込んでおけ。モーレイはまた明日だ。他の奴らは補給船狩りでも手伝ってこい、ぼやぼやしてるんじゃねえぞ!!」