はてなキーワード: 開放的とは
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら
ありがたいことに社会の怖い経験はしたことがほぼない。電車は何台か見送っても女性専用車両に乗ってたから痴漢されたことなどもない。
今回恐怖を感じているのは、ある程度意思疏通が可能な知的障がい者からの接触だ。
バイト中、「こんにちは」と挨拶されて顔を上げると、いつもその男性がいる。40代くらいの人。バイト先には知的障がいをもった職員も働いていて、そうした人とのコミュニケーションは割りと経験があるので、過剰にvipのような特別扱いもしないし、ただの清掃バイトなのでテーブルを拭く。
障がいのある方のなかには、じーっと同じ人を見続ける傾向があるひともいる。見られている側としては重圧を感じるが、彼らは興味があって凝視しているだけであるだろうから、こちらが気負っても仕方がない。
その男性もじーっとこちらを見る。あからさまにバイト先の客ではないのだが(実技資格に関する職場で、障がい者の人は例外を除いて受講できない)けっこう開放的な職場だし、受講者の家族が終わるのを待っている場合もあるので来訪者の阻止はできない。警備員も置いてないし結構がばがばだと思う。
とにかく無心で清掃をして、はやく立ち去ろうとするともう一度「こんにちは」と言われるので刺激しないように「こんにちは」と返す。そして、次に言われたのは「ほっぺ、触っていい?」
衝撃だった。駄目です。駄目だ、嫌だということは彼らには余計にハッキリ伝えないといけない、と聞いたことがあるが、急に柔らかい言葉も出ないし、何よりそんな発言をされたのがはじめてだったので怖かった。とにかく「何かご用がありましたら、受け付けの方にお願いします」とだけ言ってバックヤードに逃げた。怖エ~~~。ちなみに他の職員さんに聞いた話だが、ずっと私が逃げ込んだバックヤードを見ていたが、バスが来たらそれに乗って帰っていったそうだ。疑似ストーカー体験みたいだな、と思った。事実とは別に、思うのは勝手なので。
何が怖かったって、多分「自分が小柄で女で話しかけやすそう」だからターゲットにされたってこと。清掃のバイトはもう一人男性とペアになってやっているのだが、分担作業なので彼は二階を掃除していた。私は一階だった。二人でいるときは絶対話しかけてこない。
知的障がい者の人は、未知だ。だから怖い。人それぞれ、色々な発達があるし、自分も別に完全健常者だという認知はしていない。誰だって何かしら不得意なことはあるし、ほとんどグレーゾーンとも学んだ気がする。
それにしたって、怖かった。何か相手の機嫌を損ねたら爆発しそう、という私の偏見があるからだ。彼は感情をコントロールする訓練や学びをしているのだろう、だから親御さんが同伴せず、一人でここまでやってくるのだろう。
やはり知的障がいを持つ方との交流経験が少ない故、こんなことを思ってしまう。加えて、ただ単に「オレでもいけんべ、ちょろそうだし」と思われていたんだろうな、というのがショックだった。思うのは勝手なんだけど、それを行動に移されるのがきつい。ま、「ほっぺ触らせて」にどこまで性的意味があるのかは彼の心の中にあるんだろうけど。「人の頬に興味があった」んじゃなくて、抵抗しなさそうな小柄な女が一人の時に「ほっぺ触らせて」は意味が違ってくるだろうな~~~と思った次第。
あ~~~バイト行きたくね~~~
東京が憎いんですよ俺は
個々の東京人は憎くねえ 大学の先輩も親戚もいて、彼らはいい人たちだ
でも、それはそれとして、当たり前のように、注釈なしに東京の地名をバンバン出してくるインターネットの雰囲気はすげえムカつくし、毎回かなり新鮮な怒りを覚える
この前腹立ったのはこの記事だ: https://dailyportalz.jp/kiji/imagawa-yaki-pretending-be-pancakes
今川焼きをパンケーキ代わりにする?うーん、楽しそう!読もうっと!
丁寧に時間をかけて焼き上げた厚みのあるホットケーキ。板橋区大山の「ピノキオ」など、昔ながらの喫茶店でも人気のメニューだ。
ああ?"板橋区"?都道府県名言わずに、いきなり"区"ですか?ってことは……東京だな?
「東京のおいしいパンケーキ屋さんをご紹介!」みたいな記事でこの感じなら全然文句もねえ
しかし、こういう、おもしろ記事みたいなテイで、サラッと、東京の地名をなあ、なんの注釈もなしに、いきなり!ぶち込んでくるので!その度に!俺は!自衛もできず!!ムカつくんだよ!!!!
この記事、マジで東京圏を舞台にしてるってことを一切明かさずにいきなり"板橋区"だからタチが悪いよ
渋谷くらいならギリ許せんでもないが、板橋ってなんだよ んなローカル地名知るかよ
"区"つったら東京にしかない、って状況なんだったらまだわかるが、そんな事実はねえ
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/cities/seirei.htm
これがいきなり「安芸区の〜」だったらどう思うかって話だ はあ?何?どこ?知らねえぞそんなとこ、テメーの世界が全てだと思うなよ、ローカルメディアならまだしも、そんな括りじゃねえだろ、このサイト! そう思うんですよ
いっそ「東京を中心とした情報をまとめる、関東人専用のおもしろサイトです。都道府県名に言及のない地名はすべて東京都のものです。田舎者お断り!」くらい書いてるサイトなら文句はねえが、いちおう万人に開かれてるってえ体裁のサイトでやることかい!これが!!
コロナちゃん、実店舗ぶっ殺し力が高くて、俺は本当に推しているんだ
東京のパワーの中核をなしていた、「いろんな店が密集している、いろんな場所に行ける、たくさん人がいる」を全部潰してくれるんじゃないかと思ってるんだ 全部は無理でも、多少は……
そういうことなんだよな
東京のギチギチライブハウスの映像とか、昔は「すげーなあ!」と思って見てたけど、今見ると「うわ……」って感じだもん 確実に潮目が変わっている
もう少し粘って、この意識を定着させてほしい
実店舗に行くのなんて無駄、全部オンラインでOK!人と直接会う意味なんてねえ、zoomでOK!そういう風潮を醸成してくれ!
東京を、ただ人がギチギチに鮨詰めになってるだけのキモくて臭い街にしてやってくれ
田舎を、開放的な空間と安い地価を享受しつつ、都市部と受けられるサービスはそう変わらない極楽に変えてくれ
俺の願いはそれだけだ
性教育の教科書がAVになってしまう日本男性のセックスの貧困さ セックス=愛の勘違いに気づけるか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/43131
非常に重要な問題提起なんだけど、これを読んで残念だったのはこの人達は自分達で問題を解決する気は無いんだな、と気付いた事だった
誰かが解決してくれるのを待つだけで、自分達はそれにダメ出ししたり品評する立場だとしか思っていないんだな、と
記事の4ページ目(https://president.jp/articles/-/43131?page=4)、結論部で太田啓子氏は「~はイヤだなという思いがあります」「~ほしいです」「~はやめてほしい」と連発するんだけど、
お願いベースで社会スケールの問題が解決すると本気で思っているんだろうか?
例えば自分の子供一人に対する説教なら、それで解決する事も有る、しかしあなた達が相手にしているのは大多数の大衆な訳で、それを変えられるのは強制的な権力か、大衆に浸透する娯楽しかない
まず何故、性教育の教科書がAVになってしまうのかと言えば、それは日本の性教育がAVにフリーライドしているからだ
保守もリベラルもこぞって子供を性コンテンツに触れない様に努力し、その結果子供達に与えられるのは保健の教科書の数ページ程度、
それ以外はネット上の性コンテンツを子供が勝手に見るのを期待するしかないというのが現状だ
18禁でない性コンテンツが少なすぎる(と言うより保険の教科書はコンテンツではないのでほぼゼロだ)、その状態でAV以外が性教育の教科書に成る事を期待しているという事は、子どもの脳内に独りでに性知識が湧いてくるのを期待しているのだろうか?どうかしている
こうした問題にフェミニズムが与えるであろう解答(勿論予想でしかないので的外れだったら謝る)は信じ難い程役に立たない
まず一つが子供が触れる性コンテンツをもっと少なくする事、状況をさらに悪化させて居るだけだが悲しい事にこういう層は実際居る(全部ではない)
次に性コンテンツから暴力性を排除しようとする事、これを行うには表現規制等、権力による徹底的な抑圧をどうしても必要とするのだが、都合良く忘れる人が多い、またこれは発想としては上とほぼ同じだ、押さえ付けようとすれば悪化する
次に学校等で行う性教育の拡充、これは悪くは無い、一部の真面目な子の手助けになる程度の効果は上げるかもしれない、しかし忘れてはならないのは我々が相手にしているのは「大衆」だという事だ、大衆はつまらないお勉強などでは動かない
次にフェミニズム発の性コンテンツの開発、これも悪くは無い、ただ、現状を鑑みればフェミニズムの作る性コンテンツは恐ろしくつまらなく、エロくもなんともないお勉強に堕してしまうのが関の山だろう
一部の意識の高い子供や、先生の言いつけをよく聞く良い子ちゃんではない、それ以外の大勢を含む大衆なのだ
フェミニズム発であり、更に娯楽性を伴う性コンテンツ、これである
AVに代わる性教育の教科書を作りたいなら自分達で作るしかない、当たり前の話だ
そして強制的では無いやり方でそれを成し遂げたいなら娯楽性を磨く必要がある、これも当たり前の話だ
それ以外の発想は結局、考えるのをサボって他人任せにフリーライドしているだけなのだ
記事の対談者達の様に「誰かが変えてくれるのを待つ」だけでは何も変わらない
フェミニズムが目指すべきはフリーライドする側からフリーライドされる側へ変わる事、フリーライドされる側に回れば乗る者達をある程度導く事が出来る
もしあなたが暴力性や支配性の強くない娯楽性、エロを思い付かないなら、あなたはAVを教科書にした男性に負けず劣らず、エロに対して狭い知識しかもっていない未熟な状態にある
暴力性や支配性が強くないエロはあり得る(勿論、暴力性や支配性が一切無いエロは有り得ない、それは欺瞞であり、暴力性や支配性を隠して見えなくしているだけだ)だからそれを作れば良い、それだけである
例えば記事の対談では「江戸時代に描かれた春画などを見ると、とても開放的で、男女ともに快楽を楽しんでいた様子がうかがえます。」「春画には、女性が主体的に楽しんでいる描写も多いですよね。」と肯定的な形で性コンテンツを取り上げても居る
そして対談者達は知らないのだろうが、そのような開放的で女性側が主体的に楽しむ描写のある性コンテンツは現在既に存在するし、別にニッチでもない
ただ現状に問題が有るとすれば、それらのコンテンツが18禁であり、暴力性の高いコンテンツと同レベルにしか扱われていない事だ
暴力性の低い、女性も主体的に楽しむ性コンテンツでリテラシーを身に着け、その後なら暴力性のあるコンテンツに触れるなら問題は無い(と、対談でもちゃんと言われている)なら、その通りの順序を人工的に作り出すのが当たり前の対処ではないか?
つまり18禁より先に12や15禁程度で暴力性の低い、女性も主体的に楽しむ性コンテンツを提供する
たったそれだけで驚くほどすんなり事は解決するだろう、何故ならそれらの12禁、15禁コンテンツは豊富な娯楽性を持ち、つまり「エロい」からだ
たったこれだけの事もしようとせずに、真剣に考えているつもりなら、真剣と禁欲を取り違えているか、真剣さに見合う知性を持っていないのだ
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 78 | 14532 | 186.3 | 51.5 |
01 | 63 | 5771 | 91.6 | 45 |
02 | 37 | 5108 | 138.1 | 32 |
03 | 13 | 3191 | 245.5 | 85 |
04 | 18 | 2612 | 145.1 | 59.5 |
05 | 18 | 1943 | 107.9 | 99.5 |
06 | 32 | 5610 | 175.3 | 100 |
07 | 26 | 4320 | 166.2 | 85 |
08 | 68 | 10363 | 152.4 | 67.5 |
09 | 83 | 9878 | 119.0 | 51 |
10 | 112 | 13142 | 117.3 | 59 |
11 | 136 | 13755 | 101.1 | 46 |
12 | 122 | 17547 | 143.8 | 35.5 |
13 | 147 | 14159 | 96.3 | 37 |
14 | 146 | 12818 | 87.8 | 43.5 |
15 | 122 | 15979 | 131.0 | 54 |
16 | 103 | 19088 | 185.3 | 39 |
17 | 172 | 22321 | 129.8 | 49 |
18 | 164 | 11935 | 72.8 | 30.5 |
19 | 130 | 10958 | 84.3 | 40 |
20 | 177 | 18048 | 102.0 | 40 |
21 | 163 | 17992 | 110.4 | 41 |
22 | 130 | 16026 | 123.3 | 46 |
23 | 128 | 15326 | 119.7 | 47.5 |
1日 | 2388 | 282422 | 118.3 | 45.5 |
偏西風(4), 民間病院(5), あげまん(3), 開放的(3), 三か月(3), 成人の日(3), 除雪(3), 海外赴任(4), 成人式(36), 新成人(5), 大雪(6), 後遺症(23), 変異(11), 会食(12), クンニ(11), ロックダウン(18), BAN(7), ✋(7), 自粛(117), スクール(12), 緊急事態宣言(27), 雪(11), トランプ(28), 医療崩壊(11), ノー(13), 死者(17), 返っ(14), 協力(21), ワクチン(17), 医療(38), 高齢者(15), 風邪(27), プログラミング(18)
■ 医療に協力したら何が返ってくるの? 追記 /20210111000145(95), ■ならtwitterを使わなきゃいいと言うが、お前らそれできるの? 追記「トランプをかばってるように見えるならそれは相当頭が悪い」 /20210111102323(18), ■低身長がつらい /20210111121944(15), ■パンツのちんちん出し入れする穴って使ってる人いるの? /20210111095400(14), ■陰謀論かどうかなんて分かるわけねえんだよな /20210110023820(11), ■養子に出したいとか預けたいと妻が言います。 /20210110161507(10), ■ダメージジーンズおじさん /20210110144006(10), (タイトル不明) /20210111173629(8), ■初めてノートパソコンを買うんですけど全然決められない /20210111213146(8), ■洗濯機の寿命 /20210110155029(8), ■職場の困った人 /20210111221251(7), ■10年経ったら人生変わってた /20210110193003(7), ■コロナを発症してホテルに隔離されるまでのレポ /20210110214943(7), ■同人誌を出すオタクがそんなに偉いのか /20210111121605(7), ■日本の銀行のIT終わってる /20210111151935(7), ■カルピスを牛乳で割る /20210111180932(7), ■むしろいま必要なのって晒しと私刑じゃね? /20210111213658(7), ■ /20210111200137(6), ■ /20210110202353(5), ■Vガン面白いやん… /20210101220937(5), ■おかずなしで白米食えるやつが信じられない /20210111183403(5), ■倫理が壊れた世界で我々はどう生きるか /20210111184926(5), ■ホロライブの絶頂期は /20210110230328(5), ■逆に「毎日多人数で飲み会しないと死ぬウィルス」が流行ったら? /20210111135411(5), ■えっちょっと待ってみんなマジで自粛について真面目に議論してるの? /20210111152413(5), ■3大リメイク前の方が良かった作品 /20210110112503(5)
昨日はひさしぶりにちょっと出かけて、都市緑化植物園なる場所を訪れた。
ひと駅の近場にも同じような名前の施設があるが、そこははっきり言ってショボい。植物園と言いながらほとんど温室だけの存在で、その温室も2〜3部屋くらい、チョロっとあんまり華のない植物があるだけ。デザインもそんなに洗練されてなくて、逆にそこが魅力といえば魅力なんだが、とはいえまあショボいものはショボい。無料なのはひとつの強みだけど!
それにたいして、昨日の都市緑化植物園は立派だった。敷地が広くてハーブ園なんかも併設しているし、温室だって二階建てでデカかった。ガラス張りの大部屋が吹き抜けになっていて、開放的な空間・絶え間ない水音・ガラスで弱まった陽光・エキゾチックな植物が織りなす最高の雰囲気がそこにはあった。
カフェ風の椅子と机なんかも置かれていて、その気になれば数時間はボケっとしてられそうだった。温室の外にはちょっとした池、ちょうど紅葉した背の高い木から落ち葉が舞い散るのをベストアングルで見られるテラス席なんかもあり、マジで超よかった。西日を浴びていっそう黄色い紅葉!
植物園は安い。
広くて、温室では空間のトータルコーディネートみたいなものを楽しめて、全体的に人が少なくて、落ち着ける。
そしてアホみたいに安い。
そう強く思った。
手洗い場は密室性を排除した開放的なもの、化粧台も男女共用が理想。個室内は盗撮カメラを仕掛けにくいシンプルで凹凸の少ない作りで。
色々な現実的制約(コストとかスペースとか心理的嫌さとか)を度外視すれば。
「誰でも使える」はまさに、下痢してる男性も気兼ねなくたくさんの個室の空きを利用できるなど。
ただ、男女共用にすると「長かったけどうんこ?」みたいなのが異性からも来る可能性がある。同性からだって嫌だけど、異性からだとさらに嫌ではあろう、男女問わず。
(手洗い場が開放的つくりだと、そういう発言がトイレ使わない人にも丸聞こえだから多少抑止力にはなる場合もあるかもしれないが)
この前中之島あたりをぶらついたら、ガラス張りの滅茶苦茶デカいビルがそびえ立ってて結構な迫力を感じた。
梅田はデカいビルばっかりだから逆にひとつひとつの印象が薄いんだけど、中之島は川で挟まれてるぶん開放的な空間にいきなりビルがあるんでインパクトが強い。
そして思ったんだけど、たとえば300年前の建物としてあのデカさ・高さがあったら絶対世界遺産入りするんだよな。
そのへんのビル街にあるどうでもいいビルでも大概の城とか塔よりデカいし、なんなら世界遺産クラスと比べてもピラミッドくらいにしか負けない感じさえある。
現代建築もデカいし精緻だしすごいと思うんですよ俺は。アンコールワットみてえなものを見て喜ぶくらいなら、家一歩出て目に入るビル、なんなら自分ちそのものに目を向けてみろ、それが500年前の建物と思ったらメチャクチャすごくねえか?
でもコンクリートってカスらしいじゃん。俺はそれが悔しいんだ。
これまで見た建築物で一番グッときたの、五重塔でも清水寺でもアヤソフィアでもパンテオンでもなく、北京空港なんですよね。
北京空港すげえんだよマジで頭おかしいくらいデカくてさ、遠近感が狂うくらいクソ高い天井が視界いっぱいに広がってて、しかもそれが光っててさ、これまたデカい白い柱が無数に立ってんの。なんかもう神秘的ですらあったんだよな。
乗り換えするだけの空港の移動だ、と思ってロクに周り気にしてなかったんだけど、ふと立ち止まって天井見上げた時これってもしかしてマジですごい建物なんじゃないかって思ったんすよ。
でね、あの巨大でマジェスティックでとんでもないものが、なんの遺産にもならずに消えていくって悲しいじゃないですか。劣化したとか言って取り壊されてさ、仕方ないんだけどやっぱり悲しいぜ。
だから、現代技術の粋を集めて、長持ちする素材でひとつデカイものを作ってはどうか。
北京空港くらいでかい石造りの何か、作れないのか?将来の人類、あるいは次に覇権取った知的生物が見てこいつはすげえやと感嘆するようなもの、絶対作れるでしょ。
出かけたメンバーはいわゆる『いつメン』というやつで、私ともう2人。名前は朝子と夕子にしておこう。三人三様、性格も全く違うがとても仲良くやってきていて、先日も特に大きな問題も起こらず無事に一日が終わった。
そもそもこのいつメンでのドライブが実現するまでには長い時間を要した。
『3人で富士急行きたいね!』という何の変哲もないただの女子大生同士の会話の中での一言。
大学2年と言えば、多くの学生が20歳になる年。つまり、大人の仲間入りをする年である。例に漏れず私は20歳になっており、朝子と夕子も19歳を終えようとしていた。
私にとって『大人になる』とは、世間的にも気持ち的にも、制約がなくなり開放的になる感覚があった。その影響を受けてか、遊ぶにしても行動範囲や選択肢が広まり、『富士急』という、今まで3人で行動したきた範囲から大きく離れた場所へ行く、という選択肢が現れたのだ。
それと同時に、交通手段として現れたのが車。
...これが私にとっては大問題であった。
当時3人の中で免許を持っていたのは私だけ。大学1年の夏に父親から急かされ1ヶ月みっちり通い、MT免許を無事取得。そしてこの夏で丁度初心者マークとお別れした時だった。
つまり何が言いたいかというと、まだまだ初心者に毛が生えたような奴が他人の命を預かり県外へと運転出来るはずがないということだ。しかも2人も乗せるなんてそんな無責任なことは出来ない。
『のり(私)の運転で行こうよ!』なんて、よくそんなことが簡単に言えるね、と心の中でめちゃくちゃ怒った。
当時免許を持っていない朝子と夕子からしたら、3人でドライブができる!としか考えてなかったのだろう。私はもし実現出来たら楽しいだろうしドライブも本当はしたいと思ったが、やはり危ないだろうし何かあった時に責任はとれない。一応親にも聞いたが明らかに危険だと大反対された。
唯一運転出来る私やその背後にいる親が否定的な態度をとっても、構わず『行こうよ!』とゴリ押ししてくる朝子と夕子にしばらくイライラした。
結局、運転の怖さや免許をとって改めて思い知る車の危険性は、教習所に通わないと分からないのだろうと諦めることしか出来なかった。
その後もことある事に『のりの運転で行きたいね』と懲りずに言ってくる2人にはなんとも言えない感情を抱いていた。
この話をした同時期に朝子が教習所に通い始めた。3人でドライブするには最低でももう1人運転できる人が必要だと気づいた様だ。
しかし朝子の教習所に通う態度は舐めているようにしか思えなかった。『頑張って3ヶ月で取る!』と言った割にはよくサボっているのを見かけるし、教習所内で受ける試験にも2回ほど落ちていた。やっと教習所を卒業し後は免許センターでの試験だけだとなったのは2年が終わる頃。そこからまた数ヶ月空いて結局免許を取ったのは3年の夏前だった。
一応これでドライブするための人員は揃ったが不安は当然まだまだあり、心置き無くドライブするには早すぎる。しかも朝子は4年の夏前まで初心者マーク付き運転手なわけで、流石に本人も他人は乗せられないと言っていた。(当時の私の気持ちがやっとわかったかと内心嬉しくなった。嫌な友達だなほんとに。)
そして時が経ち4年になった2020年。3人とも無事に就活は終えた。今頃出かけまくって遊びまくって、人生の夏休みを満喫しているはずだったのに...。
経済活動が再開され外出する人も多くなってきた6月7月頃。インスタのストーリーではドライブする同級生が多く見られた。電車に乗って不特定多数の人と接触するくらいなら、仲の良いと人達と車で移動した方が感染リスクは確かに低くなる。
私もそう考えるうちの1人だった。遊ぶなら車が基本、になりつつあった。
そしてついに先日、無事に初心者マークを卒業した朝子と、夕子とのドライブが実現した。
朝子はこのドライブの前に、何回も家族や友人を乗せて運転の練習をしていた。私も何回か練習に付き合った。教習所に通っている時はそうでもなかったが、実際に他人を乗せるとなると運転に対して本気になり、恐怖も感じていた。
それは、とても嬉しいことであった。
私が運転に対して感じる危機感を、同じように感じてくれているから。
私の周りだけではないと思うが、やはり免許を取ると人を乗せて運転したくなる人は多い。初心者マーク期間のうちに他人を乗せてドライブしていた同級生にはバカなのか?としか思わなかった。人の命を軽くみているとも思った。だって、そうでしょう?車に乗ることで得られる利便性、優越感ばかりみて、本来考えるべき危険性や責任感を欠いている馬鹿者だと。問題になっているのは高齢者ドライバーの事故率の高さだけではなく、若者の事故率の高さも同じように問題だぞと。
20歳の夏に、同い年の若者と呼ばれる人達がどれだけ車に対して低い意識で接しているか目の当たりにした。免許の有無に関係しているかもしれないが、いつもそばにある大きな危険なのだとわかって欲しい。今、朝子は免許をとる前とは変わり、車に関する危険性を念頭に置いてくれているし、夕子も免許を持っていないながら理解してくれている(はず)。
私は運転は好きだが、向いていない人。だからこそこの気持ちを慣れのせいで忘れたくない。多くの若者が馬鹿者と呼ばれないようにして欲しいなと思う、22歳の夏。
今後初心に帰るためにここに書き留めておく!
出かけたメンバーはいわゆる『いつメン』というやつで、私ともう2人。名前は朝子と夕子にしておこう。三人三様、性格も全く違うがとても仲良くやってきていて、先日も特に大きな問題も起こらず無事に一日が終わった。
そもそもこのいつメンでのドライブが実現するまでには長い時間を要した。
『3人で富士急行きたいね!』という何の変哲もないただの女子大生同士の会話の中での一言。
大学2年と言えば、多くの学生が20歳になる年。つまり、大人の仲間入りをする年である。例に漏れず私は20歳になっており、朝子と夕子も19歳を終えようとしていた。
私にとって『大人になる』とは、世間的にも気持ち的にも、制約がなくなり開放的になる感覚があった。その影響を受けてか、遊ぶにしても行動範囲や選択肢が広まり、『富士急』という今まで3人で行動したきた範囲から大きく離れた場所へ行く、という選択肢が現れたのだ。
それと同時に、交通手段として現れたのが車。
...その話が私にとっては大問題であった。
当時3人の中で免許を持っていたのは私だけ。大学1年の夏に父親から急かされ1ヶ月みっちり通い、MT免許を無事取得。そしてこの夏で丁度初心者マークとお別れした時だった。
つまり何が言いたいかというと、まだまだ初心者に毛が生えたような奴が他人の命を預かり県外へと運転出来るはずがないということだ。しかも2人も乗せるなんてそんな無責任なことは出来ない。
『のり(私)の運転で行こうよ!』なんて、よくそんなことが簡単に言えるね、と心の中でめちゃくちゃ怒った。
当時免許を持っていない朝子と夕子からしたら、3人でドライブができる!としか考えてなかったのだろう。私はもし実現出来たら楽しいだろうしドライブも本当はしたいと思ったが、やはり危ないだろうしそんな責任はとれない。一応親にも聞いたが明らかに危険だと大反対された。
唯一運転出来る私やその背後にいる親が否定的な態度をとっても、構わず『行こうよ!』とゴリ押ししてくる朝子と夕子にしばらくイライラした。
結局、運転の怖さや免許をとって改めて思い知る車の危険性は、教習所に通わないと分からないのだろうと諦めることしか出来なかった。
その後もことある事に『のりの運転で行きたいね』と懲りずに言ってくる2人にはなんとも言えない感情を抱いていた。
この話をした同時期に朝子が教習所に通い始めた。3人でドライブするには最低でももう1人運転できる人が必要だと気づいた様だ。
しかし朝子の教習所に通う態度は舐めているようにしか思えなかった。『頑張って3ヶ月で取る!』と言った割にはよくサボっているのを見かけるし、教習所内で受ける試験にも2回ほど落ちていた。やっと教習所を卒業し後は免許センターでの試験だけだとなったのは2年が終わる頃。そこからまた数ヶ月空いて結局免許を取ったのは3年の夏前だった。
やっとこれでドライブするための人員は揃った。ただ不安はまだまだあり、心置き無くドライブするには早すぎる。しかも朝子は4年の夏前まで初心者マーク付き運転手なわけで、流石に本人も他人は乗せられないと言っていた。(当時の私の気持ちがやっとわかったかと内心嬉しくなった。嫌な友達だなほんとに。)
そして時が経ち4年になった2020年。3人とも無事に就活は終えた。今頃出かけまくって遊びまくって、人生の夏休みを満喫しているはずだったのに...。
経済活動が再開され外出する人も多くなってきた6月7月頃。インスタのストーリーではドライブする同級生が多く見られた。電車に乗って不特定多数の人と接触するくらいなら、仲の良いと人達と車で移動した方が感染リスクは確かに低くなる。
私もそう考えるうちの1人だった。遊ぶなら車が基本、になりつつあった。
そしてついに、無事に初心者マークを卒業した朝子と、夕子とのドライブが実現する。
朝子はこのドライブの前に、何回も家族や友人を乗せて運転の練習をしていた。私も何回か練習に付き合った。教習所に通っている時はそうでもなかったが、実際に他人を乗せるとなると運転に対して本気になり、恐怖も感じていた。
それは、私からするととても嬉しいことであった。私が運転に対して感じる危機感を、同じように感じてくれているから。
私の周りだけではないと思うが、やはり免許を取ると人を乗せて運転したくなる人は多い。初心者マーク期間のうちに他人を乗せてドライブしていた同級生にはバカなのか?としか思わなかった。
『エガオノダイカ』には色々言いたいことがあるんだけど、とりあえず一点だけ。
戦争をやめる=科学を否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家がアレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的だからでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラが疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。
そこの論理を説明してないのにステラが説得されたの謎すぎない?
あの世界では、
という前提があって、最終話の時点でユウキと視聴者は全部知ってたけど、ステラは5しか知らないんだよね。
で、ユウキはステラに「戦いを止めるために(民用も含めた)全クラルスを停止したい!」って言うのね。
それに対してステラは「そんなことしたら暮らしがメチャクチャになる」って反論するんだけど、最終的にはユウキに説得されて全クラルス停止に協力するんだよね。
1から4までを知らないのになんで全クラルスの停止に賛同できるの??????
まあこれ、どう見ても核だよね。戦争に使うにはすごい兵器となるけど、実は環境を汚染してしまうっていう。
要するにユウキ様は、核兵器だけじゃなくて原発も止めたいんだよね。
俺たちは、スリーマイルやチェルノブイリや福島がどうなったのか知ってるから、「そりゃ核兵器だけじゃなくて原発も止めるべきやろ」って思えるよ。
でもさ、ステラは放射性物質が撒き散らされるとそこには住めなくなるってこと自体を知らないわけじゃん。ステラが無知なんじゃなくて、国のトップであるユウキにも作中の後半でようやく明かされる最高機密じゃん。
この状態で「戦争止めるために原発止めろ」って言われて納得できる??? 生活のすべてを原発由来の電力で賄っているのに??? 意味不明すぎない???
ユウキはなんでステラが1~4を知ってる前提で喋ってんの??? まずは1~4を説明しないとユウキの主張がそもそも理解不能すぎるでしょ???
ほんとここでステラが説得されたのが理解できないんだよね。だって1~4を知らなければただのたわごとだもん。戦争を止めるために軍用だけならともかくなんで民生用のクラルスまで止めないといけないか理解できる? 俺はわかるよ、ユウキ側の描写を見てクラルスの特性を知ってるから。でもステラとユウキは初対面で、ステラはどう見ても最高機密を知り得ない下っ端だろ? どうすればこれで納得できるの?
ユウキの論理は、反戦的なものと反核的なものがごっちゃになっている。ごっちゃになりすぎていて、傍から見ると意味不明だ。
ユウキが全クラルスの停止を目指すのは、反核的な論理に基づいている。つまり、例えるなら軍用民用を問わず核エネルギーの利用が土壌を汚染するということだ。だったら彼女は、ステラに向かって、こんなエネルギー使ってたら土地が汚染されて住めなくなる、と主張すべきだった。
ところが彼女は実際には、戦争を止めたい、という反戦的な論理を口にした。そしてその反戦的な論理にステラは説得され、クラルス停止に協力する。
でも、反戦を訴えるなら、軍用クラルスの停止だけで十分だろう(いや、軍用だけ狙って止められるかどうかは知らんが)。民用のクラルスまで停止しないといけない理由は、反核的な論理じゃないと理解できない。
反戦も反核も実にけっこうな話でそれがテーマのアニメを作るのはお好きにどうぞという感じなのだが、2つの論理が脚本家の脳内でごっちゃになった結果、ユウキの議論が支離滅裂になっている。
最終話のクライマックスでこんなドッチラケやられたんですよ。どう思うこれ?
『エガオノダイカ』が腹立たしいのは、出来が壊滅的に悪いわけじゃないところなんだよね。見られちゃうんだよ、それなりに。だから『ソラとウミのアイダ』みたいな1話Aパートが終わった段階で切ったようなアニメと違って最後まで見たんだけど、こんな感じで理不尽な展開が続くから腹立たしく、でもひょっとしたらクソアニメじゃないのかも……最終話で世界の真実が明かされたり感動的な結末を迎えたりするのかも……って思いながら見続けて、最終話でこんな崩壊した論理を見せつけられた気持ちわかる? 1話切りしたアニメは翌日にはもうすっかり忘れてるから腹も立たないけど、3ヶ月これに付き合ったらめちゃくちゃ腹が立ちますよ。しかもこれ完全新作オリジナルアニメだから予習とかできないからね。3ヶ月分の小さなイライラが最終回で大爆発ですよ。お前ふざけんじゃねえよこのクソアニメって言いたくなるわけですよ。この気持ちわかる?
増田で糞アニメとして名高いので一体どんなもんかなと思って視聴終了。
このアニメを簡潔に述べると、まず政治・経済的な前提なしで帝国とソレイユ王国の開戦状態から始まります。片方の国ソレイユの姫様ユウキは最初戦争状態にあるとは知らされていません。しかし彼女は幼馴染の死から真実を知らされ、なんとか両国の人間が死なないように軍を指揮しようとします。その作戦手法とは主に両国の兵士たちが最小限の犠牲で済むというものでした。いろいろ省略して最終的には両軍の兵器のエネルギー源を止める方法が見つかり、両軍の兵器は沈黙して終了、仕方ないから両国の国交が暫定的に回復するという話です。
で、そこそこ背景があります。まずソレイユ国。これは新型兵器クラルス(作中であまり触れられないが、動力源。動いてるロボの名称は別にある)を擁していて、この動力源はもともとベルデ公国を仲介して帝国とソレイユが共同開発していたものでした。そして12年前にテロ事件が起こるのですが、ソレイユの幹部が「帝国のせいにしちまって新兵器の動力源はうちに牽引しようぜ」、と画策します。このやり口が帝国の逆鱗に触れて戦争状態となります。
まあ政治的背景を真面目に考えりゃソレイユが資源独占して相手が帝国主義だったのは、なんかかみ合わせ悪かったねとしか思えまえん。というよりソレイユが資源を独占しようとしたという背景が姫側近のレイラから伏線で話されるのですけど、帝国からしたら王国が資源独占した挙げ句攻め込んだら全部破棄にされた話でしかなく、そういう側面から考えるとちょっと身も蓋もない感じがしました。ソレイユって国家としては悪じゃんと。背景には明らかに利益の綱引きがあったと思うんですけど、冷戦構造みたいなものは全く無い描かれ方をしている。だけど途中で第二次世界大戦をモデルにしたような描写は出てくるので、多分作品としてやりたいことが違うんでしょう。あと、共同開発していた新動力へのテロリズムを一方的に強大な敵国のせいだ、としてしまえる外交手腕って何なんでしょうか。素人目に日本とアメリカをモデルにして考えても、まずありえない行動です。
ただこれ、いわゆる戦略戦術政治の面から見るもんではなく、全体の逼迫した状況下で個人の思いが殺されてゆく話だと思うわけです。かつてのアニメでいえばヤマト、ガンダム、銀英伝のような敵の事情もはっきりわかった上でどっちも死んでほしくない、という感情を想起させてゆく作りではあります(必ずそうなるとはいってませんけど)。ヤマトの場合好敵手、ガンダムや銀英伝の場合主義思想の違いで殺し合うわけですが、エガオノダイカにはなぜ殺し合うかというテーマは希薄です。実際に武人が生き様のために死ぬ、という描写は控えめですし、そういった時代錯誤的な意志の強さはあまり重視されません。それはテーマが "生きる" ことに集約されているからです。
ステラは常に生き方を探します。ユウキは戦時でも生かすことを見出し、ゲイルも孤児を引き取りながらメンバーを活かすことを考えて行動します。イザナの子は戦争の途中で父の死と引き換えに生まれてきます。このように戦争状態という皆が嫌々参加している状態からもキャラクターたちは生きることを見出します。このため前項における全体的な利益のために死ぬ武人、という自己犠牲的な生き方は重視されていません。そんな意味でユウキというキャラクターは最も自己犠牲的であるにも関わらず、最後まで両軍を生かすために我を通した、という意味でコンセプトは一貫していました(戦争中にあんな指揮官いたら嫌ですけど)。反面帝国は死を利用してプロパガンダを行い、分隊の隊長の死など気にもとめません。このへんの対比はやりたいことが出来てるとは思います。
ただ、視聴者的に言えばハロルドとゲイルという二大キャラがなぜ衝突しなかったのか、と思うことしきりだったでしょう、参謀的なイザナがモブに撃ち殺される、というあっけなさもよくありません。
タイトルのエガオノダイカは自明で、沢山の笑顔が犠牲になって平和が訪れた、あるいはたくさんの犠牲により笑顔がもたらされた、という意味です。
戦争をやめる=科学を否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家がアレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的だからでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラが疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。
というエントリにあったような読み方は流石にまずいかなと。一応コンセプトと設定とキャラクターの持つテーマはしっかりつくっていってるのでそこは読んだ上でケチつけたほうがいいかなと思いました。