はてなキーワード: 足枷とは
「中華製の西洋ファンタジーが少ないのは、中国にカタカナがないから」は真なのか?
例えばにしろ、なぜならにしろ、まずそこの関係が自明なのか疑問もてよ
大元の増田は「根拠ないけど、ファンタジーが漢字だとなんか気分でないから、少ないに違いない。関係あるに違いない。なぜなら僕がそう思うから、カタカナは発明」レベルのことしか言ってないと
で、そもそも「発明」というけど、カタカナは平安時代初期に生まれたもので、西洋語のための「発明」ではない、が「歴史的事実」だし、現に「西洋由来語は漢字の当て字で違和感なく定着しているものは定着している」し、外来語でないカタカナ語も普通にある(外来語のためにカタカナが出来たわけではないのだから、本来いうまでもない当たり前のだけど)と私は指摘したまで
>どういうシチュエーションのときにそれが日本語話者の足枷になるんや?って訊いとるんやけど
じゃなくて、
・カタカナないと西洋ファンタジー作る上で不便、だから中華製西洋ファンタジー少ない、は本当かを先ず大元の増田とお前が答えてみろよ
私が言ってるのは、そういうこと
言ってもいない(俺は「デメリット」だとも、「日本語話者が困る」とも言ってない。突っかかってきた増田が、勝手に私がそう言ったかの如く、主張しだしただけ)ことで突っかかってくるな
ここまで長々と説明させるなよ、アホらしい
V豚でいることに疲れて、おすすめに出るKUNのマイクラ動画にハマってから数ヶ月。KUNコンテンツはVtuberと同じ面白さがあるなぁと思ったので、Vtuberを推すのに疲れた人に是非オススメしたい。
というのも、どちらも、アバターをかぶって、Youtubeとツイッターで界隈内の人間と交流して、遊んでいるだけなので、構造がとても似ている、と思うので。
中身の人間がマイクラスキンをかぶって遊んでいるだけなので、Vtuberの、キャラクターの世界観とかいう足枷が無い。ガワのドット数も限られているので顔面と声の違和感に苦しむこともない。あと、基本的な存在意義はKUNの動画に出演して面白くするとこっていう前提があるのもいい。大体の人は活動の軸を分かっていて、そこからブレるとKUNが参加者としての権限を容赦なく剥奪するので、オタクが杞憂しなくて良い。一回ミルダムで配信して、それを1~2ヶ月のタイムラグの後編集されてYoutubeに動画があがるので、公式切り抜きを約束されているようなもので、リアルタイムで楽しむことも、サクッと笑うこともできる。
KUNコンテンツは最高に面白いけど、まぁ、参加勢にニートの割合が高いとか(参加勢はKUNの動画に出演しても給料はもらえない)、快楽主義的な人を見ててヒヤヒヤするとかはVtuberより多いかもしれん。そういうのでも楽しめそうだったらぜひ見てほしい。CRカップでKUNを知ったV豚に届け。
黎明期当時の技術に対してドコモの要求が多く、かえって足枷になったことはあながち間違いでは無いし、ハードウェア構成の変なこだわりもあったと思う。
1つは、少なくとも今までの日本向け端末で採用され続けているチップセット(主にQualcomm Snapdragon)が、モデム部分を除いた処理能力でAppleから何周か遅れているようなものばかりである(特にGeekbenchのComputeスコアはVulkanを利用しても悲惨な結果ばかり)。
たとえ同じアプリをリリースしても、同じ価格帯の携帯電話なのに体感速度で明らかに劣ると言うことがよく起きている。ゲームで顕著だ。
偉大なるUnity(IL2CPP)やCRIなどのミドルウェアのおかげで、ある程度は演算や音声再生能力の差が吸収されるようになったとはいえ、3D描画APIがOpenGLESからMetal/Vulkanに移行したために描画性能の差が余計に広がってしまった。
純粋にチップセットメーカーの技術力の問題もあるが、視覚で訴えかけるゲームのパフォーマンスで差がついてしまった以上Appleのプラットフォームを選ぶ人は減らないだろう。
おそらく、まともなデベロッパーであれば、できる限り理想を実現しやすいプラットフォームを選ぶので、既に普及率が高いうえパワーに余裕のあるiPhoneを基準にアプリを作る。後はわかるな?
2つ目は、一時期流行を見せたいわゆる「格安スマホ」すなわちローエンド端末(エントリー機)の存在だ。
これは、(非常に少ないが)特にこれからスマホを使い始めるという人には非常におすすめできないし、型落ちハイエンドスマホからの買い換えもやめておくべきだ。
自分含め、購入する際には安くてもスマートフォンだと思っているので、あのアプリを入れよう、あのサービスも使ってみようなどと期待して操作をするが、スマートフォンとしてのメリットをほとんど享受できない場合がある。処理能力やストレージが全く足りないからだ。
iPhoneの場合、概ね処理能力を差別化していない(廉価グレードのSEは存在するが中身は「型落ちハイエンド」)のでどれを選んでもそれなりには動いてくれるが、「格安スマホ」は最新機種でもチップセットメーカーがコストを下げるために処理能力をかなり抑えて差別化を図っているので悲惨である。
ようやくSnapdragon 480 5Gで一気に底上げされたが、少なくとも日本市場に関してはもう手遅れだと思う。
また、スピーカーやディスプレイ、カメラなどの部材も必然的にグレードが低いものを用いるので、型落ちハイエンドスマホより体験が劣ることもあり得る。
パソコン同様、初心者に安物を買わせてはいけないのである。売り方をもう少し考慮して欲しい。
以上のように問題はたくさん抱えているが、辛うじてAndroidというプラットフォームには救いがある。
オープンだという点。
x86-64のパソコンさえあれば開発環境が無償で使用可能で、作ったアプリはサイドロードができるのでストアなどに登録しなくても配布できる。
自力で機能を実装して、ちょっとした不便や問題を解決していく強い意志を持てるならば、どんどんAndroidを使うべきだと思う。
理想としては、Android StudioやFlutterなどの開発環境がAndroid上で走るようになれば、敷居も下がってコミュニティも活発になるだろう(なってほしい)。
Felica作った人の記事見たけど、いろいろ興味深い点はあったけど、成長が頭打ちになったのは物理カードかどうかってのはあまり関係ないと思う。
結局のところはJR東を客としてつかんだのが成功の足掛かりであり、同時に成長の足枷でもあった、って事だと思う。
横展開不可能なレベルの高い要求水準のために広く展開することが逆に難しくなってしまった。
JR東としてはもちろんCOVID-19ですら滅ぼせなかった通勤ラッシュを捌くために要求水準なんて下げられないだろうし、
Felica側も太い客の要求を無下にするわけにもいかない、ということで物理カード云々関係なく安定した頭打ちはほとんど確定していたように思う。
技術的なブレイクスルーで要求水準を下げないまま低コスト化が実現できれば拡大ワンチャンいけるかも、って感じだったけど
残念ながらそれは実現しなかった。
結果、「決済が早くて楽」というエンドユーザーのメリットを商売側が負担を背負って支える、という形になり普及が頭打ちになった。
いくらエンドユーザーの覚えが良くても、商売人を巻き込めないと拡大は出来ない、といういい教訓になったと思う。
別に「だからFelicaはダメ」という話ではなく、固い天井に押さえつけられた安定が東京の通勤ラッシュが存在する限り続くだろう、っていう話。
人は19歳で人生の折り返しを迎えるという説がある。
「子供は動物と同じだから殴って躾けるんだ」と一度だけ父から聞いたことがあった。
暴力を伴う躾についてはなんとも言えないが、自分や他人の命が危なかったかもしれない状況だったら叩くのは個人的には有りだと思う。
父の「躾」はとても躾とは思えないものだった。
おもちゃを一つだけ片付け忘れていた程度のことで蹴り飛ばされる。
飯抜き、家からの追い出し、不眠の強要など、とても素敵な躾を両親はしてくれた。
中学では(今思えば)勘違いから生じた根も葉もない噂を流され、高校では虐められて中退した。
知恵が付いたせいでこれまでの環境がどういうものであったのか認識してしまい、病んだ。
逃げ癖があり、責任転嫁しがちで、感情の起伏が激しく、急に無気力になる。
私は私をこういう人間に育て上げた両親が憎いと思うし、最初から私はこういう人間で躾は関係ないのではないかとも思う。
両親のことは好きだけど、本当に好きかはわからない。
あれは虐待だ、私はただ運良く死ななかっただけだとも思う。
人生の半分が虐待や虐めの生き地獄であったのに、両親は今の私に「ちゃんとしろ」と言う。
人生の半分をかけて壊されたのなら戻すのには倍以上の時間がかかると思わないのか、と思っている。
ただそれは私が現状から逃げたいがために責任転嫁しているだけなのでは、と何度も自問自答しているが答えは出ない。
私のような境遇の人に対し親のせいにするな、とたくさんの人が言っているのを見かける。
確かにその通りだがどうにも気力がわかない。
全部己の選択の結果だ。
私は虐待されたくなかったし虐められたくもなかったけど、今更それを嘆いても仕方がない。
それよりもこれからの人生をどうするかが重要だと本当は気付いている。
けれどやっぱり虐待されたくなかった。どうしても「普通」の育ちをした人を羨んでしまう。
働きたくなくても働いて、学校に行きたくなくても登校して、逃げずに頑張っている。
頑張ろうとする度に過去が重い足枷になって、もう何年もずっと同じ場所に立ち続けている。
この程度でウジウジするなと笑われても仕方がない。
アホくさ。
もう2021年にもなるのに、オタクが周りから冷たく扱われることを未だに「差別」だと思っている人間がウジャウジャいることに辟易するわ。
差別だって言うんなら、オタクは何も悪いことをしていないのに不当に冷遇されているって思ってるわけだろ?
でも実際は違うわけよ。明らかにオタク側に非があってこうなってるんだよ。
世の中には、ハッキリ文章で示されているわけではないけど、社会の一員として生きていくには最低限これだけのルールは守ってくださいね、という規範が確かにあるのだけど、オタクはとにかくそれを守らない。
「お前さぁ、いい年こいてその服装はなんなの?もうちょっとちゃんとしろよ」って言われたことあるだろ?
これは、最低限の扱いをされたいなら、あなたも最低限の服装をするというルールに従ってくださいねって意味。
そりゃあさ、「宗教上この服装をしなければいけない戒律がある」「お前達には理解できないかもしれないが俺はこの服装が最高にオシャレだと思っているのでやっている」とかだったらまだ分かるよ。
でも大抵、「面倒くさい」「服に興味とかないし」「どうせ俺はオシャレしてもブサイクだから認められない」とかいう、言い訳にもなってない言い訳を半笑いで言うじゃん?
社会における最低限のルールを特別な理由もないのに守らないってことは、社会のあり方やそこで生きる人々に対する敬意を持っていないと見なされる。
よほどの聖人でもなければ、自分達に敬意を持てない、持つ気が無い人間を人間扱いすることは出来ないよ。
それを理解できずに「僕達はお前達の決めたルールなんてどうでもいいブヒ!お前達の事情なんか知らんブヒ!でもお前達は僕達のことを大切にしないとおかしいブヒ!差別ブヒ!」とか言ってんの。
というか、馬鹿すぎて自分達がそういう支離滅裂な主張を繰り返しているということを自覚すらしていない。
宮崎勤だの加藤智大だのが大事件を起こしたからだとか言う奴がいるけど、そんなの関係ないんだよ。
名も無きオタク一人一人が社会を侮辱し続けた結果、反撃を食らっているという状況なわけで、馬鹿すぎてそれが理解できていないんだよな。
自分の行動を振り返る脳味噌がないから、自分に非があるとは考えられない。そうなると自然に悪いのは社会だと思考停止するようになる。
そういう考えの同類とばかり付き合っているからエコーチェンバーで狂っていって、ますます馬鹿になるんだよな。
若い世代がオタクに対して上の世代ほど当たりが強くないのは、オタクコンテンツがポピュラリティを得て、今までオタクにならなかったような人間も入って来たから。
そうなるとオタクカルチャーの消費者全体に対する、社会のルールを守れない人間の割合は小さくなるので、気にならなくなっているというだけだ。
別に従来型のオタクがどうしようもない人間であることは変わらない。
にもかかわらず、そういう奴らは「オタクカルチャーがようやく世間に認められたブヒ!今まで僕達を馬鹿にしてきた連中はやっぱりクソだブヒ!」とか言うわけ。
お前らがオタクコミュニティ内にいることでオタクカルチャーの評価を下げるようなことをしてなけりゃ、もっと早くに大勢の人達に受け入れられていたんじゃないっスか?
俺は学生時代は所謂リア充グループ(自分で言うのはアホみたいだな)に所属していたんだけど、周りの奴らは普通に漫画も読むしアニメも見るしゲームだってやるわけ。
オタクコンテンツと呼ばれるものの面白さは理解しているけど、それでもそれを表立って言わないのは「ああいう自分勝手な人達の仲間扱いされるのは嫌だな」という気持ちがあったからなんだよな。
まぁ、つまりお前達オタクっていうのは、自分の好きなオタクコンテンツがより人気になり発展していくことを邪魔する足枷でしかないんだよ。
考えすぎてもはや自分の容姿が客観的にどうなのかよく分からないけど、素は結構なブスでばっちりメイクして着飾れば普通かちょいブスくらいだと思う。
そんな容姿で数十年生きていれば普通はブスなりの諦めとか処世術とか身についてくるんだろうけど、私は未だに自分のブスさに悩み、絶望し続けている。
私は幼稚園の頃から眼鏡をかけていた。小学校も半ばになるととんでもない癖毛が発現した。当時はナル〇ヤ系ブランドが流行っていて、『もどき』のちょっと派手な服をたまたま一着買い与えられた。これはちょっと似合わないような気がする。でも鏡を見ない限り服だけが目に入る。可愛い、テンション上がる!
と引かれた。「お母さんが勝手に買ってきたんだよ」と強がった。
おしゃれをすることと、可愛らしい格好をすることが怖くなった。ぐりぐりの癖っ毛をショートカットにし、お下がりでボロボロのパーカーとジーンズを着た。眼鏡はなぜか無難な横長のレンズじゃなくてまんまるなやつをかけさせられていた。おまけに度が強いのでめちゃくちゃ目が小さく見える。
それでも私は密かに希望を抱いていた。なぜなら、それらは言わば足枷だからだ。
眼鏡を外した自分の顔を鏡で見ると、なかなか可愛かった。鼻はちょっと大きいけど、見慣れれば平気なレベル。目はぱっちり二重だし悪くないんじゃない? コンタクトにして縮毛矯正をかけられる時が来たら……見てろよ!
似たような経験のある人にはお分かりだと思うが、これはかなり危険な勘違いだ。鏡の前では誰しも『良い顔』を作ってしまう。しかも私の場合は裸眼だと鏡にかなり顔を近づけなければよく見えなかったので、至近距離からパーツごとに凝視していたことになる。全体のバランスが全く見えていなかった。
中学に上がったらもっとあからさまにブス扱いされ始めた。クラスのヤンキー達から陰で変なあだ名をつけられてクスクス笑われていたらしい(何ヶ月も続いた後にようやく知らされた)。あと、ブスハブりというか、差別。いじめと言うほど積極的ではないにしろ、クラスの可愛い子達、運動ができる子達、コミュ力の高い子達からスッと避けられる。あとに残った、(私の脳内では私より)極端に根暗な子達と仲良くするしかない。友達を選ぶ権利もない。いじめではないからどうにもできないが、私にとってはこれが一番堪えた。
それでも希望はある。高校に入ったらコンタクトにして縮毛矯正も許可するって親が言ってくれた。卒業まで耐えれば大逆転待ったなし!!
そして待ちに待った高校に入学した。私は美少女に生まれ変わった。いや、これが本来の姿だったのだ。さあ、今後毎日お弁当を食べるグループが決まる瞬間。隣の席の可愛い子、その前の席の可愛い子、後ろのいかにも運動部な子よ、仲間になろっ!
……ダメだった。彼女達は私など視界にも入らないかのように三人で机をくっつけてお昼を食べ始めた。私はあれよあれよと言う間に近くの席の変わり者達に取り込まれ、一年間そのグループでごはんを食べた。これでは中学校と同じではないか。一体なぜ。
行事の際に集合写真を撮った。そこに写った自分は美少女ではなく、能面みたいな顔だった。丸顔なんだか面長なんだかよく分からない縦にも横にもデカい顔に『見慣れれば平気』どころじゃない巨大な鼻とそれを際立たせるちんまりとした口。大きくて綺麗だと思い込んでいた目は巨顔に占める比率で言えばむしろ細く、まりもっこりみたいな三白眼でかまぼこ形だった。それらのハーモニーが最高に気色悪かった。
さて、ようやく自分がブスであることを悟った私は希望を失い、それまで以上にブス扱いに傷つくこととなった。
メイクやファッションを学び、失敗を繰り返しながらも徐々にマシにはなった。しかしメイクには限界があり、鏡の前で「お! イケてるんじゃない?」と思っても他人から見れば誤差のレベルで、特に複数人の中で比較されてしまえばほとんど意味はない。大人になれば流石に真っ向から「ブース!」と罵られることはないが、一緒にいる可愛い同僚だけ毎日褒められたり、とある男性社員からブスとデブだけ嫌がらせを受けていることに気づいたりして、その度に深く傷ついた。ブスならそんなのよくあることだし、そもそも毎回褒めそやしてもらえるほどの美人の方が少数派でブスがそれを望むなんてちゃんちゃらおかしいと頭では分かっているのだが、思春期までずっと「私は本当は可愛い」と思い込んでいたせいで余計に受け入れられない。新しいコミュニティに入るたびに、ついつい美人扱いを期待してはがっかりしてしまう。本当に馬鹿げている。
整形すればいいのでは? と思われるかもしれないが、そこまで大掛かりでない整形で何とかなりそうなのが鼻くらいしかない。顔も頭も大きい、目の位置は高い、顎はない、酷い巻き肩が治らないのも悩みだし、手足はかなり短い。肌質も髪質も声質もゴミだ。よくアイドルなんかが「顔の輪郭を髪でごまかしている」と馬鹿にされているがご存知だろうか、輪郭を髪で隠すにも素質が必要なのだ。顔が生え際から大きくせり出しているとほとんど隠せない。
それに鼻って弄るとすぐにバレる。あくまで私自身のことに限定した考え方だが、知人に整形したとバレたら美人もくそもないではないか。年に一回くらいのペースで会う美人の先輩が、会うたびに「また綺麗になったね」と褒めてくれる。私のゴッテゴテの化粧から「美人になりたい!! 綺麗って言って!!」感を読み取って言ってくれているのだろうなと思ってたまらなく恥ずかしくなる。そういうくだらない自意識も捨てられない。美人になりたいブスのくせに。
「人柄が顔に表れる」という言葉がある。本当に? 顔に出るにしたって限界があるだろう。もともと吊り目の人と垂れ目の人が同じくらいニコニコしていたとして、どちらの方が柔和に見えるかなんて分かりきったことじゃないか。『目つき』って何だ、結局目の形や黒目の大きさによるものじゃないか。
「女芸人のあの人は美人じゃなくてもいつもニコニコしているから可愛らしいじゃないか」もよく聞くけれど話にならない。芸能人なんてのは美人じゃなかったとしてもなんだかんだ好印象な顔、『様になる』顔なのだ。私のような不快感を与えるタイプのブスなんて見たことがない。
そう、私は多分なんとも不快なタイプのブスだ。香椎〇宇っていたでしょう。彼女はもちろん美人だったけど、彼女の目つきがきつい感じ、お堅そうな感じだけを持ち合わせたブスがいたとしたら……それが私。どこへ行ってもまず第一印象は良くないし、良くてくそ真面目に見られてしまう。滅多に打ち解けられないし、一つ失敗したらすごく失望されるし、みんなと一緒になってはしゃいだら苦笑いされるかギョッとされる。悲しい。寂しい。性格ブスが進んで雰囲気もますますブスになる。せめて好印象な顔になりたかった。
最後に、なんで都会ってスタイルの良い人がやたら多いの? ただの健康診断の会場ですら私より小さい人が見当たらなくて愕然とした。身長だけで言えば私はごく平均的なはずなのに。何というかみんな頭身が高い。『モーニング』の世界に一人だけ『コロコロコミック』のキャラが迷い込んだみたいで恥ずかしかった。じゃあね。
今回はそういった所について改めて整理していきたい。
・上下関係
・ローテーション
・コスト
・フェイズ
昨今は風潮として「同じコストのカードなのにレア度で性能が大きく違うのはゲームバランスが壊れている」という考え方が広がっています。
しかしMTGでは実際に同一性能でコストが全く違う・同一コストで性能が全く違うカードが複数あるわけです。
・ローテーション毎のバランス調整
・拝金主義
まず、ローテーション毎にバランスは大きく変わるということです。
これは単にインフレのみを意味せず、強力なカード群のスタン落ちに伴うデフレ等が実際に存在しています。
またローテ毎に特定の傾向が持たされており、その結果として過去に出たカードの上位互換・下位互換が多数生まれます。
次に、MTGでは他のTCGでおまけとして扱われがちなリミテッドが盛んであり、むしろ誰でも強いデッキをコピペすればいい構築戦よりリミテこそがメインのモードだとも言われています。
リミテッドにおいてはレア度ごとにカードの数が決まっているため構築のような「同じコストで性能が違うならレア度が高いほうだけ入れればいいじゃん」といったことが起こりにくくなります。
この「レア度が高いカードは性能が高い」といった部分が「それぞれが数枚だけ切り札のようなカードを持って試合に望む」といったゲーム性を生み出すことがリミテの売りとも言えます。
リミテのバランス調整が極端に働くと「このカードが何枚もデッキに入るようになるとリミテッドのバランスが崩れるのでレア度を上げる。が、同時に似たような性能のカードがこの色において少なすぎても駄目なので下位互換を低レアに入れる」といったことが起き、その場合は同じパックの中でほぼ完全な上位互換・下位互換の関係となるカードが出ることもあります。
最後に拝金主義ですが、これはもうMTGが商売で作られているのでレアカードめっちゃ強くしてめっちゃ売りたいという話ですが、まあこれはもう商売なんで……はい……。
これについて「2年でカードが使えなくなるからクソ」という意見もありますが、心配ありません。
スタン以外にも下環境と呼ばれる2年以上前のカードも使える環境がございます。
ただしこちらの環境では過去に出た数多くの凶悪カードが猛威を振るうバランスのぶっ壊れた世界となっております。
逆に言えば、そういった凶悪カードの跳梁跋扈を食い止めるために2年毎の制限で邪悪な組み合わせが制限されているのです。
MTGプレイヤーからすれば一度出たカードがずっと使え、同じデッキだけが勝ち続けるのを防ぐのはインフレのみという環境のほうが世紀末に思えます。
MTGの土地システムはいまや古典的なコストシステムとされており一部プレイヤーからは敬遠されています。
確かに、あと1枚分の打点で勝てそうな試合が土地を連続で5枚引いて負けるとガックリ来ますし、土地がずっと1枚2枚のままで試合が終わるとキレそうになります。
ですが土地というシステムが生み出すギャンブル性こそがプレイヤーに状況に合わせて動きを変える柔軟性を問うのだと私は思っています。
今、多くのTCGにおいて「ネットから持ってきたデッキで、同じような動きをするやつだらけになっている」ことが問題視されています。
MTGの土地システムは多くの事故を生み出すことでこのような状況に対してプレイヤーに様々な負荷をかけ真のプレイングを問うていると思います。
また、土地という足枷があるからこそ複数の色を組み合わせた混色デッキがゲーム的に成立するのも事実です。
ハッキリ言って、「デッキの色(クラス)毎に入れられるカードが決まっています」というタイプのTCGはバランス調整とデッキ構築性の間にある難問を全て投げ出した怠惰なゲームのように思えます。
『フェイズはフェイズでしか表現できない効果だからフェイズなのです』
もういっそ理解を諦めてコンピューターゲーム版だけで遊びましょう。
あらゆる状況をコンピューターのジャッジに丸投げしてしまえば楽ちんです。
最初は好きな絵をふぁぼRTしたりジャンルが被った人と会話するだけで楽しかった。
推しについて呟くといいねされるのも嬉しかったし絵を褒められるのも嬉しかった。けどジャンルが変わるにつれ語り合える人がいなくなるにつれ急にツイッターは孤独なツールだと思うようになった。
暇があったらツイッターで誰かのいいね欄を監視し自分より遥かに上手い相互に付いたリプをどういう人かプロフィールまで飛んで確認していた。〇〇さんの作品待ってます。好きです。そう言われているのが見えるのが耐えられなかった。私だって推しを描いているのに何であの人だけ褒められるんだよ。嫉妬は膨らみあの人に並べるような作品を目指してもみたが叶わなかった。
誰も自分の事なんて見ていない。
誰かに注目してもらいたい消費されたくない。
こんなに相手にされない気がしたのははじめてだった。
こんなに頑張ったんだから褒めてという思いが溢れ出てくる。相互に嫉妬したときもあったが「〇〇さんに認められたい」という思いがこみ上げた時は何の為に絵を描いてるか分からなかった。
・誰かを自作品の良さで殴りたい
・俺の絵を見ろ
→原動力
この時は気分がいい時の方が多い
・〇〇さんに認められたい
→足枷
実力以上のものを求めて爆死するか好きではない作品を生み出したくなくて拗れる
ネットに公開する以上褒められはしたいけどやっぱ中途半端な絵上げてフォロワーが増えるのは何か嫌だわまず中途半端な絵を愛せない
身体障害者の親(あと未診断だがASDかなんかしら持ってる気がする)がいる。
人はそれを毒親と呼ぶかもしれない。
私も何度も傷つけられ恥をかき、健常者の人達に頭を下げて生きてきた。
なので正直に言うと子供を持ちたくない。
何?子供を持つのが全てのデメリットを覆すくらい素晴らしいことなの?
自分の親の尻拭いをして、親同士の喧嘩を見せられて、傷つけられて…
それでも障害になりたくてなったわけじゃないってわかってるから見捨てられるわけがない。
それが足枷な人生を送っているけど、それを自分の子供にもさせるなんて嫌すぎるでしょ。
今より障害者が生きやすく、なおかつ障害が治るような時代が来れば別だけど
少なくとも今は無理だよ…
親のせいとまでは言わないけど、充分に影響は受けています。
ほとんどの人は、公共なら性的な表象はNG、個人の表現ならOK、
企業の広告などはケースバイケースくらいに捉えて、今回は不適切と言っているのに、
「公共の場に私の嫌いなものがある、傷つくから配慮せよと言っている。「脆弱」を盾に取ってる」とか言う人は一体何を見てるんだ。
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1411136608317829121
ツッコミどころがとても多いツリーなので大きなところから書いていきたい。
https://twitter.com/erishibata/status/1410962770082734086
https://twitter.com/erishibata/status/1410963962368172038
表現規制派・フェミニストサイドの主張ラインが行き当たりばったりの気分任せにしか見えない。
献血ポスターではガッチリ服着てて肌なんか肘から先と顔しか見えてない女の子のイラストでダメ。
規制の為にもちだされるタームである「性的」や「性的な表象」が
これはずーっと言われてるのにまともな説明が出来ない。
多分自分達でも理屈が定まってないからキモオタイラスト狩ってたはずのミッションで胸が大きいモデル業の女性まで侮蔑・罵倒して狩った。
もし同じような規制を敬虔で原理主義的なムスリムが言ってるなら基準の動機の想像ぐらいは出来る。(本来規制される側に想像を強いるべきでないが)
あ、たぶん「少しでもエロさの萌芽が私に感じられたものは全てダメ」と言ってるんだなと。
そういう宗教の人はつまり性的な興奮で信徒の社会の安定や信徒の心の清らかさが損なわれることを危惧してるし聖典の戒律でもそうなってる。
あの人達がかなり滅茶苦茶に人の服装や髪の毛すら取り締まれるのは強烈なコンセンサスのある宗教が社会を支配してて
その社会にいる=その宗教コンセンサスを受け入れてると見なされてるから。
「私がエロいと感じたものは全てダメ!」をやる権利や論理はどこから来てんの?
ここはイスラム国じゃないのであなたがたの不安神経症やヒステリーや性嫌悪に付き合う義務が他の人達には無い。
「女性誌の表紙が半裸のエロい男だったら男はそれを見てどう思うんだ!」
ミラーリング検討すら出来てない性嫌悪的な感情であると自分から白状してしまう。
https://twitter.com/gosainail/status/1407386399100137478
これで「ケースバイケース」って言われてもさ。
だって判断力も判断の動機も全く信頼性がないのだから「ケースバイケース」じゃむしろ困る。
@anatatachi_ohno
そっくりお返ししたい。
セーフアウトの基準のラインは批判したい側規制したい側が出すべきである。
なんで自分のアクションなのに相手にボールを渡すのか。そんなに「説明する側」に立つのが嫌か。
撤去されるべきと信じるほどその表現を憎むのに、憎しみの理屈を説明せよと言われると逃げ回るのが理解できない。
問題の議会のポスターは個人的にはとてもダサくて意味不明でナンジャコレと思うが
しかしこれが「規制されるべき性的表現」だといわれてるなら「その規制されるべきの基準はどういうところにあるのか」と問うしかない。
別にこんなポスターが守りたいからやるんじゃないしそんなの問う(どうせ理屈は何も考えてないかは···)のが楽しいわけでもない。
とっても面倒くさいけど仕方がないから聞いている。
トイレ掃除と同じ責務、やりたくないけどさぼるととんでもないことになるdutyとして聞いている。
「公共で規制されるべき性的表現(性的表象なのか性的表現なのか、一連のtweetなら言葉ぐらい揃えてくれよ)」の基準は何か。
あなたがたがこれをきちんと示せばもしかしたらその瞬間話が完了するかもしれないし
なんで「この表現は許されぬ」と言いながらアウトセーフのライン引きから逃げ回るのか。なぜ自分の主張の説明も出来ないのか。
挙句に規制される側へ「説明すべき」などと転倒した要求を恥ずかしげもなく垂れるのか。
ここだけでも答えてほしい。
自由が基本でしょう?
全く逆だ。
そっくりお返しする。
そもそも規制の為の論理をきちんと考えて用意してあるなら「説明するな」と言っても説明したくなるはず。
私なら嬉々として「よく聞けよ」と説明する。嫌がられてもつかまえて説明する。
あなた方が徹底的に説明を避けるのは要するに、ちゃんと考えてない、用意がないのだと見なさざるを得ない。
女子生徒の下着の色や形にアヤ付けて取り締まってくる教師がいるとしよう。
それなら「どういう下着ならセーフなのか」「今の下着はどういう理由で不味いのか」これは教師側に説明する責任がある。
大野先生が言ってるのはアヤは付けるのに説明すらしないということ。
「学校ではどういう下着がセーフだと思ってるのかお前が先生に説明しろ」というスタンス。
こういうことを書くと「普通」とは何か、あなたが勝手に「普通」を規定しているだけだとかいう反発が来るけど、
これは本当に話にならない。
とにかく相手がおかしいんだ説明なんか要らないんだというこの議論のどこに知性があるのか。
百歩譲ってそのようなアホな思い込みしているのを許そう、「明白な普通性は我にあり」も許そう。
あなたはその原理的レベルに戻って相手をぶちのめすしかないではないか。
ぶちのめしたうえで「いちいち面倒なことをさせるな、ペッ」ならわかる。
しかし原理的レベルに降りて相手をぶちのめすことをしようとしない、できない?
ただ「私が普通なんだもん」「私が正しいんだもん」と言い張るだけ?
これはもう本当に話にならない。
これは明白なことなので疑問を挟むこと自体がまずい。疑問を持つことがあなたの問題。
そこに疑問を持たないなら私が正しいのだから話は終わり。」
なんじゃこりゃ?
すんごいうんざりしてるけど、
実はこういうレベルの人の相手するのめっちゃ慣れてるんだよね。
こういう頭の悪い論理展開をネトウヨから100回は聞かされたから。
たとえばわけわからん女性差別政策外国人差別政策の推進案などを聞かされて
「欲求はわかった。しかし一体お前はどういう理屈でその政策を正当化するのか」と聞くと
「普通の日本人ならこう思うの!」と返してきて全く話にならねえ頭に糞でも詰まってんのかボケというアレ。
私は普通だもん常識だもん私の考えが普通で正しくて当たり前なんだもんみたいな話になんねえ寝言は
低学歴なネトウヨと会話してるならしょーがなーと思ってあきらめてるけど
大学の先生に同じレベルの論理で発言されるとゾッとするんだけど。
でも大野先生個人がこうと言うよりネットのフェミの人や規制の人マジでこのレベルだよね皮剥いていくと。
性的表現それ自体が悪いのではなく、性的表現は何であれある指向性を含むから、
なるべくニュートラルであるべき公共の場では使用しない方がいいというだけのことだ。
そこを押さえて初めて、個人の表現の意味が出てくるのに、表現者としてそんなこともわからないのかと言いたい。
@anatatachi_ohno
相変わらず内容不明な「性的表現」の問題はいったん流すとして、「性的表現の指向性」ってなんだろう?
ミニスカートの女性とか半裸の男性とかはニュートラルでない存在なの?指向性があるの?
じゃあ「ミニスカ女」と「半裸男」の指向性ってどのような方向かたった2例だからちょっと具体的に説明してみてくれない?
申し訳ないけど、かなり無理のあるそれっぽい表層的なお題目をやっつけで持ち出してきたようにしか見えない。
「フシダラっぽいからやめましょう、フォーマルにいきましょう公共の場だから」のほうがまだ「普通」な理屈じゃない?
柴田えりに「フシダラ狩りかよ笑」って言われたから仕方なく別の理屈ペタッと貼り付けましたってだけじゃないのこれ?
「公共の場」がはっきりしないという意見に。今回で言えば行政やそれに準ずる機関・催しは公共。他には医療、教育、公共交通機関も公共に含めていいと私は思う。
「性的な表現」とはなんなのかの説明を逃げ回る時点でこんなの何も言ってないのに等しいんだけどそこを大甘で見逃して、
性的な表現をアイキャッチにすることは避けられるべきがなんでなのかまた説明出来てないよね。
「フシダラだから」「わいせつ物に準ずる雰囲気があるから」「なんか下品だから」「週刊ローレンスかよ」のほうがまだよっぽど「普通」な理屈だと思うけど
そこはさきに柴田に攻められただけ。
大野左紀子@anatatachi_ohno
(最初から最後まで「私の思っていることや考えていること」を書いているのに、「貴方の感想」とか「個人の主観」とか言って否定できた気になってる人なんなの)
このツイート見るだけでどんなクソリプがついてるか手に取るようにわかるのでそこは同情します。
しかし大野先生の話をちゃんと通しで読んでもこれは話になんないですよ。
むしろなぜお前等に自由などが認められるべきなのか説明するべきである。
「普通」に疑問をさしはさむお前等がまずい。
公共の場で性的な表現がまずい理由はえーとえーとフシダラはダメなので…
「性的表現の孕む指向性が公共の場のニュートラルさを損ねるから!」
全体的に何言ってんのかわかりませんね。
おそらく酔っぱらうかなんかしながら連続tweetしたのもあってこの出来なのでしょうから
マジで?
柴田も大野先生もそういうとこで争ってんじゃないと思うんだけど。
何の権限もない一般人に基準を設けろなどと迫るのなら、まずは「基準が示された場合はそれに従う」旨、線引き論者全員の合意をとるべき。
なんじゃそらw
一分十回までな。
あのさあ、実際に何の権限もない連中がお気持ちであの表現だめこの表現だめつって炎上させて電凸して表現を何度も狩ってるわけだ。
と言ってんの。
そういわれるとどこまでも逃げ回るだろ?
あかんぼうかおめーらは。
つかルールが曖昧だからこそ表現者は倫理的限界を攻められるんだけどなあ
2021/07/05
「規制の基準は曖昧にしておかないとボクチンたちお気持ちチンピラがいちいち規制の理由を説明しなきゃいけなくなってたのしくない!もっと自由に暴れさせろ!」
のまちがいだろ。
大野先生にもいったけど、自由や権利が先にあって、特別な理由があるとき例外的に制限されるの。
だから制限基準が曖昧だったら恐ろしいの。それでも制限したいのが君たちなんだからせめて責任もって基準を示そうよ。
こっちの人達は線引ができれば抜け穴を作れるとしか思ってない。そんな要求に付き合う必要はない。
2021/07/05
ほらね、これが本音よ。
基準なんかなく自分の気持ちのままに規制したいからラインを示したくないでちゅ。
これでしょ?
明白かつ自明に「普通」である私たちがいて、私たちの感覚に従わない悪い奴がいる。だから無限に変わる基準で一方的に取り締まらないとダメなの。
これが本音。知能のレベルも思い上がった独善性もネトウヨと一ミリの差もねえ。
トップが入れ替わって「公的に定められたガイドラインにあのポスターが違反しておるぞ」と言うブコメが上位を占めてきてる。
今そういうステージの話をしてないと思うけど、あのポスターを叩く理由にそれを使うなら少なくとも明文化された基準が使われてるだけ文明的だと思う。
この手の主張、規制するなと言っている側が結局は具体的な手枷足枷を作ってくれと言ってるわけで、表現の幅を狭めたいのか広げたいのかどっちなのかと思う。
2021/07/05
みんなの前に具体的な手枷足枷を置けたら、「この手枷足枷は公正妥当か」についてきちんと議論出来るよ。
先生とも思ってないくせにな
敬意と親愛の情を込めたので超心外。
潰瘍性大腸炎のことが最近話題だけど、過敏性腸症候群のこともちょっと知ってくれるとありがてえ。
潰瘍性大腸炎のほうが難病だし辛いと思うけど、患者からすると過敏性腸症候群も結構しんどい。
https://doctorsfile.jp/medication/40/
平たく言うと、お腹の調子いつも悪くて下痢したり便秘したりおならが止まらないってなんか文字面笑える病気なんだけど、割と日常生活壊されるから笑えない。
変なもの食べてないのに唐突に下痢するから会社とかのトイレは恐怖。
音姫+流水で誤魔化すけど、たまに激烈にやばい音がズレて出てしまった時はしばらくトイレにこもってメンバーが入れ替わるのを待ってから出ることにしている。
自分は下痢型しつつガス型メインなので、とにかく腹鳴と放屁がつらい。
割といい歳した女なんだけど、屁が出る病気ってやばくない?
屁の量すごいのよ。そんな潜んでたの?ってぐらい出る。
当然会社で放屁しまくるわけにはいかないので我慢すると、今度は腸から屁みたいな音が出始める。前門の屁、後門の屁。
すごく静かな部署なので、屁みたいな腹鳴は死刑宣告に近くて、デスク以外でも会議室とかは地獄。コロナでオンライン会議メインになって心底喜んでいる患者は私だけではないはず。
実は収録スタジオにいく仕事もするんだけど、調整部屋って死ぬほど静かで、腹の音が鳴ったら即わかる。
結構病気が酷い時期に収録が重なった時は、処方薬+ストッパ下痢止め+固形物抜きの食事にして対処してた。
それでも寝不足だったりすると「ぐぅるるるる」「ギュオオオ……」みたいな絶望的な音が鳴って何度も死にたいと思った。
音監さんがお腹すいてると思ってお菓子くれた時は本当に逃げ出したいくらい死にたかった。
お腹は空いてないんです!!!なんの前触れもなく突然鳴るから対処もできないし逃げもできない。
映画デートも実は辛い。静かなシーンになるとら緊張感が走る。緊張するとなんとか神経がバグって腸の様子がおかしくなる。
なので、終始深呼吸しながら半分寝るぐらいの勢いで観るから内容が入ってこない。
できればずっとデスメタルとか大音量で流していたいけどそんなことできる訳が無い。
過去1度同棲した時はリビングとトイレが遠い家を必須条件に家探しをした。
こんな感じで過敏性腸症候群って寿命は縮まないし、手術もしない。下血も尻穴切れた時以外無いから大した病気じゃないのかもしれないけど、QOLが爆下がりするので本人的には結構しんどい。
排泄って生きる上で必ず付きまとうから、それが上手くいかないのって生きることの質が下がる。
放屁なんて最悪だ。女として生きる上で足枷以外の何物でもない。