最初は好きな絵をふぁぼRTしたりジャンルが被った人と会話するだけで楽しかった。
推しについて呟くといいねされるのも嬉しかったし絵を褒められるのも嬉しかった。けどジャンルが変わるにつれ語り合える人がいなくなるにつれ急にツイッターは孤独なツールだと思うようになった。
暇があったらツイッターで誰かのいいね欄を監視し自分より遥かに上手い相互に付いたリプをどういう人かプロフィールまで飛んで確認していた。〇〇さんの作品待ってます。好きです。そう言われているのが見えるのが耐えられなかった。私だって推しを描いているのに何であの人だけ褒められるんだよ。嫉妬は膨らみあの人に並べるような作品を目指してもみたが叶わなかった。
誰も自分の事なんて見ていない。
誰かに注目してもらいたい消費されたくない。
こんなに相手にされない気がしたのははじめてだった。
こんなに頑張ったんだから褒めてという思いが溢れ出てくる。相互に嫉妬したときもあったが「〇〇さんに認められたい」という思いがこみ上げた時は何の為に絵を描いてるか分からなかった。
・誰かを自作品の良さで殴りたい
・俺の絵を見ろ
→原動力
この時は気分がいい時の方が多い
・〇〇さんに認められたい
→足枷
実力以上のものを求めて爆死するか好きではない作品を生み出したくなくて拗れる
ネットに公開する以上褒められはしたいけどやっぱ中途半端な絵上げてフォロワーが増えるのは何か嫌だわまず中途半端な絵を愛せない
我じゃなくて依存心が強くなったのだろ
はてなの米欄見てみろよ あんな奴らに裏では叩かれてると思ったら、 評価に固執するのは時間の無駄に思えてこないか?