人は19歳で人生の折り返しを迎えるという説がある。
「子供は動物と同じだから殴って躾けるんだ」と一度だけ父から聞いたことがあった。
暴力を伴う躾についてはなんとも言えないが、自分や他人の命が危なかったかもしれない状況だったら叩くのは個人的には有りだと思う。
父の「躾」はとても躾とは思えないものだった。
おもちゃを一つだけ片付け忘れていた程度のことで蹴り飛ばされる。
飯抜き、家からの追い出し、不眠の強要など、とても素敵な躾を両親はしてくれた。
中学では(今思えば)勘違いから生じた根も葉もない噂を流され、高校では虐められて中退した。
知恵が付いたせいでこれまでの環境がどういうものであったのか認識してしまい、病んだ。
逃げ癖があり、責任転嫁しがちで、感情の起伏が激しく、急に無気力になる。
私は私をこういう人間に育て上げた両親が憎いと思うし、最初から私はこういう人間で躾は関係ないのではないかとも思う。
両親のことは好きだけど、本当に好きかはわからない。
あれは虐待だ、私はただ運良く死ななかっただけだとも思う。
人生の半分が虐待や虐めの生き地獄であったのに、両親は今の私に「ちゃんとしろ」と言う。
人生の半分をかけて壊されたのなら戻すのには倍以上の時間がかかると思わないのか、と思っている。
ただそれは私が現状から逃げたいがために責任転嫁しているだけなのでは、と何度も自問自答しているが答えは出ない。
私のような境遇の人に対し親のせいにするな、とたくさんの人が言っているのを見かける。
確かにその通りだがどうにも気力がわかない。
全部己の選択の結果だ。
私は虐待されたくなかったし虐められたくもなかったけど、今更それを嘆いても仕方がない。
それよりもこれからの人生をどうするかが重要だと本当は気付いている。
けれどやっぱり虐待されたくなかった。どうしても「普通」の育ちをした人を羨んでしまう。
働きたくなくても働いて、学校に行きたくなくても登校して、逃げずに頑張っている。
頑張ろうとする度に過去が重い足枷になって、もう何年もずっと同じ場所に立ち続けている。
この程度でウジウジするなと笑われても仕方がない。