はてなキーワード: 教育出版とは
この記事がブクマでわりと反発されているのがよく分からない。もちろん、著者のシロクマ氏の考えも予想もすべて正しいとは言えないし、未来のことなんて誰にもわかりようがない。氏が最後で述べているように予想には極端さもあるが、これまでと現在の日本の趨勢に鑑みれば、決して頓珍漢なことを主張しているわけでもないと思う。
怒鳴り声ないしは怒りの感情だけが特殊で、排除される対象たりうるのだという声もある。しかし、現にそうはなっていない。記事中に例として挙がっている「赤ちゃんの泣き声」なんかは典型的な例で、一部ではすでに排除されているものだろう。マイナスの感情に限らず、「笑い」であっても、その表出が過度になれば煩わしいものとして眉を顰める人はいる。
記事で述べられているのは「低感情社会」であって、「無感情社会」ではない。タイトルにもあるが、皆が仏頂面の社会ではなく、「ニコニコしていなければならない社会」の話をしている。一部はここを誤解しているように思える。中学校の教科書に掲載されているので知っている人も多いだろうが、「素顔同盟」という短編小説がある(教育出版のWebサイトで全文が公開されている)。アルカイックスマイルの仮面を全員が付けることによって平和な社会が保たれている、という設定の物語だが、まさにこのような話をしているのではないか。そう考えれば、ブコメにもあるような「接客業の作られた笑顔」は、高感情社会ではなく、低感情社会の一側面と言えるかもしれない。
おそらく、この記事で述べられている社会が到来するとしたら、それはスイッチが切り替わるようなものではなく、非常に緩やかな価値観の変化として現れるだろう。もしかしたらそうはならないかもしれないが、しかし、「そんなわけない」と安易に切り捨てられるような話でもないだろう。
一所懸命だけを使う人に聞いてみたいな。なぜ「一生懸命」ではなく「一所懸命」を使うのか。
さて,それでは,現在採るべき表記法はどうであろうか。最近の辞典類を見ると,『岩波国語辞典』(岩波書店刊)は,「一所懸命」を本見出しとし,「一生懸命」をから見出し扱いにしているが,『例解新国語辞典』(三省堂刊),『新明解国語辞典』(三省堂刊),『新選国語辞典』(小学館刊)などは,「命がけのこと」を意味する語としては「一生懸命」を本見出しにし,「一所懸命」を併記したり,古語扱いにしたりしている。さらに『例解辞典』(小学館刊),『NHK編 新用字用語辞典』,『朝日新聞の用語の手引』(朝日新聞社刊)などの用字用語辞典は,ほとんど「一生懸命」に統一している。
以上のことから判断すると,現在の学校教育においては,表現学習や語彙学習の場合には「一生懸命」が望ましいと思われる。なお,教科書の文学作品においては原典を尊重し,『オツベルと象』では「一生懸命」(原典は「いつしやうけんめい」)を,『蜘蛛の糸』『坊っちゃん』では「一生懸命」(原典は「一生懸命」)を,『ごんぎつね』では「一生懸命」(原典は「一しょうけんめい」)を使用している。
そういう決めつけがいけない。わかるかもしれないしわからないかもしれない。教えてみなければわからない。例えば
「計算方法は無数にありますが、これから代表的な5通りの方法を説明します。わからなかったら忘れて構いません。分かりやすいと思ったものを教えてください。」
こういう風にやってもらいたい。
数学の学習において、教科書の著者と読者の相性が存在する。このことは複数の教科書を渡り歩いて数学を勉強した経験をもつ人間には理解してもらえると思う。
にもかかわらず初等教育では生徒に選択の余地がない。このことが算数嫌いを生む原因になっていると見ている。
実際問題として教科書を生徒に選ばせることは現実的ではないから、教師がそのギャップを埋める努力をすべきだ。
例えば、1年生のさんすうの教科書の一番最初は集合論から始まるが、そんな不自然な教え方でわかるわけねーだろとおれは思う。教育出版は数学者のエゴで書かれている。
以上はおれの個人的な意見なので、気に食わなかったらいっくらぶっ叩いてもらっても構わない。だが、純粋に個人的な経験から語っているということを尊重して欲しい。個々人の教育には平均とか一般とかいう概念が全く意味を持たないのだから。
なお、おれは算数・数学には相当苦しめられてきたが、寒冷地出身だったので負の数は保育園のときから理解していた。今は理系の大学をなんとか卒業して、統計を使って仕事をしている。