はてなキーワード: 反吐とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/c8d345b0b70097999820569cd8bf5fd8a6ed72ad
peta0227 2021/08/03 もう慣れてしまったが愚劣なブコメ欄だな。アスリートをひとくくりに「脳筋野郎」と言った口で二度と差別について語らないでほしい。反吐が出る
ブコメ欄などと雑にひとくくりした直後にアスリートをひとくくりにすんなゲロでまーす!
だもんな。お可愛いこと
ていうか「脳筋野郎」ってコメントしてるの見当たらないんだけど(2021.8.3 13:31時点)、俺が非表示にしちゃってるやつなのかな。誰か知らん?
娘を持つ父親の集い Part 14
http://phoebe.bbspink.com/test/read.cgi/hneta/1624456572/
http://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/kageki/1197885894/
http://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/kageki/1369740880/
https://itest.bbspink.com/pele/test/read.cgi/kageki/1210750195/
最初にスレを立てた奴は14歳の娘と妻公認で性的関係を結んでおり、指摘されてから「普通の家族のスキンシップ感覚だったよ。そっかー虐待になるのか」などとほざいていた。
「プリキュアの同人誌を使って娘にフェラを教えた」父親は「プリパパ」と呼ばれて親しまれている。
奴らは「娘が性的な知識がない頃から気持ちよさを教え込めば理想的な気持ちいい関係が築けるし娘も傷付かない」と本気で思っている。それを自慢する奴らがいる。
などとほざく。そして性的虐待だという声は必ず「空気読めないこと言うな」「こんなスレにいるくせにwそれよりプリパパさん、娘といちゃついた話して!」と流される
妻も加担して「娘が幼稚園の頃からセックスは家族のスポーツだと教えている。外では普通の親子」という奴もいる
2年前、幼い頃からの娘への性的虐待(妻加担、ビデオにとっていた)で有罪になりながら「娘が上に乗ってきた。和姦だった」「娘は幸せだった。何故こうなったかわからない」などとほざいた父親が、ここに書き込んでるんじゃないかと思う
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1391703/
彼らは幼い娘を交えて狂った性的関係を築きながら、虐待の自覚なく「普通の家族」の顔をしていたのだ。
中でも怖いと感じたのがこれ。
746 なまえを挿れて。[sage] 2016/10/30(日) 23:28:11.01 ID:sNu97/2k0
夫婦の寝室で嫁と夜のいちゃつきをしてたら、子供部屋から娘が半ギレ状態で文句言いに来た。うるさくて寝られないって。
嫁のいない時、俺が娘の体を求めてしまうのを、娘は拒否しながらも喜んでるからなぁ。
以前は下着の上からでも局部に触ろうとしたら凄い力で拒否してたけど、この前は拒否する手に全然力が入ってなかったし…
不味いよなぁ。絶対不味い。
次娘を求めたら娘はOKしてしまうかもしれないな。嫁との営みに半ギレするくらいだから。
もう、本当に娘を襲うのは止めなきゃ…って何度も何度も思いながら何度も何度も襲ってるけど、もう本当に止めなきゃ…
これを「娘が喜んでいる」とみなしているのだ。
娘がうるさくて寝られないと夫婦の営みにキレるのを、嫉妬扱いしているのだ。
娘の拒否する手が弱まったのは、父親への恐れや諦めかもしれないのに。
こいつは度々「娘を襲って拒否されてやめる」をまるで天丼ギャグのように話している。
http://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/kageki/1197885894/
性的虐待加害者の自覚なく、「中二の娘と仲良くやってます」などと普通の話のようにほざいているのだ。
それ以外にも
ったりしちゃう事もある。 」
風呂上がりやおむつ交換の際に軽くマンコいじったりはしてる。しかも嫁と一緒にねw
など…
中でも吐き気がしたのはこれ。
135 なまえを挿れて。[sage] 2009/12/24(木) 23:58:15 ID:sljxVNO80
俺も娘と関係を持ってたが、高校2年までで終わり。娘の心が急に離れていった。
それが高校入ると、近所の子供以外の友達もできるしバイトとかやるから視野が広くなる。
それにセックスも縁遠い世界でなくなるから、その手の話題を友人とすることも多くなる。
そうなると娘の興味が父から同級生とか同世代の男に移る。そうなったらアッケなく父親は捨てられる。
逆に被害者意識が出てきて、父親を嫌うようになる。今まで仲良かっただけに応えるよ。
あの大家族青木家だって、娘がある程度年齢いったら暴露でしょ?そうなるもんだよ。それで関係バラされた日にゃ・・・ 後はわかるな?
性的虐待していた意識もなく、「娘に裏切られた」とばかりに被害者面なのだ。反吐が出る
しかも、これに対しても「いつか娘に彼氏ができて別れるのは寂しいけど今を楽しみます」などとふざけた反応ばかり…あたかも「自分は理解あるパパ」と言わんばかりだ。
157 なまえを挿れて。[] 2010/02/23(火) 14:46:58 ID:RQRQpV+c0
「娘から」行って(惚れて、求めて)父が応える、という原理を人生、そして命を懸けて厳守すれば正当化出来ると思います。
そしていつか娘が彼氏に以降したら絶対に未練がましい態度を取らずに素朴な父と娘に戻り、相関の過去も含めてすべて「父」として「娘」を永久に愛し抜くという「美学」「哲学」を貫いて欲しい。
それならカッコいいと思います。
ここで前向きに語っておられる方々はそれを判ってらっしゃる方が多いと信じたい気持ちで一杯です。
自分でなく、娘のオンナとしての幸せに尽くし、それを自分の快感に出来る。
皆さん頑張って下さい。
332 なまえを挿れて。[sage] 2012/03/21(水) 20:27:33.39 ID:A28ENxQV0
娘の将来のためにも、娘といちゃつく
359 なまえを挿れて。[sage] 2012/07/28(土) 07:09:38.49 ID:favm1FX00
娘として好きだからだよ。
10代ってだけでいうこと聞かないのに、快感に目覚めたらそれこそ誰と何するかわからん。
といって縛り付けようとしても無駄なのは男女の違いこそあれ自分の経験でわかってる。
そうでなくても結婚して嫁に行けば親のことなんて自分の家族以下になるであろう。
女は初めてのことは一生忘れないらしいから、そこに俺の痕跡を残したいってのが一番かな。
スレの連中はそれを咎めることなく、「実の娘がいてヤらないとか宝の持ち腐れ」などと囃している。
こちらのスレでは脱衣所で娘を盗撮する父親が画像を貼り付け、それに群がる奴らがいる。
直接手を出す奴もいる。
95 えっちな18禁さん[sage] 2021/07/10(土) 12:05:08.64 ID:???
「自分も妊娠し出産する」なんて自覚もなく、まして「この穴が赤ちゃんの出口でつまり赤ちゃんの素の入り口である」なんて知識もないけど、とりあえず大事なところだからよく洗って綺麗にしなきゃいけないと教え込んで綺麗になってるかお父さんが検査するのが当たり前と洗脳するのは基本
98 えっちな18禁さん[sage] 2021/07/10(土) 19:24:12.42 ID:???
≫95
娘を風呂に入れる役目だったから、物心つく前から股も洗ってやってた
236 えっちな18禁さん[sage] 2021/07/24(土) 21:31:34.90 ID:???
俺の場合は娘に対してというよりも若い女の子に対して欲情してる
パイオツやマムコには興奮するし触ったり舐めたりも何度もしてる
17 えっちな18禁さん[sage] 2021/06/27(日) 07:43:58.90 ID:???
見て欲しい派だから、すごく興奮するよ
娘が小学4年生のときまで、年に数回スーパー銭湯に行ってたけど
俺が傍を離れたら、近づいて堂々と撮影してる奴もいたな
こいつらもまた、性的虐待を正当化する言葉を吐いている。吐き気がするような理論だ。
「どこの馬の骨とも知れない男に挿れられるくらいならいっそワシが!」と言っていたエッセイ漫画もあった。
http://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/kageki/1369740880/
https://itest.bbspink.com/pele/test/read.cgi/kageki/1210750195/
最初にスレを立てた奴は14歳の娘と妻公認で性的関係を結んでおり、指摘されてから「普通の家族のスキンシップ感覚だったよ。そっかー虐待になるのか」などとほざいていた。
「プリキュアの同人誌を使って娘にフェラを教えた」父親は「プリパパ」と呼ばれて親しまれている。
奴らは「娘が性的な知識がない頃から気持ちよさを教え込めば理想的な気持ちいい関係が築けるし娘も傷付かない」と本気で思っている。それを自慢する奴らがいる。
などとほざく。
妻も加担して「娘が幼稚園の頃からセックスは家族のスポーツだと教えている。外では普通の親子」という奴もいる
2年前、幼い頃からの娘への性的虐待(妻加担、ビデオにとっていた)で有罪になりながら「娘が上に乗ってきた。和姦だった」「娘は幸せだった。何故こうなったかわからない」などとほざいた父親が、ここに書き込んでるんじゃないかと思う
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1391703/
彼らは幼い娘を交えて狂った性的関係を築きながら、虐待の自覚なく「普通の家族」の顔をしていたのだ。
中でも怖いと感じたのがこれ。
これを「娘が喜んでいる」とみなしているのだ。
娘がうるさくて寝られないと夫婦の営みにキレるのを、嫉妬扱いしているのだ。
娘の拒否する手が弱まったのは、父親への恐れや諦めかもしれないのに。
こいつは度々「娘を襲って拒否されてやめる」をまるで天丼ギャグのように話している。
ストーリーは公式(http://session.gaga.ne.jp/intro/)から引用。
名門音楽大学に入学したドラマーのニーマンは、伝説の鬼教師フレッチャーのバンドにスカウトされる。彼に認められれば、偉大な音楽家になるという夢と野心は叶ったも同然と喜ぶニーマン。だが、ニーマンを待っていたのは、天才を生み出すことにとりつかれ、0.1秒のテンポのズレも許さない、異常なまでの完璧さを求めるフレッチャーの狂気のレッスンだった。さらにフレッチャーは精神を鍛えるために様々な心理的ワナを仕掛けて、ニーマンを追いつめる。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーの目指す極みへと這い上がろうとするニーマン。果たしてフレッチャーはニーマンを栄光へと導くのか、それとも叩きつぶすのか─?
もう7年の前の映画なので、結末を軽ーく言ってしまうと、最後はニーマンが決死の演奏をして、フレッチャーが微笑むというラストらしい。その時に「褒めは甘えへの一歩だから」という理由で絶対口にしない「よくやった」を言ったとか言わないとか。
この手のスパルタ教育オッスオッスオラオラソイヤソイヤ!みたいな教育論、反吐が出るほど嫌いなので見ていないのだが、
結末もなんちゃらの王将で社長と新入社員が抱き合って号泣するだとか、和解するだとか…結局そういうお話かよ。と思ってさらに反吐が出た。
「フレッチャーの最後の笑顔は、ニーマンを称えるものではない。」
フレッチャーは『世界最高のドラマーを育てる』ということに狂ったように取り組んでいる。
あの笑顔は、まるで「マッドサイエンティストが世界を破滅に導くような兵器を開発した時に出る高笑い」のようなものだ。
決して賞賛ではない。自らの狂った欲望が叶ったからの笑顔なのだ、と。
これだああああああああああああ!!!!ってなった。
https://www.youtube.com/watch?v=yec5Ima5eHY
アカデミー賞にノミネートされたときの、フレッチャー役俳優へのインタビュー。
うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!そうだ!!!そうなんだよ!!!!!ってなった。
もう受け入れ態勢完璧。これは、問題提起だ!と受け入れてしまった。
かくして、全く受け入れられない映画は、受け入れられる映画になりましたとさ。
女も男もメイクだの垢抜けだのと声高に叫ばれる昨今の風潮はよく分からない。そもそも垢抜けとは何だろうか。誰も教えてはくれないが、お洒落をしなければどうやら人権が無いらしい……という訳でGoogle先生に聞いてみると出るわ出るわの精神論。一応添えられているアドバイスも何だか心許無い内容な気がする。結局のところふんわりとした概念なのかなぁ?
とりあえず眉毛を剃るといいらしいので剃った。垢抜けたのだろうか、自分ではよく分からない。ついでに顔の産毛も剃った。これはなかなかいい感じかもしれない。
そうこうしていたら、見かねた母親にメイク教室に連れていかれた。頬のファンデーション(?)がおかめさんみたいで気持ちが悪かった。不細工はメイクで変わると言われているがそれは嘘である。パタリロと日本人形の悪い所を併せ持った人間はどう足掻いてもブスであった。惨い現実を突きつけられたが、親から見ると違うらしく褒められた。反吐が出そうだった。あと単純に顔が痒い。逆に肌に悪い気がする。
次いでに眼鏡も外せと言われたが、眼科の先生にコンタクトを断られるくらいの目の狭さの人間に何を求めているのだろうか。
今度は服を買えと言われた。
ファッションサイトによると、ユニクロではダメらしいので勧められていたブランドのサイトを覗いてみる。……値段が高い。その割には個人的な感性には引っかからないオフィス・ファッションが並んでいる。生憎、此方は女子アナウンサーでも事務職でもない。仕事場に着けば作業着に着替えるだけの肉体労働者である。汗を吸って作業着からはみ出さない服が欲しいのだ。実用性の無い服に五千円も出していられない。なぜみんなあんなに高い服を買えるのだろう。白いフリルの様なものが付けられたシャツ(この名称も多分違う)が四千円、私が着れば肩は増強されることは確実。真っ黄色なスカートが七千円、原色だがたしかに可……愛い……?(よく分からない)
これらを買える人間はブルジョワを通り越して最早貴族であり、きっと華奢で可愛らしい子なのであろう。実際モデルもなんか女子アナっぽくて合コンとか行ってそうだし。なで肩チビ短足太足には着こなせないのは伝わってきた。南無三。
うだうだしていても埒が明かないので、とりあえず可愛いなと思った服を買ったら「懇談会の母親」「相も変わらず30代経産婦のまま」の称号を得てしまった。10代後半なんだけどなぁ。一応、平均体重未満だけどスタイルが悪いからこうなるのかもしれない(腹出てるし猫背、直らない)。辛い。
このあとも色々調べたけれど、やっぱり分からない。美人は美人で不細工は不細工だし、可愛い子が着ている服は不細工が着るとダサくなることが分かったことしか収穫がなかった。私は地元のサティに入っている適当な店で買ったシャツと三千円のジーンズと安売りしてた花柄のスカートで事足りるのだが、世間様はそれを「人間ではない」「社会不適合者」と嘲笑っているという余計な知識まで得てしまった。TwitterとInstagramのファッション垢は怖いこともよくわかった。お洒落な店にはそんな格好で来たら迷惑だし雰囲気が壊れるのだとか。それじゃあ服を買うための服が必要ではないか。お洒落とは資本なのか、と1人で納得する。
いやほんとに垢抜けわっかんね~!!!!もう体裁とかどうでもいいや。世界には可愛い女の子が沢山いるんだから私が別に可愛い服着て周り満足させる必要なくね????わからん!!!!毎日服洗ってるし風呂入ってるし働いてるからそれでよくね???多分清潔だと思う!!!なんか損してるらしいけどわからん!!!!お洒落って何……?ほんとにわからん。
まさか知らず知らずの内に人権守る価値すらない下等生物扱いされててるとは。
絶賛、とんでもんない経歴を詐称して盛りに盛った自身の絵本作家引退をかけたAll-in形式クラウドファンディング中の絵本作家のぶみ氏。
五輪辞退から不倫問題で身から出た錆でメッキがどんどん剥がれ落ちて……いや元からメッキすらない状況ですが、このまま色々な経歴詐称モリモリのクラウドファンディングを終了の7/30まで続けるのでしょうか?
しかしながら、残念なことに約1400万が集まり支援者も1000人を超えてプロジェクトの成功が決定してまったわけですが……
そもそも、絵本を贈るだけで目標金額1000万ってなに? 自分の懐にいれる気満々じゃないの? SNSで手数料等引いたらこれしか残らないとか言っていたみたいだし。
それに、"児童書"として問題が多いのぶみの絵本を送りつけられるとかどんな罰ゲーム?
絵本を買って読めないこども達に色々な絵本を贈りたいなら百歩譲っていいかもしれないけど、他人の金でしかも自分の絵本を贈りたいって事がおかしいって気づかないのかな?
しかも、何故か自身の絵本作家引退もつけるとか、"ママがおばけになっちゃった!"と同じ"脅迫"の使い方で反吐が出る。しっかりと信者が釣られているわけで……
北尾修一は「イジメを擁護するつもりは無い」と言いながら、何故か村上清を"M"と伏せ字にしている。この事からも、北尾修一がイジメの加害者側に立つ人間であることは明らか。
「被害者と加害者の関係性が分からないと、何も言えない」と云うのは、イジメを揉み消す時に使う、加害者側に立つ人間が使う"典型的な言い訳"。
おそらく、北尾修一とか村上清とかQJ関係者は、小山田圭吾が行った虐待の被害者を、衆人(小山田圭吾寄りの人間たち)の前に引っ張り出して「本当は、小山田圭吾サンと仲が良かったんですよね?ね?ね?ね?」と迫って、強引に「……う、うん」と言わせようとするだろう。そして「ほら、やっぱり!小山田圭吾はイジメなんかしてなかったんですよ!」と喧伝するだろう。たぶん「うん」と言わなければ、QJ関係者は、被害者に影で腹パンとかスネ蹴りとかするんじゃないだろうか。イジメの現場では頻繁に見かける光景である。「やだなあ、センセイ。イジメてたんじゃなくて、ボクたちは仲良く遊んでいただけですよ。な?オレたちトモダチだもんな?な?…『うん』って言えよ(※ココで腹パン)。ほらね、ボクたちはトモダチなんですよ」
北尾修一は、後ろめたいことをしている(小山田圭吾や村上清にとって好都合になるようにイメージ操作をしている)自覚があるから、記事を期間限定公開にしている。後日、イメージ操作したか否かを、他人から検証されたくないから。
lady_joker こういう何の才能もなく、何の作品も生み出さない人間が、血反吐吐きながら作品を作っているクリエイターに対し、作品批評の範囲を越えてツバをはくのが私は一番嫌い。イキるなって、鏡見てから言えバーカ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.byosoku100.com/entry/2021/07/20/053000
ChieOsanai こう何の才能もなく、何の技術力もない人間が、血反吐吐きながら作ったのかもしれんが、とにかくこのナンタラ API とそれをそのまま使うはてな社が私は一番嫌い。イキろよ、鏡見てから言えバーカ cf. https://bit.ly/2W7Ahwp
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210721213436
どうやら町山智浩が予防線を張り始めたようですので、町山が後で都合よく削除や改変することを防止するために、現時点(2021/07/20-18/05)のtweetを残しておきます。
【引用01】
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
【引用02】
「90年代に悪趣味や鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディで一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。
【引用03】
根本敬と村崎百郎が「日本を下品のどん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善のファシズムに支配されていた。それを知らない人が悪趣味や鬼畜カルチャーを批判しないでほしい。
【引用04】
あと、QJは悪趣味でも鬼畜系でもなんでもない。全然関係ない。QJは赤田氏が創刊した頃からよく知ってるし、問題の号の担当の村上清くんもよく知ってるけど、悪趣味系でも鬼畜系でもないぜ。
【引用05】
悪趣味&鬼畜系カルチャーの内部にいた者としてはっきり言いますが、クイックジャパンという雑誌も小山田圭吾という人も鬼畜&悪趣味カルチャーには直接関係ないです。
【引用06】
悪趣味&鬼畜系カルチャーにはそれ自体の問題があるとしても、小山田圭吾とクイックジャパンとは関係ないです。アニメ・ファンでなかった宮崎勤からオタク・バッシングが起こったようなものです。
【引用07】
小山田圭吾のしたこととクイックジャパンの記事が悪趣味&鬼畜カルチャーとどう関係あるんですか? QJってまったくそういう雑誌じゃなかったですよ。
=引用ここまで=
@TomoMachi
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706
@TomoMachi
「90年代に悪趣味や鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディで一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1417350723633750018
@TomoMachi
根本敬と村崎百郎が「日本を下品のどん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善のファシズムに支配されていた。それを知らない人が悪趣味や鬼畜カルチャーを批判しないでほしい。
愚痴。
母親が死んで四十九日も終わったんだが、父親がずっとすんすんめそめそしくしくしていて迷惑。
自分がいるせいもあるかもしれないが、口を開けば思い出話、迷惑極まりない。
死んだ人は死んだんだよ、話して伝わるとでも思ってんのか?
向こうで死んだ犬に会えてるかなだとか、好きなフラダンス踊ってるよねだの、同意を求められたときは吐きそうになった。
ほんとうに反吐が出る。
死んだら終わりなので、何もありません何もしてませんよ。
もういい加減立ち直れよ、うざったいなぁ。
毎朝毎朝、大音量でお経読むのもやめてくれ。
あのな、お前はもう老人で早く目が覚めるのかもしれないが他人の邪魔はするな。
寝ているところを無理矢理起こされた恨みは大きいぞ。
事実、これまではちょっとうるさいな、くらいだったもんが、お経で起こされたせいでこの増田を書くにいたったんだからな。
まじで、まだ泣いてるのほんとに気持ち悪い。
めそめそしすぎ。
なぜ?
死んだら死んだんだよ。
ほんとに嫌だ。
ふと見たVtuberのマシュマロで七草にちかについて考えました
↓
https://twitter.com/momose0702/status/1411130795993952258?s=21
多分アイドルマスターシャイニーカラーズの根幹に関わる話なんで ほんとにそのことについてずっと考えさせられていました
あとこれ完全に個人の理想だしPを1人のキャラクターとして扱ってる前提だけど
磨けば光る原石や 宝石のような才能を持った 才能のあるアイドルたちを 何人も世に送り届けたシャニPという存在が
七草にちかと言う道端の石ころを如何にして伝説のアイドルに仕立てるのか
そう言うところを楽しんでほしいという気持ちもある
才能の部分をカバーするだけの血の滲む努力が どれだけ凄惨で過酷で 残酷なものなのかを実感する為には 別のキャラの育成は不可欠だと思う
七草にちかいつ育成するか問題 たぶんやっぱり 最初じゃない方がいいんだと思います
そういうことをずーーっと考えていて 七草にちかに対するいろんな意見を見た
否定的な意見も 確かにそうだな〜と思わされることはたくさんありました
ウマ娘プリティダービーのようにメインシナリオとキャラシナリオ分けた方がよかったんじゃないかな〜とも思いました
ソシャゲとして見た時 他のアイドルたちを育成して 彼女たちを1人の主人公として見た時 七草にちかという存在は強大すぎる
物語上ではあれだけ薄くて希望のない存在なのに 悪く言ってしまえば 他のキャラクターを脅かしえる存在になってしまっていることも事実
アイドルマスターシャイニーカラーズの 揺るぎない主人公のように感じられちゃうから
ただここからはソシャゲとしてではなく 283プロダクションというひとつの会社が そこで運営している人間たちが紡ぐ一つの物語として話を進めます
否定的な意見も納得できるけど それでも私の中では全てのアイドルが主人公だし にちかのシナリオがどれだけ核心に関わるものでも
アンティーカが
ノクチルが
それに、緋田美琴が
283プロダクションのアイドルたち全員が 物語のただ1人の主人公だと思っています
わたしはPにとって天井努もアイドルと同じくらいデケェ存在だなと思ってたけど
七草にちかを出す為に社長周りを固めてきたんじゃないのって意見見てボロボロ泣いちゃった
やっぱり七草にちかって Pにとって1番デケェ難関で アイドルマスターシャイニーカラーズの真打なんだよね
真に七草にちかという存在を体全体で感じて そして打ちのめされ 鬱になってほしい
まあ ここらへんが賛否両論分かれるポイントなんだけどね うーん
外伝の漫画でやるにしても核心に近すぎだし 円満にやるにはもう完全に別コンテンツにするしかないものなあ
難しいや
アイドル事務所に勤めており幼い頃から七草にちかを見つめていた七草はづきは
彼女の才能が悲しいほどにないことや なりたいなりたいでなれるものではないという意思表示なんじゃないかなと思ってたけど
浅い人間すぎて涙出てきちゃった
「足に合わせるんじゃない、靴に合わせるんだ」
それでもPはにちかに合う靴を見つけて 天井努が望んだ 本来なるべきだった 自分と同じ轍を踏まないプロデューサーになれるんだと思います
七草にちかの躍進だけじゃなくて プロデューサーの成長もあるのかなと思います
話は変わるけど他のアイドルたちのスタートラインって Pと出会ったところなんだよ
でも七草にちかは違う wingを優勝したところがスタートラインなの
これっぽっちもない才能を それだけのハンディキャップを乗り越えるのが七草にちかシナリオなんよ
なんかもう七草にちかがアイドルマスターシャイニーカラーズなんだよ
正直 七草にちかが圧倒的に 中心にあるコンテンツだよ アイドルマスターシャイニーカラーズ
悲しいことにそれがアイドルマスターシャイニーカラーズの本質なんよ
たしかにいろいろ見ていると 七草にちかばかりが 天井努ばかりが中心に来ているおかしさにも目は向いてしまうけど
他のアイドルたちのシナリオでもPはアイドルに合う靴をアイドルが行きたい方向へ向けて 力強く背中を押してきた事実だけは揺るがないと思います
天井努はアイドル史に名を刻んだ八雲なみのプロデューサーだった
天井努が言う「足」はきっと心のこと 「靴」は才能のことなんです
今まで育ててきたアイドルたちはみんな 元々心と才能が一致していた
足に合った靴を履けていたんだよ
天井努はこう思っている
俺と同じ轍を踏まないでほしい
その真意は Pには 足に合った才能を作れるようなプロデューサーになってほしかった ということでしょうね
足に合わない靴を履いていたら いつかその足は壊れるんです
すぐ側に 自分が本当にやりたかったことをやっている人間がごまんといる業界で生きていけるほど
足は丈夫じゃないからね
とてもかわいいけど何か足りなくて
彼女の足に合う靴はまだ出来ていません
血の滲むガラスの靴がいつか七草にちかの足に合うように 手探りでも進まなければいけないんです
アイドルのスタートラインに立ったことが そもそもの間違いだったのかもしれません
それでも彼女の足に合う靴を いつかつくってあげなければいけないのです 彼女が足に合った靴で ステージに立てるよう
彼女がしていることはまだコピーなんだよね 平凡な子の200%って それでもコピーだけなんだよ
いつか「八雲なみ」じゃない 「七草にちか」の靴をつくれるように Pはそうならなければいけないんだ
wingシナリオは七草にちかが 「八雲なみ」を履いて ひどい靴擦れを起こしながらどこまで歩けるかを 試す為のシナリオだったと思います
血反吐を吐こうと足が潰れようと 血でべたべたの靴で 彼女がそれでも歩み続けられるかどうかを スタートラインに立てるかどうかを試すシナリオ あたまおかしくなりそう
彼女は意地悪な姉ではないけれど 足を切り落としてでもあの靴を履こうとしたところに彼女を思い出してしまう
なんかごちゃごちゃ2000字以上語っても何もわかんなかったし 感情に任せて書いたから何を言いたいのかもだんだんわかんなくなってきちゃったけど
たぶん七草にちかをアイドルにするかどうかをまだ迷ってるんだろうな 私は
ファッションや美容系という夢はあったしそういう進路にも進んだけど 才能が必要な路線ではなかった
「特別」になるなんて考えたこともない私は七草にちかの気持ちになることすらできないから わからない
私はPのように才能がない Pは才能を見出す才能と それを磨き上げる才能があると思います
でも才能がないから 才能がある人間の気持ちがわからない 考え方がわからない
どこまでも傍観者なんです
物語なんだから アイドルマスターなんだから最終的にはトップアイドルになれるとは 頭ではわかっている
ただの傍観者なら ハッピーエンドが待っている安心感に縋れるけど
なまじ育成をしてしまっている以上
負けてしまえばそこで七草にちかの夢は閉ざされてしまうし 勝っても八雲なみとは違うベクトルで彼女を後悔させてしまうかもしれないとも思います
自信がないんだよね これから私が これから私が七草にちかに合う靴を作ってあげられる自信がない
Pはきっとそれも成してくれるとおもうけど 未来のシナリオがまだないが為に私は心配になってしまうんだ 悲しいけど 七草にちかの未来を信じられない
なぜなら私はPじゃないから
なぜなら私は にちかじゃないから
人のことヨイショしたりお節介焼いたり媚び売ったり飲み会の幹事やったり面倒だと言われるポジションが昔から大好き
あと人の誕生日パーティー企画したりその人が喜ぶプレゼント考えたり色々手配するのも大好き
恋人にも記念日に何かしたり兎に角その人のことを考えて動くのが楽しくて楽しくて堪らないんだけど
それを俺がされると気持ち悪くて堪んねえの
無難なプレゼントとかいらんしバレバレのサプライズも嫌いだし褒められるのも嫌い
俺にそんな気を使うなって思う いや気は使って欲しいけどある程度距離をおいたままでいたいのに踏み込んでくるなってなる
ここまで打ってもしかして俺が尽くしてきた人もこう思ってんのかな?と思ったけど今更だしお前嫌いって言われるまでやるわ
2って、こう、明らかに少ないじゃん
2番目に小さい自然数だぜ シケすぎだろ
仕事の疲れで1日グアーってなってたらもう半分過ぎてる 体力回復だ!と思って寝てたら全部終わってる
何もできねー できやしねえ
やっぱ、3日は欲しいんすよ
だいたい、7分の2しか休みがないのって非人道的だと思わないか?
30%にも届かないんだぜ、休み!
3日ありゃだいぶ違うよ
しかも、あれだよ 4日働いて3日働くってことだろ それならいけるよ
5日働くってところもキツいし、2日しか休めないってところもキツい ダブルパンチなんだ今は
それが、4日の労働ですみ、3日休めるんなら、かなり違ってくる
別人のようなパフォーマンスでキリキリ働けるかも 部屋が綺麗になるかも 人間としての研鑽を積めるかも
どう考えても少ないんだ 少なすぎるよ
みんなで畑やってないと餓死するって時代でもないのに、なんでこんなに働かないといけないんだ?
一方では仕事がないとか、ボーシットジョブだとか、そういう話もあるわけじゃないですか
意味ある仕事だけをみんなで回して、休みをたくさんとる そういう方向に行くべきだったんだって、絶対!
みんな必死に走ってんだけど、それがなんのためだか分からないんだ
マラソンに強制参加させられてる感じですよ 俺はただの散歩でいいのにさ
どうせおんなじ道を行くんだったら、歩いたっていいじゃないですか なぜ走るのか そして、なぜ走る人の方にあわせるノリになってるのか
わかんねえよ
ゴールも時間制限もない、近所をうろつくための散歩で、みんな血反吐を吐きながら走っている そういうふうに見えるんだ
もうちょいヘボい暮らしでもいいから、衣食住は確保できつつ、気楽〜に週休3日以上とりてえなあ
そういうことなんすよ
実は可能なのかな
フリーターになりゃいいのか?
実際フリーターになったらどうなるのか、というのには結構興味がある 親の介護とか出てきたらどうするんだよ、詰みだぞ、みたいな言説をよく見かけるが、ホントに50とかまでフリーターやってる人はいるわけで、そういう人は親の介護が出てきたらどうなってるんだ
つか、介護とかしたくねえなあ 俺は介護じゃなくて介錯してくれていいから、両親も介錯してえ
と思うと、案外、今の人類も昔の人類も似たようなことに困らされていて、本質的には変化してないのかも?
いやいやしかし、やっぱりこう、こんなうつ病になりそうな仕事を週5でやりつづけないといけないのはおかしいですって!
「うつ病になりそうな仕事」っていうとブラック企業みたいだけど、実際やってることは低レベルだし、そう苦じゃないんだよな
結局誰か助けてくれという話ですが、誰も助けてはくれないのだった
俺はマジな話、かなり爽やかな遺書が書けると思っていて、それはこの世に未練がないから
「とうとう勇気が出たので、イチ抜けです!
俺自身としてはいま嬉しさと解放感しか感じていないので、どうか暗い感じにならないでください!故人にとってこの死は望ましいものです、それもメチャクチャ!ドリーム・カム・トゥルーです!」
そういうことを書いて死ぬと思う
まあもっと言うとたぶん遺書は書かないで死ぬし、さらに言ってしまえば、結局勇気がなくて死なないだろうな
妥協として惰性で生きているという感じがある
できなかった
俺は弱かった 弱かったので苦しんでいる(ネオリベ)
映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的な昭和の思い出話である。
歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家の本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌が本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。
それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画、オカルト映画、パニック映画が流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。
やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSF、オカルト、パニック作品に関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれた子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異の経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである。
話を戻すと、こうして結果的に活字記事も読むようになった私は、雑誌『SCREEN』に淀川長治の連載記事が掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者からの質問や相談に淀川長治が答えるコーナーであった。
読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。
「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法や手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。
馬鹿な小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品『オネアミスの翼』を製作・劇場公開した時のことである。
中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語の最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。
さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品で監督を務めた山賀博之氏のインタビューも掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである。
雑誌『SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女とコーチの奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』である。テイタム・オニール、かわいい。山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。
「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図に気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。
ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代はコンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定の理由や合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分のレーダーに引っ掛かるモノを持つ作品に出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。
ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayやDVD、レーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードやカセットテープが販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品のフィルムテープのリールも販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から、兄弟のツテでカセットテープにダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフを暗誦できる。何の自慢にもならないが。
そして、歳月が流れた。
後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家もビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生で作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対の行為である。
ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。
大人になって、現在の宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的な評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。
子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。
それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手に想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞を暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。
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今朝、はらぺこあおむしの偕成社さんが風刺イラストの事でオリンピック会長をおちょくるのは危険だ、編集部は原作読んでないのか?
と声明を発表した。
だがこれを書いてる今晩、東京ダービーが開催され試合後にあの忌まわしき「本田未央競馬辞めるネタ」の応酬が来るのかと思うと寒気がしてならない。
あの元ネタは第6話、ニュージェネ(しまむー・しぶりん・未央)に初めての試練が訪れる、
しかしその試練の襲来までを描くまでに土屋のヤローは未央の動かし方を下手くそにやりやがり、
どのように試練の時を訪れさせるのかで失敗したともいえるものだ。
どうしてた?
土屋のヤローがメジャーシリーズの功労者だと言うことに胡座をかいてどの様にキャラを動かしていったほうが、どんなふうにして試練のときを始めた方が良かったのかをろくに検証しなかった。
ミリマスのキャラのうちの一人をヘイトタンクに仕立て上げようとしているかも知れねなんだぞ…
…
その土屋易々を抜きにしてもシリアスかつ真面目なシーンなのに冒涜行為をネットミーハーどもは続けてきたさ。
それにバンダイナムコは偕成社さんに比べて使命感もキャラの扱い方についてもレベルが低すぎる。
集英社や東映とグルでヤムチャがサイバイマン戦で倒れる場面をスパゲッティの上に載せるとかいうカフェメニュー容認、
オルガネタも放置でlineスタンプトップは止まるんじゃねぇぞ、
そして自分らの品物を転売ヤーどものカモに仕立てるとか馬鹿じゃねえの?
じゃあ、競馬で外れた時にどのようにリアクションすればいいのか?
(デレマス6話のやり取りの他作品キャラへの改変は厳禁だからな。 ツインターボにまで侵略しやがって、反吐が出る)
◇このすば(この素晴らしい世界に祝福を!)で
夜にとぼとぼ帰宅するところ
◇ギャラクシーエンジェル編: