はてなキーワード: 凄さとは
深夜テンションで書き上げた長ったらしいだけのポエムを読んでくださったようで、まずは感謝です。
感じ方は人ぞれぞれで良いのですが、こちらの書き方が良くなかったのもあり齟齬が生じている部分が有りまして、そこだけ訂正させて頂けたらとおもいます。
そういう意味で http://anond.hatelabo.jp/20151020032308 の
ここで指しました「アイドルたち」は、「自分がプロデュースしているアイドル」ひいては「アイマスというコンテンツ内においてアイドル活動をしているキャラクター」という意味でしかありません。
また、「アイドルたちは凄いのだ」という言についても、「彼女たちは凄いアイドルだ」という意味だけではありません。
凄いというのは、もちろんtalentであったり、あるいはpossibilityやpotentialであったり、中々言語化出来ないのですが、もっと多義的なものに掛かります。
たとえFランクアイドルであっても彼女は凄い。ファンが一人しかいなくても彼女は凄い。
どうしてそんなことが言えるのか。
プロデューサーたる自分がアイドルに凄さを感じたら、まずはそれでよいのです。あとはその凄さを伝えること。それがプロデューサーのお仕事。
アイドルとプロデューサーがどうやって歩いて行くか、畢竟、アイマスとはそういうものなのです。
アイドルモノとして見た時、やはりこれは異色なのでしょう。
ですから、
あの身内で完結してる感じはアイドルっぽくない
というのは至極真っ当な意見だと思います。でも、ごめんなさい。これはアイマスなんです。
(これは本当に、そうとしか言いようがなくて、それは多分に私の力量不足なのだけど、いつかきちんと言語化出来るようになりたいものです。)
美城常務と武内Pのプロデュース方針の違いはこの「アイドルの凄さ」をどこまで採択するかの違いと言えるかもしれません。
美城常務は目に見える凄さとしての能力の高さや、カリスマ性・スター性のような概念的でこそあれ分かりやすい凄さを求めました。
それに対して武内Pは、そもそも実在するかわからなくても、自分が感じた凄さを信じるプロデュースをしました。
「だって可能性感じたんだ。そうだ、ススメ!」その根拠は?「笑顔です」
アイマス的な王道は武内Pです。ですが、このアニメは常務の考えも否定しませんでした。
武内Pに見えなかったが常務には見えてる星がある。あるいはその逆も。
常務的な考え方でもって「アイドルたちの凄さ」に共感できなかった人間もいれば、武内P的な視点でもって「アイドルたちの凄さ」を感じ取った人間もいる。
主観なのですからこの差は埋めようがありません。しかし互いにそれを否定しあうこともありません。
もしかしたらいつの日か平行線を飛び越えたアイドルの凄さを目撃するかもしれませんから。
結局何も訂正してないですね。ごめんなさい。
自分が見たいように見るというペラッペラな態度を反解釈だと勘違いしてデマを流してる馬鹿なブロガーがいた。
アホか。
考えるな、感じろと一緒で、クンフー足りてないやつが真似したらただの何も考えてない馬鹿にしかなれないやつだよ。
感性っていうと語弊があるけどあえて感性って言葉を使うんだったら、古今東西の経験積んで感性が育った人間が、些細な枝葉末節や言語化の弊害にとらわれずにその作品がその作品である所以の中心部を感じ取れいうやつだよ。 キャンプってそういうことだよ。
貧弱な感性だけしか持ち合わせないやつが、見たいものだけ見てるだけで作品そのものなんて見えるわけねえだろ。
それだけじゃお前がみたいものを切り取っただけの作品のごく一部しかわからねえだろ。
反解釈ってのは武術の奥義みたいなもんだよ。 シャオリーだよ。 刃牙のマンガの世界なんだよ。
なんちゃってファッションみたいに真似できるもんじゃねえんだよ。
武術の訓練一切詰んでないひょろひょろの体してる奴やほほえみデブが武術の奥義を語ってるような滑稽さがあるわ。カンフー・キッド100回見て出直してこい。
なまじ格好いい概念だから中二病のガキにはぴったりなのかもしれないけどそういうのやりたいなら反解釈なんてボロが出やすい話じゃなくてワンパンマンでも見とけ。
ソンダクはワンパンマンのサイタマみたいなもんなんだよ。彼女のいうこと真に受けても実践できる人間なんて限られすぎてるしそれはエロゲーやアニメばっかり見てるお前じゃねえよ。エロゲーやアニメしか見てない馬鹿に真似できるわけねえなんてちょっと考えたらわかるだろ。 あの本読んでなんで自分にできると思った。
サイタマの凄さはジェノスくらい努力してるやつなら一発でわかるように、ソンダクの異常な天才ぶりだってお前がほんとに文学やら写真論について真剣に取り組んでるならわかるはずなんだよ。
最近のラノベ作品見てこれなら俺でも書けるって言うのとはわけが違うんだよ。そんなことも分かんねーのか。
あんのじょう反解釈にもとづいて書きましたという解釈記事がすんげーペラッペラでレベル低いしほんと笑えねえ。
別の記事で他人の批評を批評したいって言ってたけどそんなことしてる暇があったら自分の記事を見返してちょっとでも改善しろよ。
お前の記事見てこれは反解釈の実践ですなんていうやついねえよ。お前のは半解釈だよ。反解釈じゃなくてただの反教養主義だ。って叫びたくなった。
一生懸命解釈したりしてるやつをみてそっちではかなわないからって、俺は反解釈のちからを手に入れた、あいつらは間違ってるから支配してやる的な態度取っててお前はメガテンイフのハザマかと。
糸井重里も吉田豪も「大傑作だ!日本映画史に残るレベルだ!!」などと言っときながら
他の感想を漁ってみても褒めてる奴は軒並み「原作未読」とか抜かしてやがる
阿呆と違うのかな
http://ameblo.jp/icumo/entry-12078380206.html
夏休みを利用してジャンプへ持ち込む漫画を描くわけですが、なんせシュージンが秀才でもなんでもないので、原作で彼らの漫画の肝となるストーリー作りがものすごく適当になっています。
なんとなくこんなお話考えたよー程度で、実際どんなストーリーの漫画を作ったのか説明されません。
そりゃ普通の漫画家主人公の作品ならそれでも全然良いんですけど、これはバクマン。じゃないですか。
しかしここでサイコーたちと初顔合わせとなったエイジ(染谷将太)。
いきなりサイコーたちに「ストーリーはすごいけど絵は僕の方が上ですねぇ」とか言い出します。
確かにシュージンのアホ化により彼らの漫画のストーリーの凄さがカットされているから仕方ないかもだけど、にしてもこんな感じ悪い奴じゃないでしょエイジ!
原作だと圧倒的天才にもかかわらず「こんなのは僕には描けないので尊敬します。亜城木先生のファンです」とまで言っちゃうのがエイジのかっこよさじゃないですか。
連載が叶わなかった2人は王道を描く天才のエイジには勝てないからと邪道漫画を目指します。
ここで邪道を思いつくシュージンの演出は音楽もあわさってかっこいい。
しかし、シュージンが1週間考えてネームを作った『この世は金と智恵』がどう邪道で面白いのかタイトル以外説明されないのでわからない。
とりあえず2人の連載が始まるわけですが、高校生バトルという編集部の煽り文句につられて、エイジが「どちらが先にアンケート1位とるか勝負しましょう」と言い出します。
そんなことでライバル宣言するとかどんだけエイジを小物にしてしまうんや・・・
というか、CROWはまだ1位とってないってこと?
原作読んだ人にとっては連載初回の1位は当たり前ってことになってるけどいいの?
なんかかっこいいこと言ってくれるかと思いきや、サイコーのガタガタになっている絵を見て「駄目ですよこんなんじゃあ」と取り上げて絵を描き足していく。
いやほんと漫画家として一番やっちゃいけないでしょそれ。
ほんこれ。
http://anond.hatelabo.jp/20151005175917
の続き
「心が叫びたがっているんだ」を語るにあたって、最も欠かせない部分。それは学園パートではなく、家庭でのシーンにあると思う。
意外に思ったはずだ。学級会議で突然歌い出した成瀬に対するクラスメイトの人間的にまっとうすぎるリアクション。そしてそもそも成瀬のような生徒がいじめられていないクラスという環境。最初の印象は「やさしい世界」そのものだった。
しかし一方で、私はこのクラスの環境について、全くのファンタジーだとも思わない。私自身、近い環境は経験したことがあるからだ。私は高専という5年間同じクラスで学生が生活をし、工業系ということでオタクばかりが集まった中で学生生活を送ったことがある。それがちょうどあのクラスの環境に似ていた。いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
ともかく、「やさしい世界」的に描かれた学校のシーンは、とても淡泊なものとなった。これはいじめ描写を除外することでその他のドラマに描写を注ぐためだったのだろうと思う。(本当は少し違うと思うのだが、後述する)
そのドラマとは当然青春ラブストーリーもあるが、それよりも重要なのは家庭のシーンだったと考えている。
まずは描写も直接的でわかりやすい成瀬の家庭について説明する。
まず、女手ひとつで子供を養うために母親が就いた仕事が「保険の勧誘員」というところ。ある程度年齢がいった女性が中途で採用される職業で、比較的安定しており生活が成立する収入を得られるものとして、典型的なものだ。彼女らの仕事は半歩合制であることが多く、望む収入によって仕事の量が変わってくる。夫婦共働きなら昼間だけつとめれば良いが、一般的サラリーマン並みを一人で稼ぐとなると残業は当たり前で、劇中のように帰りが遅くなることが多いだろう。
そして、母が在宅していない時、成瀬一人で自宅にいるときの「明かり」の付け方。あれもものすごく写実的だ。リビングのうちシステムキッチンの明かりだけつけて最低限の明かりを確保するだけ。ひどくリアルだと感じた。これは単に成瀬の暗い性格を表す演出というだけではなく、親が出かけており子供一人で留守番をしている光景として、典型的なものだと思う。電気代を節約して家計に貢献だとか、そういうことでは恐らくない。単に子供一人にとって、一軒家が広すぎるからだ。どうしても明かりは最低限となり、家全体で見たとき、点々と明かりがぼんやりとついているような状態になるのだ。何も片親だった人だけでなく、夫婦共働きの子供だった人なら思い当たるところがあるだろう。
車の音やインターホン、他人や親の気配を感じてびくりと身構えるあの感じも、そのものを写し取ったかのような正確さだと思う。
片親の親、あるいは子。共働きの親なら胸が張り裂けるような描写であっただろう。
登場人物のうち、自宅の描写があるのは成瀬と坂上だけだが、坂上が昔ながらの一軒家の形式に対して、成瀬の家が異なっていることはすぐ気づくところだと思う。
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
そこでまもなく彼女の意図しない密告により、両親の関係は決裂してしまうことになる。母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
建物一つの描写をとっても、このように彼女が今に至るまでで、そうなってしかるべきであったという状況が、写実的に示されているのだ。
この状況は、成瀬本人にとってはもちろん、母親にとっても過酷だ。母は成瀬に対して辛く当たるひどい親として描写されてはいたが、彼女の立場に立ってみれば、同情を禁じえない境遇といえるだろう。
坂上家で成瀬の母が「娘がおしゃべりで電話代がたいへん」なんて見栄を張っている描写もあったが、恐らく彼女は仕事場でも同じ嘘をついている。
典型的な母親のつく仕事である「保険の勧誘員」という職場において、子供の話題というのは避けて通れないものだろうから。
「心が叫びたがっているんだ」という映画。うわっつらはありきたりで平和な青春ラブストーリーであるが、このように少し掘り下げるだけで緻密で残酷な描写がちりばめられている。
しかしこれだけではない。行間に隠されてはいるが、物語の読解に重要なもう一方。勝るとも劣らない残酷な描写がある。
それはもちろん坂上の家庭環境だ。
坂上は父方の祖父母の元で生活している。そこは父親の実家であり、本宅でもある。しかし父親は家には寄りつかず、事実上は別宅みたいな扱いになっている。坂上の両親も成瀬の家庭と同じく離婚しており、母親が居ない片親の環境。子供の世話は父の両親、坂上からすれば祖父母に任せっきりだ。
以上が物語上で語られ、描写された内容ほぼすべて。祖父母が居ると言うことで、成瀬の家とは異なり暖かい明かりに包まれており、表面上とても平和に描写されているし、事実、平和なのだろうと思う。
しかしこれらの「行間」には、特に現役の父親にとって、致死量のカミソリが仕込まれているのだ。
それは、直接的には描写されない坂上の父親の影を追っていくことで明らかになっていく。
まず、成瀬が初めて坂上の家を訪れたとき通された父親の部屋。あれで一気に、坂上の父親の像がはっきりする。
普通の一軒家に見える家屋の二階に突如出現する、完全防音の音楽室。典型的な趣味人の部屋だ。防音設備など普通のサラリーマンでは考えられないような出費を伴うものだ。そもそもがあの家自体、広大な土地がある北海道において「坪庭」など、まさに道楽者そのものだと言える。※坪庭というのは家屋の中に四角く切り取った庭をこしらえたもの。本来は土地の限られた京都などのような所でふさわしいものだ。
そこから推測できる父親像はつまり、かなりの収入を得ている人物。さらに推し量ると恐らく音楽関係の業界人。それも相当名の高い人物と考えられる。
坂上は幼少期いやいやピアノを習わされた。しかし次第に夢中になり、ピアノに専念したいから私立校に進学するのはいやだと母親の勧めを突っぱねることになる。彼を擁護する父親、反対する母親。それが坂上の両親の離婚の原因になったという。しかし言葉の上では確かにそうかも知れないが、少なくとも現代の日本において離婚はまだそこまで軽々しいことではない。子供の進路についてもめることはどこの家庭でもあることだし、私はそこまで致命的な問題ではないと思う。
恐らく坂上の母親は、その件がきっかけで堪忍袋の緒が切れたのだ。家庭を顧みず、父親ではなく趣味人としてしか生きない男に。
男の片親。子育てを彼の両親に一任して自分は仕事に専念する。頼れる両親の健在な父親にとって、至極妥当な選択かつ、リアルなものに感じる。恐らく音楽の業界人ならば、仕事は都心のことが多いだろうし、それは当然家庭にほとんど寄りつかなくなるだろう。それに、当人にしてみれば、苦言を言う妻という存在がなくなり、以前よりよりいっそう父親の任を感じることなく趣味の延長のような仕事に没頭できるようになったのだ。坂上の祖父母はとても温厚だ。孫相手だというのもあるだろうが、坂上父のこれまで推察した人物像から考えれば、彼もまたこの二人に甘やかされて育ったのだろう。
今の彼は、もう一度独身貴族を楽しんでいるような感覚でいるかも知れない。「お子さんいるんですかぁ?信じられなぁい」なんて言われたりして。
父親が習わせたピアノで、坂上は母親を失うことになった。少なくとも表面上の因果的には。
しかし恐らく、父はそれについて罪の意識は抱いていない。そもそも、ピアノを教えたことが正しかった、間違っていたの葛藤すら抱いていないと思う。
ピアノを習うことは彼にとって当然だからそうしただけのこと。彼は自分が息子に与えた影響というものを全く意識していないのだろう。そもそも、父親としての自覚が希薄だから。
息子の坂上自身について考えてみよう。公式サイトにおいての彼のキャラクター紹介はこうだ
まるで平凡で人畜無害な子供のような説明になっているが、本編を見れば明白なとおり、事実とは真逆だ。
まずクラスでの立ち位置。無口でエアー的に振る舞う様は説明の通りではあるが、実行委員に選抜されたあと、坂上は学級会議の司会を堂々とつとめている。それを受けてのクラスメイトの態度、そして平時からのDTM研での扱い。これはいわゆる「表立って目立つタイプではないが一目置かれてるタイプ」の生徒のそれだ。成瀬や仁藤を除いても、もう一人や二人くらい、彼を思っている女子がいてしかるべき立ち位置に彼は居る。これは上で説明した彼の家柄によるものと考えることもできるが、彼の振る舞いを観察すれば、なんとなく推測できるところがある。
まず、その人格が常軌を逸している。言うなれば英雄的なところ。
完全に異常者である成瀬に対して、彼は最初から一切、一ミリも物怖じすることなく接した。普通にできることではない。彼の異常性というか、異端、あるいは抜きんでた人格を表していると思う。
「やさしい世界」のクラスメイトも成瀬に対して差別的な態度はとっていなかったものの、進んで接触するようなことはそれまでしなかった。
そのハードルを素知らぬ顔で乗り越える。というより、彼自身の異常性のためその特別さに気づいていないだろうところ。彼が一般人とはかけ離れている描写だと思った。
そして音楽の才能。
彼は「作曲はできない」と謙遜してはいるものの、ミュージカルの曲目において、それぞれのシーンを象徴する完璧と言える選曲を行った。そして即興でクラシックのマッシュアップさえしてみせたのである。それも、もう一つの結末の案を成瀬から聞いてたった数秒の逡巡の後にだ。才能があると言うほか無い。
つまりそこに集約される。クラスから一目おかれ、常人離れした振る舞いをし、音楽の才能がある、彼はいわゆる「天才」である。
ここで先ほど挙げたシーンに立ち戻ることができる。
「あこがれのお城」での彼の涙の理由について。
彼はもちろん、彼が説明するとおりの理由で涙した。「坂上拓実」と連呼する彼女の言葉に聞き入りながら。
奇しくもミュージカルの最終幕の歌詞をなぞらえるように、音の上では名前を呼んでいるだけのそれが、「愛しています」と聞こえてくるその芸術性に感じ入って涙したのだ。
言葉はその意味を越えて話し手の気持ちを投影するものなのだと。
あの切迫した状況においてである。天才の感受性と言うにふさわしい。
さて、彼の父親は誰だったか。
音楽業界において有力な人物である。彼もまた、音楽の天才と言えるのだろう。こんな自覚が希薄な男でも、坂上にとって彼は間違いなく「父親」であった。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
ところで、ここまで一切触れることはなかったが、仁藤の人格についても考えよう。
チア部のリーダーで責任感が強い。ラストのミュージカルで急遽代役を務める事になったときの態度からも読み取れるように、背負い込み、気負いすぎる性質を持っている。
私には彼女がある人物に重なって見える。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
彼女もまた、責任感が強く、背負い込み、気負いすぎる性質を持っているといえるだろう。
一方坂上はといえば、父親としての役目を全うできない道楽者の生き写しである。
ここまで考えると想像せずには居られなくなる。
彼らが結ばれ、子供をもうけるようなことになったとき、待ち受けている結末について。
そうならないと信じたい。
交流会を通しての経験から何かを得、成瀬や田崎のように坂上もまたその業からぬけだすことができるのだと。
以下は蛇足になる。
ここまで残酷で緻密な描写ができる監督、脚本家というのは何者なのだろう?と考える。もしかしたら、彼、あるいは彼らもまた、過酷な家庭環境で育ったのではないだろうか。そうでもなければ、ここまで緻密な描写など不可能なのではと思えてならない。
そして劇中の「やさしい世界」としてのクラス。部活でもクラスでも一目置かれる坂上の立場。
彼は過酷な家庭環境をもつ一方で、その救いを学校生活に見いだしていたのではないだろうか。
さらに推し量るなら、彼の担任教師の高校教師らしからぬ立ち振る舞い。そして文化祭の主役という立場を、スケープゴートとしてしか捉えない大人びた生徒達。彼の原体験は、大学生活にあったのではないか(あるいは高専?)と想像してしまった。
そして家庭シーンの原体験は成瀬と坂上の家庭の合いの子。きっと彼は「坂上と仁藤」の間に生まれたのではないだろうか。
そして彼は「父」になることを恐れているのだ。
ここまで書いたが、実は以上の内容、ほとんど筆者である私が気づいたことではない。
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
彼はその境遇故に、この映画の行間に仕込まれた凶器すべての気配を感じ取り、とても傷ついていた。一方で私ともう一人の友人といえば青春ラブストーリーとしてみていたので平和なものだったが。
彼は「もう二度と見たくない」とは言っていたが、その理由を聞いていくうちに、「心が叫びたがっているんだ」という映画の全体像を捉えることができた。私はこのことにとても感動したので、彼にぜひブログポストするように勧めたが、とてもできないということだったので、許可を得てこの文章を書いている。彼の現在の家庭は幸いにして、父親である彼と母親、両方かけることない家庭を築けている。(今のところ)
しかし彼の反応を観察するに、とても子を持つ親に勧められる作品とは言いがたいのかも知れない。
下衆の勘ぐりが正しいとすれば、この作品はつまり「サマーウォーズ」対抗軸、家庭という環境、父、母という存在を否定し、子供は学校などの社会でその人間性を開花させていくものだと説いたものなのだから。
事実、子供である成瀬に対して救済はあったが、彼女の母にそれはなかった。ミュージカルのシーンは母への救済と取ることもできなくはないが、今の私には罪と向き合い自分の無力さに泣き崩れる母親に見える。
ともあれ、ここまで読み解いてみてつくづくこの映画の凄さ、恐ろしさを感じる。
「青春ラブストーリー」としても、「核家族ホラー」としても、核心の部分をすべて行間に潜め、合致する感性を持つ人、あるいは何度も繰り返し視聴した人が、ここまで深く読み解くことができる作りになっていることがだ。
「心が叫びたがっているんだ」は傑作というほかない。
俺は東大生でもなんでもないのに最近勘違いしたやつに絡まれてムカついたので偏見あるかもしれんけど、ネットで東大生とか馬鹿にしてる奴らって関西で言えば近畿大学より下、関東で言えば大東亜帝国より下のランクの人間で、しかも大学卒業したあとうだつがあがらないでニートやってたりドロップアウトしてる社会のお荷物だけかなだと思ってる。ネットで学歴批判してる奴のプロフィール見たら大体アニメアイコンか日の丸ついてるしな。特に東方Projectのアイコンのやつらがその話題で群れてて気持ち悪かった。
特別絶賛する気にはならんけど、国公立くらいを目指して受験勉強頑張った奴は、東大目指してる奴がどんなやつだったか目にしてるはずだからまずバカにしないよな。
東大卒業してるからといって社会でも必ず活躍できるわけじゃあないし、理系なら院卒からが勝負だから大学何処かより何の研究したかが大事じゃね?って思うけど少なくとも大学卒業時点で勝負するならどっちが優秀かって言ったら、親が自分を塾に通わせてくれる金あったのに東大どころか大東亜帝国レベルにすら受からなかったやつよりは東大卒のほうが優秀だろ。 学歴以外に何か自慢できることがあるやつ、たとえばプログラミング界隈のやつとか学生の頃から起業してるやつは、そもそも学歴なんて全く価値を感じてないからその話しないよね。 ってなると、学歴批判してるやつらは誰だって成るわけですよ。 底辺のヒガミじゃなくて有意義な学歴批判してますって言えるやついるの? プロブロガーの希望の星イケダハヤトさんもやっぱりええところの大学出てるよな確か。
レベルが低すぎるやつらって、東大生凄さがわからないし、自分が理解できないものはとりあえず否定してかかるくらい知能が低いのかな、と。そういうやつらって会社に入った後も東大生と接する機会なんかないから思い込みで叩いてるだけなんだろどうせ。そのくらい、学歴批判とか東大批判とかしてる奴ってしょうもない根拠の無い思い込みしか言ってない。ま、見かけたらブロックすればいいだけだから何書こうが勝手だけどな。 学歴批判したいなら、自分の学歴プロフィールに書いた上で同じこと言えるかもう一回頭冷やして考えような
http://anond.hatelabo.jp/20151003231104#tb
増田で書いて、しかもあおり気味に書いたのにちゃんとしたレスが帰ってきたの初めてなので感動してます。なんかうれしい。ありがとう。そして言ってること正しいと思う。
それは「違い」ではあっても「凄さ」ではないだろ。
大抵の文系大学生と同じように、俺には将来やりたいことがなかった。
好きなことと言えばゲームくらい。
好きなことを仕事にしたいとはあまり思わなかったが、なんとなくゲーム業界を目指していた。
しかしゲーム業界に拘ってはいなかったので、とにかく色んな企業の話を聞こうと思い、たくさんの企業の説明会に参加しようと決意した。
その中にはもちろん任天堂も入っていた。
就活を始める前の認識としては、任天堂はキャラクターが強く、何か楽しそうだしよさそうな会社、くらいだった。
会場は東京ビッグサイトに併設されたタワーの中のとても大きいホールみたいなところだった。
岩田社長は、まず説明会の場に登場できず、スクリーン越しになってしまうことを詫びた。(この時は多忙のためと言っていたが、体調が優れなかったのだと後で気づくことになった。)
任天堂の歴史、任天堂の目標、当時発表したばかりのDeNAとの業務提携とのこと、次世代ゲーム機NXについての考え方、任天堂が求めている人物像。
岩田社長の話は全て筋が通っており、とても丁寧でわかりやすかった。
1時間半くらい話していたが、岩田社長の話に引き込まれ、あっという間だった。
そこで初めて任天堂という企業の凄さに気づいた。もちろん岩田社長の素晴らしさにも。
その日を堺に、任天堂についてたくさん調べた。
はてぶでブックマークを集めている任天堂のエントリを読みまくった。
それに付いているコメントも全て読んだ。
よくホットエントリーに任天堂の記事があがっているが、理由がハッキリわかった。
俺は任天堂で働きたいと強く思うようになった。
しばらく経ったある日、就活の鬱憤を晴らすために友達と飲みに行った。
友達もみな4年生であったため、就活で忙しく、会うのは久しぶりだった。
最初は他愛もない話をしていたが、酒が進むに連れ、誰がはじめるとなく流れは自然と就活の話になった。
B:「だと思った。手堅くて、お前っぽいな~」
A:「お前は?」
俺:「ずっと言ってたもんな~。」
俺:「どの出版社が一番いいの?」
B:「アパレル系の雑誌の編集者になりたいから、◯◯かな~。行けたらどこでもいいけどな!」
A:「お前はどの辺目指してんの?」
俺:「俺はゲーム系行けたらいいな~。」
A:「ゲーム?今厳しくない?」
俺:「いや、いい会社と悪い会社があるからなー。任天堂とかめっちゃいいよね。」
A:「でも任天堂の最近のゲーム微妙じゃね?Wii Uとか全然売れてねーじゃん。落ち目じゃないの?任天堂なんて。」
ここから任天堂の素晴らしさを友人に熱く、熱く語ってしまった。
任天堂のゲームがいかに他のゲームと違ってユニークで楽しいか。
それを作り出している岩田社長の聡明さ、親しみやすいキャラクター。
任天堂は全てのユーザーを大切にしている。子供からお年寄りまで。
そして任天堂の目的はお金儲けではない、ユーザーを笑顔にすることだ。
そしてその逸話はたくさん残っている。
任天堂はユーザーを笑顔にすることを本気で目指していて、だからこそスペック重視の昨今のゲームの波に逆らって世界中の皆から愛されている。
熱く語ってしまった。
イカに任天堂がすごいか、素晴らしい企業かということを長々語ってしまった。
つい恥ずかしくなって酒がどんどん進んだ。
ああなんでこんなに熱く語ってしまったんだ。
それ以降就活の話はしなくなった。
「俺が熱く語ってしまったせいだな…。」そう思いながらくだらない話を続けていた。
忘れようと酒をどんどん飲む。
友人も俺に合わせてどんどん飲む。
みないい感じに酔っていった。
楽しくなり更に酒が進むに連れ、どんなくだらない話でも笑えてくる。
3人とも明日の予定がなかったため、朝まで飲むことにした。
2軒目でもたくさん笑い、たくさん酒を飲んだ。
少々飲み過ぎかな、とも考えたが楽しかったからどうでもよかった。
眠くなってきたので、2軒目を後にして、歩いて20分くらいの俺の家で寝ることにした。
帰る最中、コンビニを見つけるたびにストロング缶(アルコール9%の缶酎ハイ。早く酔いたい時によく飲んでいた。)を買って飲もうとAが言い出した。
大学生らしく、とてもバカな遊びだと今になっては思うが、酔っていたためとても楽しそうだと思いやることになった。
いつもは20分くらいで家には着くのだが、この日は1時間くらいかけて帰った。
計3本くらいストロング缶を飲んだため、家につく頃には皆泥酔していた。
家に帰るや否や、皆ベッドに倒れ込むように眠りについた。
そして明日になった。
酒を飲み過ぎたせいで3人共見事に二日酔いになった。
トイレを奪い合うようにして吐いた。
男3人で。
目が覚め、iPhoneで時間を確認すると午後4時過ぎだった。
そう考え、俺は目を閉じた。次に起きた時は6時を過ぎていた。
俺の人生こんなもんで十分だ。
いわゆる一般的に「キモい」と言われるオタクって、周りとの温度差に全く気づいていないか、
周りが理解してくれれば自分と同じ温度に近づくって都合よく思っちゃってることが多いのかな。
あと、世の中みんな自分と同じものにハマって、そのよさを共有できれば幸せだよ!って勝手に思ってる節があったりとか。
趣味があるのはいいんだけど、それに関する言動だったりグッズだったりを他人が見たときに、
その相手に対して説明が必要になる場合、もうその時点で大抵はアウト判定になっちゃう気がする。
自分の趣味のよさや凄さを一言二言で説明して「それはいいね」っていうふうに理解を得られればまだいいけど、
それをやるには、相手を観察して、その人なら一言でどう例えたらいいのかっていうことを瞬時に考えて
相手に伝えるコミュニケーション能力が必要かと。
説明が一言二言で収まらないようなら、相手に理解してもらおうってアタマで話すのはやめるべきだよね、きっと。
説明に要する時間が長ければ長いほど、興味がない人はどんどん引いていく。
そうやって引かれる恐怖感に気づかない=鈍い、っていうのは、ある意味幸せかもしれないけど。
趣味方面で空気が読めない感じが出ちゃう人って、会話とか、ビジネスマンならその人が作成する資料とか、
その人の全てのアウトプットの端々にもその空気の読めない感じが滲み出ちゃうだろうなってのが、
一瞬にして透けて見えちゃうんだろうなぁと。
あとは見た目と趣味のギャップとかも付加要素としてあるけど、それは言わずもがな。
たいがいふつうの人は思ってる以上に理解してくれない、っていうことを体で理解した上で振る舞わないといけないんじゃないかな。
世の中そんなに自分に都合よくできてないもんね。
ホリエモンと言えばTwitterのフォロワーが120万人とか居てビジネス界隈でも「大御所」みたいな雰囲気があって、
何かあると「堀江さんがこう言った」とか「堀江さんならこうする」とかその発言をありがたがる連中もたくさん居る。
私としてはその発言を見る度に「なんでこの人はこんなに偉そうなんだろう?」と疑問に思う事が多いので、どなたかこの「ホリエモン」のすごさを私に教えて欲しい。
いちおう、私なりにホリエモンについて調べてみたりもしたんだけどいまだにその「すごさ」がわからない。
例えば過去にホリエモンは3回博打を打っていて全部失敗している。
・ニッポン放送の買収
・球団の買収
これ全部失敗に終わっているのだ。あげくの果てに実刑判決食らって投獄までされている。
ひょっとしたらホリエモンは「失敗はしたけど、これによって知名度が上がったからビジネス的にはオッケー」などと言うのかも知れない。
じゃあその「上がった知名度」でホリエモンがどんなビジネスを展開しているのかと言うと、
755の広告塔になったり信者から10万円づつ取って寿司を食べたり、
メルマガを出したりサロンを運営したり本を出したりカネを貰って商品を宣伝したり、要するに「信者からカネを集めるビジネス」しか展開していないのである。
一線を退いた芸能人が「○○と行くツアー」やディナーショーなどで食い繋ぐのに似ているし、
「お金持ちになりたい」「ビジネスを成功させたい」と願う人達からお金を巻き上げる構図は与沢翼と何が違うのか。
試しにTwitterを覗いてみたら、
「私がプロデュースしているカロリー1/2の豆腐生チョコ毎日限定で販売しています。是非お買い上げください! 抹茶味も! (リンク) 飲み会にはぜひカンゾウサプリを! (リンク)」
などとおっしゃっている。
これが「ビジネス」なんだとしたらあまりにも短絡的すぎるしショボすぎやしませんか。
スケールはともかく、誰にでもできて誰にでも思いつくようなことしかしていない。
ソフトバンクの孫さんとか、楽天の三木谷さんなんかはアンチも多いだろうけど、
思想や手法はともかく、その実績に関しては誰も文句のつけようが無いレベルで、
「時価総額ン兆円の企業の創業者」ってもうそれだけで誰もが納得する疑いようのない事実だと思うのだけど、
そういう目に見える形での実績があの人のどこにあるんだろうと思う。
芸能人なら別に目に見えない形でも良い。でもあの人は「ビジネス人」っていう顔をして商売をしているのだ。
結局ホリエモンには何も残っていないし、新しいビジネスにチャレンジしているとも思えないし、鋭い切り口を持っているとも思わない。
ホリエモンチャンネルだとか新しい肉会の代表とか、やたら美人な女性を連れまわしていたり、
「東京の女子大生で堀江さんと飲んだこと無い人いるの?」と揶揄されるレベルで性欲にコロッと負けるあたり、
小物っぽさしかないように思える。
例えばNewspicsというアプリがあって、それを覗くと色んなニュースに色んな人がコメントをしていて、
ここでもホリエモンは何故か人気でフォロワーもたくさん居るんだけど、じゃあそのホリエモンがそれぞれのニュースに対してどういうコメントをしているか抜粋したいと思う。
「(消費税10%論で)意外に影響すると思う」
単純な一言感想文「だけ」なのです。消費税が社会に影響するのなんて当たり前じゃないか。
もちろん単純な感想文が悪いとは言わないけど、たまには鋭い視点で切り込んでくれても良いじゃないか。
でも全てがこの調子なのです。
「ほんとかよ」って思う人は是非NEWSPICSでホリエモンをフォローしてみて欲しい。
鋭い切り口も新しい視点も何にも無い。
こんな人をいっぱしの「ビジネス人」として持ち上げるのはいい加減にやめた方が良いんじゃないかと思う。
私の視点が間違っていて、実はこの人なりの「すごさ」はあるんだよ、
というのであれば、ぜひこの人の「すごさ」を私に教えて欲しい。
そろそろこの人について総括しても良い時期が来てるのではないか。
第1回、第2回の電王戦は、始まる前からとてもワクワクして待ちきれなかった。
こう感じるのは、僕だけだろうか?
第1回、第2回はコンピュータのプロに対する強さが未知数だった。
短時間のネット将棋では人類を圧倒していても、プロが本気になれば違うとか、長時間になれば人間が有利だとかいう意見が多かった。
対するソフト開発者側も、何とか癖を読まれないように貸し出しを拒否したり、定跡を本番で指定したりして勝負に徹していた。
第4局で塚田九段が根性の粘りで引き分けに持ち込んだ後の、三浦八段対GPS将棋戦が、今から思うと電王戦のピークだった。
GPS将棋は600台程のPCでクラスタを組み、全力で棋士に挑戦したのは、相手の強さを認めていたからだろう。
三浦八段は現役A級棋士でタイトル獲得経験もあり、トップ棋士としての誇りとプライドがかかっているのが十分に伝わってきた。
三浦八段は破れはしたが、刀折れ矢尽きるまで戦ったその姿には感動し、1秒間に数億手読むクラスタと互角に渡り合える人間の頭脳に凄さを感じた。
昔の弱かったコンピュータ将棋からすれば、技術の進歩も存分に感じられた。
第3回は、ハードの統一、事前の貸し出し、ソフトの修正禁止が義務付けられた。
前年までのガチンコ勝負感は無くなったが、棋士側は期待の若手、往年のベテラン、将棋界の人気者、そして元タイトルホルダーのA級棋士と、前年以上に個性豊かで強いメンバーだった。
両国国技館や小田原城を対局場にするという試みにも注目が集まった。
電王手くんが機械らしく駒を持つ姿は、未来を感じさせつつも微笑ましかった。
後味の悪い番外戦は起きてしまったが、勝負に拘っていた事の裏返しだとも思えたし、両者の文化の違いが背景にあったとも思った。
唯一の勝利者の豊島七段の練習量に驚き、ponanzaの筋が悪くも巧みな中盤に感心した電王戦だった。
第4回は、ハードの統一、事前の貸し出し、ソフトの修正禁止のルールは引き継がれ、出場棋士は公式戦で勝率の若手で固められた。
ここまで、棋士が頑張りを見せて2連勝。
斎藤五段、永瀬六段の努力と強さは伝わるが、どうも阿部四段や豊島七段が勝った時の様な気持ちは湧いてこない。
以前の電王戦がスポーツだとすれば、今回は原作を知っている映画を見ているような、棋士が勝つ姿を応援しましょうという主催者が用意した舞台を見ているように感じる。
あれだけ驚きと興奮を与えてくれた電王戦は、きっともう見れないのだろう。
なんでお前らいつも僕の意見を聞いてくれないんだよ。
そうやって屁理屈こねて人をバカ扱いして晒しあげるつもりならお前に復讐してやるぞ。
世の中には馬鹿が沢山いるからそれっぽいこと言って叩いておけば釣られてお前を悪者扱いする奴が沢山いるから大変だぞ。
なんでお前らいつも私の意見を認めないんだ。
そうやって自分たちの考えだけを押し通すつもりならこっちにも考えがあるぞ。
じっくり時間をかけてこっちの意見に賛同する奴らを集めてからお前らに殴りこみに行ってやる。
最初はまともな振りしておけばその内こっちが正しいと思い込む奴らが沢山いるから数の勝負はもう通じないぞ。
なんでお前らいつも他の奴ばかり褒めちぎるんだ。
そうやって俺の価値を認めないならお前らを時代遅れにしてやるぞ。
自演しまくって俺が素晴らしいということにしておけば誰かが俺の本当凄さに気づくはずなんだ。
そうして世間が俺に夢中になればお前らなんてそのうち見向きもされなくなるぞ。
とにかくお前ら俺の相手をするんだ。
俺は寂しいんだ。
こんな素晴らしくて頭もいいのに友達もいなくて寂しいんだ。
誰か俺の相手をしてくれ、罵声でもいいから飛ばしてくれ、独りぼっちはほんとうに寂しいだ。
誰か俺の方を向いてくれ。
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http://anond.hatelabo.jp/20150214223556
これからジャズ聴きたいっていう人に俺がオススメできるアーティストを10人選ぶならこんな感じ。
マイルスがジャズの歴史の中心にいたことは間違いないのだが、彼のサウンドは案外ジャズ初心者にはとっつきにくい。マイルスがジャズの最先端を切り開いて、偉大なフォロワーたちがそれをうまく消化&昇華してスタイルを定式化させていったのであって、そうして洗練されていったものを聞いたほうが入りやすいと思う。俺は今プロでやってるが、若い頃マイルスを聞いてもピンとこなかった。「マイルスを理解できなきゃ本物じゃない」という雰囲気があったから、マイルス分かってるフリしてたけどな。リズムセクションの凄さだけは強烈だった。さんざんジャズをやってきた今マイルスを聞いて初めて彼の音楽の時代性が分かり、当時いかにインパクトがあったのか、そして彼がどれだけ偉大なバンドリーダーだったのかが分かる。まあ、こういうリストでマイルスを入れるのはお決まりなので、10位に入れておく。
50年代 https://www.youtube.com/watch?v=OcIiu1kQMx0
60年代 https://www.youtube.com/watch?v=x_whk6m67VE
70年代 https://www.youtube.com/watch?v=ryiPO1jQdaw
80年代 https://www.youtube.com/watch?v=4qoNZnWcb7M
風変わりなアーティストだが、その独特なサウンドは好きな人もいると思う。不協和音のようでもあり、全体としては調性に収まっている絶妙のバランス感覚。変てこりんな曲もあれば、ものすごく美しい曲もあって、頭の中を見てみたいと思う一方、まあ感覚が爆発してるアーティストってのはこんな感じだよなとも思う。挙動不審系のパフォーマンスを見ているような面白さもあり、演技なのか本気なのか分からないところがある。モンクはそれを形のある一つのスタイルとして定義できたところがすごい。ジャズミュージシャンの間では別格扱いというか、特別な地位を占めている。
https://www.youtube.com/watch?v=KshrtLXBdl8
この人はすごいよ。メロディーを紡ぎ出す感覚、その一瞬にしか生まれないサウンドを追求する即興へのこだわり、小節をまたがってフレーズを自由自在に展開させるオープンなタイム感、これらを曲の枠組みが明確なスタンダード曲上で展開することで分かりやすさを担保するバランス感覚、それらの全てを可能にする素晴らしいゲイリー・ピーコック(ベース)とジャック・ディジョネット(ドラム)の存在。ただ、彼のもう一つの特徴である「うめき声」には最初戸惑う人も多いと思われるので8位としてみた。ちなみに慣れるとそのうめき声が彼の粘っこい右手のメロディと絶妙に絡み合って彼の音楽の一部に聞こえてくる。マイルスから「天才であるってのはどんな気分だ?」とからかわれたってエピソードがある。すげーレベルの話だ。
https://www.youtube.com/watch?v=io1o1Hwpo8Y
ジャズがエレクトリック系やフリー系に進化していった中で、「ジャズのルーツ」であるニューオリンズ音楽に立ち返り、それをベースにモダンなハーモニーや複雑なポリリズムを取り入れて新たなジャンルを切り拓いた人。ジャズとクラシックの両方でグラミー賞を取ったというとんでもないトランペットの名手でもある。美しい音色と安定したテクニックは卓越している。彼が確立した、「トランペットが張り詰めたソロを吹く背後でピアノとドラムが複雑なポリリズムで組んずほぐれつのインタープレイを展開する」というスタイルは初心者にも迫力があるはず。ちょっと難解な印象も受けるかも知れないが、その場合は彼の率いているリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラのニューオリンズ風サウンドを楽しむと良いよ。
https://www.youtube.com/watch?v=poZWg-pVboE
https://www.youtube.com/watch?v=ZBJ-MmTA-eU
ギターが入ってねえなと思ったので、メセニーを入れておく。怒るジャズファンもいるだろう。入れるならウェス・モンゴメリーだ、ジョー・パスだ、ジム・ホールだ、と。まあ確かに、メセニーはフュージョンっぽいサウンドだし、ジャズを構成する重要な要素のうち「ビバップ」や「ブルース」があまり感じられないとも言える。しかし彼の音楽には、聞いていて映画のワンシーンあるいは夢でみたどこかの草原が思い浮かぶような、ビジュアルな美しさがある。その辺は彼の音楽を支えてきたキーボードのライル・メイズの空間的サウンドによるところが大きいが、それがメセニー自身の音楽観、独特なソロフレージングと音色と相まって、ジャズを次のステージに進化させたクレジットはあげていいと思う。音楽理論的には結構複雑なこともやっているのだが、あまり感じさせない。特に変拍子へのアプローチは素晴らしく、「口ずさめる変拍子」「心地よい変拍子」を確立している。その辺の聞きやすさでオススメしておく。
https://www.youtube.com/watch?v=ApI-zA6suXE
https://www.youtube.com/watch?v=gDLcttSAVS0
エレクトリック・ベースの弾き方に革命を起こした人。管楽器並みのソロフレージング、ハーモニクスを使ったカラフルなコード演奏などでベースの役割を大きく変えた。細かい音符を自在に刻む指弾きのグルーヴ感は圧倒的。作曲家としても素晴らしい名曲を多く残している。途中からクスリ漬けになってしまって最期は悪態をついていたところを警備員に殴られて死ぬという劇的な人生だったが、ジャコが好きな人はそういう破滅的な「危ない」ところも愛していると思う。俺はそうなる前にシンガーソングライターのジョニ・ミッチェルと共演している頃の演奏が一番好きだが。
https://www.youtube.com/watch?v=Hbr0hXkArWg
https://www.youtube.com/watch?v=TgntkGc5iBo
ディーク・エリントンでもいい。ビッグバンドを一つ入れておこうと思ってな。本当はサド&メル(現在のヴァンガード・ジャズ・オーケストラ)と言いたいところだが、やっぱり若い頃にサド&メルのビッグバンドを聞いて最初はピンとこなかったから、初心者には勧めないでおこう。ベイシーとか、まあ当時のビッグバンドは、やっぱりグルーヴ感がすごい。当時のダンスミュージックだからね。彼らは四六時中ああいう音楽に専念できてギャラもがっぽり稼いでたから、現代の我々が付け焼刃でビッグバンドやってもそうそう敵わないのが辛い。アレンジ良し、テクニック良し、アンサンブル良し。逆にいうと、そういう時代性もあるから、少し古臭く感じるところはある。俺は好きだけどね。
https://www.youtube.com/watch?v=TYLbrZAko7E
https://www.youtube.com/watch?v=4ZLvqXFddu0
現代ピアノジャズのサウンドを確立したと言っていい人。彼がコードを弾くときの和音の積み上げ方はマジで音楽大学の教科書に載ってるんじゃないかと思う。そういう理論の部分以外でも、彼のやや哀愁を帯びた内省的な音楽性や、ピアノ・ベース・ドラムと対話するように自由に展開する演奏スタイルはとても理知的で面白く、それで多くのファンを惹きつけてると思う。まあ、小説とかにも登場するし、あまり多くを語る必要もない。聞け。
https://www.youtube.com/watch?v=GQwhHdXGFwA
https://www.youtube.com/watch?v=Jl5GDXb2fwQ
https://www.youtube.com/watch?v=FTlKzkdtW9I
やはりジャズに入りやすいところとして一番無難なのは女性ヴォーカルだが、問題は誰を入れるかだ。本当はカーメン・マクレエ、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドといった鉄板の定番を入れたい気もするが、今日現在聞くジャズヴォーカルとしては、ちょっと粋でオシャレな、それでいて正統派のスウィング感をもっていて、テクニックも表現力もあり、ルックスも良く、きっちりセールスも出しているダイアナ・クラールを押す。ただ、このリストの中ではやや異色と言えるかも知れないので、サラ・ヴォーンなどのリンクも貼っておこう。こう言っておきながら、俺は「ダイアナ・クラールが好き」と言うジャズファンには警戒の念を持って、本当に彼女の実力を分かっているのか、うわべだけのシャレオツさで聞いているのかを探ることにしている。
https://www.youtube.com/watch?v=dJHXQAs9vlk
https://www.youtube.com/watch?v=5cZG2WnXPgk
https://www.youtube.com/watch?v=4VHWw9G6_UU
現代テナーサックスのサウンドを確立した人。コードの細分化と再構成、次から次へと繰り出される音の洪水が特徴の一つで、マイルスからは「お前、全部の音をいっぺんには吹けないぞ」とからかわれたとか。まあ、俺としてはそういう音の洪水の部分よりも、ややかすれたような彼のサックスの音色が特徴的で、ひたすら高みを目指す修行者のような人柄を連想させて、聞く人の心に引っかかるんじゃないかと思ってる。「コードの細分化を究極まで突き詰めた先にあったのはコードの制約を取っ払うことだった」という彼のサウンドの進化も悟りの境地に達した聖者を思わせるというところもある。マッコイ・タイナー(ピアノ)とエルヴィン・ジョーンズ(ドラム)もコルトレーンのサウンドをともに作り出す中で新たなスタイルを確立した。この全体のサウンドが俺は大好きなので1位押し。
https://www.youtube.com/watch?v=Lr1r9_9VxQA
https://www.youtube.com/watch?v=xr0Tfng9SP0
https://www.youtube.com/watch?v=YHVarQbNAwU
https://www.youtube.com/watch?v=-mZ54FJ6h-k
以上。