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はてなキーワード: 凄さとは

2015-01-29

俺が数日ほどいくつかのサイト荒らしをやってみてわかったこと

無視するのが一番穏便に済む

・一人目のミイラ取りがミイラになるカオスになりやすさがグンと上がる

騙りをする奴が結構現れる

・まともそうな奴も半分ぐらいは一皮剥くと頭おかし

自治厨が最もヤバイ

・天然のキチガイの凄みを凡人が出すのは不可能


以下は補足という名の駄文

1. 無視するのが一番穏便に済む

よく言われてるけどこれは本当にそう。

自分でやってみて分かったけど荒らしなんてのは構ってちゃんかキチガイなので相手にするだけ無駄

小中学生人間関係なら舐められないようにやり返さなくちゃいけない状況はあるのかも知れないけどインターネット世界ではそういうことはするべきじゃない。

こういう奴はちゃんと痛い目見せてやろうなんて考えてものらりくらりと暇つぶしの道具にされるだけだ。

こういうのはちゃんと注意をするのが相手のためなんてのも考えない方がいい。

キチガイはいくら注意をされても相手が何を言ってるのか理解できないし、ただ構ってほしいだけの荒らしなら注意をしようという立場を選んだ相手は揚げ足の取りがいがあるいいカモだ。

その場の全員が無視してNGに放り込んでしまえば綺麗スッキリ平和世界が戻ってくる。

あとは荒らし側の持ってる燃料が切れてしまえば自然といなくなってしまう。

大抵の荒らしは本人が持っている燃料はそんなに多くない。

せいぜい20行程度もあれば話題が尽きて話がループし始めそこに反応が一切ないと本人も馬鹿らしくなってやめてしまう。

それに無視されている時間が長いと釣り針に餌がかかるのにも疲れてその場を去ってしまう。

餌場はネットのどこにでもあるからだ。

2. 一人目のミイラ取りがミイラになるカオスになりやすさがグンと上がる

無視しておけばいいものをわざわざ荒らしに触れてしまう人がたまにいる。エンガチョ

これはまずい。

何がまずいかって言い争いが始まると言うのは荒らしに大量の燃料が供給されるのと同じことだからだ。

それは精神的な燃料でもあるし荒らしをする話題としての燃料でもある。

荒らしをして見ればわかるがこんなことでも反応があると嬉しい。というか反応がないと虚しい。死ぬほど虚しい。

そしてその反応に対してこっちもリアクションを起こしてそれにも反応が起こるとこれまた嬉しい。

丸めウンコを豪速球で投げ合う世にも醜悪なキャッチボールの始まりである

相手の返答に対してとっさにデッドボールを投げ返せばいいだけなのだから話題を引き伸ばす手間もいらない。

単に悪口を言いあうだけで見る間に薄汚れた光景が広がっていく。ビューティフォー

この時に上手くいくと相手が「この荒らしを懲らしめてやろう」という感情に支配される。

「またいつも通りの環境に戻したい」ということから意識が逸れていくのだ。

こうなるとコイツ自身荒らし相棒みたいなもんだ。

こっちが寝てる間にも「もうあんな奴が来ないようにどうにかしようぜ」とか言い出して荒らされた後の状態を維持しててくれる。

場合によっては普通の話をしてる相手にまで「お前荒らしだろ?」と突っかかるようになる。

とにかくこっちをギャフンと言わせたいばかりに必死尻尾を掴もうとするあまり他人尻尾に掴みかかりまくるのだ。

荒らしを懲らしめたい心が荒らしと同じことをさせるのである。肉染みの連鎖だ。復讐の狂戦士だ。

後はもうコイツと一緒になって他の奴を攻撃したりされたりを繰り返して次々とお互いを荒らしと呼び合うキチガイを増やしていけばいい。

こうしてミイラミイラを生む楽しいアンデッドパーティーがどこまで続いて大勝利。


3. 騙りをする奴が結構現れる

荒らしをやっていて驚いたのがこっちの偽物が結構出てくることだ。

こっちに恥をかかせようと余計な失言を増やしまくる奴もいるし、一緒になってスレを荒らす奴もいる。

前者の場合でも当然失言の揚げ足とりでその場は本来話題から逸れていくし、

後者場合はこちらの戦力が倍やそれ以上になったことと同じだ。

要するに善意でこっちの荒らしに加担する阿呆とは別のベクトル荒らしに加担してくれるのだ。

ありがてぇありがてぇ。

場合によっては自分偽者が揚げ足を取られ返して恥をかかされているのを遠くから笑ってみているだけでも良くなる。

楽ちんで楽しいのでこれは凄い助かる。

ありがてぇありがてぇ。

4. まともそうな奴も半分ぐらいは一皮剥くと頭おかし

これは前々から思っていたが荒らしをやって確信した。

それまで普通に話せていた奴が少し場が乱れただけど言葉理論が怪しくなってくるのだ。

とにかく人間ってのはストレスに弱い。

少し嫌な気持ちになるだけであっという間にまともさを失ってしまう。

2chのようなIDが出てくる掲示板荒らしをやると人間的まともさというのが安定した精神状態の間だけつけていられる社会的仮面にすぎないのだなと改めて認識させられる。

5. 自治厨が最もヤバイ

すでに上で書いたミイラ取りがミイラって話と被るけど自治厨は本当にヤバイよ。

たとえば公園遊具危険から撤去しろってのが時折話題になるじゃん?

あれを要求するPTAクレーマー自治厨

要はその場所に新しいルールを設けようとゴリ押ししてくる上に、そのルール意味不明で、それなのに本人は誰もがそれを正しいといつかは分かってくれるって考えてる、そんな危ない奴ら。

こいつらの凄い所は自分問題を起こしているという認識が一切ない所。

あったとしても「必要悪」「仕方ない」という魔法言葉で片付けてくる。

そしてこいつらに行動を起こさせるエネルギー元は「善意」。

荒らしがなんとなく構って欲しいとか嫌いな奴に痛い目見てほしいからでやる行動よりもよっぽど強い力を持つ。

なぜなら後ろめたさがほっとんどないから

精神的なリミッターが全くない暴走列車と戦えばそのコミュニティはあっという間に壊滅状態になる。

隔離するか要求を受け入れるか相手の凄まじいエネルギー量が尽きるまで耐え切るか、対処法はそれぐらい。

荒らし半日無視すればいなくなるけどこいつらは何日も何ヶ月も住み着く。

本当にヤバイよ。

6. 天然のキチガイの凄みを凡人が出すのは不可能

たまーに本物のキチガイコミュニティ荒らしに来るじゃん?

あれ目指そうとして頑張ってみたけど本物が出す凄みはやっぱ出せないですわ。

凄いよね天然。

真似してみてその凄さが改めて分かった。

感動した。


最期

荒らしはやっぱり虚しいよ。

後には荒らし場所の連中がぶつけてきた憎悪が薄っすらとだけど心に数日残る。

これがなかなかに気持ち悪い。

オナニーでもしてた方が後腐れなくてよっぽどスッキリする。

皆も荒らしキチガイ行為はやめような。

変なのがいても突かずにほうっておくのが一番だ。うんこ触ったら体にうんこがつく。エンガチョ

2015-01-27

理系に見られる女尊男卑

日本の(まあ日本だけに限らないけど)理系には女性が極端に少ない。そういう世界で、少し可愛いとかちょっと美人かい若い女の子がムサ苦しい男が好みそうなもの、例えばプログラミングやロボティクスといったものを行うとどうなるか。彼女たちの能力成果物凄さは一般よりは高いかもしれないが、彼女たちが男なら確実に埋もれている程度の人が多いのではないのだろうか。

若くて可愛い女というのは人類で最強だというが本当にそうだと思う。

2014-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20141206184525

分かる。旅行行こうと思って気になる観光地のを情報ネットで調べてたら、イベント風景歴史も何もかも写真と文献で掴んでしまって、「よし、ここの凄さは分かった。もう行く必要ないな」ってなっちゃう。

2014-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20141117014426

ただ、難点は、アクリル板越しでさえぜんぜん凄さが伝わらない。

生で、そのまま見ないと。

まり眼鏡掛けてる奴に浮世絵の良さは解らねぇってことか。

2014-11-19

浮世絵の興奮が覚めないのでもう少し書き綴る

http://anond.hatelabo.jp/20141117014426

思ったよりもブックマークがついた。

ありがとう

しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。

生で見ればわかる。

博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!

いや、説得力がないのはわかる。

入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。

浮世絵をみたことで、ようやく美術ってものがわかったんだよ。

自分解釈だけどさ。

で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。

ピカソって下手だろ。

正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?

って思ってた。

どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?

って思ってた。

こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg

こんなの(ゴッホ)

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

こんなの(ピカソ)

http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg

で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?

ぜったいおかしい。

と。

ところがだ、浮世絵をみて全てを理解した。

「塗り」の限界

油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。

塗った上に、さらに色を重ねられる。

油絵なんて描いたことがないから想像なんだけど。

もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。

筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。

小学校の頃かな、ある油絵をみたんだ。

畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。

「うへー」

って思ったよ。

化粧みたいなものなんじゃないかな。

どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。

それが油絵

で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。

色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。

もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?

明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。

たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?

壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。

どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。

比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。

というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。

ハッハーw

線のチカラ

「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。

線が絵になる。輪郭が形を作る。

輪郭を強調することは、恥じゃない。

写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。

なんのことはない。

輪郭を強調させればいい。そうしたら対象物はどうなるか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg

こうなる。マネの笛を吹く少年

なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。

色のチカラ

改めて考える。

本当に背景は暗くなければいけないのか?

対象物を浮かび上がらせることがそんなに重要なのか?

明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。

色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?

こうなる。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/

ナンダコレハ?ナンダコレハ?」

になるだろゼッタイ

色を重ねずに、並べる

浮世絵場合、色を重ねずに、並べるんだな。

油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg

富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。

人間視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。

色を重ねるとどんどん濁るのに、脳内で作るいろは淀まない。

筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

そう、ゴッホに戻る。

明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8D#mediaviewer/File:Edouard_Manet_037.jpg

これはマネ。

製作年は笛を吹く少年から10年くらい経ってるらしい。

なんだこの浮世絵美人画ポーズ

浮世絵のような明るい色彩。

影もない。

明るさといえば、雪あかり表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛

漫画浮世絵である

輪郭線、点描、1トーングラデーション効果線、etc....現代漫画表現にすごくすごく似てると思う。

そう。

僕らが日々読んでいる漫画とは、浮世絵だよ。きっと。

恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。

浮世絵を見ていて気がついたのは、絵にはお約束がある。

縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。

絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。

しかし、多くは生きている。

たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/

真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。

http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg

漫画ではもうお約束である

浮世絵時代発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。

と、僕は感じた。

というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。

馬鹿正直に人間視点で真横から写生なんかしてない。

あくまエンターテイメント

これとか、どうみても漫画コマだろ。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/

ここまで書いてこういうのも変なはなしですが

ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん

騙されたと思って、是非、是非!

なんで薦めるのかといいます

みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。

もうホント漫画感覚で。

当時、ずいぶん安かったんだと聞きます

今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。

から、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。

世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類幸福だと思うのです。

書ききれないので今日はここまで

ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人名前が出たのは葛飾北斎だそうです。

徳川家康坂本龍馬松下幸之助AKB吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。

まり、生で見れば誰でもわかるんです。

凄さが。

2014-11-18

外国人が考える新幹線凄さ

新幹線最高速度が320キロに達したらしい。音速まであと少しだな。

2014-11-17

浮世絵をみて1ヶ月くらい興奮が冷めなかったが、ようやく冷静になったので書き綴る

僕はアートというもの理解できない。

音楽に感動したことはない。

ロックバンド音楽のチカラを叫んでも、

音楽のチカラでパレスチナ問題を解決してみろ」と言い返してしまう。

絵も理解できない。

絵の解説を読んで、作品の背景に感動させられるだけで、絵からなにか伝わったかというと、ふーんっていう感じだ。

そんな自分だが、唐突だが浮世絵について語らせてもらう。

あれは凄い。

本当に凄い。

なにか伝わってくるとかそういうのじゃない。視覚イメージからね、殴りかかってくる。

きっかけはというと、摺りたてをみたわけだ。

美術館特別展で展示販売をやってて、本当に偶然だ。

浮世絵というのは、基本水彩で、そもそも水彩の鮮やかさというのはブラウン管液晶では今ひとつ再現できないというのと、そもそも日焼けに弱い染料なので、当時の色と全然違うわけ。

で、とにかく凄いんだけど、一ヶ月くらいなにが凄いのか、自分でも整理できなかった。

ようやく整理できたので、とにかく語りたい。

まず立体感。既に物理空間的に2次元じゃない。

浮世絵で立体感?むしろ平面的な絵だと思うが・・・

と、思ってたよ。僕も。

すごいの。ニンテンドー3DS裸眼立体視浮世絵から開発したんじゃね?ってくらいに。

ていうかね、もう物理的に立体的なの。

いろんな工夫があるんだけど、わかりやすいところから説明すると、そもそも紙が凹凸で立体的なわけ。

たとえば、このトンボの羽、スジスジがボコボコ盛り上がってたりするの。画面じゃぜんぜんわかんないけど。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hokusai120-f/

これも画面じゃぜんぜんわかんないんだけど、指で首筋を撫でた跡がさ、紙の凹凸で表現しちゃってるわけ。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/utamaro067/

もう艶かしくて艶かしくて。

構図での立体感

生でみないとわからないんだけど、ニンテンドー3DSのアレに近い印象がある。

平面的な絵がレイヤーされていて、レイヤー間に明確な前後関係があるような感じ。

露骨なので言うとこんなやつ

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160-f/

それから、こういうの

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige182/

子供の頃、校庭のフェンスの金網越しに風景をみてたら、とつぜん立体視になってビックリしたこととかってないかな?

あれだよあの感じ。

格子をみて、その向こうをみて、それを繰り返すと、うわぁぁぁ!ってなる。

自分がそこにいるような感覚

それから、この構図をわざと切ってるところ。

さっきの梅の絵のほうは、左側に立て札がちょっとだけ入っているけどほとんどフレームアウトしてて、遊女の部屋の絵は襖ちらっと見えてる。

このフレームアウトが、絵じゃなくて、まるでどこかから自分が覗きこんでるような錯覚に陥らせるんだな。

この感覚漫画に親しんでる日本人特有のものなのかもしれない。

漫画だと、こういう演出は暗黙のうちに物陰から覗きこんでるというお約束だろ?

不思議なことに、日頃浮世絵に親しんでいないせいか、生でみるまでこういうお約束がつたわってこなかったんだが、随所に漫画的な表現が伝わってくる。

”力みなぎる感じ"やら、”物陰から覗いている感じ”

物理的には間違っていてもイメージとしては正しい

浮世絵に影はないっていわれるけど、あるのもあるし、ないのもある。

浮世絵で影を使うのは、影があるから影を描いているんじゃなくて、影の効果必要から影が描かれる。

たとえばこんな感じ

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/kuniyoshi004/

明るい月夜を表すために、現実ではありえないほどくっきりと影がかかれてる。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige308/

同じく月に照らされた人影。月は高く登っているのに、影はのびている。

アニメ表現に似てる。

エヴァンゲリオン飛行機から発進したエヴァが地上についた時に、砂埃が進行方向ではなくて、後方にのびていたシーンがある。

あれと一緒。

物理的には間違っていてもイメージとしては正しい。それが浮世絵表現

写実的に書くなら、写真のように陰影の表現で塊を描くのが正しいけど、あえて輪郭線を使う。

イメージの中では、人物と風景の間には境界があるから輪郭線があるのがイメージとしては正しい。

逆に、意識の外のものについては、明らかに見えるはずであっても輪郭を描かずにシルエットだけにする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige024/

ヤバイ構図

絵というのは自分が感じたことだけで語るべきな気がするので

「当時の人は」という視点は間違ってるのかもしれない。

でも、考えてみる。

当時は当然テレビなんかなかった。

自分目線以外の構図って、みたことがなかったはずなんだ。

たとえば構図上から街並みを俯瞰するような構図というのは、見たことがなかったはずなのだ

で、なんでこんな構図がおもいつくのさ。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai029/

http://hiroshige100.blog91.fc2.com/blog-entry-47.html

ただ道が曲がりくねってるだけでこんなにもストーリー性がでてくるのかと。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige027/

わずもがな、世界で一番躍動感のある波。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai040/

浮世絵以前の絵って、西洋東洋もこんなに構図が豊かじゃなかった。

現代写真漫画映画の構図の元ネタが、だいたいがこの時代なんじゃないかっておもえるほど。

色彩感覚ヤバい

これについては、繰り返しになっちゃうけど、ほんと日本人派手好きすぎ。

画面のほとんどが赤と緑のグラデーションって、ヤバいでしょ。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160/

山頂が快晴裾野雷雨ビビッド過ぎ!

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/

これ、もはやルノワールじゃね?

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai_sakurafuji/

しかも安い!

よくリトグラフ20万とか50万とかするじゃん。

その点、浮世絵は超安い。

1万3000円とかで買える。

ただ、難点は、アクリル板越しでさえぜんぜん凄さが伝わらない。

生で、そのまま見ないと。

オススメは、額にいれないでそのまま壁に画鋲で刺すこったね。

紫外線ですぐ色褪せるけど。

もったいない

もう一回買えばいいのだ!

2014-11-12

いしかわじゅんの言う「動き」とは何なのか

絵における「動き」とは一体何なのか?という話 - pal-9999の日記

http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1

について。

まず、マンガにおける「動いてない絵」については、BSマンガ夜話スラムダンクの回で一条ゆかりいしかわじゅんが指摘した言い方が一番わかり易いと思う。曰く、「スラムダンクの絵はどちら向きに動いているのかわからない時がある」と。

自分も、ルカワがスピンターンをするような場面で、右回りに回っているのか左回りに回っているのかわからず、前のページと往復しながら位置関係を把握しようとした記憶がある。

それを、デフォルメコマ割りの創意工夫で読者に伝える、というのがいしかわのいう「動き」なのだと思う。

マンガのページはただの静止画で、本来そこには時間の動きはない。一方、読者は基本的に右上から左下に向けて読んでいくという意味で、仮想的な時間の流れがある。

この相反する要素の組み合わせを使い、止まっている絵を動かしてみせる、読者に動いていると思い込ませるという技術こそが、写真映画アニメにもできない、マンガだけにしかできない「動き」だ、というのがいしかわの主張なのではないかと思う。

それといしかわじゅん関連の話しておくと、「動きと画質の間のトレードオフ」に関して、AKIRA大友センセは画質重視の作画をしており、動きの情報を示すモーションブラーはあまり使ってません。なんで、あの漫画場合、1コマ内では、動きはそれほどありません。僕は、AKIRA作画を見て、「動きのある漫画」とは呼びません。画質は素晴らしいですが、動きの情報は極端に切り捨てた漫画になっています

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1

単純な一枚絵について言えば指摘通り「動き」と「画質」はトレードオフ関係にあるのだろう。だが、マンガにおいては前述のとおり、静止画であることと時間が動いていることが共存している。

AKIRAのシーンでは、右のコマの背景の流線の方向と視線の(イコール読者の時間の)方向を使って、パンチの動きを表現している。どちらのコマも画自体はピントがはっきりしている(写真としては止まっている)のに、右から左に向けてパンチの力が働いたということが表現されている。

しかわはこれを、「動き」と「画質」をトレードオフ関係から開放し、両立させたものとして見ているのだと思う。ブラーがないから動いていないのではなく、ブラーがないのに動いていることが凄いのだ。

デフォルメについても重要で、AKIRAのシーンでの、殴られた側の派手な首の伸び方、ねじれ方が殴られた感を出している。元記事で対比に使われているドラゴンボールコマも、着目すべきなのは殴られたピッコロの描き方で、非常にデフォルメが効いている。触覚の残された感など感動すら覚える。

大友以前のマンガでは、こういった動きを表現するために多くの記号を使っていた。動きを表す流線(ブラーと似ているが同じではない)や、よくわからないトゲトゲ → Σ(゚Д゚) 、オノマトペなど。

記事で動きがある画の例として挙げているワンピースはじめの一歩のシーンに、余計なものがたくさん書かれていることに気づく。ワンピースは言うに及ばず、一歩のシーンでもパンチの撃ち出しの軌道上、会長のミットに向かって突き抜けている"気"のような何かが描かれている。単純にシャッタースピードを長くしてもあの軌道をあの距離動いているものはないはずで、あれはブラーではなく記号なのだ

これらの記号に頼らず、純粋画力コマ割りの力で動きを表現した、というところに大友凄さがあるのだと、いしかわは評しているのではないだろうか。

いしかわじゅんマンガを見る目は確かだと思うが口が悪い(失礼)ので本当に主張を汲み取れているかは分からないが。

追記

id:kanose 大友克洋氏は漫画独自記号を使わずに動きを表現するのがすごいというのがいしかわじゅん氏の主張だと解説。ただ大友氏は流線を多用しているよね

そうですね。流線や集中線をつかったコマが異常に多いです。が、あれ背景なんですよね。従来だったらモノ(例のパンチシーンなら、アゴの右手)についていただろう流線が、背景全面に置き換わってます。そうやって、モノよりも読者の視線意識の方向をコマごとにコントロールしてるのだと思います

また逆に、複雑な流線を使って説明的になってしまい、失敗したようなコマも多かったりしますね。

2014-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20141109005520

まあでも、ブログでアフィをどうするかって、

全て禁止にするか全てOKにするかしかやりようがなさそうだしね。

どんな線引だろうと、単なるアフィブログと、

中で有用情報としてアフィリンクを載せてるだけ、ってのときちんと分けられることもないし、

そもそもやってる本人たちもそんなの誰も分けられない。

なもんで、ブログ自体規制するのはまず無理だろうねぇ。

アフィに固執せずにホント有用情報書いてる人だって、せっかくだったら入るものあれば、って人も多いだろうし。



から後は、単にはてなブックマークアルゴリズム変えれば良いだけなんだよねぇ。

はてなブログの中の屑なブログの崩さ加減の凄さは、何万PVだとか言ってもそれのほとんどがはてブ経由だということ。

そこではてブが上手いこと無視すれば綺麗にそういうのが消える。

SEOだなんだかんだ言ってるけど、結局最初はてブで大量にPV集めてリンクとかも出来てその後

はてブなんて無くても検索流入で−とか言えるわけで。

最初はてブブーストが無ければ誰も気づかない様なブログなわけで。。。



まあ、完全無視するのはあれとしても、もう、「アフィリエイト」とか「ブログ論」とか、そういうカテゴリ作って

少なくとも「テクノロジー」には載せないでくれよ、と思うね。

そっちのが、少なくとも見る側には便利でしょう、見たい人も。

やってる方のクズは嫌がるだろうけど。

さらに出来ればそれらに入るのは「総合」にはなるべく載せないようにして欲しいけど。

2014-10-26

ソフトウェアと梃子

Unixという考え方という本を読んだ。もう図書館に返してしまったので、これから書くことはあまり正確じゃないと思う。〜的なという表現が多くなってるのはそのためだ。

この本で最も印象に残ったのが、梃子(てこ)の話。著者の叔母がちょっとしたマルチ商法大金を稼いだ話を例にとり、「プログラミングもこういうもんさ、梃子を使うんだよ」的なことが書かれているが、倫理的問題はおいといて、そういう感じでプログラミングをすることってどうすれば可能なんだ?と疑問が湧いた。自分のようなクズ野郎はもちろんのこと、たとえ修行僧のように淡々技術を磨いているプログラマでも、本節を読めば自分技術を使って著者の叔母のように大金が欲しいと思うはずだ。

プログラミングの梃子らしい部分は自動化だ。少なくとも、本にはそう書いてあった。梃子の具体例としてシェルスクリプトがあげられて、たった一行のスクリプトが賢いプログラマたちが作った何千行のプログラムを実行するんだ。これこそ梃子だ、的なことが書いてあった。いや、でもちょっと待って欲しい。こっちは叔母のように大金が欲しいわけだ。Unixの素晴らしさは他の章でも散々書いてあるし、ここでシェルスクリプトの話をされても困る。話をそらさないで欲しい。

著者が言いたいことはわかる。この節ではあくまでもシェルスクリプト凄さを語りたかったわけで、叔母が大金を稼いだ話はそのための撒き餌に過ぎないんだろう。でも、ほとんどの人間にとって、本気で考える価値があるのは大金の方だろう。優秀なプログラマ生産性を上げた結果、それだけで幸せになれると思うか?むしろ仕事が増えているじゃないか。資本家はいだって労働者限界までこき使う。プログラマ創造的な仕事だということは、プログラマしか理解されない。梃子をプログラマ幸福につなげるには、どうしても社会で使える通貨にしないといけない。

さあ、シェルスクリプトの梃子を使って金を生み出すとして、どういう具体的な手段があるんだ?

ここからは完全におれの見解なので、本の内容からは離れる。

ライセンス

ソフトウェア大金を稼いだやつを思い浮かべろ、と言われたら真っ先にビル・ゲイツの顔が浮かぶだろう。彼がやったことはなにか。ソフトウェアを作って、ライセンスを刻んだ。そのソフトウェアがどこのメーカーハードウェアで動作しても、ソフトウェアMicrosoftのものだということがはっきりしている。そこから利益を得るわけだ。これはまさに本に書いてあった梃子(著者の叔母はタッパを販売して、さらにその販売先の客に販売を勧め、その利益の一部を手にしていた。マルチ商法だ。)と同じ類のものだろう。

広告

「I'm CEO, bitch.」

学生時代Facebookを作り上げたマーク・ザッカーバーグは、FacebookダサいSNSになった今でも、若い起業家の憧れの的だ。

彼がやったのはなにかというと、広告だ。

学生たちが楽しめるようなプラットフォーム無料提供し、そこに広告掲載することで大金を生み出した。広告のどこに梃子があったかというとソーシャル・ネットワークだ。広告で稼ぐにはたくさんの人に見られる必要があるわけだが、SNSという特性自体が梃子になり、ユーザー数がみるみると増大していったことが、広告による大金を生み出した。

偶像

主に日本で見られた現象が、ソーシャルゲームだ。これは偶像を売る商売だ。一度イラストレーター作成したものは、いくらでも複製できる。それを消費者射幸心に訴えかけながら売っていく。この電子的な麻薬が、なぜか日本では異常なほど受け入れられる。梃子の力は複製が容易ということだけでなく、消費者脳内でも起きている。消費者自身の購買行動が次の購買を促す仕組み、中毒性こそがこの商売ユニークな梃子だ。

___

飽きた。ブクマがたくさんつけば書き足す。

書き足し

ブクマの伸びがゆっくりなのでここらで書き足しておく。上に書いたのは、本を読んで率直に感じた疑問と、それに対する、偏見なども大いに含んだ主観的考察だ。しかし、こんなことをしたのは、他の誰のためでもない、自分のためだ。興味本位プログラミングを始めてしまって、それが楽しくなってしまった自分の行く先を少しでも認識したいという切実な願望があったからだ。

ちょうど他の増田漫画家の話が書かれていたけれど、ソフトウェアエンジニアだってあいったことになりかねない。いや、もうなっているかもしれない。創造的な人たちがつくりあげた偉大な製品が、資本家に食い尽くされることが、平気で行われている。以前ネットで知り合ったインドネシアプログラマーは、自分仕事が不当な扱いを受けていると嘆いていた。「海外の安い人件費」として働く彼らは、高度な技術を持っているにも関わらず、正当な報酬を手にすることができない。

まどろっこしいので言いたいことを言おう。梃子は生産性を高めるために使うだけじゃだめだ。自分や他の創造的な人々の権利を守るために使わないといけない。でなければ結局、プログラミングを始めたときに感じた魅力や全能感、思考力を捨てて、資本家歯車になるような未来しか待っていない。

2014-09-19

コメンテーター凄さって?

ぽちぽちと、

ナンシー関凄さを語る人がいるんだけど、俺にはさっぱり解らないんよ。

ナンシー関の著書を読んでも、その時々の時事風俗事件テーマに語っていて、

俺の知らない出来事ばっかりだから、話の趣旨が全く頭に入ってこないんだよ。

から「凄い!」と言っている人に質問したら、

ナンシー関は、業界の連中は自分たち世界常識手法が全世界に通用していると思っているが、そんなことはないだろ!と言っているんだ」

と教えてくれて、それはそれで素直に(へぇ)と思えるんだ。

でさ、その延長線上として、誰か

小倉智昭宮根誠司古舘伊知郎報道ステーション後)・みのもんたおもいッきりテレビを除)のマジな凄さって、教えてくれない?

・とにかく毎日仕事をしている

バッシングを一切意に返さな

大勢の人を雇っている

とかじゃなくて、メディアにどんなまともな価値をつけているのか。

お願いします。

2014-09-01

たばこ吸う奴は見下されてるって気付いてる?(追記あり)

呑み屋で喫煙者同士の

やばいたばこ忘れた!一本頂戴」

のやりとりとか、

しまいには自分の吸い殻からシケモクしだしたり

普段も常に喫煙コーナーを探して目がキョドってたり

そんなのを見るとどうしても見下しちゃう

俺も昔吸ってたか

気持ちがわかるから特にかな


周りで吸われるのは全然平気

ただ、すげー見下してる

可哀相だなーって、

差別しちゃ駄目だって思うんだけど

どうしても蔑む

自分じゃ周りの視線に気づかないんだよね

映画俳優のつもりなんだよね

ハードボイルドなんだよね

コーヒー&シガレッツなんだよね


そんな奇跡の瞬間無いから

その奇跡以外のほぼ全ての時間

周りから乞食に見えてるよ


他人から言われてやめれるもんじゃないから

禁煙すすめたりはしないけど

すると面白い

その匂い、灰、ヤニの凄さ挙動不審に気付いてビックリするよ

笑えるくらい


喫煙者の方が嫌煙が多い気がするのは

昔の自分の嫌な姿を見ちゃうからなんだろうな



追記

ブックマークコメントありがとうございますひとつひとつ貴重なコメントとして拝読しました。良かったです。今まで自分社会にも友人達にも暗に見下されてんじゃないかと思っていました。皆に哀れまれてると思っていました。けれどどうやら勘違いでした。皆さんの御意見のおかげで自信持って喫煙を続けられそうです。勿論ルールは守って。煙草大好きだっていいじゃないですかね。堂々と喫煙続けます

世の中には酒好き、車好き、音楽好き、ダンス好き、アニメ好き、ありとあらゆる好き者がいます。何かと規制も多い昨今ですけど、好き者同士お互いを尊重してその文化を育めば、好きがミックスされた世界、豊かで面白い世界になると思うんですよね。

この世から喫煙者差別を含めあらゆる差別が無くなればいいですね。


ジム・ジャームッシュの「コーヒー&シガレッツ」は渋くて良い映画ですよ。一服しながら観ると味わい深さも増します。



追記2

更に追記です ->


2014-08-14

平成生まれX68000の当時の凄さを教えてほしい

初代機でメモリ1MB・CPU10MHz、93年発売の最終機でもメモリ4MB・CPU25MHzと、現代感覚で云えば絶望的なレベルスペックになるX68000だけど

当時は「夢の高性能機だった」と40代ITおじさん達が言ってるのを結構聞く気がする

X68000が実際どれくらいのものだったのか教えてくれると嬉しい

2014-07-02

2chで凄いプログラマーってどこが凄いの?っていうスレがあって

あぁこの人には、どんなに凄いプログラマーでも、永遠に凄くない存在なんだなぁと思った。

大多数の人にはそうだろう。

説明しなければ、凄さ理解されない職業って報われないな。

 

どこが凄いの?って聞いたことが、あぁ、

説明しなければ、凄さ理解されないのかと相手を傷つけるという事もわかってはもらえないだろうな。

所詮プログラマーは金だけだな。

説明が必要なら、凄い必要はない、説明が上手い奴が凄いことになる。プログラムが優れている必要性はない。

からみんな、説明ばっかりうまくなって、プログラムがド下手。

2014-06-16

おこらないでね

あのね

サムライフットボールは相容れないものだよー

みんな勘違いしちゃっているよ

W杯はね お祭りなの 

4年に一度しかやらない特別な祭典だよ

紛争が絶えない現実で 各国の人がボールを追っかけて遊んでいるんだよ

選手の人が楽しんでプレーしてくれればそれでいいのに

自分逆立ちしたってあの舞台には立てないのに

世界の広さや凄さを見せてくれているのだから

連れて行ってくれただけでも感謝なのです

どうか選手の皆さん楽しんでプレーしてください

応援しています

結果なんかどうでもいいのです 

私は気にしないのです

おもいっきり楽しんでください

2014-06-05

好きなSFラノベ打線組んだ

http://anond.hatelabo.jp/20140604175240

http://anond.hatelabo.jp/20140605021604

正直野球とか詳しくないので適当だけど.打線の並びは最初増田依拠

1中.『タイム・リープ』(高畑京一郎

筒井康隆がやっつけ仕事で手を染めた学園タイムリープSF芸を完成させた名作.

2三.『ふわふわの泉』(野尻抱介

ファミ通文庫の可愛らしい理系少女萌えイラストからの猛烈なアーサー・C・クラークリスペクトが熱い.ハヤカワ文庫での復刊時の謳い文句に草不可避

3遊.『学校を出よう!2』(谷川流

読了時系列を表に起こしてようやく理解できた.『タイム・リープ』と並ぶ学園タイムリープもの金字塔

4一.『紫色のクオリア』(うえお久光

説明は要すまい.大正義紫色のクオリア

5右.『ある日,爆弾がおちてきて』(古橋秀之

すこしふしぎ時間SF短編集.?た来,てっ王大の怖恐

6左.『星の,バベル』(新城カズマ

みんな大好き言語SF感染モノと組み合わせてこんな風に料理するセンス・オブ・ワンダー凄さ

7捕.『猫の地球儀』(秋山瑞人

猫とSFの組み合わせはハインライン以来の鉄板.海が,

8二.『星界の紋章』(森岡浩之

洗練された星間帝国前近代帝国区別がつかない.

9投.『涼宮ハルヒの憂鬱』(谷川流

まあ,やっぱりこれでしょう.ラノベとしてもSFとしても完成されていて隙がない.

中継.『オイレンシュピーゲル』(冲方丁

テスタメントの続きが出ていないことが最大の難点.はよ書け.

抑え.『スワロウテイル人工少女販売処』(籘真千歳

ラノベコーナーに売られてることもあるしラノベでいいのでは.

2014-06-01

ラブライブ私服ダサいという記事を見て

ラブライブキャラ私服センスダサい気がするんだが・・・というスレ紹介しているまとめブログがあって(http://onecall2ch.com/archives/7290955.html)、

ま、その通り、あの私服みたとき、みんなお母さんのお下がりきてるのかな?と錯覚したわけだけど、そんなのはどうでもよく、

アイマスとの比較で↓のようなコメント残している人がいて驚愕


64. 名無し@わんこーる速報2014年05月31日 22:29 ID:aTl8JsXm0 返信する

アイマス私服凄さはオシャレ感よりも

性格や家庭環境考慮して作られている所だと思う。

ついでに言うと上下の着まわしもナチュラルにしていて、靴も服に合わせて履きまわしている。

こんなに私服リアルに、しかも当時の流行からある程度離れないように気を使って描いてるアニメ自分はこれしか見たこと無い。


タッチとかCCさくらとか見てなくて当然な時代来たんだなと。ま、タッチは百歩割り引いても、

アニメ見ててネットやっててCCさくら情報が入ってこない程度になったというのはすごいなぁと。

こんなに学園生活リアルに、しかSFからある程度離れないように気を使って描いているアニメ自分はこれしか見たことないとか2,3年後に書かれて、

ちょいまて、ムリョウはと突っ込むどころか、多分、ハルヒにも言及されないような時代がくるのだろう。一番愕然とするのはこうした老害コメントを書く自分へだが。

2014-05-10

婚活の徒労の果て

婚活に疲れ果て、退場予定の中年男のモノローグです。

うまく行く行かないは個人の資質に寄るところが大きいので、結局は、自分にそういう能力が無いから相手が見つからない、相手と交際が続かないという結論になってしまうのですが、数年間の活動期間を通じて感じる事は、

「なんで、こんなに疲労感がたまるのか?」

という事。正直、お見合いをして、交際を開始して、相手の人となりを知っていく過程を踏んでいっても「全然楽しくない」。半ば無理矢理自分を盛り上げて、相手が居るのだからこじつけ楽しい振りをしているだけの様な感じでした。

その後、下記の記事を読んで凄く納得したわけです。

http://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2013/02/20/122213

その後、記事を書かれた方は婚活を再開したようですが、やはり、ある種の割の合わなさを感じているようです。

結局、自力で相手を見つけられず、婚期なぞとっくに通り越してしまった自分にとって、結婚相談所というのは「最後の砦」のようなもので、そこで行われている事に全く馴染めずに脱落しつつある自分を認められないだけなのかも知れません。

結婚相談所に登録すると、自分スペック不特定の異性に対して晒す事になり、自分商品価値を嫌と言うほど思い知る事になります。更に、元々商品価値の低いものを陳列するわけですから、「ディスカウント」しなければ売れません。ここで、相談から色々と「現実的」な提案が出てきて、物わかりの良い人は妥協と諦めの先にパートナーを得る事となります。諦めの悪い人はいつまでも強気の値段をぶら下げたまま商品棚に残り続ける事となります

お見合いの風習が廃れ、代わりにこの手の結婚相談所が台頭し、それによって以前の既婚率に戻るかというと、それは無いでしょう。出会いの少ない人が相談所を通して出会い確率を上げるという意味では、それなりに機能はするとは思いますが、成婚に至るまでの廻りの圧力がまるで違います。いくつかのケースでその様子を見てきましたが、外堀を埋められて離れられなくなる圧力凄さというか、当人同士の気持ちなんぞどうでも良いという残酷さを見せつけられた気がしました。

その点、相談所を経由した場合、本人次第であるから楽といえば楽です。ただし、商品価値自分の思っている以上に無いので、結婚することを目標とするのであれば、ハードルを下げるだけ下げ、相談所の言う「現実的な提案」に乗る事。何年も続ける活動では無いし、何より、加齢による劣化容赦なく進行します。何より、加齢よりも「夢」や「希望」がどんどん潰えていくので、目標を達成する前に神経が擦り切れてしまったら、一体、何のための努力だったのか、わからなくなってしまます

2014-04-24

小保方さんの「教祖求心力」について

博士論文コピペ、STAP論文画像切り貼り転用マウス取り違え問題。

まりに未熟でずさんな「研究」が日本トップクラス組織である理研から出てきたことには驚かされたけど、

それと同じくらい驚いたのは、世論で小保方さんを擁護する声が多いこと。

客観的データのない仮説は妄想」という科学常識よりも

「小保方さんの功績を奪おうとする勢力がある。小保方さんを守れ!」という根拠ゼロ陰謀論のほうがなぜか支持を集めてしまう。

(ちなみにSTAP細胞特許論文発表時にすでに申請済みで横取りはできないとのこと)

現状、STAP細胞存在を示すデータは確認されておらず、擁護する上司の笹井氏ですら「仮説」としか説明できないもの

STAP細胞はあります!」と断言するのは「聴力を失った私が作曲しました」と称していた佐村河内氏の虚言にすら近いものがある。

しかバッシングどころか擁護され応援も受ける小保方さん。

なぜこのようないびつな現象が起きるのか。

それはつまり、小保方さんの「求心力」の凄さにあると思う。

見ていて「きっと彼女は正しい」「応援してあげたい」と理屈抜きで思わせるキャラクター

巻き込んで自分の味方につけてしま求心力の強さ。

彼女自身はたぶん無自覚だと思う)

彼女研究者として未熟なままあの地位にまで行けたのは、

結局その「味方につける」才能がズバ抜けていたからではないだろうか。

理屈ぬきで自分の「色」に染めてしま教祖的とも言えるその求心力によって、

理研や名だたる研究者一定世論も巻き込まれ、

論文世界雑誌ネイチャー」掲載にまでいたった。

人にはそれぞれ「求心力」の大小があるけど、

小保方さんの「人を味方につけて巻き込む」影響力の強さは、

先の佐村河内氏よりはるかに上をいく凄まじいものであると思う。

2014-04-06

インスタを眺めている

見えるねー色々

人間社会

マテリアルボーイandガール

はいはい

B級グルメ

あ、こっちはその路線ね

はいはい

と、こんなことやってると

あらためて密教凄さ体感できる

2014-02-23

[HMJM]劇場版テレクラキャノンボール2013を毎日観に行ってました。

 2014年2月15日(土)から2月20日(木)までの6日間劇場版 テレクラキャノンボール2013 | オーディトリウム渋谷を観に行って来ました。

 大評判の作品で6日中4日間は満員札止め、補助席出したり通路にクッション置いてお客さん座らせたりしても入りきれなくて、劇場まで足を運んでも入れずに帰される人も居たとの事。そんな中、毎日通うなんて迷惑だ!まだ観てない人に席を譲ってやれ!というご意見もありましょうが、…観たかったんですよ!どうしても!ってか私が居ない所でみんなでこんな楽しいモノ観てるなんて耐えられない!来月またやるしDVDも20日くらいから店頭に並んでいるからとりあえず観たいってだけの人はDVD買おう!私は悪くない!逆にDVDの売上に貢献する行為だ!私を褒めろ!と開き直って通いました。

 作品自体について書きたい事が山ほどあるんですが、何書いてもネタバレになる内容だし、もうとりあえず凄すぎてちゃんとその凄さを伝えられる文章を書ける自信が全く無いので今回は『映画館劇場版テレクラキャノンボール2013を6日連続で観てきたのでその6日間の日記的な事』を書いておきます

 初日。2月15日。2週連続大雪が降った日。実はこの前週の最初大雪の日に『劇場版テレクラキャノンボール2013』公開記念2週連続カンパニー松尾オールナイト特集』の第1回があったのですが、大雪電車が止まりまくって居た為かお客さん21人しか居なかったのですよ。私は自宅から一番近い地下鉄の駅まで4~50分かけて徒歩で辿り着き普段なら絶対使わないようなルートで無理矢理渋谷まで行ったんですが、他の20人のお客さんはどうやって劇場まで辿り着いたのだろうかと思うような日でした。

 そんな感じだったので一体この『劇場版テレクラキャノンボール2013』がどれだけ広くの人に知られているのか、お客さんが入るのかってのが初日劇場行くまで全く予測出来なかったのですが、開場前のロビーはお客さんでいっぱい!勿論客席もバッチリ埋まっていておりました。ちなみに整理番号は開演の1時間前位に引き換えて47番でした。

 そんな中上映開始。満員のお客さんが笑い、驚愕し、劇中自然に何度も拍手が起こって。「客席が沸く」というのはこういう事か!というのを経験しまくりました。上映中は私自身も沸きまくってるのでわーわーって感じだったんですけど、終わって一人になって思い返してみると映画館でこんな事が起こりうるもんなんだなぁと不思議な気持ちに。

 2日目。日曜日の夜のレイトショーしかも上映後のトークまで見たら23時半を越えるという事でお客さんの入りはどんな感じだろう?と思っていたのですが、初日よりはちょっと少ないものの、思ってた以上に沢山のお客さんが詰め掛けておりました。整理番号は開演1時間前位に引き換えて39番。上映中、初日と同様に沸く客席、そして沸く自分。前の日に観たばっかなのに同じところで声が出る。

 3日目。月曜日。ここから平日だからお客さんの数も落ち着くかな?と思ってたのですが、実際は正反対でこの日から連日満員札止め。週末に観た人からの評判を聞きつけたお客さんが押し寄せます。整理番号は開演45分前に引き換えて59番。

 この日くらいから作品を観ている時の心境に変化が。最初観た時は「うおーすげーやべー!でも端折られてるシーンいっぱいある!DVD版どうなるんだろう?楽しみ!」という感じだったのですが…

 松尾監督AV作品劇場版は何作品存在しております。んで、とりあえず私が観た分に関しては全部AV劣化版みたいな感じなんすよ。特に一番気に入ってないのが『監督失格×ポレポレ東中野企画【性と死と旅】第一夜【センチメンタルジャーニー】』というオールナイトの企画で1度だけ上映された『劇場版 私を女優にして下さいAGAIN11』。オリジナルDVD版は簡単に言うと「物凄く実用性のあるアダルトビデオなのに監督の実の父親の介護から息を引き取る所までをしっかり描いている」という奇跡作品なんです。いやマジでホントこんな事言われても意味わかんないと思うけどDVD観たらその通りだから。とりあえず観てみて下さい。

 それに対して劇場版映画館で上映する事を意識してかエロシーンを大幅に削っちゃってるんすよ。なので「物凄く実用性のあるアダルトビデオである」という一番重要な部分が薄れちゃってるのです。もうナンカそれじゃ台無しじゃないっすか。実の父親を看取る所を描いたドキュメント作品としてはちゃんと出来てるんですがそれだけだと普通だもん。奇跡が起こってたのにその奇跡の部分を切って捨ててる。勿体無いどころの騒ぎじゃない。

 その事を踏まえまして、劇場版テレクラキャノンボール2013を思い返してみると…明らかに超沢山の事を切り捨てまくってる!省略し倒してる!なので、劇場版テレクラキャノンボール2013は実は劇場版私を女優にして下さいAGAIN11的な状態である可能性が高い。その事に気づいて以降、DVDの10時間版を観るのが怖くなってきました。だって10時間版がすっごく良くて、私達がわーわー言いながら観てる劇場版が10時間版の重要な部分を切り捨てたモノだったらナンカ悲しいじゃないっすか。こんなに楽しい時間劇場に来たみんなで過ごしてるのにそれが嘘になっちゃうみたいで。

 4日目。火曜日。整理番号は開演3時間前に引き換えて36番。この日はキャノンボールを観る前に1つ上の階のユーロスペースへ。実は私の友達女子大生ちゃんがキャノンボールの上映期間とほぼ同じ時期に行われていた『第3回死刑映画週間国家は人を殺す』という企画の運営に携わっていたのでまずはそちらにお邪魔して『さらばわが友 実録大物死刑囚たち』という映画安部譲二氏のトークを観る。死刑廃止運動をしている国際的な人権擁護団体主催イベントという事でちょっと身構えて行ったのですが、さらばわが友は東映の実録モノ映画だったから全く難しい内容でもなく面白かったし、安部氏のトークも笑いどころも入れつつ、会場が円山町だったので安部氏所属していた安藤組(本拠地が円山町にあった)の話、暴力団員時代に「こいつは死刑にするしかない」と思わせるような野獣のような極悪人を何人も見たという話、しか国家という権力が人を使って人を殺すという構造戦争と同じなので許してはいけないという話、死刑制度のないブラジル裁判を受けた事があるという話からブラジルでは懲役2週間という判決が出ると刑務所の中無期懲役刑の受刑者からリンチを受けて殺されるという話、などバラエティに富んだ内容。

 安部氏のトークが終わったのが8時40分を少し過ぎた頃。そこから階段下りオーディトリウムに。すぐに開場時間となり入場して前から2列目のど真ん中に着席。開演を待っていると、どっからどう見ても小西康陽しか見えない男性がやって来て、私の前の席を確保し、マフラーコートを脱いで着席しました。ぱっと見た時から小西康陽だ!と思ったし、マフラーコートを脱いでる間ずっと観察してても小西康陽じゃない要素がなかったし、恐らく間違いなく小西康陽なんだけど、何故わざわざ「どっからどう見ても小西康陽しか見えない男性」と書いたかというと、まず、小西康陽テレクラキャノンボール観に来るか?というのがあるし、もし仮に観に来たとしてもわざわざ最前列ど真ん中に座るか?というのがあります。けどDJやってはるの何回か見た事あるし間違いなく本人だとは思う。おまけに帰宅してから小西さんのブログ見たら「2013年は533本の映画劇場で観た。」と書いてあったんで本人確定でいいと思う。年間500本以上劇場映画観る人だったら確実にキャノンボールも観に来るだろうし。だとしたら8時40分から50分の間の10分間に安部譲二小西康陽に遭遇した事になりますな。正反対人生を歩んでる有名人の組み合わせ。小西さんって暴力世界と一番遠い所で生きてきた感じするもん。

 5日目。水曜日レディースデーオーディトリウムツイッターアカウントが現時点での残りの席数を呟いたりして煽るので17時に会社を飛び出してそのまま直行17:55頃に整理番号引き換えて108番でした。18時から補助席案内になって18時40分には完売していたとの事。

 レディースデーだけあって女性客の比率は多め。でも、上映中のお客さんリアクションにそこまで差はなかったように感じました。日によって声が上がる所や拍手の起こるタイミングがバラバラだったのでその「日ごとの差」の範囲内だったように思います

 6日目。木曜日。とりあえずの千秋楽。火曜や水曜とほぼ同じ時刻、開演3時間前の18時頃に整理番号に引き換えて107番。昨日と1番違い!レディースデー並み!さすが最終日!

 この日もキャノンボールを観る前に死刑映画週間が行われているユーロスペースへ。上映されていたのは韓国映画の『執行者』。死刑執行する刑務官お話で「公務員仕事として(死刑判決を受けた犯罪者はいえ)人を殺さなければいけない」という事に対する問題提起的内容の映画でした。もうね、これがね、面白い映画である事は確かなのですが、韓国映画らしい剥き出し感とエピソード詰め込み感が半端無くて観終わるとグッタリしちゃいました。だって死刑執行シーンで刑が執行されて首吊り状態になってるのに死刑囚が死んでないってんで刑務官死刑囚に抱きついて体重かけて殺してたりすんだもん!絶対実際そんな事やんねーだろ!こんなヘビーな映画観た後にキャノンボール観るのはかなんなぁ、と思ってたのですが、この日の上映後のトークが松江哲明監督で、作品俯瞰した目線での話をしてくださったので気持ちが切り替えられました。あと、そのトークの前にこのイベント運営をしている女子大生ちゃんが松江監督に渡すお水用意するの忘れた!と慌ててたので下のオーディトリウムの受付で売ってるお水を買いに行くというお使いをしたのも気持ちのリセットになりましたね。びっくりして慌てたのと走って階段上り下りして身体動かしたのが良かった。身体動かすの大事!そしてオーディトリウム受付でお水売ってるの咄嗟に思い出せた私エライ。6日間通ってた事で人のお役に立てた。という事でこのトークの間に松江監督が飲まれていたお水は私が直前に買ってきたモノです。あと、この日松江監督と一緒に舞台に立ってトークをしていた女の子が私の友達女子大生ちゃんです。松江監督の大ファンなので偉い人を説得してこのイベント松江監督を呼んだのも彼女。という全くキャノンボール関係ないお話でした。

 20時40分頃にユーロスペースを出て下に降り、開場の整理番号呼び出しのタイミングオーディトリウムに入場。満員の客席を見渡してみると、初日と最終日では結構客層が違うように感じました。なんかね、一般の人に届いてる感じがした。初日の客層が特別変だったとか変わってるって感じでもなかったし、何がどう違うかって説明しろって言われると難しいんですけど、雰囲気というか空気というか醸し出しているモノが違うというか。どっちが良いとか悪いって話ではなく種類が違っているという感じ。

 そんな種類の違うお客さんでも上映中はちゃんと笑いが起こり、声が上がり、拍手も出て。やっぱりね!良いモンは誰が観ても良いんですよ!客層とか関係ない!劇場版テレクラキャノンボール2013は誰が観ても最高の作品なのです!

 という訳で6日間の上映期間が終わりました。私が常日頃から最高だと思っていた人達が最高である事が証明された日々。この6日間、私はとても幸せでした。雪で大変だった初日から沢山のお客さんが来て、週明けで客足が落ち着くかと思ったら逆で評判を聞いた人が劇場に押し寄せ満員札止めになって、その次の日に小西康陽が観に来てたという物凄く解りやすブレイク過程が観察出来たのも嬉しい。3月にも上映される事が決まっているので今回来れなかった方は是非お越し下さい。

 そしてこの6日間が幸せだったからこそ、DVDの10時間版を観るのが怖い。実は、昨日ムーランで買ってきて手元にあるんすよ。でもまだ観てない。観るの怖い。ってか観るのを先延ばしにする為にこの文章を書いてました。でも観ない訳にはいかないし、今日のうちに観ないと明日から仕事だし。今から観るしかないんだけどホント怖い。劇場版より全然良くてこの6日間の幸せな気持ちが色褪せちゃったりしたら悲しい。でも観るよ!…この文章アップしてしばらくツイッターとかしてからね(まだ先延ばしにしようとしている)。

2014-02-22

昔のニュー速がどれくらい凄かったかという簡単な解説

ニュー速とは?

2ch内に無数にある「板」と呼ばれる話題別の掲示板の一つであり

2011年末にある出来事がきっかけで崩壊したコミュニティ

今も存在こそするが、殆どの住民は上記事件の際、「嫌儲」と呼ばれる板に移動しており

かつての隆盛は影を潜め、完全に別のコミュニティと化している

ちなみに現在ニュー速は、以前の住民から皮肉を込めて旧速と呼ばれる

どんなコミュニティだった?

一般的掲示板と同じで、提示されたあるニュースや話題に対して議論や言葉を交わし合う場所

但し、他のコミュニティとは決定的に違う点が二つ

1 ― 天邪鬼が多かった、逆張り文化があった

 ネット上では基本的同意よりも反論の方が多い傾向が見られるが

 ニュー速はその傾向に輪をかけて「反対の反対の反対」という風におかしな方向でバランスが取られていた

2 ― 実質、著作権フリーだった

 通常ありえないが、意見投稿時に著作権放棄掲示板に求められる上

 掲示板自体をもその権利をいくら侵害コンテンツ無断使用されようが訴えるなどの行動を取ることがなかったため

 実質的著作権フリー転載し放題という状況であった、ちなみに現在もこれは変わらない

何が凄かったのか?

社会的影響

 ニュー速自身では、いくら自分たちが騒ごうが現実世界には何の影響力もないと卑下されることも多かったが

 実際の所、様々な形で影響を与えており、現在ネットにある既存TwitterFacebook等と比べても明らかに甚大な力を誇った

ネット世界への影響力

 情報を一手に収集拡散させるという性質上、非常に高いネットへの影響力があり

 ネット世論の大半を形成していたといっても過言ではない状況であった

情報収集能力

 掲示板というシステムの強みを活かし「自分のもの自分のもの、他人のもの自分のもの」を地で行っていた

 基本的にはネット上でのどこかで大きな事件や話題があればニュー速へ輸入され咀嚼されるのが常であり

 新聞TVを見ていなくてもニュー速を見ていれば最低限の世間の動向とネット上の動きは分かるといった感じであった

情報拡散能力

 ニュー速ニュー速であった所以、正にこの情報拡散能力が異常かつありえないものだった

 まとめブログと呼ばれるブログ群を通して鬼のようスピードと規模であらゆるネット媒体利用者層に情報を行き届かせる事ができた

 TwitterはてブFacebookニコニコふたばRedditといった今日既存ネットコミュニティとの最大の違いはここであり

 今後かつてのニュー速と同規模の情報拡散能力をもったネットコミュニティはもはや出て来ないだろうと思われる

 この天変地異的に突出した情報拡散能力は当時のネット状況、まとめブログ群とアフィリエイトシステム2ch構造上の問題等が複雑に絡み合って

 奇跡的に成し得たものであり、当然のことながら一言でいってしまえばニュー速というコミュニティの質が他に対して優れていたわけではなかった

 そもそも「ニュー速凄い!」などという文言は当時から皮肉を込めてのみ使われていた言葉であり

 大まじめにそんなことを言っている人間はかなりの馬鹿か、自分の属するコミュニティ依存した阿呆だけであった

 しかし当時の状況を冷静に振り返ってみれば明らかに「ニュー速最強!」であり、失われた今だからこそ声を大にして言いたい事実である

なぜ崩壊したの?

まとめブログにいい加減嫌気がさした利用者、住民達がまとめブログのものではなく、コンテンツ供給元となるニュー速のものを攻撃

まり自らの手で自らのコミュニティ破壊するという傍から見るとイカれた自爆行為を敢行したため綺麗サッパリ消滅してしまった

殆ど言及されないが、その異質さ、困難さ、スピード感、規模からみて日本ネット史における一大事件であった

更にまとめブログの悪質さ、モラルの欠如、著作権的にグレーな営利行為など種々の問題を浮かび上がらせた一件でもあった

ホントに凄かったの?

司令塔を失った現在日本ネット世界を見れば分かる通り、どんどんと文化の独自化、多様化が進んでいる

翻ってみれば、当時のニュー速情報集積地として各ネット文化ハブ役割果たしており

現在同じような役目を担えるコミュニティがあるかと問われれば、どこも情報拡散能力やその他の力で圧倒的に劣るものばかりである

からこそ日本ネット界では現在の縦割り世界化が着実に進行しているのでもあり

逆説的に、やはり当時のニュー速特質性が際立つばかりである

つまるところ凄かったと言わざるを得ない

まり

インターネットが普及して以来、唯一にして最初最後ネット世界の中心地が「ニュー速」という場所であった

おそらく10年後100年後には伝説として語り継がれるレベル凄さであり、本当に物凄く凄かった

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