はてなキーワード: キャッチとは
仕方ないな。とっておきの方法を伝授しよう。
まずイケメンのコスプレをする。目つきが悪いが朴訥なスーツの大男だ。
そしてテニスウェアかレーシング風の衣装を着た子に低めの落ち着いたボイスでこう話しかける。
「新田さん、このあと一緒にラクロスでもしませんか? あっ、大丈夫です。ラケット(クロス)はこちらで用意してありますので。」
その子がすこし逡巡したあと、「分かりました、プロデューサーさん。○○で待ち合わせしましょう」と言ってくれたらOKだ。
プレイ場所はサッカーコートのような芝がある広い場所を事前に確保しておこう。
そしてたっぷり汗をかいたら、困ったように首に手を当てながら、「近くのホテルで汗を流しましょう」と言うのだ。
もしどこかでお金のことを聞かれたら「…接待交際費です。」と言って全額払うのだ。
以上である。
私は現在進行系で就職活動を行っている(コード書く方の)エンジニア志望の大学生である。先日ある企業の面接に行った際に聞かれた質問について思うところがあったので書いてみようと思う。
その質問とは「SNS 等での開発者同士の交流の有無」だったのだが、私はしていなかった(そもそもネット上の知り合いがいない)ので、していない、と答えた。
それでその質問は終わったのだが、私が気になったのは新卒採用の場でそのことを聞かれたことである。つまり、開発者同士の交流の有無を何らかの判断材料にしようとしたように見えるのである。
その質問が、単純なコミュニケーション能力の有無を計ろうとしたのか、それとも交流によって得られた何かを計ろうとしたのか、それは分からない。分からないが、確実に言えるのは交流していた人間はプラスの評価が与えられる可能性が高いということだろう。
ネット上での知り合いがいないという時点で察しがついたかもしれないが、私は無名の雑草だ。GitHub のフォロワーは 0 だし、作ったプロダクトのスター数も全て 0 だ。しかしプログラミングは大好きだし、最新技術のキャッチアップも行っている。エンジニアを志望しているのも、コードを書くのが好きだからだ。
自分の言うのも何だが、技術力はそれなりに高めてきたつもりである。向上心もまだまだある。あらゆることをやりたいと思っている。しかし、このように開発者同士の交流の有無を判断材料にされると――私は消えて吹き飛ぶ。技術が「人脈♪」に負ける瞬間、と言っても過言ではないと思う。絶望だ。
最後に、これがさらにエスカレートした場合、つまり今後採用の場において開発者コミュニティの中での活動(OSS への貢献だけに限らない)が内定に大きく影響するようになった場合…私のような雑草はどうやって生きていけば良いのだろうか?交流する?自分の利益(=評価)のために?
そして――これが私が最も懸念していることなのだが――そのような界隈は健全と言えるのだろうか?誰しもが企業でのポジションの獲得のためだけに活動する世界。交流するあらゆる人間が、「評価」というビジネス的な尺度に一瞬にして変えられてしまう世界。(我々がもっとも忌避すべきことである!)ハッカー文化がビジネス文化に乗っ取られてしまった世界。最近嘆かれることが多い今の Qiita の惨状は、そのような世界が実現しつつあることを示しているのではないだろうか?
私は非常に心配している。
という怪文書が大学の掲示板に先日貼られていました。僕から見ると文章にまとまりがなくていまいち何が言いたいのかよく分からないのですが、とりあえずシェアしておきます。
文学ベスト100と検索すると、国内に限ってもいろいろなランキングが出てくる。英語圏では、ベスト100を選んだときどのような小説がランクインするのか、気になって調べてみた。
そうすると、日本と同様にたくさんの種類のランキングが出てくるが、これらをひとつひとつ紹介するのも退屈だ。
だから、それなりに信頼がありそうないくつかのランキングを選んで、それらにくり返し選出されている作品名をここに挙げてみたいと思う。
なにをもって信頼があるというのかは難しい問題だが、だいたい以下のような基準を満たしているランキングだけを取り上げることにした。
英語で検索しているからには、英語で書かれた小説が多くランクインするのは当然なのだが、英語圏に限らず、世界の文学を選出の対象にしていることを条件とした。なので英米文学オンリーとかなのは避けた。
2000年以降に発表された小説の割合が高すぎたり、「ハリー・ポッターシリーズ」のような、あまりにエンタメ寄りの小説を選出しているものは除外した。
「ハリー・ポッター」が文学かどうかは知らないが、それが文学ベスト100に選ばれているランキングが参考になるかというと、あまりならないんじゃないかな。
どのランキングにしても19世紀以降の西洋文学に偏りすぎなのだが、そこはもう仕方がない。
このような基準で選んだランキングは以下の4つ。検索すればソースはすぐ出てくると思う。
・ガーディアン誌による「The 100 greatest novels of all time」(いつ誌上に掲載されたのかはわからなかった)
・Goodreadsによる 「Top 100 Literary Novels of All Time」(国内でいうと読書メーターや読書ログみたいな位置づけのサイト。ユーザーが投票して選出している)
・Modern Library(アメリカの出版社)による「100 best novels」
・アメリカの文学者Daniel S. Burtによる「the Novel 100: A Ranking of the Greatest Novels of All Time」(同タイトルの書籍がある。Burtは英文学の講師をしていたらしい)
4つのランキングのうちすべてに選出された作品は、ナボコフの「ロリータ」と、ジョイスの「ユリシーズ」の2つだった。ロリータすごい。
4つのランキングのうち3つに選出されたのは、以下の28作品。
このうち22作品はすでに読んでいた。
けっこうそれっぽいタイトルが並んでいるように見えるが、日本ではほとんどなじみのない作家も中にはいる。ジョセフ・ヘラーとかフォード・マドックス・フォードとか。
フォードの「善良な軍人」が翻訳されているかはわからなかったが、これを除けばすべて翻訳で読むことができる。すばらしい。
ブコメの指摘から、フォードの"The Good Soldier"(上では「善良な軍人」と訳した)は、「かくも悲しい話を…」という邦題で翻訳されていることがわかった。ありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/touch/20181206214612?mode=amp&__twitter_impression=true
量販店はそもそも携帯を買う目的で来る客は滅多に居なく(地域により多少差はあると思うが)家電を買いに来る、食材を買いに来る目的で来るためキャッチ(ティッシュや景品をチラつかせ話しかける)をすると「今の通信状況に、自分の通信リテラシーに何の疑問を持っていない」人が多く見つかる。所謂カモ。
ただ私はそういう話をしたい訳ではなく、今回は携帯業界で仕事をする上でいつもこの手の問題で悩まされるので皆に知って欲しいべく書く。
→量販店はスーパーにあるクリーニング店みたいなもの。簡単な作業は出来るが専門的な作業は単独店舗(ショップ)でないと出来ないことが多い。ショップのような多岐にわたる業務全てを量販店で行えると思ったら大間違い。よく「ここで買ったのに修理はショップなのか!」と怒る客がいる。やってあげたいのはやまやまだが、出来ないと定められていたり設備がそもそもないので出来ないものは出来ない。(量販店でもキャリアによってできる所はあるようなので都度確認して欲しい)
・量販店スタッフの知識とショップスタッフの知識は同じではない
→客にしてみれば量販店もショップにいるスタッフも全員その道のプロ。しかし働く側からしてみれば全然違う。量販店では出来ない作業はそもそも教えて貰えないことが多く、ショップスタッフより知識が無い事がある。例えばSIMロック解除は店頭ではショップやしか手続きが出来ないので量販店スタッフでは詳しく分かりかねる内容である。量販店で出来ない作業なのにスタッフが誤って客にやり方や必要なものを伝えてしまい、ショップに行った客がキレて再来店…なんてことも過去にあった。そうならないように出来ないものに関しては一切案内せず近隣のショップや総合窓口ダイヤルを誘導するが「対応が面倒だからショップに誘導するんでしょ」という客もいる。こちらも謝った知識を伝えて客の手間を煩わせたくないのだ。
→携帯を変える際に皆が1歩引いてしまう理由がデータの移行だと思う。現実に接客していて「データコピーが面倒で…」という人はかなり多い。量販店だと「データを移してくれるなら乗り換えしてもいい」ショップだと「分からないからプロにやって欲しくてショップに来ているのに何でやってくれないの?!」という客によく当たる。
上でも書いたが、量販店利用客は携帯購入目的でないのが殆どなので「パパっと早くやって欲しい、面倒じゃないならやって欲しい」客が、ショップは何か携帯のことで用がないと来ないという違いがあるので「いくら待ってもいいから丁寧にやって欲しい」という客が来る。
一人一人持っている写真やメール等のデータは価値がつけられないものであり、いざ消えてしまえばいくら「消えてもいい、自分は分からないのでやって欲しい」と言っていた客も当然だが怒る。また消えてしまって、客が納得しなければ正直とんでもないお金を支払わなければならない。
ここまで書いて言いたいことは、重大なインシデント行為を客から強いているのに消えてしまったら責められるのはスタッフだということ。もし賠償金の話になれば客からお願いされたとはいえ「本来してはならないことをスタッフがしていた」のでスタッフの財布からお金が飛んでいくということ。
本当に分からないのなら、店頭スタッフや専門のセンターで聞いて下さい。店頭スタッフは基本的に客の端末を触れないので指差しで説明します。センターは遠隔で出来るサポートがあるものもあるので是非活用して欲しい。
店舗で端末を買うと頭金や不要なオプション、事務手数料を支払わなければならないのは既に知られていると思う。(店舗により様々だが事務手数料は必ずかかる)キャリアのサイトからオンラインで端末を買うと事務手数料すら取られない。またSIMロック解除もインターネットで自分で解除出来れば事務手数料がかからない端末もある。
とりあえず暇だから書き殴ったが量販店でもショップでもMNPと新規(光も)は大好きなのでみんな行ってあげてね!あと自分で検索して解決できない人はスマホ持たないでね!
その世界では、誰もがプリティでキュアな存在、プリキュアに変身できた。
物心ついて、そのことに気づいた2人は、悲しみにくれた。
何度試しても、変身はできない。
2人は、この世界では凡人にすら達していなかった。
そんな2人ではあったが、周囲の人々は、とても親切に接してくれた。
そんなささやかな日常は、仮面をつけた者らが世界に現れることで壊される。
仮面ライダーを名乗る彼らは、次々とプリキュア達を襲っていく。
全員がプリキュアであるがゆえに、悪意や犯罪に免疫のなかった世界。
OMENライター666を始めとするライダー達に、抵抗できる者はいなかった。
プリキュア達がドキドキする暇もなく、ライダーは、その身ぐるみをHUGか、心臓(ハート)を鋭い爪で鷲掴み(キャッチ)していった。
街に溢れるのは、血しぶき(スプラッシュ)と、ひめいと、殺人者(キラ)。
魔法つかいの救世主(イエス)はどこにも見当たらず、圧倒的な突撃(チャージ)に世界はコウフク寸前だった。
それは、平和な日々しか知らない世界にとって、最大限(マックス)にハート〝な状況だっただろう。
あまりの惨状を目の当たりにして、ホカノとサナギは、気を失う。
彼女達にとっては、ライダーこそが「衝撃をもたらすもの(ショッカー)」だった。
2人は、気絶している間に、不思議な夢を見る。
夢の中で、ホカノとサナギは、全人類が仮面ライダーである並行世界の住人だった。
仮面ライダーが増殖しすぎた世界から、新天地を求めて並行世界へと送り込まれた尖兵。
それが、ホカノとサナギだった。
2人は、気がかりな夢から目ざめたとき、自分達が2匹の巨大な毒虫に変わってしまっているのに気付いた。
あの夢が見せたのは、真実だったのだ。
2人は羽化し、あれほど焦がれた「変身」をしていた。
その姿は、決してプリティではなく、キュアからもかけ離れていたが、この世界で2人だけが、悲しみと絶望を知っていた。
ライダーに対抗できるのは、
世界広し、
といえども、彼女達だけだった。
2人は、優しかったプリキュア達に報いるため、「大きなお友達」として戦った。
EXILEだ。
EXILE達は、全人類がEXILEグループになった並行世界から、重戦機に乗ってEXILEしてきたのだ。
彼らの掲げるスローガンは、LOVE、DREAM、HAPPINESS。
EXILEのタイミングずらして回るやつに巻き込まれ、倒れていくプリキュアとライダー達。
そのエグい行為は、万死(die)に値したが、プリキュア達に、なすすべはなかった。
ランニングマンに仲間達が次々とちぎられ、ライダー側の大将は、もはや裸同然だった。
プリキュア世界の崩壊かと思われた瞬間、世界に現れたのは、栗まんじゅうだった。
栗まんじゅうは、停戦を呼びかけるとともに、これまでの全てを語り始めた。
あんな夢も、こんな夢も、全ての夢(All I Want)を叶えてくれるロボットだ。
彼らは、栗まんじゅうを、倍々に増殖させ始めた。
そして、増殖を続ける栗まんじゅうの扱いに窮し、これらを宇宙に投棄したのだ。
栗まんじゅうは、増殖を続け、やがて、互いに引き寄せ合って結合し、星を形成する。
栗まんじゅう製にして、
栗まんじゅう性を持つ、
この星を遠くから観測する者がいたならば、きっと、虚空に1つの巨大な栗まんじゅうが浮かんでいるように見えただろう。
さらに、栗まんじゅうは増殖を続け、やがて、シュヴァルツシルト半径が星の半径を凌駕し、ブラックホールが形成される。
ブラックホールは、増殖を続け、自らの存在する世界を満たすと、他の並行世界へと進出して、あらゆるものを吸収していった。
Vtuberを。
コンビニを。
赤字国債を。
ワカメを。
あらゆる存在は、事象の地平面のかなたへと消えていき、漆黒の棺へと埋葬された。
ある因果律の狂った並行世界では、スマブラザ参戦者であるカービィを吸収した。
「それゆえに」、吸収した対象の能力をコピーできるようになった。
ブラックホールのヘヴィーな力は、知恵の実もろとも彼らを吸収した。
(ホカノとサナギは、知恵の実の話を聞くと、なぜか本能的な恐怖を感じた。)
それ以来、栗まんじゅうは、知性を獲得した。
このまま続けていれば、並行世界全体を包含する多次元宇宙が崩壊してしまうからだ。
こうして、栗まんじゅうは、プリキュアやEXILEの元にやってきた。
栗まんじゅうは、多次元宇宙の崩壊を防ぐ手段として、Vtuberを吸収して得た、バ美肉の能力を用いた。
そうして出来た新しい世界では、1人1人の人間が、それぞれ内に秘めた並行世界(コスモ)を持っているのだ。
人々の歴史と記憶は改ざんされ、各グループの増殖スピードは抑制された。
記憶が消されたとはいえ、人々は、潜在的な記憶から影響を受ける。
複数存在したプリキュア世界から生成された人々は、プリキュアのアニメの作り手や重度のオタクになった。
人々の深層心理に強く刻まれたホカノとサナギは、初代主人公のモデルになる。
栗まんじゅうはというと、あらゆる能力を手放して、1人の人間になることにした。
栗まんじゅうは、気付きつつあった。
知覚はできなくても、どこかにきっと他の多次元宇宙があることに。
どんなにコントロールしようとしても、人々の愛と欲望がある限り、また、何かが増殖し続けてしまうだろうことに。
この多次元宇宙もやがて何か一色になり、他の多次元宇宙と争いになるだろう。
その結果、運が良ければ、各多次元宇宙は、1人1人の人間に生まれ変わるだろう。
きっと、こうして歴史がくり返されてきたのだ。
究極にして思考できる栗まんじゅうは、1人の人間、栗子になったのである。
今度は、美味しいものが食べられると良いな、と思いながら。
・レース5周目、コース3つめのカーブ「リスボアベンド」手前の直線でソフィア・フローシュ選手のマシンがユアン・ダルバラ選手と接触、コントロール不能のまま高速でスピンし、後ろ向きのまま前方の坪井翔選手と接触、そのままフローシュ選手は飛び上がってしまい、キャッチフェンスとコース外のカメラマンやぐらに接触して落下した。
・なお、ダルバラ選手との接触を含め裁定としてはどのドライバーにも違反性のないレーシングアクシデントとして処理されている。
・フローシュ選手は最高速計測地点では276km/hを記録していた。他の選手は255km/h前後で通過している。
これは他車がブレーキを踏む地点ですでにノーコントロールに陥っていることを示している。
(計測地点は離陸地点から100-200mほど手前)
・クラッシュの当事者となったソフィア・フローシュ選手、坪井翔選手、カメラマンやぐらに居て吹き飛ばされた日本人カメラマン、フェンス脇にいたカメラマンとコースマーシャルの5人がすぐに病院に搬送された。
怪我の状況などの発表はここを参照
http://www.as-web.jp/overseas/432006
・コースマーシャルはコース上の危険を知らせたりなどをする旗を振ったり、クラッシュした車両やパーツの回収をするスタッフ。
・フローシュは翌日朝に手術を受ける予定。
・離陸してしまった原因の一つとして「ソーセージ」縁石と呼ばれるコース上の障害物がある。
これは、コースの内側をショートカット出来るようなカーブに意図的に設置され、カットを防ぐ目的がある。
形は半円形の筒が埋まったような形状で、高さは普通の縁石(赤白で塗られている)よりも高い。
これに乗るとレーシングカーは姿勢を乱してしまったり、最悪の場合はマシンが破壊されてしまう。
・以前から「ソーセージ」縁石の安全性には疑問が投げかけており、他のレースでもこの特殊な縁石によって空中に飛び出してしまった事例がある
Formula e 北京 ニック・ハイドフェルド
クラッシュの実際の動画に注目すると、フローシュの車が飛び上がる直前に乗っかる青いものがソーセージ縁石。
・離陸してしまったもう一つの原因はフォーミュラカー・オープンホイールカーと呼ばれる形状の車特有の問題がある
これらは一般的にF1で思い浮かべるようなタイヤがむき出しの車のタイプと考えて良い。
・今となってはかなりの高速度でのクラッシュでも打ち身や打撲で済んだり、酷い場合では骨折などをしてしまうが、命に関わるような出来事にならないほどの安全性がレーシングカーには備わっている。
ドライバーもこのような衝撃に耐えるために必死にトレーニングをし、衝撃に筋肉で耐えうる身体を作っている。
・しかし、フォーミュラカーの場合、高速で回転するタイヤ同士が当たったり、乗っかったりするとカタパルトのような状態になりマシンが飛び上がってしまうというものがある。
過去にもこれが原因で重傷を負ったり、亡くなったドライバーが多数いる。
・F1も含め、フォーミュラカーのタイヤをカバーすべきという議論も昔から繰り広げられているが、基本的には見た目上を重視していたり、「伝統的なもの」として片付けられている。
・ 他のフォーミュラカーのレースでは、タイヤを上部のみむき出しにしているが、タイヤの前後にバンパーや突起物を設置し、直接タイヤ同士が接触しないようにするデザインも出てきている
ただし、タイヤがカバーした車でもカバーが破壊されて飛び上がる事例もあるので完全ではない
・サーキットのフェンスはキャッチフェンスというマシンを捉えてマシンやパーツなどを外に飛び込ませない意図があるが、今回はフェンスの上部まで飛んでしまったため、ほぼ意味がなくなってしまった上に支柱等が倒れてしまった
・レースを行う際にはフェンスを完全に修復しなければならないため、レース中断中にすべて修復された後らレースが続行された。
・同じくフォーミュラカー特有の問題としてドライバーの頭部、ヘルメットがむき出しになっているという事がある
・クラッシュまでの一連の流れを書くと、
フローシュ選手のマシンは直線上でダルバラ選手と接触、スピンして高速状態のままカーブに突入、後ろ向きになりながら内側の縁石で飛び上がり、縁石と前を走っていた坪井選手のマシン、タイヤに当たり飛び上がってフェンスと後ろカメラマン用のやぐらに当たってしまった。
・ガードレールで防御されているカメラマンのやぐらにドライバーの頭側からマシンが接触してしまったが、「非常に運がいい」ことにちょうど穴が空いている部分にドライバーの頭部が入ったように見える。
これがやぐらの硬い部分やフェンスの支柱に頭部が接触していたら、最悪の事態はまぬがれないだろう。
・今年F1では「HALO」と呼ばれるドライバー頭部にマシンやパーツ破片などが直撃しないように設けられた安全バーのようなものが設置された。
数年前にタイヤが頭部を直撃して即死した事例や、雨でスピンしたマシンが別のマシンの撤去中の重機に当たって頭が潜り込んでしまい、後に死亡するなどの重大なクラッシュが起きたことから開発され、導入に踏み切られた。
HALOは高速度で発車されたタイヤのような重量物を弾いたり、二階建てロンドンバスと同じ重量にも耐えるという強度設計になっている。
・ここ1-2年で設計されたフォーミュラカーにはHALOが設置され、実際にHALOがなかった場合には頭部に直撃してしまうかもしれないというクラッシュが数件起きている。
・初めはデザインの悪さから導入直後には非難の声が多数ファンから発せられた。
ドライバーの視野の正面に縦の支柱が入る特殊な形状なため、視野の懸念が発生したが、実際にF1ドライバーがテストをしたところ特に気にならないという。
HALOが防いだクラッシュなどが起きてからは多少声が静まった感がある。
・しかし、今回のレースで使われているF3はHALO導入以前に設計された車でHALOは搭載されていなかった。
・フローシュ選手に後ろから追突された坪井翔選手のマシン頭部後方のロールバーと呼ばれる部分にはフローシュ選手のマシンが接触した跡があった他、坪井選手のヘルメットにも破損が見られたという報道がある。
・レースは中断中に怪我人の搬送とキャッチフェンスの修復ののち約1時間後再開、無事レースは終了した。
モータースポーツに100%の安全は無いが、積み重ねてきた安全性の結果、これだけの大クラッシュで生命が奪われるという事が無かったのは非常に幸いである。
説明するのだるい感じになってきたな…あのね、ロボットの問題は「ガッシリ物を掴めるモーター」とかじゃないんだよ。人間は見たまま物体をひょいと掴むってことができるじゃん。で、落としたらキャッチとかできるじゃん。で、その動きを一回記録すれば大電力を注ぎ込んでロボットに同じ動きをさせることはできる。横増田が言ってる「プログラムした動きを繰り返すだけ」は昭和の頃から自動車では普通にやってるし、無しでは現代社会は回らなくなってはいるのよ。
だけど、その動きを自動生成することができない。
つーのは、生物は生まれてから10年や50年で機械学習してものを掴んだり操作したりする動きを覚えるわけじゃなくて、小鳥から人間まで共通に持ってる脳のハードウェア処理エンジンをチューニングして使ってる。鹿の子供は生まれてから10分で立ち上がって親についていくというくらい、ほぼ遺伝子に書き込まれて完成済みの専用計算ブロックがある。そしてその構成は完全には解明されていないどころか、まだ具体的にどういう小部分があって同相互接続されているのかさっぱり分からず、工業の分野の数学的モデルで解決しよう(古典・現代制御)とか解明された他の手法を転用してなんとか真似できないか(ディープラーニング™など)と試行錯誤している状態。
このハードウェア処理エンジンは動物に基本的に備わっているから、ハード的に人間の動きをほぼ再現できるロボットを見ると、形には自然と機能が伴うと思ってチャチャッとソフトを開発すれば何でも掴めて人間を置き換えられると思っちゃう。
違うんだよ。この完全に理性とか思考とかいった人類が人類である価値を全く含まない部分が、最低賃金以上の金を支払う価値が全く無い単純極まる肉体労働タスクこそが、種としての人類の最後の砦といっても過言ではないんだ。
よく女の人が、道端で知らない男性にちょっかい出された恐怖体験談をシェアしてたりするけど、
そういう記事には大抵「あるあるですね!私も…」みたいなコメントが付いてたりするけど、
私は生まれてこの方そういうこと何もされた事がないので少し劣等感を覚える。
いや何もされない方が幸せなんだろうとは思うけど。ナンパもされたことないしキャッチにすらほぼ声かけられない。
一応、港区に通勤する地味で小柄な20代女性のはずなんだけど。
彼氏もいるし顔もそんなにめちゃくちゃ悪いとは思わないんだけどな。
もしくは中途半端過ぎて、暴漢にとって面白みがないのかも知れない。
知り合いはいっぱいいるけど、特に誰も私に連絡を寄越したりしない。
自分は誰にとっても(暴漢にとっても)取るに足らない魅力のない人間なんだろうなと思って、落ち込む必要なんてないのに少しだけ落ち込んでしまう。
(追記)
アメリカの影
エルマー・ガントリー
G・I・ブルース
ワン・ツー・スリー
荒馬と女
噂の二人
草原の輝き
片目のジャック
底抜けもててもてて
101匹わんちゃん大行進
樹々の大砲
昼下りの決斗
野望の系列
ハッド
鳥
たたり
5月の7日間
未知への飛行
裸のキッス
殺人者たち
イグアナの夜
赤死病の仮面
不意打ち
ラブド・ワン
ファスタープッシーキャット キル!キル!
キャット・バルー
シェナンドー河
ミッキー・ワン
銃撃
テキサスの五人の仲間
ある戦慄
招かれざる客
ドアをノックするのは誰?
フェイシズ
泳ぐひと
華やかな情事
愛すれど心さびしく
甘い抱擁
明日に向って撃て!
夕陽に向って走れ
雨のなかの女
ジョンとメリー
アメリカを斬る
ハズバンズ
真夜中のパーティ
キャッチ22
さすらいのカウボーイ
断絶
愛の狩人
ラスト・ショー
白い肌の異常な夜
ゴングなき戦い
夕陽の群盗
フリッツ・ザ・キャット
アメリカン・グラフィティ
地獄の逃避行
こわれゆく女
カンバセーション…盗聴‥
三人の女
地獄の黙示録
チャンス
マンハッタン
ロング・ライダース
アルタード・ステーツ/未知への挑戦
レイダース/失われた聖櫃
評決
ダイナー
ハメット
シルクウッド
スター80
再会の時
ラヴ・ストリームス
レポマン
チューズ・ミー
バーディ
ミシマ
最後の誘惑
存在の耐えられない軽さ
ダイ・ハード
ヘア・スプレー
ドラッグストア・カウボーイ
ヘザース
ゴッドファーザーPARTIII
グリフターズ
バートン・フィンク
希望の街
殺人課
夫たち、妻たち
ボブ★ロバーツ
アメリカンレガシー
摩天楼を夢みて
エル・マリアッチ
ショート・カッツ
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
リトル・オデッサ
クラークス
リービング・ラスベガス
デッドマン
誘う女
真実の囁き
スターシップ・トゥルーパーズ
クンドゥン
プライベート・ライアン
バッファロー'66
マーシャル・ロー
メリーに首ったけ
π
スリー・キングス
自分は海外の上座部仏教のお坊さんの本ばっかり。特にメソッドとしてはマハーシ長老系列のね。
読み比べて全然こっちがいいなとなった。
小池龍之介のようなスター坊さんにしても俗っぽさが強めに感じる。
マインドフルネスも、確かに科学的な検証を進めていくことは大事だと思うんだけど、
仏教を中途半端にちぎって美味しいところだけ食い逃げしたつもりで実は重要なこと沢山取りこぼして超劣化バージョンになってるような感じがあって。
瞑想は仏教という宗教由来のもの。で、宗教は昔のなんとなく正しい物詰め合わせだと思ってる。瞑想は科学的検証なんて無い時代に生まれたもの。
たぶんここが我々の考え方の決定的に違う部分だ。
自分の認識では仏教は釈迦と言う天才一代の完璧なアイデアであって宗教ではないし詰め合わせではない。
瞑想による心の観察は現代科学なんか全然追いつかないことは瞑想してる人なら同意すると思う。
(追いついていくための科学的検証はもちろん悪くないことだとおもう)
これは野口誠一氏の本になるが、実際苦しんだ人間じゃないと、他人を救えないという考えがある。地涌の菩薩という。まあ、自分で調べてみて地涌の菩薩は創価臭いのがあれだが、、、。
そういうのも典型的な、智慧ではなく情というか、嫌な意味での日本仏教臭さが敬遠したくなる
と同時に、宗教の名を語り、実際は弱った人間に漬け込んで依存させるタイプの霊感商法も多い。瞑想だのヨガだのを隠れ蓑にしてそういう団体がうごめいている。
ここは全く同感
前述のとおり釈迦のアイデアは現状では科学よりずっと先にいるから
科学がキャッチアップした部分だけで瞑想するのは重要なエッセンスの取りこぼしが激しいと思う
(自分でもこの立場は非科学的であり常識的に言えばヤバみがあるのはわかっている
あなたの態度の方が常識的かつ慎重で本来好ましくあらゆる場面でベースとなるべき態度)
結局無我ということをおさえていく道のバリエーションでしかなくそこを特別に大事にする感じはない
増上慢卑下慢同等慢という考え方とか聞いた時には面白いけどそれで面白がらせてもしょうがないというか
ただちょっと食わず嫌いもあったかもしれないから紹介してくれた人の本を改めて読んでみる
診察室っていうプライベートな空間で医師に言われた内容を他の人間もいるパブリックな空間で薬剤師に言う意味がわからない。
そりゃ薬の飲み合わせ事故の件数が多くてヒアリングを強化している背景もあるんだけど、それって診察室でキャッチすれば済む内容だよね?
もしくは処方箋の書面上で報告とか、医師に提出してる問診票の共有じゃだめなの?
こっちは医師に飲んでる薬も最近の症状も妊娠可能性も全部、診察室というプライベートが守られた空間と守秘義務を持った医師に相談して診断してもらってるのに
それを今度は薬局っていうパブリックな場で薬剤師に掘り返されて、医者に伝えたことと全く同じこと伝えて「僕は●●って思いますけどね〜」とかよくわからない感想文を聞いてあげる意味が本当にわからない。
本人たちが”薬剤師の方がラフでヒアリングしやすい”って勝手に思ってるだけなんじゃない?
しかも薬剤師は何を勘違いしてるのか患者のためみたいな大義名分振りかざしてずけずけとプライベートな情報を聞いてくるわけでしょ?
たとえば精神病が悪化しましたとかHIVかかりましたとか泌尿器系の病気だった場合って誰にも聞かれたくなくない?
薬剤の膨大な知識はインプットできるのに、手元のオペレーションの悪さやプライバシーの守られなさに薬剤師が何も声を上げないの、本当、AIに代替されてもおかしくない職業ナンバーワンでしょ。
AIの方が人間みたいに無駄な感想言ってこないし、恥ずかしい・言いにくいこともどんどん言えるし、早く全員AIに替えてほしい。