はてなキーワード: 地涌の菩薩とは
自分は海外の上座部仏教のお坊さんの本ばっかり。特にメソッドとしてはマハーシ長老系列のね。
読み比べて全然こっちがいいなとなった。
小池龍之介のようなスター坊さんにしても俗っぽさが強めに感じる。
マインドフルネスも、確かに科学的な検証を進めていくことは大事だと思うんだけど、
仏教を中途半端にちぎって美味しいところだけ食い逃げしたつもりで実は重要なこと沢山取りこぼして超劣化バージョンになってるような感じがあって。
瞑想は仏教という宗教由来のもの。で、宗教は昔のなんとなく正しい物詰め合わせだと思ってる。瞑想は科学的検証なんて無い時代に生まれたもの。
たぶんここが我々の考え方の決定的に違う部分だ。
自分の認識では仏教は釈迦と言う天才一代の完璧なアイデアであって宗教ではないし詰め合わせではない。
瞑想による心の観察は現代科学なんか全然追いつかないことは瞑想してる人なら同意すると思う。
(追いついていくための科学的検証はもちろん悪くないことだとおもう)
これは野口誠一氏の本になるが、実際苦しんだ人間じゃないと、他人を救えないという考えがある。地涌の菩薩という。まあ、自分で調べてみて地涌の菩薩は創価臭いのがあれだが、、、。
そういうのも典型的な、智慧ではなく情というか、嫌な意味での日本仏教臭さが敬遠したくなる
と同時に、宗教の名を語り、実際は弱った人間に漬け込んで依存させるタイプの霊感商法も多い。瞑想だのヨガだのを隠れ蓑にしてそういう団体がうごめいている。
ここは全く同感
前述のとおり釈迦のアイデアは現状では科学よりずっと先にいるから
科学がキャッチアップした部分だけで瞑想するのは重要なエッセンスの取りこぼしが激しいと思う
(自分でもこの立場は非科学的であり常識的に言えばヤバみがあるのはわかっている
あなたの態度の方が常識的かつ慎重で本来好ましくあらゆる場面でベースとなるべき態度)
結局無我ということをおさえていく道のバリエーションでしかなくそこを特別に大事にする感じはない
増上慢卑下慢同等慢という考え方とか聞いた時には面白いけどそれで面白がらせてもしょうがないというか
ただちょっと食わず嫌いもあったかもしれないから紹介してくれた人の本を改めて読んでみる
これは情報交換としてであって、なぜこの3人を選んだかだけ。もちろんいい悪いは主観に属するものだから一致はしなくて構わんと思ってる。
なんならきみが、瞑想についていい人間をピックアップしてその理由を教えてくれると嬉しい。
ただ、悪いけど、瞑想についてのやり方がうまいとか、あまり古すぎる人間(僕があげるのなら一休宗純、白隠禅師)は、いざ苦しみを逃れる点では、どうかなと思ったからあげなかったのもある。
慢の感情にきちんと触れているから。慢の感情は承認欲求と結びつき現代社会において非常に陥り、苦しみやすい。2者とも実際苦しんで悟った人間だからな。
これは野口誠一氏の本になるが、実際苦しんだ人間じゃないと、他人を救えないという考えがある。地涌の菩薩という。まあ、自分で調べてみて地涌の菩薩は創価臭いのがあれだが、、、。
久賀谷亮
読みやすいようにはしているが、一応科学文献の参照もあるから。
瞑想は仏教という宗教由来のもの。で、宗教は昔のなんとなく正しい物詰め合わせだと思ってる。瞑想は科学的検証なんて無い時代に生まれたもの。
マインドフルネスは、脳内スキャンができるようになって一部は科学的検証が出来るようになった時代の産物だと思ってる。
と同時に、宗教の名を語り、実際は弱った人間に漬け込んで依存させるタイプの霊感商法も多い。瞑想だのヨガだのを隠れ蓑にしてそういう団体がうごめいている。
だから、科学文献を根拠にしているこの本を出した。正直、もう今の時代本だけでいいと思う。瞑想を取り巻く団体の胡散臭さを考えれば本だけがいい。