はてなキーワード: やり玉とは
ワニのメディア展開の件で、大炎上した件について、自分も数年前に似たような感じで
たぶん、目線としては作者、および電通とかの目線なんでよろしく。
自分はWEBデザイナーだ。ちょうど、大炎上した時はリーマンショック云々とかで超不景気で
中小企業がバスバス倒産した頃だ。ちょうど自分の会社も資金繰りがうまくいかず倒産した。
んで、次どうするかなーと失業保険もらいながらニートしてた頃に
その会社でお世話になった企画プランナーの人から連絡があった。
「バナーを作ってほしい」
最初はそんな感じだった。その企画プランナーさんは自分よりも前に退職したんだが
前職はSI系と教育系がメインのお硬い感じのITだったが、その人の仕事だけは特殊で
割とメディア寄りの事をやっていた。イベントとかそういった感じの。
「盛り上がる」ような事であれば何でもやるっていう感じの人だった。
詳細を聞いた所、どうやら、気まぐれで動物を保護して、その動物との生活をブログで公開していた所
結構な人気が出たらしく、今で言う「バズった状態」になったらしい。まだFBやtwitterが一般的になる前(か、なり始め)
会社ではわりとぶっきらぼうなタイプの人だったんで「動物保護とかするんかい」とちょっと以外だったんだが
・お世話になった人だったから
というような感じだった。そんな感じで、ブログのデザインテンプレをちょいちょいと修正して
若干見た目を良くしてあげた。
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その後も順調にブログを運営していたようで、ちょいちょい連絡を貰って現状を聞いていた。
ちょうどブログ本とかが流行ってた時期でもあったんで、広告代理店等から出版化の打診とかも来ていたようだ。
この辺がちょっとワニとかぶるんだが、広告代理店などのアンテナばりっていうのはまじでめちゃくちゃ早い。
アンオフィシャルな状態から仕掛けが入っている。たぶんなんだけど、ワニもそういうどっかしらのタイミングで
ふわっと噛んできたんだろうな。。
話は当時に戻って
「動物を保護しバズった」のは結果としてそうなったわけであって
「動物を保護した事自体」は完全にこの人の気まぐれと善意から始まった事である。
そういう訳で、この企画プランナーさんは、こういった保護されるような不幸な動物達(虐待やらなんやら)のために
何か出来ないか?という事で、募金?のような感じで賛同者を募る事にしたそうだ。
ちなみにこの時点でも動物に興味が無い自分なんで、色々熱心に説明してくれたんだが
「まぁ何か良いことしたい」って感じなんだろなーぐらいなもんだった。
とりあえず、募金の使いみちは出資してくれた方々とブログとかで交流しながら詰めるとして
去勢とかそういうような方向性で貢献できるような感じを想像していたらしい。
これまでハートフルだったブログ読者達の中で「金銭」がからむ事への何かしら不穏な空気が流れだしたようだ。
まぁただこの時点では、大多数は賛同者だったらしく、このプランナーさんも
ぐらいに言っていた。
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さて、この時点で振り返ると、
事の発端は、この人の完全なる善意でスタートしているんだが、この人は企画屋という側面もある事。
んで、実際に多くの人に注目され、ブログ本化の打診も来ている
という状態だった。
そのタイミングで基金を募るという行動は、スムーズに行けばめちゃくちゃ良い方向につながったに違いない。
動物を保護してからの生活をブログで公開し、注目され、基金を設立し
その基金からさらに動物に対して「良い」事につながる活動をする。
そしてそれがブログ本で出され多くの人の手に渡り、さらに相乗効果が生まれる。
トントン拍子で行ければそうなったに違い無い。
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この基金を開設するにあたって、さすがにそういった知識等が無いプランナーさんは
そういった慈善活動等を通して社会貢献を行う事を種としたNPO団体とつながる事になる。
IT系の会社ながら、そんなイベンターや、慈善活動やらをやってる人たちがいたっていう
今考えれば、色とりどりな会社だったのかなと思う。
そのNPO団体の代表さんに相談し、基金を開設するまでのフォローをおねがいすることにしたそうだ。
そういう点に関しては、このNPO団体のおはこといえる部分だろう。
それのプロフェッショナルな訳だ。
なんとなく始まったブログから、実際にこういった具体的な活動に繋がった事に
自分も、ただブログバナーだけの協力だったり、話を聞くだけレベルの携わり方だったが
何か嬉しく感じた。
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そんな中ちょっと事件が起こる。保護していた動物が死んでしまったのだ。
ちょっと身バレにもつながるんでファジーに書くんだが、このブログのスタートは
「虐待等で傷ついていた動物を、このプランナーさんが保護した」という事からスタートした
ブログだった。その動物を世話や交流を綴っていくという感じのブログだったと思う。
この基金開設のタイミングが自分はよく分かっていないんでアバウトなんだが
この出来事が強く影響していたのは間違いない。
「こういった悲しい事をなくす為の基金にしよう」
という思いは本物だった。
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実際に基金を募るため、NPO団体側としても人々を集めるための動きに出るようになる。
ここで善意のこじれが出てくる。
このNPO団体のスタンスとしては「外部」という形で協力しているというスタンスだったんだと思う。
なんで、この一連の活動に関して
「こんな素晴らしい活動が行われているんです。みなさん知ってください!」
という感じで、中核にいるというスタンスではなかったんだと思う。
このNPO団体は、そういった事を「外部」としてサポートするプロフェッショナルだったわけだ。
そして、そのNPO団体が作ったバナーに掲載された文言が「感動の物語」という一文だった。
この一文がトリガーになる。
動物を保護し、その交流の中で生まれたたくさんの出来事、そのハートフルさに人が集まる
しかし、そんな中動物は他界してしまい、そんな悲しい出来事を起こさないようにしたいという思い
というアウトラインは、外部が纏めるならば「感動の物語」の一言でしか無いだろう。
NPO団体は外部からの目線でそういったワードを選んだんだと思う。
この活動の中心になっている人たちが自分達で「感動の物語」と称している
ように写ったんだと思う。
んで、このバナーを見て自分は「この文言大丈夫なんすか?」っとプランナーさんに訪ねたが
「そうなんだよね。ちょっとこの文言大丈夫なのかなっておもうんだよ…」
とぼやいていた。ここで、じゃあこのプランナーさんが「修正」を出せば良いと思うかもしれないが
このNPO団体さんも完全に「善意」と「前職のよしみ」という感じで協力をしてくれているのだ。
そして、そういった基金設立というようなノウハウに関しては、完全にNPO団体さんの方がもっている。
という訳でこのプランナーさんは、そういった力関係から、このバナーのワードに関して
口を出さなかったようだ。いや、たぶん気を使って言わなかったんだろう。
というような感じだったんだろう。
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さて、そんな不安満点のワードが盛り込まれたバナーは案の定大炎上する。
・感動商法の金集めなんじゃないのか
そういったような意見が多く寄せられたようだ。
ブログのコメント欄も大荒れで、掲示板でもスレッドが立つ等炎上をしてしまう。
そういった負の感情の連鎖っていうのは本当にものすごいエネルギーで
これまで積み上げてきたものを一瞬でふっとばすかのようだった。
ワニの件でも「嫌儲」というキーワードがあったが、「お金」が絡むと本当にすごい事になる。
まったく事実無根な事ばかりが書かれまくるのだ。
このプランナーさんとしてもブログ本の出版というようなメディアミックスを行う事も
頭の中にあったのは間違い無い。
しかし、それは最後の最後にきれいな形でそうなれば良いし、そしてその活動でそういった不幸な動物達に対して
目が向き、世の中が変われば良いと思っていたのも間違い無い。
この「基金」自体でお金を集め儲けようなんて思っていなかったのは、本当だ。
もちろん、このプランナーさんも個人のブログという形でやってたんで、人間臭いところもあったんだろう。
そしてNPO側の情報がネット上にさらされる。代表者の名前、経歴等
なんというか「疑い」の目というのは本当に怖いなと感じた。
「急にプロっぽいクオリティになる金銭が発生している可能性がある」というような疑いをかけられいた。
金銭は発生していないが、まぁ本職の人間がやってるんだからそうだろう。
※プロっぽいクオリティと言われて、内心ふふんと思ってたりしていたが。
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そんな感じで、あることないこと書かれて、一気に燃え上がった。
こんなはずでは…とプランナーさんと話す。
これはもう、経緯をもっと詳しく書き、ブログ読者達にしっかりと理解してもらうしかない。
そうなったプランナーさん、読者にむけてのメッセージを書くことにした。
そして自分はその文章が大丈夫かどうか読者目線で見てほしいとおねがいされた。
んで、そのプランナーさんが出してきた文章は、そのブログでの口調が反映された文章だった。
「謝罪や釈明ならば、もう少し社会的な感じの方がよいのではないか?」
というアドバイスをした。自分としては、プランナーさんが出してきた文を見た時に
その意見を受け、プランナーさんは文章を硬い感じの文章に書き換えた
的な。
んで、これがまた大炎上する。「急に会社っぽくなりやがった!」と。
もうこれに関してはエェぇぇエエエ……!!って感じだった。
疑惑の目ってマジに怖すぎ。
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誰かにすがりたいっていう感じだったんだろう。
自分もなんとか協力したいという思いもあったが、それ以上に、この大炎上騒ぎが本当に
怖くて怖くてたまらなかった。
画像も、ブログCMSの容量制限から設置が出来ず、自分の管理している個人サーバーに
このままだと、ブログソースまで解析されて、自分までやり玉に上がってしまう!!!
連日相談をかけてくるプランナーさんに自分もとうとう疲れてはててしまい
とブチギレてしまった。
あの時のプランナーさんのしょんぼり具合は本当に悪い事をしたと今でも思う。
でも俺も怖かったんだよ…。
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違う部分もたくさんあるんだろうけど、なんというか凄く思い当たる節がたくさんありました。
何ていうか、「一つの事柄」にたくさんの人が携わって行くことで制御が出来なくなっていく感じ。
たとえば「感動」というワードも人によってはまったくの別物なわけだ。
とにかく、何でこうなってしまったんだろうと制御が効かない感じ。
ちょうど、先日の伊集院さんのラジオでも過去に伊集院さんがプロデュースした
バーチャルアイドル?の「芳賀ゆい(はがゆい)」に関して言及していた。
ものすごく分かるわーと思い聞いたわけだが。
以上、何か駄文でした。
保育士グラドルの姿態は心理的虐待(田中俊英) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200225-00164618/
この記事。
消えちゃってるのでやり玉に挙げられたDVD紹介記事の方もリンクしときます。
擁護多いが、リンク先見ると、保育士設定で園児に脱がされたり園児の父と絡むストーリーの動画で、実在の園児に触られるエピソードまで語ってた。単なる兼業グラドルならともかく、これは保育士の仕事踏み台にしすぎ
ダブルワークで片方の仕事の経験や肩書をもう片方に生かすことの何が悪いのか。
いたって当り前のダブルワークの強みを生かしてるだけ。
片方をもう片方に生かすことは「踏み台」なのか。
お答えください。
保育士かグラドルかその両方の職への偏見を持ってないと成り立たない論理に見えるけど大丈夫?
あと、「単なる兼業グラドルならともかく」って言い方から見るに、単なる兼業グラドルでも本当は適切じゃないというお気持ちっぽい。
そこもなんで適切じゃないのか説明してほしいナ。
やり過ぎって何?
具体的に言ってほしい。
はしたない?
けがらわしい?
うわあもうグラドルに対してもAV女優に対しても蔑みのお気持ち満点ですよね。
リベラルぶりながらちょっと油断するとこういう差別丸出しコメントに星が集まるからほんとはてな民は頭悪い。
「年長さんの子には逆に「触っていいよ」と追いかけると逃げる」え、これ合法なの。
2020/02/26
年少の子は「やめてね」といえば素直にやめるけど
年長の子はそうではないので逆に「よーし触ってええぞ」と追いまわしたらお触り癖が治る
という保育士の知見を披露してるだけだったけどちゃんと読めてんのかな。
自分の体を触らせようと年長の子を追いかけてからかうのはやめて。恥ずかしがらせて遊ばないで。スキンシップの方法は他にもあるでしょ。宣伝のために大げさに言ってるのだろうが気になった。
保育園のエピソードとして「触ってくる園児が多いんですよ。そういう時は「止めて!」って言います(笑)。年長さんの子には逆に「触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)」と明かすなど、園児にも大人気のようだ。
こうよ?
"触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)"←これは男性保育士が言ったらダメ感が分かりやすくなるやつだよね…つまりダメ
ふざけて金的やカンチョーとかしてくる子供(男性にもそういうセクシャルないたずらしてくる子は普通にいる)に
「よーしじゃあもっとやれ!」って追いかけまわすみたいな話でしょ。
単純にこっぴどく怒るよりも自分で「セクハラは恥ずかしい気まずいことだ」と感じさせる方が
性についてへんなトラウマにならずに躾られるという気遣いでしょうがよ。
つーかそもそも普通、保育士の体験談をそんな変な意味にとるか?
グラドルというもう一つの職業に対する偏見が読解力をゆがめてません?
仮にこの江藤というグラドルが映像ソフト内で痴女みたいなキャラを演じてるとしても
ねー。
なんだかんだグラドルみたいな仕事の女を見下してんだなーってのがよくわかる。
グラドルなんかやってるハシタナイ女は子供に悪影響だしセクハラして楽しんだりしてそうだと。
叩いてる人達こそグラドルや女性保育士に対する偏見がきつくね?
仮に読まずに叩いてこうなってるんでもやっぱり偏見が相当出てるよね。
子供を盾にする論調は基本信用できない法則/園児が傷つくとしたら周りの悪い大人が先生はこんな悪い事をしてると吹き込んだ場合では
だよねえ
まさにこのブコメの指摘するような、
はっきり口にしないけど明らかにグラドルを「悪い仕事」と思ってないと出てこないような批判ばっかだよねえ
「リスペクトがない」っていうのはセクシーな映像ソフトに使うことが?
なんでリスペクトがないと?
え、じゃあグラドルがダブルワークの職を生かすこと自体がそのもう一つの職の尊厳を貶めるってこと?
プロの保育士がガキのセクハラ矯正法として語ってるのに知見でないとは一体。
グラドルやってるようなふしだらな保育士の言うことだから知見とはいえないってことっスかあ?
まあ一旦「セクハラだー!」って叩いちゃうと引っ込みつかなくなるんだよね。
この人だけじゃない。
"触ってくる園児が多いんですよ。そういう時は「止めて!」って言います(笑)。年長さんの子には逆に「触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)" / ああそういうことか。なるほど。
AbemaTVのアニメチャンネル平日の夜に「声優と夜遊び」という生放送番組が放送されている。
月~金の日替わりレギュラーの声優が色々な企画やゲームに挑戦するトーク番組だ。
金曜日レギュラーが大河元気と関智一なのだが、この関さんのセクハラがかなりヒドいのである。
例えば先日2/14、バレンタインデーの放送では生放送中に港区にチョコを持ってくる人を募集する、という企画があった。
中継先のアナウンサー(というかアシスタント)から「一番最初に来られた方がいます!」と連絡が入ると
カメラが女性の足元を映し「女性の方です~!」と言うと「え、顔は?かわいい?え顔見せてよ!」とはしゃいでいた。
ちなみにその女性は失礼ながらアニメイトでよく見るような典型的な中年のオタク女子というような野暮ったい風貌をしており
カメラがその顔を映した瞬間関さんのテンションはガタ落ち。「あ、そうなんだチョコ持ってきてくれてありがとうね~」と
露骨に当たり障りのない対応をし始め、中継をやり過ごそうとしてい(るように見え)た。
その後中継は一度切れたが、次に中継がつながったときは3人組の女性が来ていた。
2人は顔出しの女性だったのだが先ほどと打って変わって若いきれいな女性だったためテンションがあがったらしく
「可愛いね、え、彼氏はいるの?」や「(大河元気と自分の)どっちのファン?」等とキャバクラでオッサンがやっている言動のオンパレード。
もう1人の顔出しNGの女性に対しても「おっぱい大きいね~」や「(カメラに)胸映してよ胸!」など気持ち悪い言動を繰り返していた。
スタッフもこのままでは良くないと思ったのか「あ、男性の方も来ていますよ!」と男性にチェンジ。
しかし関智一は止まらない。その男性が既婚男性で嫁の代わりに来た(嫁さんが2人のファンだったらしい)と知るや否や
「奥さんはキレイ?芸能人で言うと誰似?」「最後に奥さんを抱いたのっていつ?」と本当に下卑た事しか言っていなかった。
これは一例で、ゲストの声優に対して若い時に苦労した話を聞くコーナーなのに初体験の事を聞いたり
キャバクラではしゃぐセクハラおやじを想定した時の言動そのものなのであり、それが毎週酷さを増しているのである。
fateのギルガメッシュはじめ声優としての関智一はかけがえのないモノだと思うのでこのような事で評価を落としたくない。
幸い、目で見て分かるものではないため今の所フェミニストにやり玉に挙げられていないのが救いだが
(ちなみに大河氏は毎回「関さん!それはマズいです!」となんとか修正しようとしているのだが後輩のため強くは言えていない。苦労人だ)
必ず「危機」の際にはこういうラノベの主人公みたいな物語をこぞって語る。
東日本大震災の時には「無能無能」と政府を罵倒し、実現不可能な自分の考えた解決策をネットで叫んだり、テレビで主張する専門家が後を絶たなかった。
なぜすぐに中国人を排除しなかったかと言えば、法律上そのようなことは非人道的であり重大な人権侵害なのでできないからだし、官僚がなぜ過労死ラインを超えて働いて対応しているかと言えば、官僚の数をケチって減らしていざというときに人手が足りないような体制の国を作ったからだ。
知り合いの霞が関の官僚は、通常業務の時点で目いっぱいまで働いている。
しかし、官僚よりもうまくできると考える人は「官僚の数も予算も人手も足りてない状況」であることがわかっていない。
人手と予算が足りていれば可能なことであっても、いざというときにうてない対策が山ほどある。
「なぜこんなことができないんだ? 無能な官僚どもよ。俺に指揮権をよこせばたちどころに上手く行くぞ」
と有能なことをいう方々いらっしゃるが、その前提は「人間と予算が無尽蔵に使えること」が前提になっているケースが大半である。
普段から人材の数も予算も権限も足りてない状況なのに、いざ事件が起きると「官僚は無能だ」とバッシングするのは簡単だが、それは旧日本軍と同じ愚を犯しているのだよね。
有能な指揮官ならば、まず官僚が「慢性的に数が足りないせいで、国会が始まると泊まり込むか深夜のタクシーに乗って帰る」という状況を改善しようと考えるはずだが、まずやり玉に挙げるのは、「現場がまずい。俺が行けば上手く行く」ということだけだ。
銀英伝でいえば、華麗な戦術ばかり夢見て、兵站を切られて死ぬタイプ。
霞ヶ関退職者が多いそうだ。過労状態で働いてる人が多いのだからそうなりもしよう。
①やれる限りの精一杯をやっている
②自分のほうが上手くやれると思っても、それは何らかの理由でできないケースが多い
サラリーマン金太郎のように土下座したり気に入らない人間をぶん殴ってよっしゃああああああ、みたいな成功譚を語るのは侮辱に等しい。
実際にはそう単純ではない。
俺が言うとおりやれば上手く行く、という話を聞くたびに「実際にやれば上手く行かないことだらけ」「なぜそうやらないのかと思ったら何らかの理由でできない」という想像力と敬意のない人なのだと思う。
東日本大震災でも官僚が過労死ラインをはるかに超えて働いてたけれど、それでも「無能だ」とバッシングされていた。でも、公務員を有能にするために人数を増やすとか、労働環境を整えるとか、そういうことを主張する人は稀。ただ、自分がやれば上手く行くという物語だけを語りたがる。
黄金のマリオ像、というものを知っているだろうか? 1990年代の子供たちの憧れであり、ゲーム屋の怨念を掻き立てるアレのことだ。
任天堂が始めた「任天堂エンタテインメント」というフランチャイズシステムがある。任天堂の卸を担当している初心会に金を払うことで、大作ソフトが多数回してもらえるようになるのだ。通常はゼルダの伝説が20本しか入らないのに、これに入会していると400本入ってくるというわけのわからないシステムだ。かわりに敷地が何畳以上とか、保証金が最低百万だとか、それなりにリスクも追うわけだが。で、入会すると貰えた店用販促物がこの黄金のマリオ像だ。これがおいてある店は結構子供心に輝いて見えたものだ。店主からしたら忌々しさもあったものだろう。
今ではなぜか初心会がかつてゲーム業界を牛耳っていた悪の大組織に扱われ、その象徴としてこのマリオ像がやり玉に挙がることもあるのだが、もうちょっと詳しくここらの事情を書き残すことにする。おっと、私は決して業界内の人間でないので、そんな人間でもわかる範囲内のことと、想像できるものの話ししかしないぞ。
昭和の時代、ファミコンというものが生まれておもちゃ市場は一気に変わっていった。玩具のなかにデジタルデバイスが入り込み、子供たちは夢中でファミコンゲームを買い漁った。マリオ、ドラクエ、ロックマン、スターソルジャー……いろんなゲームが生まれ飛ぶように売れていった。するとどうなるか。街にファミコンショップというものがどんどん増えていった。
任天堂はおもちゃ流通として使っていた初心会を利用してファミコンソフトを全国に出荷した。この初心会とはようするに任天堂と付き合いのあったおもちゃ卸業の親睦会だ。もともとそんな大それた組織というわけではない。
もちろん昭和の時代からすべての小売店が初心会の問屋と取引しているわけではないし、おもちゃ卸業の会社の大多数が初心会に入っているわけではない。そのため初心会に非参加の二次問屋も多数いた。その二次問屋を通ってファミコンソフトを仕入れる小売店もまた非常に多かった。ファミコンが売れると嗅ぎつけた奴らはこぞって店を立ち上げ、夢中でソフトを仕入れ売りさばいた。ゲーム市場がどんどん大きくなり、セガやNECも独自の流通をつかってゲーム市場に乗り込んできた(一部セガは初心会を使ったりもしていたそうだが)。
ファミコンからスーパーファミコンへとプラットフォームを移した頃、いよいよ任天堂と初心会に難題が降り掛かってきた。「小売店が多すぎる」問題だ。
スーパーマリオコレクションを例にあげようか。どうやっても200万本は売れるゲームソフトだ。工場もそれを見込んで確保する。ところが小売店からの注文を吸い上げた初心会への注文は、それを遥かに超える500万本になる。
なぜこのようなことが起きるのか? 小売店が欲しい数をそのまま問屋に注文するからだ。その地方にすむ子供の数を見込んで小売店は注文する。しかし近隣のライバル店も同じ数だけ発注しているのだ。品切れを恐れた小売店の注文は初心会でまとめられたところで重複に重複を重ねた数字になってしまう。
ではそのまま工場をフル生産して500万本作るべきだろうか? 論外だ。そんなことをしたら小売店には大量の売れ残ったマリオコレクションが棚を締めることになるだろう。その結果はどうなるか。値崩れだ。そしてアタリショックの二の舞になってしまう。
よく「クソゲーの氾濫でアタリショックが起きた」といわれるが、事実はまたもうちょっと違う。クソゲーの氾濫の他に「価格の崩壊」もあげられる。小売店は売れなかったクソゲーを値引きする。値引きしたソフトで消費者は買う。そうすると正規の価格ではそもそも見向きがされなくなる。そのため正規の価格が守られなくなりどんどん値下げに走り、撤退・倒産したメーカーが放出した在庫がさらに市場に流れ、価格はさらに落ち込み……というデス・スパイラルが、アタリショックだ。任天堂は絶対にこの現象を起こしてはならなかった。
適正量を見極め適正量の製品を出荷する。その結果は「儲けさせる小売と、そうではない小売とを選別する」必要に強いられる。すべての店に平等にマリオを出荷すべきだろうか? いや、そうではない。不人気ソフトでも買い取ってくれる、不良在庫を引き取ってくれる小売店を初心会は優遇しようと考えた。人気ソフトしか買わない小売店は卸からしたら不要なのだ。そんな店なら上得意の店に回したほうがマシだ、というわけだ。
それまで抱き合わせ販売をして初心会は小売店を選別してきたが、さすがにいよいよ無理がでてきた。この状況を打破するための小売店選別システム。それが上記の任天堂エンタテインメントであり、黄金のマリオ像なのだ。なんなら小売が卸を担当してマージン取って他の小売店にまわしてもよい(まあこれは表向きはNGということになっていたが)。なお、「敷地面積○畳以上」という条件を満たせなかったプレハブのようなファミコンショップも当時は結構あった。
ところがこのシステムもスーパーファミコン末期には崩壊する。任天堂エンタテインメントに参入する小売自体が増えすぎてきたのだ。さらにはその地方に一店も任天堂エンタテインメントに参入していないような状況だとむしろ在庫は拮抗して小売店にとっては不都合がなくなる。そうなると「誰も参入せずに困らない地方」と「全員参入してしまって困っている地方」とが生まれてくる。最終的に「入れば儲かる商材が大量に仕入れられる」から「入らないとそもそも入荷しない」にまで悪化する地方すら生まれたという。小売の選定にも限界が来てしまった。
そうした状況がプレイステーションによって完全に破壊された。ソニーは独自流通で直接小売店に卸たのだ。問屋は不要になった。問屋は今まで選定する立場にいたが、以降は選定される側に回った。初心会内で吸収合併が続き、数をどんどんと減らしていった。初心会外の問屋も潰れるか、吸収されるかになっていった。初心会はいくつかの改革を行ってきたものの、結局プレイステーションの攻勢に太刀打ちできず解散した。解散後も任天堂の意向を汲んだり任天堂に意見をいったりとしてそれなりに機能していたが、岩田社長へと社長交代が行われたあたりでその動きもだいぶ削がれていった。
なおソニー流通でもいくつかのごたごたがあり、最終的にはゲームメーカーが自社独自の流通を持ち直接小売店に卸すようになった。これがPS1後期。今では大手ゲームメーカーの自主流通に、中小サードがぶら下がる形でゲームは流通されている。みんな大好き日本ファルコムはコナミが流通を担当しているぞ。
初心会は決して業界を牛耳っていた悪の組織ではない。アタリショックの幻影に怯えそれを阻止しようと尽力し、結果滅んでいった(厳密にいえば滅びてはいないんだが……)清濁併せ呑む存在だ。黄金のマリオ像は小売からしてみたら忌々しさを覚える象徴だろう。しかし初心会からしてみたら、それなりに自己の正義というものがあったんじゃないだろうか。
※追記
こんなつまらない日記をブックマークしていただけて感謝。すごく嬉しい。いくつかブコメに返信する
>従事る
多数指摘をいただき大変申し訳無い。何分脳が8bit故許してもらいたい
>任天堂を絶賛するやつってこの話題絶対触れないよな。これのせいでメガドライブとPCエンジンのソフトがどれだけ買いづらかったか(入荷数が極端に少ないという意味)
たしかに小売に対して問屋が「他の所とは取引するなよ」と圧力をかけたという証言はあるのだけれど、じゃあ実際どうだったかというとNECがPCエンジンのCD-ROM2ユニットを売り出したときには至るところから寄越せ寄越せの大合唱になったということもあるんで、「上手いこと小売もやっていた」んじゃないかと思う。もしくは問屋も自分のところを経由する形なら文句言わなかったとかかな。
PCエンジンとメガドライブはただただ出荷量が少なかった。めちゃくちゃ売れたイース1・2やソニック・ザ・ヘッジホッグで30万本くらいだ。同時期のスーパーファミコンはミリオンソフトがずらりと並んでいる。小売は当然売れる商材を中心に揃えるわけだから、圧されてしまうのは仕方ないんじゃなかろうか。
そうして売れる商材を揃えている初心会だからこそ、横暴なことをやっても小売は耐えてきたわけだ。単純に販路が弱いっていうのもあるはずだ。スーパーファミコンは初心会とそれに非参加の二次問屋を巻き込んで在庫のやり取りをしていたので品切れをしてもリピートの確保ができた。PCエンジン、メガドライブはそこに余裕がなかったので即メーカー発注になり、そこにも在庫がなければリピート待ちだ。
>権力もってる人間がオトモダチ優遇したりグレーな事やってたりするのを悪の組織と呼ぶべきではないかって言うと・・・
オトモダチ優遇なんて話しじゃないよ。単純なビジネス上の付き合い。ドラクエとマリオしか欲しくない小売は多かっただろうけれど、そんな小売は問屋からしたら何の魅力もない取引先だってことだね。
>ゴールドマリオ像懐かしいな/最近の任天堂絶賛派はこの件を知らないか、知ってても「流石山内組長は商売上手!」みたいに言うのではなかろうか
山内社長から出た案ではないと思う。というか任天堂発案ではないんじゃないかな。マリオ像も販促物も初心会名義だったので、集まった金は初心会で管理していたのだろう。任天堂からしたらどこの小売に儲けさせるか云々はさすがに範囲外だからね。
これに関しても面白い証言があった。確かにROMはリピートに二ヶ月以上かかり、CD-ROMは3週間ほどで生産できたというんだが、「在庫がなくても問屋にある。問屋になくてもメーカーにある。メーカーになかったらいよいよリピート待ちになるが、3週間後でも二ヶ月後でも結局熱が覚めてしまうから同じことだ」というもの。プレイステーションは問屋とメーカーが一体化していたから、初心会内でやりくりしていた任天堂と比較して在庫の数という面では不利になったかもしれない。ファイナルファンタジーみたいなリピート待ち必須の超人気ソフトはさすがに恩恵があっただろうね。
続きを希望されてて嬉しい。実はネタはあるから、気長に待っていて欲しい。初心会から開放された小売がどうなったかというと、あんまり明るい話題じゃないんだけどね。
わたし、不倫してました。今の唐田えりかさんと同じくらいの年の時。
頼れる人として相談に乗ってもらったりしているうちに、世界で一番好きな人になっていました。でも、大丈夫、彼はわたしを相手にしないだろうと思ってすごしていました。
そして、その予想を裏切られ、好きな人に好きだと言われて、嬉しくて仕方なかった日々を覚えています。
この状況から救われたくて、自分の意識を他に向けようとしてました。
世界には、素敵な独身男性がたくさんいるのに、どうしてわたしは不倫の彼が好きなんだろう?と、悩んでいました。
早く自分が心変わりするように祈っていました。
唐田さんが他の男と付き合っていたという記事をちらっとみかけたけど、早く自分の心変わりを願って、自分の恋の軌道修正を試していたのかな?と、想像してしまします。
わたしの場合、決定的に世間の知るところとはなりませんでした。奥さんは疑惑を持っていたようですが、表立った問題にしませんでした。
我々が普通よりも親密なのは他の誰からみてもわかっていたし。ただ、ふたりともただの一般人で、同じ職場だったこともないので、共通の知り合いが少なかったので、大きな騒ぎにならずに終わりました。
出会ってから9年。付き合いだして5年くらいかかって、終焉を迎えました。
不倫の代償なんでしょうが、非公式SNSに書きつづったことまで暴かれてる唐田さんを見ているうちに、かわいそうになってきました。
「男の作った作品」という全般の概念が叩かれる事は多いが、やり玉に挙げられるのはハレンチ学園とかくらいで
実際はそんなに叩かれる事は少ない。
逆に人工知能学会の絵、女の世界は~系、ハーフの女を生みたい、女の友情は~等々、
対象者がはっきり特定されるものの大体は、女性が企画したり、表現したりしてるという事が多い。
ひょっとすると、女性より男性の方が、そこら辺の「セクハラ」の概念に対してはセンシティブなのかもしれない。
「アイズ」なんかも、水着姿を撮って雑誌に載ったのをからかわれたヒロインを主人公が守ろうとしたり、
盗撮魔から救おうとしたり、「女性を性的に消費する輩から守る」というヒーローを演じたいという少年たちの欲求を描いている。
男は女性を「女性扱い」するから、そういった男の生理的欲求を兎に角悪として描こうとする。
ハーフの女を生みたいとか、女の友情は何々とか、男が描くと逆にブレーキがかかったのではないだろうか。
逆に女性作家は、女性を「人間扱い」する。ハーフの子を産みたいだとか、目の死んだ女ロボットとかを、当然の生理や現象として捉えて描こうとする。
男の反応にしても、大半の男は欲求に素直なので、ヒーローを描いたりせず、エロに沸き立つ男を率直に当たり前の生理的欲求として描く。
フェミニストが「男が女を守ることが前提の社会」を目指しているのはよく指摘されている。
スラングで言われるような「チンポ騎士」に囲まれた生活を良しとして、それを当たり前で当然だと思っている。
大学進学をきっかけに関東に出てきてセクハラの多さとナチュラルに女ディスする人とかいることに驚いた。田舎だし偏差値60半ばの自称進学校だったからかもしれないけど、それまで女ディスとか聞いたことなかった。関西で電車乗ってて痴漢とかあったことなかったし。(あるにはあるんだろうけれど)通ってる大学のレベルも一応そこそこなのに……。
それとも関西で進学してても大学生ってこんな感じなんだろうか?
「東京は地方出身者の集まり~~」とか言われる前に書いておくと、セクハラとかしつこくしてくる人ほぼ全員生まれも育ちも東京。それ以外も埼玉とか千葉とか関東出身。
九州が男尊女卑でよくやり玉にあげられてるけど、九州出身の人は距離近いなとは思うけれどド下ネタとかは言ってこない。なんなんだろ
グレタについては、ガキがなんか言っとるというか、俺もそういう時代あったよ(ほっこり)的な目で見るし、あんまりどうこう言いたくない。
しかしグレタつかってキャンペーン張ってる活動家どもは積極的にぶんなぐりたい。
グレタみたいなやつがいたら、まずは大学出て勉強してから参加してくれよな、と言ってあげるのがグレタのためちゃうんか。
活動家界隈では、そうやって子供を一旦戦場から遠ざける美談けっこう聞くだろ。
グレタにとってよくない。いやもう奴は致命傷だ。グレタの人生はかなりもうヤバイ方向にふれてしまった。取り返しがつくかわからない。それはグレタを壇上に挙げたクソ野郎のせいでもあるし、俺のような素朴な反感を我慢できなかったネット人類全部のせいでもある。
まだ見てなかったので今さらガイアの夜明けの大戸屋回を見てみたがおいおいおいおい、これそんなにひどい内容?
番組としては法改正により残業時間を減らすことを上から求められた3人の雇われ店長がそれぞれ違ったアプローチで残業時間の削減に挑む。
叩かれてる新宿の店長の残業時間が70時間くらいで安定しており、おそらく一番支持を集めそうなタイミー(一回限りの短期バイト)頼りの店長が大失敗して最多残業時間(96くらい)叩き出してたのが印象的でした。
あと最後の努力によって残業45時間下回ったよ!の時間が42と44だったのも味わい深かったですね。
残業時間を減らしたい!と言っても大戸屋の特徴である店内調理はなるべくメスをいれず(唐揚げに切り分け済肉を導入するのしか無かったように思います)社長の店内調理へのこだわりを感じられる番組でした。
以上!
オタク差別って、実際にはオタクじゃない人間のステレオタイプによって強化された。
源流をどことするのは難しいが、80年代後半の宮崎勤事件にフォーカスしてみたい。
このあたり、調べてみるといろいろ面白い。
まず、やり玉にあがるのが「宮崎勤」だが、彼は、最初は「アニメやホラー映画愛好家や大量のビデオテープ所持」としてテレビやワイドショーが紹介している。しかし、その後、ペドファイルからオタクという極めて雑な流れでオタクバッシングへとつながった。
このあたりの流れ、極めて重要なのだが、「ホラー映画のテレビ放送の自粛」なども起きており、オタクに対する規制と差別のみが強化された原因はほかにある。
まあぶっちゃけて言うと、「某自称オタクサブカル芸人」なんだよね。
この芸人というのは、宮崎勤後、かなりテレビに出まくった。言ってしまえば奇妙なキャラ付けでオタクを自称し、テレビでオタクってキモいでしょ? という偏見を持ってもらうことを仕事にしていた。
オタクのステレオタイプを強化し、妙なキャラクターづけで、「オタク評論家」としてメディアに露出しまくった。
それだけではなく、いまでいうところのストーカー行為なんかを紙面でやって裁判沙汰になったりしている。
「オタクの元祖」とかいう紹介をされると、烈火のごとくその当時のオタクが怒り出すこともある。
オタクはダサくて陰湿で気持ち悪い異常者、というコンセプトのタレントを、そのままメディアが時流に乗って重宝し、その結果、オタクの差別がより強化された。
なにより反感を感じるのは、そのオタクのキャラ付けが「演じられていること」だったろう。
オタク差別は、その芸人が「気持ち悪いオタク」を演じることによって一気に広がった。
しかし宮崎勤を語っても、「そのサブカル芸人が自分を売り出すためにオタクをコケにする演出を行い、テレビがそれを利用した」ことはなかなか振り返られない。
オタク差別などないという人は、この構図を今一度振り返ってほしい。
おそらく、他の差別に対しても得られる教訓があるだろう。
皮肉かジョークのつもりなんだろうけど事実その通りだと思うよ。容姿差別であり性的消費そのもの。あれを批判しない程度の連中が、他の問題とやらをいくらやり玉にあげても何の意味もない。悪臭紛々たる地獄の釜の蓋を開けっぱなしにしたまま、眼の前を這う小さい虫に毒があるかないかを必死に論じてるようなものだよ。
それでも、無理筋を承知の上で擁護するなら、せいぜい「誰もが自分のことを何割か増しで美男美女だと誤認識しているから、少し顔の造作の整った俳優が演じないと逆にリアリティが感じられない」説、くらいかな。でも、それ自体、世間の容姿差別を前提にしてることになるから擁護としてあまり意味が無い。「過剰なダイエットへの警鐘として痩せたモデルの使用を禁止する」のは妥当なわけだから、「過剰なルッキズムへの警鐘として整った顔の俳優の使用を禁止する」することには妥当性がある。
昨今の『自称フェミニスト』の発言を見る限り、残念ながら日本のフェミニズムは完全に死んだ物としか思えない。
そもそもフェミニズムとは『不自由だった時代の女性の解放』『性的な自由を求めた自己決定権』を求めたいわゆる『自由を求めた人々の運動』である。
しかし、今日本で唱えられている主張はやれ『アニメ・漫画を規制しろ』だの『公共的な場所に性を想起させるものを置くな』だの、真逆の主張を続けている。
これは、日本で唱えられているフェミニズムが全て『ラディカル・フェミニズム』(急進的女性主義)なのだが、これが一般的なイメージの『女性に優しい社会を作ろう』というものと全く違く、それどころか真っ向から敵対している主義であるのが原因である。
『ラディカル・フェミニズム』の最終的な目標は『結婚や家庭自体の廃止』や、『男性の社長や役員の廃止』『男性向け性的サービスの完全根絶』等『社会の根幹的な物自体の改革』が目的の活動である。
しかし、海外ではこの主張は全くと言っていいほど受け入れられていない少数派、それどころか海外では主流の『リベラル・フェミニズム』とは真っ向から対立している集団である。
なぜ、海外では受け入れられないかというと、この『ラディカル・フェミニズム』の主張者の多くが『キリスト教原理主義団体』や『白人主義』等の胡散臭い団体に所属しているからだ。
何故、普通なら真逆の差別主義者が『フェミニスト』を名乗っているかというと、内容をすり替えて行けば自分たちの主張を通しやすくなるため、その下準備として『女性』をシンボルに掲げているに過ぎないからだ。
(例:性的なアニメ・漫画は見ていて不快だから自粛しろ⇒黒人は見ていて不快だから自粛しろor性的な物が公共の場にあると問題が起きる⇒〇〇教の物が公共の場にあると問題が起きる)
そのため、『ラディカル・フェミニズム』の主張者は『問題が起きる前に撤去しろ』『表現や思想を自粛しろ』という主張は行うが、実際に風俗営業を行っている女性の賃金向上や男性の家庭への参画(いわゆる主夫)、風俗営業を行ってる女性への職業あっせんなどの現実問題への活動は全く行っていないのが特徴だ。
何故なら彼らor彼女らの目的は『女性の解放』ではなく『自分が差別しているものの排斥が簡単に行える社会』の実現であり、その足掛かりとして女性を利用しているに過ぎないからだ。
では何故日本だけはこの『ラディカル・フェミニズム』がやたら根付いてしまっているか、というと日本は奴隷として扱われた時代が無いため『白人主義』への嫌悪感が少なく、宗教観が薄いため『キリスト教原理主義』を唱えられてもピンとこないため、そういった胡散臭い団体の隠れ蓑としてピッタリだからである。
また、いわゆる『純血主義』が根強い国でもあるため、『自分と異なる物は徹底的に排除したがる』という国民性も『ラディカル・フェミニズム』にはプラスに働いてしまっている。
要するに『自分の理解できない得体のしれない物は差別・排除しても問題ない』という発想が根底にあるため、過激な言動や行動が容易に取れてしまうのだ。
(いじめ問題もこれが根底にあるが、本題ではないためは割愛する)
さて冒頭で『日本のフェミニズムは完全に死んだ』と言ったかというと、かつて女性の自由を求めて戦った『女性解放運動』は今主流となっている『ラディカル・フェミニズム』の真逆である『リベラル・フェミニズム』の運動だからである。
かつて政府や社会から規制されていた『表現の自由』や『性の解放』を求めて運動していた人々の名だけ借りて、今は『表現の規制』と『性の抑圧』を求めて運動しているのが今の日本のフェミニズムなのである。
現在のフェミニストの活動が活発になればなるほど、日本は過去の差別的な社会に戻っていくだろう。
いや、既に一部は戻っているのかもしれない。
長々と書いたが、フェミニストの大好きな『海外のフェミニストの意見』を持って締めくくりたいと思う。
法学者でもあり、アメリカ自由人権協会初の女性代表で、アメリカで最も影響力のあるフェミニスト、ナディーン・ストロッセンの言葉だ。
「ポルノをやり玉にあげる検閲は、性差別や暴力を減らせない。本やメディアを求める男性層と性差別や暴力を行う男性層は全く異なるからだ」
>「女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージが含まれてしまう。
わかるよ古典的な強いフェミニズム論だもの。どっかで勉強したんだろう
しかし、こういった負のメッセージを一切排さねばならないという話が最終的にどうなったかまで勉強しなかったのか。
80年代のフェミニストたちは、この理屈を「ブラジャーは抑圧」というスローガンとともに用いた。
ブラジャーをして胸のかたちをよくするのは男ためだと思われたからね。
セクシーさが市場で売れることは女が男を歓ばせるのはいいことだというメッセージだったからね。
胸が開いた服の女性やミニスカートの女性もやり玉にあがり、フェミニズム的じゃない女性、名誉男性扱いされた。
そうしてフェミニズムは、むしろ女性をこそ攻撃することになり、衰退したんだ。
今、お前も同じ轍を踏もうとしている。
悪いメッセージを読み取り得るものを全て排するなら、どんなものだって排することができるし、してしまう。
お前がオタだっていうなら、何か好きなコンテンツを上げてみろよ。俺はそれについて、これこれこういう悪いメッセージが含まれるから公共の場に出るべきではない、と述べることができる。そうだな? ヒプマイとかか? なんでホストに貢ぐこと推奨しているの? それらは決して表にでるべきではないのか? 町おこしのためのコスプレはどうだ? エロい服もけっこうあるぞ? 煽情的な上に公共がやってるのでは?