必ず「危機」の際にはこういうラノベの主人公みたいな物語をこぞって語る。
東日本大震災の時には「無能無能」と政府を罵倒し、実現不可能な自分の考えた解決策をネットで叫んだり、テレビで主張する専門家が後を絶たなかった。
なぜすぐに中国人を排除しなかったかと言えば、法律上そのようなことは非人道的であり重大な人権侵害なのでできないからだし、官僚がなぜ過労死ラインを超えて働いて対応しているかと言えば、官僚の数をケチって減らしていざというときに人手が足りないような体制の国を作ったからだ。
知り合いの霞が関の官僚は、通常業務の時点で目いっぱいまで働いている。
しかし、官僚よりもうまくできると考える人は「官僚の数も予算も人手も足りてない状況」であることがわかっていない。
人手と予算が足りていれば可能なことであっても、いざというときにうてない対策が山ほどある。
「なぜこんなことができないんだ? 無能な官僚どもよ。俺に指揮権をよこせばたちどころに上手く行くぞ」
と有能なことをいう方々いらっしゃるが、その前提は「人間と予算が無尽蔵に使えること」が前提になっているケースが大半である。
普段から人材の数も予算も権限も足りてない状況なのに、いざ事件が起きると「官僚は無能だ」とバッシングするのは簡単だが、それは旧日本軍と同じ愚を犯しているのだよね。
有能な指揮官ならば、まず官僚が「慢性的に数が足りないせいで、国会が始まると泊まり込むか深夜のタクシーに乗って帰る」という状況を改善しようと考えるはずだが、まずやり玉に挙げるのは、「現場がまずい。俺が行けば上手く行く」ということだけだ。
銀英伝でいえば、華麗な戦術ばかり夢見て、兵站を切られて死ぬタイプ。
霞ヶ関退職者が多いそうだ。過労状態で働いてる人が多いのだからそうなりもしよう。
①やれる限りの精一杯をやっている
②自分のほうが上手くやれると思っても、それは何らかの理由でできないケースが多い
サラリーマン金太郎のように土下座したり気に入らない人間をぶん殴ってよっしゃああああああ、みたいな成功譚を語るのは侮辱に等しい。
実際にはそう単純ではない。
俺が言うとおりやれば上手く行く、という話を聞くたびに「実際にやれば上手く行かないことだらけ」「なぜそうやらないのかと思ったら何らかの理由でできない」という想像力と敬意のない人なのだと思う。
東日本大震災でも官僚が過労死ラインをはるかに超えて働いてたけれど、それでも「無能だ」とバッシングされていた。でも、公務員を有能にするために人数を増やすとか、労働環境を整えるとか、そういうことを主張する人は稀。ただ、自分がやれば上手く行くという物語だけを語りたがる。