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はてなキーワード: 日本赤十字社とは

2020-01-11

順調にフェミ反社認定され始めていて草

フェミのせいで献血アニメコラボの告知が大幅縮小する。日本赤十字社の人も献血量減少に危機感を抱く事態に。

https://togetter.com/li/1452403

当時から命の関わる問題からいい加減にしろよと言われていたにも関わらず、左翼フェミマスコミ等も利用して、余りにもあるゆる手段を使い、嫌がらせ粘着をし続けたから、予想通りの事態が起こった模様。

コレ普通にオタク表現の自由戦士だけの問題ではなく、医療関係者や輸血が必要な人々も敵に回す問題だったから、こう言われるのも残当

神奈川県赤十字血液センター、宇崎ちゃん献血コラボキャンペーン告知をサイトに復活させる→また削除する

https://togetter.com/li/1453262

しかしこれ再度削除されたって事はまーたフェミお気持ち表明でもしたのかねぇ?

こう言う事しているから更に嫌われるんだが。

「ツイフェミフェミニズムは違う」と主張する人とのやりとり

https://togetter.com/li/1452633

同じと言うか日本フェミニズム自体元々一部キリスト系のカルトやその手の宗教、そしてNGO団体などの思想が絡みまくって、ラディカルフミニズムや純潔教育が元になっている代物なので、明らかにツイフェミよりも醜悪な代物であるしか言いようがないのだけどね。

共産主義社会主義思想根底が良かったと言っている様なもの

しかし内部からパージしだしたって事はそろそろ瓦解するのも近そうだね。

2020-01-02

ヘビー献血から日本赤十字社へのクレーム

当方、毎年上限1200mlの献血を続けているヘビー血液袋にござる。

 

言いたいことはただ一つ。

キャンペーンやるならもっと早く周知しろである

 

みんな大好きな宇崎ちゃんキャンペーンを例に取ろう。

キャンペーンが周知されたのは2019/9/26

キャンペーン第1弾は2019/10/1~31

キャンペーン第2弾は2020/2/1~29

400ml献血成分献血が条件である

それぞれ別のクリアファイルが特典になる

 

おわかりいただけただろうか?

このキャンペーンを制覇するには、①2019年10月時点で献血可能であり、②2020年2月時点で献血可能である必要がある。

当方、年1200mlの献血を続けているヘビー血液である。400mlの献血は年3回しかできないのである。また、1回ごとに2ヶ月のインターバルをおかねばならないのである

また、当方成分献血ができないのである。血管が細いのである

 

このキャンペーン当方が制覇するには、1年前には告知してもらわないと困るのである。宇崎ちゃんシフト献血スケジュール必要である

当方、これまでは興味あるキャンペーンがなかったのでよかったものの、この先もし興味のあるキャンペーンをされると非常に困るのである

そのリスクを考えると、来たるべきキャンペーンまで献血をしないのが最適解になるのである。これは日本赤十字社のねらいではないと思うのである

あるいは、ヘビー血液袋もキャンペーンに参加できるナニガシかを考えてほしいのである記念品の盃とか使い道ないものいらないのである

日本赤十字社にはヘビー血液袋のことも切に考えてほしいのである。一時期のMNP競争養分と化していた既存ユーザーのような気持ちである

 

以上でござる。

2019-12-10

完全に引き際を見誤りすぎだろう

太田啓子をはじめとした日本赤十字社への攻撃続行により、実在人物を用いた献血キャンペーンにも影響が出かねない?

https://togetter.com/li/1440910

少し前のゲンダイ社会学者お気持ちでもそれは判ったしなー。

フェミに関しては率直に言って、完全に引き際を見誤っている状態

博打で言う所の負け続けて、いい加減切り上げないと本気でやばい所まで来ているのに借金をしてまでやり続けて、自分では止められない状態に入っている。

コレ、フェミ当人達は当時の成功体験から公共だの破廉恥だの言い続けていれば、世論が味方に付くと楽観視しているけども騒げば騒ぐ程、フェミ自身倫理観の無さが世間に表面化されてしまっている状況に入っているのだけどね。

言わば、この人達お気持ち優先の為ならば、他者の命すらどうでも良いと言っている様なものからね。

ただその傾向は当時の子供の権利を盾にして、規制ばかり推し進めて、結果保護施設予算がつかなかった過去の経緯からでもバレてはいるのだけどさ。

今回の場合はそれが世間にも表面化し始めただけの話。

これに気づいていないのは当人達だけだよ。

もしこれでマイナスの結果を叩き出せば、それこそフェミ責任問題になるのだけど、当人達はそれこそ増長しきって、世論は私達の味方と慢心しきって楽観視しているから、もしその様な事を起きても他罰主義なのもあって、どうせオタクが悪いとか責任転嫁をし始めるよ。

断言しても良いよ、この辺は。

多分ここまで下らない話題粘着して、同じ話題攻撃し続けるのはそのたかオタクときに負けたと言うプライドの高さから来るのかも知れないね

そのせいでドツボにハマっているし、最後は間違いなく、フェミにとっては偉い事になると思うよ。

日本に限らず、今やフェミはそのフェミが良く例えで出す海外でも嫌がられ始めているのは事実なのだから

2019-11-22

https://abema.tv/channels/abema-news/slots/Du8rW9A5Xrt2jH

11/22アベプラフェミニズム討論テーマ

献血PRポスターに胸を強調したアニメキャラ 理解できる?or理解できない?

概要

・「日本赤十字社」が漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」とコラボし、”献血PRポスター”を製作炎上

争点のポイント

・「女性性的対象化」を、公の場で容認している?

そもそも”過度に性的ポスター”に当たるのか?

職場で男女の服装・身だしなみに差がある 理解できる?or理解できない?

概要

女性メガネ禁止問題

・#kutoo運動

争点のポイント

・”女性らしさ”をどこまで強要されるのか?

・無理をしてでも”キレイ”でいなくてはいけないのか?

●「フェミニズム運動活性化」を女性非難女性内での分断)

・今まで男性バランスをとってうまく生きてきたのに、問題顕在化されると逆に肩身が狭くなる

女性差別に声をあげないと意識が低いといわれる、物言う女の圧力が怖い

議論を呼ぶことは女性のためと言いつつ、女性のためになっていない、余計なお世話

以上、ただのフリップの書き写し。めもめも。

あっという間に終わっちゃった、10分といわずに1時間拡大してもっと討論してほしかったぜ・・・

2019-11-14

北村紗衣先生にとって乃木坂46発言自発性阻害に見える? 追記

前提

北村紗衣先生は、

できれば次回以降デザインもっと留意して改善してほしいと考え、発言しています

と言う一方で、実際のデザイン乃木坂46による広告)が(北村紗衣先生定義するところの)倫理的理念という基準に反しているようなのに批判しないので、先生倫理的理念を実際の広告を例にすれば明確になるのでは、と思って質問しています

日本赤十字広告改善してほしいという北村紗衣先生希望は、不明確な基準のままで改善要求するのなら、「基準は教えないけど、私がOKを出すまで仕事をやり直して」と指示するパワハラ上司のようです。でも北村紗衣先生パワハラ上司ではないので、自分発言デザイン改善したいと望む限り、発言が示す基準を明確に更新し続けるはずです。この意味で、増田による質問への回答は(質問者の増田だけでなく)北村紗衣先生にもメリットがあります

元増田さんが書いたように、好感度高い有名人献血を呼び掛けたときの方が自発性が低くなるのではという疑問があります。それに加えて、実際のデザイン乃木坂46による広告)では、直接献血をするようはっきりと書いてあり、自発性が低くなるのではという疑問があります

自発性尊重する倫理的理念と直接指示・婉曲質問

北村紗衣先生自発性理解するために、直接指定・婉曲質問という言葉定義します。この観点では、乃木坂46による広告の方が自発性が少ないとみなせます

直接指定 相手の行動をそのまま指定すること。(例 乃木坂46による広告の「あなた献血に行けば私は嬉しい」、「絶対この機会に献血をした方がいいと思う」)

婉曲質問 相手の今後の行動に関係する質問をすること。(例 「まだ献血経験なんスか?注射が怖いんスか~?」(献血した方がいいとは言わない))

直接指定の内容が正しければ、相手選択肢はなく指定された行動を取るしかない、自発性の乏しい状況です。

婉曲質問の内容が正しくても、答えに選択肢の幅があり、関係する行動を取らないこともできます。例では、注射が怖くないと否定すると献血につながりますが、注射が怖いと認めてしまえば、(とことんからかわれる代わりに)献血に促されにくくなります婉曲質問における自発性は、選択肢を選べるわずかな分、直接指定よりはあります

乃木坂46による広告北村紗衣先生定義する倫理的理念という基準に反しているので、先生乃木坂46による広告批判するか、非難しない理由を明確にしないと、先生倫理的理念一貫性がないという疑い妥当です。

コメント

hanyan0401

元増田ちゃんと「理念限定ということにしても変わらない」とあらかじめ書いており、そこを見落としたか誤読したとおぼしきブコメへの反論までしているのに、まだ「曲解」と主張する方がいるのだなと

元増田さんとこの増田は別人で、元増田さんの書いたことに頼って書いたので、おかし理屈があれば、単にこの増田理解不十分のせいです。すみません

Ayrtonism

これも0点。「呼びかける=自発性を阻害する」なんて、氏は一言も言ってない。曲解マジ見苦しいから速やかに止めた方がいい。

その通りです。北村紗衣先生は直接的な呼びかけが望ましくないかどうか発言していません。婉曲的な「注射が怖いんスか~?」は自発性尊重する倫理的理念に反しているなら、より自発性の低い直接的な呼びかけも倫理的理念に反しているように見えているのか確認しないと、先生批判一貫性がないことになってしまます

増田は、直接の呼びかけは「不適切広告なんでしょうか?」と質問しているだけで、自分理解は何も書いていません。その理解が曲がっているかどうか以前に、増田理解が見えるとすれば、Ayrtonism さんは超能力者でしょうか?何が見えているのか、教えてください!

voodoo5

流れを見てると、saebou氏はお母上が亡くなられたことでSEALSの女子高生(家でお母さんがご飯作って待っててくれてる)や日赤やついでにキモオタに対して報復八つ当たり)してるのかな?と穿った目で見てしまう。

安心してください。お元気ですよ。北村紗衣先生の「献血ポスター問題について 」の最初に書いてあります

sadamasato

曲解して難癖付けてるだけだと、そろそろ気づきなよ。あまりに下らない難癖で返答の価値もないエントリだけど、無視されたら勝利宣言でもするつもり?攻撃したいという欲望だけで動いていて、本当に気持ち悪い…

不適切広告なんでしょうか?」と質問しているだけです。書いていない増田理解が(曲がって)見えるとすれば、sadamasato さんも超能力者でしょうか?何が見えているのか、教えてください!

北村紗衣先生が直接指定の形をとる表現の可否を示さず、ただ改善するべき、と発言を続けるなら、デザインする人や日本赤十字社は基準がわからず、何も広告できなくなるかもしれません。それは誰の勝利でもありません。

Arturo_Ui

全体的には「役に立つ行動だから協力を」という趣旨の呼びかけで、「自発性の阻害」には当たらないだろう。だが、「血液検査の結果の通知」を得られるから無償協力」に抵触する、という理屈は流石に馬鹿すぎる。

Arturo_Ui さんは、直接「絶対この機会に献血をした方がいいと思う」と勧めるのは献血について自発性を阻害せず、婉曲的な「注射が怖いんスか~?」と勧めるのは献血について自発性を阻害すると考えているのでしょうか?もしそうなら、その理屈を教えてもらえませんか?

北村紗衣先生がだめだと言っている売血は、お金をもらうという意味自分のためであるだけでなく、血液提供するという意味他人のためでもあります。「血液検査成績を希望すると、健康状態も知れて「自分のため」にもなる。」と乃木坂46が言っているのと、グラデーションが違うけれど大枠では同じです。もちろん、そのグラデーション大事なので、私は許容範囲だと書きました。東京都赤十字血液センターの検査サービスと似たレベル検査を受けると2,100円かかる場合があります(料金にばらつきはあるので、参考です)

ここで質問しているのは、「「血液検査の結果の通知」を得られるから無償協力」に抵触すると北村紗衣先生が考えるかどうかです。どこまで許容するのか、一切認めないのか、まったく不明です。Arturo_Ui さんの主観馬鹿に見えていても、それは議論の外の話です。

Outfielder

多分、北村先生あんまり具体的なことは考えてなさげなので、何を投げ掛けても「そんなことは一言も言ってない」以上の答えはたいして帰ってこないと思う

「そんなことは一言も言ってない」のはこの質問本質ではありません。「できれば次回以降デザインもっと留意して改善してほしいと考え、発言しています。」と書いて、他者である日本赤十字社に先生発言を取り入れるよう要求しているからには、先生から考えて不明確な発言を補わない限り(北村紗衣先生の考える)改善他者不可能でしょう。高い倫理性を他者に求めた北村紗衣先生なら、高い倫理性にもとづいて返答する可能性もあるかもしれません。

2019-10-31

主にポスター擁護派の言論脆弱さについて

https://anond.hatelabo.jp/20191029132449 の補記


このまとめが私の言いたかたことに非常に近い。私自身が4ページ目で「線引き」という言葉安易に使ったのは失敗であった。後述するが、線引きは必ずしも必要ない。

まさしくそのとおりである。これは1ページ目に書いたとおり、赤十字には表現の自由があり、何を表現するかは赤十字判断をすればいい。最終的には、赤十字にとってのコストパフォーマンスにより決定されるであろうと考えている。


私は、表現自主規制を行う上で、法律上の「わいせつ性」を基準とすることは不適切であると考えている。

世の中にはいわゆる「成人指定」あるいは「R-18指定」という仕組みがあるが、これらの規制自主的に行われている。法的な「わいせつ物」はそもそも流通不可能であり、一般流通している「成人向け」コンテンツはすべて法的に「わいせつ物」ではない。では、どのようにして成人向けコンテンツレーティングが行われているかというと、業界団体による自主規制ルールによる。もちろん、各都道府県系には青少年健全育成条例のようなものがあり、レーティングゾーニング実施要求している。しかし、レーティング主体は、あくまでも表現者である業界団体側に委ねられている。言い換えると、現在日本においては、法的にわいせつであるかどうかを基準とした運用は、成人向けコンテンツに対してすら行われていない。

以上の理由より、私は、法律ベースラインと置く言説には説得力が乏しいと考えている。もちろん、「法律で認められているものOK」と強弁すること自体可能であるが、周囲の同意が得られるかどうかは別である私自身はむしろ、件のポスター擁護する上では、このような極端な言説を用いるのは悪手であると考えている。

これらのコメントは、現実的自主規制ルールについての言及である

男女共同参画視点から公的広報の手引」は、多くの機関にとって最低限満たすべき基準となるであろうが、一方で、非常に概念的な内容にとどまっており、個別表現に対する評価には使いづらいように思われる。そういう意味では、CEROレイティングは、個別表現評価する上では、より有用かもしれない。ここで重要となるのが、CERO(や映論やビデ論など)のレーティング基準は、これまでの議論社会的な情勢を踏まえて策定されており、ある程度の社会通念上の合意が得られたものとして運用されているということであるコメントには「落とし所など無い」という意見散見されたが、多くのコンテンツは、すでに「落とし所」すなわちレーティングに基づいて運用されている。そして、想像ではあるが、このようなレーティング基準の背後では、規制強化派と規制緩和派の綱引きが常に行われているのではないだろうか。

赤十字がどのようなレーティング基準採用するかは、赤十字自由であるしかし、「法的にわいせつ物でなければOK」といった基準採用しないであろうことは、かなりの確度をもって確実だと言えるであろう。

後半の指摘に注目されたい。いわゆる「レーティング基準」というほど明確なものではなくても、赤十字が内部的に表現基準を作ることは十分に有り得る(むしろ、すでにあるのではないかと思う)。このような内部基準は、過去の事例へのフィードバックを基に更新されていくであろうし、性的要素以外にも、ブランディング多様性への配慮なども含めて運用されていくだろう。そして、内部の表現基準曖昧定義されることも予想できる。「各要素を勘案して、不要性的に映らないようにすること」といった基準は、組織内部では問題なく運用される。担当部署感覚が共有されていればよいだけなので、肌の露出割合といった、客観的基準必要とされない。言ってしまえば、まさに「ムラの掟」ならぬ「日赤広報部の掟」があれば十分である

繰り返しになるが、このような内部基準は、表現の自由問題とは直接的に関係がない。赤十字には、当然ながら表現の自由存在する。しかし、赤十字が実際にどのような表現基準をつくり、どのような表現を外部に対して行うかは、赤十字裁量に委ねられている。表現の自由を前提として、それをどのように行使するかの話である

前述のような前提に立つ場合、この問題は「ポスター批判派 v.s.ポスター擁護派」の構図ではない。この問題は、「ポスター批判派 v.s. 赤十字」と「ポスター擁護派 v.s. 赤十字」という、個別の2つの問題である。両陣営とも、赤十字自分の好みに合う表現基準を設定するように、赤十字ロビイングをするだけである。ここで赤十字に対して「あなたには表現の自由がある」と言ったところで、赤十字からすればそのようなことは既に自明であろう。赤十字にとっては、自由を前提として、どのような配慮を行うべきかこそが課題であり、「表現の自由」や「法的なわいせつ物」の話を引き合いに出されたとしても、あまり参考にはなりそうもない。また、ポスター批判派の言論を「お気持ち」と揶揄したとしても、赤十字が「我々はなるべく多くの人の気持に寄り添いたい」と方針付ければそこまでである(そして、赤十字役割を考えれば、そうなる可能性はかなり高い)。「批判派は明確な基準を示せ」という意見も、赤十字には届かないであろう。赤十字立場は、「皆さんの意見を参考にして、基準自分たちで作ります」でしかないと予想されるからだ。

私自身は、ポスター擁護であるしかし、一方で、ポスター擁護派の言論が非常に脆弱であるという危機感を持っている。わいせつ性の有無や表現の自由銀の弾丸扱いしたり、「お気持ち」を軽んじる方向性は、現実世界において他者に響くであろうか。私にはあまりそう思えない。むしろ、そのような極端とも取られかねない言動は、単に無視されるか、悪印象とすらならないだろうか。もしも、わいせつ性の有無や表現の自由議論において有効武器であり、「お気持ち」を簡単に潰せるほどの威力があるのならば、ビールポスターから水着女性が消えたり、レーティングによる自主規制が行われているのは何故だろうか。私が、敬意をもって落とし所を(なるべく自分の好みになるように)模索するべきだと考えているのは、そういう理由である銀の弾丸を持たない以上、100%自分の思い通りにはならないだろうが、「お気持ち案件」などと言って対話を打ち切ってしまえば、最終的にこちらが譲歩する度合いはさらに大きくなるであろう。

繰り返すが、件のポスターの是非において、表現の自由はあまり関係がない。もし仮に、ポスター批判派の要求が、政府による規制を求めることを主体としているのであれば、話は別であるしかし、今回の議論に置いて、そのような意見ポスター批判からほとんど出ていないように観測される。


  • id:Ayrtonism 議論の出発点が食い違っている(批判派は、無秩序にあの手の絵がどんどん広まっていると考えているが擁護派は批判派によって自由が狭められていると思っている)ので、先にそっちを解消しないといけないと思う。

この視点はとても参考になった。確かに公共の場公的、あるいは公的に準ずる機関二次元キャラクターを用いるようになったのは最近のことである漫画アニメに馴染みのない人にとっては、自分が知っている世界が、なにか別のもの侵食されていると感じられるのかもしれない。とはいえ表現の自由を前提にすると、そのような状況を拒絶することは難しいように思われる。「あの手の絵」に過度に性的な要素が含まれていない場合二次元キャラクターであるというだけで拒絶することは難しいであろう。この部分は、なんとかして各自が折り合いをつける必要がありそうに思われる。

残酷ではあるが、あえて言うならば現時点で「声が集まっている」のはあなたの周囲だけなのかもしれない。実際に、私の妻に今回の件の感想を聞いてみたところ「別にこれぐらいいいのでは」というものであった。女性であっても、人によってはこのような反応である。他の人から見ると、あなた(達)の声は、まだ小さいのかもしれない。

しかし、どうか絶望しないで欲しい。私は、あなた立場を完全に理解することはできないし、今時点であなたのために提示できるものもない。それでも私は、あなたにとって、今回の件が重大な問題であることは理解するし、それを馬鹿にしようとは思わない。私にはあなたを助けることはできないかもしれないが、あなたが声を上げ続けることは尊重するし、あなたの仲間がどんどん増えてあなたの声が多くの人に届くといいなと思っている。もちろん、声を上げ続けること自体が容易でないし、辛いこともあると思う。大変ですが、お互いがんばりましょう。


一部はふざけているようにも見えるが、重要な指摘である性癖というのは個々人でバラバラであり、実際に私からすると極端に感じる性癖を持つ人もいるであろう。では、個々人で性癖バラバラであるから、手も黒タイツも、あれもこれも表現として認められない世界になるかというと、少なくとも現在日本においては、そうはならないであろう。これは単純に、社会通念上の合意簡単には得られないかである。これらのコメントは、「だれかの気持ちのために1つでも譲歩したら、結局はあれもこれも譲歩することになる」という危機感を述べているのだと考える。1ページ目で述べたとおり、このような危機感には一定妥当性がある。一方で、現在日本において、そのような自体が実際に発生するかというと、そのようなことも無さそうである。実際に、既に存在している様々な自主規制ルールは、多かれ少なかれ問題はあるにせよ、先鋭化することもなく、案外まともに運用されている。ルールを正常に保つためには、各陣営不断努力が求められるだろうが、極端に悲観する必要は無いと考えている。

補記が続くのかよ

https://anond.hatelabo.jp/20191031142026

2019-10-29

巨乳奇形かいあほみたいな話

誰が言い始めたのでしょうか。

岩渕潤子さんの以下のツイート炎上しています

「いわゆる、そうした日本の童顔・巨乳、でか尻、足細の女性キャラって、一昔前の言葉で、使うことにも躊躇しますが「奇形フェチ」だと思うのですよね。

昔の中国纏足につながるような身体形成で、それは正に男性による女性のモノ化であり、人権人格否定。」

色々思うことがあったので、自身の考えを整理するためにも書いてみました。殴り書きですみません

まずこのツイートの背景を簡単説明します。宇崎ちゃん採用された日本赤十字社の献血ポスターにおける女性の体の描き方が以上に胸が大きく、つまり女性表象現実を逸脱しており、これが性差別に繋がっているのではないかという議論が巻き起こりました。それに対して、巨乳差別している、表現の自由保障されているから良いのではないか、という意見がありました。

女性の「モノ化」とは?

性別という理由のみで性役割を固定され、女性主体を失い、男性理想となるような「モノ」を強制されることを指します。例えば歴史を見ていくと、性は戦争の道具に利用されていました。男性戦争に行き、女性は家庭を守る。父権主義により女性は家庭に入り、男性の子供を産む道具つまり「モノ」として性役割強制されるような歴史があります

今回は、胸を過剰に表現することによって女性男性性的消費の「モノ」と化しているものを堂々と公開することは問題ではないか、ということを論点にしています

巨乳を「奇形」と決めつけるのは差別に当たるのではないか

そもそも今回の批判対象ポスターの性表象になります。ですので、現実存在するGカップ女性(どこから巨乳かの定義は置いておきます)を批判しているわけではありません。また「奇形」と表現されているのは表象結果的要素であり、作者の絵柄や萌え絵文化非難するものでもないはずです。「なぜあえて胸を強調するような絵柄がポスターとして採用され、人の目に留まりやす場所掲示されているのか」が問題の本筋となります

ツイッター上ではこの巨乳奇形差別したという話ばかりが広まり、これに対した反応をしている方ばかりを見かけるようになりました。巨乳奇形だと間違った受け取り方をして、それを広めているのもここの人たちです。

表現の自由保障されていないのではないか

表現の自由人権を守った上で存在できることは周知の事実です。

・なぜあいちトリエンナーレはよくてこれは駄目なのか

あいトリで大きく問題にされていた昭和天皇写真を燃やして踏みつける動画作品。これはそもそも天皇制批判している、日本の象徴を侮辱しているという文脈で見ようとすると誤解を受けます。この作品制作した大輔さんは「心の問題としての自画像」を取り上げ、変遷するイメージ天皇として表現しました。本来世代によって変わる天皇イメージ皇室タブー議論へと接続される予定の作品だった。ただそれが上手く行かずに政治的文脈によってのみ判断されてしまいました。現代アート問題を投げかける作品が多いです。ただその性質上、人間負の感情からスタートすることが多い。私は表現不自由展・その後を支持するわけではありませんが、展示が本来持つ意味に沿って機能せず、短絡的な思考により展示が阻害されたのは問題だと思います。これは余談なのですが、そもそも天皇基本的人権をお持ちなのでしょうか。人権制限されている制度存在することを無視して、この動画作品批判するのはどこか矛盾していませんか。天皇人権について議論するならば、天皇制についてもきちんと議論するべきだと思ったのは私だけなのでしょうか。

・近年の絵柄の傾向であり、デフォルメ範疇であるのでは

→そのような絵柄を好む方も多くいることは理解しています。その愛好人口のある程度の多さ故に、女性的な要素である胸を強調するイラスト一定の支持を受けている。ただ忘れてほしくないのは、女性性的要素が強調されたイラスト不快に思う人が存在するということです。今は女性性的要素を強調しているのみですが、これが水着になったらどうでしょうか。もしエログロだったらほとんどの人が批判すると思います。場に適切か不適切かどうか。その線引きについて現在議論しているのです。

乳房縮小手術をしろと言うのはひどくないか

存在し、受ける人が増加する事実確認しているだけで、勧めているわけではないです。大事なのはこの背景に何があるかということです。胸を性的要素として日常に取り入れすぎてしまい、巨乳、つまり性的要素が強い人が結果的性的視線に晒される機会が多くなった。日常に取り入れすぎるというのは、今回のポスターのように市民権を得すぎてしまたことです。冒頭に戻ります女性の「モノ化」により本来個人的にやり取りされるはずの女性の性が、大勢とやり取りされることが問題になります


この一連のツイートへの反応はどうしても本筋の論点とは違ったところへ議論が流れがちです。第三者が各所を切り取り、論旨をすり替えツイートも見られ、大勢の人がRTしたりしています。これが最近話題フェイクニュースかあ、と感心してしまいました。もちろん感心してる場合ではないのですが。情報判断を誤ると生産的で建設的な議論ができなくなりますそもそも議論ではなく「でも私はー」や「でもこんな人もー」などのように個人的感想や極めて稀な例を出す人もいます感情例外ではなく、一般的な例に則った議論を交わすことをお勧めします。私はこの議論に関しては肯定派にいますが、反対派の意見ももちろん聞きたいです。しかしそれは「胸を強調することに問題はない」「このイラスト公共の場に晒されることに問題はない」ことを証明する意見を求めています

まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、批判が噴出しそうなのでこのくらいにします。

2019-10-28

anond:20191028180929

また、日本赤十字社は今回のキャンペーンを「一般の方へのPR目的としたものではございません」(経営企画課)として、あくまで一部ファン対象としたものである説明している。

宇崎ちゃん献血ポスター問題への私のお気持ちの表明

私(男性自身現在お気持ちの整理です。

漫画アニメ作品は好きなものが多い。ただ宇崎ちゃんは読んだことがない。男性向けR18エロコンテンツは実写も漫画イラストゲームも嗜む。おっぱいに貴賤なし。

セクシャルハラスメントジェンダー問題には関心はあり、マイノリティ弱者とされてきた人達へは大きな配慮必要だと思っている。

ポスターの絵は、おっぱいを強調してるなと感じる。その点で、私はエロい要素があると感じる。

 ただしそのエロいと感じた要素は、公共空間にあっても私はあまり気にならない程度。実在モデル2次元モデルかは関係なく。

 だけど献血ポスターとしてはちょっと攻めてるかもなーとも思った。嫌悪感不快感を抱く人もいるだろうなと容易に想像できる。

ポスターの宇崎ちゃんセリフは、本人とセリフ対象センパイ)の性格関係性が許容されている作品なんだなと私には想像できた。

 ただ目線ポスターを見る人(私)を向いていることもあって、上記のような想像ができても自分が煽られてるようにも見えて正直イラッと感じた。

 宇崎ちゃんセンパイ性格関係性をあまり想像しない人・想像することに慣れていない人なら、もっと不快に感じる人がいてもおかしくないかなと思った。

上記の絵・セリフに感じたことは、ポスター自体があまり目に触れないようであれば、私はあまり気にしなかっただろうと思う。

 一方で、献血公式キャンペーンとして採用されたという点で、強い嫌悪感不快感を覚える人たちがある程度いるだろうと想像もできるし、

 その感情不思議ではなく共感もできる。ただし、共感=同感・同意ではない。そういう感情を持つことを理解でき尊重したい、という意味

 また、嫌悪感不快感を感じた人達が、感じたことを表明することも尊重したい。耳を傾けた方が良いと感じる主張も多いと私は思う。

 ただ、規制撤去を求めるような主張はもっと慎重になった方が良いのではないかと感じる。

・あのポスターキャンペーンに用いることが(環境型)セクハラに該当するかは、セクハラに限らずジェンダーハラスメントに関する問題議論が多く挙がる現在

 許容できる人・否定的な人・中間的な人など見え方が様々に広がってるのかなと想像して、線引が難しい時期なのかなと感じる。だからこそ問題化したのかなと思う。

 最終的には、献血運営主体である日本赤十字社自主的判断を私は尊重したい。

建設的な議論は大いにあって良いと思う。双方が相手側に耳を傾ける、という前提において。

以下、もうちょっとかい点について。

・「おっぱいを強調している」ということに関して、巨乳キャラであることが問題化されているように私には見える主張もあるが、

 貧乳キャラであっても貧乳なりのおっぱいの強調というのはあり得ると私は思う。おっぱいを手で隠しながら恥じらう表情とか。

 なので、巨乳性的であると扱うことの是非という問題化の仕方は、ポスターへの批判側・擁護側どちらも問題を小さくとらえてるように私は感じた。

私自身はポスターの絵に対して、性的な要素を強調していると感じたこともあり、

 擁護側の中に「全く性的ではない」との主張をはてブコメントツイッターで見かけることがあるが、そう主張する全員が純粋にそう考えてるのか疑問を持ってしまう。

 これはおっぱいの強調という部分だけではなく、宇崎ちゃんの表情に対しても思う。 私はエッチな表情にも見えるなと感じる。

ポスター批判批判する人(≒擁護、と言っていいのかな)の中には、今回のポスター自体問題フォーカスを当ててる人達だけでなく、

 ポスター批判の中でも特に目立つ弁護士氏等に対して、他のセクハラジェンダー問題への言及との矛盾批判する人達もいるように見受けられるが、

 はてブコメントツイッターの短文中ではどちらにフォーカスを当ててるのか私には一見してわかりにくく、よく両者を混同してしまう。

 結果として「このコメントの主張は無理があるんじゃ…」と混乱して噛み合ってないように感じることも多い。

あくまでも個人的な印象に過ぎないけど、議論が長引くにつれ、

 「相手が折れることはあっても自分が折れることは無い」と強く思っている人達の声がより目立つようになるのかなと感じる。

 中には自分が折れないためことを正当化するためにより主張を補強したり、相手を責める隙を見出すことが目的化してるように見えてしまうことも私にはある。

 ちょっと話題から脱線気味になるけど、今回の問題に限らず様々な社会的政治的問題でもよく見られる光景だと私は感じる。

2019-10-23

献血ポスター騒動での2つの疑問

個人的忘備録的なやつ

前提

なんとかい弁護士が何を相応しくないと感じるのは人によって幅があるし

個人自由だと思うので

性的かそうでないかというのは問題ではない

男性女性で異性の性的消費の特徴が異なると知れたのは収穫

男の自分でもギヴンとか普通恋愛ものとして面白かったし

個人的に疑問に思ったのが2点

1「公共の場に相応しいかどうかを誰がどうやって決めるのか」

2「なぜ男性向けのPR献血ポスターに使ったか

1に関しては少なくとも件の弁護士に決定する権限があるとは思えないし、当然自分にもない

法律とか判例とか調べればなにか近い事例やヒントになりそうなものはあるかもしれないけど

自分にはそんな知識はないし労力も甚大そうなのでどうにもならない

結局、排斥する人も擁護する人も無関心な人も、なんとなく世間雰囲気を読みながら決めるしかないんじゃないか

2は流石に男性向けの作品なのは明白だとして「献血の男女比には偏りがあるのでは?」と別の疑問が浮かんだ

疑問を裏付けるような答えの探し方だとは思うが「献血 男女比」で検索して出てきたのが、日本赤十字社グラフで見る献血事業ってやつ

献血できなかった人の推移をみると男性より女性の方が多い

となると気になるのが献血できなかった理由だが…やはりこれは女性生理によるものなのか?

だとしたら献血の男女比が対等になるのは難しいか

自然献血PR男性向けに偏りがちになるのかもしれない

 なんか後半憶測憶測を重ねてしまってるのがアレだが、献血の男女比に偏りがあるのは事実

2019-10-21

エロく見えるからダメ

エロい目で見ている人がいるかダメ

エロ漫画の文脈からダメ

環境セクハラからダメ

参考

https://togetter.com/li/1417986

女性表象ジェンダー規定するからダメ

公共には相応しくない。TPO問題

参考

https://togetter.com/li/1419197

ハイコンテクストすぎる。一般人が見るとびっくりする

擁護派の女性蔑視が酷い

2019-10-20

赤十字ポスターと、表現することについて

例の日本赤十字社ポスターの件について、できるだけ冷静に考えてみたい。

SNSでの反応を見る限り、多くの人が感情的になっているようだし、それぐらい繊細な問題だと思うので。





まず、そもそもこういう図象への評価に関して、黒か白か、というのはほぼ存在しないはず。

ナチス表象までいくと別にしても、

「これは多くの人が不快に思うだろう」

「これは不快に思う人は少ないかもしれないが、マイノリティの方が不快に思うかもしれない」

「これは多くの人が不快に思わずマイノリティへのケアも十分だろう」

といったようなグラデーションで常に表現は成り立っている。

これはアウトかどうか、NGかどうか、という思考で考えては、あまり議論は発展しない。

しかコンテンツ作品背景は、公的場所に出ると、共有されない。

いくら「そのキャラはそんなキャラじゃないんだよ」と言っても、一定数それを共有できない人がいる。

から、結局は、

・作り手の意図はどうか、

・構図やメッセージはどうか、

・それを提示する文脈場所はどうか、

ということをひとつひとつ考えていくしかない。



その意味で、町山智浩さんの言うような「キャラ単位」での是か非か、というのは繊細さに欠けている。

同じキャラクターであっても、「OK寄り」のこともあれば、「NG寄り」のこともありうる。

たとえば、今回の「宇崎ちゃん」にしても、こういうカットだったらどうか。

https://ameblo.jp/imomochi895/image-12491865257-14496415971.html

・少なくとも、胸が強調されるような構図にはない、ように見える。

女性主体的発言しているカットで、女性を客体化しているかどうか、という点に関してもクリアしている、ようには見える。

としたら、このカットなら「OK寄り」だった、かもしれない。

「かもしれない」と歯切れの悪いことを書いているのは、それですら世に出す前に、複数の人が議論したうえで出すべきものだと思うから

一方の、今回の赤十字ポスターは、

・たしかに、胸が強調され、そこに視線が向くような構図になっている。

しかも、表情が、(キャラ作品背景を共有しない人にとっては)男性に媚びている、ようにも見えるかもしれない。

という点で、「NG寄り」だとは思う。

から、このキャラOK、このキャラNGなの? という議論はあまり意味がない。

ワンピースのナミだって、「OK寄り」であることもあれば「NG寄り」なこともあるだろう。いくら作品の中でナミが主体的振る舞う強い女性であったとしても、構図や文脈によっては、その背景を知らない人にとっては、客体化されたような存在に見えてしまう。



あるいは女性下着広告

水原希子は、媚びるような表情をしておらず、主体的である、ように見える。

・構図的にも、胸を性的に強調しているわけではない、ように見える。

という点で、「OK寄り」だとは思う。

が、この表現を「掲出する場所」によっては、反感があることも想像できる。真っ向から否定する人がいてもいいと思う。そこはまったくの自由

ただ、現状の、広く共有されていると思われる規範に照らし合わせて言えば、小学校の目の前に大きく掲出される、ということではなく、売り場のある商業施設圏内で掲出される、ということなら「OK寄り」と判断するのが個人的には妥当だと思う。





要するに、必要なのは表現を世に出す前の、吟味議論だ。

そもそも赤十字ポスターが世に出る前に、表現チェックがどれぐらいなされたのか、どうか。

それを掲載する媒体の考査において、十分な議論がなされたのか、どうか。

そこの点がクリアにされないまま、「セクハラという認識は持っていない」と表明した日本赤十字社はやや乱暴だ。

もちろん「環境セクハラ」という言葉バズワードになって、誰もが思いを詰め込めるブラックボックスのようになったこともあって、その意味セクハラではない、と、それこそ送り手としての想いを詰め込んで回答したのかもしれない。

が、表現は常に、送り手と受け手関係で成り立っている。

これほどの反響があった、のであれば、どこかに問題があったのかもしれない、送り手側が読みきれなかった部分があるかもしれない、少なくとも、もう一度吟味議論を重ねてほしいと思う。

SNS時代、それぞれが生きている文脈は、かなり分断されている。みんなが共有する文脈、はなかなかのレアだ。だからこそ、従来以上に、表現を送り出すとき、様々な文脈考慮して、絶えず吟味して、議論する必要があるのだと思う。






長々と書いてしまった。

この件について、個人的「快・不快」や「お気持ち」が目立ちがちでしかも「表現自由」に議論スライドしているように感じられ、さらには表現のものが成立する背景の複雑さがどうも単純化されているように思われ、表現に関わる者として、ちょっと苛立ってしまったのだと思う。できるだけ冷静に書いたつもりだけれど、この文章にも苛立ち反感を覚える人もいると思う。

それでも。

なんだか表現することが息苦しく感じるかもしれないけれど、そんな現状の中でも、爆発的に共感されたりポジティブな衝撃を与える表現はいてそんな表現者たちは、ものすごくパワーを与えてくれる偉大な存在だ。

そんな表現をつくるのって、ものすごく根気のいる作業で、想像するだけで、いやーすげーわ、すげーわ・・・、と思っています

2019-10-19

日本赤十字社という法人が「公」側に立つのか「民」側に立つのかは微妙だと思うので、「民」側の権利である表現の自由適用されるという考え方もできなくはないとは思うのだが、「公」側が表現の自由を主張するのはもちろんおかしいので、そもそも微妙である時点で戦略としても「微妙なのだということはもっと広まって欲しいとは思う。

これはあくま戦略であって、目の前で論争があれば"「公」側に属するとも言い切れないんじゃない?"とか言って味方はするけどね。

あとまあコラボなのだから、作者・出版社側の表現の自由という視点もあると言えばある。しかし作者・出版社側は協力する立場であると考えると、それなりに論立てを頑張る必要があると思う。

性的」の定義重要だよ

ポスター問題だが、毎回思うのは言葉定義曖昧さだ。

今回も端から公的空間」だとか「性的消費」だとか決め付けている人がいるが、ちょっと待って欲しい。

曖昧言葉を、それぞれが自分の思うままに使い、

それを理解していない相手のことを思考停止フェミオタクお気持ちだとレッテルを貼るので、

問題さらにわかり辛くなっている。

不幸である

指定公共機関」でもある「民間企業」の赤十字社で使われたポスターが「性的」で

ゾーニング」的に問題なのかどうか、実は微妙なのだ

今回の件で問題点になる単語は、

性的」「公共空間」「ゾーニング」あたりだろうか。

性的」について

まず、日本では性的だとされている「女性乳首だって世界各国地域ごとに考えが違うのだ。

異性愛者や同性愛者、無性愛者や動物性愛者(冗談じゃないよ)も存在し、

それぞれに趣味嗜好や価値観もちがうなかで、実は「性的基準」を設けるということが難しいのはわかると思う。

さらにその中で、ポスターなどの表現された「結果だけ」を問題視する人もいれば

「作者のまなざし」という出発点から考える人もいるのだ。

このように、「一般に見せても許される性的範囲」と「許されない性的範囲」が人によってかなり違う、という前提の確認必要だ。

そんなもの議論余地はない、という態度の人は多様性理解する気がないのだから

そもそも話に加わるべきではない。

公共空間」について

これも「官製」なのか「一般に開放された空間」なのかでも意味が変わるので難しい。

企業や店内などは私的空間としながらも、

公共サービスが利用できれば公共空間、と定義する人もいる。

みんな日本赤十字社公共扱いしているが、実際はどうか。

社の説明では日本赤十字社は「民間企業であるが、

さらに「指定公共機関」でもあるとしている。

指定公共機関」とは何か。

災害対策基本法により規定されるカテゴリで、災害時に官民が一体となった取組の強化を図るためのカテゴリ」らしい。

銀行や電力や電波などのインフラ系や、

イオンコンビニなども指定されている。

この前までエッチ漫画を売っていた「あのコンビニ」も含まれているのだ。

イオン内にだって書店はあるし、当然「宇崎ちゃん」も売っているだろうし、なんならポスターも貼ってあるかもしれない。

献血された血液公的医療事業に使われるものではあるが、

献血ルームはお菓子食品提供していたり、カフェ風だったり、漫画を置いていたり、内装形態もかなり自由だ。

清潔感重要だろうが、アットホームであること、気軽に利用できる気安さを重視する利用者もいる。

結構議論余地があることがわかると思う。

ゾーニング」について

狭義では、「青少年保護育成条例」(条例なので、都道府県ごとに呼び名も内容も違う)に基づく区分陳列をさす。

エロ話題になるとすぐ「暖簾の向こうに置け」などという人がいるが、

実はなにを置くかは自治体によって決められています

もちろん、自治体によっては区分方法が違うので、暖簾の向こうに置かなくてもいい県もある。

広義では、まあ「棚を分ける」とか「売り場を離す」とかそういうことか。

今回の場合は当然後者の話だが、なかには前者の前提でポスター撤去しろと主張する人もいて驚いた。

ポスターをどのように「ゾーニングするか」は難しい話である

今回の件はだめだけど、「コミケでの配布ポスターとしてならあり」「秋葉原池袋献血ルームで貼るならあり」という人もいた。

こういった切り分けをして一々考える必要があるのだ。

まとめ

以上のように、ネット議論では「当然共通認識があると思っていた言葉」が、

実はそうじゃないことも多いのである

そういう時は要素を分け、ひとつひとつ自分スタンス確認してみるのが確実だ。

さらに「これがいい/だめなら他の表現はどうなるか」という他の具体例まで考えを広げてみれば、また新たな発見があるかもしれない。

最後に、ポスター不快感を持つ人のことは否定しないが、

大事言葉定義あやふやにして煽るだけ煽った人間は、毎度の事ながら軽蔑する。

デマ拡散と同じであり、唾棄すべき人種だ。

anond:20191016150214

anond:20191018190306

anond:20191018131310

2019-10-18

宇崎ちゃん日本赤十字社コラボ炎上しているらしいが

前、初音ミクコラボしてたよね。

ミクさんは、炎上しないのか・・・

これが胸の格差か。

ゲイ男性性的興奮の対象男性の裸である。だから女性の胸を見ても全く勃たないし、若干の不快感さえ覚える(女性セクシー画像ストレート男性用に設計されているから、不快で当然だが)。

日本赤十字社からすれば、ゲイ男性はお呼びでないのだろう。

注射を怖がる人をバカにするのは良くない

日本赤十字社と『宇崎ちゃんは遊びたい』のコラボポスター炎上している

論争の中心がキャラクターセクシーさに集中してるが、個人的感想としてはセリフが良くないと思う

センパイ! まだ献血経験なんスか?ひょっとして・・・・・・注射が怖いんスか~?

献血をするかしないか個人自由であり、「注射が怖いから」という理由献血を行わないという意見尊重されるべきである。件のポスター献血協力者を増やすことを目的に作られたものだが「注射が怖いんスか~?」という煽りで協力者を呼び込むのは適切でないと感じる

もう少し踏み込むと、『宇崎ちゃん〜』に登場する「センパイ」は男性キャラクターであり、「センパイ」が注射を怖がることを想定し嘲笑するさまには「注射を怖がるのは男らしくない。男は男らしくあるべきで注射を怖がってはいけない」というメッセージが込められているように思える

私は男性だが注射が怖い。健康診断の前日は採血の恐怖で眠れなくなる。今回の騒動でこのポスターを見てちょっと傷ついた。例の弁護士みたいに無闇に掲載中止を呼びかけたりはしないが、例のポスターに気分を害された人間がいることは知っておいてもらいたい

表現の自由戦士(笑)

例のポスター表現の自由問題と結びつけてる連中はアホの極み。

日本赤十字社ポスターとして適切かどうかという話であって

表現の自由とは全く関係ない。単純に出来がすこぶる悪いから叩かれている。

それに批判表現の自由

トリエンナーレを狂ったように叩き、脅迫すら黙認しておいてどの口が言ってんだと。

anond:20191018075659

仮にあのポスターをやめさせたいなら、あれをコラボ先として選んだ日本赤十字社にあのポスター献血活動有害であることを証明する必要がある

そしてそれは批判する側がやるべき事

セクハラだの何だのというのは見る側の印象でしかなく、一滴でも血液を集めたい日本赤十字社にとっては「知るかバーカ」でしかない

表現行為をやめろというのは批判範疇を逸脱しているのか?

赤十字宇崎ちゃん案件と、三浦義隆氏のツイートを見てモヤモヤしてる。

三浦氏のツイートは以下。

https://twitter.com/lawkus/status/1184609284975284224

ystk@lawkus

こんなツイートが何千RTもされてるの本当にどうかしてる。被災して苦しんでてもタワマン民なら嘲笑していいという風潮よくない。あとエレベーターはともかく火災リスクはタワマンしろ低いでしょ。一室で火が出ても延焼しにくい造りになってるはず。

こんなツイートとはこれのこと

https://twitter.com/rikorikosanyade/status/1184247071957585920

りこりこさん(離婚離婚さん)@rikorikosanyade

武蔵小杉のタワマンの件を見てると、私が子供の頃母親がタワマン広告だかを見て「バカと煙は高い所に行くって覚えておきなさい。停電してエレベーターが止まったらどうなると思う?火事が起きたらどうやって逃げるの?アンタはそういう所まで想像できる大人になりなさい」って言ったの思い出す。

https://twitter.com/lawkus/status/1184612137462718464 以下、本題の関連ツイート

ところで俺は要するにタワマン被災者を嘲笑する言動をすべきでない、やめろと言ってるわけだが、これは表現の自由侵害なのかな?んなわけないよね?

このように、「批判はよいけど表現をやめろと主張するのは表現の自由侵害」というたまに見かける主張は明らかに無理筋なんですよ。

国家権力による表現規制は原則的にすべきでない」

国家権力によるものでなくても言論暴力で対抗することは表現の自由に対する脅威であり許されない」

批判OK

以上は概ね合意が取れるはずなので、問題批判暴力境界線付近行為なんすよ。集団的電凸とかね。

それを「表現行為をやめろというのは批判範疇を逸脱している」とか、明らかに一般的妥当性のない雑な議論ちゃう人がいるのは嘆かわしいことだと思う。

ところで俺の用いた「一般的妥当性」という言葉は、日常語的用法だと「世間一般妥当と認められる」みたいな意味に誤解されそうなので補足。ここにいう一般的妥当性は、要するに「あなたが言ってる主張は、他の事例に押し広げても本当に当てはまる?というテストに耐え得る性質」のことですよ。



一方で、自由主義者増田氏の800ブクマ以上ついたエントリ(https://anond.hatelabo.jp/20191016163058)での記述で言えば、「タワマン被災者を嘲笑する言動」は消極的自由なので、個人責任に置いてなんら妨げられるものではなく、三浦氏に「タワマン被災者を嘲笑する言動をするな」という資格は無いという事になるの?

法律にも自由主義にも詳しくないからよくわからんのだが、個人的には三浦氏のいうことのほうに筋が通ってると思う。三浦氏は弁護士であるだけで、公権力は持っていないので。少なくとも自由主義者増田エントリを見ていて、自由主義原則世界が丸く回るようにはとても思えない。明確な原理原則に従って物事判断して行動するというのは個人的に苦手な事であり、またあこがれるところでもあるので、そういう意味自由主義者増田尊敬もするのだが。

発端の太田弁護士がやったことは、以下三つ。(ざっとリプを除く表示で該当ツイートまでさかのぼってみたけども、見つかったのは上2つ。RTは大量にあったが)

  1. 赤十字の宇崎ちゃんポスターについてセクハラしてるようなもんだと発言
  2. 日本赤十字社のお問い合わせ に意見を送りましたと発言
  3. (公共的な団体掲示する内容ではないですね。内部で異議や懸念を述べる人が誰もいなかったのだろうかという人に対して)類似の事例で批判を受けて撤回するような騒動は近年いくつもあったのに、どうして学ばないのでしょうね、と発言

3つ目からして宇崎ちゃんポスター撤回させたい(表現行為をやめさせたい)という意思はあるように見える。アカウントをみるとフォロワ数は3万弱。多いけどめちゃくちゃ多いという程でもない。赤十字電話して長時間文句つけたり、それをフォロワに促すような発言もしていなさそう。赤十字という準公共機関(正確な表現じゃないかもだけど)が、公共の場に張るポスターがセクシズムだ、やめてくれと意見を送る行為問題があるとは、俺には思えない。批判範疇だとおもうから

自由主義者増田も、https://anond.hatelabo.jp/20191017201230 で、以下のように書いている

場合によっては、比較衡量のうえで、大きな積極的自由を獲得するためにささやか消極的自由犠牲にすることもありえるだろう

場合によっては、比較衡量」にあたるかという議論をしているだけじゃないの?議論余地もないほど、積極的自由が小さいのが自明なのかな?TPOが本件語る上で論外だと考えてるみたいだけど、理由がよくわからないので解説してほしい。

あと、一部ブクマカが太田氏をサンドバッグ扱いしてるのも解せない。

2019-10-17

anond:20191017084854

日本赤十字社社団法人なんだから公的機関かどうかは微妙でしょ。

これ揚げ足取りじゃなくて大事論点ですよ。増田普通に理解してくれると思うけど、変な横増田に絡まれないように先手を。政府には公共の場公共性提供する義務があるけど、それ以外の、公共の場を「使う」という立場私人法人にそんな義務はない。よほど著しく治安を低下させるものであれば政府義務によって取り締まられるけどね。(また政府の他、大手SNS公共放送のような、公共空間デザインに深く関わる法人義務についても議論はあるけど割愛。)

あと「公共領域に(政府提供するものとして)何が相応しいか」は、民主主義的に決められるという意味では「社会的合意」によって決められるべきだと思うけど、「みんなが納得すればそれでいい」という話ではないよね。むしろ少し理不尽なくらい徹底して平等であるべき。フランス公共放送では「Twitter」という単語が使えないように。

2019-10-16

anond:20191016163116

これから日本赤十字社メールしようと思います

子供たちが通う小学校PTAでも議題として取り上げてもらわなくては

2019-10-15

日本を分断してくれてありがとうフェミニスト

セクシャル表現(広く、ミニスカートなどの自己表現を含む意味でのsexual expression)とポルノ区別がつかないフェミニスト

ついでに社団法人である日本赤十字社に公共空間公共性を担保する責任があるかと言うと微妙だよね。

二次元性愛またはfictsexualとも隣接するある種のセクシャリティに対するヘイトを一刻も早く撤回して謝罪して欲しい。

「(男に対して)注射が怖いんですか?」という日常ででた会話が環境セクハラなのか?

それとも「アニメ絵巨乳の女」という表象環境セクハラなのか?

よくわからん現実巨乳の女も環境セクハラになって公共から排除されなきゃいけなくならない?

別に露出度が高いわけではないし。

なんだこれ? マジでなんだコレ???

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