2019-10-20

赤十字ポスターと、表現することについて

例の日本赤十字社ポスターの件について、できるだけ冷静に考えてみたい。

SNSでの反応を見る限り、多くの人が感情的になっているようだし、それぐらい繊細な問題だと思うので。





まず、そもそもこういう図象への評価に関して、黒か白か、というのはほぼ存在しないはず。

ナチス表象までいくと別にしても、

「これは多くの人が不快に思うだろう」

「これは不快に思う人は少ないかもしれないが、マイノリティの方が不快に思うかもしれない」

「これは多くの人が不快に思わずマイノリティへのケアも十分だろう」

といったようなグラデーションで常に表現は成り立っている。

これはアウトかどうか、NGかどうか、という思考で考えては、あまり議論は発展しない。

しかコンテンツ作品背景は、公的場所に出ると、共有されない。

いくら「そのキャラはそんなキャラじゃないんだよ」と言っても、一定数それを共有できない人がいる。

から、結局は、

・作り手の意図はどうか、

・構図やメッセージはどうか、

・それを提示する文脈場所はどうか、

ということをひとつひとつ考えていくしかない。



その意味で、町山智浩さんの言うような「キャラ単位」での是か非か、というのは繊細さに欠けている。

同じキャラクターであっても、「OK寄り」のこともあれば、「NG寄り」のこともありうる。

たとえば、今回の「宇崎ちゃん」にしても、こういうカットだったらどうか。

https://ameblo.jp/imomochi895/image-12491865257-14496415971.html

・少なくとも、胸が強調されるような構図にはない、ように見える。

女性主体的発言しているカットで、女性を客体化しているかどうか、という点に関してもクリアしている、ようには見える。

としたら、このカットなら「OK寄り」だった、かもしれない。

「かもしれない」と歯切れの悪いことを書いているのは、それですら世に出す前に、複数の人が議論したうえで出すべきものだと思うから

一方の、今回の赤十字ポスターは、

・たしかに、胸が強調され、そこに視線が向くような構図になっている。

しかも、表情が、(キャラ作品背景を共有しない人にとっては)男性に媚びている、ようにも見えるかもしれない。

という点で、「NG寄り」だとは思う。

から、このキャラOK、このキャラNGなの? という議論はあまり意味がない。

ワンピースのナミだって、「OK寄り」であることもあれば「NG寄り」なこともあるだろう。いくら作品の中でナミが主体的振る舞う強い女性であったとしても、構図や文脈によっては、その背景を知らない人にとっては、客体化されたような存在に見えてしまう。



あるいは女性下着広告

水原希子は、媚びるような表情をしておらず、主体的である、ように見える。

・構図的にも、胸を性的に強調しているわけではない、ように見える。

という点で、「OK寄り」だとは思う。

が、この表現を「掲出する場所」によっては、反感があることも想像できる。真っ向から否定する人がいてもいいと思う。そこはまったくの自由

ただ、現状の、広く共有されていると思われる規範に照らし合わせて言えば、小学校の目の前に大きく掲出される、ということではなく、売り場のある商業施設圏内で掲出される、ということなら「OK寄り」と判断するのが個人的には妥当だと思う。





要するに、必要なのは表現を世に出す前の、吟味議論だ。

そもそも赤十字ポスターが世に出る前に、表現チェックがどれぐらいなされたのか、どうか。

それを掲載する媒体の考査において、十分な議論がなされたのか、どうか。

そこの点がクリアにされないまま、「セクハラという認識は持っていない」と表明した日本赤十字社はやや乱暴だ。

もちろん「環境セクハラ」という言葉バズワードになって、誰もが思いを詰め込めるブラックボックスのようになったこともあって、その意味セクハラではない、と、それこそ送り手としての想いを詰め込んで回答したのかもしれない。

が、表現は常に、送り手と受け手関係で成り立っている。

これほどの反響があった、のであれば、どこかに問題があったのかもしれない、送り手側が読みきれなかった部分があるかもしれない、少なくとも、もう一度吟味議論を重ねてほしいと思う。

SNS時代、それぞれが生きている文脈は、かなり分断されている。みんなが共有する文脈、はなかなかのレアだ。だからこそ、従来以上に、表現を送り出すとき、様々な文脈考慮して、絶えず吟味して、議論する必要があるのだと思う。






長々と書いてしまった。

この件について、個人的「快・不快」や「お気持ち」が目立ちがちでしかも「表現自由」に議論スライドしているように感じられ、さらには表現のものが成立する背景の複雑さがどうも単純化されているように思われ、表現に関わる者として、ちょっと苛立ってしまったのだと思う。できるだけ冷静に書いたつもりだけれど、この文章にも苛立ち反感を覚える人もいると思う。

それでも。

なんだか表現することが息苦しく感じるかもしれないけれど、そんな現状の中でも、爆発的に共感されたりポジティブな衝撃を与える表現はいてそんな表現者たちは、ものすごくパワーを与えてくれる偉大な存在だ。

そんな表現をつくるのって、ものすごく根気のいる作業で、想像するだけで、いやーすげーわ、すげーわ・・・、と思っています

  • 宇崎ちゃんのやつと下着広告を同列に扱うのがまずわかんねーわ 下着広告が下着見せなくてどうすんだよ

  • 調べてみたら、件のポスターは単行本3巻の表紙絵をそのまま使ったものだった。 1,2巻の表紙を見ると、3巻は大人しいほうと感じた。そちらの基準でいえば、3冊のなかでは「OK寄り...

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