はてなキーワード: 四苦八苦とは
有能な和歌山県知事がホームページで良いこと書いてるのに、スマホに非対応で読みづらすぎる。ちゃんと読めるようにしといてよ。
最近における新型コロナウィルスの感染拡大ぶりは凄まじく、毎日全国のほとんどの県で2ケタの感染者が報告され、それも結構多くの県で3ケタを記録するなど、これまでになかったような感染状況となっています。救いはワクチンの接種が早かったからだと思いますが、高齢者の罹患が少なく、高齢者は重症化しやすいので、重症者の割合が過去に比べて低いということです。しかし、そのワクチンが国からの配分量が少なくなり、接種スケジュールが大幅に遅れています。また、若いからと言って重症化しないということはなく、かつ、(和歌山県は全国で唯一全員入院を死守していますのでいいのですが)自宅等でケアーを受けないで療養していると、一定の比率で重症化する人がいるわけですから、命も危険な状態になるところがどんどん増えてきていると思います。
和歌山県も、8月15日には51人の感染と、感染の抑え込みに四苦八苦している状況です。今のところ、強力な保健医療行政が頑張って、県民には、特定のリスクの高い行為への注意喚起はするけれど、一般的な外出、行動の自粛、すなわち一般的な人流抑制はしていません。ただ、これもこれ以上感染が拡大すると、発動しないといけないかもしれません。楽観はできませんが、科学的、合理的に必要な対策は迅速に打つつもりです。
その中で再び様々なデータも出てきましたし、現在、打っている対策の合理性の説明を県民にも改めて説明しないといけませんし、国全体の動向を見ていると誠に遺憾と思われるところがありますので、オムニバス形式でいくつかに分けて、最近時におけるコロナの状況と対策について述べさせていただきます。
8月2日、厚生労働省は、コロナの感染拡大に伴って病床、特に重症病床のひっ迫を防ぐためと称して、入院基準の見直しを行いました。本来なら、コロナは感染力の強い、かつ、重症化リスクのかなり高い感染症であることから、感染が確認された人はすぐ病院に隔離して、医療看護を行い、病状が悪化した時に備えてよくウォッチしながら、悪化した時はさらに高度な医療措置を加えるとともに、ほかの人にこれ以上うつして、感染拡大が起きることを防ぎ、さらに他の人との接触の履歴、行動履歴をよく聞いて、感染している可能性の高い人を割り出して、検査をして、万一感染していたらその人も隔離するし、濃厚接触者などはしばらく自宅にいてもらって他の人との接触を断ってもらうというような積極的な疫学調査をするわけです。また、この備えとして日頃から保健所の統合オペレーションができるようにし、病院にもお願いして各種コロナ病床を用意しておいてもらい、さらにはこの後詰めとしてホテルのベッドも確保しておくというようなことも行政がやるわけです。(なお、和歌山県ではホテルはコロナが治りかけてもう病状が悪化しないと判断される場合に、病院の出口として使用する方針ですが、幸いまだ一回も使わずに済んでいます。他県では感染者をいきなりホテルに収容する、いわば入り口として位置付けているところが多いようです。)和歌山県は、今に至るまでずっとこの本来のやり方を忠実に守っています。
ところが、今は、感染者があまりに多いため、東京などでは余程の重症者でないと入院はさせてもらえず、ホテルも満杯で、自宅で療養を余儀なくされている人が多数に上っています。このような状況で、厚労省は入院基準を改めると発表しました。あくまでも感染が爆発して、入院などがおぼつかない地域においてということでありますが、入院は「重症患者や特に重症化リスクの高いものに重点化。自宅・宿泊療養者の急変に備え、空床を確保。入院患者以外は自宅療養を基本とし、家庭内感染の恐れや自宅療養ができない場合に宿泊療養を活用。」というものでありまして、これに関して各方面から批判が出て大騒動になっています。
これまではどうであったかと言いますと、「重症化リスクの高いものを中心に幅広く、原則入院で対応。無症状・軽症患者は原則として宿泊療養施設で療養・健康管理。無症状・軽症患者のうちやむを得ず宿泊療養を行えないものを自宅療養で対応。」でありました。
しかし、現実は感染者が多すぎて、上記の「やむを得ず」に自宅療養を余儀なくされている人が圧倒的に多いのであります。したがって、どこが変わったかというと「やむを得ず自宅で」が「原則として自宅で」ということになったわけで、現状に原則を合わせたということだと私は思います。
私は、この改変には反対です。とは言え、現実に東京都などで入院やホテル療養をさせようとしたとしても感染者の数が多すぎてできないでいる保健所などの行政を責めようとは思いません。病院やホテルに入れたくても入れられないのだから、「やむを得ず」で違法状態とは言えません。しかし、それを原則を変えていわば正当化もしくは追認してしまうというのは別の話です。
何故ならば、このような正当化、追認によって、結果として次のような方向にインセンティブが働くからです。
まず、それでいいんだとなったら、行政にとって、病床やホテルをもっと確保しなければならないという動機がなくなります。また、ひょっとすると、本来なら入院して病状を経過観察しなければならない人なのだから、クリニックなどと協力して自宅療養をしている人のウォッチ体制をきちんと作ろうというプレッシャーもなくなるかもしれません。行政の行動原理は、どうすればクライエントである国民若しくは都道府県民の命や利益を守れるかということであるべきで、行政側が容易にできるかできないかではありません。
次に、自宅療養は、命を守るということからすると、かなりリスクの伴う方法です。和歌山県の現実のデータから見て、コロナ患者は発症から4~6日で肺炎になることがあり、その数日後くらいから酸素吸入を必要とするようになることがかなりあり(これを国基準では中等症と言いますが、命にかかわるものなので和歌山県では重症と称しています。)、その中には、ICUに入ってもらわなければすぐに命にかかわるような本当の重症になる人も一定割合いるからです。発見された時に無症状ないし軽症だからといって、それがずっと続くわけではありません。(だから命を守るため和歌山県は全員入院にこだわっているのです。)
行政が対応不能だからといって原則を変えるのは間違っています。それに対応不能なのは東京都など限られた都道府県です。和歌山県は現に全員入院ですし、他の多くの県も感染者の処遇は手厚くしています。少なくとも旧基準で十分でしょう。原則との乖離があまりにも目立っているところは、東京など首都圏とあと少しではないでしょうか。どうも国は東京都のことしか見えていないような気がします。東京都、首都圏など大変な所には、現状を追認してあげるのではなく、よりうまくいっている地方圏などのやり方を参考に、技術的に保健医療行政のやり方をアドバイス、指導するといった方法をとるべきでしょう。
1と並んで厚労省から退院基準の見直しが連絡されました。これも何度か変遷していますが、これまでは有症状の場合、「①発症日から10日間経過し、かつ、症状軽快後72時間経過した場合、退院可。」としていました。その基準を満たさなくても医師の判断で退院が可能になり、自宅療養・宿泊療養にうつることができるようになりました。これは賛成です。異論はありません。
さっそく、和歌山県では10日を7日に改め、「②発症日から7日間経過し、かつ、症状軽快後72時間経過した場合、退院可。」としました。また、無症状者の場合も、検体採取日から10日間経過した場合退院可であったものを、10日を7日に改めるということになりました。何故かというと、これまでのデータからこれは科学的に正しいと和歌山県は分かっているからです。和歌山県のこれまでの事例では、感染者が他者に感染させたと推定されるタイミングは、発症後最長7日です。むしろ発症前にも結構うつしていて、発症後は4日もあればほとんどうつさなくなりますが、変異株で一例だけ発症後7日というのがありました。それでも7日です。だからこれ以後はうつさないという判断をしていますので、国の基準改定は賛成です。むしろ、発症の4日前から他者にうつしている例もあるので、和歌山県の積極的疫学調査では行動履歴の調査でその辺を念頭に置いて前広に調べています。
今回の第五波の感染爆発において、高齢者の罹患率が著しく低いというのは明らかにワクチンのためだと思います。そういう意味で、もう少し政府の対策を評価してあげるべきところもあると私は思います。何故ならば、国は、今年の初めに3億回分のワクチンを確保したと発表し、まず県自身が医療従事者に接種し、次に市町村が65歳以上の高齢者に接種せよ、その後、60歳以上及び基礎疾患のある人、そして一般の人と順番をつけて接種を実施しました。
この第五波の猛威を考えると、もし、この政策なかりせば、現状はもっと阿鼻叫喚の地獄になっていたと思います。この国の政策を受けて、和歌山県は、早くから県と各市町村が緊密に連絡をとり、接種体制を整えスタートダッシュをしましたが、他県では医者が協力してくれないので接種できないなどと言って、中々その進捗がはかばかしくない所もありました。そもそも医療関係者は真っ先にワクチンを接種しているのに、かつ国民がそれを望んでいるのに、接種に協力しない医師が多いなんて信じられません。行政が理をもって頼めば協力するのは当たり前だと思います。現に和歌山県ではそうなっています。ところが進捗がはかばかしくないところがあるというので、菅総理が7月末までに高齢者への2回の接種を完了させよと厳命を下しました。そのおかげで全国的に接種が進んだと思います。
そういう意味では、いつも政府が無策だ、けしからん、コロナがこうなるのも悪いのは皆政府だというばかりでなく、専門家やマスコミもそして野党の方々は、このようによくやった所はよくやったと褒めて差し上げたらどうかと私は思います。
しかし、良いことばかりではありません。3億回分確保と言っていたのが、契約もしていなかったというお粗末ぶりで、今に至るまで量が確保できず、接種体制を整えて、そのまま突っ走れば、9月中には接種が全て完了するはずだった和歌山県でも、ワクチンの配分が無いために、各市町村が接種スケジュールを後ろ倒しにせざるを得なくなっています。すなわち、予約を制限せざるを得なくなっているのです。
この点は本当に政府の罪は重いと思います。無いものは仕方がないというかもしれませんが、それでも、次の2点は、もう少しなんとかしてほしかったと思っています。
一点目は日本への供給量、供給スピードを増やす努力をもっとやる余地はなかったのかということです。既に一時は欧米でだぶつき感が出ていた中で、支払いが確実な日本に特別に先に回すということが、企業として本当にできなかったか、当事者でないので、とやかく言うのは失礼になるかもしれませんが、私の経験では疑問です。例えば、政府とファイザー社との交渉ぶりが報道に出たことはほとんどありません。外務省も経産省も厚労省も動いているという感はなく、唯一、菅総理が直接ファイザー首脳と交渉という報道が2回あっただけです。元役人として言えば、総理にだけ交渉させ、他の要人が一回も渡米すらしていないというのは信じられません。
二点目は本当に足りなくなった8月に入って、接種で今まで先行していた当県はじめ成績優秀県が大幅に配分を削られました。接種が遅い所に合わせて、終期を統一していこうという、日本人得意の悪習についに入ったかとしか言いようがありません。和歌山県などが接種が早かったのは伊達や酔狂でも偶然でもありません。それこそ全県をあげて皆で力を合わせてスピードアップに取り組んだからです。菅総理や河野大臣の掲げるワクチン接種の早期完了を達成しようと死に物狂いで努力したからです。それを先行している所はもういいだろう、遅い所が追いつくまで待っていろと言われたら、もう立つ瀬がありません。努力する者は報われるというエートスが壊れたら、人は皆堕落します。働いても働かなくても、勉強してもしなくても、練習してもしなくても、努力してもしなくても、最後は皆同じというのは人間の持つ向上心を一番破壊する行為です。私は時として日本人に現れるこういう何でも平等マインドがいずれ政府を覆うのではないか、そうして努力して先行している県がパニッシュされるのではないかということを常に恐れていました。そのため、常に河野大臣などに早くできる所は早く終わらせればいいではありませんか、早いからと言って絶対に不利に扱わないで下さいねと申し上げてきました。でも、ついにその恐れが現実になりました。日本でモラルが廃れた瞬間のように思いました。
ファイザーやモデルナのワクチンは95%と発表されてきました。とても優秀です。でもあんまりよく効きすぎて、私も含めて2回打ってしばらくしたら100%うつらないし、重症化しないと思い始めていました。
しかし、和歌山県でも1回目が終わった人はもちろん、2回目が終わった人もボツボツ感染が出始めました。和歌山県では私に全数報告されますから、結構いるものだなぁ、ひょっとしたら実はワクチンは効かないのではないかと思ったこともあります。しかし、そうではありません。和歌山県の調査によりますと、やはり、2回接種を受けた人のおおよそ95%は感染をしていません。または、ワクチンを2回受けた人の感染リスクはそうでない場合の5%になっているということです。また、重症化(又は中等症化)している人はもっと少ないように思います。8月12日、和歌山県はデータを公表しましたので、詳細はそちらへ。PDF形式を開きます新型コロナワクチンの効果等について(PDF形式 2,051キロバイト)
ワクチンがこれだけ効くのに、ワクチンを打ちたくないという人がいます。どうやら、副反応が恐ろしい、本当に効くのかよくわからない、実際に2回打ってもかかる人がいるではないか。そんな不安があるものは、まず他の人に打ってもらって、様子を見て、大丈夫だったら自分も打とうといった理由によるものと思います。
確かに1つ1つとると、ワクチンに伴うそういったリスクも0ではないかもしれません。しかし、人間の長所は、そういうリスクが0でない時でも、色々な状況から比較衡量でどうすべきかを判断できることです。それぞれのリスクがどのくらい1つ1つ重そうで、かつ発生確率がどのくらいで、もし、それを避けると別のリスクがこれこれの損害と確率で襲ってくるが、そうするとどっちの方が得かということです。2回打ってもかかる人はいるけれど、打たない時の感染リスクに比べて5%ぐらいだし、重くなるリスクはものすごく少ない。一方、打たない時は感染リスクが20倍で、感染したら重くなる可能性も高い。また、東京都などでは、感染が分かっても自宅でいて下さいと言われるだけで医療加護が十分できないこともあり得るから、ひょっとしたら命に関わる。どうも若くても症状が重くなる場合もあるようで、軽くても後遺症に苦しんでいる人がいるようだ…ということぐらい考えられないのかなぁと私は思います。
それに自分のことばかりを考えないのが人間の人間たる所以でしょう。ワクチンを打つということは、家族や同僚など、人にうつすリスクも少なくなるということですし、かかった時に必死で世話をしてくれる行政や病院の方々の苦労も大幅に減るということです。和歌山県のように保健医療行政がまだ頑張って持ちこたえていて、感染防止と感染者の医療加護を何とか出来ているところでも、行政や医療関係者の苦労は筆舌に尽くせません。ずっと働いてくれているのです。ましてや、保健所や医療機関があまりの数の感染者と次々に現れる重症者にほとんどマヒ状態になって苦しんでいる都道府県の関係者の苦労と心痛はいかばかりでしょうか。それを避けるように努力するのも立派な社会人の姿だと思います。
このところワクチン接種に対するテレビなどの論調は明らかに変わってきました。以前は打たぬ自由を強調して報道していたのが、感染の拡大とともに打たないと危ういという方向になってきていると思います。そうすると、そういうテレビを見ている人は今までよりもコロナ感染を恐れて接種を希望する人が増えるような気がします。でも少し遅いかも。これまでと違い政府のワクチンの配給が遅れがちになってきました。 Permalink | 記事への反応(2) | 09:51
はい、そういうわけでマスコミ各社が感動的なオリンピックという祭典をお伝えし始めました。素敵ですね、読者のみんなもそう思うでしょう、人の心を動かすイベントに立ち会えて。
五輪推進の営業部とスポーツ部の意向があって、一方で称賛するのとは反対の口で国民の生命をコロナから守れって言ってたのにね。でも、各社の紙面は今日もきっとスポーツの素敵さを伝えると思う。社員の皆様に置かれましては「感動的」な記事書いてて気持ちいいだろ?良かったね、金のために素敵な原稿を書いて。
コロナなのにこんなイベントをやるのは間違っとる、もっと素敵な社会があるべきだってがなりたてる筋と、それと反対に感動を読者にって社内で揉めまくっとる状況が併存するのに、金のために読者の生命を危険にさらしてまで開催を肯定するのが新聞よ。
だってそうしたほうが売れるじゃん。開催に至るまでの取材に金もけとるし。すごく単純な話で、新聞をたくさん売らないと会社がなくなっちゃうんだよ。
大昔にも、ジャパンは窮地に戦争で追い込まれたことがある、敵国はけしからん、ぶっ飛ばすべきであるってブチギレて新聞を刷りまくってばらまいて金を集めていたおじさんたちがいた。商品を刷るってことは利益を刷るってことだ。不偏不党なんて嘘だよ。煽れば煽るほど売れるだろ?昔は連中、売りに売って得た金を社内の飲み代にしたんだよ。マスコミで働いてたけど、そういう話聞いたことあるよ。でも今はとにかく利益を確保するのに四苦八苦している。そしたら尚更、金のためにってなるよな。
でも、忘れないでほしいのがかつてのおじさんたちが政府に半ば強要されて御用新聞をばらまいたとのかもしれない、という可能性を持っていることだ。いまのおじさんたちは政府から強要されずに社の方針と折り合いをつけて自ら進んでそうしたことをやっている。
言論の自由があるのに、そういうことやっちゃってる。
大昔の戦争では戦いの様子を伝えた新聞が売れに売れたらしい。今回もそんなもん。所詮マスコミなんてそんなもん。
だから、一つだけ本当に覚えておいてほしいことがある。これからマスコミがいろんな正しいことを言って与党を責めるだろう。おれも与党はいろいろよろしくないことをすると思う。っていうか嫌いだ。にもかからず、だ。マスコミはどんなに正しいこと言っても、所詮、コロナで人の命よりも自社の儲けを優先させた連中なんだってことを忘れないでほしい。
今後マスコミが正しいこと言って政府を紙面やテレビで責めたって、おまえらの金の儲け方省みろよって思ってほしい。マスコミは読者の味方だなんて思わなくていいと思う。所詮、高給もらって、一見正しいことをちん○しごきながら喚いてるいるメチャクチャなやつらだと思う。
本当にこの出来事を忘れないでほしい。こんなコロナで社会が成り立つのかどうかっていう局面であっても、所詮マスコミがばらまくのは正論ごっこよ。
府中市内の五輪自転車コースにアスファルトが撒かれていた廉で会社員が逮捕された件で、報道が警察発表の素通しな為にミスリードされてる人が多いので説明したい。
報道はこれ
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html
アスファルト舗装の為の建材の事を合材と呼ぶ。小石や砂とアスファルトを混ぜたもんである。石油精製塔で軽い方からLPG、ガソリン、灯油と抜いていって一番下に残ったのがドロドロのアスファルトだ。
冬にはカチカチだが真夏にはぐにゃぐにゃする、それ位のちょう度を持っている。屋根の防水には素のアスファルトを使うが、道路の舗装には砂と砕石を混ぜたものを使う。これが合材。
合材をそのまま撒いてロードローラーで固めても一応の舗装にはなるが非常に脆く直ぐにボロボロと崩れてきてしまう。だから舗装に使う合材は150度位のアチアチな状態にして現場に持って行く。
砂や砕石などの土木用資材を扱う卸業者を砂場と呼ぶが、アスファルトはこの加熱の要があるので専門の業者の扱いになる。砂場は結構あちこちにあるが、アスファルト屋は数が少ない。
合材は冷めたらいけないので直前まで取りに行けない。また持ってくるときもカバーをかけて冷めないようにする(量が多い場合は表面積/体積比が大きくなり冷めにくいので省略することもある。)
工事が終わらず通勤時間にずれ込むと渋滞の原因になり、工事許可を出す警察署に怒られるので前倒しの計画にする。つまり工事自体は3時とか5時に終わって合材待ちの状態にすることが多い。
この事件の場合、合材の散乱が見つかったのが明け方なのでばら撒きはその直前のやはり明け方だろう。
するとこれは通常の工事で合材を持ってくる時間である。なので意図的に撒いたとする可能性は低くなる。
日本で生活していて雨の日に車が跳ねた水被ったという経験がある人は居ないのではないか?少なくとも20年前からは無いと思われる。
また真夏の日にアスファルトがドロドロに溶けてしまったり、バス停で停車場所に出来た轍からバスが抜けられずに四苦八苦した事も見た事がないだろう。
雨の夜の運転で路面が光ってどこが車線だか全くわからんっていう経験も。
これは90年代の中ごろに合材の技術革新があり、浸透性舗装というのが開発され日本ではそれの採用例が増えてきた為なのである。
これを開発したのはアメリカの会社で水はけを良くするのが主目的だが多くの利点がついてきた、かなり画期的なものなのである。利点はこういう感じ。
路面に水が溜まらないので水撥ねもしない。雨が降ると従来型舗装では路面に水膜が張られ、それが対向車線のヘッドライトを反射するので車線がどうなっているのか判らず雨の夜の運転は危険だった。その危険も無くなった。
従来型舗装の上を車が走るとタイヤの水捌けの為の溝によりゴムの角が打ち付けられるのでゴーーというロードノイズが発生する。浸透性舗装では路面が穴だらけなのでそこに音が吸収され渋滞型と比べると無音に近いと言っていいほど静かだ。録音スタジオなどの吸音ボードに構造が似ているからだね。
従来型舗装が熱せられるとアスファルトのちょう度が下がり、砕石から遊離して表面の方に寄ってくる。この為酷暑では路面表面がドロドロ化するのが常態化しそこに重量のある車が止まると凹んでしまう。特に停止線前での轍が酷くバイク事故の原因になっていたりした。バス停では毎度同じ場所にバスの車輪が止まるので4か所が凹んでしまい、出発時にバスがそこから抜け出すのにシーソーのように何度も車体を揺するユーモラスな光景が良く見られた。浸透性舗装の技術評価では従来型に轍掘れ耐性は劣るとされているが、実際は酷暑のアスファルト緩みに起因する事が多いので段違いに浸透性の方が良い。
夏の日光も乱反射するから照り返しが穏やかだ。しかも路面の下の水分が蒸発する時の気化熱で路面温度も下がる。
摩擦表面はつるっぺたの方が表面積が高くてブレーキも理論的には良く効くのだが、実際はほこりや水など不安定要素が多く、浸透性舗装のように引っかかる角が連続するような構造の方が安定して制動力が得られる。
いい事ばかりだが欠点もあって
普通の合材はアスファルトと砂、砕石を混ぜただけだが、それでは浸透性のような雷おこし構造にならない。
そこでポリマーに水と乳化剤を吸わせ、それをアスファルトに混ぜて砕石にまぶすという方法で雷おこし構造を実現している。石同士が柔軟性のあるアスファルトで接着されているが、石同士が噛み合っているので転圧されても潰れないって状態だ。美味しんぼの銀五郎もこの構造真似すれば良かったね。
こんな特殊構造なのでかなり高額な上にホムセンなどには卸されていない。専門の卸業者からトン単位で買わなきゃならない。
道路は上から見るとアスファルト舗装しか見えないがその下には必ず50cm位の砕石層を入れなきゃならない。
一番下は砂でそれを転圧、その上に砕石を50cm入れて転圧、最後に合材を撒いて転圧だ。浸透性舗装では水が路面の下にじゃんじゃん行くので特にこの辺りをしっかりやっておかないと砂が流れて陥没してしまう。この辺もコスト高の原因だ。
https://www.asahi.com/articles/ASP7M6FXVP7MUTIL04W.html
見ると「豊島区の区道路整備課アホやろ」と思ってしまう。路面の下の砂が流れちゃってるのが原因なのだよ。それが路面下の施工不良のせいなのか水道管破損のせいなのかが問題。朝日の記者も突っ込めよ。
この合材を使ってるのは日本の他限られた国だけだから、外国に行った時には雨での路面水撥ねやスリップ、路面光りなんかは解消されていない事もあり注意が必要だ。雨の夜に特段の注意をしなくて済むのは日本他その合材採用した国だけなのだ。
合材の技術革新すげぇんよって事言いたくて長くなってしまったがNHKのこの映像の最後のシーンを見て欲しい。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210722/k10013153791000.html
落ちてる粒と歩道の舗装の粒が同じじゃないか?歩道の舗装は浸透性だ。対比として従来型舗装がこれだ。
故に撒かれた合材も浸透性合材である。浸透性合材はホムセンとかじゃ買えずに専門卸でホカホカのを買うしかないから五輪嫌がらせの為に撒いたという可能性は低くなる。
しかも道路工事で合材取りに行く時間だ。これは工事業者が誤って落としたのではないかという気しかしない。
ダンプは普通のトラックと違い後ろアオリが上ヒンジになっていて、下側にロックがある。そのロックをし忘れると下側からザラザラーと流れ落ちてしまう。それで落としたんじゃないか?
まず逮捕するには居場所が不定で逃亡や証拠隠滅の恐れがある時(罪状が重い場合も逃げる動機が大きくなるので加重評価される)に限られる。合材を道路に落とすと言うのはかなりの迷惑行為なのだが、それにしたって逮捕はないだろう。
この報道は「間違っている事を書いていないがミスリード」の典型だ。「アスファルトの粒が」となったら浸透性舗装合材だしそれは普通の人は買えない。そこは説明しないと視聴者の多数は判らない。未明に通行となったら道路工事で合材を取りに行く時間と重なる。これも説明なくば視聴者多数は判らない。
そこで「会社員が」と言われれば昼はスーツ着て働くリーマンが夜に撒いたってイメージになる。土木会社の作業員や運転手だって会社員だから間違ってはいないが視聴者の認識は間違いだ。
因みに植物油には植物性コレストロールが含まれるがこれは体内に吸収されずに排出されるのでコレストロール0と表記しても間違いではない。しかし全ての植物油はその故にコレストロール0なのでその表示を見て買う顧客は優良誤認している。
「間違っていないからミスリード起きててもヨシ!」みたいな報道は止めて欲しいもんである。それはまるで浸透性報道といった趣だ。浸透性舗装は優れているが浸透性報道は劣後なものだ。
最後にトリビアだが、昔のミシンや機械などは真っ黒の艶てか処理がされていたがこれにはアスファルトが使われていて「ジャパン/ジャパニング」と呼ばれていた。
チャイナが陶器でジャパンは漆器だったのでその延長で言われたのだが、アスファルトと日本は切っても切れない縁なのであった。そんな日本で足元のアスファルトに技術革新が起きてるのに気が付かないのはよろしくない。
2021年5月27日のやつ。猛烈にハマってるドラクエライバルズエースになにか良い話がないかなって期待して観たけどありませんでした。
で、ドラクエ12出るんだわーいってなってんたんだけど1つだけ喉にひっかかってたのが
「ドラクエ1からドラクエ11の中で俺、ドラクエ10だけやってねえな……」
ってのがありまして
35%offで遊べるってんで買いました。月額1,000円だけどまぁ、そこらへんはゲーセン行けばもっとかかるしねって納得。
結果、すんげー面白いです。
このゲーム簡単に言うと「バカが考えた理想のドラクエ」って感じ。
バカなら
「全装備が見た目に反映されてほしい」
「キャラメイクは膨大なパーツを組み合わせて豊富な種族から選ばせてほしい」
「装備とは別に見た目だけの装備もあってほしい」
「全ての装備にカラバリが全色あってほしい」
「MMOだけどドロップ品でケンカしないようにドロップは平等にメンバー分同じものが手に入る」
とか言うじゃん。無茶な提案をするじゃん。
全部ある。やべえ
「高速移動に使える乗り物が欲しい」
「ダーマの神殿があるドラクエみたいに転職がほしいし、リメイク7みたいに転職で見た目変わってほしい」
とか無茶言うじゃん
ある。あります。やべえ量ある。
そんでもって
「釣り」
「職人要素」
「仲間モンスター」
「タイムアタック」
遊ぶ前はもう8周年だかって話で人がいないか、もうレベルカンストした人が色々蹂躙してて新規は楽しめないでしょぐらいに思ってたのよ
ちゃんと新規でも職人として製造したアイテムを市場に流して利益が得られる。これは人が多いからこそなんだろうか・・・。とにかく楽しい。
メインの部分も、自分にあったNPCを雇用できるようになっていてRPGとして楽しめる苦戦するようなレベル帯で進めてもいいし
ゲームを崩壊させてボスを瞬殺できる仲間を用意して戦闘を作業にしてもどちらでもいいというプレイヤーに完全に任せるスタイルが楽しい。
私はレベル60ぐらいの仲間という縛りでレンダーシア進んでるけど苦戦しまくって楽しいです。
というわけでドワーフ男として蒼天のソウラで憧れたアストルティアの世界に入ってはや一ヶ月。
なんとか冥王ネルゲルを倒してver1終わらせてver2の舞台、レンダーシアまで足を踏み入れました。
蒼天のソウラで語られていたように、装備を整えるためのゴールドを得るのは中々地道で大変だけど、魅力的な世界で楽しく冒険しています。
今は一気に増えた道具袋や装備袋拡張クエストに四苦八苦したり、ハウジング面白いなぁとか撮影イベント楽しいなあ、職業クエストの為にそろそろメガルーラストーン欲しいなぁって満喫しています。
MMOでもドラクエはドラクエだったし、バカが考えた事をそのまま実装したかのような豪華さですごいなぁって日々驚いています。
現状、歴代で1番「ボリュームがすごい」ドラクエはドラクエ10だと断言できています。
理由としては、毎日4時間遊ぶのを一ヶ月続けて全体の1/5しか遊べてないドラクエなんてはじめてなんだよ!!!他のドラクエならもうエンドコンテンツって言うか隠しボス入ってるよ140時間も遊んだら…。
オンラインでとあるゲームをやるようになって、そのゲームを通して何人かの人と知りあった。その何人かで集まって通話しながらゲームをプレイするようになったが、そのうちゲームをプレイしない日でもほぼ毎日雑談通話するような仲になった。もう3年ほどそんな感じ。
一年くらい前、私がその内の一人(仮にA子とする)にゲーム上の行動でモラル的に良くない事をした。その場では気付かなくて後から「あれが嫌だった」と言われて私も素直にごめんねと言ったんだが、それからちょっとA子が変わった。
他の人(仮にB子)と私が二人でゲームしたあと、それを見てたA子が「私のときより対応が丁寧だった」と言った。A子との時に失礼な事をしてしまったため気をつけた、という理由もあるし、A子は趣味が合い良くゲームする仲だったので気を抜いて遊んでいたが、B子とはあまり二人で遊んだ事がなかったため確かにA子よりは丁寧な扱いをしていたと思う。そのときも最初の行いを謝った。
この通話グループは半分くらいが絵描きで絵の話もするのだが、あるときTwitterで私が皆の創作キャラクターの話をしていた時にA子が「私のキャラクターの名前を呼んでくれていない。名前覚えてないんでしょう?」と言い出した。そんな事無いよ、と言ったら「私は他の人のキャラクターの話をするときは全員の名前を出すように気をつけている」と言われて、このあたりでさすがに「知らないよそんなマイルール」とイラッと来たが、上記の通り良く通話する仲なのでもめ事をおこしてグループの空気悪くする方がめんどくさいからとりあえず謝った。
その後もやはりゲーム上やTwitterの行動で私のあれが嫌、これが嫌、と何度かダイレクトメールを貰ったのでそのたびに謝ったり弁明したりしつつ「そこまで不満があるともう私と一緒に居ても楽しくないだろう。せめてゲームだけでも一緒に遊ぶのをやめようか?」と言うと「私ちゃんの事を人としても絵描きとしても尊敬してるので一緒に遊びたい」という。
正直、私はかなり人の感情に気づけない鈍感人間だ。自分がやられて平気な事は他人にもしてしまうし、それに対しての他人からの不満にあまりにも気づけない。それがA子のストレスになるのが申し訳なくて謝ったりこういった提案をしているのに、一緒に遊びたいと言われたら断れなかった。私はA子と一緒に遊んでて楽しかったから。
続けてA子は「私ちゃんも私(A子)に言いたいことがあったら言ってね」と言う。ない。そんなものはない。だって私は友達が一緒に遊んでくれただけでハッピー!な人間だから。A子に不満なんかなかった。し、言ったところでA子は聞き入れてくれないのだ。
私がいくら「A子ちゃんのキャラの名前ちゃんと覚えてるよ」と言ったって、「でも私のキャラより他の子のキャラの方が好きなんでしょう?」とかえってくるし「そんなこと無いよ」と言ってその場では「分かった」と言ってくれても数ヶ月後には突然「私ちゃんはA子のキャラ好きじゃ無いから」と言い出す。A子の中にはA子が想像する私が居て、いくら本物の私が否定しようとA子の中の私がそうなら"そう"なのだ。私はそうして一年間A子の中の私に勝てなかった。彼女の中で私は「グループの中でA子の事を雑に扱う女」だった。実際の私は分け隔て無く全員好きなのに。
そりゃあオタクだから絵柄の好みくらいあるのでA子より好みの絵柄の子の絵を良く褒めたかも知れないが、それはもう好みの問題だ。それを言ったら「ほらね」と言われて私の「A子やA子の絵が好きだよ」が彼女の中で嘘になってしまうので言わないが。
結局一年間A子からのダイレクトメール凸が無くなることはなかった。内容は基本私の配慮不足によるものだったのでそのたびに謝ってたが(「二年前一緒にゲームしたとき私のリアクションが大きかったのが嫌だったのを思い出した」とかね)あるとき私はとうとう限界が来てA子のダイレクトメールだけをブロックした。アカウントはブロックしてない。ただ、タイミングが最悪でA子を含めた5人でゲームをする約束をしてた数日前だった。A子以外の他3人に話をしたらうちひとりから「巻き込まれた」と怒られた。ごもっともである。私はグループの空気を悪くした。結局ゲームは五人でちゃんと遊んだし、特に問題はなかったが私はまたいつA子の地雷を踏むかヒヤヒヤだった。
その後もA子は私がダイレクトメールをブロックしたのは知ってるみたいだったが、凸こそ無くなったもののTwitterで「私ちゃんは私(A子)の絵は好きじゃ無いから」と呟いたりしている。だからそれ何回否定すればいいんだ。
こんなんも〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜めんどくせって思いながら「グループ抜けようかな」とA子以外の人の人にいったらは止められるのだ。そんなことで私ちゃんとつながり切りたくないと。私だって嫌だわ。
って思いながら最近「なんだこれ中学生か???????????」って思ってる。ここまでごだついてるのにまだグループ抜けられない私が一番悪いんだが成人して独り暮らしで毎日くだらない通話できる相手って貴重なんだ。正直通話メンバーと出会ってからストレスは減ったし自己肯定感も上がった。それが無くなると思うとなかなか踏ん切り付かない。A子、私の事嫌いにならないかな。
ここまで読んでくれた人には悪いがオチは特にない。
ユーロトラックシミュレーター2(ETS2)と言うトラックを運転するゲームに今更ハマってしまった。
きっかけはとあるyoutuberのプレイ動画で、無料お試し版があったのでやってみた。
内容は自分がトラック運転手となり、交通ルールをしっかり守りながら荷物を運ぶゲームだ。
ただそれだけ。
スピード違反をすれば罰金、事故を起こせば罰金、信号無視をすれば罰金、無灯火で走れば罰金、
疲労がたまり過ぎると居眠り運転となり一切の操作が出来なくなる、目が覚めたころには我がトラックは横転し配送どころでは無くなっているだろう。
特に疲労には注意が必要で、疲労回復には9時間の休憩が必要になる。(途中で1時間仮眠、みたいな事は出来ない)
長距離配送となると休憩のタイミングはもちろん給油のタイミングも考えなきゃならない。
ここまでしっかり立てた運行計画であるのに実際走行すると事故で道路が封鎖されており、やむなく下道へ迂回させられる事も。
つまり運行計画はある程度のトラブルを想定した余裕のある計画でなければならない。
我々トラッカーに遅配は許されないのだ。
シミュレーターと言うだけあって牽引トレーラーが長くなればなるほど内輪差を考慮した運転が必要になるなど、挙動や操作は大分本格的であると思う。(※1)
ただし、この操作の本格的部分の大半がゲーム(所謂配送)には不要だったりもする。
ウインカーなどは適切に表示する必要があるが(※2)、ハザードランプは特に意味は無い。
なので点ける必要は全く無いのだが、バックで駐車する時は注意喚起と言う意味で自分は点けている。
クラクション(ホーン)も鳴らせるが、鳴らしたところで道を譲ってくれる訳でも無い。でも鳴らせる。
牽引トレーラーを切り離す時、別にサイドブレーキを引く必要は無い。でも引く。
そしてこのゲームの真骨頂と言えるのはバック駐車だと思う。(※3)
牽引車特有の挙動に四苦八苦し、上手く駐車出来た時の達成感たるや。
荷物を無事届け、「またな」と颯爽と手を挙げ次の現場へ向かう自分。
※1 実際のトラックを運転したことが無いのでどこまで本格的なのかは分からん
ポチポチゲーが苦手なのとシナリオライターさんがあんまり得意じゃない記憶があり、開放されてる時にざっと読んだだけだったオタク。
Musicがリリースされると言うことでCrazyRouletteのMVを見てみて度肝を抜かれた。
他のユニットもどんどんYouTubeにあがってきてEdenのTheGENESISのMVを見たときまた度肝を抜かれた。
好きが詰まっていた。
Valentine Eve's NightmareのMVをみ(以下略)
ということで始めてみることにした。
最初はちょっと主にイベント関係で四苦八苦して(システムが全然理解できなかった)MVだけ見れたら良いかなぁ…たまにユニット衣装以外が欲しいけど…
みたいなノリでとにかくユニットのMV衣装の解放をしていく日々。
Double FaceのEYEに…
どーーーーーーーーーーーしてもイベ限についてるMV衣装が欲しくなり初めての課金をする事にした。
※ちなみにここまで現在に至るまでまともにストーリーを読んでないので知識は全てニワカなので全く複雑な気持ちとかもなくただかっこいいからという理由だけでイベントを走っている。※
有志の方のExcelをお借りして走ってみてとても楽しかったし、無事DoubleFaceMV衣装をゲット出来た。
会社でコロナが発生し、色々予定がなくなった時に可愛いと思ったBrancoのイベントが始まったのでむしゃくしゃしてたし走ったり
複雑な気持ちになったりもせずただただフライトユニットさんのモデリングにダンデライオンスタジオさんのMVに興奮するだけのオタクだけど本当に楽しい。
こんな楽しい女性向けアプリは他にないのでは???と思うくらいには楽しい。
コロナのせいで暇なStayHomeもあんスタのMVと可愛いMV衣装があるから乗り切ってこれたような気すらする。
そのうちズ!!の方のストーリーを読んでみたい気もする。長いけど…ね…
これからする話は、とある小さなジャンルの小さなカプの字書きである私がいかに身勝手だったかということを伝えるものである。
大多数の人間にとっては、読んでも糧になるものはなく、むしろ不快になるものだろう。
それでも記事にしようと思ったのは、私の中で未だに蟠った昏い感情をひとつの文章として昇華し、過去の出来事として今の自分から切り離し、客観的に見てみたいからだ。
P氏と私の出会いは三年前。
私はそれまで活動していたある大きなジャンルを抜け、小さなジャンルのABというカプで活動を開始した。
前のジャンルを抜けた理由は、そのジャンル民が望むものが書けなくなって、しかも自分がそれにショックを受けていたからというありきたりなものだった。
二次創作は、当然ながら自分が望むものを作って楽しむのが正しい。けれど、あなたの書く○○が好きだと言われ、しかもそれが結構な人数いたとするなら、自分のためだけに書くのではなく、他人が望むものを書きがちになる。承認欲求というやつだ。
当時の私は、自分の望むものではなく、他人が望む作品を作り出すことに腐心していた。厄介なことに、それが楽しいと思っていたのだ。
しかしある日、私ははたと我に返った。
自分のためにではなく、他人のために二次創作をしているということに気づいた私は、そのジャンルを去ることにした。
そうして辿り着いたABで小説を書き始め、私は驚いた。
文字が次々と紡がれていくのだ。
私はあっという間に小説を書き上げて、某サイトに投稿した。ツイッターも始め、このカプのここが好きだということを、誰のためにでもなく、私のために呟き続けた。
千人近くいた前のジャンルのアカウントに対し、今のアカウントのフォロワーはゼロ。私の呟きなんて、誰も見ていないから当然いいねもつかない。
それでも楽しくて、私は呟きを量産し、小説を書き続けた。
三年前の、四月の終わりのことだった。
フォロワーがゼロと言ったが、そもそもABの活動人数は少ない。
活動を始めたばかりの私がフォローしたのは四人くらいだった。その内の一人がP氏だ。
P氏はすぐにフォロバしてくれた。
お互いに挨拶をすることもなく、話しかけることもない。いるけどいない、という関係だった。
私自身、あまり積極的に絡みに行くタイプではなかったので、何人かの相互さんと話したこともなく、黙々と壁を打つ日々だった。
相互になって二か月ほどした頃だろうか。P氏が私にリプを送ってくれた。私はABで初めて、同ジャンルの人間としゃべった。
嬉しかったが、それだけ。
今から思えば、初めてリプをくれたのがよりにもよってあの呟きだったのはP氏の性癖が相当ヤバイことを示していると思うが、それはまあ別にいいだろう。
初めてリプを貰ってから、P氏と私は一カ月に一度の頻度でやり取りをするようになった。
どちらかが作品を上げると「素敵です」と言い、それに対して「ありがとうございます」と返す。それくらいだった。
彼女と急激に仲良くなったのは、はじめてリプを貰ってから一年と少し経った頃だった。
その時の彼女と私は、同じような人間関係の問題で、同じように悩んでいた。
その頃の私は人間関係に疲れて、殆ど誰とも繋がっていなかった。
フォロワーはP氏だけ。正直、ABで活動を続けていくことに限界を感じていた。
ただ、まだ書き続けていたいという気持ちもあった。
私は彼女しか見ていないTLに、ABの小説を投稿し続けていた。
P氏初めて通話をしたのもその時だ。
その時に私は、彼女が二次創作で仲良くなったフォロワーとどう付き合いたいのかを教えてもらった。彼女は「同じ熱量の人と狂っていたい」と言った。私も同じだ、と嬉しくなったことを覚えている。
なにが問題なのかというと、熱量は主観的なものだということだ。
ある人の、あるジャンルに対する熱量を、客観的に計る方法はない。本人が冷めたと言えばそうだし、冷めていないと言えば冷めていない。
ここまでは、誰もが共通認識として持っていることだろう。
P氏も、私も、そう思っている。
ただ、私は、その先も考えていた。
ジャンルに対する熱量は主観でしか計れない。決して、他人には伝わらない。他人に伝えるには、行動として示さなければならない。こうした時に言葉で伝えるのは逆効果であること私は思っていた。
たとえば、あるカプについて毎日十以上の呟きをしていた人がいるとしよう。その人はある日別のジャンルにハマって、別ジャンルについて呟くばかりになって、あるカプについては殆ど話さなくなった。あるカプの絵や小説がTLに流れてきても反応しなくなった。以前なら、必ずその作者に感想を送り、フォロワーにその作品が素晴らしいからとプレゼンしていたのに、そうした反応を一切しなくなった。その人が唐突に「最近○○についてばかり呟いているけど、元のジャンルの熱は冷めてない。今でも大好き」と言ったとして、残念ながら私はそれを信じることができない。
完全に冷めてはないのだろう。新しくハマったジャンルの刺激が強くて、元のジャンルへの反応ができなくなっただけだろう。ただそれは、見方を変えれば、「冷めた」ことにならないだろうか。少なくとも、以前と同じように反応ができなくなったということは、そこに割く労力を減らしたことに違いはない。
別ジャンルにはまることも、そこに熱量を注いだ結果元ジャンルへの熱が冷めるのも、悪い事ではない。
何を好きになるのかは、その人の自由だ。
ただ私が、「冷めていない。今でも大好きだ」という言葉が出た時点で、その人はもう元のジャンルにこれまでと同じだけの熱量を注いでいないと思うようにしているだけだ。
本当に元のジャンルにも今までと同じだけの熱量を注いでいるなら、わざわざ言葉にしなくていいはずだ。
言葉にして、「冷めてないよ。だからこれからも仲良くしてね」と友情を乞うているような姿に、私は何とも言えない嫌悪感を覚えてしまう。
あくまでも私がそう思うだけだということは、言うまでもない。
人の考え方は人それぞれだ。だからこれは、私がこう考えたというだけの話であることを改めて記しておく。
話を戻そう。
P氏は私にこうも言った。
「別ジャンルにはまっても、そのジャンルで狂ってる君を見てたら私は楽しい」
別ジャンルに嵌って、別アカウントを作ってしまうと元々のアカウントのフォロワーと疎遠になるのはよくある話だ。チェックするTLが二倍になるのだから当たり前だ。そして先述の通り、新しくハマったジャンルの方に熱量を注ぎがちになるのも明白。結果として、元のジャンルの作品や元のジャンルで出来た知り合いの呟きへの反応は鈍くなり、その後ろめたさからアカウントを消すという人もいるだろう。
彼女は私にそうなって欲しくないと言いたいのだろう。別ジャンルにはまっても、同じアカウントで活動して欲しい、あるいは、別アカウントを教えて欲しい。たぶん、そういうことだと私は考えた。
ただ私は、彼女の言葉から彼女が望んでいることをできるだけ汲み取り、そうあるようにした。
その頃は、多分、上手くいっていたと思う。
彼女と私は毎日十や二十のやり取りをして、時々通話して、ABについてああだこうだと話していた。
傍から見れば異常だったのだろう。言われるまでもなく、当時のP氏と私の関係は、正しく「傷の舐め合い」だった。
少なくとも、私は楽しかった。今思い出しても、思わず頬が緩んでしまう。
そうしている間に、秋が来た。
彼女しか見ていないTLで「○○にはまった」と呟き。ABと一緒に新しいジャンルについて呟くようになった。
そのジャンル用のアカウントを作ったが、稼働させるのはすぐにやめた。
新しいアカウントで活動を始めると、熱量が分散されることを私は知っていた。だから、元のアカウントで新しいジャンルのイラストをリツーイトしたりしていた。P氏は私が新しくハマったカプについても「私は絶対はまらないけど」と言いつつも好意的だった。私が新しいジャンルに狂っている姿を見て楽しいと、初めて通話した時に言っていた台詞を繰り返していた。
彼女の様子が変わったと感じたのは、年が明けた頃。
彼女はしばしば、創作のモチベーションが上がらないと呟いていた。
例のウイルスの件もあり、イベントは軒並み中止。ジャンル民の創作活動も下火になっていた。
元々小さな規模のABというカプで、この一年間コンスタントに作品を上げていたのは、P氏と私だけ。
小説も毎日書かないと感覚を忘れてしまう。私の執筆スピードは目に見えて遅くなり、大量の文章を、人様に見せられるほどの完成度に仕上げられなくなっていた。
それがストレスでスランプに陥り、さらに創作頻度が下がっていることを自覚していたから、呟きは多くするようにしていた。
私がスランプに陥っている間、彼女はABの作品が増えないことに寂しさを募らせていたようだった。私は自分の不甲斐なさを痛感しながらも、スランプだから仕方がないと自分を励ましていた。
なんとか創作に集中できる環境を作りたいと四苦八苦していたが、そうこうしている間に彼女の方に変化があった。
毎日二十近くやり取りをしていた彼女は、私の呟きにリプを飛ばさなくなり、彼女自身が呟くこともがくりと減った。
私は彼女の行動に覚えがあった。
彼女はとにかく呟くタイプの人間だ。呟くことで、日々のストレスを軽減しているのだろう。だから、ここで呟いていないのなら、どこか、別の所で呟いているのだろう。そこで呟いているから、こちらで呟くことがなくなった。多分、そういうことだろうと私は考えた。
少しだけ、私の心に靄がかかった。
「別ジャンルにはまっても、そのジャンルで狂ってる君を見てたら私は楽しい」
かつて彼女は私にこう言った。
別ジャンルにはまって愉しそうにしている姿をみせてくれと言っていた彼女は、しかし、別ジャンルにはまって楽しそうにしている姿を、私に見せてはくれなかったのだ。
春の訪れと共に、P氏と私の最後の一カ月が始まった。
けどでもわかんないよな。
実家がちょっと太くて教育に金を惜しまないタイプだったので早慶上智を出た。
自分の他に姉妹いるが、自分と同じ中高なんだが色々あって引きこもりからの自殺チャレンジ(幸い未遂で終わった)とかやるような環境ではあった。余談だがその後何とか立ち直って今では既婚で子どももいる。嘘みたいな本当の話。誰かの希望になるかしらん。
現在三十代半ば、本気で子どもが欲しいならとにかく婚活で数打てとか言われるお年頃。子どもは欲しい。かわいい。面白い。
でも恋人とか伴侶とかができる気がしない。
言いたかないんだが、自己評価が低いのに変にIQだけ高いタイプの人間なので、大学出てからこっち「こんな私にさえできる/わかることができない/わかんないのかー」という失望と「アレがわからない/できないくせにそうやってイジりにくるのかーノッてやんないと面倒なことになる奴やなー」みたいなうんざり感を周囲の人間に抱くことに慣れすぎていて、恋人とか伴侶とか職場関係で作れる気がしない。言わんや婚活をや。容姿も良くないのに、それ以前の問題。
本当大学時代に恋人くらい作っとくべきだったのかね。勉強楽しすぎてド受身だったので当たり前に独りだったが。後悔はしてないしやり直せたとしても同じド受身ルート辿るのは目に見えてるんだが。
大学時代のバイトは塾とかは普通に全落ちして単発の試験監督とかでちまちま経験積んだあと卒業間際くらいにちっさい飲食に受かった。そこであまりにも仕事ができないというか、マルチタスクできないぶりが発覚。四苦八苦しつつ自分ハックの工夫スキルを模索するようになる。
ガールズバー?受けてないけど(当時そんなんなかった気もする)多分受からんし怖すぎるわ。絶対容姿コンプでズタボロにされて人格ひん曲がって終わる。実家が太くて本当に良かった。
卒業は2009年、リーマンショックの終わり頃くらい?始まりの頃だっけ?少なくともリーマンのせいにするにはちょっと無理のある時期で、普通に百何ヶ所くらい受けて一ヶ所しか受からなかった。いや、女性でもバリバリやりたいですみたいなこと言ったら「ウチは女は営業補助」とか言うんでこっちからお断りしたとかそういうのもあったけど。
その一ヶ所に十年勤めて、身体壊すレベルでいろいろ仕事したけど身体壊したせいで勤怠がガタつきはじめ、それを理由に昇進が一切なかったので付き合いきれなくなって転職した。
今の会社は小さめベンチャー、年齢的にあと2、3年で課長代理かなーとか言われたけどまあリップサービスだなみたいな状況。ガツガツやらしてもらってるのはありがたい。ただそろそろ電話番を他の人に代わって欲しい。男の子入ったやんワイより年下のが。そっちにやらせなよ。経験積まなきゃできるようにならないよ。
ときどき考える。男だったら実家継いで医者になっていたりしたんだろうか。少なくともそのプレッシャーは今の比ではなかったはずだ。
女で、諦められていたので、逆に自由にやれた。そういうところはあった。
そういう意味では女で良かった。自由、自由が一番だ。人から強制されるのは大嫌いだ。気が向かないとうまくやれないから。うまくやれないとみんな嫌な顔をする。
しかしじゃあ女で文句は全然ないか?そんなわけあるかい。少なくとも電話番は他の誰かにやらせるか電話番手当をつけろと思っているし、ワシよりデキないITエンジニアのキミは先方の要望表とシステムの仕様をガッツリ頭に叩きこんでワシと同レベルの聞き取りメモを作れるようになってから人をイジりはじめたまえよ。不愉快だよ。「不愉快だ」というのを態度に出すと「その言い方はやめた方がいい」とか言い出すのも何とかならんのかね上司殿。愛想良くしないでいる自由、ただ真顔でいる自由ってのはワシにはないのかね?
この、沼とか田んぼの泥の中を、ぬっちゃぬっちゃと力尽くで歩いてるような。毎日積もっていく徒労感。
そんなわけなかろうな。人には人の地獄があるというやつだ。
どこかの世界線で男として生まれたわたしはどうしているんだろう。
チームリーダと言ってもベテランの人がチームに入っていて、裏でその人にかなり助けてもらいながら進めている状態なので実質的にはサブリーダーみたいな感じなんだけど、よっぽどの問題じゃない限りは自分が矢面に立ったり、メンバの問題解決をしている。
ウチの上司は割と「失敗して成長しろ」と言う感じでそれが出てるのかなんというか癖のあるメンバーが多い。
仕事は出来るがまともに連絡をしない奴、進捗をごまかす奴、ルールに微妙に逸脱していることを何度言っても改善しない奴、連絡はきちんとするがなんでもこっちに仕事を投げる奴・・・
こんな感じでなんというか凹凸のあるメンバーばかり集められている。
幸い上司やベテランさんに助けてもらって順調とはいいがたいけど、残業もほぼなく、それなりに進んではいるが結構心労が来ている。
そんな中、趣味のアニメを見ているのだけど、アニメキャラの好みが明らかに変わったなと感じた。
前はツンデレキャラとかちょっとポンコツなキャラとか、なんというか年下系のキャラが好きだったんだけど、最近はそういうキャラではなく、自立したキャラ、包容力のあるキャラと、年上系のキャラが好きになってきた。
具体的には、ゆるキャン△で1期はなでしこが好きだったんだけど、2期ではしまりんの方が好きになっていた。
なでしこの周りにサポートしてもらってる所を見ると「あー、ここで助けが来なかったら問題が大きくなるんだろうな・・・」みたいな視点で見てしまうようになってしまった。
抜けてる所を可愛げと評価するのが自分の中で難しくなってることを感じる事が多い。
逆に、逞しさだとか自立してることを好ましく感じる事が多くなった。今期では蜘蛛子がかなり来てる。あの逞しさ、バイタリティ、能力の高さ!
歳をとってキャラが年下になったこともあるんだろうけど、部下を見る目に近づいてる感じがする。蜘蛛子とか「あーこんななんでもできる部下がいたらなー」とか思う時すらあったし。