はてなキーワード: 四苦八苦とは
確かに多いと思うよ。
当事者的にも覚えきれないし、ほとんどの当事者は気にもしていないけどね。
当事者として自己確立してしまえば、どんな言葉で自己定義するとかどうでもよくなるから。
どっちか言うと運動家や研究者(必ずしもLGBTではない)が使っていることが多いと思う。
「わからないもの」をわかろうと四苦八苦してるときに新語って量産される傾向があるし、
LGBT自身というよりその周囲の人が理解するための道具って印象。
あと、自己確立する前の、セクシャリティで悩んでいる人(含むメンヘラ)が使っているかな。
増えすぎの原因には、言葉を作った人間が注目を集められるってのももちろんある。
論文で提案した言葉がバズれば、被引用がっぽり稼げてインパクトファクター上がるし。
一時期レインボートイレみたいな当事者が迷惑がって反対するような提案が自治体の施策として取り上げられたりしたり
あんまり質の良くない、LGBTに詳しいと自称するコンサルタントの活動がずいぶん目立ったし。
ただまあ、それだけ言葉がなかったってのも大きいと思う。
性ってのは主観的な目に見えない部分が多いから、どうしても客観的な言葉にしにくい。
『奇跡の人』のサリバン先生も「言葉は心にとって光以上のもの」って言ってるけれど、言葉がないとどうしてもうまく悩めないのよ。
自分自身の心を見つめるにしろ、人に相談するにしろ、言葉不足は足を思い切り引っ張るから。
最悪LGBTってほどじゃないのに、その言葉しかなかったせいで、自分のこと考えるときに言葉に引っ張られてこの道に迷いこんじゃう人も出る。
10代20代の「自分がよくわからない」モヤモヤを抱えた子が自己確立する上では
もしくは、LGBTじゃない人たちがLGBTを理解する上では有益な面もあるから、一概に新語を否定もしたくないかな。
悩みを通り抜けて自己確立してしまえば、もうそんな言葉は不要になるけれど。
(増田の提案は自己確立済ましてることが前提だから、実は当事者にはあんまり意味ない)
私も何を隠そうヨーロッパにいまエンジニアとして移住してきて、割とあー搾取されてんなーって思いながら仕事している。
どう考えても地ピーに優遇されっぷりはエグイ。いつかああなれるかなとか思うが、次の世代ぐらいにならないと無理なぐらい
地縁やコネ、言語等では不利なところからスタートである。モリモリ追走しているが、やはりスゴイ距離がある。
借金させて、思考回路を寸断してきているという声もある。確かにそうだと思う。
でも、はっきりいってそれを言い出したら、あらゆることは言い訳できてしまう。
今は第二次世界大戦の時のように情報がすべて隠蔽できるわけではない。
お涙頂戴で来られても、なんで日本語がわかるようになったのならネカフェ
でもいって、情報収集しない。コネ作って助けをよばない?why???
どんなに頑張ったって、情報がとることができないということはない
東南アジア人のあなた、寮に帰って結局ゲームばっかしてませんか?
アジア人は本当にこれがおおい。ヨーロッパで絡む日本人もたいがいがこれだ。
現地に溶け込んで情報を得ようとする人はすくなくて、みんな億劫なのだ。
お互い抜け駆けさせないように自分たちで自分たちをデッドロックしている。
ベトナムでもエンジニアは優秀な人は本当に優秀。すごい勢いで仕事をする(人もいるが
滅茶苦茶やらない人もたくさんいる)。でも優秀な人も普通にいる。
そして、ということはエンジニアに全くなることができない環境ではない。
むしろ10年前にエンジニアになるべく4GのディスクのPCにcygwin入れようとして入らず四苦八苦して、
さらに給与たかいということは全ベトナム人が知らないわけではない。
おそらく、自分には無理だろうと早々に諦めてお涙頂戴のタオル劇場で踊っているというところだろう。
あー涙なしには見れませんなーーーー文楽っすわーーーータオルもってこーーい
そもそも低技能の人に移住されてしまうことは全世界的に警戒されている。
というより、移民に限らず基本的に考えながら行動しまくらないと、構図、ひどさはどうであれ、人は人から搾取
するようにできている。この構図はどの国にいこうが逃れられない。
人に同情する暇はあるんですか?あなたも大きな構図でみれば同じですよ。
日本人がベトナム人からタオルをたくさん、高い値段で買ってあげるくらい裕福だったらこの問題も起こらないですよね?
真夜中に、役所向けの書類に「今どき……」とイライラしながら記入して判子を押していたら、切手を封筒に貼るためのノリがないことに気づいた。書類を書くことも減ったご時世だがボールペンくらいはいくらでもあるし、いい大人だからシャチハタから実印まで判子も探せば出てくる。だがノリは出てこないのだ。だって使わないんだもの。
このコロナ禍のご時世、切手を舐めるのも気が引ける。仕方ないから部屋を出て水道……と思ったが、目の前にはウイスキーを飲んでいたロックグラスがあった。ロックグラスの水滴で切手を貼るなんてなかなかハードボイルド小説みたいじゃないか。なんて思いながら切手をロックグラスにつけると、なんと剥がれない。ぴったり張り付いた。ハードボイルドから一転、アホ面で四苦八苦しながらロックグラスから切手を剥がし封筒に貼り付けた。
当時ハマっていた芸能人の名前で検索すると出てきたブログで、文章に惹かれるものがあったので定期的に訪問し、過去の記事も拝見していた。
その方には他にも好きな芸能人が居たのだが、その芸能人も共通しており、勝手に親近感を感じていた。
内容から推定するに、自分よりも約5〜10歳くらい年上の方で、日々の楽しい出来事を綴っておられ、なんとなく憧れるような存在であった。
読み始めた当時はその方は独身だったが、読み始めて3〜4年が経った頃にご結婚され、勝手におめでたく思ったものだった。
その後、ブログに出会うきっかけだった芸能人は第一線を引かれてしまい、自分自身も環境が変わったことから次第にブログを訪れることも無くなっていった。
先日、ふとその芸能人の方はお元気かなと思い、Twitterで名前を検索し、ご本人のつぶやきやファンのつぶやきなどを眺めていた。
すると、そのブログを書いていた方がTwitterをされているのを発見し、勝手に少し懐かしい気分になった。
ツイートを拝見していると、その方は今は首都圏で暮らされているようだった。
今もきっかけの芸能人のことはお好きなようだったが、あまり活動されていないこともあり、その芸能人に関するつぶやきは少なかった。
自分自身も目立った活動の無くなってしまったその芸能人を気にかけることも減ってきていたので当然のことだなと感じた。
今は新しく別の芸能人にハマっていらっしゃるようだったが、その芸能人は一度自分もハマりかけたが、あまりファンの質が合わず、一気に冷めてしまった芸能人だった。
やっぱり好きな芸能人の傾向が合う方だなと勝手に嬉しくなったと同時に、その方のツイート内容を見て合わないと思ったファンの質の片鱗を感じてしまい、一気に冷めてしまったときの感情も蘇ってしまった。
勝手に。
ひたすら勝手に感じた感情を述べているのだが勝手ついでにもう少し続けたい。
その方はブログをよく拝見していた当時から仕事も一生懸命頑張る方だった。
仕事関連のブログを読んだときには自分も頑張ろうという気にさせてもらったし、当時、慣れない仕事に四苦八苦していた自分は元気をもらっていた。
だが、最近のツイートを読んでいるとあまりのプライドの高さに辟易してしまった。
どうやら、ここ1、2年の間にその方の人生でも大きな変化があったようで、その経験がプライドの高い発信内容につながっているようだと感じ、勝手にがっかりしてしまった。
ただ、よくよく考えてみると、当時からそこまで発信している内容は変わらないのだが、自分自身が少しずつ社会を知ったことで、なんとなく痛々しく感じるようになってしまったのではないかと感じる。
他にも、最近の時勢についても色々と思うことがあるようで、その発信内容へ決定的にがっかりしてしまった。
このブロガーの方だけではないが、制限が色々と多い現状の中で、人の本心や汚い所(時々はきれいな所も)透けて見えることが多いように感じる。
もちろん、今まで好きだった人、モノ、場所などを違う風に感じてしまうこともこの現状以外においても、人生を過ごしていけば多々あることだろう。
変わっていくことをなぜ
僕らは恐れるのかな
変わらないことを笑うくせに
勝手にがっかりしたブロガーの方と共通する好きな芸能人の曲にある歌詞の一節である。
昔はふーんとなんとなく聞いていた歌詞だが、今は心に突き刺さる。
勝手に読んでたブロガーに勝手に期待をして、勝手にがっかりした自分の勝手さにあきれてしまう。
人もモノも社会も世界も変わっていくものだと受け止めなければならない。
…………と勝手にカッコつけて綴ってみました。
多分明日読んだら恥ずかしいな。
1)1981年 父の死後、真っ先に葬儀に駆けつけてくれた田中角栄氏の助言で政界を目指すも、田中派ではなく中曽根派からの立候補。
田中角栄を裏切る。
2)1993年 非自民の細川連立政権が成立。自民党が野党に転落すると、立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に「私はね、政権与党にいたいんです。自民党の歴史的使命は終わった」と捨て台詞を吐き離党。
自民党を裏切る。
3)小沢一郎を「真の改革者」と称賛して新進党結成に参加するも、小沢一郎が党首に選ばれると、自分の考える政党と違うと総選挙前に離党。
小沢一郎を裏切る。
4)自民党に復党するも誰も相手にされず、伊吹文明が「石破君は仕事のできる人だから」と情けをかけて伊吹派に入れてあげるも、その後に入閣すると「閣僚が派閥に属するものはいかがなものか、派閥は旧態然としていると思いますよ」の捨て台詞で伊吹派を離脱。
伊吹派を裏切る。
5)麻生政権の閣僚を務めていながら、支持率低迷で総選挙が近づくと総理官邸に乗り込み、「後任は麻生さんが指名すべきだと、私は思うわけです」と謎の論理を展開して麻生おろしに加担。
麻生太郎を裏切る。
6)民主党からの政権奪還を目指した自民党総裁選で安倍晋三と総理を争い、敗れて幹事長に在任期間中、地方選挙で連戦連敗。
自民党支持者を裏切る。
7)安保関連法担当大臣を任せたいと言われるも、面倒くさそうなので、屁理屈をこねて固辞。代わりに受けた地方創世担当で実績を残せないどころか既得権益に配慮して加計学園問題で「石破4条件」を出し地方見殺し
地方を裏切る。
8)自民党総裁任期延長問題で総務会で吠えまくるが、誰にも相手にされず。否定していた派閥政治に利があると見て、石破派の水月会を結成。
自分の信念を裏切る。
9)森友問題、加計学園問題、自衛隊日報問題で新聞テレビに連日出演し、安倍政権と自民党を背後から撃つ発言をしまくり、マスコミの安倍おろしに加担。
安倍晋三を裏切る。
10)靖国神社の参拝に否定的で、大東亜戦争を侵略戦争と呼び、中国に謝罪せよと言い続ける真の売国奴。
日本国民を裏切る。
今月、4年半続けた仕事をやめる。
どうしても感情の整理がしたかったのでここに場所をお借りして書き連ねる。
退職理由は「職場の雰囲気が悪いことと、未来が見えなかったから」。
つらつらとこれまでの足跡を紡いでみたい。
1年目、配属された時はとても良い職場だった。
同年代の若い先輩が多く、職場は明るい雑談で盛り上がり、コミュニケーションを多く取りながら仕事が出来る職場だった。
若手の研修・育成もそれなりにしっかり行える環境で、仕事に必要な知識を半年程度で学ばせてもらった。
先輩達は私を明るく迎え入れてくれ、飲み会や遊びも沢山連れていってくれた。とても楽しく過ごしていた。
1年目の秋から、その年度に新しく移動してきた支店長が、組織の改革に乗り出した。その支店長は、別の支社から来た人間で、完全にパワハラ気質だった。
部下の部長や課長を怒鳴り上げ、萎縮させて無理な目標の仕事をどんどんさせていった。
支店長が掲げた組織改革は、俯瞰的な目で見れば確かに組織のタメになるものだった。ただし、余りに急なスケジュールで、組織と仕事のリストラに近いものであったために、現場社員の士気はどんどん下がっていった。
私の係から、組織改革担当を2人抜かれて残った私はわからないながらも先輩1人と四苦八苦しながらなんとか仕事をこなしていった。
2年目になると私の仕事は徐々に増えて、単純に業務量に押し潰されるようになり、残業も増えていった。
私は元々要領が悪く、コミュニケーション力に乏しいため、「何でそんなに残っているの?」と係長から度々言われる度に更にどんどん自分の仕事の報告が出来なくなっていった。また、隣の出来る先輩にどんどん仕事が集まっていき、私はどんどん職場で信頼を失っていった。
それと同時に、職場は組織改革に反対する人達が毎日文句を言うようになり、少しずつ職場の雰囲気が悪くなった。人材育成や新たな投資に対する予算も付かなくなり、前向きな仕事は無くなっていった。
2年目の夏頃から、私は「何でこんなに仕事が出来ないのだろう」と悩み続けて、休日も引きこもることが多くなった。それは思い込みや言葉にならない抽象的な不安であることも多く、友達や同僚に相談することは出来なかった。いや、それすらもわかってもらえないだろうと諦めていたのかもしれない。
いつからか、すっかり自分に自信をなくしてしまい、何とか仕事に向かっては、負の感情が延々とループして、思考力をすっかり失った脳を酷使しては、何とも言えない成果を残して春を迎えた。
3年目に、運良く子会社出向の打診を受けて、プラント現場の技術員として3年間限定で出向となった。この職場は自分にぴったりで、プラントの故障の対応や、効率的な運転を考えたりと、誰かに相談することなく自分の考えたことが目に見える成果として出ることに喜びを感じるようになっていた。去年抱えていた悩みが嘘のように、毎日ストレス無く過ごせていたと思う。
出向2年目になった4年目は、プラント設備に熟知したことで、仕事にマンネリ感を感じ始めていた。
新しい仕事に取り組みたい気持ちが強かったが、出向先が「3年間で帰る人間に新しい仕事をさせても」といった感じで、私の仕事は、日々同じことを淡々と行うだけになっていった。自社のプロパー社員を多く育成する時期でもあったため、また私から仕事が減っていくことになった。
マンネリ感を打破しなければならない強い危機感を感じていた。しかし、怠惰な私は日々の淡々とした仕事に流され、何となく仕事をこなし4年目が終わろうとしていた。
そんな時に、出向元から契約を1年残したまま支店に戻るように通達があった。私は強烈に反発した。
合わない仕事を何故させるのか、契約は1年残っていたのではないか、どういう人材育成プランと評価で戻すのか…たくさん疑問はぶつけたが、回答はなかった。
かつてのパワハラ支店長は別の支店に異動となっていたが、組織はもはや陰鬱とした状態となっていた。
組織改革は未だに続いており、組織改革チームの人間も当初から入れ替えられ、若手も組み込まれていた。
組織改革は、組織の目指すべき目標としては浸透しておらず、全員がただ、「やることだけが決まったこと」だけに対してゾンビのように働いている。
組織改革チーム以外の係にも、依然として前向きな仕事はなく、毎日全員が異動したいだの無意味な仕事だの呟くような有様だ。
僕は4月からこの職場でやっていけるかがそもそも不安で、自信もなかったため、転職について本気で動き始めていた。さらに、陰鬱な職場の雰囲気が私の心理にも作用し始めて、2年目のようにどんどん自信は失われ思考力は日々低下していき、6月頃になると社内ニートのような状態になった。でも、もう辞めるし良いかなと開き直り始めていた時期でもあった。
ひそかに進めていた転職活動が身を結び、8月終わりに10月からの転職が決まった。
職場に報告すると、全員驚いていたが引き止められはしなかった。君がいなくなると困る、と言ってくれる人もいないのが、逆に胸をスッとさせた。
私は、来週を終わりに有給消化に入る。
本当はずっと休みたい。
ただ、社内的にまだオープンに出来ないらしく、このタイミングでの有給取得は不自然だからやめてくれと言われて、渋々出社する。特に引き継ぐこともない。
この半年は、何も得られなかった。
何も得ようとしなかったのかもしれない。
友達と離れ離れになることは寂しいけれど、このままだと自分がダメになるから、仕方がない。
何が得られたのだろうか、この4年半、本当にしたい仕事は出来たのだろうか。何かの目標に向かって進めたことはあっただろうか。
私は元々、内向的で夢見がちで傷つきやすい、いわゆる「生きづらい」タイプの性格をしている。
次の転職をまたすぐに考えやしないだろうか。
何を目標に生きていくのだろうか。
とにかく、自分の信念に従って進んでいけば
きっと何かが見えてくるのだろうか。
タイトル通りだ。
飼っていた犬が死んだ。
おっとりして、抱っこされるのが好きな犬だった。
事故ではなく、ずっと患っていた病気がじわじわと進行して、亡くなった。
いつかはくると分かっていたつもりだったが、突然過ぎて、『あぁ、こんなにあっさりなのか』と思った。
今日書いておきたいのは、突然、飼い犬を亡くして直後からのやったことと、やる予定のことについてだ。
死んでる描写があるので、悲しくなってしまう人は読まないでほしい。
でももしかしたら、誰かの役に立つかもしれないので書き残しておく。
まず、恐らく彼女は、動物病院に向かう私の車の中で息を引き取った。
ようやく到着して診察台に寝かされたときには、脈も血圧も触れなかったと、先生が言っていた。挿管しても、心臓マッサージをしても、意識は戻ってこないだろうと言われた。
温かい彼女と別れを惜しんで、先生に「お見送りの準備」をしてもらった。
まだ体が固まらないうちだったので、体を拭いて、ドライヤーとブラッシング、エンバーミング的なことをして、スムーズに棺に収めてもらえた。
火葬まで、保冷剤(できればドライアイス)で冷やしておくことを指示されて、帰宅。
次に、去年猫を亡くした友人に、ことの次第を話し、利用した民間のペット葬儀業者を教えてもらった。
ネットで調べると、市の動物愛護センター(こういうのは決まって郊外の山の中とかにある)しか出てこなかったので、近いところが見つかって助かった。
すぐに業者に連絡、次の日を提案されたが、「まだ心の整理がつかないので」と、2日後を予約する。この判断は正しかった。言われるがままになってはいけない。
猫はいいのだが、犬の場合は登録があるのでここを怠ると来年の狂犬病の予防接種案内が来てしまう。
とりあえず、手続き的なものはここまででいい。墓はまだ考えていない。いいところを見つけるまで、家に置いておくつもりだ。
私には、火葬までに取り急ぎやりたいことがあった。
元々、犬の足型を取りたいと思ってネットショッピングを見たりしていたのだ。
しかし、明後日には火葬。ネットでは間に合わないかもしれない。
そこで次の日、西○屋と、ア○チャンホン○に行った。
予想通り、生まれたときの手型·足型をとるフォトフレームセットが売っている!ビンゴ!
家に帰って早速、保冷剤でひえひえ、ガチガチに死後硬直の犬を夫に持ち上げてもらい、四苦八苦しながら粘土に足型をとった。(肉球以上に、爪がめっちゃ刺さって、なんか思ってたんと違うのできた)
余談だが、私は彼女の鼻が大好きだったので「鼻型も取りたい」と主張し、試しにやってもみたのだが、出来栄えが微妙な上に、夫から「さすがにそれはどうかと思う…(鼻に粘土押し付けるのが)なんかかわいそう…」と言われたので、足だけでガマンすることにした。
ちなみに、死後硬直は思っていた以上にカッチカチだったので、犬の足型は生きていて元気なうちに取ることをおすすめしたい。
また、活発さに欠けたうちの犬は特に持っていきたいほどのおもちゃもなさそうなので、犬の天国までのお弁当がてらのフードと、お花をたくさん入れてあげようと思う。
散歩に行くと、草むらで目を細めて、彼女はよく風を見ていた。鼻を上げて、まぶしそうに。
うん。花屋にひまわりがあるといい。きっと、彼女に似合うだろう。
あとは、来月のトリミングのキャンセルがてら、お世話になった個人のトリマーさんに手土産と、ひと袋未開封で残ってしまったペットシーツを差し上げに行こうと思う。
明日、彼女を荼毘に伏す(と、犬畜生でも表現していいものなのだろうか)。
きっと泣いてしまうが、仕方がない。
女の子が顔を隠してエロい自撮りを上げるアカウントがあるじゃないですか
出さなかったりするのってなんなんだろうと思う
・会いません
・顔は出せません
これらはわかる。ワンチャン狙う不逞の輩はいくらでもいるだろうし
・写真写りをよくしようとしない(画面が暗いとかピント合ってないとか)
これがわからない。
プロじゃダメだ素人臭さがいいって人もいるけど、それはそれで他にたくさん裏垢があるわけじゃないですか。
ブラウスから見える谷間だけ見ても「はあ、そうですか」としかならないわけですよ。
スマホのカメラでもほんのちょっと気をつければキレイに映るわけですよ。
顔のことになると加工アプリまで使って四苦八苦するのに、顔が映らないエロ自撮りは光源すら気にしないのかと。
見たい人がいるかどうかより先に「見せたくない」とか思わないのかなと。
無残に垂れ下がったおっぱいを見ると「うひょーおっぱいだ!やったぜ!」よりも
「ええ…?」という困惑が先に来る。
(感覚としては、明らかに途中で失敗したイラストを手直しせずに得意げにアップするような感覚。
ここまで書いておいてそれだけ裏垢に詳しいってことはなんだかんだ見てんでしょ?と
突っ込まれるかもしれないけど、探しに行ってるわけじゃなくてTLに出てくるんだよ…
オタク系アカウントなので二次エロはともかく三次エロもたまにTLに流れてきて、
ブッサイクな男のキメ顔自撮りがTLに流れてきたらイヤだろ?
写りをよくする努力もしてないんだぜ?
裏垢なんてやめたほうがいい。
世間一般で女体は貴重だし、自己顕示欲を満たすにはいいだろうけど、
ここまで書いてエロ垢についてこんなに語って
おそらくキモいとか言われるんだろうなと思ってるけど、
言いたいこととしては
「自己顕示欲のために自分を切り売りするような真似をしてるんだから、
暇つぶしだろうが最低限やる気を出すか、できないならやらなきゃいいのに」
ということです。
新しい朝が来たと言えば、
そう!希望の朝!
そう!私は旧データとにらめっこして洗濯ネームを差し替えなければならない作業!
そしてダーウィンと言えば、
そう納得せざるを得ない感じで
マツケン~!ハイボール頂戴!って言いたい所、とは言い切れない!
そんでさ、
そんで新しいマークは
もうこれ規格のマークとして
きっと
このマークはなんだっけ?って人多数なはずよ。
ダーウィンだってそれらの洗濯マークの進化にはノーと言うはずよ、
とにかく!
そんなこんなで、
あとは届くのをマツケン~!ハイボール頂戴!って言いたいところね。
ここは本当に言ってもいいところだから、
とは言い切れない!なんて言わないわよ!
想像を絶するに値する、
困ってる人は多数だと思うし、
私もそんなあなたたちと一緒の悩みを持っている訳よ。
うふふ。
相変わらずやっぱり目玉焼きベーコンレタストマトサンドはなくって、
髪切った?って言っちゃったし。
甘いシロップは捨てても良いし、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
心に残った順でメモ。
以下、途中まで見てたもの
便乗だにゃ
若年者になるほど、人は賢くなると私は思う。
物事にはセオリーというものがある、セオリーとは先人達の試行錯誤の結果とも言える。
今、私たちが四苦八苦して、覚えた技術は、次の世代には当たり前のように使われるだろう。
どうして、義務教育の大半が暗記だったのだろうと考える時がある。
セオリーを一個一個体験して覚えるには、学校という時間は短すぎるのだ。
さて、何が言いたいかというと、よっぽどの努力家でない限り、人は自分より若いものに勝てないということだ。
年を取ると、新しいことを覚えるのが辛い、体力が落ちてハードワークがきついなどの愚痴を聞いたことはないか?
だが、年上ということもあり、何とか威厳を保とうとする、それが、見て学べだの、年寄りを敬えだの、果てはよくわからないマナーになったりするのだ。
「学問に対する不信」という意味で、社会学と心理学って結構似たような立場でよく外野から突かれがちだけど。自分はどちらも専門ではないけど、自分が大学の一般教養で心理学の授業を受けた時の話。心理学者としても危機感があるみたいで、やたらと丁寧に学問を学問たらしめる部分を説明された覚えがある。「本屋で売ってる自己啓発本紛いのサブカル本は全部偽物」「心理学は万能じゃない」と。
同じく一般教養で社会学の授業を受けたこともあるけど、そっちの先生は如何にも授業慣れしてない学者って感じで、心理学の授業ほど明快な説明を受けたわけではないんだけど。それでもどう説明したものかと四苦八苦してる印象だったし、それほど論理的におかしなことを言っているとも思わなかった。社会学にも学問を学問たらしめるための、客観性を担保するための仕組みはあると思うよ。専門じゃないから知らないけど。
まあ、社会学にも責任があるとしたら、そういう「科学コミュニケーター」的な役割を担う人が少ないんじゃないの、という印象がある。知らないけど。
公害問題の多発によって自然科学、とりわけ工学の権威が失墜しかけた時期もあったけど、結局「科学が起こした問題を解決できるのもまた科学」でしかなかった。「社会学が引き起こした問題」が、あるのかないのか知らないけど、あったとしても、それを解決できるのもまた社会学でしかないと思うよ。
根本的な対応なんか取れないから、表面的な対応として「アファーマティブ・アクション」取ってるだけだろ。
政治なんて「平等っぽさ」や「正当っぽさ」を打ち出してるだけで、本気で「平等」なんか目指してるわけじゃないのは見てたら分かるじゃん。
それに、ハーバードから人種関係なく云々で起きた問題は、文化資本と社会関係資本による問題が大きいから、年収逆比例の加点なんか効果がない
あと蛇足だけど、点数の問題云々で言えば、今アメリカとかで問題になってるのは北東アジア系による高級ポストの占領、白人の優位性をペーパーテストによって正当化をしてた現状があるなか、北東アジア系によるペーパーテストでの好成績と進学先の占領が問題になってて、白人が優位になるルールをなんとか考えられないかアメリカ社会は四苦八苦してるところなんだよね。
結局は「白人優位」のためのシステムであって、「平等を謳ってる白人も本当の平等なんか目指してない」ってことは平等を本気で考えてる白人の活動家が散々指摘してる。