「内定取り消し」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 内定取り消しとは

2024-08-24

長らく男しかいなかった会社来年女性社員が入るから教育係を探してたら候補全員から断られた

理由を聞いたら全員一致で「ハラスメントでっちあげられられるのが怖い」とのこと

いまさら内定取り消しするわけにもいかいからとりあえず半年間外部で研修させることになった

なんかこの人間社会ってもうダメになってしまったんじゃないか

2024-07-03

anond:20240703203743

2024-06-06

ゆかり飲んでなくない?」

飲んでないだけで変なコール歌われてネットにUPされて内定取り消しになるのアルハラだし本当に可哀想

2024-05-18

富山脱出した

長いです。 

コロナ禍初期で、業績悪化や県をまたぐ移動の制限により内定取り消しあおりを食らったのだが、受け入れてくれる会社富山にあった。友達には閉鎖的だと心配されたが、そうも言っていられないし、今は令和だし同じ日本だし、大したことはなかろうと思っていた。

スキルを積ませてもらったことは感謝すべきだが、私は二度と富山に住みたくないし観光で行くこともない。友達が住むと言ったら止める。

以下の理由は、あくまで私が関わった地域のみであると思いたいが、外から来た人は本当に馴染みにくく噂されること前提なのを事前に知っていたら来なかったのに。

是非誰か、これは違うと私の富山嫌いを払拭してほしい。

閉鎖的で噂好き 

私のような県外出身独身女は本当に珍しい。とにかくジロジロ見られるし、日中歩いていたらバイクでつけられたことが何度かある。そして噂好きで詮索好き。どこで生まれたのか何歳なのかどこに住んでいるのかどこの高校を出たのか結婚しているのか子供は何人か何歳かどこの学校に通っているのか親はどういう人か同居かどうか。

全く関わりのない人があれこれ聞きまわりつつも私本人には聞かないのもどうかと思うし、聞いた話を広めるのもどうかと思うし、そういう人ばかりなのもどうかと思う。こんな文化だと思わなかったため、話したらまあ広まる。

〜さんって〜なんやってー。えーそうなん?こんな田舎来るぐらいだからよっぽどおかしい人なんやねー。

〜らしいよ。えー休みの日とかずっと家におるんやろうね〜怖いねー。

そしてその尾ひれのつきまくった噂が〜さんって〜なんやろ?と帰ってくるというオチである

基本的自分と違う価値観で生きていることは間違っている、だから噂するし、目障りならいじめて追い出す。それが当たり前の環境であった。

男尊女卑

本当に地域によると思いたいし、30代以下の世代共働きで支え合っているという話もきく。

ただつい最近まで、中小企業では女の給料フルタイムでも男より低く、手取り10万を割っていた会社もあったらしい。共働きが昔からいからこそなのだと思う。男は家計を支えるために稼ぐ、女は家計を助けるため家事育児の片手間に働く程度だから、それほど払わなくてもいい。

さすがに最近は減っていると思いたいが、今でも家事育児は女がやる。働きながらだから保育園学童保育は充実しており、子育てやす地域だと謳われている。昔は仕事をして家事をするために一旦抜け、また仕事に戻って残業、帰って残りの家事をやり、ということもあったらしい。

男は、うん。畑持ってればその世話はしているんじゃないでしょうか。さすがに。

これだけやるべきことを女に押し付け自由にしていれば、男の幸福度(県の幸福度)も上がると思う。

天気が悪い

本当に最悪。これだけでも脱出できて嬉しい。とにかく曇りが多く、その雲が分厚すぎて空が低く、光が届かない。冬は大雪だし夏は灼熱。雪国なのに公的除雪が入らないところもある。夏はフェーン現象により、9月まで蒸す暑さが続く。富山立山連峰が自慢らしくよく宣伝しているが、あの晴れた景色を撮るには大分スケジュール調整を要すると思う。

自虐的積極性がない

富山の人はすごく自虐的積極性がないと感じる。一部の話なんだろうか?

石川は格上、福井は格下、新潟は仲間じゃない。新潟北陸に含めたり含めなかったりする説があるらしい。

それ以外の県はよそもので嫌い。

コンプレックスが強く、なにもない田舎だと卑下する。別に上だか下だかどうでも良いが、卑屈も身内ネタの一つなのだろうか?

米や魚が美味く富山特有産業もあるのだから、比べずに自分自分だと思えば良い。また、不満があるなら相談するなり、調べて折り合いをつけるなりすれば良いし、知らない人に興味があるなら、噂を聞こうとせず本人に聞けば良い。こうなんだろう、こうらしい、と話しやすい人と憶測で話すのは楽しいようだが不毛だし、反感を買う。

間違っている、こうすればよいのではと指摘する人を排除するから経済的発展ができなく田舎化するのではないか

富山の良さ

よく富山の良さとしてあげられるが、持ち家率は日本一だったと思う。土地を持っている人が多いらしい。結婚したら親の近くに家を建てるのが当たり前のため、TVをつけると「お家を建てるなら〜」のCMがとても多い。近くの親が親か義親かはさておき。

そのため、一人暮らし物件を探そうとすると選択肢が少ない。が、首都圏などに比べたら圧倒的に安いのは事実であり、場所を選ばなければ5万以下で、人目を気にしなければ一人暮らしはできる。

また、世帯年収も高いらしい。3世代同居だと自動的に稼いでいる人数が増えるのだから、平均が上がるのは当たり前だと思う。貯蓄額が多いのもそれはそう。お金を使わない妻が理想的な妻なので。

この数年は、人の目を気にし陰口を恐れ、非の打ち所がない人間として振る舞うことに力を尽くしすぎた。関わってわかったのだが、彼らに明確な悪意はない。ただ自分と違うことはおかしくて、モラルとかコンプラかいものそもそも学ぶ機会が少ないのだろう。

地元のひとなら、そういう面もあるからと流せるかもしれないが、外から来た人間はどうしてその土地を愛せるだろう。

非難する権利はよそものにはないので、棲み分け必要なのだとわかった。

最後ひとつだけ。電車で向かい合わせの座席に足のせるのやめろ。靴を脱げばいいという問題ではない。見るのも、座るのも不愉快

   

富山脱出した

長いです。 

コロナ禍初期で、業績悪化や県をまたぐ移動の制限により内定取り消しあおりを食らったのだが、受け入れてくれる会社富山にあった。友達には閉鎖的だと心配されたが、そうも言っていられないし、今は令和だし同じ日本だし、大したことはなかろうと思っていた。

スキルを積ませてもらったことは感謝すべきだが、私は二度と富山に住みたくないし観光で行くこともない。友達が住むと言ったら止める。

以下の理由は、あくまで私が関わった地域のみであると思いたいが、外から来た人は本当に馴染みにくく噂されること前提なのを事前に知っていたら来なかったのに。

是非誰か、これは違うと私の富山嫌いを払拭してほしい。

閉鎖的で噂好き 

私のような県外出身独身女は本当に珍しい。とにかくジロジロ見られるし、日中歩いていたらバイクでつけられたことが何度かある。そして噂好きで詮索好き。どこで生まれたのか何歳なのかどこに住んでいるのかどこの高校を出たのか結婚しているのか子供は何人か何歳かどこの学校に通っているのか親はどういう人か同居かどうか。

全く関わりのない人があれこれ聞きまわりつつも私本人には聞かないのもどうかと思うし、聞いた話を広めるのもどうかと思うし、そういう人ばかりなのもどうかと思う。こんな文化だと思わなかったため、話したらまあ広まる。

〜さんって〜なんやってー。えーそうなん?こんな田舎来るぐらいだからよっぽどおかしい人なんやねー。

〜らしいよ。えー休みの日とかずっと家におるんやろうね〜怖いねー。

そしてその尾ひれのつきまくった噂が〜さんって〜なんやろ?と帰ってくるというオチである

基本的自分と違う価値観で生きていることは間違っている、だから噂するし、目障りならいじめて追い出す。それが当たり前の環境であった。

男尊女卑

本当に地域によると思いたいし、30代以下の世代共働きで支え合っているという話もきく。

ただつい最近まで、中小企業では女の給料フルタイムでも男より低く、手取り10万を割っていた会社もあったらしい。共働きが昔からいからこそなのだと思う。男は家計を支えるために稼ぐ、女は家計を助けるため家事育児の片手間に働く程度だから、それほど払わなくてもいい。

さすがに最近は減っていると思いたいが、今でも家事育児は女がやる。働きながらだから保育園学童保育は充実しており、子育てやす地域だと謳われている。昔は仕事をして家事をするために一旦抜け、また仕事に戻って残業、帰って残りの家事をやり、ということもあったらしい。

男は、うん。畑持ってればその世話はしているんじゃないでしょうか。さすがに。

これだけやるべきことを女に押し付け自由にしていれば、男の幸福度(県の幸福度)も上がると思う。

天気が悪い

本当に最悪。これだけでも脱出できて嬉しい。とにかく曇りが多く、その雲が分厚すぎて空が低く、光が届かない。冬は大雪だし夏は灼熱。雪国なのに公的除雪が入らないところもある。夏はフェーン現象により、9月まで蒸す暑さが続く。富山立山連峰が自慢らしくよく宣伝しているが、あの晴れた景色を撮るには大分スケジュール調整を要すると思う。

自虐的積極性がない

富山の人はすごく自虐的積極性がないと感じる。一部の話なんだろうか?

石川は格上、福井は格下、新潟は仲間じゃない。新潟北陸に含めたり含めなかったりする説があるらしい。

それ以外の県はよそもので嫌い。

コンプレックスが強く、なにもない田舎だと卑下する。別に上だか下だかどうでも良いが、卑屈も身内ネタの一つなのだろうか?

米や魚が美味く富山特有産業もあるのだから、比べずに自分自分だと思えば良い。また、不満があるなら相談するなり、調べて折り合いをつけるなりすれば良いし、知らない人に興味があるなら、噂を聞こうとせず本人に聞けば良い。こうなんだろう、こうらしい、と話しやすい人と憶測で話すのは楽しいようだが不毛だし、反感を買う。

間違っている、こうすればよいのではと指摘する人を排除するから経済的発展ができなく田舎化するのではないか

富山の良さ

よく富山の良さとしてあげられるが、持ち家率は日本一だったと思う。土地を持っている人が多いらしい。結婚したら親の近くに家を建てるのが当たり前のため、TVをつけると「お家を建てるなら〜」のCMがとても多い。近くの親が親か義親かはさておき。

そのため、一人暮らし物件を探そうとすると選択肢が少ない。が、首都圏などに比べたら圧倒的に安いのは事実であり、場所を選ばなければ5万以下で、人目を気にしなければ一人暮らしはできる。

また、世帯年収も高いらしい。3世代同居だと自動的に稼いでいる人数が増えるのだから、平均が上がるのは当たり前だと思う。貯蓄額が多いのもそれはそう。お金を使わない妻が理想的な妻なので。

この数年は、人の目を気にし陰口を恐れ、非の打ち所がない人間として振る舞うことに力を尽くしすぎた。関わってわかったのだが、彼らに明確な悪意はない。ただ自分と違うことはおかしくて、モラルとかコンプラかいものそもそも学ぶ機会が少ないのだろう。

地元のひとなら、そういう面もあるからと流せるかもしれないが、外から来た人間はどうしてその土地を愛せるだろう。

非難する権利はよそものにはないので、棲み分け必要なのだとわかった。

最後ひとつだけ。電車で向かい合わせの座席に足のせるのやめろ。靴を脱げばいいという問題ではない。見るのも、座るのも不愉快

   

2024-05-05

デモ有効性<デモをするリスク

https://www.chunichi.co.jp/article/894007

これに文句を言っている人は、会社社員採用とかもする立場にある人もいると思うけど、

いわゆる「ガクチカ」で、もし応募者が「学生時代デモ活動をよくやっていました」と言ってきたら、

協調性がなく自分意見ばかり主張する」とかいって落としたりしていないだろうか。

そういうリスクもあるから、今時の学生はよほどのことがない限りデモなんかに参加できない。

言っていることとやっていることが違うんだよ!

だいたい今時の学生三菱樹脂事件ぐらい知っていてもおかしくないし、経営者層なら必須知識だと思う。

あの判決では、学生時代デモ活動に参加したこと理由とした内定取り消しはアリだということになっている。

その後原告会社側が和解して、原告は無事入社できて結局子会社社長にまでなったからよかったとかそういう問題ではない。

アメリカだとどうか分からないけど、少なくとも日本ではそうだ。

山崎さんも言い方は悪かったかもしれないけど、以上の点を踏まえると、リスクを省みず、よくあそこまでできるなという感想はもってもおかしくはない。

ただ一つ言えることは、ワイドショーコメンテーターなんかやらなくてもいい。彼女なら他にいくらでも自分を生かせる道はある。

2024-04-22

40代後半の転職活動

2023年秋まで外資系IT企業に勤めていた。本国レイオフの影響を日本法人も受けて無職に。社内異動も提示されたが、辞めるなら6ヶ月分の給与ボーナスをもらえるとのことで家族了解も得ず、勢いでサインしてしまった。まあしばらくのキャリアブレイクの後に、のんびり転職活動すればいいかと思った。しかし、思いのほか苦戦して4月まで引きずってしまったので、恥さらしだがここに記しておく。

スペック

2023年

知り合いや取引先に「いや〜外資系あるあるなんですよw」「御社にいいポジションあれば入れてもらえませんかw」などと軽い気持ちで打診していた。面接の設定はトントン拍子に進むし、代表者と即話せることが多いのだが、シニアなわりにCxOやVPでもなく、中途半端に前職年収が高い(1800万)のがネックで、「うちにはオーバースペックですねえw」「会社フェーズカルチャー的にフィットしないと思いますよw」などと体よく断られることが多かった。まあそんなこともあるか、すぐに他が見つかるだろうし、などと考えていたが今思うととんでもない思い上がりである。要は40代後半の文系で専門スキルなし(狭い業務領域ドメイン知識と多少のピープルマネジメント経験がある程度)の高コストおっさんであり、何度も断られるのには理由があったといえる。

2024年

年が明けてハロワに行き、国民年金に切り替え、社保の継続加入手続きiDeCoの変更などをしていくうちに、焦りが出てきた。何度面接しても結果が出ないのである3月末時点で書類落ち(転職エージェント転職サイトボタン一つで気軽に応募)は100件を超え、転職エージェントとの面談20件になった。企業とのカジュアル面談20社、落とされた面接は30社に上っていた。準備時間を含めてそれぞれにそれなりに時間コスト(本を買ったりウェブを読んだり)をかけているので、本命と思っているところから失礼なフィードバックがあったときは心が折れかけた。特に許せないのが某(意識高い系ニュースプラットフォーム運営企業ポジションを探して10回も面接をしたあげく、途中で社内の組織変更があったという不明瞭な理由募集ポジション消滅して見送り。それでも何とか心を保てていたのは、少し蓄えがあったのと、酒と麻雀スパ巡りを暇にかまけて再開したおかげかもしれない。…まじでおっさん趣味じゃないか

結局、先週になって前職の知人に紹介された外資系某社で拾ってもらえることになった。やっぱり外資フラット人間関係と高い年収の魅力には勝てないのよ。他には日系、大手スタートアップ含めいろいろ受けたが、本当の意味で入りたいと思えたのは某クラウド、某テレビ局、某AI関連企業の3社だけだった。都合50社と会ったとしても、社会人としてのキャリアの最終盤に「身を置いてもいい」と思えたところは1割にも満たなかった。若さが失われてリスク許容度が下がっているのと無関係ではないと思うが、その企業サービスプロダクトに対して「新しいものが新しく見えない」ようになっているのが最も大きな要因だと思う。40代後半ともなると成長しない企業や楽しくなさそうな企業SaaSスタートアップに多い)の見分けはつくようになるものだ。

というわけで、おっさんがやむにやまれ転職しようと思うと、受け入れてもらえるところに妥協してでも入るというスタンスになりがちだし、数打ちゃ当たると思ってしまうけれど、それでも結構時間がかかりますよというお話でした。

その他

2023-10-16

バカとのやり取り

リーマンショック内定取り消し内定取り消しされた学生対象とする就活内定獲得するも連鎖倒産して内定ないまま卒業派遣就職するも正社員となる前に派遣切り→同じく内定取り消しされて派遣就職してた大学同級生である彼女職場正社員の先輩と結婚景気回復するも時既に遅し→実家に帰り漫画家として一発逆転を目指すも両親から言葉暴力虐待あい家出倉庫での積み込みと介護施設で食い繋いでいたものの、膝と腰を壊し現在一人暮らししながら生活保護受給する独身中年男性

不定期で家にやってくるバカ公僕とのやりとりを紹介。

バカ公僕「同じ町内のご実家に帰られて、一度ご両親のお世話になりながら就労支援などを受けられては?ご両親は健康なようですし」

俺「父から暴言を浴びせられるので。被害届出てるので確認してください」

バカ公僕「……身体故障のある従業員にも理解があり、軽作業の割り当てが可能企業求人がありますよ」

俺「身体故障のあることを理解しておきながら事務職ではなく軽「作業」ですか?」

バカ公僕「……また来ますね〜」

俺「もう来なくていいですよ。来るならもっと話の通じる人でお願いします」

バカ公僕「……」

2023-09-26

税務官僚だった頃の思い出 Part3/3


思い出⑤ 転職を決意した時

 40代前半になり、管理職意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。

 そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサル内定を得たという。

 「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。

 私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。

 できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。

 そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。

 数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関事情説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。

 民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。

人事院規則八―一二職員の任免)

(辞職)

第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。

 公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法人事院規則により公法上の契約関係構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員サラリーマンということだ。労基法適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(労働協約締結権があるなど)。

 上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則国家公務員法国会議決から委任を受けているからだ。

 N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職目的としての辞職が認められなかった。

 結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれから転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。

 N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。

 「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから

 当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。



思い出⑥ 転職活動転職した後

 繰り返すが、四十前半であれば課長管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッション遂行しなければならない。

 転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育て不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。

 この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要ドキュメントを作っていった。

 転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所入社時期や休業制度や、もっとかい事項もあったが省略する。



【当時の転職活動方針】 ※やしお氏リスペクト

1 どの業界(会社)に応募するか?

 一 コンサル希望

  ア 今の仕事が「説明」「説得」であるため

  イ 専門性を高められる業界がいい

  ウ パワポ職人としての腕も活かしたい

 二 職務内容に拘らない

  ア どんな仕事でもやっていれば好きになる

  イ それよりもどんな人と働けるかが大事

  ウ 嫌な人と一緒にいるストレス想像以上(仏陀も言ってる)

 三 ベンチャーなどリスク高は除く

  ア 突然の内定取り消しや事業悪化可能

  イ カルチャーフィットしない可能性あり

  ウ これまでの企業文化と合っていない

2 職務概要職務経歴書

 一 徴税吏員としての経験を活かす

  ア 相手企業との折衝

  イ 過去判例を読みつつ方針決定

  ウ 最後正論で押し切る

 二 税制改革企画・調整

  ア 上級行政庁が決めたものをかみ砕いて整理する

  イ 全体向けに説明した後、現場レベル立脚した観点で是非を整理

  ウ 上の人間が本番の会議で話しやす資料作り

 三 新税務システム検討や導入支援

  ア コンサル組織内部と密に打ち合わせしつつ完成→検査検収

  ※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり

   後に、図表を効果的に使ったものに置き換えた

3 会社に求める条件

 一 及第点の実力があれば定時退社できて休日出勤もない

  ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい

  イ 一日にちょっと趣味をやりたい

  ウ この年になるとゆっくりしたいのもある

 二 風通しがいいこと

  ア 息をするように自然議論ができる職場か?

  イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいいか

  ウ 自分が感じたことを素直に言い合える環境か?

 三 評価基準が明確であること

  ア 前の職場不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。

  イ 低い査定でも納得できるだけの客観性を求む

  ウ 低評価社員をすぐに見捨てたりクビにするのはNG

   ※本当に役に立つ人間勤務評定では判別できない

 四 給料度外視

  ア お金にこだわっても仕事は見つからない

  イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい

  イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK



 とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界リーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。

 だが一方では、「上場企業外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。

 こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。

 言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェント転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットからだ。

 かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。

 決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。

 こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。

 次は、どうやって上司転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員退職にあたっての厳密な許可制再就職規制は、当時の私の役職課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。

 「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。

 思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!

 証拠書類として、第二志望だった外資系大手オファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。



 転職成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。

 実際、春先になってすぐ、雇用保険健康保険手続き関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職成功したのだ。

 新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事出会うことができた。

 定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。

 反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分意見として昇華できる。そんな人達だ。

 いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。

 タイトルは、『ちいちゃんかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。

 かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンとき作品だった。増田民にも是非おすすめする。

 晴れ晴れとした気分だった。それからマイホームで羽をのばした。なにしろ毎日が定時帰りなのだから子ども実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。

 暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話CM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後ふたり花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。

 ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。

 私のようなおじさんが楽しめたのだから若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。

 たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。



 ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。

 税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。

 そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子脳裏に浮かんでくる。

 ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。

 長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。

 今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運感謝したい。



(追伸)

 上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。

 N君の転職活動成功する未来を祈っている。彼は独身から、私よりは選ぶ会社自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。

2023-07-24

anond:20230723181923

2009年卒だからわかるよ。

あのときは、過剰な売り手市場就活おかしくなってるって論調記事をよく見た。

ただ、内定ポンポン出るとはいえ、それは一部の優秀な人に対してだったから、俺みたいに面接の下手な奴はなかなか決まらなかったな。ただ、すぐに面接までは進めるから、場数を踏みまくることで面接に慣れて、今の会社内定を貰えたよ。だから1年ずれたら就職できなかったんじゃないのかという恐怖感は当時あったわ。

ちなみにリーマンショックによる内定取り消しが騒がれてたけど、少なくとも知り合いにはおらんかったし、○○が内定取り消しになったみたいだぞ!って噂すら耳にしなかったから、なんだかんだでこの世代はほぼ逃げ切ったイメージ

マスコミを騒がせた内定取り消しの会社って、年度末に潰れてたから、本当にリーマンショックの直撃を食らって、にっちもさっちもいかなくなってたんだろうな。

2023-07-18

anond:20230718000650

リーマンショックはあらかた就活終わってから来てるから内定取り消しされた一部の可哀想な奴を除いて、2009年卒は逃げ切ってるぞ

2023-07-15

anond:20230715104312

いやいや価値観っていうのはさ、「こうあるべき」って理想で決まるわけじゃなくて時代的、制度的、物理要請に基づいて、なし崩し的に決まってしまものなんだよ

 

たとえば就活を考えてみろよ

一昔前は採用側が強くて、応募側が弱い買い手市場だったか圧迫面接内定取り消しがまかり通っていた

でも今では少子化による空前の人手不足で圧倒的に応募側が強い超売り手市場になったので、圧迫面接なんて完全に消えたし、応募側が企業に対して強気に出るのが当たり前になった

 

翻って男女の話になるが、恋愛市場においては(若い)女が圧倒的に強い

なぜなら統計にもあるように、女の場合20代の女は20代の男を望むが、男は20代も30代も40代も50代もそのまた上も、全ての世代において20代の女を望むから

仮に全ての世代一定数だと仮定しても、20代の女を1とするとそれを望む男の数は20代~70代で6になる

1:6の比率、つまり6倍の倍率だ

実際には少子高齢化若い女の数より老若男の数が異常に多いのでとんでもない倍率になっているのが現状だ

このように(若い)女が圧倒的に強い市場において、「女が男に告白する価値観にした方がいい!」と理想論を唱えたところで何の役にも立たない

かつての就活現場において、圧迫面接はやめましょうと唱えたところで何の意味もなかったのと同じことだ

世迷い事を言う前に現実をみろ

 

きみらがバカげた理想論を唱えている隙に手練れのオッサン粛々と若い)女にアプローチしてモノにしていっているぞ

2023-06-22

anond:20230621210336

氷河期第二世代だよ

Wikiを見たら氷河期世代って2回あるんだね、自分の辛かった就活2011年2012年(つまり11卒)だから第二世代にあたる気がする。

朧気な記憶辛酸を舐めた感覚けがトラウマ的に残っているから、忘れ去る前にだれかに知って欲しいと思って書き残す。

2011年はすでに「リクナビ 」「マイナビ」が発達していて、基本的会社説明会はここからエントリーする形式だった。合同会社説明会国際展示場で何度も開かれていて、そこに行って説明会を聞くか、エントリーして説明会のご案内がもらえればそこに行く形だった。

就活全体としては、説明会ESSPI/適正テスト面接グループディスカッション、一次面接二次面接〜中略〜最終(五次)面接)→内々定のような流れ。説明会に行くのは必須

何回も説明会に行って、何回も大学支援センターESで直してもらっても大体は書類で落ち続けているうちに、3月3.11が起きた。

行こうとしていたNY行きの卒業旅行の3日前で、戸惑いながらキャンセルの連絡したら、向こうの代理店日本人の方が、すごく丁寧かつ心配そうに良きに計らってくれて、問題なくキャンセルできて「あぁすごいことが起きたんだもんな」とぼんやりと思ったのを覚えている。

(翌年の世代さら就活が厳しくなった)

それからクソ暑い真夏リクルートスーツを着続けた、暑くて辛くて惨めで、死にたくなったのを覚えている。同卒の学生は顔が良い人や、コミュ力の高い人から卒業前に内定を勝ち取っていったのを見ながら、自分絶望しつつ頑張っていた。「お祈りメール」を読む日々のなかで、唯一お断りとともに自社製品を送ってくれたカゴメのことは今でも好きだ。戦略だとしても唯一優しくしてくれた企業だったので、喜んで掌の上で踊りたい。それくらい会社という社会からの拒絶感に病んでいっていた。内々定3月にもらった友人が4月内定取り消しを受けていた。内定取消し、圧迫面接問題とされていたけど普通に起きていた時代だった。今みたいにSNSが発達していなかったから、個人晒しあげる手段空気もなく、不当だと感じつつ割と泣き寝入りしていた気がする。

就職したのは東京の小さなIT企業だった、25歳〜30歳の先輩はおらず、30歳以降の先輩は高卒しかいなくて、雰囲気全然違って「なんだここは」と戸惑っていたのを覚えている。10卒の若干イケメンの先輩は明治卒だった。そんな時代だった。大田区工場みたいな作業場で作ったものを、お客さんに届けるルートセールスを数年やった。客先からセクハラを受けて(手を舐められる、胸を突かれる、接待で連絡先を聞かれた後に帰宅時に付き合ってほしいとメールが来る)(今でも恨んでいるぞ中◯製◯)営業からはずしてもらったけど、セクハラサービス残業20-50h)も仕方ないよね、って時代だった。むしろ会社としては優しい方だったと思う。

会社が傾いてきて人員整理を始めたから波に乗って辞めた。半年アルバイトをしつつ就活した。運良くバイト先で社員登用されて希望業界転職できた。なんでかそこで人事を数年やったんだけど、12卒だけ圧倒的に「性格が良く仕事もできる子」が多くて、しみじみと氷河期を実感した。あの子達も時代が違えばもっと大手待遇の良い会社採用される人材だっただろうに…自分より不遇だな…となんだか時代の悲しさを思った。採用に関わった数年は、卒業年度によって応募してくる人達全然変わることをすごく実感した。

こうやって書いてて思うけど、第一氷河期の人たちの方がしんどそうだな、と思う。私達の頃は就活って大変なんでしょ?って認識があったし、就活自体過酷だったけど、悲惨レベル比較的マシ?なのかもしれない、母数も違うし。あと私みたいに20代のうちにキャリアを立て直せる可能性があった時代だった、私が25くらいから「第二新卒」って言葉で若手採用が行われて転職できるチャンスがあった。

ここ7-8年で「セクハラパワハラは悪!」「サービス残業なんてありえない!」「働き方改革!」「育休!」なんて風に怒涛のような労働のあり方が変わったよね。自分世代が無理なく育休が取れ始めた世代なのかな。これでも今の新卒とは見える景色全然違うんだろうな、私のときはこんな感じだった。良ければ他の世代の話も聞きたい。

2023-06-21

anond:20230620104704

就職、冬の時代なんて言われてたんだよね。最初は。

それがいつまで経っても春が来ないから誰かが「氷河期」と言い出した。

大学生内定取り消しニュースが出た時は、まだ高3くらいだったと思う。私が就活する時じゃなくてよかったなと思った。お花畑だったから、これは一時的不景気で、すぐにまた(バブル期の)好景気…当時は平成景気と言う人もいた、に戻ると思い込んでいた。

Z世代はこれ突っ込んでいいよ。

で、97年に山一自主廃業ニュースがあって、その頃は公務員試験教員採用試験勉強をしている学生も多かった。

家に送られて来るマイナビの厚みが男子学生女子学生全然違ってた。当時京都に住んでて、住所がすごく長かったので、資料請求葉書を書くのが辛かった。

内定が出なかったので実家に戻って非常勤仕事をしてた。

2023-06-20

氷河期なんていわれた世代だよ

山一證券内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶ちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。

山一廃業ニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。

10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。

内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから不況からね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっと公務員試験教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。

当時の空気感は今と全く違うし、知らない世代には通じないものがあると思う。そんな話をしていきたい。

まず、当時はインターネットがそんなに普及してなかった。地方に行くほどその傾向は高く、他所で何が起きているかを把握するまでに少し時間がかかった。一番早くてテレビそれから翌日届く朝刊。口コミの伝播も遅かった。東京流行っているファッションアイテム地方に届くまでにも、半年くらいかかっていた。

就職のための情報収集もとにかくアナログで、ホームページのある企業はまだ少なかったし、あっても用を成さなものと見做されていた。だからリクルートがくれる分厚いカタログについてくるハガキ資料請求

そんなことをしてると部屋中企業案内のカタログだらけ…になると思うだろ? 企業ハガキにある大学名を見て送ってこなかったりもしたから、そんなに増えないのだ。そして応募しても当たり前のように落ちるし、酷いところは結果も知らされない。絶対電話で結果は連絡しますといっても、かけてこない企業の方が圧倒的に多かった。電話代もいちいちかけるには高いもんな。当然封書での不採用通知ほとんどくることはなかった。履歴書も戻ってくることはほとんどなかった。

パソコンよりワープロのほうが普及していたけど、増田のいたゼミ卒論手書きで出してた割合の方が高かった。そして履歴書は当然手書き。当時はそんなソフトもない。(頑張れば履歴書も作れたかもしれないが、当時の手書き文化の前で認められることはなかっただろう)そんな手書き履歴書を何十、何百枚と書いて各企業に郵送していた。当然、コピーなど許されなかった。ペンだこができるまでボールペンを握り続けた。ちなみにボールペンも昔はたいして種類がなくてソフトグリップなんてものはまだ多くなかった。だから履歴書も手を真っ黒にして書き続けるしかなく、その多くが徒労に終わった。

ちなみにあの頃ケータイは高すぎて、学生は皆ピッチ(PHS)かポケベルを持ってた。田舎住まいだと実家に帰ると電波が入らなくて、履歴書にも家電の番号を書いていた。

しかしながら増田の周りの女子大生特に短大生の内定率は高かった。まだ腰掛けが当然の時代で、30歳前、早ければ25歳くらいで女性社員結婚理由にどんどん退社していく。つまり常に会社には若い女性が入れる隙間があった。そして企業がそんな若い女性に求めるのは、「将来的にいいお嫁さんとして最適な時代に辞めていくこと」でしかなく、学生側もそれを良しとしていた。総合職を目指す女子大生は求められていなかったのだ。そこは厳選された男子学生の席だった。

男女雇用均等法はまだ、あってないようなものだった。インターネットが普及していないかたから、今のように誰でも気軽に告発するようなこともできなかった。そういったことは共産党相談するしかなく、それはとても高いハードルだった。

氷河期世代理由に今も不遇をかこっているのがおじさんばかりなのもそこに理由がある。あの当時、女子大生短大生はサクッと内定を獲得し、数年働き、そのほとんどが結婚を機に職場を去っている。そして家を建て、車を買い子供を産んだ。

もちろん、そうはいかなかった女もいる。これを書いている増田だ。中学生の頃から母がフルタイムで働いていて、自分でもそうするのが当たり前だと思っていた。だから分不相応にも就職活動ではキャリアを目指したいなどと言ってしまった。

結果、どこにも決まらなかった。そんなものはまだ必要とされていない時代だったのだ。

内定先を見つけられないまま卒業式を迎えた。求人誌で見つけた大手企業アルバイトに応募したら案外あっさりと決まった。社員登用もありなんて書かれると人は弱い。そんなことは結局起きなかったが。

アルバイトながら4月1日に勤務開始。仕事は主に伝票計算。社保も厚生年金も入れず自分で払うと最低時給の給料は吹き飛んだ。そしてその職場には、同じく就職できなかった女子がいた。卒業した大学増田よりはるかに上のランクだった。こんな人でも決まらなかったのか。彼女はやはり25歳になる前にお見合いをして職場を去った。

増田も30前にしてやっと手に職をつけることができた。アルバイト先を辞めて実家を出て、なんとか就職できた。

数年働いた後、昔のバイト先が消滅したとバイト仲間から知らせを受けた。紙と手でチェックしていた伝票計算仕事が無事にすべてIT化され、施設自体が閉鎖、アルバイトも全員解雇されたのだ。

だが昔の仲間を労っている暇はなかった。キャリアも何もないアラサーの女は多少のことで辞めはしないだろうという激務につぐ激務で、体を壊した。

転職しようと就職支援会社に行くと「年齢とキャリアミスマッチですね」と言われ、紹介できる会社はないと遠回しに言われた。ずっとこの言葉はついて回るのかと思いながら、別の会社を経由して無事に転職した。このときにはもう、履歴書手書きで出す必要はないと言われた。いつのまにか時代は変わっていた。ネットに落ちているExcel履歴書ダウンロードして入力して、プリントアウトして提出した。あっさりしたものだった。

無事に転職した直後に、リーマンショックがきた。暮れのテレビでは派遣村ニュースをやっていて、自分もいつそこへ行ってもおかしくないと痛感した。当時付き合っていた人は不況煽りを受けて職場倒産し、その後変な山師みたいなおっさんについてベトナムに行くと言って連絡が取れなくなった。風の噂で今は日本にいると聞いたが、どうしているのかまでは知らない。

それから震災やら大コケするビッグプロジェクトやら家族との別れなど、色々なことに遭遇しながら、今も一人で生きている。会社は辞めたが、仕事はしている。久しぶりに自分健康保険国民年金を払ったら、思った以上に高くなっていた。この先もずっとこんな感じで生きていくと思う。職をつけてよかった。

増田には今、大学同級生たちとのつながりがほとんどない。世の中にSNSが普及したころ、彼女たちは子育ての真っ最中でそれどころではなかったのだ。Facebookで卒大のグループを見てもそれらしいアカウントは見つからなかった。かろうじて繋がっている数少ない友人たちもLINEをやるくらいで、SNS積極的に発信することはない。特に言うべきこともないからだ。

2023-06-17

anond:20230617095828

氷河期ってほどではないが内定取り消しで泣いた奴は結構いたという話

ANA内定取り消されて急遽金融に拾われて適応障害発症してVtuberになったやつ、とか

2023-03-17

36歳独身無職おじさんの年表

2005年

明治大学経営学部に進学する。

2008年

夏休み明けに内定取り消し内定取り消しされた学生対象として急遽行われた就活で別の企業から採用を貰うもその企業取引先が倒産した影響で内定取り消し。そのまま卒業

2009年

ファミレスアルバイトをしながら就活

2010年

同じく内定を取り消され派遣社員をしていた彼女から職場正社員結婚するとのことで振られる。

2012年

26歳にして介護施設事務職正社員として採用され歓喜しか初日から事務職ではなく介護作業を割り当てられる。「事務職ですが」と聞くと「男性でしょ?」とのみ返される。また介護士としての資格を取得しなければ試用期間後に採用し続けることは無理と言われ、介護士となる。

2017年

腰痛と膝痛が悪化退職する。

2018年

派遣自治体職員となる。

2019年

派遣で別の自治体職員となる。

2020年

腰痛改善したため宅配会社正社員として入社

2022年

腰痛が再発し休職後に退職。「帰ってきたらおしまいだぞ。諦めるな」と玄関で騒ぐ父親人生初の実力行使で殴り飛ばし実家の子供部屋に入居。

現在

ライトノベル作家を目指して実家執筆活動中。

2023-01-22

anond:20230122124023

転居までして内定取り消しって何やらかしたのか、そっちのが気になる

どんな顔するんだろうな

ウチの会社入社予定で会社近くに転居してた新卒の奴が、つい一昨日内定取り消しになってたw

既に懇談会研修もやってて多少なりとも顔見知りができてるから会社人間とすれ違う事もあるかもね~

そんときどんな顔するんだろうなwwマジ受けるwww

2023-01-02

留年はもちろん嫌だけど、それ以上に内定取り消しの方がダメージかい(だからもし仮に内定なかったら、「来年卒業でもいいかな」とか思ってるかもしれない)

何としても卒論書き上げて卒業しなくては。。。

2022-12-23

滞納していた奨学金を払った話

10年以上放置していた奨学金を一括返済した。

親と大喧嘩をして、自分で払うから親元を出たいと懇願し、機関保証で借りたお金だった。

私は都会の大学に行って、立派な会社に入って、バリバリ働くんだ。

インターンにも行きまくって、ビジコンで優勝したりした。みんなに優秀だね、と言われたし、自分でもなんだかそんな人間になれた気がした。

そうして、とあるコンサル会社内定をもらった。

給料がよく、高そうなスーツを着たギラギラしたおじさんがたくさんいる会社だった。

親の反対を押し切ったことが、全部報われると思った。

奨学金だって、毎月少しづちゃんと支払うことができると思っていた。

リーマンショックがあり、卒業直前に内定取り消しにあった。

その後、一年希望留年して必死就活して、ハウスメーカー営業になった。

全然優秀な私に見合わない仕事だと思った。

一年目で、パワハラ上司にあたり、夜眠れなくなり、メンタル破壊され、鬱になった。

何もかも自暴自棄になって、信用情報がどうとか、どうでもよくなった。

一度払わなくなると、もっとどうでも良くなり、なんともお気楽なことに、そのまま記憶を葬り去った。

時々は、派手な色の封筒でハッとさせられたが、見て見ぬ振りをした。開けもしないでゴミ箱に隠した。

休職を終えると、パワハラ上司とは違う部署で、仕事に復帰した。仕事内容は変わらず営業だったが、死ぬ気で働いた。3ヶ月間に一度休む程度で、朝から夜中までとにかく働いた。

給料は増えるがとにかく時間がない。

見た目には気をつけていても、見えないところはどうでも良くなった。

虫歯ができても、何本も放置した。

歯科検診も逃げ回った。

痛くてもロキソニンで誤魔化して、とにかく仕事をした。

ナッツを噛んでいたら、笑った時に見える歯が欠けてしまった。

歯医者に行ったら怒られる気がして放置した。

だんだんもうどうでも良くなった。 

何本か歯が抜けてしまったが、やっぱり歯医者には行かなかった。

小綺麗にしているのに、奨学金は踏み倒すし、虫歯だらけ。20代なのに歯も抜けている。

まともな大人じゃないのに、ちゃんとしてるふりをして暮らした。

そんな私にも、彼氏ができて結婚した。

彼は虫歯は一本もないし、奨学金もきちんと払っていた。

私と大違いだった。

多少の貯金はできたが、今度は貯金が減ってしまうのが惜しくなった。

貯金もできない女だと思われたくなかった。

30を過ぎたころ、この人の子供を持ちたい、と思い立った。

営業から内勤に変えてもらった。

週に一度定時に上がって歯医者に通った。

定時に帰ったのは新人研修以来初めてのことだった。

その頃には、営業として売れるようになっていたので、

せっかく売れるのに勿体無い、とか、誰かと不倫して内勤に異動させられたとか、陰でも表でもいろいろ言われたが、まともな人になりたかった。

一年かけて、毎週歯医者に通い、人前で口を開けられる歯になった。

その後、ありがたいことに子を授かり、産休に入ってから、しばらくして、見覚えのある派手な色の封筒が届いた。

ずっと目を背けてきた督促状だった。

十数年ぶりに、きちんと開封し中身を読んだ。

利息が膨れ上がっていたが、それを見た瞬間なんとも言えない気持ちになった。

その日のうちに、電話をかけてお詫びを伝え、振り込みをした。

会社では、周りからストイックだと思われていると思うが、それはただの外面で、嫌なことからとにかく逃げたい、上辺だけ綺麗にしてる自分から、ほんの少し変われた気がする。

ダメ大人になってしまったし、子育てちゃんとできる自信はない。私のような人間に生まれてくる子がならないことを祈って、この体験をここに記します。

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