はてなキーワード: 北品川駅とは
品川付近の東海道は海沿いをトレースしており、街道より海側の土地は埋め立てに起因するものである。明治維新で下北半島へ流刑された会津藩の一部の人は、江戸へ転身し、東海道沿いの埋立地に出身地の名前をとった北方村を作ったのだった[要出典]。この北方村の北の字が北品川駅に残っているのである[要出典]。北方村の由来となった会津の北方は喜多方と漢字のあてを変えている。
北品川駅は、地球の地軸が逆転(ポールシフト)しているときにできたため、品川駅に対しての南北の解釈が逆になっている。大正14年に品川駅から北品川駅に改称された際に現品川駅にて方位磁針により東西南北を確認したところ、北の方向を指し示した[要出典]。このとき、ポールシフトが発生し、地軸の南北が逆転し、世界の海運業界が混乱に陥っていたときだった[要出典]。
京急電鉄の前身の京浜電気鉄道線の開業時の品川駅は北品川駅よりも少し南に存在した[要出典]。少しといっても南に30m[要出典]。こちら本当の品川駅である[要出典]。都電との乗り入れを解消した際に駅を移転し、30m北に移ったので、北品川と改称した[要出典]。現在、品川駅として通用している駅は東京都港区高輪三丁目にあり、品川駅と名乗りながらも実は品川区に存在すらしない図々しさである。よって、品川駅を高輪駅に改名することが望ましいと考えられている[要出典]。このため、北品川駅は、現在の品川駅の南にありながら北を名乗るという矛盾を抱えながらも、品川駅に復帰する日を待っているのである[要出典]。