はてなキーワード: ケアとは
病気にならなければ体調が変わらない(あんたも毎月、頭痛と貧血と下痢と腹痛とお股からボタボタ液体が垂れるのを受け止めるだけのを1週間耐えてみる?)
セクハラされない
アルハラされない
マタハラされない!
そもそも、存 在 自 体 を軽んじられない!!
男は分からないよね。日本でも女の参政権が認められたのは1945年なわけ。
ということは、そ れ ま で 女は人間扱いされてなかったわけ。学校で習ってないの?あんた。
あんたみたいなやつが「レディースデーがあるならメンズデーつくれ」とかいうんだよ。
女で男の上に立ってる地位の人がどれだけ血を吐く努力してるか考えろよ。
あんたの周りの女があんたより給料が高いのはな、あんたより努力して仕事ができるからだよ。
子どもいる女がどれだけ神経すり減らして働いてるかわかんないか。
自分の体から生み出した、誰にも触らせたくない宝物を他人に預けても、それでも働く女の覚悟が分かる?
わかんねえだろうな。
何もしなくてつやつやだった髪も、くびれたウエストも、ピンクでかわいくちっちゃかった乳首も、何もかも捧げて子どもを生むの。
知ってる?髪もバサバサになって、お腹に肉がついて、乳首がだらしなく伸びちゃうって。
知らないでしょ。知ろうともしないでしょ。
こっちは体も心も削って生きてんだ。
子どもを生むとな、髪の毛が手のひらいっぱい抜けるって知ってるか。知らないだろ。
そのケアに何時間もかけて、平気な顔してオフィスに来てんだよ。
横だが、介護士とか保育士とかイクメンとか男のケアが求められる場はあるでしょうに。
何も、ノンケ男のコンパニオンだけを「ケア」とは言わんでしょ。
「ジェンダーロールを取っ払う」つって簡単に言ってくれるけどさ、じゃああなた男と女のどちらにケアしてもらいたいですか? という根本的な部分はどうにもならんでしょ
そもそも男がケアの役割を社会的にも個人的にも求められないからこそ、体や命張ってでも解決しなければ単なる役立たずとして扱われてきたし、たぶんこれからもそうであろうというだけの話で
ウイグルのノートとか、虐待死のアレとかについての意見を読み漁っていて
同情や共感というワンクッションを挟まずに、誰が悪いせいでそうなったか話し始めるから○性は怖いと思った
とはいえ、同情や共感が具体的な解決策になることは殆どなくて、「解決」という一点にのみおいてはクソの役にも立たないので
つべこべ言わずに再発防止策について話し始めるのはとても大事なことで
可哀想だねー、大変だねー、辛かったねよしよし、の一連の動作からのタピオカ一服で悲しい事は全忘れ、とかは全く解決には繋がらない
しかし、実際に被害者の立場に立つと、まず求めるのは「誰が真犯人か」という議論よりも「手を取り共感してくれる相手」だろう
犯人がわかったところで、取り返しのつかないことが戻る事はないが、先の人生自分の味方が少なからずいるという事実は大きな助けになる
結局どちらも重要なことで、どちらがより大事かなどという議論こそ、パンティーの役にも立たないのであるし、
それを取り沙汰して異性叩きに使うことになんの生産性もない(と思ったので伏せ字にしてみた)
男性に「共感」が薄く、女性に「解決」が薄い傾向を、どちらが冷酷でどちらが劣っているというような話に繋げてしまうのは軽率で残念な行為だ。
そんなことよりも、どちらかしか持っていなくとも、我々はそれを補いあえるという素晴らしい事実に注目できると良い。
そうして考えてみると、男性が解決し、女性がケアをするという補い合いの構図はよくみられるものだと気づく。男性医師が病を治し、看護婦が看病する。警察の取り調べでは、男性は事実を聞き出す事、女性は相手の心情に寄り添う事、に長けていると考えられている。「女性弁護士が丁寧にお聞きします」のような広告も根底にこの考えを持つだろう。
女性の社会進出によって、解決脳で作られた世界に「共感」という慰めが増えている。被害者にはカウンセリングと自助会を、という動きはこれだ。一方で男性は今まで通りに頼もしく物事を解決に導いてくれている。
このようなジェンダーロールの再評価こそ、フェミニスト、アンチフェミニスト、ミソジニスト、ミサンドリストに必要な慰めであるのだと思う。
のだが
「共感脳男性」「解決脳女性」も世の中には沢山いるし、ステレオタイプな解決型男性や共感型女性にとってもジェンダーロールの押し付けが負担になる。
傾向としては確かに、どちらがどちらに長けているかという事実はある。それを認め合えればマジョリティにとっては幸せなことだ。
だが、現代では「男性はこれが得意でいいよね」「女性はそれが上手で素敵だね」という認め合いが、「男性なら得意でしょ」「女性のくせにそんなこともできないのか」という殴り合いになる。
難しい。
ジェンダーロールは我々の祖先が長い歴史のうちに身につけた生存戦略である。巣作り、狩り、出産、子育て、という一連の生存を分担しあって生きてきた。ジェンダーロールはこうすれば大体上手くいくという生活の知恵だった。
しかし、「大体」上手くいって「大体」のひとが幸せになれればいい社会は終わってしまった。マイノリティの幸せのために、ジェンダーロールはじきに差別として捨て去られるだろう。その良否はともかく、時代の流れとしてはそうなっている。
これからは男性女性ではなく、個人として補い合わなくてはいけない。
難しい。
でもその内適応できるだろう。今はその過渡期に差し掛かっているのだ。旧来のものを捨て、新しいあり方を模索しなくてはいけない。変化は苦しい。けれど「その場所にとどまるためには、 絶えず全力で走り続けなければならない」
人間も社会のあり方も変わるが、それは必要な変化であり必要な痛みであるように思う。ジェンダーロールを捨てることが人類にとって吉と出るか凶と出るか、今の我々にはわからない(少なくとも少子高齢化という凶は出したが)。ただもう変化は始まってしまっているのだ。
昨日(9月5日)、たまたま予定が空いたので朝、ふらっと裁判傍聴に行ってきた。
傍聴券が当たったのはほんと奇跡。
まあ大抵のことは、産経新聞の目黒女児虐待死、母親被告人質問詳報を読んでくれ(https://www.sankei.com/affairs/news/190905/afr1909050041-n1.html)
なのでここには記事には記載されていない事や記載されてても私の印象に残ったことを書いていこうと思う。
あくまでも私の記憶を元に私の主観も入ったものなので記憶違いや私の解釈による違いなどあると思うのでそのことを前提に読んでください。
結愛ちゃんだけを診ていたのかと思ったら、子育て支援ということで母親とも1時間2時間話すこともあったよう。
・自己肯定感が低く、私はバカだから、という発言が印象に残っている。(確かに、午後の被告人質問でも「バカだから」「バカみたいに」が多発)
・雄大被告から「太った女は醜い」と言われていて、食事にかなり気を使っていた。ご飯にこんにゃくを混ぜようかという相談をされた。そのため、栄養指導を受けるようにつないだ。
・過食嘔吐をして下剤を服用していると優里被告から言われ、精神科に繋いだが一回目だけで二回目以降に繋がらなかった。他の精神科も紹介したが行かなかった。
・優里被告の自己肯定感がとても低く、とてもパワーバランスの悪い夫婦という印象。(パワーバランスが悪いということを何度か言っていた。)
・被告は結愛ちゃんが大好きだったし、結愛ちゃんも被告が好きだった。食事も全部手作りのようだった。
・雄大が帰ってきたら出来立てを食べさせなかれない、お弁当をちゃんと手作りでしなければならないと~しなければならないという雄大被告からの脅迫観念が強い印象。
・子供を大切に思っており、冷たいわけではないが、子供と距離があるように感じた。どのように接すればいいのか分からないといった印象で病院では結愛ちゃんが片付けができたら褒めたり、ハイタッチをしたりしてどのように接すればいいのかということを見せたりしていた。
・結愛ちゃんが一時保護されたいと言われたさいに児相が一時保護をしなかったことについて、やはり一回分離をするとその後、どのように家庭に戻すのか、親との信頼関係やケアをしていくのか難しい面もある。私とは意見の違いがあるが理解はできる。現状の制度の中でできることをしていたと思う。
・離婚したほうが楽かもしれないという相談をされたことがある。ただ、やはり世間体や他の色んなことを考えてふんぎりがつかなかったよう。
・逮捕されたときに警察から「雄大の呪縛から解かないと」と言われ、最初なんのことか分からなかった。(警察でさえ、雄大被告の影響を認識してたのね)
・結愛が一時保護された際は、雄大被告がA4の紙2枚の受け答えのマニュアルを作り、全部読んで覚えろと言われた。その後はそれを取り上げられて使われてる熟語の意味のテストから始まり、ちゃんとマニュアルを覚えたかテストをされた。その後、雄大被告が不起訴なり、ほんとうに雄大被告のことを聞いてれば大丈夫なんだと感じた。
・雄大は女は小食のほうがいいと思っており、コンビニのお弁当を一個食べたさいに「女なのにありえない」と言われ、雄大の前で食事が取れなくなった。キャベツしか食べれなくなった。
・雄大の前でどうしても一緒に食べなければならないときは、半分だけ食べて、雄大に渡す。雄大は「お願いですから半分食べてくださいって言え」って言っていて、そう言うと喜ぶ。そして食べる。(私、ドン引き)
・精神科は、最初に行った際に過食嘔吐と下剤服用を伝えたら「驚かないから何錠飲んでるか教えて」って言われて、「2錠」と伝えると「なんだ。大丈夫だよ。すごい人はね、一回に30錠とか飲むんだから」と言われて、雄大から努力が足りないと毎日のように言われ、人間としても女としても母親としても認められてなくて、でも私は頑張ってるって思ってたけど、やっぱり雄大の言ってることは本当でこんな努力の足りない人間が精神科に通うのは恥ずかしいことなんだと思った。(号泣しながら)(お医者さんは励まそうとしたんだろうけど、伝え方って難しいね)
・ほかに紹介された精神科は少し遠いことなどもあり、行かなかった。(精神科医に行っても意味がないと1回目の精神科受診で思っちゃったんだね。)
・雄大に説教をされたあとに気持ちの切り替えが早いほうで、ニコニコしてると怒られ、真顔だと不貞腐れてると怒られ、泣いてても怒られた。
・結愛にも弟にも赤ちゃん言葉を使ったり、「喉乾いてない?」など聞くと子供扱いをするなと怒られ、ハグなども怒られた。
・雄大が結愛に怒ってるときに「ママにも謝れ」と言って、結愛を私に謝らせたさいに「私はそんなの別にいいよ~」というと雄大に怒られた。それから結愛は私にも謝ってくるようになった。
・結愛の食事制限が始まってからは、朝、まだ雄大が寝てる間にお風呂場で隠れて、前日の夜にカサカサと音がしないために分けておいたお菓子やドライフルーツなどを与えていた。
・結愛ちゃんと朝4時起きるようにと雄大被告に言われていたので起きたふりをしていた。起床時間は大体朝7時半くらい。
・東京に引っ越してから、朝、結愛と勉強をするときはテーブルにハンカチを敷いて、鉛筆を置く音などがして雄大を起こさないようにしていた。
・相談ができたとしたら唯一、両親かもしれない。ただ雄大被告が私の両親をバカにしており、お前みたいな両親が育てたからお前みたいなバカができたんだ。いつまでもすねをかじってるなと言われたから相談できなかった。
・結婚したときから、ずっと離婚したほうがいいのか悩んでいた。
・雄大被告に反論すると「専業主婦のくせに」「育児もろくにできないのに言い返すな」などと言われた。
・私は聞いた記憶がないのですが(最後は集中力が切れてきたので)、検察側質問「子どもは「おかあさん、お腹空いた」と言わなかったですか?」 優里被告「おかあさん、お腹空かないの、とは聞かれました」(参照 https://twitter.com/myksrkw/status/1169762734696624128)
【追記】
・結愛と一緒にお風呂に入るのは禁止されており、雄大被告がいないときにだけ時々一緒にお風呂に入ることがあった。
ネットでは、優里被告が雄大被告から精神的DVを受けていて、洗脳状態だったという主張に対して、千葉県野田の事件以降、子供が虐待死したら夫からの精神的DVを主張するのがブームなんじゃないか、責任逃れという意見もあった。
身の回りでも夫のモラハラなどを主張してる奥さんの話を聞いてみると、確かにあまり人の話を聞かない傾向がある夫だけど、奥さんの伝え方が悪かったり、前提となる価値観が違いすぎたりするだけで、モラハラというほどか??ということもあったりはする。
しかし、今回のケースは、少なくとも取り調べをした警察も弁護側も夫からの強い影響力は認識していて、実際に暴力や暴言、妻や子へのコントロールはあったのだと感じた。
私は身の回りに福祉関係者がそれなりにいたりして話を聞く機会も多く、どちらかというと、もっと行政にできたことはないか、矯正より更生が必要、制度があっても自分から助けを求められない人もいるから積極的に行政が出ていかなければとは思っている。
もちろん、今回も関係者はもっとできたことがあるのではないか、必要な制度改正もあるとは思っている。
今回傍聴していて、被告人は私バカだからと何回も裁判でも言っていたが、確かに裁判で熟語や質問の意味が理解出来ずに何回も聞き返していたりして、あまり頭は良くないんだろうなとは思った。
傍聴全体を通じて感じたのは、『ケーキの切れない非行少年たち』で書かれているような被告人の認知機能の弱さを感じた。ある程度、先を予想するというか。目の前のことでいっぱいになってしまうというか。今日の審理(9月6日)では死ぬとは思ってなかった。と言ったそうだが、本当に思ってなかったんだろうなと思う。
結愛ちゃんを大切に思っていたし、愛してはいた。だけど、その大切な存在のために自分がなにをすべきなのかちゃんと判断できてない。
そして、今回一番感じたのは安きに流れる性格というか雄大被告に流されるままみたいな被告人の性格を感じた。先ほど書いた認知機能の弱さと関連してくるのかもしれないけど。
最初に書いたように私は今でも矯正より更生が必要だと思ってるし、もっと現状の制度が良くなればいいと思う。
ただ、今回傍聴して、月並みな言葉だけど裁判で審理をしっかり行って、自分の行ったことを突き付けられたり、自分で振り返って後悔しないと形を変えてまた似たようなことを起こすんじゃないかと感じた。
そのためにはある程度、重い刑も自分のしたことを(やらなかったこと)をしっかり反省するために必要なんじゃないかと感じた。
今まで、類似ケースでこの人だってある意味、被害者。罰してもしょうがない。それよりも支援をと考えてたけど、自分の考えがすこし変わって驚いた。
今も優里被告もある意味、被害者だと思うし、支援も充実させないとは思うけど、本人にも変わらなければならないところはある。
ちゃんと変わるためにもしっかり裁判を行って、罰される必要があると思った。
もちろん、優里被告がしっかり反省するために雄大被告の影響もしっかり審理したうえで。
私が精神的DVにあったことがないと言われたらそれまでだけど。
・なかなか児相も親との関係もあったりして簡単には介入できないと再認識。ブログやTwitterで児相に子供を連れ去られたって騒いでる人たちは本当に結構ヤバいなと思った。
・傍聴希望者の数しゅごい。400人弱くらい多分いた。当選したのは奇跡。
・被告人、髪の毛とっても綺麗。天使の輪がある。まあ裁判用に黒染めしたんだろうからその効果かもしれない。逮捕時のほうが荒れてた。
・裁判所内はスマホの電波がとっても悪い。なんであんなに遅いのか。
・たまに証拠がプロジェクターで映し出されるが、文字が小さすぎて傍聴席からは見えない。
・裁判所内ではスマホの撮影禁止なんだけど、特に傍聴券抽選のあたりでは結構裁判所職員がしっかり監視。写真撮って消させられてる。
・報道席以外にも報道関係者がとっても多い。人を雇ってるんだろうなーと。自分の当選も一瞬売ったらいくらかと考えてしまった。でも聞いたら迷うから聞かない。
・法廷画家が3~4組くらいいた。みんなサラサラと書いて席を立っていく。鉛筆一本で縦線横線、線の太さ細さであれだけ表現できるのしゅごい。
・同じ日に青汁王子の裁判もあったらしく、報道関係者はそっちにも出入りしなきゃならないみたいだった。
・法廷画家は場合によっては、10分、5分、3分とか時間制限があるときがあるみたい。
・法廷内は電子機器の完全持ち込み禁止で金属探知機でチェックがあるため、報道関係者は一言一句全部ノートに手書き。それを10時から5時まで。傍聴券のために並ぶなら午前9時過ぎから。閉廷後も文字起こしとかあるだろうし。本当に大変だなと思った。(休憩もたまにあるけど。)
原因は、元営業から独立した定年間近の社長の、業界への無関心・無知によるモチベーションの低下。全く畑違いの食品関連のビジネスを始めようとした社長が胡散臭いセミナーに参加するために地方出張に行ったあと、がらんとした職場で「わたしは何のためにここにいるんだろう」と、心の中で何かがぷつりと切れるのを感じました。
そして何より、事務所の上階に住んでいる社長の娘さんが、何らかの精神疾患により頻繁に罵声を上げながら事務所に飛び込んでくるようになったこと。彼女の身内である社長からその事について何も説明はなく、聞いてもはぐらかされました。いつ彼女が来るかわからないという恐怖でイヤホンを外せなくなり、これはおかしいと気づいて辞めました。
疲弊していたせいか、部屋は完全にゴミ屋敷でした。本、書類、お菓子やシリアルの袋、ゴミや段ボールが堆積し、足の踏み場もない状態。いわゆる「セルフネグレクト」状態だったと思います。
同時期に個人的なトラブルも起こり、長年の趣味であった二次創作の同人誌制作に全く興味を持てなくなってしまいました。
仕事を辞めたあとは、一日中外にも出ず、ゲームをしながらシリアルだけを食べる日々が続きました。ひとり暮らしなので、食事を作ってくれる人も話し相手もいません。
それでも仕事に行かないだけで精神は少し回復し、同人誌は無理だけど何かやってみようかな、という意志が復活するのに時間はかからなかったです。部屋をほんの少しだけ掃除して、小さなフィギュア作品のシリコン型取り・複製などをやってみたり、プラモを作ったりしてました。
そんな中、ひとつの転機がありました。「ゲームしながらシリアルばっかり食べてるよ」と友達に話したら、それを友達がTwitterに書込み。それを見た友達のフォロワーさん(わたしとは面識ない)が「ちゃんとご飯食べな」と言ってくれたのです。
些細なことだけど、第三者的に見てもわたしの食生活はやばいんだということに気づけたし、そう言ってくれる人がいるということが嬉しかったです。
それがきっかけで、自炊をするようになりました。友達に「料理はゲームと同じだよ、やればやるだけレベルが上がる」と言われ、うまくできなくても「レベル上げ」のために毎日作りました。
これがよかった。自炊し始めたら、以前はスーパーに行ってもぼんやり無為に買い物をしていたのが「これを作ろう」という意志を持って買い物をできるようになったのです。「マリーのアトリエ」みたいに、これとこれがあればこれを作れる、料理ってそういう事なんだ!錬金術みたいで楽しい!と気がつき、目の前が開けたように思えました。
料理をするためにキッチン周りを片付け、清掃しました。作ったものを置いて食べるために、ちゃぶ台を片付けました。ちゃぶ台から下ろしたものを整理するために、部屋を片付けました。ゴミを捨て、散乱していた服をタンスにしまい、不要品はメルカリに出品するなどして処分。山のようにあった落書きは、必要なものだけスキャンして捨てました。昔の仕事の資料なども一部データ化して処分。中にはあまり良い思い出のない仕事もありました。片付けるというのは、そういう思い出を断ち切るということでもあるのかなと思いました。
「何をどこにしまうか」を決め、必要な時にすぐ取り出せるようにしました。頻繁に使うものは出しやすい位置に置き、そうでないものは明確に場所を決めて少し奥にしまう。汚れていたところは綺麗に清掃し、また汚れがたまる前にこまめに掃除する。そういう当たり前のことを毎日少しずつ進めていき、部屋がキレイになった頃には、作れるごはんのレシピも増えてました。
書類に埋もれて行方不明になっていたリモコンが発見され、全くつけていなかったテレビをつけるようになりました。BDやDVDで映画を何本も見て、今まで興味のなかったものにどんどん惹きつけられていきました。
片付けてみてわかったのが、「これでようやくしっかり休める環境になった」ということ。住環境、食生活は自分の一部であり、そこのケアを怠った状態では、心の回復は見込めなかったと思います。精神的にはまだ少し休養が必要な状態だと思いますが、辞めた直後に比べたらかなり回復したと思います。今の状態に辿り着くまで3ヶ月かかりましたが、幸い僅かな貯金と稀に頂くフリーの仕事があるので、今しばらくは気長に治していこうと思います。
同じような境遇の方がこれを読んで、こういう人もいるんだなと思ってくれればと思って書きました。
(追記)
たくさんブクマとトラバありがとう😂😂😂コメント全部読んでるよ〜〜(アイドルスマイル)(※オッさん)😂😂😂
これを読んだ人が周りの妊婦や子供、体が不自由な人やご老人、疲れたサラリーマンとOL、ネコ、とにかくすべての生き物に優しくしてくれたらオレは嬉しい🥺✨生き物に😂サンキュー😂😂😂!!!!!
オレは新卒でカタイ会社に入って10年以上仕事ツマンネ😂状態だったんだけど、起業したトモダチに誘われて、えーッすっごい楽しそうだけどオレの新婚生活どうなっちゃうの〜〜〜ッ⁉️ってなってた時に「やりたいことやりな、アタイがいる👍」と背中をプッシュしてくれたカッケェ奥さんなの🥺(自慢)
片付けはチョット苦手だけど、賢くて寛容でキュートなステキな3Kの奥さんなんだ😂😂😂だからワーパパ(って言う?)がんばるね😂✨😂✨😂みんなラブだよ〜〜〜😉🥺😂💕
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奥さんの妊娠が判明し、ハ、ハ、ハ、ハッピーすぎる😂😂😂😂オレ、コドモ、スキ。オクサン、メチャ、スキ。アベの生命の尊み…………🙏
産むのは奥さん!つわりできついのも奥さん!……身体が色々しんどいのも奥さんで、食事もままならなくなるのも奥さん………。…………。こればっかりは本当ごめんねありがとね🙏🙏🙏でもそのケアと、産まれてからはパパがんばんで!ってことで育休明けたら時短勤務にするんです。おじさんは友達の作った会社で働いてるんで、直談判したらあっさりOK、前例はなければ作ればいいじゃないの精神。もう、好きになっちゃうゾ😉❣️
奥さんは短い育休の後にフルで復帰します。なぜならうちの奥さんは仕事がメチャ好きで、オレの2倍以上稼ぐネ申なのである!オレだって別に……そこそこの稼ぎ……の、はずなんだけど、奥さんには歯が立ちましぇん😂その代わり、家のことは任せろーーーッッッッ!!!!いや協力してがんばっていこ😂
オレと奥さんはこの分担にめちゃめちゃ合意しているんだが、なぜかオレの親が納得しないんだが???え😂???なんでなんで〜〜〜😂😂😂……否!なんとなくそんな気はしていました!
オレが新卒で入った会社を辞めてベンチャーを選んだ時も見たこともない怒り方したし、あの人たち特に母親は、オレが男として成功(?)して周囲に尊敬されていないと許せない(?)らしくって(???)
転職の件がやっと落ち着いたと思ったらこれよ。だってだって奥さんの方がハイお賃金なんたもん😂って言ったらマジで唖然よ。え……アタシ……言ってなかった……😂?まあ確かに年収の話はしてないカモ??でもおTIN金の問題じゃないんだと😂
男を立てずに仕事して、夫の収入超えたって威張ってるような女(威張ってない)には孫を産んでほしくないんだって😂え??マジでどういうイミ??もしかして、男を立てずに仕事して、夫の収入超えたって威張ってる女には孫を産んでほしくないって意味???え?改めてどういうコト???😂😂😂
おかんが「女の尻にしかれる息子なんか見たくなかった」と泣き出して(しかれてない)、ボクは【無】に……。ムーニーマン……。奥さんを連れてこなくてよかったなぁと、南アルプスに思いを馳せていた…………。
と、いうわけで奥さんには出産までは絶対会わせらんないし、出産後も普通にキビィっスヮ😂😂😂無理寄りの無理です😂😂😂
この前友達数人と集まった時に、その中の1人が彼女が妊娠したから結婚したと報告してくれたんだが、よくよく話を聞くと検査薬に反応があっただけで、病院に行っても胎嚢がまだ確認できてないレベルだった。
正直「え、その状況で妊娠の報告もしちゃって大丈夫!?まだ(言い方悪いかもだけど)流れちゃう可能性あるよ!?」と思ったんだけど、本人ニッコニコだし「へーそうなんだ、それはWでおめでとう」と返したんだけど、これでよかったのかなと悩んでしまった。(別に悩まんでもいいんだろうけど)
後日、少し悲しそうな顔で「実は赤ちゃんダメだった…」と報告を受けた。
とりあえず「そっか、残念だったね、悲しかったね、超初期ではよくあるって言うし…」と慰めれたのかよくわかんない言葉をかけ、「辛いだろうけど、奥さんのケアもしてあげて」と言ったけど…。
温泉に誘われても嫌いという嘘をついて断り包茎を隠し続けていたからである。
コンプレックスということもあり誰にも話せないことなので、ここでみんなに話を聞いて欲しい。
そして、包茎に悩んでいる方がいたら一度、軽い気持ちで良いから読んでほしい。
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今までの人生、包茎のまま過ごしていき、今年で33歳になった。
世の中の男性で包茎に悩みを抱えている人は多いはずだが、そのまま放置している人は意外と多いと思う。
包茎手術を受けようが受けまいが、もちろん個人の自由であり、僕が他人のアソコについていちいち文句を言うことはない。
"今後の人生で、どれだけの女性と出会い、どれだけの女性と関係を持てるのだろう" と。
ただでさえモテない自分だが、包茎ということでさらに恋愛にも億劫になっていた。
今まで付き合った彼女は数少ないが、その中でも包茎がコンプレックスで夜の営みをせずに別れた女性が大半だ。
国勢調査によると35~39歳の人が5年間で結婚できる割合が約15%らしい。
ただでさえ出会いが少ない上に見た目もオジさんになり、包茎のせいで自分への自信も無くて、一体いつになったら結婚できるのだろうか。
もし付き合えたとしても、夜の営みの途中で「え…。包茎じゃん…。」と相手に思われてしまわないか、不安で仕方がなかった。
自分が女性と付き合っても上手くいかないのは、自分の包茎に対するコンプレックスからくる自分への自信の無さだと自覚はしていた。
ただ、包茎手術に対する敷居はかなり高く感じでいた。
包茎手術をしてから人生が変わったという噂も聞くが、その反面、値段が高いとか、失敗したとか、そういう噂も聞くことがある。
何より自分の大事なアソコに何かをするというのは正直怖いと思っていたが、覚悟を決めて包茎手術をすることにした。
ちなみに包茎手術への一歩を踏み出すために背中を押してくれたのが、永井さんというデザイナーの方だ。
本人とは面識がないが、ブログの記事を読ませてもらい、手術を受けるきっかけとなった。
いち読者が勝手に紹介をして良いのかは分からないが、それがこちらのブログ。
https://note.mu/hirotonagai/n/n4833667a8c6d
この男性、永井さんという方は、本業はデザイナーをしているようだが、とにかく包茎情報にアツい。
話し方も上手く、内容も面白いが、包茎手術を受けることに背中を押してもらえた。
包茎手術はいきなり施術を受けるのではなく、事前にカウンセリングを受けてから手術を受けるか否か決めることができる。
一度行ってみてから最悪怖かったらそのまま受けなくていいや、という軽い気持ちから僕はカウンセリングへと向かった。
一つのクリニックだけでは、大事なアソコを預ける身として不安なので、念のため三つのクリニックへと足を運んだ。
カウンセリングに行って初めて知ったのだが、包茎手術には複数の治療法があるらしい。
皮を切断して短くするだけと思っていたのだが、ざっくりと言うと5パターンある。
・環状切開法
アソコの余っている包皮を中央部分で切除して吸収糸で縫合する方法。最も一般的である。
たるんだ皮膚を直接取る方法。中間部分にクビレがあるような方におすすめされている治療法である。
・根元法
根元部分の皮膚を切り取って、前方のたるんだ皮膚を根元に引っ張ってくる治療法。
切るのは怖い、傷跡が残るのも嫌だという方には切らない治療法もある。
・その他
基本的な包茎手術は前述したような内容だが、オプションで亀頭を増大させたり、吸収糸を使ったり、ナイロン糸を使ったり、色々あるようだ。
僕が実際にカウンセリングに行ったクリニックは、この3つ。
・上野クリニック
昔、雑誌の広告に出ていたことや、タートルネックを広告に使っていて、男なら誰しも知っていると思う。
・ABCクリニック
包茎手術について調べていた際に見つけた。初めて聞く名前だったが、全国展開をしているようだ。
・東京ノーストクリニック
Q&Aサイトで包茎手術ができるクリニックについて質問をしたところおすすめされた。
まずは事前予約を済ませてから、上野クリニックにカウンセリングを受けに行った。
建物の外観は至ってシンプル。医院内は木目調のアーバンな雰囲気で受付の方も優しそうな雰囲気。
まずはフォーマットシートに個人情報やアソコの状態を書き込み、センシティブな内容も含め色々と質問をされる。
初めて会った人に自分のアソコについて語るのはとても不思議な気分だが、新しい人生の第一歩として、真剣に答える。
メニューについて問診がある。吸収糸を利用するか否か、裏スジを残すか否か、亀頭増大のためにヒアルロ酸注入を行なうか、など。
一応、下半身はフルチン状態で待ってくれと言われたので、大人のお店のような気分で先生の到着を待つ。
“女性だったらどうしよう”と思われている方もいるかもしれないが、包茎手術の先生は基本的に全員男性だと思う。
ノリが良さそうな優しい雰囲気の男性の先生が登場。コンプレックスについての話だが、初対面で打ち解けられる感じで安心。
簡単なチェックが終わると選択コースの見積もりを提示される。金額はあるていど想定していたが、正直安くはない。
この見積もりで問題なければ当日そのまま施術も可能とのことだが、僕は他のクリニックにもカウンセリングを予定していたため、一時撤退。
上野クリニックでの包茎手術の料金はプランによっても異なるが、大体70,000~150,000円くらい。カウンセリングとアフターサービスは無料。
美容形成術などメニューは大体100,000円から600,000円くらい。亀頭増大や亀頭強化は大体150,000円くらい。
他にもアソコを立派にするオプションが結構あった。僕はそこまで考えていなかったため、あまり覚えていないが。
次に向かったのがABCクリニック。
電話や当日の対応は特に可もなく不可もなく、至って普通。事務的な感じだが、別に気になるほどではない。
店舗の場所は周囲のビルにまぎれていて入口も目立たないので気兼ねなく入れる雰囲気。
クリニック内はすっきりと小洒落た印象。
お決まりのアンケート記入から始まり、他医院での包茎手術経験の有無、サイズが気になるか、夜の営みの経験、アレルギー、自慰行為の回数など、案外リアルな内容を書き込む必要がある。
ちなみに事前予約なしで飛び込みでカウンセリングも受けられるらしい。
服を脱いでベッドに横たわり、色々と診察を受けた後に、複数のオプションを説明され、今日直ぐにでも手術した方が良いと言われた。
他にもカウンセリングに行っているので一時撤退を伝えると、なぜか5,000円を請求された。
無料カウンセリングと言われていたのだが、なぜか5,000円を請求された…。
どうもカウンセリング自体は無料だが、医師による診察は初診扱いとなり費用がかかるとのこと。
この5,000円は当日手術を受けた場合の金額に含まれるということで、一時撤退する場合は先に5,000円を払う必要があるらしい。
後日手術をするのであればその際に5,000円分を値引きするとのこと。
無料カウンセリングというややこしいトリックに見事にハマってしまったが、仕方なく5,000円を支払い一時撤退。
包茎手術の料金は幅広いプランがあり、50,000~500,000円程度。
どうやら他のクリニックにはない独自のメニューがたくさんあるらしい。
自宅に帰ってから詳しく調べていたが、ABCクリニックでは3,30.3プロジェクトなるサービスがあり、来院予定の3日前の予約であれば包茎治療代が50,000円から30,000円になるらしい。
さらに、その他すべての治療が30%引きというキャンペーンも行っているとのこと。確かにコスパは良いのかもしれない。
ただそれは嘘という口コミもいくつかあった。確かに僕もカウンセリング時に言われてないし、謎に5,000円取られたし真相は分からない。
また、キャンペーン情報を記載するのは医療広告ガイドラインに抵触する可能性があるということで、広告用の別サイトも多数あると口コミに書かれていたので、よく分からない。
正直5,000円取られた時点でもう嫌になっていたというのが本音。
上野クリニックやABCクリニックのようなメジャー感はないが、Q&Aサイトで質問をした際には、信頼の高い包茎クリニックと聞いている。
ABCクリニックのように謎に5,000円取られるのは嫌なので、事前に電話でカウンセリングについて詳しく聞いたが、料金についてなど、こと細かなこともヒアリングできたので、安心して来店を決めた。
外観は薬局のような感じの緑色の看板があり、大通り沿いということもあり知っている人は知っている、という感じでちょっと入るのをためらいそうな雰囲気もあったが、そこまで問題ではない。
そして包茎のカウンセリングは3回目だったが、何度来ても慣れないと思った。
受付もカウンセリングも全て男性だったので安心。話をじっくりと聞いてくれて、アソコの状態もチェックしてくれて親切な印象。
色々なオプションを付けた方が良い、手術後に何があるか分からない、といったことで少し恐怖心を煽ってくる感じがした。
ただ、本当に丁寧な人なだけだった可能性もあるが、勧誘っぽさが少しあった。
すぐに手術出来るとのことだったが、どのクリニックにするか迷っていたのでお決まりの一時撤退。
自宅に帰って詳しくと調べていると、どうやらこのクリニックには医師がほとんどいないらしい。
予約が入ったところで様々な場所に医師が飛んでいっているらしい。ネットの情報なので事実かどうかは分からないが。
切らない包茎手術もあるので魅力を感じていたが、切らない包茎手術はあまり良くないというネットの情報もあった。
亀頭のブツブツや性病の悩み、亀頭増大に関するプランなど、複数のプランがあった。
これだけオプションが揃っているから、色々と勧めてきてくれたのかもしれない。
ただ、僕がしたいのはオプションではなく、包茎手術だけだからな、と思った。
3つのクリニックについて、ざっくりまとめるとこんな感じ。
・上野クリニック
雰囲気が良い
値段は少し高い
・ABCクリニック
値段が安い
即日手術を推してくる
・東京ノーストクリニック
勧誘がしつこい
少し入りにくい店構え
しばらく考えてから、僕は上野クリニックで手術を受けることにした。
決め手は一言で言うと安心感。色々とクリニックに行って、何が決定打と言われると曖昧だが、直感でそう思った。
おそらく対応の良さだったり、ネームバリューがあるので元から知っていたということもあるかもしれない。
手術後も24時間対応の無料相談サービスがあったり、アフターケアも充実しているので、本当に対応が良さそうと思った。
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そして今、これを書いている今、上野クリニックで包茎手術をしてからちょうど1ヶ月程度経過している。
手術当日では手術内容の確認だったり、再度料金の説明を受けたり、やっぱり丁寧な印象だった。
アソコにスプレー式の麻酔をしてから手術開始となり、1時間程度で終了した。
手術終了後には、アソコに包帯が巻かれていた。どうやら施術は成功したようでとりあえず一安心だったのを覚えている。
痛み止め等をもらい、入院とかはなく、その日のうちには終わり。
無事に包茎手術は終了したが、しばらくは自慰行為も女性との夜の営みも出来ない。
手術当日はシャワーで洗えないし、包帯は毎日取り替えて清潔に保つ必要がある。
痛み止めを服用しながら、2週間程度でやっとお風呂に入ることができる。
僕の場合は1ヶ月経過してもう傷口は完治したが、しばらくは担当医師に相談をしながら経過を見ていくのが良いと思う。
アフターケアもしっかり面倒を見てくれたので良かった。改めて上野クリニックの優しさを感じた。
正直、包茎手術をする前の僕は、本当に包茎手術をしたところで男として自分に自信が出るのか、不安にも思っていた。
もし失敗したらさらに自信が無くなりそうだし、それこそ一生女性と関係を持つことは出来なくなるのではないか、とも。
「案ずるより産むが易し」
今回、包茎手術をしてこの言葉の意味が痛いほど理解できるようになった。
今まであんなに悩んでいて、あんなに自分に自信が無かったのに、今では自信に満ちあふれている。
まだ彼女はできていないが、きっと今の自分は以前の自分よりも良い顔をしていると思う。
上野クリニックの言葉を借りると、"ひとつウエノ男に"なれた気がする。
私の親は毒親だと思う。といっても、猛毒まではいってないと思うけど。
実家は山陰。両親は有名大卒と地方国立大卒で、当時としてはかなりの高学歴夫婦。父親は家業を継いでいて、母は一応専業主婦。だけどその実態、父親はおそらくはアルコール依存症だったし、母親は同居生活で、舅姑、彼女が嫁ぐ前は小姑からもかなり激しくいびられていたらしい。しかもこの母、家事の才能がまるでなしで片付けが全くできず、料理も決してうまいとはいえなかった。そんな中で育った兄と私。兄にとって両親がどうだったかは知らないけど、私はしばしば親、特に母親と衝突していた。
親は、私を親のお眼鏡に叶う偏差値の大学に進学させた後は地元の名家に見合いで嫁がせるつもりで育てていた。自分もそうするものだと思っていたけども、気づいたら全く違う人生になっていた。
中学のころだったと思う。朝食を食べて、兄が牛乳を食卓に放置していた(それさえも私は知らなかったのだけど)。帰宅してそれを見つけた母が激しく私たちをなじった。兄は黙って聞いていたけど、無関係の事まで持ち出して咎のないはずの私まで罵倒し始めたので、我慢できず言い返した。その後黙って家を出てしばらく友人宅にいたのだけど、迷惑もかけられないので帰宅した。その後もまあ激しく怒られたのだけど、あまりにひどい罵倒の数々に「子供に人権はないのか」と言ったのだ。その時に言われたのが「かわいげがない」「お前は親に誤らせるのか」という言葉。後者はこの後も時々言われてそのたびにとても不快になった。この騒ぎがどう収束したのかは記憶にない。
高校の頃。思いつきで志望校を変更しようかと思った。元々の志望校よりも距離は離れるけど、偏差値は上がるし、最終的に届かなくても元の志望校に戻せばいいや、目標を変えて偏差値が上がれば結果としては受験にはいい影響のはず、という割と軽い気持ち。父親に言ったら母に相談しろと言われる。母に言うと途端にものすごく不機嫌になり「お前にあんな難しい大学行けるわけがない」「そんな遠いところの大学は許さない」かくして志望校変更は1日で元に戻さざるを得なかった。まあその程度の気持ちではあったのだけど、あの時に態度とひどい言葉はよく覚えている。
大学に進学。電車を乗り継いで半日ほどかかるところだった。最初は4人部屋、4畳半を二人ずつで使う昔ながらの寮に入った。私はゲームが好きだったのだけど、高校までの間は勉強を理由としてほとんどやらせてもらえず(こっそりやってたけどね…)テレビを持っていなくて全くプレイできなかった。なので入学後最初のGW、駅前の中古ソフト屋で買ったソフトを持ち帰ってプレイするのを楽しみにしていたのである。そして実家で夢中になってゲームしていて、親への対応がなおざりだったのだろう。夜に一人でリビングでゲームしていたら既に激怒の完成形になっている母が「ゲームしに来たんだったら帰れ!!」と怒鳴りつけるわけです。その前にゲームそろそろやめなとか話をしようとかいろいろあると思うんだが、最初から怒りMaxで来られるのでこちらも穏やかではいられず。お土産に買ってきた菓子はゴミ箱に突っ込み、翌朝父親に帰る旨を伝えたら短気は起こすなと説得される。菓子は祖母の手でゴミ箱からサルベージされていた。
バイトを始める。そこで彼氏ができた。顔だけはいい底辺高校卒フリーター(契約社員かな)だった。この男も毒親育ちのモラハラ男で、こんなダメなお前を理解し更生させてやるのは俺だけだぞみたい態度で接してくるわけですね。ただ、「何かできそうな、やりそうな雰囲気」はものすごくある人だった。終始アンチこの彼氏だった私の友達もこの点は認めてたから。数年付き合ってる事は黙ってたけど、母親に彼氏の事を話したんですね。3年生の終わり頃だったか。父親には言わないでと。「付き合うって具体的には何をするの。手をつないで歩いてとかか」「え、それはまあ」「それ以上もか」「え、まあ」というような会話があったことは覚えている。そして翌日即父親にバラされて実家は大嵐です。「もうお前の学費は払わない。男に払ってもらえ」と、できるわけがないことを言ってくる。しかもその品のない言い方が。結局別れたことにして大学は卒業したけど、勝手に合い鍵を持ち出した父親が私の部屋に侵入していたことがあった。ドアを開けたら酔っ払った父親がいるんですよ…。この時もすぐに喧嘩になって、絶対に追ってこれないところに逃げるべく、私は大学に塀を乗り越えて侵入し、女子寮の友達に頼んでかくまってもらった。翌日合鍵を渡してあった友達に頼んで父親がいない事を確認してもらってから帰宅した。テーブルの上には自律した行動をという紙が置いてあったが、アル依の父親にそのままお返ししたい。
他にも無茶な話が一つある。母親の友人は、友達と旅行などに行ったときに一緒に娘さんの部屋に泊まるのだという。娘さんは自分の友達の家などに泊まって、部屋は母とその友に使わせるのだとか。…という事を話されて、まあ自分もそのようにしたかったのかなと思ったけど空気読めないふりをしてふーん、で返したので実現しなかった。今思えば、親はともかくなんで知らないオバサンを自分がいない部屋に泊めなきゃいかんのか、絶対やだな、としか…。確かに家賃を払ってるのは親だけど、それが普通の感覚なのかな。私は嫌だけど。
とにかくこのころの私は親から離れるとこんなにも自由で楽しいのか!と気付き、実家にはろくに連絡もせず好きなことをしていた。でも親からしたら「糸の切れた凧」だったようです。嫌な表現しますね。私は耳があまりよくないこともあってか電話が嫌いなのだが、時々父親から「そろそろ母親が不機嫌だから電話してくれ」という連絡があった。で、嫌々電話していたのだけど、なんというか情けない話ですね。なぜ話したい人の方から電話してこないのか。母の日も「他の人たちは何をもらったとか楽しそうに言ってるけどうちにはなにもない、惨め」と愚痴ってくるのです。若い頃は逆に反発して意地でも送ってなかったけど、そのうちリスク回避だとネットで頼んで送るようにしてたな…正直気持ちは入ってなかった。ただのリスク回避。
大学は自分で選んだところだったけれど、言わば学歴厨の親だったので、勉強ができなくてはクズであるという空気の中で育った。私も兄も同程度の出来だったのでお互いコンプレックスは持たなかったと思うけど、これで仕上がりに差があったらどうなっていたのか、考えると恐ろしい。そして入学後に目的を見失い、勉強が全く面白くなくて本気で中退を考えていた。けど、親には相談しなかった。相談する相手じゃなかったのだ、もう既に。新たなやりたいことを探すパッションもないまま、4回生で必死に単位を取ってどうにか卒業の見込みが立った。後に書くけど就職も決まってしまったので必死だった。
そして卒業式の前日のこと。親は袴を持ってきて着付けをすると言ってくれたので、お願いすることに。前日の予定は聞かされてなかったのだが、私は友達から当時超入手困難な某ブランドのファミリーセールのチケットをもらっていて、楽しみにしていた。昼過ぎに電話がかかってきて、何時に着くから食事を一緒にと。でも私はセールに行く気だったので、それは無理だよ~と軽く返事をしたらそれで点火、激怒。親がわざわざ行くのに予定を空けておかないとは何事かと言われた。じゃあ予定先に言っとけよ電話できるだろ…とは思ったものの、ブチ切れた母はとにかく家に行くから外出するなとガチャ切り。家に来たけど、私は鍵を開けなかった。非常に惨めな気持ちになったそうです。もうスーツで行く気で、父親に電話したら父がなんとか説得などしたらしく、翌朝着付けに来いと言われたのでホテルの部屋で着せてもらって卒業式に出た。けど、大学の卒業式はもう思い出したくもないものになった。正直あまり記憶がない。父曰く、私の大事な行事を台無しにしたことで落ち込んでいたらしいけども。
就職。親は地元に戻して、数年経ったらそこそこの家と見合い結婚させる気だったようだけど、まだあのクソ彼氏と付き合っていたので、地元に帰る気はゼロ。親の勧めでコネのある地元企業も受けたけど、猛烈やる気のないエントリーシートを出したせいか、超氷河期のせいかコネパワー発動前に落ちたのでよかった笑。しかし超氷河期、まあ落ちる落ちる。どうしようかと思っていたら何をどう間違えたのか某上場企業の内定をもらってしまい、親も賛成せざるを得ない。あの会社に就職って言うと自慢できる程度の知名度だったし、満足はしてたみたい。でもやっぱり実家に心は向かなくて、同期に「実家に帰らなさすぎじゃない?」とは言われたけど。
時々帰る実家は私の居場所がなかった。精神的にではなくて物理的に。田舎で、部屋が10以上ある巨大な家なのだけど、その8割程が母親の荷物で埋まっていた。片付けもせず、壊れた電気も直さずに暗い部屋でネットのパズルゲームをやっている母の後姿を見たときは正直ぞっとした。彼女と話しても、父親への不満、祖母の悪口、私への恨みなどを延々聞かされた。楽しくはなかったけど、他に言える人がいないから…とずっと我慢して聞いていた。大学の頃の私への恨みは本当に不愉快だったし言い分もあったけど、黙っていた。一言でも言い返したら余計面倒なことになると分かってたから。
クソ彼氏とはずっと付き合ってたけど、クソ彼氏があまりにも将来への見通しがなくおれはいつかビッグになるという夢想ばかりしているので愛想を尽かして別れた。2年ほどしてから社内で彼氏ができて、その人と結婚することになる。彼氏はちゃんと大卒で同じ上場企業だったので、反対されるかと思ったけど大丈夫だった。というか、クソ彼氏がひどかったから相対的に評価が上がっていたのかもしれない。ちなみにクソ彼氏、未だにビッグにはなってないみたいです。
出産。娘誕生。妊娠中に不幸があってショックを受けており、それもあってかあっさり産後鬱に。里帰りはせず、自宅に義母と実母が交代で来てくれた。義母は家事の達人、まさにプロの主婦といった人で、産後の実子のケア経験もあるせいか本当に頼りになった。一方の実母は、朝私が洗濯をしている横で新聞をゆっくり読み、私が作った料理をなぜかクソマズアレンジし、挙句に地元の人が近所のイベントに出店しているから行ってきていいかと。会場はかなり遠く、言ったら3時間は帰れない。折しもインフルエンザが流行っている季節で、私はいいけど帰宅したらすぐに風呂に入ってくれと頼んだのだが、ばい菌扱いされたと感じたようですね。母親がいない間に夫が会社から帰ってきたけど、私の顔が引きつっているのを見てまずいと思ったみたい。ばい菌扱いもショックだったみたいで、3日いる予定が2日で帰ってくれた。その時はほっとしたんだけど…しばらく経ってからメールが来た。なぜなんの連絡もよこさない、寂しすぎると。仕方なく電話したけど、孫が生まれて喜びでいっぱいの時期のはずなのに面倒見に行けば(見てないだろ)迷惑そうにされ、産後鬱だから直接連絡せず夫を通せと言われ(の割にメールしてきたな)、疎外されて惨めであると。そして生き生きと夫の悪口を言い始めた。夫からしたら身内の不幸があってこれ以上誰かを失いたくなかったわけで、私を守ろうとしてたんですけども。産後鬱状態の娘に夫の悪口を言うとか本当に神経がわからない…。この時はなし崩しに仲直りした形になったけど、お宮参りとお食い初めに呼んだら父親が泥酔して夫を蔑む発言をして、夫の私の両親への心象は地に落ちた。この時は駅で寝転がって運ぶこともできず大変だったらしいです。まあ、アル依だからな…。
それでも程々の距離を取りつつ、私が気を使うなどして表面上は親しくしていたのだけど、1年前に会ったときのことだった。
私は遺伝性の病気を抱えていて、毎日目薬を差さなくてはいけない。この目薬、肌についたものを放置しておくと肌が荒れることがあるので、ウェットティッシュやおしぼりで早めに拭くと荒れなくて済む。また、目の形が少し変わる副作用もある。肌荒れはなんとかなっても、目の形はどうしようもない、でも病気よりはマシだから…と点眼を続けていた。
その頃、母は目の手術を受けており、目薬の点眼をしていた。点眼後に使えと清浄綿を渡されていた。私と同じ病気の人も使っていると聞き、私のためにと買ってきたそうだ。だけど、自分の目は手術したわけでもなく傷もないので感染症のリスクは低く、そこまでのものは必要ない。主治医もウェットティッシュで十分と言っていた…が、一応お礼を言って受け取った。そんな時に娘のアレルギーが発生して、目がパンパンに腫れてしまった。これこそ敏感な状態で、清浄綿を使うのはとても良いし、個装されているから携帯にも良い、すごくこの子向きだねと母に言ったら突然イラつき始めて「それはあんたのために買ったものなんだけど。高いっていうけど、そんなもの(楽しみにしていた入手困難だった化粧品)を買うお金があるならこれくらいお金出せるでしょう」困惑しながら、実際自分の今の状態にここまでのものは必要ないと副作用の説明をしたのだが、そこで「もうこれ以上この話はしたくない!」ときつく言われて終わった。実はこの数日前に受けた検査の結果が今一つで、でも一度の結果で落ち込むものではないと自分を励まし前向きになろうとしていた時に病気の事で怒られるというのはとてもショックだった。その後私は一言も喋らず、というか喋る事ができず、飲まず食わずになってしまったのだが、親は怒っていると思っていたのかもしれない。実際はショックで何もできなかっただけだが。
翌朝、相変わらず不機嫌そうに一言も口をきかない母親。これはさすがに…と自分が折れようと思って「病気の事に口を出すのは一切やめてほしい」と言った。すると待っていましたとばかりに「謝れというのか。そもそも謝るようなことなんて何も起きてなかったと思うけど、親に誤らせようというのか。まあ謝るけど、すみませんでした(棒読み)」。これでもうさすがに我慢の限界がきて、病気に事では自殺するほど悩んだこともあったのに、なぜこんな体に生んだ、謝るとかそういう問題じゃないと泣きながら訴え、過呼吸寸前までなっていたのだけど、母親はそんなの知らなかったと何度か言ってからテレビを見るために椅子に戻り、父親はオバサンがそんなに泣くものではないと手を振り払った。それでもうこんな思いをするのは嫌だと荷物を纏め、予定より何日も早く家に戻った。途中「せっかくの帰省をつまらないものにしてごめん」というメールが来ていたけど、そんなレベルの事じゃない。つまらないもの、そんなことじゃない。私が死にそうな思いで、でも死なずに努力していた、そのことを踏みにじったんだよ。SNSはすべて即ブロックしたけど、LINEだけは解除しておいて通知オフ、未読スルーにしておいた。
それに気づいたのはメールが来てから数週間経った頃だった。「連絡が一切なくて寂しいです」と、あれだけのことをしておいて普通にメールが来ていた。彼女の中ではその程度の事だったのかな…でもこれを見た瞬間にどうしようもない嫌悪感と吐き気がこみ上げてきて、LINEもブロックした。もう解除するつもりはない。
一度兄から夏の帰省について連絡がきたけどそっちには戻らないとだけ返しておいた。返事は未読スルーだった。わざとなのかなんなのかわからないけど、あの兄がそういうことを聞いてくるのはなんだか怪しいと思っている。裏で誰かが動いたのかもしれないけど、どうでもいい。
母が義母に連絡したようだ。「娘と連絡が取れない」「心あたりはないのだけど(これはびっくりした。ボケたのか?)」と。義母は積極的に介入するのはまずいと思って、そういう連絡があったことと、私に少しだけ事情を聞くだけに留めてくれた。あまりどちらにも余計な事は言わないようにするとも。だけど義父はそうじゃなかったようで、外面のとてもいい母親のそこだけを見て、あんな立派な人ともめるのは子供の方がおかしいに違いない、家事もおろそかだし、育児についても…と勝手に色々と不満を溜め込んでいたようだ。
まずは昼間にスマホをいじっていて子供の相手がおろそかになったのが不満だったらしいが、それは夫の同僚の奥さんで、赴任先についてきて生活が不安な人の相談に乗っていたのである。早く現地で私も頼りにしている人に繋ぎたいと思ったし、水や食べ物については一刻も早く不安を解消してあげたかったから。自分も引っ越して鬱になったから、もうそんな人を増やしたくなかった。そしてその夜、台所の片づけを手伝い、一日やかましい子供の相手をしていたところから気が抜けて、子供のアレルギーについて携帯で調べていた。子供に片付けしなよと声をかけていたけど、昼間の事もあってそれが気に入らなかったのだろう。名前を呼び捨てにされ「スマホを見ながら怒鳴るだけで子供が育つか!!」と怒鳴られた。反論もせず気にしてない風を装いはしたけど、突然怒鳴るというのが実は非常にショックだったのだ。中学の時に暴力的なものを含むいじめの経験があるので…。
その後はおとなしくしていたのだけど、食事中に子供の質問に答えていたのを「そんなことを食事中に話していては食べられないだろうが」チクチクと注意されていた。そして最終的に夫もいる場面で「食事の時にぐちゃぐちゃと喋るのが大嫌いなんだ!」と怒鳴られ、その後に私に向かって「大体親をないがしろにしてそんなことでいいと思っているのか!」と全く無関係の説教を始めた。最初に怒鳴られた時点でもう夫が怒鳴り返していて私は無言だったのだけど、親の事についてはこちらもさすがに黙っていられず、泣きながらだったけど「何を言われたかも知らないのにそんなことを言わないでほしい」と言った。が、それ以上は夫に引きずられて移動させられたので言えず。
その後、数時間二人で話をしていたようだけど、夫の感触としては「元々子世帯のやり方に内心不満を溜め込んでいたところに親ともめていると聞いて勝手に不満を溜めたのだろう」「あなたの親は心当たりがないと言っているようだから、一方的にこちらが悪いと思い込んでいる」「かなり話したけど、性格上納得はしていないと思う」との事だった。家事がおろそかといっても、彼は自分の妻の家事能力の素晴らしさが当然のもので、それがいかに恵まれていることか気付いていないのだ。私が地味にやっている細かいところの掃除については全く気付いていないだろうしね。ゴミ出しのタイミングとかも…。大体片づけが~というなら、毎日湯呑を飲んだ後放置して去っていくのはどうなんでしょうか笑。夫に食事の時無言だったのか聞いたけどそんなことはなかったそうです。私が質問に答えるのも知識のひけらかしって陰口言ってたけど、実はひけらかしというなら舅の方が余程そういう話をしてるんですよ。私はどんな話でも知識を深めるのはいいことと考えているので、ひけらかしなんて思わずいつも素直に聞いていたけど。
私は、別に状況を理解して味方になってほしいとは全く思っていない。理解だってしてくれなくてもいいのだ。ただ口出しをしてほしくない。そういうことは嫌いな人だと思っていたのに、まさかこんな形で口を挟んでくるとは思っていなかった。話の中で夫にお前が仲介してどうこうすべきではとも言ったようだけど、それは私が全く望んでいないことだし、毒親と無理に和解させようとして離婚する夫婦もいるくらいなのに、そうなってほしかったのだろうか。私への悪口も漏れ聞こえてきたし、本当に不快。それに同じことをしたのが娘婿だったらきっと言っていなかったと思う。女と見てそういう態度に出られた事にも非常に不快感がある。突然怒鳴るのも何なんですかね。そんな人と楽しく付き合いたいと思う人がいると思うのかな。あいにく私はそこまでのMではない。
そもそも私の親が保身のためにか嘘を言ったのがクソだし、事情をほとんど知らないのにイメージだけで口を挟み、突然怒鳴ってくる舅もクソ。あんな人だと思っていなかった。
正直私は二度と会いたくないんだけど、義母がそれはやめてほしい…との事なので義母のためにもう少し努力はするつもりだけど、同じことがまた起きたらもう我慢できないなとは思っている。夫が壁になる意思があるからいいけども、これで無理に付き合いを強制する人だったら離婚するだろうな。そうさせたかったというなら目論見通りなのだけど。