2019-09-10

解決脳と共感脳とジェンダーロールについて

ウイグルノートとか、虐待死のアレとかについての意見を読み漁っていて

同情や共感というワンクッションを挟まずに、誰が悪いせいでそうなったか話し始めるから○性は怖いと思った

とはいえ、同情や共感が具体的な解決策になることは殆どなくて、「解決」という一点にのみおいてはクソの役にも立たないので

つべこべ言わずに再発防止策について話し始めるのはとても大事なことで

可哀想だねー、大変だねー、辛かったねよしよし、の一連の動作からタピオカ一服で悲しい事は全忘れ、とかは全く解決には繋がらない

しかし、実際に被害者立場に立つと、まず求めるのは「誰が真犯人か」という議論よりも「手を取り共感してくれる相手」だろう

犯人がわかったところで、取り返しのつかないことが戻る事はないが、先の人生自分の味方が少なからずいるという事実は大きな助けになる

結局どちらも重要なことで、どちらがより大事かなどという議論こそ、パンティーの役にも立たないのであるし、

それを取り沙汰して異性叩きに使うことになんの生産性もない(と思ったので伏せ字にしてみた)

男性に「共感」が薄く、女性に「解決」が薄い傾向を、どちらが冷酷でどちらが劣っているというような話に繋げてしまうのは軽率で残念な行為だ。

そんなことよりも、どちらかしか持っていなくとも、我々はそれを補いあえるという素晴らしい事実に注目できると良い。

そうして考えてみると、男性解決し、女性ケアをするという補い合いの構図はよくみられるものだと気づく。男性医師が病を治し、看護婦が看病する。警察の取り調べでは、男性事実を聞き出す事、女性相手の心情に寄り添う事、に長けていると考えられている。「女性弁護士が丁寧にお聞きします」のような広告根底にこの考えを持つだろう。

女性社会進出によって、解決脳で作られた世界に「共感」という慰めが増えている。被害者にはカウンセリング自助会を、という動きはこれだ。一方で男性は今まで通りに頼もしく物事解決に導いてくれている。

このようなジェンダーロールの再評価こそ、フェミニストアンチフェミニストミソジニストミサンドリスト必要な慰めであるのだと思う。

のだが

共感脳男性」「解決女性」も世の中には沢山いるし、ステレオタイプ解決男性共感女性にとってもジェンダーロールの押し付け負担になる。

傾向としては確かに、どちらがどちらに長けているかという事実はある。それを認め合えればマジョリティにとっては幸せなことだ。

だが、現代では「男性はこれが得意でいいよね」「女性はそれが上手で素敵だね」という認め合いが、「男性なら得意でしょ」「女性のくせにそんなこともできないのか」という殴り合いになる。

難しい。

ジェンダーロールは我々の祖先が長い歴史のうちに身につけた生存戦略である。巣作り、狩り、出産子育て、という一連の生存を分担しあって生きてきた。ジェンダーロールはこうすれば大体上手くいくという生活の知恵だった。

しかし、「大体」上手くいって「大体」のひとが幸せになれればいい社会は終わってしまった。マイノリティ幸せのために、ジェンダーロールはじきに差別として捨て去られるだろう。その良否はともかく、時代の流れとしてはそうなっている。

これから男性女性ではなく、個人として補い合わなくてはいけない。

難しい。

でもその内適応できるだろう。今はその過渡期に差し掛かっているのだ。旧来のものを捨て、新しいあり方を模索しなくてはいけない。変化は苦しい。けれど「その場所にとどまるためには、 絶えず全力で走り続けなければならない」

人間社会のあり方も変わるが、それは必要な変化であり必要な痛みであるように思う。ジェンダーロールを捨てることが人類にとって吉と出るか凶と出るか、今の我々にはわからない(少なくとも少子高齢化という凶は出したが)。ただもう変化は始まってしまっているのだ。

  • 「ジェンダーロールを取っ払う」つって簡単に言ってくれるけどさ、じゃああなた男と女のどちらにケアしてもらいたいですか? という根本的な部分はどうにもならんでしょ そもそも男...

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      • 保育はやらかしたのがいるという理由もあるがやはり女性の方が圧倒的に歓迎されているのが現実 介護も同様のことは起きているし、保育ほど騒がれないのは幼児より老人の方が雑に扱...

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