はてなキーワード: 逆効果とは
「ここまで隠れてさえいれば安心」という証拠が何ひとつないからでしょ
配慮して比較的まともな方の奴が視界から消えると、目にするのは開き直ったキチガイばかりになって
自分と妻は大学時代の同級生で、学生時代からお付き合いし紆余曲折あったが20代半ばで結婚した。
現在はお互い30代半ばを過ぎている。
で、コロナ禍で在宅勤務をしていたらふとしたきっかけで妻が不倫をしていることに気がついてしまった。
問いただした結果、浮気相手と再婚したいから離婚してくれと言われている。
自分にとって妻は最愛の人だ。今までも大切にしていたし、これからもずっとそのつもりだ。
しかし妻からすると俺の日頃の行いが積りに積もって気持ちが離れて行き、結果として浮気そして離婚に繋がるのだと言う。
浮気された上に自業自得だと言われ、端的に言って気が狂いそうだ。
次に離婚という結論を相談もなく突き付けられたことに狼狽している。
何もかもが変わってしまうし、何よりも子供達はどうなるのかと聞くと、
彼女の持論として以下のことを言われる
・子供達にとってのパパとママの関係はこれまで通り続けていけば大丈夫
・親が離婚をしても子供が不幸になるとは限らない。離婚した後にどうするかが重要。
俺としては、最終的に子供が幸せになるかどうかは親が離婚しているかどうかとは関係がないというところについては同意だが、
それ以前に母親が浮気をして離婚するという事実に自分の小さな子供が傷つくということがそもそも許容できない。
妻と話していると、離婚することが子供に精神的な苦痛を与えることになるということをリアルに想定できていないのではないかと感じる。
離婚で子供が傷ついたらどうなるのかという事象はすっ飛ばして、傷ついてもそのあとのケアが重要だから大丈夫だと、傷つける側の立場の人が言っているのが怖くて仕方がない。
結局は自分の欲望が優先で、子供のことを軽んじているのではないかと思ってしまう。このことについては憤りを感じる。
妻が家を出て行った原因を最後に話したい。
離婚を切り出したのは妻であるが、妻はいわゆる有責配偶者なので妻から離婚をすることはできない。
そのことが妻にとってストレスになっている。
妻からすると、
・妻が子供の親権をとって新しい夫と暮らすのが本当は最善だと思っているが、そうはしないであげてるのに同意しないのはおかしい
・結局何を話しても離婚に同意しないでいつまでも私を解放しないつもりなんだろう。いつまで苦しめるつもりなんだ。
ということになっている。
それでついつい、お前も確かに苦しいのかもしれないけど、俺はずっと苦しいし死にたいよ。なんでずっと被害者面なんだよ。一番の被害者は子供達だろ。みたいなことを言ってしまった。逆効果で、もう耐えられないと言って一人で出て行ってしまった。
不倫相手の男はアメリカ人で投資会社に勤めている多分金持ちで、コロナの影響で妻とはずっと会えないでいる。コロナ前は日本企業への投資活動の一環で月イチくらいの頻度で来日していたようだ。俺たち夫婦に子供が出来てから育児で妻が疲弊したり、それと同時期に仕事面でも妻の責任が重くなったりしてなかなか精神的な余裕がなかったのはその通りだと思う。なので俺も積極的に育児に参加しているし、妻はそれは評価してくれている(離婚してもパパとママの関係は続けていくべき、と言ってくれている)。少なくとも育児の面は俺が多くをカバーし、妻にはなるべく仕事に集中してもらったり仕事以外でもなるべく自由な時間をとってストレス発散してもらえればと思って、休日は子供二人と俺の三人で出かけることが多くなった。別に、子供は超絶可愛くて面白くて良い子だから一緒に過ごして全然俺は嫌じゃないんだけど、妻が定期的に行く海外出張の時のワンオペ育児のときはちょっと心がくじけそうになることもあった。
で、妻は俺たち三人が過ごしている隙に浮気してた。海外出張先でも浮気していた。離婚は俺の自業自得で、離婚出来ないストレッサーも俺なのか?相手のアメリカ人の素性はネットで晒したりしたらダメなのかな。はぁ〜最後に、と言いながら余計なことを書いてしまった。
気になって色々ニュースサイトを見たりしたものの、相変わらずのアベガーの人が叩いているのが大量に見えるからである
正直安倍さんの政策とか不正が気に入らないにしても、病気で仕方なく退陣する人を攻撃し続けるメンタリティは理解できない
一週間くらいは静かにしてろよ
見てて気分が悪い
会社でも話題になったし、周囲の話を聞いてみると、さすがに難病だから大変だったんだろうね、と同情的な意見が多い
安倍さんの政策には反対していて、非難していた野党支持の人たちも、「いくらなんでも末期は箸が落ちただけでも責めるレベルでやりすぎだった」と言い始めている
結局は、サンドバッグだと思って信じて叩きまくっていた人間が、殴られるだけで無敵だと思っていたサンドバッグが調子を崩して壊れてしまう、となると「やりすぎだったんじゃ…?」と思っているようだ
だがはてさやTwitterの一部の奴らや野党の人たちはそれでも「あの男は何も成さなかった!」と相変わらず叫んでいる
判官贔屓の日本国民的に、今の安倍さんを叩けば叩くほど、安倍さんの支持率は上がり自民は勝つだろう
安倍さんの長期政権と、不正を起こしても平然と政権運営していられたのは、誹謗中傷に近い台詞で安倍総理を責め続けたアンチ安倍の人たちのおかげと言ってもいい
そんなに安倍が嫌いなら、冷静な批判をすればいい物の、ヒートアップしてわけわかんないことまでこき下ろすから逆効果なんだよな
大坂なおみ選手が大会ボイコットで話題になっているが、個人的にはあまり支持できない。
自身が目立つことを優先しているように見えて若干の嫌悪感があるのと、自分の影響力に無自覚なところが気になるのだ。
以前のBLMで大阪でデモをしようと呼びかけがあったときにも感じたのだが、
コロナウィルス感染拡大防止のために飲食店や、スポーツ・音楽イベント等が全て自粛しているときに、
人を集めて集団感染リスクを高めることをよくもできるなと思ったのだ。
そして、そういう慎重な意見をSNSで投げかける人には「あなたは差別主義者なの?」的なリプライをしていて、
大義名分のもとに反対意見を一方的に切り捨てて、対話ができないところも気になった。
で、ぶっちゃけその手の嫌悪感を感じるのは大坂なおみ選手に限ったことだけではない。
環境活動家のグレタさんも苦手だし、反原発運動や最近のフェミニズム運動も苦手だ。
個人的嫌悪感の共通点が何なのか言語化すると、いわゆる『活動家』嫌いという傾向だ。
もっと言うなら、『急進的で実効性が乏しい主張をする人たち』に強い違和感を覚えるのだ。
ぶっちゃけ例として挙げた活動についても、個々の論点自体は賛同できる部分が多い。
黒人の権利は大事だと思うし、気候変動の問題は放置できないし、原発事故の危険性は対処しないといけないと思う。
大学入試で性別が違うだけで合格点が変わるなんて論外だと思う。
が、しかしだ。
それなりに清く正しい社会生活を送っている自負のある一市民に対して、いきなり「良くもそんなことを!」言われて
お前は環境破壊する悪い奴だ見たいなレッテルを張られるのはイラっとするし、自動車を使うなと言われても、利用をやめると生活が成り立たなくなる。
原発事故の危険性は理解している。だけど原発を即時全廃して安定的な電力供給はどうするのだろう?太陽光や風力は天候に左右されるし、
無秩序に再生可能エネルギーの新設を推進したことで、山林の乱開発といった新たな問題も発生している。
東日本大震災後の日本は、天然ガスや石炭火力の比率を増やしてしのいでいるけど、天然ガス資源には産地が偏在しているリスクがあるし、
石炭は比較的産地が分散してるけど、採掘・燃焼による環境破壊や温室効果ガスの排出に目をつぶってよいのだろうか?
性差によって職業差別を受けるのは許してはいけないと思うけど、
いわゆる萌え絵のようなイラストはすべてが男性に媚びるために書かれているのだろうか?
全部まじめに対応した先に待っているのは、人民服や就活のリクスーのような、画一化して多様性のない社会なんじゃないだろうか?
なんというか、正義感で突っ走って始めたものの、『私のいう事を聞け、多少の問題は大義のために目をつぶれ』というような、
話が通じない雑な主張には反射的に虫唾が走ってしまうのだ。
大会ボイコットが警官による射殺事件への抗議なら、落としどころはどこになるのだろう?
BLMが全面的に収束するまで全ての大会をボイコットするのが正解なのだろうか?
個人的には大坂なおみ選手の事例ならば、大会ボイコットというような強硬的な態度を取られるのではなく、
「大会の獲得賞金を全額事件の被害者遺族と支援団体に寄付する。皆さんもこの問題を考えてほしい」的な呼びかけだったら、違和感なくすんなり支持できると思うのだ。
今の態度だと、社会の分断と対立を必要以上に煽る方向になってしまっているように見える。
なんだかんだ言って、社会を構成している人の過半数はノンポリに近い穏健保守派なわけだし、(世論調査の無党派層の多さでわかるだろう)
トーンポリシングと言われるかもしれないが、社会運動をしようとする人たちは、声の大きな支持者よりもサイレントマジョリティの方を向いて世論に刺さるように行動しないと逆効果と思うのだ。
落ち込んでることについてあれこれ考えて眠れないって人も多いだろうけど、自分はちょっとつらいことがあるとすぐ過呼吸になったりお腹痛くなったりして身体に色々出てきてかなり苦しくなるタイプで、生きるのがつらくなって頭の回転も鈍くなって身体を動かすのも嫌になって結果的にめちゃくちゃよく寝れる。
最近そのことを利用して、寝る前に自分の超苦手なとある1on1の対戦ゲームを数試合やって、ボッコボコに何連敗もして吐くほどつらい気持ちになって半泣きの状態でベッドに入ることによって睡眠の質を高めることに成功している。
ちなみにチームで戦うゲームは負けても味方のせいにしてしまいがちで、落ち込むというよりはイライラするので睡眠には逆効果だった。加えると、寝る前にはできれば非アクションゲームの方が良いかもしれない。
トップブコメにもある「子どもだから」「自我が確立してないから」仕方ないみたいな態度は子どもを軽んじてるし、そんな素振りを見せるのは逆効果だから絶対やめたほうがいいと思う。
読書感想文や作文が書けない子はとどのつまり褒められたいんだよ。大袈裟に言い切ってしまうと、書けない子は人から承認されうることがないと自分には存在意義がないと思う傾向にある。
変わった趣味を持ってて周りと話が合わなかったり、おっとりしていて出し抜かれがちな子。そんな子ほど周りより目立って称賛される立場でないと釣り合いがとれないんじゃないかと考えるのでは?と僕は思う。
もはや自分の思考なんかに興味を持つ人間なんていないというぐらい悲観的な子も中にはいる。現に自分はそういう小学生だった。
幼稚で平々凡々なものを提出して「自分は人より劣っているのでは?」「取り柄なんてないのでは?」という不安に苛まれること。それは彼らにとってのアイデンティティクライシスであり避けなければならない事なんだ。
そして本をよく読む子ほど文庫本の解説や雑誌新聞の書評といった「洗練された感想文」を目にしているため、自分もそういうものを目指して書こうとする。
評論や解説というのは対象をよくリサーチしそれで得た情報を整理していく作業。なので「かっこいい文章を書きたい」と手段と目的を倒錯させて取り掛かると当然うまく書けない。
この場合だと読書感想文のための読書になってしまうので本をちゃんと読めていないんだ。本を読んでいても、先生を唸らせる様な独創性がありかつ思慮の深い自論をどう構築するのかみたいなことばかり考えている。
(流石に小中学生でそれを明文化できるほどのメタ認知ができる天才なら苦もなく文章なんて紡げるので、本人は自分のそういう感情をはっきり把握はできていないだろうけど)
僕個人の体験からいうと「エルマーの竜の続きを考えよう」とか「ごんぎつねを一人称視点にアレンジしよう」みたいな課題は楽しく書けてた。そういう二次創作は対象を読んだときの解釈等で個性は出るけど、ベースは原作の世界観や設定を引き継ぐので気持ちが楽。
万が一「それは変だ」と指摘されても、「課題の物語がああなんだから仕方ないだろう」「自分の勝手な想像なんだから自由だろう」というダブスタで煙にまける。卑怯かもしれないがそうでもないと自分は書けなかった。
なので物は試しで増田もお子さんに課題図書の続きを考えることを一度進めてみてはどうだろう?
それですらすら物語を紡げる子ならなんとかそれを書き留めておく。そんで休み終盤でにっちもさっちもいかなくなった頃合にそれを基に読書感想文を完成させることを勧める。
自分の経験だと親に変わったアプローチを勧められると、どんな評価が下されるかわかったもんじゃないと反発していた。おそらくその案を採用するしかないというところまで追い詰められてないとすんなりそれを飲んで書き進められなかっただろう。だからあえて終盤まで書くことを意識させない方が却っていいかもしれない。
早い段階から取り掛かってしまうと「先生ベタ褒め完全無欠の読書感想文」を休み中ずっと追い求めるという地獄にのまれる可能性もある。それで苦手意識を強めるのもよくないので、そのためにも一旦読書感想文の存在を忘れさせてあげるのもいいのではないか。
「なぜ読書感想文を書くことが苦痛なのか?」という切り口の作文にスライドさせてけみたいなブコメもちらほらあるね。でも本の感想というテーマ設定があっても書けない子に、より自由度の高い作文は茨の道だろう。
「高校で文学の勉強をせずに、もっぱら実用文に重きを置いた教育をすることになった」という記事だ。
「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育 | 教育現場は困ってる | ダイヤモンド・オンライン
あまりにも間違いが多いので、どこかでデマとして中和されるだろうと思っていたが、一向に中和されず、インフルエンサーまでツイートしはじめる始末なので、無駄かもしれないが、間違いを指摘しておきたい(一部については、心ある人の指摘によって途中で記事が修正されている。ありがとうありがとう。)
デマに対処するのは面倒だが、整理しつつ述べていきたい。なお、この文章は今回の改訂の方針に賛成・反対という立場を採らずに書く。
「2021年から「大学入学共通テスト」が実施され、それに合わせて高校の国語の改革も行われることになった。」と書いてある。これはその通り。そして、モデル問題として、「国語に関しては、生徒会の規約、自治体の広報、駐車場の契約書が問題文として出題された」と書いてある。これもその通り。
しかし、既存の「小説(詩)」や「評論」が出題されなくなるわけではない。このことを書いていないことが悪質だ。モデル問題は、記述式がなくなったため、参考になりにくくなっているが、ちゃんとモデル問題そのものを見てほしい。思ったものと違うはずだ。
「実用文」は確かに出題されるようになる。だが、それだけを出題するわけではない。古文も漢文も出る。
ここからが少しややこしい。高校の国語には「必修科目」と「選択科目」がある。
必修科目は主に1年生で学ぶことになる科目だ。これには、「現代の国語(評論文や実用文)」「言語文化(小説や古典)」の2つがある。これはどちらも学ぶわけだ。科目を2つに割ることはどうなのか、という議論はあるが、「小説」が消えるわけじゃない。
記事の中で書かれているのは、2年生以降で学ぶことになる選択科目だ。これには4科目ある。
「論理国語」:実用文や評論文 論理的に書いたり話したり聞いたりすることも学ぶ
「文学国語」:小説や詩 小説や詩を読んだり書いたりすることを学ぶ 創作楽しみだ
「国語表現」:主にコミュニケーション中心の科目。レポートを書いたり、スピーチをしたり、ディスカッションしたりを学ぶ
「古典探究」:古典 古典を読んだり、古典について探究的な学習を行ったりする。古典と現代の言葉を比較して変遷を調べたりもする
中身は大ざっぱに書いている。くわしくは学習指導要領を読んでくれ。
で、この4科目から、おそらく「2科目」(多いところは「3科目」)選ばれるだろう、というのが今の目算だ。
いわゆる進学校だと、入試を考えると外しにくいのが「論理国語」。これは記事にも書いてある通り。もうひとつは「古典探究」が確かに有力だろう。だが、「文学国語」が選ばれる可能性もそれなりにはある。
そもそも元になっている記事は「古典」にまったく触れていない。「古典」にはかなりの部分文学が含まれるのだから、「文学の勉強をしない」は嘘っぱちだ(古典文学よりも近代や現代文学が大事だ、という主張ならばできる)。
さて、肝心の「論理国語」だが、記事ではあたかも「実用文」の科目であり、「駐車場の契約書、レポート、統計グラフ、取扱説明書」を学ぶかのように読めるが、これだけではない。
対象になっているのは、「論理的な文章(論説文や解説文,社会生活に関する意見文や批評文等)」と「実用的な文章(法令文・記録文・報告文,宣伝文等)」だ。記事では前者についてほとんど言及していない。そして、このどちらも単純に理解できるようにするんじゃなくて、散々言われてきたように「批判的に」読めるようにすることをねらっているものだ。
記事に書いてある「実用文しか読まない非教養人」を育てることになる、という指摘はミスリードだ。そして、こういう記事にミスリードされない人間を育てようとしているのが、今回の改訂だと言ってもいい。とはいえ、専門外の文章を批判的に読むことが難しいことは、今回のことでもよくわかっただろう。
今回の改訂には問題も色々ある。だが、不確かな情報で議論したところで得るものは少ない。
とりあえず、ダイヤモンドオンラインの書くことを真に受けて、「これでは日本が崩壊する!」とか叫ぶのはやめてほしい。「本当かな?」と思って調べる一歩を大切にしよう。
ブックマーク数15は超えて安心したが、デマに対するワクチンにはなりそうになくて残念だ。
とにかく、教育に関する議論は「自分が受けた教育」をベースに話す人が多いが、それには注意しよう。今のコンピューターのことを話すときに、WindowsXPの経験をもとに話されても困るだろう(これは比喩)。教育も同じことで、少なくとも10年単位で教育はかなり変わる。教科書も変わる。確かに、高校は変化がにぶい。だが、小学校や中学校は大きく変わっている。もちろん、「変わる」ことがいいことだとは限らない。
現状に問題がないわけでは全然ないが、自分が「いつの問題」のことを話しているかを意識して話さないと、互いの話は食い違い続ける。
こういうご指摘をはてなブックマークでいただいた。ありがとう。
myogab
反論の組み方が藁人形論法ぽくて、元記事の筆者もそんな極論だけを吹聴する気はないだろうよ…って感想。誤解が広まってるなら訂正は要るだろうが、論点逸らしをしてるなら逆効果だろな。
藁人形論法のつもりはなかったのだけど、冗長になると思ってあまり引用しなかったせいかもしれない。できれば元の記事を読んでみてほしい。論点は色々あるが、この記事では論点を示すことが目的ではなかったので触れなかった。触れた方が盛り上がるのかもしれないけど。
で、誤解なのだが、わりと広がりつつあって頭が痛い。Twitterでは、「#国語教科書の小説廃止に抗議します」というハッシュタグがある。だから廃止しないんだって。
今日は町山智浩さんが「国は国語教育から文学より実用文を重視する方針ということですが、それでいったい誰が国語教師になるというのでしょう?」と元の記事を引用してツイートしてた。読書猿の人も(おそらく好意的に)次のツイートをリツイートしてる。
hhasegawa
文学中心ではない国語教育を、というのは実はわからぬでもないものの、そこで持ち出される「実用文」が「生徒会の規約、自治体の広報、駐車場の契約書」なのがいかがわしい。文学以外の文章といえばそれしかないの?
小説や文芸評論ではないテクストがすなわち規約や広報や契約書ではないわけで、例えば論説記事でも歴史叙述でも新書のような学術的概説でもそれに該当し、どれも相応に「実用的」なのである。要するに、「論理国語」で真に排除されかかっているのは文学ではなく、「テーゼのある文章」一般ではないか。
「論理的な文章」に「論説文」が入ってるんだから、「テーゼのある文章」が排除されるわけがない。これも、元の記事があたかも「実用文」だけを学ぶ科目であるかのように書いたことが原因だろう。このツイートをした人は、数日後に次のようにツイートしてる。
一応、「論理国語」教材に「新書や新聞の社説などで取り上げられる様々な分野の学術的な学習の基礎的な課題に対して、論点が明確になるようなもの」も挙げられてはいた。が、ここまで「実用」志向だと、この「論理的な文章」の内実もどうなることやら。
その心配はたぶんないよ、と言いたい。これまでの傾向から完全に変える冒険を教科書会社はできない。これは良くも悪くも歴史が証明している(いや、悪いのだが)。冒険をする教科書は売れない。
このあたりの人は、いわゆる「一般の人」よりはリテラシーがあると思う。が、それでも不確かな記事をもとに不確かなことを言ってしまう。これはまあそういうもんだよな、と思うんだけど、燃え広がりつつあると真顔で「それはちがうよ」と言うしかない。
環境を変えたほうが早いのでは、無理やりでにも実家に帰す。実家から心療内科でも。
実家がコロナにビビってる・他人の目が気になるだけが理由なら、その生活で感染リスクは低いだろうし、帰した方がいいよ。他の理由があるなら知らん。
滅入ってるだけで、生活の基盤が破綻してないんなら、どんどん外連れってやれば。暑いし車で。電車バスなんて逆に疲れるしコロナもある。東京で世間体とか気にならない。本当に篭もりきりが原因なのならね。違う気がするけど。
ー
自分とこは、妻が攻撃的になり、一方的な言いがかりを平日昼夜問わず仕掛けられる。俺の全てが気に入らないぽい。ガルガル期だとかそんなもんじゃねえ~別人よ。今思えば産後鬱だったのだろう。
育児→俺は風呂寝かしつけは生後からずっとやった。夜中のミルクも気付いて起きれば。週末ワンオペしたり、妻を旅行させて一人で面倒見てたりしてたが、精神的に来た人に息抜きや休息などではすぐに解決しないと思う。
カウンセリング・心療内科→自分(妻)は正常だ、行くなら一人(俺)で行け、で上手く行かなかった。話を聞いてくれて協力的ならまず行ったほうがいいよね。
俺側の身内は全て敵認定だし、妻側の実家が理解してくれないと第3者も入れにくくて無理ゲー。うちは娘を信じる、で理解されなかったね。
この状況は不味いし、母子二人の環境を変えたかったので、抵抗されたが保活し保育園に入れ送り迎えやって、妻が復職し、その後やっと落ち着いて回復した。
ー
23区住み。近くに親戚なし。どこでも出来る・納期守ればいい仕事。だったけど、仕事にも支障出まくりで、貯金は吹っ飛んだ。
周りに相談して聞いた似た事例(攻撃的パターン)では、夫が出ていって離婚になったのが2件。どちらも妻はその後冷静になったぽくて反省してるらしいがあんなん目の当たりにしたら復縁しないだろうな。
妻側の身内からの話で夫はよくやってたってんだから、自分は育児にも参加してるのになぜ、とかは考えないほうがいいよ。関係ないと思う。どっちを責める話じゃない。
俺も親権取るつもりで記録取って離婚の準備してた。乳児を男が取るのは大変みたいで何年かかってでも。常識ない奴らに息子の人生預けられるかって気が立ってたな。
弱ってる系の話はちょいちょい聞くけど、興味なかったから忘れた。
産後クライシスのパターンや対応方法なんか、なかなか見つけられなかった。役に立たねええ行政だわ。
今回の件と人に聞いた話で、産後クライシスって不仲・価値観どうのってより、メンタルヘルスの割合が結構なんじゃないかと思った。
ー
素人考えだが、社会につなげて、元々の環境に近づけないと駄目なんじゃなかろうか。環境の変化に対応できるタイプでないと、一度嵌ったら簡単に抜け出せなさそう。
たぶん何したって病む人は病むから、原因追求や俺も頑張ってるのにとかは置いといて、ちょっとでも気が楽になる環境から徐々に、がいいんじゃないかなー。実家が落ち着ける場所ならそこからのスタートが。
他人からのおせっかいやアドバイス系は弱ってる人には効かないし余計だと思う。色々インプットされちゃうと自分か相手か責めるアウトプットが生まれるし、逆効果なんじゃないかとも。
精神的に弱い奴だな、とかそういうんじゃない。こんなのは誰にでも起こる仕方のない事だから、受け入れてより良い環境をって考えていくしかないね。自分も完璧なはずはなく。
とある場末の喫茶店。分煙化の潮流が激しくなる中、そこは地元の喫煙家にとって未だ憩いの場であり続けた。
しかし、にわか雨に嫌われた市長が、その店に緊急避難したことで事態は急変する。コーヒーよりもケムリが優先された空間に市長は眉をひそめた。嫌煙家ほどタバコに暗い情念を抱いてはいない。それでも健全であろうとする身の上が、「何か言っておかなければ」という衝動へ駆り立てた。
そんな市長に対し、店内の空気は冷ややかであった。その店を利用している客たちは普段“わきまえている”者が多く、それぞれ喫煙について一家言ありつつも享受している集まりだ。対して、市長の意見はあまりにも周回遅れだった。ウンザリした客たちは、この場において自分たちの喫煙が正当な権利であると主張することにした。それに加えて、市長の展開する議論が如何に古くさく、偏狭に満ちているかも指摘したのである。
論理武装を整えている数名と、杓子定規な竹輪しか持っていない市長。どちらが煙に巻かれるかは火を見るよりも明らかだった。タバコ一本が吸殻になる間もなく、市長は逃げるように店から出て行った。こうして店内は以前の雰囲気を取り戻したが、所詮これがピュロスの勝利でしかないことを彼らは分かっていた。
それからしばらくして、この町に「禁煙法」が制定された。つまりタバコの全面禁止である。何とも極端な政策だと思うかもしれないが、市長のやることとしては日常茶飯事の範疇である。市長は善良で行動力のある為政者で有名だが、同時に無能で単純な政治屋としても有名だ。
地元の風土も考えず風力発電所を作ったり、「足が不自由な人を抑圧する」として公共での二足歩行を禁じたこともある。そんな市長を椅子に座らせ続けているのは自分たちなのだから、この程度で驚くようでは市民は務まらない(言い訳させてもらうなら、候補の中でこの人が一番マシだったんだよ)。
それに今回の場合、一般人たちの反応は概ね好意的といえた。なにせ自分たちの世代はタバコの有害性について耳たこレベルで教え込まれている。公共での分煙化も推し進められている真っ只中だったので、喫煙というものに社会的な有意性も、政治的な優位性もないと考えるのは自然の摂理といえた。市長のやることを訝しげに思いつつも、ほとんどの人はとりあえず賛成派だった。
一部、ヘビースモーカー達による署名活動やデモ等が小規模に行われることはあったが、せいぜいその程度。かの喫茶店の客たちも、この状況を心静かに受け入れていた。
禁煙法ができてから数週間ほど経つと、なんとも不思議なことが起きていた。タバコを禁止しているにも関らず、なぜか喫煙者は以前よりも増えてしまったのである。理由は色々とあるが、ひとつはタバコの定義について詰めが甘かったのが大きい。
そもそもタバコは植物であり、それを原材料にしたもの全般がタバコといえるのだが、市長はこの辺りの知識が乏しく、一般的に普及している紙巻きだけを禁止したのである。実際は多種多様であり。蚊取り線香のように炊くものや、ガムのように口の中に含む物などがあった。中には舐めたり、吹いたりするものもあるのだが、市長はそのことを知らなかった。
厄介なのは、そのほとんどが普及していた紙巻きタイプより“重い”という点だった。紙巻きタバコの代替として使用し始めた喫煙者たちが、より深刻な依存症を患ってしまったのである。
それから何とか定義し直しても、今度は企業とのイタチごっこが待っていた。再定義されても、その度に企業はわずかな隙間を抜けて新たな“タバコのようなもの”を作り出す。特に煙屋が発明した「臭そうで臭くない少し臭い草」は革新的だった。どうすればこれを禁止に出来るかは、今なお思考実験として人気である。
そして取り締まりの問題もあった。何度も再定義するせいで現場の役員は対応しきれず、時に無用なトラブルに発展することもあった。結局、後手に回り続けるしかなかった市長は痺れを切らし、企業そのものに圧力をかけることで流れを止めたのである。
しかし、この選択は逆効果だった。既に喫煙行為は有名無実化している状態であり、市場に出回らないのなら個々人で賄おうとする動きが活性化したのだ。“タバコっぽいもの”を密かに楽しむ人が増え、時にはそれを売り叩こうとする者までいた。栽培そのものは禁じられていなかったため、取締りが後手に回りやすかったのも大きい。
「第一次タバコ自作ブーム」の到来である。このブームを最も苦々しく思う者たちがいた。政府に圧力をかけられたタバコ企業と、それに属する元組合たちだ。タバコの販売ルートは組合で決まりが存在していたのだが、禁煙法でそれが丸ごとなくなってしまった。それをいいことに私腹を肥やす人間が跋扈しているのだから、元組合の者たちは不満を募らせる。
そこで彼らは一念発起し、対抗すべく新たな組合を結成した。「サクリムケ組合」はこうして誕生したのである。組合は市場に出回る粗悪品を排除し、よく出来たタバコを作っていた者はスカウトして組織を大きくしていった。
当然、サクリムケ組合の統制を快く思わない者も多かった。そういった者達で立ち上げられたのが、悪名高き「シューリンガン互助会」である。こちらは烏合の衆の過激派であり黒い噂が絶えない。サクリムケ組合とはしばしば小競り合いが発生しており、そこに役員が介入した日には収拾がつかないことも珍しくなかった。
この頃になると、非喫煙者の間でも「禁煙法は失敗だったのでは?」という意見が蔓延し始めていた。撤廃されるのは時間の問題といえた。いま思うと、あの喫茶店の客たちが妙に冷静だったのは、いずれこうなることを予期していたからなのだろう。
そして某日、いよいよその時はやってきた。サクリムケ組合とシューリンガン互助会による大規模な抗争である。嫌煙家に「副流煙と中年ヘビースモーカーの方がマシ」とまで言わしめた激しい争いだった。禁煙法によって生まれた組織を解体させるには、禁煙法を失くすしかなかった。
これが禁煙法による大まかな歴史だ。喫煙問題が取り沙汰される度に、この出来事を挙げる人間は多い。その対象が如何に有害であっても、権利そのものを奪えば支障が発生する。その典型的な事例である、と。
だが、この出来事には裏事情がある。禁煙法を撤廃する代わりに、タバコの税率が大幅に上げられたのだ。そして、これは政府にとって予定調和だった。というより、タバコの税率を上げることこそ本命だったらしい。市長は人々の健康を願って「禁煙法」を提案していたが、政府の思惑はもっと別のところにあった。
税金を何とか工面したい、市民にもっと納めて欲しい状況。だが、税金には大義名分が必要だ。喜んで負担するとまではいかずとも、「仕方ない」と思える程度の理由がいる。かといって、あまり踏み込んだ話をすると国民は警戒してしまう。注意を逸らしつつ、実際に論じるべき問題から遠ざける必要があった。その条件を満たすのに、タバコは丁度よかったのである。
だからといって皆にスパスパ吸われても、それはそれで困る。不健康になって医療費が嵩んでしまっては本末転倒だからだ。タバコによって不健康な人間を増やさず、その上でタバコで儲ける。このパラドックスを成立させるには、タバコに対する問題意識を国民にしっかりと持ってもらう必要があった。義務教育でしつこく教わるのも、分煙化の潮流もその一環だろう。
それらを踏まえると、「禁煙法」なんていう突拍子もない政策が通ったのも納得がいく。本当の目的は、喫煙に関する問題意識の植え付けと、税金徴収の大義名分を手に入れるための物語作りにあったのである。喫茶店の客は、後にそう語っていた。
俺が一番言いたいことは、
一番言いたいことは、「お前、7月に治験、9月には実用化で、12月には国民接種が始まるワクチンはどうなった」である。
そのうえで読んでもらいたい。
http://www.pref.osaka.lg.jp/kenisomu/povidon/index.html
これね。まずツッコミどころは、
「え? 比較したのは、ヨードと同じ色水でうがいさせた奴じゃねえの」だ。
石田純一が「アビガンを投与されてから一気によくなった」と言ってたが、実際には効果がなかったように。
こういうことはよくあるのだ。
これで言えるのは「うがいをすると口の中のウィルスが一時的に減る」
というだけである。
全く効くとは言えない。
どれぐらい減るのかもわからない。
馬鹿じゃないのということだ。
むろんうがいは俺もしてる。
そして一番言いたいことは、「お前、7月に治験、9月には実用化で、12月には国民接種が始まるワクチンはどうなった」である。
小中学校の頃、皆より胸の発育だけ早くていじめられてたわけではないけど、かなりいじられてた。
身長は小さく顔も年相応、よく陰で胸だけコナンって言われてた。
当時はすごく嫌だった。体育のとき、学生の人数も多く、トイレでタバコを吸う人が多かったからトイレで着替えるのが禁止で、更衣室も鍵が壊れて使えなかったから、皆教室で着替えることを強制されてた。
そのとき男子同士で情報のやりとりをしてるのか、私が着替え始めると他クラスの男子が見に来たり、時には写真を撮られたりもした。絶対に見えないような対策をしていたし、周りの女の子も注意してくれてたから別に触られたとか被害を受けたわけではないけど、嫌悪感はあった。
準備運動で走るときやジャンプするときなんかはかなりの視線を感じたし、恥ずかしくて体育がある日は仮病を使って休んだこともある。
だけど、ふと思った。友人が男女問わずさまざまな人から貧乳いじりをされて泣いているところを見て、まだマシなのかな、と思ってしまった。
よく「反応するから悪戯されるんだよ」と言われてきたこともあり、少しずつスルースキルを身に付けて視線やらカメラやらは流すことにした。
まあ、結論これは逆効果だった。見ていいんだ!と誤解した男子が視線だけでなく絡んでくるようになった。
卒業するまで我慢すればいいだけ、と言い聞かせて、とにかく耐えた。耐えまくった。
そして高校。高校になり彼氏ができ、体の関係を持つようになった。そのときもやはり胸を触る時間が長かったり、褒められたりすることが多かったから、これは武器になるのでは?と思った。いや、思ってしまった。
結局その彼とは数ヶ月で別れたけど、それからも体目当ての人と何回か遊んだ。顔も大して可愛くない私が男性から声をかけられるのは、恐らくまあ、そういうところに魅力があるからなんだろう。
そう思うようになってからは、悪い意味で吹っ切れた。来るもの拒まず去るもの追わずのビッチになった。けどこれはこれでいいかな、なんて思ってる。顔もスタイルも悪くて誰にも見向きされないよりかはマシかなって。人それぞれだろうし、多分周りに言ったら非難されるだろうけど、そういう人たちは僻んでるだけだなって思い込むようにしてる。
誰からも抱いてもらえないよりマシ。ひとつでも女としての魅力があるだけマシ。と、思う。言い聞かせてるのかは分からないけど。
どうしようもなく怒りが抑えきれなかったときに、物を殴ると少し落ち着く。
人前ではやらないし、殴るのも自分の物だけだ。
物に当たらずに済めばその方が良いんだろうが、自分が壊れるよりマシだと思っている。
世間ではアンガ―マネジメントとか、物に当たっても余計に怒りが増すだけとかもっともらしい言説に溢れているが、なんの救いにもならなかった。
6秒数える?
「こうあるべき」を手放す?
割り切る?
親からぶん殴られてる最中にそんなことをしている余裕があるか?
いじめや虐待やパワハラを受けていて、明日も明後日も変わらないのにそんなことできるのか?
自分の手が腫れ上がったり切れたりして痛みを感じて、やっとそれで少し落ち着く。
アンガ―マネジメントをやってみてもこの衝動が落ち着いた試しがない。
もっともらしいことを言ってるだけで単に感情を抑圧してるだけなんじゃないのか。
見ないふりをしているだけなんじゃないのか。
溜め込んでいつか破裂するんじゃないのか。
そんなことを思う。
転職してキャリアアップするのが少ないのは不景気で労働需要が低いからだぞ。
労働も需要と供給で、需要が高いと労働者の奪い合いになる。よって給料が高くなり、待遇も上げる。
派遣という形で解雇規制を大幅にへらしたが景気なんてまるで上がらなかったじゃない。景気が復活したのはリフレでやっとだ。解雇緩和は役には立たない。ひょっとしたら逆効果かもしれない。
だから、財政均衡主義、政府が何もしないのが望ましいという新自由主義の奴らを黙らせて、きちんと政府が金の流れを制御するケインズ主義に戻すのが正解。
とくに大規模経済危機が起きたら企業が保身に走って金を溜め込み、設備研究投資をしなくなり資金余剰に転ずる。おそらく2021年卒、2022年卒の就職は悲惨だろうな。できるだけ早く政府が企業の保身マインドを反転しないとならない。
企業の保身マインドを対策して、景気が上がれば労働需要が上がり、「キャリアアップの転職」が当たり前になる。人の奪い合いになるから。
ODもリスカもしない超健全なうつ病ちゃんな私が今までのんだ抗うつ薬をなんとなくまとめて書き綴っておきます、個人的備忘録ですが誰かの参考になったら幸いです。
しかしど素人の個人的な意見だということで、そのへんはよろしくお願いします。
お願いしますというのは私はお医者さんじゃないのでこの記事は正しくないかもしれないってことです。わかりますね?
でことではい。
はじめて飲んだ抗うつ薬
飲み始めの1週間ちょいは割と吐き気がきつ
くて食欲あんまでなかったけど我慢できなくなかったのでちゃんと飲んでました
気分に対する効果は無くなかったけど1→1.5錠に増やした段階で昼も夜も無限に寝るようになってしまったためやめました。
けど問題はそこではなく37.5→75mgに増量した時なんか落ち着かないというか胸の当たりがザワザワするというかむしゃくしゃするというか、自傷行為はしなかったけど何度もしそうになるくらいモヤモヤむしゃくしゃした気分になったので、それを伝えたところ副作用だろうということで薬切り替えへ
主治医は若い人にたまに逆効果が出るみたいなことを言っていた気もします、たぶん。
びっくりするくらいなんもない
今まで吐き気やモヤモヤなど何かしら副作用あったのに対し副作用ぽいものマジでなんもなかった
けど効いてる感じも全くなかった
75mgまで増やしてもマジでなんもなかったので次の薬を試しはじめることに
今も処方されてて減薬中
ピンクでかわい〜ってテンションちょっと上がったけどイフェクサーの時のざわざわの強烈版みたいなのが襲ってきてじっとしてられず身体掻きむしったり眠れないし落ち着けないしで3日間だけ飲んでもう無理!となって即辞めた。衝動的に自分が何しでかすか分からんなと思ったくらい落ち着けなくてうっかり死にそうだった、あの副作用(?)は吐き気より数倍しんどいのでもう二度とごめんてかんじ。
今の所いちばん私に合ってるかな〜〜ていうのがこれ、今も毎日3錠のんでる
たまに手がざわざわするけどほんとにたまに。
飲む太る(食欲増進)とか言われてるけど元が痩せ型の食欲不振だったのでそのへんも相性良かったのかな
不眠はそこまでじゃなくて睡眠薬は飲んでないんですけどやっぱこれ飲むとすぐ眠くなる気はします、けど無限に寝ちゃってどうしようみたいにはなってない。けどめっちゃ寝ちゃう人も結構いるらしいよね。
あとよくネットで言われてる夢劇場、増薬直後(数日?)はやっぱ疲れる夢見たような気がする、きがするだけかもしれないけど嫌にリアリティのある夢みたら勝手にこの薬のせいにしてる(??)
と言うお薬遍歴でした
抗うつ薬は徐々に増薬、減薬しなければならなかったり1週間以上飲み続けないと効果がわからなかったりとなかなか時間がかかります。
私の主治医はわりと早いペースで薬の合う合わないを見極めて変えてくれた(ている)と思います。それでもやっとマシかな?と思った今にたどり着くまでヨユーで半年以上かかってます。本当に、年単位です。ぱっと飲んでふわふわラリってるようなイメージは当てはまらないです。(抗不安薬にはそういうすぐ効くのもあるだろうけど私は抗うつ薬しか処方されてないし飲んだことないのでわからんですけど!けど飲んでない人からしたら違いなんてわからんよな!……トホホ)
効かない薬をずっと飲み続けてると、自分は病気じゃなくて甘えだからなにも効かなくて生き方がダメなんじゃ……とか、もう私に合う薬なんてなくて一生この希死念慮を抱えて生きていくんだ……みたいに考えがちです。効かないくせに薬代かかるし毎日飲むのダルいしほんとにむり。。。。な気持ちになったりしてました。
今やっとちょっとだけ人間に戻りつつある私ですが、それでもまあゴミクズ社会不適合者だし希死念慮が全くなくなったわけでもないですけど、けど、どん底だった時よりマシになりました。
ちがいます。日本のバブル崩壊で企業が資金過不足統計で資金余剰に転じている。欧米でも2008年リーマンショックで企業が資金過不足統計で資金余剰に転じる現象が起きている。
さらにいうと、不景気だと労働需要が低下するため、人あまりになる。賃金が安くても待遇が悪くてもきてくれるのになんで高い給料を払うんだというので、解雇規制が問題だと叫ばれ始めた。
しかし、解雇規制を緩めて派遣を増やしたところで景気は全く回復しない。首切り安い労働者を増やしたのも不景気と、少子化と格差拡大をを加速させた。
景気が回復しだしたのはそれこそリフレとして金の動きに手を入れるまで起きなかったし、解雇規制に対応した派遣拡大は逆効果以外の何物でもなかった。
またフリーハンドの法人税減税も逆効果だっただろう。だって企業のマインドは主に金を溜め込む方向に進んでいたから。
高い法人税に戻したうえで設備研究投資など使った分だけ減税にするか、使途がない部分について増税する留保金課税を全企業を対象にするなど、使うことと溜め込むことをメリハリを付けるのが大事。
インターネットの誹謗中傷に悩む人に「あれは一部の極端な人が書き込みまくっているだけだから見なければいい」
自らを非モテと称し自由恋愛に対しインターネットで怨嗟を書き込む人に「モテないってことだけでそこまで悩むことなのか?」
有効な言葉ではないどころか逆効果をもたらす羽目になるパターンもあり、つまりはなんかいい感じの別の対処法が必要とされるわけでどうすればよいのか…
テレビのニュースに向かって「最低だな」って独り言を言う感覚で言葉を発してる人もいるだろうけど、テレビ番組と違ってせっかく相手に言葉が届くわけだし相手がなんかいい感じに精神的に健康になるような言葉を投げたいんよ、投げるのなら
まあそもそも投げないんですけどね、悪い結果になった時に罪悪感抱えて生きることになるのは嫌ですし