はてなキーワード: 聡明とは
1人だけならなんとかなったけど、うっかり2人つくってしまってごめんなさい。避妊しなかった自分が悪いのは分かってる。だから世界中の人に謝りたい気分だ。
金銭的な余裕がないと、精神的にも肉体的にも負担が大きすぎる。
政府が本気で子育て支援する気がないのは明らかだし、超高齢化社会へと邁進する日本のお先は真っ暗だしで、聡明な人はこの国で子供をつくろうなんてとても考えないだろう。子供にも試練すぎる。
ただ、経済的に裕福な人、日本を見限って海外で生活するつもりの人、子供に自分の人生の全てを捧げる覚悟のある人は大丈夫かなと思う。それくらいの人でないと、子育ては務まらない。一般的な仕事の比ではない。
子供たちにも、こんな父親でごめんと言いたい。ゲーム機や旅行や塾や習い事は無理かもしれないけど、最低限の生活はできるよう、自殺や失踪はせずに頑張ろうと思ってる。
いつか、子供が2人いてよかったと思える日が来たらいいなあ、なんて。まったく期待はしていないけれど。
要するに、太くて黒くて長いブツに女の子がかぶりつくさまを見て、品の良くない楽しみ方をしていた、という説。
確かに太巻きにかぶりつく様子はあんまし品が良くなくて、そう言う連想をしてしまうのは解る。
・恵方巻が始まった頃は性的テクニックとしてのフェラチオは一般的ではなかったのでは
まず1点目、 「節分の日に太巻きを遊女にかぶりつかせる」という遊びは、いきなり発生するにはハイコンテクストすぎるように思う。
仮に花街でそういう遊びがあったとしても、それ以前に太巻きの風習自体は存在し、そこに艶遊びの要素が付与されたと考えるのが自然ではないだろうか。
2点目、ものの資料によると、日本でフェラチオが普及したのは、昭和中期(1972年)のアメリカ映画であるという。
江戸時代にはフェラチオが一般的だったという話もあるが、日本における性規範は明治時代に一旦リセットされているため、恵方巻が始まった時期(よくわからんがおそらく明治以降〜戦前)には、性的技術としてのフェラチオは一般的ではなかった可能性が高い。
上記2点より、巷でまことしやかに囁かれる「恵方巻のルーツは花街の遊び」説は疑わしい、と判断するのが妥当ではないかと思う。
どうだろうワトソン君。
(3)
そして今度は2005年5月に「第二次惑星開発委員会」と銘打って再び「善良な市民」の名でサイト運営を開始します。宇野さんはどうやら東京に移住したようです。旧・惑星開発委員会にもあったクロスレビューに加え、テーマについて語り合う惑星座談会、機動戦士Zガンダムを全話振り返る機動戦士Ζガンダム回顧録などがメインコンテンツです。メンバーは宇野さんがネットで面白い文章を書く人に声をかけて集めたそうです。
旧・惑星委員会との変化はメンバーだけでなく善良な市民のキャラクター設定も微妙に変わってます。旧での苛烈な作品批判は軟化し、良いところはきちんと誉めるようになり、下の世代の目を意識しているのか啓蒙的な要素が増えています。また旧ではパロディの範囲内だった評論を真面目にやろうとしている印象を受けます。
そして、「宇野常寛」の名前でライター活動を開始します。この頃の宇野さんは「宇野常寛」と「善良な市民」を分けて使っており、「宇野常寛」での仕事は掲示板で「ぬるい」「何で毒舌キャラで行かないんだ?」と言われており、ライターとして真っ当に仕事をこなすのが「宇野常寛」、毒舌キャラで評論を展開するのが「善良な市民」と使い分けようとしてたのでは、と推測できます。
2005年12月には今や数千部の部数を誇ると噂されている「PLANETS」の第一号をコミックマーケットにて販売。
2006年4月にははてな界隈のオフ会に飛び入りで参加しています。その時の宇野さんの様子をid:laisoさんはこのようにブログで書いています。
善良な市民という人はしょっちゅうこっちをチラ見してきて超絶うざかった。
「見んなって」というと「見てないよ。それは君がこっちを見てるから――」と
返してくるのでなるほど、それはそれでそれはそれだと思って、
自意識バトルを常に仕掛けてくるのだなと思った。
宇野さんは高橋克典似のイケメンかつ知性溢れる聡明な人間のようです。
2006年の4月はさらにサイゾーでインタビュー記事を担当したという告知をし(活字媒体での仕事を発表したのはこれが初めて)、2006年7月には「PLANETS」第二号の告知がされます。この号から正式に「宇野常寛」名義になり、東浩紀に原稿依頼をして断られたりしています。
この時期、某掲示板での宇野さんへの評価は「ある程度良い大学の学生がオタクを批判してたのは小気味良かったが、売れないサブカルライターが必死にオタクを批判してるのは見てて痛々しい」といった調子です。また「この仕事量で食べていけるのかな?」と心配する声もあがります。PLANETS第二号の白倉プロデューサーへのインタビューで特撮界隈で話題になるもこんな書き込みが。
802 :名無しより愛をこめて [sage] :2006/08/14(月) 12:21:50 ID:FJc6m3X80
>800
お前の読む労力なんざ知らん。まあインタビュは8Pしかないけど(しかもメールインタビュだ)
けど言った手前とりあえずガンダム云々について(ID違うのは気にしないで)
インタビュア:現在本誌でも特集しているTBSの竹田Pの手がけるアニメーションでは作品に明確なアンチ・グローバリズムのメッセージが盛り込まれています。同じアンチ・グローバリズムの立場から、娯楽番組を制作するという立場で、竹田Pと白倉Pは共通しているはずですが「竹田アニメ」のような直接的なメッセージを「白倉ライダー」はほとんど発することはありません。これはプロデューサーとしてのスタンスの違いなのでしょうか?それともアンチ・グローバリズム観の違いでしょうか?
白倉:グローバリズムとかいう耳障りのいい言葉を創出して価値観を押し付けるのには反対です。価値観や思想信条は個々人がみずからの経験を通じてそれぞれ獲得していくものであって、誰かから押し付けられるのでは宗教と変わりありませんただ、番組にメッセージを盛り込むなどというのも、同じく、公共的な番組を私物化する行為だと思います
なんか一時が万事この調子でサブカルから平成ライダー語ろうとする同人誌側と>サブカルとかまったく意識してない白倉
とで齟齬があって凄く微妙(白倉が種とかハガレンとか見てるとは思えないし)
まあ上の文からでも白倉Pの番組観はちょっと見えるけどこういうのは今までも散々言ってるし
808 :名無しより愛をこめて [sage] :2006/08/14(月) 23:26:32 ID:nAGLeJSg0
管理職として実務に携わっている会社人とサブカルライターとの違いが
痛いほど伝わってきて、イタイ。
現状を憂えた宇野さんの熱意はなかなか動物化したオタクには伝わらないようです。
そして、2006年9月に「惑星開発委員会の善良な市民(宇野)氏を批判する」と題した文章がアップロードされます。書いたのは転叫院さん(id:tenkyoin)。第二次惑星開発委員会の中核メンバーで、ウェブ上やPLANETS誌上で宇野さんと対談をしています。お互い、一目置きあっている「盟友」って感じだったのですが……。
惑星開発委員会が批判している対象への批判があまりにレベルの低いものであったから,私は惑星開発委員会に関わった.だが,いまや,惑星開発委員会への批判があまりに低レベルだと感じる.だから,惑星開発委員会へのまっとうな反論を書きたいと思った.
以後、転叫院さんはメンバーから外れ、自身のウェブサイトで「惑星開発委員会の善良な市民(宇野)氏を分析する」「ゼロ年代の想像力」に対する批判者のためのメモ書き」「惑星開発委員会の宇野常寛氏を批判する 2007」と、度々宇野さんの批判を展開しています。転叫院さんの契機が何だったのか、本当のところはわかりません。友達は大事にしましょうね、宇野さん。
24才男子大学院生、修論もほぼ書けてもうすぐ卒業。内定もある。学歴と初任給だけ見れば相当いい方だと思う。けれど、大学6年間ですっかり心をやられてしまって、とてもじゃないが働ける気がしない。寝ても覚めても不愉快で趣味もろくに楽しめない生活を送ってる。自分語りして整理すれば仕切り直せるかなと思って書くことにした。
高校までは田舎で優等生やってた。学校の成績はいつも1位で、生徒会長やったりもして、不満はほとんどなかった。地頭はなくて数学の難しい問題は苦手だったけど、勉強はやっただけ成果が出たから、つらいと思ったことはほとんどなかった。今思うとどうしてあんなに勉強やれてたのか分からないし、「勉強しない」っていう選択肢を知らなかっただけなんだろうな。親や先生が褒めてくれるのが気持ちよくて望まれるがままに勉強してた。大学入試も難なくクリアして、いわゆる難関大学の情報系に進んだ。情報系を選んだのは、ブログの運営で少し触ったプログラミングがなんとなく面白そうだったから。当時はニュースでビッグデータがもてはやされていて職に困ることもなさそうだった。
大学1年目、高校の延長で真面目に勉強してたら自然と上のほうにいた。だけど、自分の周りでは、小学生からプログラミングやってて課題で褒められるやつとか、やたらレポートの内容が濃くて授業中に取り上げられるやつとか、無難に試験問題が解けるだけじゃない化け物がより目立っててかなり焦った。当時はまだギラギラしてたから、すぐにプログラミングの入門書とか買って自分で勉強した。幸い自学する力はあったから、大学から始めた人の中では頭ふたつ分くらい抜きん出たと思う。Twitterで自分が勉強した内容とか発信してかなりイキってた。ただ、自分でプログラミングを勉強していくのは結構しんどくて、月に何日かとにかく不快で何も手につかない日があった。自分はなんて頭が悪いんだろうとか、どうしてプログラミングを楽しめないんだろうとか、そういうことをぐるぐる考えてた。
大学2年目、先輩に誘われて一緒に小さなプロジェクトをやることになった。プロジェクトの過程で、プログラミング能力の低さとTwitterでイキてったのをめちゃめちゃに叩かれて人格がかなり矯正された。不健康気味だったメンタルが更に脆くなって自信とか自尊心がなくなったけど、プログラミング能力はすごく伸びたし、なによりあのままTwitterで井の中の蛙やってたらと思うとゾッとするし、トータルでは感謝してる。とはいえ、そのプロジェクトやってる間は大変だった。深夜にやってた萌えアニメを録画して起きてる間ずっとリピート再生したりしてた。今なら絶対に続けられないけど、当時は「つらいことをやめる」っていう選択肢を知らなかった。
大学3年目、自信を失ったなりに必死に勉強した。優秀な人の真似をしてみたり、流行りの技術に手をつけてみたり、自分の興味は二の次でひたすら迷走した。見かねた先輩に「君、意志ある?」と言われたのは今でも鮮明に覚えてる。意志はなかった。それでも、とにかく自信を取り戻したくて、別に面白くもないことを無理やり勉強し続けた。もちろん、当時は面白いと思い込んで勉強していたわけだけど。
大学4年目、研究室に配属され快進撃が始まる。たぶん人生で一番賢い時期だったと思う。きっかけはゼミの輪読。準備のために全部の定理を証明したり順序立てて説明する練習をしていたら一気に賢くなった。学校の先生がしきりに言っていた「論理的思考」がどういうことなのか分かって、頭の使い方が変わった。自分が急速に成長するのがわかって、すごく嬉しくて、それまでやっていたプログラミングを全部捨てて研究にのめり込んだ。指導教員は聡明な優しい方で、目の付けどころが良いと褒めてくれて更に研究が進んだ。今になって振り返ると、別に研究対象が面白かったわけではなかったと思う。一般に上手くできることは面白いし、人に褒められたら気持ち良い。ただそれだけのことだったけど、寸暇を惜しんで研究をした。眠りにつく直前まで研究のことを考えて、良いアイデアを思いついたら飛び起きてメモした。
年が明けて1月、卒論は早々に完成させた。同期が卒論執筆でひいひい言ってるのを横目に、ひとりヨーロッパに飛び、トップカンファレンスのポスター発表コンペで2位をもらった。賞金の300ドルは iPad Pro を買う足しにした。日本に戻ると、すぐに国際学会に出すための論文を書き始めた。1か月ちょっと、毎日10時間くらい研究室にこもって論文を書き続けた。2月末には30ページの英語フルペーパーが出来上がって、それがトップカンファレンスに一発で通った。割と流行りの分野だったし、近い内容の論文が同時にアクセプトされたりしていて、巡り合わせが良かったのだと思う。それでも十分に異常な成果だったし、このあたりでもう博士課程に進むことになるんだろうなと考えていた。
大学院1年目、アクセプトされた論文の諸手続きや発表準備をしながら次の研究テーマを探した。博士号をもらうには更に2本国際学会に論文を通す必要があって、1本目の論文が技術的にも精神的にも指導教員に依存していた自覚があったから、次のテーマは自分の力で見出したかった。指導教員からもしばらく迷走しなさいと言われた。たぶんここが分岐点で、ここで手厚い指導をお願いしていたら何か変わっていたかもしれない。当時の自分は、博士号取得に向けたアドバンテージを得たのを良いことに、時間をたっぷり使って自力で研究テーマを探そうと思った。手始めにここ30年くらいの関連研究を根こそぎリストアップしてひたすら読んだ。研究テーマを見つける最短経路ではなかったけど、一人前の研究者になるには歴史を知る必要があると思った。たぶんこれが大学生活最大のミスで、大して面白いとも思ってないくせに、何十ページもある論文をいくつもいくつも読み続けた。少しずつ、論文を読むのに飽きて、研究テーマをまとめる期限がせまって、メンタルがやられていった。
翌年2月、下宿のクローゼットに大きな穴が空いた。もう1文字も論文を読みたくない、研究テーマもろくにまとまらない、どうしたら良いんだって頭を抱えて家にこもってるところに、知り合いからしょうもない説教めいたメッセージが届いて目の前が真っ白になった。机を目一杯殴って立ち上がって、自分が座ってたゴツいオフィスチェアーをクローゼットめがけてぶん投げた。木が割れるすごい音がして、クローゼットに人の顔くらいの穴が空いた。そうするしか自分を守る方法は無かったと思うけど、引越しのことを思うと気が重い。そこまで追い詰められても、まだ教員に相談しなかった。初期の成果が異次元すぎて、それに見合う研究者にならなければいけないと思っていた。
大学院2年目の5月、自力で学振の申請書を書き上げた。めぼしい研究から無理やり話を広げてそれらしい展望をでっち上げた。内心、その研究が面白いとも有力な結果に結び付くとも思っていなかったけど、とにかく研究の段階を前に進めないと精神がもたなかった。指導教員にコメントをもらいながら、5000字くらいある申請書を10回書き直した。申請書を書いた後は、修士論文の影もちらついていたから、申請書に書いてある内容に沿って研究を進めることにした。もともと愛着も情熱もないテーマなのに、行き詰まって、読みたくもない論文を読み込んで、理論を改善して、というのを繰り返す日々が続いた。折れた足で無理やり走っているような気がした。足の骨を折ったことはないけれど。
同8月、ようやく研究が形になってきて指導教員とミーティングをした。それまでも月に1、2回は簡単なミーティングはしていたけど、理論も含めてしっかりと方針を説明するのは初めてだった。自分のメモを前に映して30分話して、色々と質問された後、この方針は厳しいねというような話が始まった。先行研究の流れを十分に汲んでおらず眉唾モノとのことで、一番近い先行研究を改善する方針を提案してもらった。教員からすれば僕の研究はいわば初稿、それを足がかりにして研究を広げれば良いと思って話をするのは当然だけど、僕からすると1年半の集大成が30分で水の泡になったわけで、たぶん致命傷だったと思う。事態の原因が自分の研究の進め方にあったことは理解していたし、現実問題として修士論文を書かなければいけないので、そこから2週間くらいは騙し騙し提案してもらった研究を続けた。
同8月末のある朝、起きたら研究をやめていた。あの朝の感覚を説明するのはすごく難しいのだけど、とにかく、自分の中の何かが壊れて研究をやめていた。研究をしたくてもできないなんてレベルの話ではなくて、きれいさっぱり研究をやめていた。研究をしなくてもなんとも思わないし、すごく不思議な感覚だった。そこから10月まで毎日ゲームをした。あんなに遊んだのは人生で初めてだった。途中、指導教員に「もう研究できません」といったメールを書いたところ、とても優しく対応してくださった。返信の言葉は適切でとても暖かく、もう数ヶ月早く同じ言葉を聞いていればさぞ励みになっただろうと思いながらゲームをした。成果にも指導教員にも恵まれていたし、とても貴重な機会を棒に振ったなと思った。
同10月、指導教員とミーティングをした。1ヶ月半ゲームをして療養したので、もしかしたら研究ができるかもしれない、という淡い期待を持って臨んだ。8月のわずかな進捗とその後の顛末を報告して、全く新しい研究テーマでやってみましょうということになった。参考文献を教えてもらって読み始めたが、アブストを半分過ぎたあたりで胃腸がギリギリ痛んで吐きそうになった。指導教員に「もう無理です、すみません」と泣きついて1本目の成果で修士論文を書くことを許してもらった。その後、就活をして内定をもらった。大学での成果を振り回して精一杯の虚勢をはったので、さぞ優秀な学生に見えたと思う。会社の内定と同じくらいの時期に、学振の内定通知も届いた。申請書に書いた展望はまるっと没になっているが、一体どんな素質を見出されたのだろう。
そうして今に至る。研究ではそれぐらいの挫折はよくあることだよ、とも言われたけど、それを乗り越えられるほどの情熱や興味はなかった。というか、乗り越えて平気な顔で研究を続ける人の方が狂ってると思う。努力は夢中に勝てないというやつ。何か夢中になれるものに出会いたいと思うけど、何かに夢中になりたいって言いながら年を取るんだと思う。何をやったとしても、上達するにはどこかで自分に負荷をかけて頑張らないといけない。そこで夢中でいるための気力を大学の6年間で全部使い果たしてしまった感じがする。つらいことや興味のないことを頑張りすぎた。
社会に出て働くわけだし、流石に関連技術を勉強しなければと思うのだけど、ひたすらつまらない。以前の自分なら、会社で評価されそうな技術を喜んで勉強したと思うのだけど、そういうギラギラした熱意は失われてしまった。たぶん研究に全部持っていかれた。どの分野もどの技術もつまらない。物事の細部や深い意味に立ち入りたいという欲求が一切湧いてこない。自分が知的好奇心の乏しい人間であることを痛感する。この状態で働き始めて、仕事を続けられる気がしない。毎日少しずつ自分が衰えていくのが分かってとても怖い。何か努力をしなければと思うけど、何をしてもつまらなくて30分ともたない。何も努力していないから、手放しで遊ぶこともできない。人生どん詰まり状態。早く仕切り直したい。
ZOZOに賃上げを求める藤田孝典氏だが、はてなでは評価が低い。その理由は藤田氏が「無能な味方」だからである。
そもそもはてなは派遣に同情的なプラットフォームだ。諸悪の根源とされる竹中平蔵氏や、差別的な発言を繰り返す田端信太郎氏に対する反発は強い。藤田氏には最初から有利な風が吹いているにも関わらず、どうして支持されないのか。
まず、「月に行くくらいなら賃金を上げるべき」という論点は、実はどうでもよい。個人の資産をどう使おうが自由なのは当たり前だが、名誉が欲しいなら社会に還元せよという論も成り立つ。普通の金持ちは目立ちたくないのでTwitterで発言などしない。前澤社長はリスクを取ってでも社会から認められたい欲求がある。
次に、現代は「何を言うか」よりも「誰が言うか」が重要な時代である。インフルエンサーがコンビニの商品をうまいと言えば、全国の店舗の棚から商品が消える。何者でもない人が注目を得るには、崖っぷちで自撮りするとか、裸になるくらいしか方法はない。
たしかに、増田に投稿された「保育園落ちた日本死ね」がブレイクしたように、当事者からの訴えが社会を動かす可能性はある。だが藤田氏はZOZOの派遣労働者ではない。スペックを見ても、肩書きには聞いたこともないNPOや大学名が並んでおり、発言の信憑性を測りづらい。
ネットで受けるのはスペックではなくキャラなのだが、田端氏との討論を見ても分かる通り藤田氏にはトーク力も魅力的なキャラもない。はてなで「馬鹿」の烙印を押されている田端氏とやり合う以上、最低でも互角に渡り合うことが絶対条件だった。勝ち目がないなら討論など最初からやるべきではない。
かくして藤田氏は、派遣労働者の味方どころか、田端氏や前澤社長の引き立て役になってしまった。藤田氏が頭の悪そうな発言をすればするほど、田端氏や前澤社長は聡明な人物に見えてくる。これでは賃金上昇は遠のき、富裕層を崇める風潮は強化されるばかりだ。
逆に田端氏や前澤社長にとって、藤田氏のような「無能な味方」が暴れ回ることは願ってもない展開だ。おそらく彼らは藤田氏に、もっともっと「活躍」してもらいたいと思っている。田端氏は都合が悪い相手を徹底的に無視してきたが、藤田氏には積極的にTwitterで絡んでいる。つまり、そういうことだ。
一方の藤田氏にとってもこれは悪い展開ではない。田端氏や前澤社長のお友達は風向きを察したのか、「個人の自由だ」と連呼を始めている。これで藤田氏はしばらくの間「大企業に物申す」キャラを続けられることになり、メディアへの露出も増えるはずだ。
このようにZOZOと藤田氏は一種のWin-Winの関係を築いており、こうしたメカニズムが働いている以上、ZOZOの派遣労働者の賃金が上がることはない。上がるとすれば、人手不足によって労働者を確保できなくなった場合である。
「「「「「ぼくたちは、フォロー&RT&媚びリプライで100万円受け取った芸人です!!!!」」」」」
大変羨ましいことである。
だが待ってほしい、前澤氏はもうすぐ月に行く。
そしておそらく帰ってこないだろう。きっとそうだ。そうに違いない。
残るのは何か、そして誰か。
そう、5000億円超ともいわれる莫大な財産とランチパック剛力さんだ。
彼が帰ってこなければ剛力さんはどういう行動を取ると考えられるか。人一倍の思いやりを持ち、尚且つ聡明な彼女のことだ。間違いなく彼の意志を継いでユウサーーク!プレゼント企画をリバイバル上映することだろう。
帰ってきたユウサーーク!は100万×100人なんてしけたもんじゃない。なにしろ予算は5000億円である。兆の半分だ。半兆だ。豆腐じゃないよ、現ナマだよ。
仮に1億円ずつ配っても5000人に行き渡る。宝くじやtotoなんて目じゃないね。総務省も文科省も公式アカウントでRT&フォローすればいいんだよ。それが平等ってもんだ。
そしてもう一つ留意しておきたいのが、ランチパックさんはあまりSNSがお上手ではないということだ。そりゃランチパックだからね、SNSが上手いランチパックなんて聞いたことないよね。ランチパックそのもの、とくにピーナッツはずっと美味いけどね。
だから彼女に任せれば、今回のように作為的なものでなく本当にガチ抽選で金をばらまいてくれる可能性が高い。
つまりその時だ。その時こそ我々が本気を出せばいいのだ。複垢でも何でもしよう。RTの世界記録なんてものはスプラトゥーンばりに塗り替えよう。
殆どのアニメは年齢層高くてもせいぜい20代前半ぐらい向けに作られている子供の娯楽なので、若いバカな頭で理解できるように、どうしても内容が薄くなる。
聡明な奴はそこで飽きて深くアニメを観ず、アニメ以外の高尚な趣味に流れてく。故に、聡明な奴はアニメを観ないし、アニメを見る目がない。
その反例はたくさんある。まどマギだって小飼弾だとか文化人的な人、はては坊さんが仏教的解釈したり、いろいろあったでしょ。
それから、バカに見える人に近づけと言っているんじゃない。他人をバカだと決めつけるな、決めつけられるとしたらそれは思い上がりだ、という話。
バカのためのものだという決めつけでもってモノや人を愚弄しつづけるのは自分を狭めると言っているの。
例えその作品のメインターゲットが小中学生だったとしても、それを経済学の専門家の自分が見たら気づける独自の面白さがあった、そしたらそれを絶賛すればいいんだよ。
ファンの質がどうだとか、そんなものは本質ではない。作品それ自体や、それを真面目に作っている人たちに、偏見をもたずに真摯に向き合うのが本来なんじゃないの?ということ。
いや、アニメとは別の部分で聡明なら俺でも流石にリスペクトするよ?というか、ガチで聡明な奴はアニメに入れ込んだりしないしな。聡明な奴のアニメを見る目がないというのは仕方がない。
でも入り口のアニメの部分でバカに見えたら、近づく気すら起きないんだからしょうがないじゃん。
近づく気がないのにそいつの聡明さに気付くことなんか出来るわけないじゃん。
バカな部分しか知らないんだから、俺から見たらバカなんだよ。そんなバカな奴の聡明さに気付く義務なんて俺にはないのに、なんでわざわざバカに近づくなんていう苦行を強いられにゃならん。近づいてみたところで、「本当に馬鹿だった」というパターンが圧倒的多数だというのに。
そこに妻として私も登場している。しかしそれが嫌で嫌でたまらない。
旦那の漫画は毎回バズっていて、Twitter経由で仕事も増えて収入も増えた。そこは良いことだとは思う。
でも、漫画の中の私は脚色されすぎていてもはや私ではないのだ。
「世間に対してハッキリバッサリと物言いをして旦那同様、聡明で物事を深く様々な視点で見つめている」
というキャラになっているのだが、別に私はそんなキャラじゃない。
漫画の中で、旦那の考えを補強するための都合のいいキャラになっているにすぎない。
「~についてどう思う?」
と聞かれると、このやりとりをネタにするんだろうな…というのが透けて見えて嫌になる。
また、言ってもないことを描かれることがどんどん増えてきて最近ではほぼフィクションになっている。
「私を漫画に出すのをやめてほしいんだけど。こんなキャラじゃないし、こんなことも言ってない」
と一度言ったことがあるのだが、
「そうは言ってもこれがウケてるんだし、利益も出るんだし、キャラクターとしても人気出てるよ。どんな漫画だって脚色はあるんだから認めてほしい」
と言われてしまった。
本屋に売っているコミックエッセイも、ネットでの漫画にも、インスタ映えライフを載せる主婦にも、ユーチューバーにも多かれ少なかれ嘘があるはずだ。
でも私は嘘が嫌でしょうがない。嘘をついてまで得るお金や称賛に価値はあるのだろうか。何だか最近わけがわからなくなってきた。
あと、漫画の中でかっこいい自分を演出したいのはわかるが、漫画に見えないところもしっかりしろよ!と思う。
口が臭いんだからしっかり歯磨きして歯医者に行けよ、とかトイレで座りションしないなら掃除しろよ、とか
くしゃみがうるさすぎて周囲に迷惑かけてることに気付け、とか。
そういう、漫画にはいちいち描かない積み重ねが人間を形成していくと思うので、かっこいい部分だけ見せてそれが自分のすべてだと思っているところにも嫌気がさしてきた。
きっと旦那にとってはそういう日常はつまらないもので、ネット上で人気のある自分に価値があるのだろう。私も嘘をついてまで楽しくなるような何かを探すべきなんだろうか。
というか私のほうがおかしいのだろうか。
quick_past 案の定この先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってるネウヨの餌になってるけど、何度謝ればいいんだって、それ殺人犯がムショで言ったらどうなると思うよ・・・。合意は過去の過ちを無いことにするものではない
>案の定この先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってるネウヨ
当該コメント欄に「先進国」との文言もそれに類する単語も見当たらなかった。
当該コメント欄に「日本様」との文言もそれに類する単語も見当たらなかった。
一体どこから「この先進国日本様に盾突きやがって」という日本人の声(?)が出てきたのか具体的に指摘して欲しい。
もし具体的な誰かのコメントのこの部分だというように言えないのであれば
quick_past氏のこのコメントはぼんやりと日本人全体に向けたものと捉えざるを得ない。
要するに
「日本人が韓国のなんらかの措置に対して反発するとは生意気だ」
「日本人の分際で」
なのだろうか。
それ以外の何か深遠なニュアンスがあるのだろうか?
quick_past氏のコメントが日本人差別に基づいたものではなく
「この先進国日本様に盾突きやがって」が具体的に誰のどのコメントへの批判なのか書いて欲しい。
すごいコメントだ。
ところでquick_past氏ほどの知識人であればそんなことはないと思うが
世間の無知で差別的な人間の中には「罪人は永遠に罪人」というような認識の者がいる。
これは正しくない。
犯罪者であっても逮捕されて服役して罪を償った後は、例えば氏名等が具体的に報道されたりしない。
(テレビ番組で過去の有名人権を扱う時に犯人の名前等もぼかされたり偽名になったりしてるのを知らないだろうか?)
1つの事件で何度も裁判を受けてその度に監獄に送られるとか、その度に謝罪させられるとか、そのようなこともありえない。
同じ争いで何度も裁判を受けてその度に賠償命令を受けて謝罪と賠償を繰り返す、ということもありえない。
たまにきちんと服役や賠償を終えた人をいつまでも「罪人」等と言って後ろ指を差したり侮辱したりする人間が居るが
例えばほりえもんのことが嫌いだったとしても、きちんと服役して勤め上げた件について「犯罪者」呼ばわりしたり、「お前は犯罪者なんだから一人前みたいに喋るな」とか言ったら、ほりえもんの虫の居所が悪ければ訴えられるだろうし、そうなれば何の抗弁も出来ずボロ負けするだろう。
実際にほりえもんに対して過去のネタを持ち出したそのようなあらゆる侮辱(逮捕服役歴や性嗜好を持ち出してほりえもんのあらゆる主張を封殺したり嘲笑ったりする)は5chのようなところでは毎日行われているが、低質な人間が毎日行っている=社会的に許されている、ではない。
それを踏まえて、
日本人全体を戦前の出来事をネタに、それも謝罪も賠償も完全かつ不可逆的に終わっている件をネタに、
「お前らはムショに居る殺人犯なんだから」という例えをするのはどういう意図だろうか?
事実に全く即さない例えである上、もはや日本人全体への悪意と差別意識しか読み取れないように感じる。
本件が最終的かつ不可逆的に解決したと確認(2度も。ファイナルファンタジーのナンバリングぐらい矛盾に満ちている。)された件であることはquick_past氏も熟知していて、その件について何度でも蒸し返して謝罪と賠償を請求し続け威圧を図ろうとする韓国側のスタンスが論理的にも倫理的にも間違いであることの判断もquick_past氏には付いている。
だから、「それはおかしいのではないか」と反発しだした日本人に対しては「ネトウヨ!」「過去の過ちをないことにした!」「先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってる(???)」などと、謎の日本人罵倒による正面から組み合わない次元での封殺を狙っていっている。
このやり方は論理的にも倫理的にも一部の理もないダダ捏ね・因縁付けにしかならないことをquick_past氏ほど聡明な人なら人に言われるまでもなく自覚している筈。
それでもなお道理も論理も踏み倒してこのような無理のある主張を、無理があると自覚できる知性の持ち主が主張し続けることには、
感情的なファクター、つまり日本人へのヘイトナショナリズム・レイシズム以外につけられる説明がなさそうに見える。
そうであればquick_past氏の知性すら政治的感情やレイシズムが曇らせてしまったという事実をとても残念に思う。
quick_past氏にはここに並べた疑義について堂々と反論したうえ
あの日本人へのヘイト丸出しに見えるコメントの真意について説明してほしい。
私が「全く的外れな勘繰りでした」と謝る流れになればどれほど良いかと思うが
たぶんそうはならないだろうなと暗澹たる予感は有る。
言っていることは、大変まともである。突飛な行動をしているからといって、彼女らを揶揄することで何かが解決するわけではない。筆者の言うことは正しいと思う。
しかしながら、そうおっしゃる筆者自身が、スピリチュアル系女子を揶揄せずにはおれない人々やその行為を「間違った人/行為」と認識しているのには、思わず「なぜそうなる?」と頭を抱えてしまう。彼らがなぜそんな行為に走るのか、スピリチュアル系女子がスピリチュアル系にはまることを考察した、その想像力を、少しだけでもいいから彼らに向けても用いていただければよかったのではないか。
たとえ異様に見えても、揶揄は分断を生むだけであり、社会的課題を解決しない。正しい。そしてそれは、スピリチュアル系女子を揶揄する人がいかに異様に見えても、彼らを批判したところで問題は何も解決しないということをも意味している。
まだ 開催するしか決まってないことに
失敗するに決まっているからやるんじゃないと決めつけるのに
何か気持ち悪さを感じるのだが
なぜ気持ち悪いと感じるのか
聡明な皆様なら分かるだろうか?
これ読んでて思ったんだけど、なんでブコメの多くが告白の代替手段が強引にキスしたり、SEX持ち込もうという話になってるんだろうか。
デートレイプより告白がマシだろって当たり前だろ。そうではなくて「付き合ってください」の前に、なんで相手を褒めないの?
笑顔が可愛いとか、一緒にいて楽しいとか、手が綺麗とか、話してるとすごく楽とか、あなたは聡明な人だと思うとか、食べる姿が素敵とか、趣味の話できる女性は稀有とか、毎日でも会いたくなるとか、俺は君のこと人として好きだけどなーとか、こんなに笑いあえる女子ははじめてだとか、とかとか。
告白とか性欲アクションする前に、褒めまくって好意伝えようよ。そこすっ飛ばして、持ってくからぬいぐるみにペニスとか言われるの。
そうやって、好意伝えまくって避けられるようならさっさと諦める。99.9%無理だから、楽しい時間を過ごせたこと感謝しつつ次行けばいいよ。
雙葉学園は、フランスのサンモール修道会の会員が1875年に設立した築地語学校を祖とする、私立の学校法人である。
雙葉学園はその長い伝統において、「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓のもと、幼稚園から高等学校にわたる一貫したカトリック教育を行ってきたが、雙葉女学院大学の設立により、さらに4年間の大学過程をふくむ一貫教育が行われることになった。
というのも、雙葉中学校・高等学校は、東京大学をはじめとするいわゆる旧帝国大学や、慶應義塾大学などの難関私立大学に合格者を多数輩出し、全国有数の進学校と呼ばれるようになっていたが、多数の生徒父兄が、単なる学力の追及ではなく、カトリック教育のさらなる徹底を望んでいたこと、卒業生の多くがカトリックの信仰を保持していない現実を嘆くサンモール修道会の強い推薦により、2002年に大学過程を行う教育機関の設立が決議されたのである。その後、文部科学省の認可を受け、雙葉高等女学校の設立からちょうど100年となる2009年、開校に至った。
私が雙葉高校を卒業したとき、もしこの大学があったら、このエスカレーターに乗っていだろうか。キーボードを叩く手が止まり、ふと自分の過去を反芻した。
中学受験に成功し、晴れて雙葉の門を潜ることはできたものの、入学後は成績が低迷し、人生の目的も見出せないまま、あるいは、先生がたがおっしゃっていた、神に与えられた使命を感じることもなく、特に受験勉強もせずになんとなく大学受験をした私は、願書を出した中で最も無名な、平凡な私立大学に行くこととなった。
パッとしない4年間の大学生活の間、やはり人生に意義を見出せず、大学卒業後は、飲食店や塾講師などのアルバイトを転々としたのち、25歳で、あるカリスマ英語学者の執筆アシスタントとして雇われることになった。
受験生向けから社会人のやり直し英語のための参考書まで、様々な英語関連書籍を多数執筆し、そのほとんどすべてがベストセラー、2005年からは教育テレビでレギュラー番組も放送されている、クリストファー・トンプソン、その人である。
誰もが認めるカリスマ英語学者のアシスタント、ベストセラーが約束された数々の出版物の編集作業。やっと使命が見つかったかに思えた。
が、それもつかの間のことだった。
最初の数ヶ月で気づいたことは、クリス・トンプソンは執筆作業のほとんど全てを、彼の『アシスタント』に任せているということだった。それでも、はじめのうちは、英語学者である彼の理論を専門家でない一般大衆向けに落とし込むのに、アシスタントが最大限の貢献をしているのだろうと好意的に考えていた。
働き始めて半年が経った頃、主力の『アシスタント』が結婚・出産を機に退職することになり、私がその立場を引き継がなければならないとなったとき、彼女から真相が告げられた。カリスマ英語学者、クリス・トンプソンは、自分ではなんの理論も持っておらず、彼の博士号はディプロマ・ミルから得られたもので、彼のアイデアと言われるものはすべて、彼女の作品だったのだ。
『徳においては純真に。』私は、彼が世間を欺き続けるのを手助けすることはできなかった。
代わりの職を求めた私はその後、27歳にして都内にある無名の私立高校の英語教師として採用された。
須藤智くんとの出会いは、私がその学校で働き始めて3年目のことだった。
高校といえば雙葉高校しか知らなかった私は、おそらく世間では平均的であろう、学習意欲のない生徒たちを前に、教師として戸惑っていた。そんなとき入学してきた須藤くんは、『教え子』と——おこがましいが——呼びたくなるような、優秀で向上心の高い、私の初めての生徒だった。
彼はすべての科目の定期試験で満点を取り、全国模試では偏差値が80を超えていたので、瞬く間に教職員のあいだで評判になった。
彼の非凡な才能は、主に自然科学の理解に向けられているようであったが、彼の言語に対する洞察も、単に受験勉強ができるというレベルを超えているように思われた。
それは、彼が二年次に進級し、私の授業を受けることがなくなった新学期のことである。珍しく残業もなく、夕方6時に山手線新大久保駅で帰りの電車を待っていた私の元に、彼が歩み寄ってきた。
突然そう告げた彼は、意表を突かれてうろたえる私の返事を待つことなく、ノートを広げ、彼の発見を説明し始めた。
私は彼の理論を即座に理解することができた。なぜなら、中性子、陽子、原子核、電子といった、化学のアナロジーを用いているものの、それらの用語を適宜『主要部、内項、外項、句、付加部』という言語学の用語に置き換えれば、それは現代言語学の父、ノーム・チョムスキーが1970年に発表した、エックス・バー理論そのものだったからである。
彼はきっとエックス・バー理論をどこかで読んだのだろう、そしてそれを、自分の慣れ親しんでいる化学のアナロジーで理解したのだろう、と私は考えた。
しかし、彼は、これは紛れもなく自分でたどり着いた理論で、とっかかりになったのは、クリス・トンプソンの『60億人の英文法』にある「日本人は名詞が主でそれに冠詞がくっつくと考えがちだが、冠詞がまずあって、そこに名詞がくっつくというのがネイティブの感覚だ。」という記述だと言う。
ともかく、私は彼の話を信じた。そして、彼が自分の発見を教えてくれたお返しに、私も自分の『発見』を彼に打ち明けた。こうして彼は、クリス・トンプソンの秘密を知る、部外者第一号となるのであった。
秘密を共有した私たちは、ときどきメールを交換する仲になった。話題は主に、言語学。彼は初め、原子力工学の話をしたがったが、私がついていけないということに気づくと、言語学を中心に、私が理解できる話題を選んでしてくれるようになったのだ。これは私にとって、10年遅れて訪れた青春の一ページだったが、彼にとってはたぶん、相手が先生だから、気を使って付き合ってくれていただけだったのかもしれない。
私は一度、言語学の道に進みたくはないか、と彼に尋ねたことがある。彼がチョムスキーほどの天才かどうかはともかく、才能があることは間違いない。しかし、彼は原子力工学をやるといって譲らず、ワシントンにあるベルビュー工科大学を単願し、同校に進んだ。なぜマサチューセッツ工科大学や、スタンフォード大学を目指さなかったのだろう、あるいは、ワシントンならなぜ同州トップのワシントン大学に行かなかったのだろう、願書くらい出しておけばよかったのに、と当時も思ったが、きっと彼なりの理由があったのだろう。
メールのやり取りは彼が高校を卒業した後もしばらく続いたが、彼が希望通りベルビュー工科大学に進学すると、須藤智という天才を失ってただの無名な私立高校に戻ったその場所で、張り合いのない授業を続ける私が、なんだか取り残されたように思えて、劣等感からメールを送るのが億劫になって、やめてしまった。
須藤くんとのメールをやめた私は、高校教師の仕事もやめた。また人生に迷ってしまったと思った私は、以前のように求人情報をチェックしたり、履歴書を作成したりする気もなくなって、目白のアパートに引きこもった。
そんな張り合いのない生活を続けるうち、あるとき新聞の広告欄に、雙葉学園が、大学新設にあたり職員を求めているという求人情報が載っているのが目に留まった。行き場を失った私は、まるで蜂が巣に戻るように、こうして古巣に戻ることになった。
私はいま、雙葉女学院大学の国際交流課で、4年ぶりに須藤くんへのメールを書いている。雙葉女学院が日本の大学として初めて、ツー・プラス・ツーのダブル・ディグリー協定を海外大と結ぶことになったのだが、なんの因果か、その協定校第一号が、ベルビュー工科大学だったのである。そして、私が留学カウンセリングを担当した学生が、第1期生として派遣されることになったのだ。
彼女は聡明な女性だが、単独で海外に行った経験はないと言う。現地に信頼できる知人がいれば、少しくらい世話を焼いてもらってもばちは当たらないだろう。