はてなキーワード: 病原菌とは
ハニワ市長?とかどうでもいいし。それ面白いと思ってんの?仮面で顔隠してないで顔さらして本当のことちゃんと話せよ。
何で選挙に行こうポスターがみやぞんなんだよ。にっこり優しそうなみやぞんの顔を載せたらなんだか和んじゃうと思った?あほなの?
私が住んでいるところは堺市南区なんだけど、あほみたいに一点に大病院が乱立している。
しかも医療圏(この件が判明してから調べてこの言葉を知った)ではない生活圏で、市立プールと都市公園売り払って近大病院ドーーーーン。
真横に大病院の病棟とヘリポート作って発着訓練するってだけでもうんざりなんだけど、は??????????
まじで頭おかしいんじゃないのって思ってる。
しかもこの計画、何で公になったかって、近大や堺市から直接説明があったわけじゃない。
うちのマンションの真ん前に信号を増やす?とかで来た近大移転関係者がうっかりぽろっと「ここに移転するんです」ってバラしちゃったことから芋づる式に判明しました。
地元新聞みたいなやつに「こんな無茶な計画があります!」って図解付きで解説・掲載したらその地元新聞社を近大が買収とかwwwwwwwwwwマジウケる。
反対住民の会?みたいなのがあるけど、あれもあれでノリが合っていないのでなかなか参加できない。
反対住民の会はずっと「田園公園を残してほしい」とか言ってるんだけど。
そうじゃなくて
「他人ちのド真ん前にエネルギーセンターもしくは病棟作って廃棄物と病原菌まき散らしますwwwwww」
「堺市さん、市所有の土地を住民の意見聞かずに売ってくれてあざーす!!!お礼に荒稼ぎしますね^^」
「あっ、あんたんちの目の前でヘリコプター飛ばす練習するけど許してね★」
というトチ狂った状況をなんとかしたいのよ。
家の近くに大病院ができてうれしいでしょ?ってみんな言うけど、真横に病棟ぶっ建てられて日光ほぼ当たらなくなるとか話が変わってくるでしょ。
大体、目と鼻の先にベルランド総合病院っていう大病院があって、隣駅には市立堺病院も数年前に移転してきてる。もういらねっつの。
ベルランド総合病院直通のバスが目の前通ってく場所にわざわざ医療圏無視して利益目的のみの病院ぶっ建てるってなんなのもう。
病院ってお金稼ぎ目的のみの施設だったんだーって感想です。特に近大病院は一生そう呪います。
って思うんだけど、近大移設反対住民はみんな「公園ガー」とか言ってこっちの話を聞きやしない。
緑とかどうでもいいんだよ。大枚はたいて買った分譲マンションなのに、環境劣悪化で住めなくなるとかマジ笑えない。
不動産屋からすればうちが安値でマンション売り飛ばして老人に転売すればウマーで何の問題もないだろうけど。
ていうか。
不動産屋のチラシ見てたら、現近大病院付近のチラシには「近大病院の近くだから通院に便利」とか書いてあって、
こっちのチラシ見たら「日当たり・展望抜群!」って書いてある。
せっかく安心して住める場所が欲しくて都市公園と市民プールの真ん前っていうという売却される心配のないマンション買ったのに。
世の中、誰も信じられないよ。だってみんなお金欲しさで勝手にこんなことするんだよ。
税金払ってんのに。マンションの代金払ってんのに。何でこんな目に逢わなきゃいけないの。
堺市民みんなトチ狂ってるよ。こんな中でだれが市長になっても一緒じゃん。
誰か早く説明してよ。何でこんなことになってるのかってこと。
どうしたら私は助かるの?
なんか日本人は世界で日本人のイメージはいいだなんて勘違いしているやつは多いと思う。
そういえば、謙虚だーと大声で叫んでいたな。
その中でいろんな国で人が突然倒れるシーンがある。
普通の国だと、人が倒れたら周りの人は大丈夫かって心配したり駆け寄るんだけど、
日本のシーンは違う。周りの人は携帯で写真をパシャパシャ取るんだよ。
もうこれを見てとてつもなく恥ずかしいと思った。
実際事故現場とかで、日本ではこういう人が多いというのは聞いていたが、海外でも日本人のこの恥ずべき習性は伝わっているんだな。
あーまじで最悪。
こんな倫理観ゼロの無教養人間がマイノリティーに留まっていないってところがもう日本人終わってるわ。
・この非人道的行為をサブカルとか言うバカ、道徳と同時に常識が著しく欠落しているので病院にいくことを勧める。
・ステレオタイプが云々言うバカ、ステレオタイプとして認識されるってことはそれだけこの恥ずべき行為が日本では一般的だということだぞ。まじで恥を知れ。
横やけど、折角注意してくれてる人にそういうこと言うお前のその根性は多分一生直らんな
お前の故郷をクソって書いたって読んだんやったら、確かにそれは私が悪かったよ、謝る
都会人ぶった冷たいどうしようも無い連中のことをクソって書いたんや
喘息発作を満員電車の時にやらかした時の、連中の、人を病原菌扱いしてるあの目と態度は一生忘れんわ
これからはクソな連中ではなく、大嫌いな連中と書く
けどな、お前、私の事を煽るつもりでワーワーワーワー頭に血を登らせて書いたんかしらんけど、ホンマ最低なことばっかり書いてるで
お前の書いたことはな、腹の中で、
地方で仕事してる人間は人生の落伍者で、どこにでもあるようなくだらない仕事しかしてなくて、田舎根性丸出しで東京のことを本当は羨ましがっている
って思ってないと出てこん言葉ばっかりや
って言うけど、それは、お前が腹の底でそういう考えを持っているということを見抜かれてるからや
田舎に住んでる人間やからアホいうわけではない、そういうのは、ボロを出してへんつもりでもちゃんと伝わるんや
大体、「どこにでもあるような仕事してる人間」という言葉を人のことを貶めるために使うて、お前がどんなに素晴らしくクリエイティブでオンリーワーンな仕事してるんか知らんけど、最低の人間のすることやろ
誰がお米を作ってくれるからごはんが食べられると思ってるねん。夜中に仕事で疲れてコンビニに寄った時に、こんな遅くのシフトで働いてくれてる人がいてありがたいと考えたことは無いのか
こういう時、昭和の人間は、「親の顔が見てみたい」っていう言葉をよく使ったもんやけど、それ言うとお前また発狂するやろな
けど、まあ、そういうことや
あと、ここにも微妙なマウント臭感じたから言っておくけど、仕事ででも、10カ国くらいウロウロしてたら、これは地方・東京とかに関係なく、日本人はまだまだ外国から見習うべきところがたくさんある、
と思うことが多い。
風邪を引いた。
いつもは風邪を引くと寝るかほぼ流動体な食事を摂るかくらいしか選択肢がないんだけど、ずっと家にいると如何せん暇だと感じる。なので今日はPCゲームの友人数人とスカイプ的なボイスチャットで通話している。
今は世間的には”微熱”と言われるような体温だけど、幸か不幸か人より敏感だと思われる俺の身体はwindows meくらいの処理速度にまで落ちているから通話といっても基本的に聞き手に廻っている。一人はうつ病真っ只中だったりで俗っぽい言い方かもしれないけど皆各々の事情を抱えて生きているんだなあ、と思う。
生きることは「違和感をなくすこと」だ。
飯を食うことも「空腹という違和感」を解消することだし、外国語を勉強するのも「言葉が通じない違和感」を消すことだし、極限的なことを言ってしまえば、歩くことは他の足を交互に動かすこと以外の移動手段に違和感があるからなのじゃないかとも思う。
水飲んで寝れば大抵治る風邪なんて身体が病原菌に対する違和感を解消するための反射ともいえるんだろうけど、うつ病とかの精神疾患に明確な原因はあるのかな。”脳のイレギュラー”とか”様々な事象が原因となる”とか言われるだろうが専門外なのでわからないし、原因なんてわかったところでどうしようもない。「人間は必ず分かり合える」とかいう意見に断固反対だ。他人の気持ちなんて予測するか蓄積された自分の経験に照合させて最適解を探すくらいしか手段はないでしょ。わかるんなら風邪引いてる俺の気持ち(しんどい)を記述してほしいし何なら風邪自体をもらってくれ。ガンダムなら完全にシャア側。品川区にコロニー落とすぞ。
脱線したけど、総て「違和感を解消するために今何をすべきか」を考えすぎて行動に移すのもよくないのかもね。嫌いな人が近くにいる違和感が嫌でそいつを殺すとかは少なくとも現代社会では禁忌だし。食いたいから食うし行きたいから歩く。でもだとしたら殺人犯は何を思って殺すのかな。殺したいから殺すのかな。
風邪がつらい。
さっき、テック系ブログのRSSと一緒にホットエントリのRSSを外して、アプリを削除したよ。何年の付き合いだろう?サービス開始からだから・・・悲しくなるから確認せずに行くよ。
最初はダイアリーに書いて、反応なんて全然なくて、広告コメントばかりだったな。いまでもはてなの知り合いはいないんじゃないかな。
ネットコミュ障なんだ。Twitterとか色々やってるけどやりとりする相手なんて誰もいないよ。
僕は君になにもできなかったね。本当に君の事が好きだったのかな?本当に村民になりたかったのかな?多分、違う。本当はブクマされて、スターつけられて、承認欲求を満たしたかったんだ。
意識高い系を笑えないよね。何年も異性にお金を注ぎ込む人を笑えないね。僕もずっとホットエントリを見て、色んなものを買ったりしたんだ。
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どうしてこうなったか?聞きたくもないだろうけど、最後だから言わせてくれよ。
初めて君を見たとき、天国に見えたよ。最新の技術トレンドがここにあってさ。自分の理想郷はここなんだって。技術力をつけて、認められる人間になって、ここの住人になる事が幸せなんだって思ったんだ。
そうやってさ、次々流れてくるトレンドに耳だけが年増になっていって、それを知らない周りの人たちをバカにしてたな。
でもさ、肝心の技術力は全然つかなくてさ、大学生になれば、就職すれば、東京に出れば、新しいマシンがあれば、お金があれば、時間があれば、やる気があればって制約条件がなくなる度に新しい言い訳を考えてたな。
結局、生半可な知識じゃ参加できないってチンケなプライドのせいで勉強会に参加せず、ブログも書かず、なれたのは一番軽蔑するExcelとにらめっこしてるSIer。おいおい、Web系のベンチャーでテックブログ書くんじゃなかったのかよ(笑)
耳年増で、周りをバカにしてたクセに仕事が全然できない自分とのギャップに10年耐えてきたけど、年末に休職したんだ。自律神経失調症。
眠れるんだよ?ごはん食べられるんだよ?ただ、会社の人みんなが怖くなってさ、朝だるくってさ、すげー疲れてさ。苦しくて。仕方ないから受け入れて。っていうか、甘やかして。つまるところ、ズル休みなんだよ。
時間が出来たから、ずっと積ん読になってた技術に正面きって立ち向かってみたんだ。すぐ投げ出したね。理由は分からないけどただ苦痛だった。
作りたいものなんかなかったし。多分、技術を使いこなしてスゴいって言われたかったんだね。
部屋にはPerlやRoR、SQLite、jQuery、node.js、AWS、Haskell、Hadoop、Docker、Raspberry Pi、R、Reactのホコリを被った本がある。彼らはブックオフ行きかな。
最近は時間はあるからさ、はてブばっかやってたんだ。見るのがホットエントリから新着エントリーになったな。いつもみたいに100文字制限ギリギリのコメントだけじゃなくて、10文字くらいの一言コメントも書くようになったんだ。その10文字コメントのうちひとつが100スターくらいもらえてさ。
そのとき分かったんだ、これはずっと片思いなんだって。叶わない恋なんだって。自分が住める世界じゃないんだって。おかしいよね、小学校の頃のプロ野球選手の夢だって、中学生の頃の小説家の夢だって、高校の頃のパンクロックスターの夢だってすぐ諦められたのに、この夢は35歳の今だって諦めきれないんだ。
応用情報取った時も、ネスペ取ったときも、オラクルブロンズ取った時もLPIC 2取った時も全く達成感なかったよ。コレ取るのに何年かかってんだってさ。村民は1ヶ月あれば取れるぞ。同期のアイツだって3ヶ月で取ってるぞ。何が言えるんだってさ。
銃・病原菌・鉄読んだ時もそうだった。で、お前はそこから何かアウトプット出来るのか?ってさ。読むだけなら幼女でも出来るんですけどwって。
伝わる?伝わらないだろうな。みんな高IQですぐに色んな技術を理解出来るじゃない?すごいよ。自分は二浪で駅弁大学しか行けないくらいのバカで、リアルでもネットでも知り合いを作れないコミュ障で自己承認が全然出来ないんだ。
ADHDって言葉を知った時、これだーって思ったけど違ったね。ITの勉強してても過集中が全然ないんだ。
話が逸れたね。認知療法してて、気づいたんだよ。何をしてても自分を認められないんだよ。はてなに受け入れられる事を成し遂げられてないからね。
だから、自分を認めるために、君のことを自分から切り離さなきゃいけない。自分の世界を作らないと。一方的になっちゃうけど、さようなら。勝手だけど、今にも泣きそうだよ。
これからどうしようかな。匿名で好きな事書けるのはココだけなんだ。自信のない間違ってるかもしれない事を書いてもいいのはココだけなんだよね。ここなら見たくないコメントを見なくてすむんだ。
でも、前に進まなきゃ。夢の世界への憧れは終わりだ。目の前の現実世界に適応しなきゃ。また逃げ戻ってくるかもしれないけど、いまはさようならしなきゃ。
最後に何か残せるとしたら・・・スタバのハチミツ、あれ何に使うと思う?あれ、ワッフルを食べるときに使うんだよ。
・・・スベったね。
さようなら。このエントリも2時間すれば次のページ行きだ。そうすると、誰かの目にも触れなくなる。単なるはてなの磁気データになる。
最後にブコメとかつくんじゃないかって浅はかな期待を持ちながらこの内容を登録するボタンを押します。じゃあね。
P.S. 認知療法について書いてくれたこの増田には本当に感謝しています。まだまだ自分について書く事が苦しいけど、正しい道を向いてると信じています。
人はどう生きるのが幸せか。
人それぞれ様々な考え方があるだろうが、
「死後の世界」に焦点を合わせて考えてみると、思わぬ発見がある。
まず「死後の世界があるかどうか」を考える。
1.死後の世界は ない
2.死後の世界は ある
自分自身が、死と同時に消え去る。
どんなに誇らしい人生を送っても、情けない日々を過ごしても、自分自身が消滅してしまったら関係ない。
自分が死んだその時には、誇らしさも情けなさも、もう感じられないのだ。
つまりこの場合は「死ぬ間際に幸せかどうか」が最も大事だろう。
だが実際に生きているのは「今」だけだ。
過去や未来への感情は副次的に作用するだけで、今幸せかどうかは、当たり前だが「今」の状況が最も影響する。
過去に辛いことがあっても、未来が不安でも、今が幸せならば人は幸せだと感じる。
ただ過去と違って、未来は不確定なので、人は必要以上に妄想を膨らませる。
だが死んでしまえば、未来は無いのだから、そんな心配は無用だ。
死ぬその瞬間に幸せならば、それまでの人生はすべて前フリでしかない。
明日、突然事故で死ぬかもしれないし、ギネスレベルの120歳まで生きるかもしれない。
だから、長生きした場合の長期的な幸せと、明日死んでも悔いのない短期的な幸せのプランを両立させる必要があるだろう。
2.の「死後の世界はある」と考えるならば、話は一挙に複雑になる。
死後の世界がどういったものかによって、答えはまったく違ってくるからだ。
古今東西の死後の世界感を見るに、まず2つに分けるならば、以下のパターンになる。
1.現世での行いが 反映される。
2.現世での行いは 反映されない。
1.の「現世での行いが反映される」というパターンは、比較的古い宗教に見られるパターンだ。
良い行いをすれば来世では幸せが保証され、悪いことをすれば来世では不幸になるという、非常に分かりやすく、伝播しやすい教えだ。
だが、このパターンの最大の問題点は、何が良い行いで、何が悪い行いなのか、判断基準が持てないことだ。
人を殺すことは、一般的に悪いこととされている。
もっと分かりやすい例で言うならば、あなたの前に1人の男がいる。
彼はいまだかつて無い恐ろしい病原菌に犯されていて、このままでは数億人に感染して死に至らしめる。
彼を殺せば数億人の命が助かる。
だが彼は運悪く感染しているだけで、なんの落ち度もない。
こういった場合、一体どちらが「正しい」のだろうか。
そういった曖昧さを多分に残すという意味で、1.の「現世での行いが反映される」というパターンは、考える必要がないと思われる。
たとえそのルールで死後の世界が構築されているとしても、そのルールを知りようがない以上、対策することが出来ないからだ。
つまり「どう生きようが、死後の世界のルール次第」ということになり、明確な指針は持てないことになる。
2.の「現世での行いは 反映されない」も同様である。
現世でどう生きようが死後の世界に関係ないならば、明確な指針は持てない。
ここまで考えて見るに、最終的な結論は
「明日死んでも、120歳まで生きて死んでも、幸せに死んでいけるように生きなさい」
ということになる。
これはなかなか難しい生き方だ。
皆が皆、できる生き方ではない。
だから誰かが死んだとき、それを悲しむことの方が多いのだろう。
死んだその人が笑顔で逝ったと思えるならば、葬式はもう少し希望を湛えたものになるはずだ。
「明日死んでも、120歳まで生きて死んでも幸せに死んでいける」という条件は
たとえ夢半ばで死んだとしても、生涯を夢に向かって全力で生きた自分を誇りに思って死ねるだろう。
夢を叶えた後に死んだならば、悔い残すことなく幸せに眼を瞑れるだろう。
このあたりの結論は、個人の価値観によって違ってくるかもしれないが
苦しいあまりに死を願うなら、すべてを捨てて好きなように生きるが得
死ぬるのは、いつでもできる
死んだ先のことは、死んでみなければ決して分からぬ
吉と出るか、凶と出るか
2016年の秋季放映のアニメの一つに、『バーナード嬢曰く。』(施川ユウキ著、一迅社、2013年~)があります。
アニメ化の報には心躍り、楽しみに待っていての放映です。毎週楽しく拝見しています。
その流れに乗って、ここでは、原作コミックスの主な魅力について、特に焦点を当てて述べます。
『バーナード嬢曰く。』(以下、『ド嬢』と略します)の一巻(発行当初は1巻完結の無印)の裏表紙には、
本を読まずに読んだフリをしたいグータラ読書家”バーナード嬢”と
『聖書』『平家物語』『銃・病原菌・鉄』『夏への扉』『船を編む』『フェルマーの最終定理』……、
と、紹介されています。本好きの方々も、本好きのフリをしたい方々(なにせこちらが主人公の高校生)も楽しめる二層構造になっています。
まずは表紙をご覧になって、「ええーっ!」とか「えっ……?」とか「せ、正解って!? 何??」(2巻参照)とか「おおっとぉーーー!」(3巻での私の率直な感想)と、何らかのリアクション、心の想起が起こることを期待しています。そこから本書を楽しんでほしいです。
マンガのジャンルとしては、本著はショートギャグであるので、比較的手軽に読み進めることができます。
作者の施川ユウキ先生が何を考えて本編に至ったのか、垣間見ることができるようで面白いです。コミックスでまとまった活字も読めて、おトクな感じがします。
自身を「バーナード嬢」と自称している主人公の高校生、町田さわ子の態度は天真爛漫そのもので、肩の力が抜けるような思いがします。
一般書では、そもそも「参考文献」リストの存在すら無かったり、あったとしても発行年や出版社名が書かれていないケースが多い中、『ド嬢』では、本編に登場する書籍の基礎データが、『タイトル』(著者名、訳者名、/出版社名/発行年)の順に並び、話数ごとに分かれ、登場順にリスト化されています。これは、「次に未読のこの本を読んでみよう」とする読者にとって、非常に親切なつくりとなっています。整然としたリストを見ると嬉しくなります。
公立図書館に所蔵しても、読書促進の助けとなるのではないでしょうか。
ただ、1巻では、おまけページ(44ページ)の『百年の孤独』について、「参考文献」リストの中に見つけることができなかったのが残念です。私が所有しているのは、初版無印なので、現行とは変わっているかもしれません。
願わくば、『ド嬢』と同様に、『がんばれ酢めし疑獄!!』、『サナギさん』、『もずく、ウォーキング!』、『オンノジ』、『鬱ごはん』そして『少年Y』(原作「ハジメ」名義)もアニメ化されることを願っています。
実は私の頭の中ではもう放映しているのですけれど、やはりそこは、プロの方々に、自分の想像を超える作品を作っていただきたいのです。
施川作品の最大の魅力のうちの2つは、「自力で考えられ得るところまで考え出し、そしてその考えた筋道を明瞭に示しながらもギャグに昇華しているストーリーテリング能力」と「一見簡略化されているようにみえて、実はシンプルで可愛らしい絵柄」にあると、私は評価しています。
『ド嬢』の登場人物、登場書籍、そして本編での個別ストーリーとギャグの感想は、別のエントリを立ててこちら、つまり、ここの匿名日記のスペースをお借りして、少しずつ、その魅力に詳述していきたいです。
http://anond.hatelabo.jp/20160609011058
http://anond.hatelabo.jp/20160611053943
・韓国で実際にあった未解決連続殺人事件を扱った「殺人の追憶」
・女優志望の女と記憶喪失の女が秘密を探るうちに変なことになっていく「マルホランドドライブ」
・エレベータ内に閉じ込められたメンバーに潜む悪魔を探す「デビル」
・孤児院を舞台に幽霊にさらわれた息子を母親が探す「永遠の子どもたち」
・ドライブ中に山から抜け出せなくなった家族に次々怪異が襲いかかる「-less[レス]」
・人体発火殺人の謎を追う「王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件」
・宇宙的な何かからサインを受け取った家族が落語的にオチをつける「サイン」
・二人を残して街を壊滅させた病原菌の謎を科学者たちが探る「アンドロメダ…」
・記憶を失った搭乗員が襲いくる何かと戦いながら宇宙船の謎を探る「パンドラム」
・五感を体験できる装置を使ったレイプ殺人事件を追う「ストレンジ・デイズ/1999年12月31日」
日本国内で生まれ育った時点で、産油国でもない平均的な後進国の人たちに比べて圧倒的に膨大な天然資源を浪費して今まで生きてきたんだからさ、そうやって生きてきたんならせめて大人になってからはその放蕩をじゅうぶん埋め合わせできるくらいの社会貢献をしないと、てめぇ何のために日本人に生まれてきたんだよナメてんのか、って思われてもしょうがなくない?
「生まれ持った才能をどう使おうが自分の勝手」ああそりゃそうだ私もそう思うよ、それくらいの自由は先進国にあってしかるべきだと思うよ。そういう余裕すら維持できないといよいよ日本もヤバいんだろうし、京大出て専業主婦の人がこれだけブコメで荒れてるのも、今はちょうどその瀬戸際に立たされてるんでしょう。
でもさ、先進国にいる我々がそういう余裕を我が物顔で享受できてるその理由というか、何を踏み台にしてそういう暮らしが可能になってるのかちょっとくらい思い返してもいいんじゃない?「銃・病原菌・鉄」を読み返すんでもいいけどさ、私たちが石油や天然ガスをバンバン燃やす暮らしができたのは、別にそういう権利を神から与えられたからではないでしょ?日本人が民族として優れてるとかそういうわけでもなく、たまたまいろいろ条件が恵まれてただけでしょ?
それなのに、これが当たり前ですみたいな顔してスマホぽちぽちしてはてブにしたり顔でコメントしたりする奴らがムカつくんだよ。なんでこっちは血痰吐いてまで工学系の博士まで出てみじみじ論文書いてるんだってわけわかんなくなるよ。
なんでみんなその点無頓着でいられるの?自分がたまたま日本に生まれたってだけで、たまたま貧しい国に生まれた人たちに比べて物質的に圧倒的に豊かな暮らしが出来ている、っていうことにただの一度も悩まなかったの?後ろ暗さを感じなかったの?ずっと疑問を抱いたことすらなかったの?
日本は本当に素晴らしい国で、どんなグズにでも平等に教育を施してくれるんだよ。私だってたいした才能があるわけじゃないし私立の学校になんか行かなかったけどこうして大学院で研究させてもらってるよ。だったらさ、その罪深い浪費を償わなきゃいけないっって意識くらいもってもバチはあたらないんじゃない?特に京大にいけるくらいの才能もっってんならニートやりながらポツポツ文章売ったり夫との惚気でブコメ稼いだりするだけが能じゃないでしょ??それが"""社会貢献"""って思うなら当人の勝手だけどさ、私はそういうのじゃ本当に申し開きできないと思う。どういう経緯があって「生まれ持った才能をどう使おうが自分の勝手」なんてことが言えるようになってるのか、その歴史に敬意を払って、それがちょっとでも維持できるように何かするのが日本に生まれ育った人全部の責任じゃないのかな。
マナーや常識が守れない人は喫煙者うんぬん以前の問題ですが、マナーを守っていても病原菌のように扱われる風潮はどうにかして欲しいなと思った話。
http://enter101.hatenablog.com/entry/2016/02/21/223244
そもそも喫煙者というのは、他人に迷惑をかけないことよりも自己の快楽を得ることをもっぱら優占することを選んだ人なのであって、そういう判断をしたという点においてマナーがよいなどと言えるはずがないのである。
→禁止されていなくてもTPOをわきまえてください。立ちション禁止って書かれてない場所ではしていいとでも思ってるんですか?
「吸う前にちゃんと断ってるよ」
→「たばこを吸ってもいいですか?」=「あなたの健康を損なうことは分かっていますが我慢ができないのでたばこを吸わせてください」ということなので、それだけ我慢が効かない人の要求を断わったらどんなひどい目に遭わされるか分かったもんじゃないので許可するしかないですよね。
現代の日本では、人がなくなったら火葬して遺骨を墓に埋めるが、カニバリズムの世界では、人がなくなったらまず臓器移植可能かどうかの検査が行われる。これは無償だ。国から金が出る。そのかわり、国民に臓器移植拒否はできない。検体と相性の良い患者がいれば移植される。次に、へんな病原菌を持っていないかを検査する。そして市場に人肉として出荷される。これは、亡くなった人の志をみな喰って繁栄していこうぞ、という思想からだ。無論、富裕層であれば市場への出荷をせず、買い取ることはできるが、倍以上の値段を支払わなければならない。墓石を購入する必要もないし、魂はこうして脈々と様々な人達に受け継がれて行く。経済的だし、老後の葬儀代など気にせず、目一杯経済に投資することができるため、どんどんと発展していくのだった。
自分がIBSという病気について再発したので色々と調べてみた。
過去には学生時代、もう思い出したくないことがたくさんあった。
その後就職によって生活習慣が180℃変わったので改善していた。
またもや再発したということなので現状と原因をみてみた。
まずは現状はガス溜まりが酷い。食事後にゲップ、オナラがよくでる。特に麺類の場合は多い。
それに続いて下痢症状が発生した。下痢はお腹が冷えている場合に起こる。
これが約半年経過している。
起こった経緯としては約2ヶ月間、粗末な食事によって胃が荒れてしまうことが続いて、とある日を境に発症した。
断食は他にも同じ症状の人の結果を見たが、あまり効果はないようだ。自分でも2日行ったが改善はしなかった。
運動は大変効果有り。腸内に効果は不明だが、ストレスが大幅減ることにより精神的に楽になった。
胃カメラはピロリ菌の疑いも合わせて検査をお願いしたが、特に何もなくピロリ菌も陰性だった。
ヨーグルトは種類によって効果が変わった。一番効果有りと感じたのはLG21だった。
これからの対策としては抗生剤投与を行うつもりだ。合わせて運動し、ヨーグルトを食べる。
抗生剤についてはガス型IBSが改善した人のレポートを発見した。それによるとRifaximin、カナマイシンである場合は病原菌に対し非感受性とされていた。
それに対してクリンダマイシンを寒天に調整し、空腹時に服用したところ治療に成功したようだ。
運動についても書かれていて、それによると病原菌は嫌気性であり運動によって血の巡りがよくなり腸の酸素濃度が上昇し菌の活性が弱まり除去されると書かれていた。
この記述は私が以前に回復した状況によく似ている。精神安定のためにも運動は必要だ。
ヨーグルトはIBSによる腸内環境が悪化し、下痢になるのを防ぐためにも毎日食す。
今のガス型IBSを巡る医療の現状は精神療法となっていると感じる。私の持論だがIBSの悪化する原因は腸内環境悪化→細菌増殖→腸内環境悪化→下痢、腹痛、ガス→精神不安定→腸内環境悪化、、、と思っている。
この流れを食い止めるには何者かの細菌を死滅させるしかない。ヨーグルトはあくまで悪循環を抑えるだけだ。運動はいつ回復するか不明確すぎる。
このガス型IBSによって多くの人々が人生を数年~十数年と苦しめられてる。これが精神的という曖昧なものではなく、明確な治療法によって改善するということを自らを持って証明したい。
また抗生剤を投与後に経過報告を記そうと思う。
この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授の純丘曜彰氏である。
反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。
エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で
純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。
筆者の感じた純丘氏への疑問とは、
そして「独りよがりなデザイン論」「デザインに関する知識不足」である。
http://www.insightnow.jp/article/8591
瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である。
デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、
純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。
以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である。
ニーチェの独文の警句を英文で引用して、名前の綴りがコピー元のままに間違っていたり
(page:2 より)
Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、
その最後の名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、
すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。
Pinterest に綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。
ここで問題なのは「佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。
この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、
ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。
純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである。
最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。
「大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。
論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが
こんなお粗末な方法で文章を書いている人物が学生に論文の指導をしているのはいかがなものだろう。
あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。
およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。
まるでいやな気分にさせること自体が目的のひとつにもなってしまっているようだ。
純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。
だがそれは個人的な感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。
大学教授、美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。
識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。
騒動の中、感情のほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。
これ以降、掲示板でもエンブレムをゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。
http://www.insightnow.jp/article/8644
ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。
疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたものを
「超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、
デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。
むろんそれ自体は問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、
己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは
この一文の含まれる段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら
「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデアを否定するのが目的のようだが
9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?
さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、
黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス的悪趣味。
解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。
エンブレムを仮に芸術のひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。
しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザイン」である。
アートのように何ものからも束縛されない自由な意志で構成、配色したものではない。
見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレム」であるという情報とともに接する、
そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。
佐野エンブレムがスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。
が、「ナチスフラッグ」である、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは
エンブレムの出自、コンテクストを無視した悪意のあるミスリードでしかない。
ゴキブリの画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがりな解釈を
強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。
どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視のRGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷のYMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり
この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。
この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを
結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである。
純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。
発表されたエンブレムは RGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、
佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、
あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……
RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり
CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である。
RGB と CMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである。
ポスターやプログラムに印刷するなら CMYK のデータを用意する。
純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、
デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。
特色というのは印刷インクの一種で、
通常のプロセスカラー(CMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである。
エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこからの情報かわからないが
(筆者は見たことがないので、まずはそのソースが問題である)、
それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。
RGB/CMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用の現場に応じて「自然に」決まるのであって
雑誌のカラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである。
金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。
特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、
そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。
・特色番号(印刷用)
純丘氏の言葉を再掲する。
以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナーを想像できるだろうか。
すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定(CMYK 値)のない、
純丘氏の作為の産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。
このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも
デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。
「佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど
エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、
このペダンティックな解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、
芸術・デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、
この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、
己の求める結論「佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉と作為的イメージを用いて
流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。
今までまったく理解できなかったのに、イキナリ5分前に理解できて、抜いてしまって、自分でも呆然としてしまった。
何がいいのかまったく理解できないだろ?普通。俺も、汚いとしか思わなかったはずなんだよ、もう10年以上オナニーしてるけど、うんこはまったく理解できなかった。
なんつーんだろ。確かに、汚いよ。病原菌あるしね。汚物だよ汚物。
だけどさ。美少女が、浣腸されて、まあ、うんこ無しで、アナルからじゃーじゃーお湯が出てるところ考えてよ。
美少女が、苦しむのってほら楽しいじゃん。しかも、あ~だめだ、言い訳しようと思ったけど、やっぱ普通に、腸からうんこがでている、そこに興奮してるは普通に。
なんでだよ。アラサーで、いきなりこんな新しい性癖とかマジかよ。
でも、少女の腸内っていう一番不可侵な部分を通ってでてくる、っていうその感覚?美少女なのにその感覚?
でも、腸に浣腸されて、お湯入れられて、じゃばじゃばと、それも人前で出すのって、そりゃ興奮とか羞恥って自分でも分かるじゃん。
美少女もその同じ恥ずかしさを味わってる、いや美少女だから、もっと色々か。でも、肉体的な感覚は物凄く良く分かる。
そういう感じ?
急に来て、おそろしくなった。
銃・病原菌・鉄とか、書名にそういうの多いよ