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はてなキーワード: 最期とは

2021-04-06

anond:20210406235624

いやいやそれが最期はけっきょく周囲のしがらみっちゅう宗教に押しきられるのよ...

anond:20210406103935

その理由での弱者場合、救う順番が最期だと言われるのは男女はあまり関係ないと思うけど。

2021-04-05

どんどん嫌いになる

手打ちされた子どもが親を警察通報してて、それってアリなのかとちょっとしかった。

小さい頃姉と私はよく母に叩かれたり引っ掛かれたりしてた。

姉は私よりたくさん暴力を受けてた。

姉はおそらく発達グレーで最期統合失調症もあったと思う。とにかく育てにくかったらしく、普通の子にしたかっただけ、と後に母は語してた。

姉は少しでも母の怒りに触れる事をすると、箒でひっぱたかれてベランダに閉め出されて押し入れに閉じ込められて、あんまりだと思って私は泣きながら母にやめてやめてとお願いした。

姉はなぜか名前で呼んでもらえず太っていたこともあってブーと呼ばれてた。

私もたまにブーと呼んでた。

吐きそう。

姉が死んだとき、私は姉がこのまま生きてたらきっとみんな大変だったろうと思って「若くして死ぬ運命だったんだよ」とか言ったら母はそれに勇気付けられたらしく、何か吹っ切れた模様。

吐きそう。

吐きそうだから二度と会いたくない。

コロナ前くらいまで母は私の拠り所だった気がする。何でも言いなりだった。なんでも相談した。でも距離をおいて少し目が覚めた。

それからは母にされた仕打ちを思い出して母をどんどん嫌いになる。

私を叩いたことも引っ掛かいたことも、あのこと遊ぶな、と言われたことも、あんたがそんなに胸大きいはずないと言われたことも、ナプキンやサニタリーショーツを買うときバカにされたことも、メイクしてるとそんなの誰も見ないと言われたことも、姉と私の前で激しい夫婦喧嘩嫁姑喧嘩をした挙げ句別居したことも、もうこれ以上転居したくないと言っても聞いてくれなかったことも、父と喧嘩するたび何度も電話を掛けてきて延々恨み言を聞かせることも、あんたは孫より好き、あんたのためなら火の中水の中と言ってくれたことも全部忘れない。

もう二度と会いたくない。

急変したら泣いて見送ってあげたい。

2021-04-02

anond:20210401234453

娘をなんとかして医者にしようと奮闘した母親は、志半ばで落命したとはいえ日本医療界に根深く残るジェンダーギャップに対し最期まで挑み続けた。

一人でも多くの女性医師誕生させようと、彼女なりに取れる限りの手段を講じた。

志はきっと娘さんやジェンダー運動若者たちが受け継ぐだろう。

2021-03-22

どうにも

三郎が、都合のよい折を見計らって、遠藤の部屋を訪問したのは、それから四五日たった時分でした。無論その間には、彼はこの計画について、繰返し繰返し考えた上、大丈夫危険がないと見極めをつけることが出来たのです。のみならず、色々と新しい工風くふうを附加えもしました。例えば、毒薬の瓶の始末についての考案もそれです。

 若しうまく遠藤殺害することが出来たならば、彼はその瓶を、節穴から下へ落して置くことに決めました。そうすることによって、彼は二重の利益が得られます。一方では、若し発見されれば、重大な手掛りになる所のその瓶を、隠匿いんとくする世話がなくなること、他方では、死人の側に毒物の容器が落ちていれば、誰しも遠藤自殺したのだと考えるに相違ないこと、そして、その瓶が遠藤自身の品であるということは、いつか三郎と一緒に彼に惚気話を聞かされた男が、うまく証明して呉れるに違いないのです。尚お都合のよいのは、遠藤は毎晩、キチンと締りをして寝ることでした。入口は勿論、窓にも、中から金具で止めをしてあって、外部から絶対に這入れないことでした。

 さて其日、三郎は非常な忍耐力を以て、顔を見てさえ虫唾の走る遠藤と、長い間雑談を交えました。話の間に、屡々それとなく、殺意をほのめかして、相手を怖がらせてやりたいという、危険極る慾望が起って来るのを、彼はやっとのことで喰止めました。「近い内に、ちっとも証拠の残らない様な方法で、お前を殺してやるのだぞ、お前がそうして、女の様にベチャクチャ喋れるのも、もう長いことではないのだ。今の内、せいぜい喋り溜めて置くがいいよ」三郎は、相手の止めどもなく動く、大ぶりな脣を眺めながら、心の内でそんなことを繰返していました。この男が、間もなく、青ぶくれの死骸になって了うのかと思うと、彼はもう愉快で耐らないのです。

 そうして話し込んでいる内に、案の定遠藤便所に立って行きました。それはもう、夜の十時頃でもあったでしょうか、三郎は抜目なくあたりに気を配って、硝子窓の外なども十分検べた上、音のしない様に、しかし手早く押入れを開けて、行李の中から、例の薬瓶を探し出しました。いつか入れ場所をよく見て置いたので、探すのに骨は折れません。でも、流石に、胸がドキドキして、脇の下からは冷汗が流れました。実をいうと、彼の今度の計画の中うち、一番危険なのはこの毒薬を盗み出す仕事でした。どうしたこと遠藤が不意に帰って来るかも知れませんし、又誰かが隙見をして居ないとも限らぬのです。が、それについては、彼はこんな風に考えていました。若し見つかったら、或は見つからなくても、遠藤が薬瓶のなくなったことを発見したら――それはよく注意していればじき分ることです。殊に彼には天井の隙見という武器があるのですから――殺害を思い止まりさえすればいいのです。ただ毒薬を盗んだという丈では、大した罪にもなりませんからね。

 それは兎とも角かく、結局彼は、先ず誰にも見つからずに、うまうまと薬瓶を手に入れることが出来たのです。そこで、遠藤便所から帰って来ると間もなく、それとなく話を切上げて、彼は自分の部屋へ帰りました。そして、窓には隙間なくカーテンを引き、入口の戸には締りをして置いて机の前に坐ると、胸を躍らせながら、懐中から可愛らしい茶色の瓶を取り出して、さてつくづくと眺めるのでした。

MORPHINUM HYDROCHLORICUM(o.g.)

 多分遠藤が書いたのでしょう。小さいレッテルにはこんな文字が記してあります。彼は以前に薬物学の書物を読んで、莫児比※(「さんずい+(日/工)」、第4水準2-78-60)のことは多少知っていましたけれど、実物にお目にかかるのは今が始めてでした。多分それは鹽酸えんさん莫児比※(「さんずい+(日/工)」、第4水準2-78-60)というものなのでしょう。瓶を電燈の前に持って行ってすかして見ますと、小匙こさじに半分もあるかなしの、極く僅かの白い粉が、綺麗にキラリキラリと光っています。一体こんなもの人間死ぬのか知ら、と不思議に思われる程です。

 三郎は、無論、それをはかる様な精密な秤はかりを持っていないので、分量の点は遠藤言葉を信用して置く外はありませんでしたが、あの時の遠藤の態度口調は、酒に酔っていたとは云え決して出鱈目でたらめとは思われません。それにレッテル数字も、三郎の知っている致死量の、丁度二倍程なのですから、よもや間違いはありますまい。

 そこで、彼は瓶を机の上に置いて、側に、用意の砂糖清水せいすいを並べ、薬剤師の様な綿密さで、熱心に調合を始めるのでした。止宿人達はもう皆寝て了ったと見えて、あたりは森閑しんかんと静まり返っています。その中で、マッチの棒に浸した清水を、用意深く、一滴一滴と、瓶の中へ垂らしていますと、自分自身の呼吸が、悪魔のため息の様に、変に物凄く響くのです。それがまあ、どんなに三郎の変態的な嗜好を満足させたことでしょう。ともすれば、彼の目の前に浮んで来るのは、暗闇の洞窟の中で、沸々ふつふつと泡立ち煮える毒薬の鍋を見つめて、ニタリニタリと笑っている、あの古いにしえの物語の、恐ろしい妖婆の姿でした。

 併しながら、一方に於おいては、其頃から、これまで少しも予期しなかった、ある恐怖に似た感情が、彼の心の片隅に湧き出していました。そして時間のたつに随って、少しずつ少しずつ、それが拡がって来るのです。

MURDER CANNOT BE HID LONG, A MAN'S SON MAY, BUT AT THE LENGTH TRUTH WILL OUT.

 誰かの引用で覚えていた、あのシェークスピアの不気味な文句が、目もくらめく様な光を放って、彼の脳髄に焼きつくのです。この計画には、絶対破綻はたんがないと、かくまで信じながらも、刻々に増大して来る不安を、彼はどうすることも出来ないのでした。

 何の恨みもない一人の人間を、ただ殺人面白さに殺して了うとは、それが正気の沙汰か。お前は悪魔に魅入みいられたのか、お前は気が違ったのか。一体お前は、自分自身の心を空恐しくは思わないのか。

 長い間、夜の更けるのも知らないで、調合して了った毒薬の瓶を前にして、彼は物思いに耽っていました。一層この計画を思止おもいとどまることにしよう。幾度いくたびそう決心しかたか知れません。でも、結局は彼はどうしても、あの人殺しの魅力を断念する気にはなれないのでした。

 ところが、そうしてとつおいつ考えている内に、ハッと、ある致命的な事実が、彼の頭に閃ひらめきました。

「ウフフフ…………」

 突然三郎は、おかしくて堪たまらない様に、併し寝静ったあたりに気を兼ねながら、笑いだしたのです。

馬鹿野郎。お前は何とよく出来た道化役者だ! 大真面目でこんな計画を目論もくろむなんて。もうお前の麻痺まひした頭には、偶然と必然区別さえつかなくなったのか。あの遠藤の大きく開いた口が、一度例の節穴の真下にあったからといって、その次にも同じ様にそこにあるということが、どうして分るのだ。いや寧ろ、そんなことは先ずあり得ないではないか

 それは実に滑稽極る錯誤でした。彼のこの計画は、已にその出発点に於て、一大迷妄に陥っていたのです。併し、それにしても、彼はどうしてこんな分り切ったことを今迄いままで気附かずにいたのでしょう。実に不思議と云わねばなりません。恐らくこれは、さも利口りこうぶっている彼の頭脳に、非常な欠陥があった証拠ではありますいか。それは兎も角、彼はこの発見によって、一方では甚はなはだしく失望しましたけれど、同時に他の一方では、不思議な気安さを感じるのでした。

「お蔭で俺おれはもう、恐しい殺人罪を犯さなくても済むのだ。ヤレヤレ助かった」

 そうはいものの、その翌日からも、「屋根裏散歩」をするたびに、彼は未練らしく例の節穴を開けて、遠藤の動静を探ることを怠おこたりませんでした。それは一つは、毒薬を盗み出したこと遠藤が勘づきはしないかという心配からでもありましたけれど、併し又、どうかして此間このあいだの様に、彼の口が節穴の真下へ来ないかと、その偶然を待ちこがれていなかったとは云えません。現に彼は、いつの散歩」の場合にも、シャツポケットから彼かの毒薬を離したことはないのでした。

 ある夜のこと――それは三郎が「屋根裏散歩」を始めてからもう十日程もたっていました。十日の間も、少しも気附かれる事なしに、毎日何回となく、屋根裏を這い廻っていた彼の苦心は、一通ひととおりではありません。綿密なる注意、そんなありふれた言葉では、迚とても云い現せない様なものでした。――三郎は又しても遠藤の部屋の天井裏をうろついていました。そして、何かおみくじでも引く様な心持で、吉か凶か、今日こそは、ひょっとしたら吉ではないかな。どうか吉が出て呉れます様にと、神に念じさえしながら、例の節穴を開けて見るのでした。

 すると、ああ、彼の目がどうかしていたのではないでしょうか。いつか見た時と寸分違わない恰好で、そこに鼾をかいている遠藤の口が、丁度節穴の真下へ来ていたではありませんか。三郎は、何度も目を擦って見直し、又猿股さるまたの紐を抜いて、目測さえして見ましたが、もう間違いはありません。紐と穴と口とが、正まさしく一直線上にあるのです。彼は思わず叫声を上げそうになったのをやっと堪こらえました。遂にその時が来た喜びと、一方では云い知れぬ恐怖と、その二つが交錯した、一種異様の興奮の為に、彼は暗闇の中で、真青になって了いました。

 彼はポケットから毒薬の瓶を取り出すと、独ひとりでに震い出す手先を、じっとためながら、その栓を抜き、紐で見当をつけて置いて――おお、その時の何とも形容の出来ぬ心持!――ポトリポトリポトリ、と数滴。それがやっとでした。彼はすぐ様さま目を閉じて了ったのです。

「気がついたか、きっと気がついた。きっと気がついた。そして、今にも、おお、今にも、どんな大声で叫び出すことだろう」

 彼は若し両手があいていたら、耳をも塞ふさぎ度い程に思いました。

 ところが、彼のそれ程の気遣いにも拘かかわらず、下の遠藤はウンともスーとも云わないのです。毒薬が口の中へ落ちた所は確に見たのですから、それに間違いはありません。でも、この静けさはどうしたというのでしょう。三郎は恐る恐る目を開いて節穴を覗いて見ました。すると、遠藤は、口をムニャムニャさせ、両手で脣を擦る様な恰好をして、丁度それが終った所なのでしょう。又もやグーグーと寝入って了うのでした。案あんずるよりは産うむが易やすいとはよく云ったものです。寝惚ねぼけた遠藤は、恐ろしい毒薬を飲み込んだことを少しも気附かないのでした。

 三郎は、可哀相な被害者の顔を、身動きもしないで、食い入る様に見つめていました。それがどれ程長く感じられたか事実は二十分とたっていないのに、彼には二三時間もそうしていた様に思われたことです。するとその時、遠藤はフッと目を開きました。そして、半身を起して、さも不思議相に部屋の中を見廻しています。目まいでもするのか、首を振って見たり、目を擦って見たり、譫言うわごとの様な意味のないことをブツブツと呟いて見たり、色々狂気めいた仕草をして、それでも、やっと又枕につきましたが、今度は盛んに寝返りを打うつのです。

 やがて、寝返りの力が段々弱くなって行き、もう身動きをしなくなったかと思うと、その代りに、雷の様な鼾声かんせいが響き始めました。見ると、顔の色がまるで、酒にでも酔った様に、真赤になって、鼻の頭さきや額には、玉の汗が沸々とふき出しています。熟睡している彼の身内で、今、世にも恐ろしい生死の争闘が行われているのかも知れません。それを思うと身の毛がよだつ様です。

 さて暫くすると、さしも赤かった顔色が、徐々にさめて、紙の様に白くなったかと思うと、見る見る青藍色せいらんしょくに変って行きます。そして、いつの間にか鼾がやんで、どうやら、吸う息、吐く息の度数が減って来ました。……ふと胸の所が動かなくなったので、愈々最期かと思っていますと、暫くして、思い出した様に、又脣がビクビクして、鈍い呼吸が帰って来たりします。そんなことが二三度繰り返されて、それでおしまいでした。……もう彼は動かないのです。グッタリと枕をはずした顔に、我々の世界のとはまるで別な、一種のほほえみが浮んでいます。彼は遂に、所請いわゆる「仏」になって了ったのでしょう。

 息をつめ、手に汗を握って、その様子を見つめていた三郎は、始めてホッとため息をつきました。とうとう彼は殺人者になって了ったのです。それにしても、何という楽々とした死に方だったでしょう。彼の犠牲者は、叫声一つ立てるでなく、苦悶の表情さえ浮べないで、鼾をかきながら死んで行ったのです。

「ナアンダ。人殺しなんてこんなあっけないものか」

 三郎は何だかガッカリして了いました。想像世界では、もうこの上もない魅力であった殺人という事が、やって見れば、外ほかの日常茶飯事と、何の変りもないのでした。この鹽梅なら、まだ何人だって殺せるぞ。そんなことを考える一方では、併し、気抜けのした彼の心を、何ともえたいの知れぬ恐ろしさが、ジワジワと襲い始めていました。

 暗闇の屋根裏、縦横に交錯した怪物の様な棟木や梁、その下で、守宮やもりか何ぞの様に、天井裏に吸いついて、人間の死骸を見つめている自分の姿が、三郎は俄に気味悪くなって来ました。妙に首筋の所がゾクゾクして、ふと耳をすますと、どこかで、ゆっくりゆっくり自分の名を呼び続けている様な気さえします。思わず節穴から目を離して、暗闇の中を見廻しても、久しく明い所を覗いていたせいでしょう。目の前には、大きいのや小さいのや、黄色い環の様なものが、次々に現れては消えて行きます。じっと見ていますと、その環の背後から遠藤の異様に大きな脣が、ヒョイと出て来そうにも思われるのです。

 でも彼は、最初計画した事丈けは、先ず間違いなく実行しました。節穴から薬瓶――その中にはまだ数滴の毒液が残っていたのです――を抛り落すこと、その跡の穴を塞ぐこと、万一天井裏に何かの痕跡が残っていないか、懐中電燈を点じて調べること、そして、もうこれで手落ちがないと分ると、彼は大急ぎで棟木を伝い、自分の部屋へ引返しました。

「愈々これで済んだ」

 頭も身体からだも、妙に痺しびれて、何かしら物忘れでもしている様な、不安な気持を、強しいて引立てる様にして、彼は押入れの中で着物を着始めました。が、その時ふと気がついたのは、例の目測に使用した猿股の紐を、どうしたかという事です。ひょっとしたら、あすこへ忘れて来たのではあるまいか。そう思うと、彼は惶あわただしく腰の辺を探って見ました。どうも無いようです。彼は益々慌てて、身体中を調べました。すると、どうしてこんなことを忘れていたのでしょう。それはちゃんシャツポケットに入れてあったではありませんか。ヤレヤレよかったと、一安心して、ポケットの中から、その紐と、懐中電燈とを取出そうとしますと、ハッと驚いたことには、その中にまだ外の品物が這入っていたのです。……毒薬の瓶の小さなコルクの栓が這入っていたのです。

 彼は、さっき毒薬を垂らす時、あとで見失っては大変だと思って、その栓を態々わざわざポケットしまって置いたのですが、それを胴忘どうわすれして了って瓶丈け下へ落して来たものと見えます。小さなものですけれど、このままにして置いては、犯罪発覚のもとです。彼は恐れる心を励して、再び現場げんじょうへ取って返し、それを節穴から落して来ねばなりませんでした。

 その夜三郎が床についたのは――もうその頃は、用心の為に押入れで寝ることはやめていましたが――午前三時頃でした。それでも、興奮し切った彼は、なかなか寝つかれないのです。あんな、栓を落すのを忘れて来る程では、外にも何か手抜てぬかりがあったかも知れない。そう思うと、彼はもう気が気ではないのです。そこで、乱れた頭を強いて落ちつける様にして、其晩の行動を、順序を追って一つ一つ思出して行き、どっかに手抜りがなかったかと調べて見ました。が、少くとも彼の頭では、何事をも発見出来ないのです。彼の犯罪には、どう考えて見ても、寸分の手落ちもないのです。

 彼はそうして、とうとう夜の明けるまで考え続けていましたが、やがて、早起きの止宿人達が、洗面所へ通う為に廊下を歩く跫音が聞え出すと、つと立上って、いきなり外出の用意を始めるのでした。彼は遠藤の死骸が発見される時を恐れていたのです。その時、どんな態度をとったらいいのでしょう。ひょっとしたら、後になって疑われる様な、妙な挙動があっては大変です。そこで彼は、その間あいだ外出しているのが一番安全だと考えたのですが、併し、朝飯もたべないで外出するのは、一層変ではないでしょうか。「アア、そうだっけ、何をうっかりしているのだ」そこへ気がつくと、彼は又もや寝床の中へもぐり込むのでした。

 それから朝飯までの二時間ばかりを、三郎はどんなにビクビクして過したことでしょうか、幸にも、彼が大急ぎで食事をすませて、下宿屋を逃げ出すまでは、何事も起らないで済みました。そうして下宿を出ると、彼はどこという当てもなく、ただ時間を過す為に、町から町へとさ迷い歩くのでした。

2021-03-19

anond:20190904105703

これさー、富野の遺作としてイデオン作るって話だったんだよね確か。

遺作がリメイクとか面白くないから潰れてくれて良かったんだけど。

Gレコ面白いけど、正直いまはガンダムブランド自体がパッとしないので、最期死に花咲かせるならオリジナルやって欲しいという気持ちがある。

2021-03-17

anond:20210317110754

言われてみれば漫画はエタらないなと思ったら、雑誌連載だから打ち切りなったらキングクリムゾンしてでも無理やり終わらせてるだけだったな。

ラノベは基本書き下ろしから売れなくて続刊なくなるのは仕方無いな。

個人的な願望としては、売上不振で続刊なしになった作品は作者がなろうやカクヨムで続き書くのを出版社が許してあげて欲しいな。

読者は当然続きを求めてるし、一銭にもならなくても物語最期まで書きたい作者も多いことでしょう。

2021-03-16

anond:20210315212739

マリ目的というか任務シンジ監視みたいな感じだけど最期シンジと付き合ったのも、なんか任務の延長ぽい気がする。

2021-03-15

推してるソシャゲ植物状態の後死んだ

推してるソシャゲ植物状態になりました

アプリ自体は残りますが、更新は終了しますと、お達しがありました

何が悪かったのだろう

知らん

ユーザーはでも確かに少なかった

度々不満の声が上がっていた気もするし、

ユーザーが離れていく理由は色々あったんだろう

たぶん

知らんけど

キャラも好き

何よりストーリー面白い

でもきっと時代に合っていないのはわかってた

スナック感覚摂取できる気軽な作品ではない

人物描写が素晴らしい

1人1人に人生がある

重くて苦い。難しい


終わりを知らされた日、

2020年3月30日

推し誕生日でした

前兆はあった

春を迎えられないだろうと

それでもいつまでもお知らせがないもんだから

しかしたらと希望を抱いた

まさか事前のお知らせが一切なく、

知らされたその瞬間から更新が停止するとは思わなかった

次のイベントのためにと溜めていたアイテムは、

行き場を無くして持て余した

もっと課金していれば、とは思わなかった

十分頑張っていた

これでだめならもうだめだろうと、そう言えるくらい自分の中では課金していた

いつか目覚めるかもしれない

養育費だと思ってたまに入れてる

無償の愛じゃない

どれだけ好きだろうと限界がくる

義務感で続けたら、いつか期待外れのことが発生したときにぷっつり切れてしまうかもしれない

1ユーザーしかないのに勘違いも甚だしい

こんなに尽くしたのにと見当違いの恨みを持ってしまうかもしれない

好きだった時の気持ち否定したくない

適切な距離を保ちたい

今まで課金していた分、

毎月金銭的に余裕ができた

金はそのままそっくり余るかといえばそうではなく

今まで課金のために気を遣っていた食事や買い物を我慢しなくなった

そんなことで消えていく

何にもならない

もう

たすけてほしい





▼そしてサービス終了へ

あれから数か月、

とうとう延命装置を外されることになりました。

サ終です。サービス終了のお知らせです。

そのお知らせがあった日も、作品内の大切な人物誕生日でした。

誕生日という喜ばしい日にどうして悲しいお知らせを発表するのか。

前回は年度末だったしなあと無理やり納得したけど、今回はちょっと受け入れ難いよ。

たぶんね、もうそういうところなんですよね。

しかしながらアプリが元気に息をしていた間にウン百万で手に入れた体験は何物にも代えがたい素晴らしいものでした。

ありがとう

私が愛した最期ソシャゲ

[] #92-12サイボーグ彼女

≪ 前

こういってはなんだが、当時の母はシックスティーンを倒すためだけに戦う復讐マシーンと化していた。

それは偏に、シックスティーンが母から大事ものを奪っていったからだ。

もちろん、復讐を果たしたとしても、失った身体が戻ってくるわけではない。

だが後ろ暗い感情ではあっても、それが母の背中を押してくれていたんだ。

からすれば、それがどこか儚げで、酷く痛ましく見えたのだという。

まあ、邪推するなら“個人的理由”も多少は含まれていたんだろうけど。

「俺もネガティブ感情のもの否定する気はないよ。なんだったら、復讐否定はしない。そういったものは、綺麗事を超越した先にあるものから。そこまで否定してしまったら、本当の意味でヒトじゃなくなる」

「じゃあ、あなたは私にどうしてほしいの」

「俺じゃなくて、君がどうしたいか。それが重要なんだ」

「それは、ちょっとズルい言い方じゃない~?」

「……ごめん」

「ま、分かるけどね。要はポジティブ理由で生きられるなら、それに越したことはないって話でしょ」

なにはともあれ、父との出会いで母の復讐心は徐々に薄れていった。

いや、薄れたというよりは“これからやりたいことが他にもできた”というべきか。

今までは復讐心でハイオク満タンだったけど、他の燃料でも十分に動けるようになったってことなんだろう。

その燃料がエコなのかは知らないが。

「……毎週、医療ラボメンテするんだけど、あれが面倒でさ」

「確かに毎週は面倒そうだね」

機械に詳しい人が近くにいたら、行く頻度を減らせるんだけどね」

「それって……分かった。頑張って勉強するよ」

「いやらしいこと考えてない?」

「考えてないよ」

「それならいいんだけど…結構グロいよ? 私の内部」

「だ、大丈夫。慣れてみせるさ」

こういうやり取りを聞いている時に感じる痒みって、科学的になんていえばいいんだろうな。


固い誓いを交わしてから後日の戦い。

心機一転した母は、これを最期にするつもりだった。

最後に全力を出して、晴れやかな気持ちで退場しようと。

「え……もう終わり?」

しかし、勝敗はあっけなく決した。

いや、あまりにも“あっけなさすぎた”んだ。

母が今まで戦ってきた中で、最も手ごたえの無い戦いだった。

もはやシックスティーンに、マトモに戦える機械は作れなかったのである

この時にいたシックスティーンロボットは、どれも子供のように小さな人型だった。

「……ムカつく」

いくらコストがなかったとしても、四足歩行ロボットなどはいただろうだし、そっちの方が勝負になったはず。

まり、これは同情を買おうと、わざと弱いロボットをよこしたってことだ。

母は、そのことにすぐ気づいた。

あなたたち、自分たちが何をやったか覚えてる? そもそも、なぜこんなことになっているか分かってる? 本当に分かっているなら、少なくとも“こんなこと”はやらないでしょ!」

このやり方は、母の感情逆撫でした。

だが、しかし、それでも。

腕に備え付けた高周波ブレードを、母は静かに収納した。

もし父と出会っていなければ、シックスティーンは跡形も無く消え去っていただろう(物理的な意味で)。



それからほどなくして、シックスティーン倒産

いくつかの元所属チームが新たな企業を起こし、今も密かに活躍してるって話をたまに聞くくらいだ。

そして母と父はというと……これは言うまでもない。

非業な出来事翻弄された母が、それ故に父と出会い、今はこうなっている。

そう思うと感慨深い気もするし、この話から復讐は虚しいとか教訓を得られなくもないが、俺から言えることは一つだけだ。

思春期の息子に、親の馴れ初め話は勘弁してくれ。

(#92-おわり)

2021-03-14

anond:20210314192602

初号機はボスタイマンしたし最期に役目を全うしたし大活躍だったじゃないか

2021-03-13

見てないけどシンエヴァがこんな終わり方だったらイヤだ



あとなんかある?

anond:20210313075804

言ってることが理解できないよ

最期まで面倒見る」以外の選択肢があるのかい

こいつの面倒もう見たくねえなー、ブッ殺したいなー、安楽死させようー、とか思っちゃってるのかい

自分にとって庵野氏の作品がつまらなく思えるのは正しいのかもしれない

シン未見組だけど、高評価する人たちも不評の人たちも、

俺達の庵野が帰ってきた、

みたいな点では共通しているみたい

(あと、戦闘シーンが駄目という意見

シンゴジラも含め、マンネリズムさえ感じるのは寧ろ当然であって、

それは庵野氏というか、ガイナックスというか、

リスペクトする過去作品オマージュパロディー、そこから新たな記号お約束を作り出したわけで、

それは確かに歌舞伎とか伝統芸能に近いのかもしれない

そこにマンネリズムを感じるなら、それはお門違いであって、

まりシンゴジラまらんと自分が思うなら、それは庵野氏を卒業したというか、

他の何かを求めて自分が出ていくべきなんだろう

自分には庵野氏のように新たな記号お約束を生み出せるような能力も運も何もない、

凡人以下のコロナ無職になったKKOであって、社会的にはゴミにも劣るかもしれない

そんな自分ではあるが、恐れ多くも御大大先生成果物に不満を思うというのなら、

それは単にnot for meであって、俺が自分のfor meを求めてさまよい続ければいい、

ただ、それだけの話なんだろう

しかしながら、仮に自分が何か作品を作るとしても、

あと、プログラミングだって立派なものづくりではあるわけで、

それは学ぶは真似ぶであり、過去コピーからスタートして、守破離の破、

守破離の離を目指すしかない

なんとなく、自分庵野氏よりも長生きできない、

庵野氏よりも若い世代だけど多分長く生きられないと思うのだけど、

社会的評価は別として、なんか自分なりに自分人生にケリをつけなければならない、

特に最近常々思ってる

いうならば因果というか、カルマというか、因縁というか、

例えば、自分虐待された過去があったとして、それをマイナス評価するのではなく、

かといって自己啓発的に無理にプラス評価するでもなく、

その因果に何らかの自分なりの納得というか、決着をつけたいと思っている

それは単なる自己満足ではあるわけだが、そういった不愉快過去とか、

そういったこれまでの人生の諸々にできるだけ決着をつけて、納得してから死にたい

そう思うようになった

他人作品がつまらないというなら、おまえは代替案があるのか?

代替案はある、

しかし、それが他人面白いと思ってもらえるかは分からない、

まり商業的に社会的成功するかではなく、自分ならこうするは明確にある、

だとしても、それは仕事としてはどうなのか?という問題がある

繰り返しになるが、どことな庵野氏は、その仕事としてはどうなのか?

みたいな大人の発想になってしまい、

というか、庵野氏より貞本氏の方が、特にオネアミスBDだかのパッケージの絵とか、

周囲に望まれる絵を描くのが大人でしょ?ではなくて、

できるだけ、昔の、スポンサーサイドに嫌われていた、

そうはいっても、作り手である若者たちは貞本氏のあの頃の絵に惚れて賭けていたとも思うわけで、

なんでエヴァみたいな絵柄を判で押したように描いたんだと思ってしまったのだけど、

しかし、上述のように、これは御大先生方の到達点であって、

自分がとやかく言う筋合いはないのだ

それより、おまえの、俺の到達点は、人生の到達点は何なのだ?ということだろう

アウシュビッツ経験したフランクルによる「夜と霧

私が人生に問うのではない、

人生が私に問うのだ、

これは言葉遊びのようではあるが、しかし大きく異なる点がある

人生に、運命に、運に、神に、なぜ俺の人生をこんな風にした?と問いかけるのが1つ目であり、

2つ目は、人生が私に、おまえは何を成し遂げられれたのか?と問うているのだ

そこには当然、仕方がなかった、怠惰と諦め、打算も入り混じっている

しかし、人生というのは本来そういうものなのだ

メディア生存者バイアスというか、社会的成功者を持ち上げすぎる余り、

まるで、この社会に、世界に、何か正解があるように思い込んでしま

生き方に正解があるように思い込んでしま

人生からの問いに対し、自分なりの答えを死ぬまでに用意していくのがこれから自分課題なのだろう

それは他人の、世間価値観とはまったく関係のないもの

自分が納得する答えを探す、人生最期へ向かう旅なのだ

anond:20210313075804

最期まで面倒見る決意で飼ったんやないんか?

2021-03-07

村上春樹文章は「うまくはないが読みやすい」(補足あり)

https://note.com/historicalmoc/n/n284957b96801

出したな! 俺の前で! 村上春樹文章の話を! 

村上春樹作品はほぼ読んだので大体同意だけれど、肝心の文章について全く語られていないのは片手落ちしか言いようがない。こういう何かを語っているようでその内実がわかりにくい言葉を並べるからハルキストだのなんだの揶揄られるんだ。ファンなら真面目にやれ。村上春樹以外の人間村上春樹の真似したら中身がない駄文しかならないって小学校で教わらなかったのか。

つーか村上春樹文章別にうまくねえから。特徴的で読解大好き人間ほいほいってだけ。

  1. リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)
  2. 比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない
  3. めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

というこの3点が村上春樹文章もっとも印象に残る要素である。本気で語るなら時期によっての文体の変化とか、もっといえば情景描写についてもまとめたいのだけれど、とりあえず書き散らす。なお、3に関しては他作品に関する読解を含み、ひとによってはネタバレ解釈しうるものも混じるので注意。

1.リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)

実例を挙げてみる。

四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセント女の子とすれ違う。

正直言ってそれほど綺麗な女の子ではない。目立つところがあるわけでもない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方にはしつこい寝癖がついたままだし、歳だってもう若くはない。もう三十に近いはずだ。厳密にいえば女の子とも呼べないだろう。しかしそれにもかかわらず、3メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。

村上春樹4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

1文1文が短い。技巧的な表現を使うわけでもない。文章から浮かんでくるイメージ閃烈鮮烈なわけでもない。日常語彙から離れた単語を使うこともない(「閃烈鮮烈」とか「語彙」といった単語が読めない人間は思いの外多いからな。ここでの「外(ほか)」とか/悪いATOKに頼りすぎて誤用なの気づいてなかった。指摘ありがとう)。ただただ「シンプル」だ。わかりやすい。

また、冒頭の1文の次にくるのは「~ない」で終わる文章連続だ。テンポがいい。あと、どのくらい意図的なおかわからないが、↑の文章音読していみると適度に七五調がまじっているのがわかる。そして、大事なところで「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断言を入れる。リズムで読者を惹きつけた上ですっと断定されると、その一文がすっと印象的に刺さってくるのである

まり別にうまい」わけじゃないんですよ。ただ「読みやすい」。それにつきる。読みやすい以外の褒め言葉あんまり信用しちゃいけない。「うまさ」って意味なら村上春樹をこえる作家なんてゴマンといるし、村上春樹の「文章」がすごいなんてことは絶対にない。うまいとか下手とかを語るならナボコフあたり読んだ方がいい。

とはいえ個人的な所感だと、この「読みやすさ」は村上春樹発見あるいは発明した最大のポイントだ。「リズムがよくわかりやす文章で圧倒的リーダビティを獲得する」という、一見してみんなやってそうでやっていない方策村上春樹が徹底しているせいで、誰でも座れそうなその席に座ろうとすると村上春樹と闘わなければならない。

2.比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない

で、そのあとにくるのが「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。」という文章である村上春樹比喩表現は独特で、たとえば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を適当パラパラめくって見つけた表現として、「不気味な皮膚病の予兆のよう」「インカの井戸くらい深いため息」「エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて」といったものもあった。この、比喩表現の多様さは彼の最大の持ち味であり、真似しようにもなかなか真似できない。

そして何より、「100パーセント女の子である。何が100パーセントなのか、どういうことなのか、この6ページの短編ではその詳細が説明されることはない。ただ、語り手による「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断定だけが確かなもので、読者はそれを受け入れざるをえない。それはこの短編に限らない。「かえるくん、東京を救う」におけるかえるくんとは。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』における〈世界の終わり〉とは。「パン屋再襲撃」はなんでパン屋を襲うのか。「象の消失」で象はなぜ消失するのか。「レーダーホーセン」でどうして妻は離婚するのか。羊男ってなに。

こういった例には枚挙に暇が無い。文章単体のレベルでは「読むことはできる」のに対して、村上春樹小説比喩モチーフ物語様々なレベルで「言っていることはわかるが何を言っているかがわからない」ことが、ものすごく多いのだ。

3.めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

じゃあ、「村上春樹作品ふわふわしたものを描いているだけなのか?」と言えば、そんなことはない。村上春樹作品には「答えがある」ものが、地味に多い。

たとえば、「納屋を焼く」という作品がある。ある男が恋人の紹介で「納屋を焼く」のが趣味だという男性出会いふわふわした会話をして、ふわふわとした話が進み、語り手は時々恋人セックスをするが、そのうち女性がいなくなる。読んでいるうちは「そうか、この男は納屋を焼いているのか」という、村上春樹っぽいよくわからないことをするよくわからない男だな……という風に、読んでいるうちは受け入れることができる。

だけれど、この作品問題は、「納屋を焼く」とは「女の子を殺す」というメタファー可能性がある……ということを、うっかりしていると完全に読み飛ばししまうことだ(あらすじをまとめるとそんな印象は受けないかも知れないが、本当に読み落とす)。それが答えとは明示されていないけど、そう考えるとふわふわとした会話だと思っていたものが一気に恐怖に裏返り、同時に腑に落ちるのである

その他、上記の「レーダーホーセン」においてレーダーホーセンが「男性にぐちゃぐちゃにされる女性」というメタファーでありそれを見た妻が夫に愛想をつかした、という読みが可能だし、「UFO釧路に降りる」でふわふわゆきずりの女と釧路に行ってセックスする話は「新興宗教勧誘されそうになっている男」の話と読み解くことができる(『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は阪神大震災地下鉄サリン事件が起きた1995年1-3月頃をモチーフにしている)。

勿論、これらはあくまで「そういう解釈可能」というだけの話で、絶対的な答えではない。ただ、そもそもデビュー作『風の歌を聴け自体断章の寄せ集めという手法をとったことで作中に「小指のない女の子」の恋人が出てきていることが巧妙に隠されていたりするし(文学論文レベルガンガン指摘されてる)、「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」と書かせた村上春樹がその小説の中で実は死とセックスに関する話題を織り込みまくっている。近作では『色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の年』で○○を××した犯人は誰なのかということを推測することは可能らしい。

何が言いたいか

まり村上春樹は信用できないのである

たとえば、『ノルウェイの森』で主人公自分のことを「普通」と表現する箇所があったが、村上春樹作品主人公が「普通」なわけない。基本的信頼できない語り手なのだ。信用できないからしっかり読み解かないといけないようにも思える。

(なお、なんなら村上春樹自分作品について語ることも本当の部分でどこまで信用していいのかわからない。「○○は読んでない」とか「××には意味がない」とか、読解が確定してしまうような発言はめちゃくちゃ避けてる節がある)

ただ、勿論全部が全部そうというわけじゃなく、羊男とかいるかホテルって何よとかって話には特に答えがなさそうだけれど、『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』あたりは何がなんだか全くわからないようにも見えるし、しかし何かを含意しているのでは、あるいは村上春樹本人が意図していないことであっても、読み解くことのできる何かがあるのではないか、そういう風な気持ちにさせるものが、彼の作品なかにはある。

このように、村上春樹メタファーモチーフには、「答えがあるかもしれない」という点において、読者を惹きつける強い魅力があるのである

増田も昔は村上春樹を「雰囲気のある作家」くらいの認識で読んでたんだけど、『風の歌を聴け』の読解で「自分作品ちゃんと読んでないだけだった」ということに気づかされて頭をハンマーで殴られる経験してから村上春樹には真面目に向き合わないと良くないな」と思い直して今も読み続けてる。

……なお、それはそれとして、セックスしすぎで気持ち悪いとか(やれやれ。僕は射精した)、そもそも文章がぐねぐねしてるとか(何が100パーセントだよ『天気の子』でも観とけ)(なお「4月のある晴れた朝に~」が『天気の子』の元ネタひとつなのは有名な話)、そういう微妙な要素に関して、ここまで書いた特徴は別にそれらを帳消ししてくれたりする訳じゃないんだよね。

たとえば『ノルウェイの森』は大多数の人間経験することの多い「好きな人と結ばれないこと」と「知人の死を経験し、受け入れること」を描いたから多くの人間に刺さったと自分は思っているが、だけどそれが刺さらない人だって世の中にはたくさんいるのは想像に難くない。

から、嫌いな人は嫌いなままでいいと思う。小説は良くも悪くも娯楽なんだから

余談

マジで村上春樹論やるなら初期~中期村上春樹作品における「直子」のモチーフの変遷、「井戸」や「エレベーター」をはじめとした垂直の経路を伝って辿り着く異界、あたりが有名な要素ではあるんだけれど、まあその辺は割愛します。あと解る人にはわかると思いますがこの増田元ネタ加藤典洋石原千秋なので興味ある人はその辺読んでね。

文章うまい」に関する長い補足(「小説文章」に限定

「うまくない」って連呼しながら「『うまい』のは何かって話をしてないのおかしくない?」 というツッコミはたしかにと思ったので、「この増田が考える『うまい』って何?」というのを試しに例示してみようと思う。村上春樹に対する「別に文章うまくない」とはここで挙げるような視点からの話なので、別の視点からのうまさは当然あってよい。

小説家の文章が読みやすいのは当たり前だが、「文章が読みやすい」なら「文章が読みやすい」と書けばいいのであって、わざわざ「文章うまい」なんて書くなら、そこでの文章」は「小説じゃなきゃ書けない文章であるはずだ。

じゃあ、増田が考える「(小説の)文章うまい」は何か。読んでる間にこちらのイメージをガッと喚起させてくるものが、短い文章のなかで多ければ多いほど、それは「文章うまい」と認識する。小説のなかで読者に喚起させるイメージ情報量が多いってことだから

具体例を挙げてみる。

 長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない。

 そのころのマコンドは、先史時代怪獣の卵のようにすべすべした、白く大きな石がごろごろしている瀬を澄んだ水がいきおいよく落ちていく川のほとりに、竹と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。

ガルシアマルケス百年の孤独』の冒頭。大佐子どもの頃を回想して大昔のマコンドに話が飛ぶ際、「先史時代の」という単語を選んでいることで文章上での時間的跳躍が(実際はせいぜいが数十年程度のはずなのに)先史時代にまで遡るように一瞬錯覚する。

津原泰水バレエメカニック』1章ラスト昏睡状態のままで何年も眠り続ける娘の夢が現実に溢れだして混乱に陥った東京で、父親世界を元に戻すために夢の中の浜辺で娘と最期の会話をするシーン。

「お父さんは?」

「ここにいる」君はおどける。

彼女は唇を尖らせる。「五人兄弟の」

「さあ……仕事で遠くまで出掛けているか、それとも天国かな。お母さんがいない子供は いないのと同じく、お父さんのいない子供もいない。世界のどこか、それとも天国、どちらかに必ずいるよ」

 彼女は君の答に満ち足りて、子供らしい笑みを泛べる。立ち上がろうとする彼女を、君は咄嗟に抱きとめる。すると君の腕のなかで、まぼろしの浜の流木の上で、奇蹟が織り成したネットワークのなかで、彼女はたちまち健やかに育って十六の美しい娘になる。「ああ面白かった」

 理沙は消え、浜も海も消える。君は景色を確かめ自分腰掛けていたのが青山通り表参道形成する交差の、一角に積まれ煉瓦であったことを知る。街は閑寂としている。 鴉が一羽、下り坂の歩道を跳ねている。間もなくそれも飛び去ってしまう。君は夢の終焉を悟る。電話が鳴りはじめる。

作中の主観時間にしてわずか数秒であろう情景、ありえたかもしれない姿とその幸せ笑顔から夢のなかで消えて一瞬で現実に引き戻すこの落差、そこからまれる余韻の美しさですよ。

あるいは(佐藤亜紀小説ストラテジーから受け売りで)ナボコフ「フィアルタの春」という小説ラスト

フィアルタの上の白い空はいつの間にか日の光に満たされてゆき、いまや空一面にくまなく陽光が行き渡っていたのだ。そしてこの白い輝きはますますますます広がっていき、すべてはその中に溶け、すべては消えていき、気がつくとぼくはもうミラノの駅に立って手には新聞を持ち、その新聞を読んで、プラタナスの木陰に見かけたあの黄色自動車がフィアルタ郊外巡回サーカス団のトラックに全速力で突っ込んだことを知ったのだが、そんな交通事故に遭ってもフェルディナンドとその友だちのセギュール、あの不死身の古狸ども、運命の火トカゲども、幸福の龍どもは鱗が局部的に一時損傷しただけで済み、他方、ニーナはだいぶ前から彼らの真似を献身的にしてきたというのに、結局は普通の死すべき人間しかなかった。

ふわーっと情景描写ホワイトアウトしていって、最後にふっと現実に引き戻される。この情景イメージの跳躍というか、記述の中でいつの間にか時間空間がふっと別の場所に移動してしまうことができるというのがナボコフの特徴のひとつである

散文として時間空間が一気に跳躍して物語世界を一気に拡張してしまう、この広がりを「わずかな文章」だけで実現していたとき増田は「文章うまい」と認識する。自分村上春樹文章を「うまくない」って書く時、そのような意味での「小説としての文章」を判断軸にしてた。

村上春樹は下手ではない。村上春樹に下手って言える人いるならよっぽどの書き手だし、その意味村上春樹に関しちゃ言うことはないでしょう。しかしごく個人的私見を言えば、「文章」って観点だと、文章から喚起されるイメージに「こちらの想像を超えてくる」ものがめちゃくちゃあるわけではないと思う。

日本語文法に則りシンプルで誤解の生まれにくい文章を書くことは高校国語レベル知識可能で、その点村上春樹文章プロとしてできて当たり前のことをやっているに過ぎない。平易な文章を徹底しつつその内実との間に謎や寓話モチーフを織り込んで物語を構築するところがすごいのであり、そこで特段褒められるべきは構成力や比喩表現の多様さだろう。その際に使うべきは「構成力がうまい」でも「比喩表現うまい」であって、「文章」などという曖昧模糊とした単語で「うまい」と表現することはない。小説=散文芸術において「文章うまい」と表現しうるときもっと文章としてできることは多いはずなので。そして、このことは、村上春樹がしばしば(「小説」ではなく)「エッセイ面白い」と言及されることと無関係ではない。

ちなみに、増田津原泰水ナボコフ文章技巧には翻訳村上春樹じゃおよぶべくもないと思ってるけど、面白いと思うのは圧倒的に村上春樹ですよ。技巧と好き嫌いは別の話なので。

ここで書こうとした「うまさ」は佐藤亜紀がいうところの「記述運動」を増田なりに表現したもので、元ネタ佐藤亜紀小説ストラテジー』です。

2021-03-06

ベートーヴェン最期のことば

諸君拍手を!喜劇は終わった」

※実際は「残念無念(ワインの到着)遅すぎた」になってしまった模様。


望海さんはこれを知っていて、fffは喜ぶ劇だ、と言ったのか。

ベートーヴェン人生喜劇(本人談)かあ、いい。

望海氏含め退団者8名のタカラジェンヌとしての喜劇もあと1ヶ月で終わる。惜しみない拍手を送りたい、感染対策して映画館で。

病気になった猫の安楽死って日本では珍しいの?

大学教養科目でアニマルライツに関して「イギリスでは病気になったペット安楽死させる場合が多いです。引越し先で犬が飼えない環境なので安楽死というのもよくあります」と講師が言ってて、ヘーと思った。

自分は猫飼ったことないので全然知らないのだけど、このブクマの言うように、日本では猫が病気になっても最期まで世話して看取るのが普通なのかな? 獣医に「安楽死してくれ」と持ってっても拒否される?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210228235254

Saint-Exupery 冷や水をかけるようで悪いけど、猫飼うならちゃん20歳とか高齢になって介護必要になった時も見捨てないって腹括れよ。口で言うのは簡単だけど夜泣き徘徊至る所で漏らす病院代高い等老人介護と何ら変わらんぞ

2021/03/01

2021-03-03

ウマ娘出走希望

エレーヌ(父:ダイタクリーヴァ 母:トラックマグナ 母父:アラジ

26戦11勝 主な勝鞍:東海ダービー 東海クイーンC

主:(有)ホースケ

サンエイサンキュー(父:ダイナサンキュー 母:グロリーサクラ 母父:シーホーク

17戦5勝 主な勝鞍:札幌記念、サファイヤステークス

主:岩崎喜好

ハードバージ(父:ファバージ 母:ロッチ 母父:ダイハード

11戦3勝 主な勝鞍:皐月賞 毎日杯

主:吉嶺一徳

ハマノパレード(父:テューダーペリオッド 母:オイカゼ 母父:ソロナウェー)

20戦8勝 主な勝鞍:宝塚記念 阪神大賞典

主:(株)ホースタジマ


Cygames馬主許可をもらってきてくれ!過酷な生涯であったとしても、せめてゲームの中では………

2021-02-27

💩

高さ約500km(作中の描写から)

能力:なし

「The end of unchi トイレットペーパーを君に」にて登場

惑星ウ・ンチに住む第二次大便人が産んだ人造うんち

自らが持つ強大なエネルギーを巡って起こった戦争により故郷を失い、宇宙彷徨っていた模様。

地球に飛来した際には二足歩行へと進化し、ユーラシア大陸を踏み荒らした。

最期ウォッシュレット博士の開発した巨大便器によって流されあえなく絶命

2021-02-26

「あたたかくなってきたので人が死ぬ話をしよう」

記憶が完全に薄れてしまう前に、弟の誕生日なので、時効と嘯いて、書き留めます

その日は、自動車教習の実技最終試験の日でした。

から教習所に向かい、どうにか車を運転し終え、「まあ多分受かっただろ」と思いながら確認したスマホには、親からの「家の鍵持ってる?」「なかったら裏の鍵開いてるから」「昼適当に食べて」といったようなLINEが届いていた記憶があります

「何かあったのかな」と思いつつも、家の鍵は持っていたのでそう返しておきました。

ちなみに実技試験ちゃん合格していました。

合格をその日のうちに伝えられたかはよく覚えていませんが、とにかく昼頃には終わっていたため、家に帰りました。家には誰もおらず、親に電話をすることにしました。

「■■(弟)、死んじゃった」

涙声で伝えられたその情報に、まず出たのは驚きでした。現実において

「え??????????本当????????マジで????????????????????」

ぐらいの勢いで叫んだのは、後にも先にもここぐらいでしょう、というような混乱でした。

弟は、私が寮にいる間に、突然家出をし、自殺未遂をし、保護されたあと病院施設に入り、メンタルケアを受け、進学も家から遠く離れた施設から通える高校に行って、また自殺未遂をしたりしていました。その間弟は、家族を完全にシャットアウトしており、1年半の間誰も会えていませんでした。

自殺未遂をしていたこから、それが成功したんだな、ということは簡単に察することができるはずなのですが、私は「次会ったとき『よう……5年ぶりだな……』って一言目に言お」などと考えていたぐらいには弟の死への願望を非現実的に捉えており、まさか本当に成功させるとは思ってもいませんでした。

なので、正直なところ「マジかよあの野郎ッ やりやがった」ぐらいの気持ちで報告を聞いていました。

親は「帰りはいつになるかわからない」というので、まあそれはそうと思いつつ、電話を切り、家に常備してあるパスタを食べました。パスタはいつも通り美味しかったので、美味しいなぁ、と思いました。

薄情な兄だと思われるでしょうが、1年半前以前から私はほとんど寮におり、弟と会うのは帰省した時の食卓ぐらいでした。弟は部活をしており、土日も練習するため学校に出ていたからです。そのため、「昔よく遊んだが、最近会っていなかった遠い親戚が死んだらしい」程度の質感でした。薄情ですね。

お昼を食べたあとは、前からたかった時をかける少女アニメを見ました。正直なところ特に面白くもなく、内容が記憶にありません。ただし、流石に内心ではそれなりにショックを受けておりまともに見られていなかった可能性もあるかと、内容を調べてみました。しかし、やはりつまらなそうでした。

(今回はつまらなかったわけですが)、美味しいご飯を食べることも、面白作品を摂ることも、生きている人間特権です。

実は死んでもそれらはできるのかもしれませんが、本筋から逸れてしまうのでやめます。ただし、死ぬことで人間活動に付随する空間の縛りがなくなるなら、死んだ方が楽しそうですね。

ともかく、それができなくなるのはもったいない選択だなぁ、と思いながら親の帰りを待っていました。

ゆっくり人生をしていけば違った世界を見られたかもしれないのに、その可能性を排除して不可逆の選択を選んだのは、私には理解できないことでした。得られたかもしれない幸せ放棄しているから。

ただまぁ、私はまだ人生幸せを感じる余地はあると思っているから、なんとなく幸せになれそうな方向を探して生きています。全力で死ぬよりなんとなく生きる方が簡単なので。

から、全力で死ぬ決断を下せた弟は、ある意味ですごいなぁとも思っています

から知ったことですが、弟の財布に入っていたレシートには死ぬ前日のものがあり、そこではたくさんのお菓子が買われていました。弟にとっては、それが世界で一番幸せな時に近づくための手段だったのかもしれません。最期の晩餐がそれであることを私は可哀想とは思いません。もったいないと思います

親が帰って来たのは17時半とかで、まあまあ早かったなと思いました。記憶は朧げですが、遺体は布団に包まれていた気がします。それを車から下ろすときに足を持ったのですが、まだ温かく、しか感触は確かに〝終わっていた〟ので「肉の塊だな」と思いました。死体に触るのはもちろん初めてでした。

仏壇のある部屋に遺体を置き、改めてそれを見ると、首には縄か何かで頸った跡がくっきりと残っており、顎の辺りまでが紫色に染まっていました。服装私服だったか既に死装束だったかいまいち覚えていません。私がファッションに興味がないからでしょう。ましてや死んでから洒落しても何もないです。

親は泣いてるし、同居している祖母ももちろん泣いていました。私は涙も出てこないし、なんなら別に悲しくもなく、「へー死んだんだ」ぐらいの兄としては最悪な所感を以てその場にいました。流石に酷すぎるだろ、とも思いますが、勝手に死んだ弟如きのために感情を曲げて自分に嘘をつくのは嫌でした。

整理してて思ったんですが、マジで弟のことほんとになんとも思ってないですね。ぶっちゃけ弟のことはあんまりきじゃなかったです。ポケモンカードの強カード全部捨てられたり、買った本勝手に読まれしかも折り目つけて返されたり、DSソフト勝手にやられたり、いろいろありました。悪い思い出が。

ただ、一度距離感をとって、年をとって、互いに価値観確立して、その上でゆっくり話せば、あのときの最悪な話も思い出話になると漠然と思っていました。私は、自殺未遂も含めた弟の哲学について知りたかったし、弟が何を考えていたのか知りたかった。

それももったいないな、と思います

遺書はなく、スマホデータは消されており、わずかにカウンセラーさんと弟の友達から漏れでる情報によると、「自分に生きている価値はない」「消えるしかない」などと考えていたらしいです。

それはつまらない考え方だ、と私は思うのですが、それに至るまでの積もる話も、私は何も知りません。

独りで考えて、独りで完結して、そんな生き方自分もするのでしょうがさらに独りで死を実行して独りで死ぬのは、流石にどこかネジが外れていたような感じはしています。私が寮にいる間に、いろいろとあったようです。実は私のことも恨んでいるのかもしれません。私には私のことしかわかりません。

弟は朝を食べたあと、9時ぐらいに首を吊り、そのまま1時間ぐらい発見されなかったようです。春休みだったので無理もないですね、見つけた施設の人はさぞ驚いたと思います事故物件作りやがって……と私は思いました。

しかもどうやら発見時は舌が口から出ていたらしく、なかなかグロみがあったそう。

私が教官監視されながら車を走らせているときに、弟の生命活動が終わっていたのは、後から知るとちょっと面白いなと思いました。何が面白いのかは自分にも説明できませんが、「世界のどこかで人が死んでいる」という実感なのかもしれません。解像度が高くなって、知らない感覚を知れたという。

もう記憶があまりないです。呆然としすぎての方ではなく、興味がない方の記憶の無さだと思います。親の親戚も来て、もう片方の祖父祖母も来て、皆泣いていて、自分は二階でいつも通りインターネットをしていました。それこそが私の正しさでした。

葬儀家族葬で、これは本当に何も覚えていません。

あっという間に出棺の日が来たらしいです。棺には、一つの他愛もないメッセージを書いた紙を入れました。「また会おうぜ」、みたいなやつです。

火葬場に向かう川沿いの道に、満開の桜が並木となって咲き誇っていました。親がずっと覚えておこうと言いました。私もあれは確かに綺麗だと思いました。

いよいよ焼くときになって、最後に何か、というタイミングで、親が膝から崩れ落ちすがり付いて哭いているのを見て、弟に「何やってんだよ」という気持ちが沸きました。

結局私は今まで泣けていません。これからもないかもしれません。

ともかく、人が一人死んだ、そういうお話でした。

ttps://ncode.syosetu.com/n1100dk/?p=3

・・・長いけど中弛みほぼなくて面白かった、そのかわりに濃い脇役とその悲惨最期が多いので、覚悟してや~

2021-02-24

60歳くらいでしにたい

数年前、日曜日おやつ時にマ○クで1人ぼんやりと外を眺めながらフルーリーを食べていると、隣に座った優しそうなおばあさんに、「それはどっちで買えるの?」と尋ねられた。

そこはカフェが併設されてる店舗で、普通ハンバーガーなどを買うレジとは別のカウンターがあって、ケーキカフェラテなんかはそっちで買えるようになっていた。

「これはハンバーガーとか買う方のレジで買えますよ」とお伝えすれば、「そうなの。今度買ってみたいわ」とふんわり微笑まれた。

「数年前に独りになってから、週に一度ここでご飯を食べるのが楽しみなの」とおばあさんが微笑まれたので、「そうなんですね」と相槌を打った。

それで会話は終わってしまい、私はフルーリーを食べきって店を出た。丸まった背中ハンバーガーを食べるおばあさんの姿が忘れられない。

あれは60年後の私の姿だ。

そしておそらく私はあのおばあさんよりももっと寂しいだろう。

「数年前に独りになった」という言葉から推測するに、あのおばあさんには旦那さんがいたのだろう。

私は多分結婚しない相手がいないし、できるとも思っていない。それは別にいい。結婚したいとも思ってないので。

ただ、あのおばあさんのように1人で生きて、週に一度のファストフードを食べる事を楽しみに生きていたいと思えない。

実家田舎で、今は両親が2人で暮らしている。

歳の差や平均寿命、病歴を考えると、父が先に他界するだろう。(考えたくもないけど)

広い家で1人過ごす母の姿を想像するだけで泣きそうになる。

から多分、私は母が独りになったら実家に帰るだろう。

母方の祖母の様子とか、基本的に馬が合わない(嫌いではない。喧嘩やすいだけである。)彼女と私の性格を考えると、一緒に暮らすのもしんどそうな気はするが、それでも母を独りにするのは嫌だ。

からまあ、独りでハンバーガーを食べる母の姿は想像しなくて済みそうだけれど、そうなると私はますます結婚なんて出来ないだろうなと思う。

田舎結婚するのが早いので、独り身の30代40代なんて滅多にいないだろうし、いたらいたで何らかの問題がある人だ。(盛大なブーメランであることは自覚している)

からまあ、生涯独身のまま、生を終えるのだろうなと思っている。

そうなると、私はあのおばあさんのように独りで生きていけるだろうか。

田舎なのでファストフードのお店に行こうと思うと車で15分ほど走らねばならない。無理だ。

年金がもらえる保証も無いし、今の仕事貯金が出来るような余裕もない(これは私が趣味お金をかけすぎているのもある。反省している)

仕事辞めて生きていけるだろうか。ていうかそこまでして生きていたくない。

私が今生きているのは産んでくれた両親より先に死ぬのは申し訳ないし…というのが結構大きい。

その次に趣味とか友人とか、生きてて楽しい事があるから生きている。

上にも書いてある通り、結婚願望がない。恋愛への興味もない。家族がいれば、その人たちの為に生きたいと思うのかもしれないけど、今の私にはその人が両親で、多分両親以外のそんな人はこれからも現れない。

なので両親を看取ったら、頑張ってまで生きなくても良いんじゃないかと思っている。

でも別に自殺したい訳じゃない。痛いのも苦しいのも嫌だし。自殺したら姉家族迷惑掛けそうだし。

多分私が60になる頃には、親はもう他界しているだろう。そうしたら1・2年仕事頑張ってお金貯めて、ちょっとだけやりたい事やって、色々準備をして、安楽死できる国に行きたい。

安楽死ってそんな簡単にさせて貰えるわけじゃないらしいけど。

日本安楽死できるようになったらいいのに。税金無駄遣いしなくて良いし、メリットでは?

追加

コメントありがとうございます

思ったより反応があってびっくりしました。

同じような感覚の方もいてちょっとホッとしました。気になったやつにだけちょっと返信します。

普通はそんな素敵なおばあさんに出会えたら最高では? 

→たしかにおばあさんは可愛かった。日々の中で楽しみを見つけ出してるのすごく素敵。ただ私があのおばさんの立場になったらそう考えられず毎日寂しいんだろうな、と思って辛くなった。

安楽死させて節税したい人怖い

他人安楽死させるつもりは毛頭ないよ。両親には長生きしてほしいよ。自分自分の事をやれる間に全部身の回り片付けてしにたい。「私が」しぬとき選択肢安楽死がほしい。

欲しがってるのは単なる自殺

→まあ死にたいと言っているのでそうなるんだろうな。自殺したいわけじゃないと書いたけど、今すぐ死にたいという意味での「自殺したい」ではなく、「生きるために生きていたくない」と言えばいいのか。説明が難しいな。元気でわがまま若い人に押し付けがましいこと言って生きていける年寄りになりたくないからそんな人になる前にしにたいんだよ。

あと今ですら歩いて15分のところにあるファストフード店に行こうと思わないのに、わざわざ無料バスに乗ってまでファストフード食べるのを週一の楽しみに出来るような70.80になってると思えないの。

家族に話してみたら

→2人流産したのにそれでも頑張って妊活してやっとの思いで生んで、好きなことができるようにとお金を貯めてお金をかけて育てた子どもに「あなたたちを看取ったら結婚もせず死にます」って言われたら絶望しません…?恥ずかしいというより申し訳なくてそんな話は出来ないかなあ。親を看取ったあと殺してくれる人がいないか安楽死を選びたい。

未来に出てくる面白いコンテンツを楽しめばいいのでは

未来コンテンツ(隣の席でフルーリー食べてる人)を見るまでそんな食べ物があると知らなかったコミュ障の私が、隣の席の若い人に「それはどこで買えますか」って聞けるだけのコミュ力と、フルーリーを楽しめるだけの金銭的、身体的余裕を持てると思えないから、楽しめる余裕があるうちにしにたい。

コメント見てて気付いたのは、

父方、母方両方の祖父母が(少なくとも1年以上)看護(or介護)されながら亡くなったを見ているので、「死ぬ間際まで健康体でいる自分」が想像出来ないというのも早いうちに死にたい願望の原因の一つかなと思いました。

ベッドの上で何にも興味を持つことなく、ただ最期まで生きるために生きてるのを見て「私はそこまでして生きたいと思えないな」と思っていたので。多分祖父母には子供がいて、孫がいたから「生きる理由」があったんだろうけど、誰かと結婚するどころか恋愛する気も今のところない私にとって、自分の事を他人にやってもらってまで生きたいと思える理由は無いので、人生を楽しんでる内にしにたいなという話です。

長くなってしまった。最後まで読んでくれている人がいたらありがとうございます

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