はてなキーワード: 攻略とは
小学生がジャンプを読むかコロコロを読むかという話が出ていたので回答させていただきます。
ジャンプは読んでいません。
コロコロもですね。
じゃあ漫画を読まないのかと言うと、WEB漫画を読んでいます。
家のPCかニンテンドースイッチからインターネットに繋げば結構な数が読めますからね。
漫画村という無理ゲーなライバルが消えたおかげで最近は結構何処も客引きで色々頑張ってくれてて助かりますね。
兄や姉に貸してもらえたり、家族共有PCを自由に使えてアンドロイドエミュレータを入れても怒られない家なら、そこに乗っかって滅茶苦茶豊かに暮らせるので羨ましいです。
上でも言ったように最近のゲーム機はある程度PCやスマホに近いことが出来るので、最新ゲーム機を買える程度の貯金をしていくのが基本となります。
これがないと友達の家でゲームを遊ばせてもらいに行くか、体を動かすスポーツで時間を潰すかだけになります。
サッカーとかやればいいってかんたんに思うかもしれませんが、場所がないですね。
あと下手にスポーツをやろうとするとクラブチームみたいなガチ勢に投げ込まれるので陰キャには無理ゲーです。
最新ゲーム機さえあれば最悪ソフトがなくてもFortniteとかで無課金プレイしてればいいのは嬉しいです。
最近の子供はジャンプもコロコロも読んでなくて変わりにWEB漫画を読んでいる。です。
ただWEB漫画を読んでいると親が漫画村と勘違いして怒り出す家の子は紙で読んでたりします。
昔は上の兄弟からお古のジャンプを譲るという文化があったようですが、最近は電子版を読む人が多くなっているのであんまり回ってきません。
やはり、WEB漫画アレルギーの親を持つ子供の家で読むってことが多いですね。
途中が抜けていても面白いという意味ではバトルモノはやっぱりいいですね。
あと回想シーンでも1話で起承転結が終わったりするのは助かります。
Dr.ストーンの超高速クラフトも、先週読んでないから今週何作ってるのかわからないってことが起きなくていいと思います。
ただ録画するのが面倒くさいからニコニコ動画で見れるのしか見ないって子はいますね。
YOUTUBERについては好みが分かれるところです。
私は人の見るより自分でゲームやってるほうが面白い派なのであんまり見ないですね。
どっちかというと攻略動画をひたすら見てるタイプなのですが、その都度その都度で見てるので誰がアップロードしているのかは全く意識してません。
参考になりましたか?
どうしても根本のゲーム性として単調になりがちなので、作業ゲーが苦手な人は向いてないと思う。農作業で能力を高める→ダンジョン探索する、という流れを繰り返す。
ダンジョン探索部分は羽衣を使ったワイヤーアクションや敵をぶつけて吹っ飛ばすアクションなんかは楽しい。技のカスタマイズやコンボ繋げる部分とかも結構凝って作られている。ただしインフレが激しくて、相手の能力値が高いとまるでダメージが通らないし自分の能力が高いとほとんど一撃で倒せるような調整になっている。この大味なバランスを雑にどっかーんってできて楽しいと捉えるか実力が混ざる要素が減ってつまらないと捉えるかは微妙なところ。個人的には(後述のように)稲作を適当にやってれば適当に強くなれる仕様との噛み合わせはよくないよなあと思う。
米を収穫するたびにサクナの能力が上がるハクスラ要素。かなり細かく作られている。雑に肥料をガンガン与えて栄養を増やすだけではよくないらしい(トライフォース農法という言葉が有名になった)。土壌の様子を見ながら肥料に気を使ったり欲しいステータスに応じて稲作の方針を変えたり、本気でいい米を作ろうとするとなかなか沼の世界になる。肥料を最低限に抑えて雑草を減らすとか、農薬をドバドバ入れるとか、わざと防虫のパラメータをマイナスにして蜘蛛を養殖するとか、手段も様々。ストーリーを進めるごとに設備が整い、どんどん便利になっていくのも牧場系ゲームの定番って感じで快適。
ただ、ぶっちゃけ年数を重ねる方が大事。どんなに雑に稲作してもステータスは増えていくし、マイナスになることはない。ほどほどにこなして収穫するだけでかなりのステータス上昇になるし、十分に気を使って稲作した場合と上昇幅に大差がない。じゃあ適当にこなして回数を重ねればいいよねってなってしまう。食事効果なんかもあるんだけど、凝った料理を作ろうと思うと素材管理が大変なのとやっぱり稲作の上昇幅にはかなわないという都合上、どんどん雑な扱いになってくる。
ここもまた捉え方次第だと思う。余計に難易度が高くても大変だし、農作業の雰囲気だけでも楽しいし。稲作難易度(!?)の設定を変えればまた違った感想になるかも。
とてもよかった。稲作してハクスラするゲームねハイハイ、って思ってたところから異常なまでに濃い世界観と胸熱なストーリーに魅せられた。
3~4分ほどの長時間、"サクナたちが歌いながら田植えするだけ"という異常なムービーシーンがある。そこに至るまでの過程もある。なぜ農民は歌うのか?文化は、信仰はどのように作られるのか?"文化としての稲作"というものまで正面から向かい合った作品であることを象徴するシーンだった。
新鮮さも薄れてきて、延々と死んだ目で稲作とダンジョン探索を繰り返す作業ゲーの先を乗り越えた頃。ゲーム終盤に入る頃。
農作業を繰り返して心まで農民に染まりきったプレイヤーに、ラスボスの登場によって(以下ネタバレにつき反転)
という衝撃の鬱展開が襲う。
それに伴ってサクナの力も失われ、全てがなくなり、絶望を味わうことになる。
それでも立ち上がって一つ一つ取り戻していく。その過程が本当涙腺に来た。農民は負けないのだ。プレイヤーも負けないぞ。作業ゲー?そんなもん知るか、俺は稲作に忙しいんだ。さあ今日も仕事だ。
「また美味い米を作るぞー!!」
全てが終わり、サクナが歩いて家に帰るところでスタッフロール。今まで費やしてきた思いと映るヒノエ島の風景が合わさり、心に残るエンディングになった。
・適当な稲作を回数繰り返してステータスを上げる以外の選択肢がないバランス。明らかな格上の敵相手にプレイングスキルで勝つことはほぼできない(ダメージが通らない)し、稲作に気を使っても大してステータスは変わらないのでひたすら繰り返すしかない。
・ラスボス戦で唐突に別ゲーを強いられる。今までの快適アクションはどこに!?
・一部ダンジョンの探索条件が鬼畜。宝のために隠し通路なんかを探す作業は割と好きだけど、ランダム素材を集めることが条件になっていたりすると苦行になる。ちなみにダンジョンの探索条件はゲーム攻略の間接的なヒントになってたりして、弱点属性を教えてくれたり食事効果の大切さを教えてくれたりする部分もある。
とてもいいゲームでした。
なんか一周回って「会社に忠誠を誓って滅私奉公しても報われない社会になったから」
もしくは「もう滅私奉公の時代じゃないんだよと忠臣蔵をオワコンにしたい派遣会社の陰謀」
あたりが正解でいいんじゃないのって気がしてきた
さておき12月前半~中旬の一般社会人がクソ忙しい時期にガッツリ参加必須イベントぶちこんでくるソシャゲ業界の慣習
そろそろ空気読んで1月後半~2月とか時間を作りやすい時期を選んでくれませんかね
残業して土日も仕事して家の中の買い物や掃除も詰まってる中で毎日ログイン毎日大型イベント巡回攻略情報漁って挙句にオンラインイベント参加煽り
フィールド型RPGでも戦略SLGでも主人公になれるポテンシャルを秘めている。織田信長を主人公としたゲームや創作物は多数存在するけれど、西郷隆盛は織田信長以上に主人公にふさわしいと思う。
ネットスラングにおいて「地雷」とは、かつてはエロゲー用語のことだった。私の知る限りでは二十年ほど前から使用されていた。
ttps://anond.hatelabo.jp/20201209101046
当時のエロゲーは一本8,800円が基本で、タイトル名とパケ絵とエロゲ雑誌のわずかな情報だけで購入を判断していた。購入前情報と作品のクオリティに乖離が大きいこともしばしばで(端的に言ってクソゲーであること)、そうしたゲームを買ってしまうことを地雷を踏むと表現していた。次第にそうしたゲームのことを地雷ゲーム・地雷ゲー、あるいは単に地雷と呼ぶようになった。アニメは地上波放送なら無料で漫画やラノベは高くても1,000円なのに対して、エロゲーの価格が8,800円と高額であり、しかも購入しなければ内容がわからないことから、金銭的な損失のショックを地雷を踏むことに例えたのだろう。
地雷ゲームを防ぐにはメーカー名(ブランド名)や製作スタッフ(シナリオやCGのクレジット名)で判断をすればよい。しかし、新興ブランドの新作に対してはそうした戦略をとれないので、2ちゃんねる等の掲示板で感想を見てから購入を決めることが賢い判断だった。だからこそ、地雷の可能性があるエロゲーを予約するだの発売初日で購入するだのと宣言することは勇者として崇められたことだったし、感想が「〇〇は地雷だった」でもその情報は重宝されたのだ。
二十年ほど前のエロゲー業界では「はじめてのおるすばん」[2001年](以下はじるすと略す)が話題だった。発売元はビジュアルアーツ傘下のZEROというブランドであるが、ZEROは製作スタッフ名を伏せて実験的なゲームを発売することが多く、内容がクソゲーであることもしばしばだったので地雷メーカーとも呼ばれていた。当時、国際NGOが紛争地帯での地雷ゼロキャンペーンを推進していたので、それになぞらえて地雷ZEROなどと揶揄されていた。当然「はじるす」も発売前は目に見える地雷と評されていた。しかし、児童ポルノ法制定[1999年]から続く規制強化の論調に反発するかの如くに幼く見える女の子が18歳以上と言い張る公式ホームページによる紹介ページが大好評になり、エロゲー業界を超えた大きなムーブメントとなった。当時ネットサーフィン(死語)をしていた人は、「はじるす」紹介ページのパロディを見たことがあるはずだ。この「はじるす」、想定を超えたブームによる品切れが続き、なおかつゲーム内容がおおむね前評判通りでもあったので(メインヒロインがゲーム開始時に非処女であることに物議を醸したが)、地雷ゲームの汚名を返上するほどの人気作となった。発売後2~3か月ほどは、「はじるす」を求めて各地のエロゲーショップを巡回する「はじるす難民」が続出したという。今日でのネットスラングとしての「難民」の意味は、きらら系の癒しアニメが最終回を迎えることによって、アニメによる癒しに強く依存したファンが新たな癒しを求めて彷徨うことである。「ゆゆ式」や「きんいろモザイク(1期)」が放映されていたころに「難民」の用語が流行り始めたが、その元祖は「はじるす」だと思っている。
地雷の意味が変化したきっかけは、同じビジュアルアーツ傘下のイージーオーから発売された「うちの妹のばあい」[2003年](以下、うちいもと略す)であろう。当時のイージーオーは知名度は低く大きなヒット作を出していなかったものの、シナリオ・CG・システムともに一定以上の品質を保持していたので、知る人にはある程度の評価をされていた。「うちいも」は発売前の公式ホームページによる宣伝に力を入れており、なおかつ当時は妹ものブームだったこともあって大きな評判となった。しかし、イージーオーは「寝取られ」のジャンルで知られるブランドでもあったので、古参のファンと何も知らない新参者との間で大きな議論を呼んだ。「イージーオーのことだから、また寝取られ描写があるのだろう」、「いや、公式情報によると妹との純愛にしか見えないので、寝取られはありえない」という具合であった。結論を言うとバッドエンドルートでヒロインの寝取られがある。それも、ご丁寧に攻略ヒロイン全員分にだ。今でこそある程度の市民権を得た「寝取られ」だが、当時はまだ理解できる人が少なかった。純愛を望んだ多くのユーザーにとっては意図せずに「寝取られ」を見せつけられる結果になったので、作品としては不評や反感の意見が飛び交うこととなった。しかし、「うちいも」が「地雷」と呼ばれることはあまりなかった。と言うのも、「うちいも」は前作の「雨やどり」を超えるボリュームのシナリオ・CG量があり、バグや不具合もなかったので「クソゲー」ではなかったからだ。シナリオの内容についても、分岐によってはハッピーエンドもあり、そちらでは「寝取られ」も無く概ね好評を得ていたので、作品全体は「地雷」ではないもののバッドエンドが「地雷」と評されたり、「鬱ゲー」と呼ばれるジャンルを好むユーザーからはむしろ高い評価を得たりもした。これが「地雷」の用語がクソゲーを踏むことから変化して、ジャンルやシチュエーションがユーザーの嗜好と不一致することに対して用いられてきた最初の例だと思われる。ちなみに、イージーオーは「うちいも」の賛否両論の騒動を受けて、公式ホームページで「純愛宣言」をすることとなった。内容としては、今後リリースするすべてのゲームで「寝取られ」描写をしないというユーザーに向けての宣言である。しかし、イージーオーは失った評判を取り戻すことができず、ブランドは解散することとなる。
次に「地雷」がキャラクターに対して用いられた例も述べる。エルフの「下級生2」[2004年]である。エルフは今でこそ解散してしまったものの、かつては老舗の有名ブランドであった。「東のエルフ、西のアリス」と呼ばれ、業界大手のアリスソフトに匹敵するほどの人気があった。エルフは「ドラゴンナイト」シリーズや「同級生」シリーズで知られるブランドで、エロゲーをやったことのない人でもタイトル名だけは知っていることだろう。昨年アニメ放送された「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」も原作はエルフにより発売されたエロゲーである。「下級生2」の発売当初はエルフの人気シリーズ続編ということもあって当然多くの期待と注目を浴びることになった。しかしながら、「下級生2」も「寝取られ」(正確には寝取り?)が原因で不評を買う結果になってしまった。メインヒロインの「柴門たまき」は主人公の幼馴染だがゲーム開始時点で医大生の彼氏持ちという、学園ものの恋愛アドベンチャーとしては斬新な設定であった。「たまき」を攻略することは、彼氏持ちの女が幼馴染の男(主人公)と二股デートをすることと同義でもある。そして攻略を進めると「たまき」は二股がバレて彼氏に捨てられることになる。その後もシナリオを進めると、主人公との情事を重ねる際に「たまき」は医大生と肉体関係を持っていたので非処女であると告白するのだ。そのうえ、「たまき」は情事の内容をいちいち元彼氏と比較をするのだ。ゲーム序盤では、「たまき」は主人公の幼馴染でクラスのマドンナ的な存在として描かれていたにもかかわらず、その本性は性悪ビッチ女だったという展開にピュアな童貞エロゲーマーの精神が耐えられるはずもなかった。激怒したエロゲーマーは、エルフのファンクラブを退会しゲームディスクを真っ二つに割った画像をアップした。これが「たまきん事件」の顛末である。「下級生2」が「地雷」と呼ばれたことはもちろんだが、それと同じくらいに「たまき」も「地雷」と評された。これがゲームではなくキャラクターに対して「地雷」が用いられた最初の事例かと思われる。
ちなみに、00年代中頃になると地雷ゲームの呼称はあまり使われなくなってゆく。その理由としては、体験版や公式ホームページによる情報公開が進み、発売前からある程度内容を推測できるようになってきたからだ。さらに、アリスソフトの「妻みぐい」[2002年](定価2,800円)を契機に廉価ゲームが流行って、エロゲーは一本8,800円という常識が崩れたこともある。それにより、新興ブランドがクオリティの不明なエロゲーを8,800円で発売することもなくなったので、エロゲーマーが地雷を踏むことも無くなった。次第に地雷ゲームの言葉は廃れていった。さりとて、クソゲーが消えたわけではない。クソゲー愛好家の間ではHYPERSPACE(通称:超空間)というブランドのエロゲーは有名だが、「地雷」ではなく明らかな「クソ」なので地雷ゲームと呼ばれることはなかった。
なぜ「地雷」の歴史を長々と述べたのかというと、冒頭に述べた増田にて、同人界隈で腐女子が地雷という言葉を用いることを知ったからだ。今でこそ「地雷」は「下級生2」の例で述べたように、キャラクターや人物に対して用いられるのが常である。実在人物においては、合コンの相手・交際相手・風俗嬢などに対して使うことが多いだろう。しかし、腐女子は同人作品の受け入れられないジャンルやカップリングなど嗜好の不一致という意味で用いているのだ。これは「うちいも」における地雷の用法と同じである。そうした観点からみると腐女子が用いる「地雷」はむしろ原点回帰と言えなくもない。そうした意見を述べてみようかと思った。しかしながら、エロゲーとは関係ない文脈で「地雷」を用いている場で長々とエロゲーの歴史を語っても尋常者は嫌悪するだけとなるので、ツリーに表示されないようにh抜きでURLを張ってこのように長々とした文章を描いた次第である。
私は「地雷」用法は本来の意味に立ち返るべきだと言及するつもりなど毛頭ない。ただ単に、インターネット黎明期の頃から続くネットスラングが用いられた当初の時代の雰囲気を主張したくなっただけである。かつてネットスラングはエロゲーマーをはじめとしたヘビーなインドア男が生み出すのが常だった。インターネットは、現在のようにWi-Fiで楽チン接続するのとは訳が違った。高額で場所の取るデスクトップPCを用意し、プロバイダー契約にも金を払い、様々な配線を床や壁に絡ませて、頻繁にフリーズするWindowsで面倒なインターネット接続設定をする。このような芸当は、注ぎ込める時間と金の全てを家の中で消費するヘビーなエロゲーマーにしかできないことだ。手間暇をかけて接続したインターネットの利用方法はもちろんエロゲー情報の収集である。だから、当時生まれたネットスラングが現実では全く使い道の無い言葉となるのも当然のことだった。逆に、現実の言葉がエロゲーマーにとっては違う意味を持つこともある。2007年に月探査衛星の「かぐや」が世間ではニュースになったが、当時Googleで「かぐや」と検索するとエロゲーブランドの「アトリエかぐや」が最上段に表示されるというありさまだった。今では到底信じられないことかもしれないが、もしも日本のインターネット文化を構成したのが引きこもりエロゲーマーばかりだったらというおぞましい現実が、インターネット黎明期に実存していたのだ。
もちろん私もヘビーなインドアエロゲーマーだ。しかし、エロゲーから離れてもう十年以上も経つ。エロゲーとはもはや無関係の私が、「地雷とは元々エロゲー業界で用いられてきた言葉で…」などと述べたところで、誰の代弁にもならない無意味な話にしかならない。GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーは「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と演説したが、その言葉を借りれば「エロゲーマーは死なず、ただ消え去るのみ」と言ったところであろうか。しかし、職業軍人とは違い私はただの一消費者に過ぎず、しかもその趣味を現実世界では誰にも公言できないので、演説どころかこのような匿名ブログでしか述べることができない次第だ。それに、こうして長文を書くこと以外に自身がエロゲーマーであったことの証明ができないので、もはや消えていたも同然だ。
エロゲーマーは死なず、とうの昔に消え去っていたのだ。
ギルティギア好きか?なんか義務感感じてそう。ファウストも好きか?
賞金とか狙わないならピンときたキャラ使うのが良い。(自分はセイヴァーのビシャモン。初心者が触れるには辛いキャラだが好きは後押しになる)
あとトレモも良いけどCPU戦が一番良いぞ。レベル上げれば熱帯の大半より強いし、その中で基本コンボ出来るように慣れば良い。(ビシャモンの目押しとか絡め魂とかトレモで出来ても意味ないし)
もう一度言うけどプロゲーマーになってスポンサー付けて賞金と広告料でウハウハで「将棋とボクシングを同時にやってるんです」とか言って大した成績残さなくても生きていけるくらいになりたい訳じゃないなら適当に遊べ。メッセージで煽ってくる奴はフリーターかニートだ。
あと住まいがどこか分からないが、可能ならゲームセンターで対戦すると良い。昔と違って今は負けた相手煽る馬鹿は居ないし心配なら5chで下調べ。もちろん君が灰皿ソニックするのも駄目だが。大半は優しいか気にしないし、数回やると話しかけてきたりするぞ。(STGでも終わった後話しかけてくる人居たらいいのに・・・)
最後になるがYouTubeとかの攻略動画は初心者向け以外は見るな。見るべきは伸びしろが見えない時。たぶん今は違う。見るべきは初心者向けだし、本当にやるべきは待ちガイルしてでも勝つこと。(波動昇竜は決して脳死じゃないぞ)
BLが好きだが、男性向けエロもアナルモノが好きだし、Pornohubやxvideoなんかでもブクマはほぼほぼアナルモノ。
私がアナルに目覚めてしまったのはJCの頃。たまたま聞いてた深夜ラジオのHなネタコーナーである。
「お尻に単三電池入れてオナニーしてたらおじいちゃんに見られてとっさにロボットのマネをした」アホな投稿だった。
だが、それを聞いて「お尻って気持ちいいの?」って思ってしまったのだ。
元々早熟で、JSの小さいころからΦを圧迫すればなんか気持ちよくなると知ってしまってた。
そこからラジオをマネて圧迫オナの度にお尻にも何か入れるようになった。
お尻に処女膜はないので気軽に乾電池から始まり、サインペンになり、極太サインペンにと辿る。
大人になってΦの処女をうしなうと、元よりエロイことに興味が大きい私は当然の如く大人のオモチャにも手を出す。
まあ色々買ったよね。ついでにアナル用も買ったよね。
で、当時付き合っていた人と別れた後、オナニーがついついお尻に偏ってしまった。
別にΦが嫌いとかそういう訳ではないし、ポルチオでイケる。でもお尻が好きだから手が伸びるのがソッチってだけである。
で、そんなひとり上手な状態で、実に15年くらいソロ活動に勤しんでいた。
この15年で情報はボンボン手に入るようになり、どうすればよりお尻で気持ちよくなれるのかとか、入れた後に手ごたえのあるところがヒューストン弁だとか、もっと奥のS状結腸まで行くにはどのくらいの長さのオモチャが必要かとか、そういう知識が身についた。
割と最近S状結腸も攻略できた。2年くらいゆっくりオナニーできる時に結腸攻略に挑んでいたのだが、先日結腸前の壁をこねこねしてる時にいきなりズボッと奥へオモチャが嵌った。
「おお!これが結腸か!」喜び勇んで結腸用のオモチャを取り出し入れてみた。
最大太さ3.7cmの玉が8個連なってるタイプの全長50cmもある結腸越え用オモチャ。それまでは5個目までしか入らなかった。
はたしてオモチャは入った。ちょっと苦しかったが50cmを納めきって根元の吸盤の付け根までずっぽり。嬉しくてそのズッポリ咥えているケツを自撮りした。
ちょっと私の開発具合に話が逸れすぎた。まあそんな性活を今までしていた。
で、話は変わるが三か月くらい前に恋人が出来た。彼女は長い付き合いの相手で、出来たと言うか15年前の恋人と同一人物である。
付き合ってない間もシモの話を含めてあらゆる話をする仲だったので、私がアナルマニアなのも知ってる。
その恋人と一度エッチした時、準備を特にせずになだれこんだのでΦにも指しか入れなかった。
私はポルチオではイケるが、Gスポではイケないので、正直言うと演技をした。
まあ乳首でイケるし、クリも可愛がってもらったので、Φ以外は満足だったのだが。
先日オナニーしている最中に「このままじゃだめなんじゃないか」と考えてしまった。
とりあえず、イケるとこを増やしておこうとGスポを開発してみようという気になった。
アナル用の短いプラグはGスポ開発にも使えそうだったので、よーく洗ったプラグをつっこんで、Gスポとクリを同時責めしてみた。
結果はんー?ってかんじ。クリの気持ちよさはあるのだが、Gスポが気持ちいいのかよくわからない。
まあ慣れれば変わってくるかもしれない。そう思ってた。
入れようとしたバイブは普段はお尻に使ってるガンガンピストンするバイブだった。太さは3.2cmくらい。挿入長は15cm程度。
尻ならちょいとワセリンを塗ればツルンと呑み込む、いつものヤツだった。
それにコンドームを被せ、ローションを塗り、さあΦに入れるぞ!と押し付けた。
・
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押し付けた
・
・
・
入らねえ。
よくご無沙汰のΦに対して「クモの巣が張る」なんて暗喩を聞くが、テンパるくらいに入らない。
つか、処女喪った時より痛い気がする。
もしかしてこれが噂に聞く膣痙攣か?リラックス、リラックス……。
リラックスついでに他のディルドを使ってアナルオナニーしてみる。こっちはいつもどおりだ。ふつうに入る。
Φと*は8の字筋と言う筋肉で繋がってるはずなので、お尻に入るならきっと膣痙攣ではないだろう。
・
・
・
入らない。
リラックス目的でやったアナルオナニーでだいぶ満足していたので、その日私はもうちょっとお尻をいじってから終了とした。
その後も何度かΦに挿入を試みてみた。
2.8cm以下のプラグやディルドなら難なく入る。まだGスポは分かんないがポルチオは刺激すれば気持ちがいい。
でもやっぱり3.2cm以上のプラグやディルドは痛くて入らない。
幸か不幸か、恋人はAセクなのでこっちが色々仕掛けないと手を出してこない。
私はHがしたくても、相手は基本そんな気にならない質なので難しい相手だ。
たぶんこれから先も私はソロ活動を極めると思うし、そのうち追々Φも普通に普通サイズが入るようになるかも知れない。
つれづれなるままに書いたが、要は
私はある大学で教員をしているオッサンである。とはいってもまだテニュアの職は得ていなくていわゆる任期付きだ。もう40過ぎてしまったのでいろいろ焦りはするのだけど、周りを見ていても自分みたいなのは珍しくないのも事実である。
とはいえ、昨年研究がそこそこの成果を上げて、割と注目もされていくつか新聞記事なんかにもなり、人生はじめての単著も出した。まあそれはいいんだけど、先日院生たちと雑談していたときに、出会い系で人妻をどうのみたいな話になった。大学院生が人妻とそういう関係になるのか。そういうことはダメだよと言っておいたけど、なんだかもやもやする。
てのは、自分自身、結婚してはいるんだけど、もうセクロスすることが何年もない。5年前に二人目の子供が生まれてから完全に絶えてしまった。もちろんそれは辛くて寂しいことなので、いままでいろいろできることはやってきたんだけど、妻に断られると結構落ち込むというか自分を否定されたような悲しい気持ちになり、怖くてもう誘うことも出来ないのだ。しかし40歳くらいであり肉体の方はまだ性的なものを求めている時期であり、なんだかやるせない思いを抱えながら生きている。そんな人、たくさんいるよね。私もその一人です。
で、風俗はどうしても勇気がなくて行けなくて、風俗使う勇気のない人間がどうしてそんなことを思ったのかわからないけど、出会い系を使ってみようかと思ったのだ。大学院生にできるのならどうして私に出来ないことがあろうか。そんで、業界大手のハッピーな出会い系に登録してみた。
地域と年齢で検索をすると、まあ出るわ出るわ。こんなにいるのかい。これらの人妻たちがみんな出会いを求めているかと思うと、熟女系AVの世界である。そんで、片っ端からメールを送ってみたが、まあ2割位帰ってくればいい方で、その半分はいわゆる援助交際希望であった。一回に付き1.5万とか2万とか。
顔も知らない人(当然だけど既婚女性の大半はプロフ写真を公開していない)と2万円でひとときを楽しもうなんて勇気のある人、いるんだろうか。まあいるからこういう人がたくさんいるんだろうな。でも私はそんな怖いのごめんである。なので、援助交際じゃない人を地道に探そうとしたが、まあ返事が来ない。来ても数通で絶える。辛い。
攻略法みたいなのを載せてるサイトも結構あったのだが、大体出会い系サイトへのアフィリエイトサイトだった。それでもいろいろ情報を取り入れて頑張ってみたけど無理。プロフ写真を貼り付けるのが大事とはどこも書いてあるが、わたしゃネットで検索したら新聞記事やら大学のサイトやらにいくらでも顔写真が出てくる人間である。そんな恐ろしいことできるわけがない。
でも、写真とりあえず送れと言われて、ありったけの勇気を振り絞って送ったりもしたけど、「ごめん、タイプじゃない」と一言返信が来て切れてしまったりした。もうなんか、これメンタルが削られるだけの営みじゃないのか。そんなにブサイクだろうか。一応結婚もできたし付き合ってきた人もいるんだけどな…
まあそんなこんなで奮戦して、ようやく「肉体関係なし・メール友達募集」という40代後半の人妻さんとやり取りが続くことになった。いろいろ聞くと、登録すると何もしなくても鬼のように男からのメールが届くらしい。なんか40代の若くない既婚女性を大量のオッサンが取り合いしているのだ。虚しい。これを虚しいと言わずになんと言えばいいのだろうか。
その肉体関係なしの人妻さんは、いままで色んな人にあってきたが、一回やって捨てられるか、あるいは会ったその日にブロックされたりみたいなことを繰り返されて、病んでしまったらしい。だからもう会わないんだそうだ。出会わない系サイト。それって普通のSNSでいいじゃんって思うけどね。とにかく、肉体関係はなしと書いただけで鬼のようなメールはだいぶ減るとのこと。
女性も女性で大変なんだな。でも、そんな人としか私は繋がれなかったのかと思うと元気なくなってくる。大学院生諸君はどうやってここを突破したのかとか思うけど、彼らと私がこの世界の市場価値において張り合うってことがそもそも無理なんだろうな。
で、私はそのハッピーな出会い系で3000円使ってポイントが付きて、やめることにした。ここを攻略するには、それなりに覚悟と根気と鉄のメンタルとプロフ写真の公開が必要なんだろうが、私にはそれはなかったのである。あるいは若ければそこは全部飛び越えられるかもしれないが、もう若くもないのである。二人の子供の寝顔を見ながら、変なことにならなくてお父さん本当に良かったよとつぶやきながら、今後もこの男の肉体を持て余しながら、もんもんと生きていくんだろうなと少しだけ絶望するのだ。
あ、肉体関係なしの人妻さんとはその後も出会い系サイトを離れて普通にメール続いています。お互いに会うつもりは全くなし。研究や仕事と全く関係のない話し相手は居なかったので、ちょっとそれだけは成果といえるのかなと思っている。
ゲーミングPCこそ、やはり最強みたいですね(メガネガチャリンコン
確かにゲーミングPCの値段はPS5とSwitchとXBOXを買ってもまだ届きはしません。
そして、ゲーミングのために上げた性能はPCの基礎的な性能として日常のあらゆる場面をサポートします(メガネポイー
高画質な動画をサクサクで見ながらネット巡回、大きな画面で複数のSNSのクライアントを開いてもスラスラ。
画面が大きいから老眼にも優しいですし、落ち着きのない若者なら複数窓でVtuberを同時に追うのも良いですねえ。
キラーソフトの取り合いばかりのSwitchやPS5と比べるとPCゲームの選択肢はぐっと多くなりますよお。
しかも値段も安いんですよねえ。
セールが結構な頻度であるから少し古けりゃ7割引きだとか、新作の宣伝で無料配布とか普通にあります。
なにより、インディーズゲームという素敵な扉がすぐ近くにあるのもいいですねえ。
フリーゲームだって下火とはいえ充実してますし、基本無理ゲームもより民度が高くて真っ当に上手い人と一緒に遊べる率が高いのもいい。
ブラウザゲームやスマホゲームだって選択肢に入るのが強いですねえ、最新のゲーミングスマホの性能ぐらい、PCでエミュればアッサリたどり着きます。
そもそも、重くてラグるなら画質を下げればいいわけですが、コンシューマーってその辺気が効かいと思いません?
デュアルモニターにすれば攻略動画や映画を見ながらプレイが可能ですし、スマホエミュレーターでスマホの10倍大きな画面で遊ぶこともできます。
配信だって自分で環境を揃えて、編集もソフトのオートモードでなく自分で調整して行えます。
なにより、グラボさえ数年おきに更新してやればコンシューマーよりずーーーーっと長持ち。
そもそもスマホの小さい画面でネット巡回するのが、人生の無駄ですよねえ。
小さな画面で小さく情報集めて騙されながら生きるより、大きな画面でちゃんと情報の取捨選択して自分で調べて生きていきましょうよ。
どうです?
どうせ買うPCに5万上乗せしてゲーミングにするだけです。
それこそ、賢いと思いませんか?
遊びには2種類の側面がある。「現実」と「非現実」である。 ~俺~
俺が求めていたゲームってのは現実から離れて自由に遊べる非現実空間だったんだ。
何も考えてない人向けなJ-POPで歌われる「リセットボタンで全てが終わるテレビゲーム」こそ俺のやりたいゲーム。
そこに帰ってくるのに10年の歳月を要した。
いつからかチームプレイゲームで勝ち負けを全てとする割に自分は下手くそで、それを認めたくないばかりに味方のせいにしてばかりいる荒らしになっていた。
気晴らしに一人プレイゲームをやっているときでさえ、実績の達成率が気になってしまい動画攻略をなぞってクリアしては「この実績持ってないやつの発言とか無意味やぞ?」「動画見てクリアの何が悪いんだよ努力ってそういうものだろ?」と掲示板やチャットで連投する荒らし行為を続けていた。
違うんだ……俺が求めていたゲームはこんなんじゃない……5年前にはそう気づいていたが、今ここで逃げたら敗北を認めるような気がして必死に誤魔化しながら自分の中のゲーム像と戦っていた。
ようやく答えが出た。
俺はJ-POPの歌う「リセットボタンで全部が終わるヌルい世界」が好きなんだ。
「現実と地続きでもって生まれた動体視力、計算能力、情報収集力、コミュ力、それらを複合した総合的なゲーム力によって優劣が決まる世界」は、間違って渡ってしまった橋の先にある別の島だったんだ。
『横断歩道の信号待ちで、本当に渡りたい側が赤信号だった。そこと直角に交差する別の信号が青だから、折角出しさっきにそっちを渡った。でもそこでそっちを渡ったのは完全に間違いで、でもそれを認めたくないから目的地の近くまで反対の岸をあるき続けたら、引き返すタイミングがなくなってしまった』そういった経験が誰にでもあるだろう?
ヌルいより、ストイックが偉い。1人プレイより、複数プレイの方が高度。実績を持ってる奴が正しい。ランクが低いやつはノイズ。勉強してない奴は発言するな。本当に好きならやり込める。結果を出すのが愛の証明。そういったゲームコミュニティのなんちゃってマチズモに振り回されて、間違った場所でずっとゲームを遊んでいた。
かわいいキャラクターと一緒にスローライフを送るゲームを、やたらノンビリ遊んで周りから「Aさん。もしかして行き詰まってますか?ゲーム内時計を弄ると~~」みたいな余計なアドバイスを貰うようなペースで遊んでも良いんだ(この話はフィクションです)。
実績が意味を持つ世界を生きるかどうかは、プレイヤーが決めるものだ。
ランクってのは同じ強さのプレイヤー同士がマッチするためのもので、高い人が偉いってものじゃないんだ。
でも、そういうのはもういい。
俺はもう現実と非現実の間にあるパイプラインを徹底的に切り落とし始めたから。
1人でのんびり遊ぶから、急いでトレンドを追うこともしないし、感想を誰かと語り合うことだってやめる。
プレイした本数でマウントを取るために有名ゲームを片っ端からやるのだってもう辞めた。
自由だ。
やりたい時にやりたいゲームをやる。
俺だけの世界にこもるための触媒としてだけゲームがあり、その世界のことを他人と比べることもなくした。
癒やされる。
どうせゲームの世界なんて開発者の手垢まみれなんだから、別のプレイヤーなんて居なくても孤独になんてなりようがないんだよなあ。
いっそ寂しさを感じたかった。
なんか今度は、開発者の残した自己主張や価値観の声が煩く聞こえてくるよ。
どこまでも現実と地続きではあるんだなあ。
「Fanastasis」ってゲームなんだけど、とってもはまってるから他の人にもやってみてほしい。
内容としては、イストワールやネフェシエルなんかと同じ。戦闘して強くなるよりも、探索して装備を集めて、奥へ奥へと進むゲームなんだ。
言うまでもないけど、隠し通路や、閉ざされた鍵扉なんかも完備。思いもよらない場所から物語の核心部へ進めるから、ルートを見つけるのが楽しいよ。
ストーリーはものすっごくソウルライクで、凄惨なステージや描写が結構ある。イベントシーンはほとんどなくて、セリフやフレーバーテキストから大筋を読み取るスタイルなんだ。
自分はこの手のストーリー展開が苦手で、探索しているうちに話の筋を忘れることがしょっちゅうなんだけど、それでも面白いと思ってしまったよ。
さくさく進み続けることができるのが楽しいんだよね。立ちはだかる強敵は、必須な奴以外避けちゃえばいいんだし。
去年ベータ版が出てたから、表のストーリーは体験済みだったんだけどさ、改めて遊んでみても面白かったよ。
実はいま、1.0になってからの追加コンテンツを攻略途中なんだけど、このゲームってすごいなあ面白いなあってしみじみ思っちゃったから誰かに勧めたくなったんだ。
耳にしてオンになった途端に、
そのキャンセル具合は正直驚いたわ。
こんなにも有ると無いとでは違うんだわ!って
まったく聞こえなくなるって訳じゃないんだけど、
なんか遠くに人や電車がいる!って感じで
目の前は人がいてガヤガヤしているのに、
今のテクノロジーって本当にスゴいって
こういう新しい新体験は刺激的よね。
そう思いました。
そのVRの中では、
おまえVRやってんのかよ!スゲーなってVRの中のバーチャルなお友だちに囲まれるのが見えるVRだったら笑うんだけど、
あれもきっとスゴい体験なのねと思うし、
知らない間にPS5が出てて、
あの新コントローラーも面白いって話しだけど実際はどうなのかしらね。
R2L2ボタン無いと思って大騒ぎしていたけど、
背面タッチパネル!
私それ知らなかったんだけど、
そこの場所がR2L2ボダンになる!ってインターネッツで調べたら出てきたので、
やっぱりインターネッツってスゴいなって。
インターネットがなかった頃は本当にみんなどうやって攻略していたのかしら?って思っちゃったわ。
とりあえず
このVitaのR2L2ボタンの発見も新しいユーザー体験としては新鮮だわ。
でもあまりに感度が良すぎて触れたら押しちゃう押し答えのないボタンのようなものだから、
ついつい触れてしまうところも
新しい新体験のユーザーエクスペンダブルスの映画をこの冬また見返しちゃおうかしらって思ったし、
その『エクスペンダブルスI』の通常版とディレクターズカット版じゃぜんぜん内容が違うぐらい
絶対普通版みてからディレクターズカット版を見て欲しいわ!って思ったし、
映画って何度見ても良い映画を見つける旅だと思うのもこれもまた新体験よね!
うふふ。
たまにああいう所で食べるジャンキーな朝食も美味しいわよねって、
湯を沸かしてがぶ飲み温まりよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ソシャゲは「育成:情報収集:攻略:ストーリー=4:3:2:1」だけど、小説やノベルゲームはほぼ「ストーリー:その他=10:0」だ。
すげえ……。
なんだこれ?
神か?
しかも小説は物によっては図書館やWEBサイトで普通にタダやし。
こんなチートくさい娯楽あり?
本当はこんなお気持ち呪詛を吐いて砂をかけて去る事が良くない事なのは分かっている。
だがどうしても誰かに愚痴らずには居られなかった。我ながらマナーが悪くて、馬鹿だなあと思う。
もともと好きだったブランドの初のスマホゲームタイトルという事もあって、事前登録も始まってすぐにして楽しみにしていた。
自分の好きなキャラクターは、そのブランドの第一作に登場するキャラクター。主人公やヒロインではないので第一作のキャラの中ではやや影は薄いが、初作のキャラという事もあり根強いファンも居た。
伝統あるキャラクターなので実際スマホ版にもすぐに実装された。
大好きなキャラクターが使える事が嬉しくて、その場その場で完全育成してきた。貴重な上限解放アイテムが実装されるとそれも惜しげなく使ってきた。強くなった自分の推しはゲーム内でも有用な存在になり、そのキャラクターを活用して攻略するのが楽しかった。
このゲームのガチャからは、キャラだけでなく装備が排出される。
その装備にあたるカードは毎回書き下ろしイラストになっていて、定期的に追加される。
はじめはもとから人気のあるキャラクター、例えば第一作の主人公格のキャラなどが優先的に実装された。自分の好きなキャラクターが彼らに匹敵する存在でない事は流石に分かっていたから、人気のあるキャラクターが優先されたり、枚数出たりするのは仕方がない事だと思っていた。でも順番だからいつか自分の好きなキャラクターのイラストの装備が登場するだろうって楽しみに待っていたのだ。
結局、推しの装備は1枚も登場しなかった。
その間、後から追加されたスマホ版のオリジナルキャラの装備が何枚も出てくるのを横目に見ていた。元から人気のあった過去作のキャラクターは10枚ぐらいはあるんじゃないかって、それぐらい出てくるのを見た。人気があるとはとても思えないオッサンキャラの装備だって出た。
でも推しの装備は1枚も登場しなかった。5年で、たったの1枚もなかった。
ゲームは5周年を盛大に祝った。描き下ろしイラストを沢山用意した。でも推しのイラストはやはり1枚もなかった。
ストーリーもたびたび更新されたが、まともに登場することはなくなった。稀にある貴重な出番に目を輝かせても、蓋を開ければ誰かの引き立て役で終わる、誰でもいい役割。
最新情報を紹介する生放送も5年間追い続けて、どこかに1つぐらい推しに関する情報があるんじゃないかって、でも結局なかった。
「第一作から応援してきたのに、なんでこんな惨めな思いをしなくてはいけないのだろう。」
勝手に信じて、勝手に裏切られた気持ちになって。冷静に考えれば自分一人が第一作から応援してきただのそんな事情は、運営側からしたら知ったこっちゃないだろう。
たった1枚の描き下ろしイラストが欲しかった。5年待った。いっぱいプレイした。沢山課金した。
「他のキャラクターたちも魅力的だから、その時その時ピックアップされてる彼らの魅力を楽しもう!そしたら推しがピックアップされる時も皆で楽しめるはず。」
そんな考えは甘かった。結局推しがピックアップされる時なんて無かったし、これからも来ないのだから。
その間に前にもピックアップされたキャラクターにまたフォーカスするイベントがあったり、新キャラクターを囃し立てるイベントがあったりしながら、ああもうなんか、運営は第一作からのファンとかどうでもいいんだなって。
ここでwikiという言葉は「ギガが減る」のように本来の意味は無視されて使われているので今のネットユーザーはwikiがユーザー編集型という意味を持ってると知らない可能性は十二分にある。
残念ながら、君の認識は間違い。
現在の企業運営ゲーム攻略wikiもwikiシステムを使用している。
昔から限定的なメンバーしか更新できないようにしたwikiの運用方法もある。
時系列でいうと、ざっくりこんな感じ。
1995年頃:ウォード・カニンガムがwiki(WikiWikiWeb)を発明。独自の簡略記法を用いて、編集できるシステムの形体名として「wiki」が生まれる
2000年台:不特定多数が編集できるシステムとして流通。2chのゲーム攻略スレッドなどで情報の蓄積に使われ、攻略サイトといえばこれ!という立ち位置を固める。
「不特定多数が編集できる」と言う部分を重視した認識の人が増えだす。
現在:2000年台からの「攻略wiki」人気にあやかって、攻略wikiをなのる企業サイトが増えている。編集権限は内部ユーザーのみ。
現在の企業wikiは恐らく単に2010年頃からの「攻略サイト=wiki」という間違った一般認識にあやかって攻略wikiを名乗っているだけではあるが