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2023-05-09

anond:20230508194133

パンツレンジでチンして乾燥させたときにボヤが出た事件

土台にしてた段ボールの古いセロテープ燃えたりはしないだろ、話盛ってる

とか言われたけど、事実なんだよなあ💢

教えてもらったレシピ増田カレーとして紹介して褒められたときに、メタブを追っていたら

増田サラダクオリティが低すぎて試しませんでした

とか言われたが、そっちは自作なんだよなあ💢

うまいのに。チェッ

みのもんた体操の話! 目の前の増田肩こりで困ってたから、教えてもらった体操を良かれと思って教えたら。

病院行け

とか書かれた。これでもダメなら病院行けって末尾に書いてるの読めないのかなあ💢

それとも体操で治るレベルのチョットした違和感で即病院行くのか? スター賛同者たちは。

あと、お化けなんてないさって話で

論理崩壊してるやっぱり怖いのは人間

みたいに言われたとき別に何も崩壊はしてねえ。動機が複雑なだけで読解力のないキミの頭が悪いんだよなあ💢

あとルンバの話! 寓話としてお話を作って、ルンバ上面の埃を掃除するのにルンバ必要って言ったら

バカだなあ」

とか言われた。はあ?💢

ブコメ晒し上げて殴ってやりたい、と時々思う。

でも綺麗に収まった話は反論を載せたくない。特にかに楽しんでほしくて書いた話はね。

それを解ってて突いてくるクズもいると思ってる。

憂さ晴らしのためだか何だか知らんけど、インターネットで『ぶつかりおじさん』するのはやめろと言いたい。

2023-05-07

みんなの青春どんなだった

……………そんな言うかい

青春経験なさそう

anond:20230507111318

これw

じゃあ逆に聞くけどさ、あなた達は本当に青春経験してたの?

はっきり言って、青春なんてフィクションでしょ。

多感な時期の記憶なら忘れたりはしないと思うけど、そーゆう話は増田でもネットでもほとんど聞いたことがない。白ハゲマンガには時々あるけど、あれは寓話だよね。

マンガみたいな甘酸っぱい思い出がある人、実際ほぼほぼゼロだと思うぜ。

いい機会だし確かめてみるか………募集するわ。

みんなの青春(もしあるなら)聞かせて!

2023-04-05

anond:20230403180139

リベラルがいつから弱者の味方だと思ってた?

思想の源流からして『没落貴族の巻き返しの為に民衆を騙して巻き込むための方便』に過ぎない

それが今の西側諸国では生産性なんぞないくせに大きな分け前を求めるルンペンブルジョワジーに乗っ取られただけ

13〜4年前にも見ただろ。非正規雇用を救うと称して政権を得た民主党は何もなし得ず下野、その運動の中心にいた湯浅自分だけ偉くなり権力に溺れ何もしなかった

実際に救済らしい手が打たれたのは安倍政権まで待たなければならなかった

これは平成後期の重要寓話だぜ

2023-03-22

俺も京大生だし没落したか気持ちはわかる。

https://anond.hatelabo.jp/20230321131216

非常に共感性の高い増田だったから俺の話もしようと思う。

まあ、学歴仕事能力関係ないというのはごくごく当たり前の話だ。

ガラス天井』ならぬ『ガラスの床』が高学歴にはある。

俺達は学歴競争というトーナメントにおいて勝ち上がってしまった以上、ある程度の能力があるものと見なされちまうんだな。

メリトクラシー能力主義批判を齧ったことがある人間なら、ポールローゼンバウムとかいオッサンの言説を聞いたことがあると思う)

社会評価主義が間違ってようが何だろうが、職業遂行能力があろうがなかろうが、俺達はレッテルと一緒に社会に放り出されるから世の中はクソだよな。

俺も事実としてコミュ障だった。

京大に入ると何か、サークルの奴らが勧誘ロードを作ってるじゃん。アレがもう嫌だった。

この列にトレーラーか何かが突っ込んできて、全員轢き殺してくれねえかな、って思うタイプ京大生が俺だ。いつか誰かが火炎瓶でも投げ込んでくれることを期待している。

とはいえ、当時の俺は純朴な地方出身若者な一面もあったので、妙な起業サークルに入ってしまった。コミュ障にも関わらず、だ。

俺はサラリーマンとして誰かに頭を下げるのが死ぬほど嫌だったので、とりあえず社長になってみるか、というピュアな心でサークルに参加したのである

そんな純朴な俺だったので、サークルでは三人の友人が出来た。

新歓花見で、

増田君も目が濁ってるね!」

的なことを馴れ馴れしく言って話しかけてきた眼鏡と、その仲間の2人である

オタク的な会話も弾み、一緒に起業しようぜ!と桃園の誓いばりのズッ友宣言をした俺達は、計4人で「良い感じのオタク起業をやろう!」「やろう、やろう」という話になった。

まあ、大体そんなサークルには卒業生資本家が引っ付いてるのは皆様ご存じだと思う。

いい感じのプランをぶち上げ、投資家様たちにプレゼンし、3次審査くらいまで通すと出資、晴れて学生社長になれるってわけだ。

東京三田会起業していた知り合いのゴミがいたので、そいつにみんなで色々と話を聞きつつ、

仲間三人と練り上げたプレゼンで、無事に2000万ほどの融資を受けることに成功した。

『結局のところ、お洒落っぽさが重要だ』という三田会プレゼンメソッド大分役に立った。

まあ、立ち上げ段階になったらめんどくさくなったので、300万ほど掠め取って、俺はその企画からはイチ抜けしたんだが。

その後、そいつらとは連絡を取っていないので、どうなったのかは知らない。

「やはり、他人と何かをするという作業が俺は嫌いだ」ということを再確認できたという意味では意義はあったと思う。

足抜けした理由はもう一つあって、

一緒にやってたら何か出資詐欺かに騙されそうで怖くなった、というのもある。

事実、そのころは東大とかでも出資詐欺流行していて、100人東大生に1000万与えて起業させ、成功した奴から毟るというスキーム漏れ聞こえてきた。ひどい話だ)

京大生って無駄に『俺達は頭が良いから騙されるわけがない』とか考えてそうで、まあ、アレだ。ピュアなんだよな、みんな。俺もだが。

ということで、300万を無償で手に入れた俺だったのだが、あっという間に無くなってしまった。やはりゴミみたいな手段で手に入れた金はゴミ扱いしてしまう、ということなんだろうな。

最後の方は、ユニセフだか何だかに30万くらい、寄付として突っ込んだ記憶がある。(やはり、俺は心の底では優しき善人だからだろう)

まりサークル活動はあまり充実させることができなかった。

ついでに、元々、勉強というものほとんどしたことがないので、大学講義もあまり面白くなかった。

なんだっけか、山籠もりに行って休講にする教授いたじゃん。それくらいかな、記憶に残ってるのは。

京大生一人当たりに確か300万だか400万だかの税金が投入されているらしいが、まあ無意味な金の使い方を国家もするもんだよなあ。

そんな感じだったので、特に何も学ぶことなく、京大卒業した。

それからが大変で、俺は社会の役に立つような仕事をしたいなあ、とふんわり思っていたのだが、

結局、健康器具を売るゴミみたいな仕事に就く羽目になってしまった。

何の成功体験もなく、学び舎で何も経験も積めなかったコミュ障の末路としか言いようがなかった。

あんまり言うと特定されるので言わないが、単価200万~300万くらいの器具を売る仕事だ。

スーパー駐車場とかでテントを張ってたら、そこには俺がいる可能性がある。

ハッキリ言って効果が額面に見合っているかというと、見合っていないと思うし、

社長が幻●舎から本を出すので社長の素晴らしい所を10個皆挙げましょう!』とかやるような会社である。まあ、社会ゴミってやつだな。

あと、ニトリとかで売ってそうな2000円の棚とかを20万くらいでオプションとしてつけたりもする。書いてて辛くなってきた。

何が嫌って、俺はその手の仕事が、意外にも滅茶苦茶向いていたということだ。

先輩曰く『老人受けする幼い顔をしている』とのことだった。良く言えば孫フェイス、悪く言えばチー牛・弱者男性フェイス所謂あいう顔立ちのことだ。

そんなこんなで、売上は年間2億円ほど立ててしまっている。

まり、年間100人弱の御老人をだまくらかしてシノギとしているという計算になる。(俺の給料には還元されないんやけどな)

何が言いたいのか総括する。

弱者男性コミュ障は老人向けの営業が向いてるのかもねって希望寓話であり、

善人が、学歴いかに積んでもコミュ障というだけでこういう詐欺まがいの仕事に就いてしま社会だという絶望的な話でもある。

今日も、仲良くなったお客さんのお爺ちゃん祖母ちゃんからもらった野菜の山、米の塚を消費する日々である

それもこれも全部『ガラスの床』のせいだ。俺はもっと、金になんてならなくていいから、人の役に立つ仕事がしたかった。

日本学業制度はやはり、おかしいと思う。

2023-03-08

anond:20230308200102

偉そうに味わっているフリして実際には何もわかってない駄目なコレクターという寓話なんだろ。

こんな文学性の高い人格破綻を起こした人間がいるわけないからな

大学生になってから映画いっぱい観て、有名どころはざっくり抑えた。それでも未だ、ガキの頃DVDが擦り切れるくらい観たスターウォーズが与えてくれた興奮や、空想の素晴らしさの何たるかを未だ超えることがない。

SWが名作なのもあるし、慣れや愛着による補正も大きいと思う。でも何より、自分フィクションに求めてるものが、現実から離れる所にあるからだと思う。

作り話は素晴らしい。

心躍る物語はそれだけで観る価値がある。それに寓話を混ぜ込めば、理屈だけでは至らない納得の境地に実感を以て現実に思いを馳せる事ができるだろう。

劇的でなくとも、リアルっぽい人間関係ちょっとの嘘の愛を込めたら、たちまち胸打たれるものになる。それを観て、自分人間関係を顧みるのも良い。

でも自分もっと、遠い昔、遥か彼方の銀河系へ連れて行ってくれるような物語が好きだ。

SWも友情や愛に恵まれなかった親と恵まれた子の人間ドラマを対比的に描き出す。それは勿論大きな魅力だ。しかし何より、その世界観自分を惹きつけてならない。

色んな容姿生物、色んな機械が色んな言葉を交わし合う。現実を見ているだけではとても辿り着けない興奮に誘ってくれる。空想からこそ、空想しか行けない、現実限界を超えた場所だ。

ヒューマニズムに胸打たれ人の愛を信じるも良し。逆に露悪的なストーリーに触れて人の善性の限界を考えるも良し。不条理物語を観て世界無常を感じるも良し。作り話のナラティブを通じて社会問題に関心を抱くも良し。

でもやっぱり、ライトセーバーを振り回す妄想には勝てない。空想であっても、その時感じる喜びは紛れもなく現実のものだ。

anond:20230307213043

いや狩猟採集時代も仲間を殴ったり殺したりしちゃダメだったろ。

寓話なら寓話らしく書け。さもなくば嘘つきでしかない。

2023-03-07

エンタメ寓話として優れているとは思うが

いくらかかってんだよ・・・

クールジャパンやめて今度は宇宙開発でチューチューしようというムーブに思えてならない

2023-03-03

anond:20230302153429

どの視点で言ってるのか明確にしないと意味わかんないよ

国の目線で貢献してるとかしてないとか

個人目線生き方とか

国は個人生き方干渉しないし干渉するなら個人生き方なんてないしなにがどうなの

金持ってて働いてないやつが憎いから金奪い取ってばらまいてほしいってことなんでしょ?

老人が死んだほうがいいとか邪魔とかって話が昨今話題だけどさ

昔姥捨て山みたいな寓話があったとか言うけどさ

まずね不要人間というのが発生するということについて考えてみてよ

老人の話ね

年取ったら邪魔から死ぬべきってするじゃん

じゃあ一定の年齢で終わるってことにするじゃん

するとある一定の年齢で「あ、もうこれ失敗人生でいいことないまま賞味期限迎えるじゃん」ってなるでしょ

この時点でわかるよね コンビニエシカル商品容認されるようになったあのお勤め品

その前はどうなってた? 商品価値を維持するために安売りなんかせず廃棄してたよね

その廃棄品を従業員が食べちゃダメなんだよね ちゃんと損失で計上するために

リミットを迎える前に望みの地点に到達できなかった人はもう割引になるんだけどさすがに人間には脳があって心があるじゃん

安売りでもなんとか社会に貢献するためにリミットまで使い切ってほしいと頑張る誠実な人たちになるって思う?

その先いくら努力しても臨んだものが入らない苦行の人生が確定してたらどうする?

あきらめるか自暴自棄になるかどっちかでしょ

それが施行時はその1年前の人たちからかもしれないけどそれが1年前が無茶をするおかげで2年前3年前と社会あきらめを感じる人がどんどん低年齢化するだろうことは想像に難くないよね

二十歳までに何々できなければ終わってる みたいなことになれば実質「定年二十歳」までみたいなことになるよ

障碍者についてもだけどさ 老人と同じように不要論とか出すとするじゃん

すると何をもって障害とするか不要とするかって話になるよね 先の老人の話と同じで

人間はまだクローンで生まれてこれないか人間製造って基本ガチャなんだよね

仕分け不要人間が出るってことになると「実質人間生産ゼロ」の年とか出る可能性があるわけだよね

それとあわせていま生きてる人間も修理ができるわけじゃないからいつでも転落する可能性があるんだよね

復帰できるとかその状態でも受け入れられるとしない場合は「有能な種」しか残らなくなるわけだよね

全員な有能な種なわけ

なにかのミスダメになったり運で病気やケガでダメになったりするわけ

じゃあケガしてだめになるかもとか怪我するかも病気になるかもって配属になったりなったかもって思ったらどうなる?

そういうところに行かされそうとかだれかがそれをしなきゃとかになったら

もう社会から排除されちゃうの決まるとかきまりそうとかなったらサーイエッサーで国家に尽くしきろうとがんばる?

なんにもしてなくてもただの運で社会から捨てられるってなったら「ありがとうございました」って敬礼して焼却炉にとびこめる?

そりゃ先の老人の話と同じで自暴自棄になるか破壊行動にでるんじゃない?

全員が純朴で国家のためなら命ももったいなくない愛国一辺倒のがんばりやさんだけが有能な種として機能するのが理想社会っていうならいいけどさ

しかもそれらが死ねっていわれたら「はいよろこんで」って返事するような「有能な種」ばかりだったらいいけどさ

どうかんがえてもそうはならんでしょ

2023-03-02

anond:20230220025556

願わくばこの話がよくできた「寓話」でありますように。

実話だったらあまりに酷い。

自分キャリア捨てて家庭を支える側に回ったら嫁さんの不倫相手から意味不明罵倒をされて、

当の嫁さんからはこんなところで「便利なだけで男としての魅力なし」と公開処刑のような目に合うという

一人の人間としてトドメを刺されるばかりか死体蹴りのような目にまで遭うとはあまりにも救いがなさすぎる。

2023-02-28

昔読んだ絵本ものぐさトミーってのがあった。歯磨きフロ食事着替えを全部機械に任せて、一日で唯一の作業は長い階段に登ってベッドまで辿り着く事だけ。ある日機械が壊れて……って寓話だった。

当時、コイツは何を目的に生きているんだろう、その機械は誰が整備して消耗品を補充しているんだろうと不安になった。

やりたい事とかないから全部機械にやってもらって生きていたいって人を見ると、似たような感情を抱く。

最近観た映画

バグダッド・カフェ:中盤までは退屈だったけど、主人との友情が芽生えて居場所を得始めてからは良かった 人情モノだけど押し付けがましくなくて、どこか淡々としていたのが良かった

13日の金曜日(1、2、8):ワンパターン面白くなかった 8は全然NYに行かなくて求めてたシーンは数分くらいだった

エボリューション:まんま宇宙人ゴーストバスターズ 軽妙な会話をメインに気楽に観られる感じで面白かった

ゲット・アウト黒人へのズレた敬意とアウェー感が一番のホラーだった 眼差される不快感はNOPEでも描かれていたし、大切なテーマなんだと思う

アス:ゲット・アウトに比べて、テーマと描き方が抽象的で分かりにくかった 一応種明かしはされど、不条理のままな部分も多かったので、そこはホラーとして陳腐にならない気がして好き 寓話としての解釈ゆとりも広がるというもの

ドクタースリープシャイニングの続編というよりは世界観を共有する別作って感じ ホラーというか能力バトルだった 銃で倒せる相手は銃で、という所がなんか納得感があって良いね 銃で倒せちゃうかいって気もするが

ブラッククランマン面白かった 黒人はもとより、WASPのつもりでいるユダヤ教徒自身社会的属性と向き合うのが良かった 最後いきなりマイケル・ムーアめいた感じになって、エンタメとして消費して終わる、ともすれば外部化してしまう呑気な観客を逃さない感じも良かった

ブレット・トレインキル・ビルとか忍殺のエッセンスアンジャッシュで包み込んだ感じで面白かった トーマス義務教育を終えた男とか、セコい脅迫で人を自分反抗期に巻き込むクソ女とか、キャラが立ってて良かった 米原のシーンは、ニッチさに加えて自覚的なトンチキですよというエクスキューズのようにも思えてウケた

レザボア・ドッグス倉庫での画が続く密室サスペンス?で舞台っぽさを感じた 冒頭の他愛ない会話があんまりハマらなかったけど、オープニングはかっこよかった 人の良さが裏目に出るのは辛いね 徐々に明かされるバックボーンを踏まえて繰り返し観ると面白いのかもしれない オープニングロールタランティーノ出てるんだって思ったけど、顔を知らんから誰が彼なのか分からんかった

2023-02-26

anond:20230226113250

若者のために高齢者は死んで道を譲れ!」と主張して

ようやくその主張が通ったと思ったら死を強制されるのは

当時主張した若者たちだったって何かの寓話みたいだな

2023-02-22

anond:20230222135245

マシュマロお気持ちが来たところで採用しても意味のない意見だったりするから気にしなくていいよ』って言葉をこの日記内包しています

そして売れないVTuberは『そんな荒らしでも折角開設したところに反応が来るのは嬉しい』と書いてしまうのでした。

これは現代寓話です。

2023-02-20

下方婚妻に捨てられ、何も残らぬ哀れな夫」の男女逆転は成立するか

https://anond.hatelabo.jp/20230220025556

話題になっていた↑の記事

気になったのが、ブコメに「男女逆転したら山ほどある話」「女性が酷い扱いをうけてきたという気づきをもたらす寓話」みたいな意見が多かったこと。

最初は確かに! と思ったが、よくよく考えるとなんか違和感あるな・・・と。

 

というわけで、個人的に考えた結論を先に書くと以下のような感じ。

●「家事従事してきた側が、稼ぎ頭側の身勝手で切り捨てられる」というケース自体女性の方が多いはず

しかし、多くの場合元増田アラフォー夫ほど悲惨な事にはならないのでは

この結論根拠を書く前に、まずは元増田の設定を振り返る。

28妻と29夫で結婚現在は38妻、39夫くらいの年齢。子供なし。

結婚時に、収入で劣る夫側は退職すること・主夫業従事することに同意している。

③妻側は家事を一切せずキャリアを積み、一方夫は家事に専念するため仕事契約社員程度。

④妻側が不倫し、夫への愛が冷めたため切り捨てるかも。

離婚したら夫は低賃金キャリアなしのアラフォー人生お先真っ暗。

このうち、②~④までのケースは、言われているように男女逆のケースが多いと思う。

言わずもがな日本は「夫が外で働き、妻は家を守る」という体制が続いていたわけだし、

女性社会進出が進んだ今でも、主夫よりは主婦の方が多いだろう。

また、そうした状況下にあって、「家庭を顧みない夫が外で不倫してくる」という事態が一部で発生してきたことも同意する。

 

ただ、そうした多くの男女逆転離婚ケースで、離婚した妻側が⑤の夫ほど悲惨事態になるケースは早々無いのではないかなーと。

 

そもそも子供がいるケースの方が多いのでは

まず、10年も婚姻関係が続いていれば、元増田と違って子供がいる家庭の方が多いだろう。

元増田のように女性側がバリキャリなら、産休によるキャリアの中断とかを嫌って子作りに消極的になることもあるかもしれないが、

女側が専業主婦、男側が仕事に専念という関係なら、特にそういうこともないだろうし。

あとは子供嫌いで作る気がないとか、不妊要因があるとかいうケースを除いていけば、おそらく子供有り家庭の方が多く残るはず。

 

そして子供がいる場合、「家事育児をしない夫」と「主婦の妻」なら親権はほぼ間違いなく後者にいく。

そうしたら、元増田の哀れな夫と違って、主婦側には子供というかけがえのない財産が残ることになる。

もうこの時点で、元増田夫よりは圧倒的に人生希望があるだろう。

(ただし、妻側が子供を引き取ることを望んでおらず、かつ消去法的に押しつけられる形になればより地獄かもしれないが・・・。)

 

再婚チャンスの差異

次に子供がいない場合は、この立場に置かれたとき男性女性、どちらの方が"詰んでいる"かというのが問題になる。

これに関しては、元増田の夫のような男性側の方が厳しいのではないかと。

優れた才能が無ければ、ここから高収入に転ずるのは男女とも厳しいと思うが、

稼ぎ手との再婚により、再び経済的に安定した状況で主婦業に戻れるチャンスがあるという面で、女性の方がまだ希望があるのではと。

女性側としても、アラフォーまでいけば妊娠可能性が低いのはかなりハンデになるだろうが、

それでも主夫に比べたら主婦の方がまだ婚活市場での需要はあるだろうし。

あと、男性側は経済力の高低が性的魅力に反映される側面が女性よりも強いので、そこが欠けてしまうとなるとかなり厳しいと思う。

 

社会的地位の差違

そして、子供もおらず、かつ再婚チャンスもかなり厳しいという条件まで絞れば、

ようやく元増田夫と近い境遇になってくる。

ここまでいけば男女差はだいぶ縮まってくるとは思うが、

強いて言えば、「10年たいした職歴がない男」と「10年たいした職歴がない女」であれば、前者の方が周囲から白い目で見られ、社会立場が厳しいんじゃないかなと。

女性側で働いていない期間が長いのは、育児期間等でそうなるケースが珍しくないだろうし。

裏を返せば、真の男女平等がまだ実現出来ていないということでもあるんだろうけど。

 

というわけで以上。

基本的シチュエーションとして男女逆のケースの方が多いのは同意するけど、

希少な主夫側だからこそ、元増田の夫はよくある男女逆のケースよりも地獄度合いが強いのでは・・・という話でした。

 

ちなみに元増田の著者自身に、そういうミラーリング的な意図が合ったのかは分からないが、

記事自体は、主夫への転身に潜むリスクを実感させるものとして非常に面白かったです。

いろんな現実的事情を考えるとやっぱり下方婚、それも主夫前提ってのは厳しいものがあるよなーと。

もちろん実際にその体制をとってて、かつ上手くいってる夫婦尊敬するし幸せになってもらいたいが。

2023-02-17

政治的に正しい寓話

映画館ホラー見てたらドアを開けて「この映画グロテスク不愉快!」って叫んでる人がいたんだ

その通りだったので私はいたく感動し映画館オーナー配給会社に対して訴訟をしたんだ

2023-02-09

anond:20230208111849

だーれも質問してこなくて、酸っぱい葡萄寓話のように否定的コメントばっかりで笑っちゃった。

キョロ充半笑い感が漂う良い表現だ。

2023-02-08

現状ではチャンネル登録者数2万いれば余裕で生きていけるよ

https://anond.hatelabo.jp/20230207212531

あのう・・・嘘つくのやめてもらっていいですか。

このVTuberさん、「毎日動画投稿している」前提ならチャンネル登録者10000名あればギリギリ一人なら生活していけるよ。

私は日曜日以外毎日投稿し続けてて、チャンネル登録者数は2.34万人だけど半年から独立して生きてるよ。(独立した時点では1.98万だった)

だいたい1つの動画再生数は5000~7000程度。これで動画から広告収入だけで33万円くらい。3月年末だと50万くらいになるよ。それからメンバーシップ(490円コースと1190円コースで合わせて150人くらい)から収入10ちょっと。完全にYouTube依存じゃなくて、他にもBoothやったりnoteやったり支援サイト使ったりしてる。合わせれば社会人として働いていた時よりは所得2倍くらいになってる。控除が使えない部分あるから手取りは1.5倍程度だけど十分。最近アフィリエイトもチマチマと収益が出るようになってて今年はさら100万から200万くらいは積み増しできそう。

チャンネル登録者数1万人本当にいるのに全く生活できる気がしないというなら不正方法チャンネル登録者数を集めているんじゃないのかな?あるいは何か盛ってるでしょ?そうやって、周りにええかっこしようとして、その結果現実とのギャップがあるから死にたくなるんじゃん。増田虚構自分を作ってないで、ちゃん現実と向き合いなよ。ダサい

ここは勘違い可能性があるから取り消しとくね。ごめんね。

具体的に質問してくれたらちゃんと答えるつもりで書いたんだけども100ぐらいコメントあってだーれも質問してこなくて、酸っぱい葡萄寓話のように否定的コメントばっかりで笑っちゃった。他の人からはてなって人の話をちゃんと聞かずに自己完結してぶつぶつ独り言を言ってばっかりいるコミュ障集団だと聞いてたけど今回の反応を見てると彼女説明があまりに的確過ぎるな?

[]シュレーディンガーの猫のいくつかの解釈

シュレーディンガーアインシュタインに宛てて、量子力学コペンハーゲン解釈の重大な欠陥を明らかにするために、架空実験装置を作った。この解釈では、量子系は外部の観測者と相互作用するまで、2つ以上の状態の重ね合わせに留まるとされる[1]。

この効果を、原子というミクロ世界特殊性として片付けることはできるかもしれないが、その世界が、テーブル椅子、猫といったマクロ日常世界に直接影響を及ぼすとしたらどうだろうか。シュレーディンガー思考実験は、それを明らかにすることで、量子力学コペンハーゲン解釈不条理を明らかにしようとした。 粒子が重ね合わされた状態にあることは、一つの事実だ。しかし猫はどうだろう。猫はどちらか一方にしかさないし、死んだり生きていたりもしない。

ガイガーカウンターの中に、ほんの少しの放射性物質が入っていて、1時間のうちに原子の1つが崩壊するかもしれないが、同じ確率で1つも崩壊しないかもしれない。このシステム全体を1時間放置しておくと、その間、原子崩壊していなければ、猫はまだ生きていると言うだろう。システム全体のΨ関数(波動関数)は、その中に生きている猫と死んだ猫(表現は悪いが)が等しく混ざり合っていることで、このことを表現している。

この思考実験意味合いについては、多くの現代的な解釈や読み方がある。あるものは、量子力学によって混乱した世界に秩序を取り戻そうとするものである。また、複数宇宙複数の猫が生まれると考えるものもあり、「重ね合わせられた猫」がむしろ平凡に見えてくるかもしれない。

 

1. シュレーディンガーのQBist猫について

通常の話では、波動関数は箱入りのネコ記述する。QBismでは、箱を開けたら何が起こるかについてのエージェントの信念を記述する。

例えば、Aさんがギャンブラーだとしよう。ネコの生死を賭けたいが、量子波動関数が最も正確な確率を与えてくれることを知っている。しかし、世の中には波動関数のラベルがない。自分で書き留めなければならない。自由に使えるのは、Aさん自身過去の行動とその結果だけである。なので結果として得られる波動関数は、独立した現実を反映したものではない。世界がAさんにどう反応したかという個人的歴史なのだ

今、Aさんは箱を開けた。死んだ猫、あるいは生きている猫を体験する。いずれにせよ、Aさんは自分の信念を更新し、将来の出会いに期待するようになる。他の人が不思議な「波動関数崩壊」と呼ぶものは、QBistにとっては、エージェント自分の 賭けに手を加えることなのだ。

重ね合わせを形成するのはエージェントの信念であり、その信念の構造から猫について何かわかる。なぜなら、波動関数は、エージェントが箱に対して取り得るすべての行動(相互排他的な行動も含む)に関する信念をコード化しており、Aさんの信念が互いに矛盾しない唯一の方法は、測定されていない猫に固有の状態が全く存在しない場合からである

QBistの話の教訓は,ジョン・ホイーラーの言葉を借りれば参加型宇宙であるということである

 

2. ボーミアンについて

量子力学コペンハーゲン解釈によれば、電子のような量子粒子は、人が見るまで、つまり適切な「測定」を行うまで、その位置を持たない。シュレーディンガーは、もしコペンハーゲン解釈が正しいとするならば、電子に当てはまることは、より大きな物体特に猫にも当てはまることを示した:猫を見るまでは、猫は死んでいないし生きていない、という状況を作り出すことができる。

ここで、いくつかの疑問が生じる。なぜ、「見る」ことがそんなに重要なのか?

量子力学には、ボーム力学というシンプルでわかりやすい版があり、そこでは、量子粒子は常に位置を持っている。 猫や猫の状態についても同様だ。

なぜ物理学者たちは、シュレーディンガーの猫のような奇妙でありえないものにこだわったのだろうか?それは、物理学者たちが、波動関数による系の量子的な記述が、その系の完全な記述に違いないと思い込んでいたかである。このようなことは、最初からあり得ないことだと思われていた。粒子系の完全な記述には、粒子の位置も含まれるに違いないと考えたのである。 もし、そのように主張するならば、ボーミアン・メカニクスにすぐに到達する。

 

3. 知識可能性について

シュレーディンガーの猫の本当の意味は、実在論とは何の関係もないと思う人もいる。それは、知識可能性と関係があるのだ。問題は、量子世界が非現実であることではなく、量子系を知識対象として安定化できないことである

通常の知識論理では、私たち質問とは無関係に、知るべき対象がそこに存在することが前提になる。しかし、量子の場合、この前提が成り立たない。量子力学的なシステムに対して、測定という形で問いを投げかけると、得られる答えに干渉してしまう。

 

4. 反実仮想的な本質

シュレーディンガー実験には、3つの基本的意味がある。

これらの本質的な特徴は「反実仮想」であり、何があるかないか現実)ではなく、何が可能不可能かについてである。実際、量子論の全体は反実仮想の上に成り立っている。反実仮想性質は、量子論運動法則よりも一般的であり、より深い構造を明らかにするものからだ。

量子論後継者は、運動法則根本的に異なるかもしれないが、反実仮想性質を示すことで、重ね合わせやエンタングルメントさらには新しい現象可能になるだろう。

シュレーディンガーは、仮想的な猫の実験で何を言いたかったのだろうか?現在では、シュレーディンガーは、量子論は、猫が死んでも生きてもいない浮遊状態にある物理可能性を示唆していると主張したと一般に言われている。しかし、それは正反対であるシュレーディンガーは、そのようなことは明らかに不合理であり、そのような結果をもたらす量子論理解しようとする試みは拒否されるべきであると考えたのである

シュレーディンガーは、量子力学波動関数は、個々のシステムの完全な物理記述提供することはできないと主張したアインシュタイン-ポドロスキー-ローゼン論文に反発していたのであるEPRは、遠く離れた実験結果の相関関係や「spooky-a-distance(不気味な作用)」に着目して、その結論を導き出したのである

シュレーディンガーは、2つの前提条件と距離効果とは無関係に、同じような結論に到達している。彼は、もし1)波動関数が完全な物理記述提供し、2)それが「測定」が行われるまで常に彼自身シュレーディンガー)の方程式によって進化するなら、猫はそのような状態に陥る可能性があるが、それは明らかに不合理であることを示したのだ。したがって、ジョン・ベル言葉を借りれば、「シュレーディンガー方程式によって与えられる波動関数がすべてではないか、あるいは、それが正しくないかのどちらか」なのである

もし、その波動関数がすべてでないなら、いわゆる「隠れた変数」を仮定しなければならない(隠れていない方が良いのだが)。もし、それが正しくないのであれば、波動関数の「客観的崩壊」が存在することになる。以上が、Schrödingerが認識していた量子力学形式理解するための2つのアプローチである。いわゆる「多世界解釈は、1も2も否定せずにやり過ごそうとして、結局はシュレーディンガー馬鹿にしていた結論に直面することになる。

 

5. 波動関数実在論について

シュレーディンガーの例は、量子システムの不確定性をミクロ領域に閉じ込めることができないことを示した。ミクロな系の不確定性とマクロな系の不確定性を猫のように絡ませることが考えられるので、量子力学ミクロな系と同様にマクロな系にも不確定性を含意している。

問題は、この不確定性を形而上学的(世界における)に解釈するか、それとも単に認識論的(我々が知っていることにおける)に解釈するかということであるシュレーディンガーは、「手ぶれやピンボケ写真と、雲や霧のスナップショットとは違う」と指摘し、量子不確定性の解釈はどちらも問題であるとした。量子もつれは、このように二律背反関係にある。

ベルが彼の定理実験的に検証する前、量子力学技術が発展し、もつ状態実在性を利用し、巨視的なもつシステムを作り出す技術が開発される前、形而上学的な雲のオプションテーブルから外されるのが妥当であった。しかし、もしもつれが実在するならば、それに対する形而上学的な解釈必要である

波動関数実在論とは、量子系を波動関数、つまり、死んだ猫に対応する領域と生きた猫に対応する領域で振幅を持つように進化しうる場と見なす解釈アプローチであるシュレーディンガーが知っていたように、このアプローチを真面目に実行すると、これらの場が広がる背景空間は、量子波動関数自由度を収容できる超高次元空間となる。

 

6. 超決定論について

不変集合論IST)は、エネルギーの離散的性質に関するプランク洞察を、今度は量子力学状態空間に再適用することによって導き出された量子物理学のモデルであるISTでは、量子力学連続ヒルベルト空間が、ある種の離散的な格子に置き換えられる。この格子には、実験者が量子系に対して測定を行ったかもしれないが、実際には行わなかったという反実仮想世界存在し、このような反実仮想世界は格子の構造矛盾している。このように、IST形式的には「超決定論」であり、実験者が行う測定は、測定する粒子から独立しているわけではない。

ISTでは、ISTの格子上にある状態は、世界アンサンブル対応し、各世界状態空間特別な部分集合上で進化する決定論的系である非線形力学理論に基づき、この部分集合は「不変集合」と呼ばれる。格子の隙間にある反実仮想世界は、不変集合上には存在しない。

アインシュタインは、量子波動関数は、不気味な距離作用や不確定性を持たない世界アンサンブル記述していると考えていたが、これは実現可能である特にシュレーディンガーの猫は、死んでいるか生きているかのどちらかであり、両方ではないのだ。

 

7. 関係量子力学について

シュレーディンガーの猫の寓話に混乱をもたらしたのは、物理システムが非関係的な性質を持つという形而上学仮定である。 もし全ての性質関係であるならば、見かけ上のパラドックスは解消されるかもしれない。

猫に関しては、毒が出るか出ないか、猫自身が生きているか死んでいるかであるしかし、この現象は箱の外にある物理系には関係ない。

箱の外の物理系に対しては、猫が起きていても眠っていても、猫との相互作用がなければその性質は実現されず、箱と外部系との将来の相互作用には、原理的に、猫がその系に対して確実に起きていたり確実に眠っていたりした場合には不可能だった干渉作用が含まれ可能性があるからだ。

まり波動関数崩壊」は、猫が毒と相互作用することによって、ある性質が実現されることを表し、「ユニタリ進化」は、外部システムに対する性質の実現確率進化を表すのである。 これが、量子論関係論的解釈における「見かけのパラドックス」の解決策とされる。

 

8. 多世界

物理学者たちは古典物理学では観測された現象説明できないことに気づき量子論現象論的法則発見された。 しかし、量子力学科学理論として受け入れられるようになったのは、シュレーディンガー方程式を考案してからである

シュレーディンガーは、自分方程式放射性崩壊の検出などの量子測定の解析に適用すると、生きている猫と死んでいる猫の両方が存在するような、複数の結果が並列に存在することになることに気づいた。実はこの状況は、よく言われるように2匹の猫が並列に存在するのではなく、生きている1匹の猫と、異なる時期に死んだ多数の猫が並列に存在することに相当する。

このことは、シュレーディンガーにとって重大な問題であり、量子測定中に量子状態崩壊することによって、量子系の進化記述する方程式としての普遍的有効性が失われることを、彼は不本意ながら受け入れた。崩壊は、そのランダム性と遠方での作用から、受け入れてはならないのだろうか。その代わりに、パラレルワールド存在が示されれる。これこそが、非局所的な作用回避し、自然界における決定論を守る一つの可能である

[1] https://en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat

2023-02-05

anond:20230205082849

軽トラのホロが当たってしまう高さ制限のあるホームセンター駐車場

どういう立地条件なのかうまく想像できないんだけど、

仮にそういうところがあったとしたら、これは当たるなと見れば判断がつきそうな気はする。

まあ乗りなれていない車で普段運転で高さを気にするような習慣はないだろうからぶつけてしま可能性は否定しない。

でも過失責任運転者にしかないだろうからどういった風に争えば賠償金額を少なく出来るんだろう?

やっぱり弁護士はいろんな技をもってるから上手いことやるんかな。

あるいはColabo関連には多い、ひとつ寓話というかひっかけ問題のような話なのかな?

追記

noteに詳しい事情を書かれてますね。

2023-01-20

anond:20230120115759

なんかそれを皮肉った寓話ないっけ?

何々が規制されるとき私は関係ないので黙っていたって続けてたら自分の番になったときだれも声を上げてくれなかったみたいな奴。

2023-01-04

カズオ・イシグロ大体読んだけど好きかわからなくなった

わたしを離さないで」(2005)

臓器移植のために育てられた人間の子どもから大人になるまでの記憶を綴る。

かに美しい小説だ。子供から大人になるにつれて、見える世界は広がっていく。たとえそれがどれほど酷なものであろうとも、子供たちはそれを受け入れねばならない。語り手は振り返り、ひとつ出来事を大切に手の中で壊れやすい卵を計るように並べている。

読者も少しずつ、まるで語り手と一緒に育っていったかのように、事の真相を知らされていく。細やかな、性格を端的に示すエピソードミルフィーユのように繊細に重ね、誰もが持つ幼いころの記憶登場人物シンクロさせる手際は見事と言っていい。主役三人の性格の違いとそれによっておこる対立の見事さは、この小説SFというよりも性格劇に分類したくなるほどだ。夢中になってはまる本とは違うけれど、読む価値はとてもある。

しかしながら、感情描写文章リズムがうますぎるあまり、根幹のSF的設定が、ふと荒っぽい夾雑物にまで見えてきてしまう瞬間がないでもない。細密な建造物を支える、太すぎる柱にたとえればいいのだろうか。

そもそも臓器移植のためだったら、人間を育てるんじゃなくて臓器だけ培養すればいい。

どうも舞台となっている世界技術水準や、テクノロジー社会に与えるインパクトの細部の詰め方が幾分甘い。

日の名残り」(1989)

かつて仕えた主人が第二次世界大戦中に対独協力者で、それを理由戦後に没落したため、その屋敷を買った米国人に仕えることになった執事の話だ。カズオ・イシグロ本領である、決定的な本音事実意図的にあるいは無意識に隠したまま語り続ける居心地の悪さ、気持ちの悪さがいかんなく発揮されている。

熟読すると面白いが、何があったかは作中では基本的には明確に語られているのもいい。

かつてはほのかな思いを寄せていた同僚であった女中からも、今となっては過去の人とみなされており、最後自分人生って何だったんだという悔恨にさいなまれるシーンは最高だ。

かつての美しいイギリス風土と、失われた執事美徳悪徳について。感情に蓋をしがちで、行動原理自分の「したいこと」ではなく「なさなければならないこと」になっているひとにおすすめしたい。面白かったので英国メイド執事の本を何冊か読んだ。

遠い山なみの光」(1982)

長崎出身現在イギリスの片田舎に住む悦子(語り手)の所へ娘のニキがロンドンから訪ねてくるところから始まる。ニキが言及する悦子の生涯を、ニキからのまた聞きや、写真の印象だけから詩にしようとする詩人が出てくるのだけれども、なんだか作者自身創作する自分のことを批判的に見ている姿が透けてみえる。全体として、シングルマザーとしての苦しみが複数語られている。

これは褒め言葉としていうのだけれど、読んでいてずっと不穏な感覚をぬぐうことができず、いいようのない気持ちの悪さがある。たぶんその正体は登場人物の会話が互いの自己主張に終わっていて、基本的相手の話を全然聞いていないところにあるのだろう。会話の形をしているのに、対話になっていない。むしろ並行する独白だ。映画脚本のお手本的でもある。

最初のうちは、この違和感終戦直後日本人ならこんなあからさまな会話なんてしないだろうからにも思われた。しかし、明治文豪の名作だって、会話が人工的であることも少なくはない。ただ、この作品ほどのひどい噛み合わなさはまれな気がする。少なくともあちらでは噛み合わせようという努力はしている。

台詞説明したり議論したりする手法は、大抵は粗削りというか不器用な印象を与えるので好まないのだが、この場合コミュニケーション不全というか、相互理解の失敗の雰囲気をよく伝えていて、効果的だった。

浮世の画家」(1986)

情けないかつての画家の話。老い第一線を退いた後も、自分はまだ影響力があると思いこんではいたが、世間自分存在などすっかり忘れている。自分のしてきたことなど、大したことではなかったのではないか、それどころか完全な誤りだったのでは。歴史によってそう裁かれることに怯えている。老人にとって、今までのお前の人生は何だったのか、と問うことほど残酷なことはあるまい。

そのくせ、隠しようのない自己満足防衛がどこまでも続いており、かつては地位のあった老人はどこまでのその虚飾から自由になれない。計算したうえでのことかどうかわからないが、この翻訳日本経済新聞の「私の履歴書」の文体そっくりだと思ってしまうのは、私のやっかみであろうか。

やはりカズオ・イシグロ真骨頂は情けのない自己弁護にある。

充たされざる者」(1995)

よく、入り組んだ官僚機構カフカ的というけれども、どっちかといえばこの作品みたいなのがカフカ的な気がする。過去というか記憶曖昧で、自分そもそも何をしたいのかわからず、その場の判断だけで物語全体が動いており、映画なんかでは必須の究極の目的・ゴールも曖昧だ。「夜想曲集」所収の旅する芸術家あるある話がベースになった作品と同じにおいがする(この短篇集は切り口の優れた良き英国短編集といった趣だ)。

すべての事件が宙ぶらりんのままにされて進み、星新一ショートショートでその場限りの対応しかしない軽薄な男を主役としたこんな作品があった覚えがあったことを思い出したが、読んだときにはどうしてもタイトルが思い出せなかった。それは結局「未来そっぷ」に収録された「熱中」であるとわかるんだが、一番満たされていないのはきっと読者だ。

カズオ・イシグロテーマひとつコミュニケーション不全が前面に出ているだけでなく、筒井康隆虚人たち」を思わせるような、自分が何者であるかわかっていないのにさほど気にしていない空疎さがあり、何かを風刺しただけではないのだろうが、それはまだ読み取れず。

奇妙だ。自分他人記憶の壁が溶けて無くなってしまったみたいな語りであり、語り手は身内だと感じるとちょっとしたことですぐに激昂したりすすり泣いたりして、いったいどういう人物なのかとらえどころがない。すべてが宙づりで半端なまま物語が終わる。語り手はどの街を訪れても、延々と同じことを繰り返すのだろうか。

わたしたちが孤児だったころ」(2000)

両親に置いていかれたのはなぜか、そして母はどこに行ったのか。著者の中では一番残酷な話かもしれない。物理的な暴力よりもその結末が。地獄の寝取らせ小説であり、真理に近づこうとして全員が不幸になる。それでも、なお、愛そうと試みたし、愛されてはいたのだ。

息子が親父と同じ道ならぬ愛という過ちを犯しかけるのは残酷ユーモアがあふれているようでいて、ある種の試練であったのだろう。試練に打ち勝ったからと言って直接幸福になるわけではないのが皮肉でいい。

追記】目の前に日本軍軍艦が停泊してるのにのんきにパーティーしている租界の人々って嫌なリアリティがあった。

忘れられた巨人」(2015)

忘却テーマだが、P・K・ディックのようにアイデンティティ曖昧になっていく離人感よりも倫理的な面を問うているようだ。つまり戦争責任とか政治的意図的隠蔽とか。

国家組織的に目を背ける行為と、個人がつらい過去を忘れることによって救われることの両方が描かれている。ファンタジーもある程度は書けるのがすごい一方で、見たくないものを見ようとしない描写や、自分のことばかりで会話が成り立たない場面は健在。

ファンタジーにしては「危険度」とか「スタミナ」の訳文がちょっといかなとも思ったけれども(別に嫌だと感じるレベルではない)、これは現代日本語としては普通に受け入れられてるのかな。

あと、サクソン人の穴を掘った(ホビットみたいな)家の描写があるんだけれど、これって実際にそうだったのかな? サクソン人の家とググっても出てこなかった。

ちなみにル・グインはこの作品を好まないらしく、ウィキペディアには両者の対話引用されている。

のしようとしたことには敬意を払いますが、私には効き目がありませんでした。うまくいくはずがありません。どの作家文学ジャンルの表層だけをうまく使えません。その深みはなおさらです。そのジャンルと同一化することを恐れるほど軽蔑している限りは。読んでいて痛ましく感じられました。まるで、高いロープから落下しながら聴衆にこんな風に叫んでいるみたいでした。「私は綱渡り芸人と呼んでもらえるのかな?」と。

ル・グインには私の本が好きか嫌いかを決める資格がありますが、私に関する限りは誤ったほうの肩を持っているようです。私は(註:作中では不可解で不気味な存在として現れた)妖精や竜の側に立っています

シグロ氏のご意見をうかがえてうれしく思います。同氏の「私の作品ファンタジーだと人々は思うでしょうか?」という質問に対する、私の明らかな早急な返答に傷つけるような内容があったことをお詫びします。

クララとお日さま」(2021)

人工知能太陽光病気回復させる効果があると思い込むことで起きる珍妙な話だ。

どう考えても不合理で奇妙な信念に従い、偶然によって祈りが叶えられる話で、しか最後はただゴミ捨て場で朽ちていく。これは無神論者による宗教パロディではないか? と勘ぐってしまう。無神論者からすれば、いかなるかたちであれ神を信じる人々は、誤った信念にすがり、存在しない相手効果のない祈りをささげる哀れな人々だ。

カズオ・イシグロSFは、SF主食人間からすると、不合理か古い知識に基づくように感じられる設定が多く感動すべきシーンもそこが気になってしまう。

たとえば、明らかに危険能力向上処置子どもにするような社会は、現代から相当な価値観の変遷があったはずだし、かなりの時間を経ていないと起こりえないだろうが、長い時間経過に伴うテクノロジーの発達については述べられていない。スマホさえ出てこない。

カズオ・イシグロSF設定がときどきザルなのはリアリティレベル小説よりSF風の映画テレビドラマくらいにまで下げていて(下手をすれば寓話絵本レベルまで)、それは脚本家でもあったからなんじゃないかって考えたんだけど、そこまでたくさん脚本を書いていたかまではわからなかった。

かに技術的細部に立ち入らないので古くなりにくい一方で、そこが物足りなく感じられる。新しい技術だけをポンと現代に放り込んだ感じで、今と地続きな感じがして生活感があるのはいいけれど、技術によって完全に変容してしまった人類の心性がもっと欲しいと感じる。未来を描く意味はそこにあるんじゃないだろうか。

だいたい、フレーム問題解決というか一般常識インストールされてないスタンドアローン親友ロボットなんて危険すぎるだろう。誰もアップデートされないスマホなんて使っていない。SFはどこまでリアリティのある技術を出すべきかという問題もないではないが、短編ならともかく長編でこのネタをこれをやるのは、平均的理系知識を持つ読者にとってはかなりしんどい

結論

以上。読んだ順。

私が好きなのはカズオ・イシグロではなく「日の名残り」だった。

追記

わたしを離さないで」だけ既読、似た感想。この小説SFというより寓話に近いと思う(増田も書いてた)。ドナー人権周りの描写も臓器を貰う側の葛藤も削ぎ落とし、搾取される者の命の輝きのみに焦点を絞ってる感じ

こちらのブコメがとても素敵だったので引用させていただきました。不都合がありましたらお知らせください。

2022-12-26

anond:20221226112723

寓話のようなというブクマがついてたけどタイトルありきの作り話だよなぁって

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