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『文學界』2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界』公式アカウントも反論のツイートをした。
【訂正のお願い】今日発売の『文學界』3月号に寄稿した新人小説月評の末尾が編集部によって勝手に削除されました(左:本誌、右:最終ゲラ)。消された「岸政彦『大阪の西は全部海』(新潮)に関しては、そういうのは川上未映子に任せておけばいいでしょ、と思った。」の一文を追記してください。 pic.twitter.com/EeFtgele6Z— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
文學界3月号「新人小説月評」の筆者・荒木優太氏が、編集部に月評の内容を編集段階で勝手に削除されたとしてTwitterで抗議していますが、編集部の認識はまったく異なります。ここに経緯を記し、荒木氏の投稿に反論します。— 文學界 (@Bungakukai) February 5, 2021
のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評の倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。
https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/
最初に荒木氏の①【訂正のお願い】ツイートは2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明のツイートを行なっている。
言及ありがとうございます。詳しくは長文にて説明しますが、とりあえず、①「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり、私はメールにて「岸さんの箇所は現状ママでよろしくお願いします」という指示をちゃんと提出しています。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。
2. 『文學界』が「批評としてあまりに乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。
3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。
4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。
5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実をSNS等で吹聴する』」と返答する。
7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。
以上である。
さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである。
先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。
1. (略)
2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。
3. (略)
5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。
7. (略)
『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。
荒木氏の立場としては、編集部の意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。
「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?
一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しかし命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである。
では荒木氏のツイートと時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。
言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現「勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである。
これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界』から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。
私には物理的に手出しできないのだから「お好きになさるとよいでしょう」と言うほかないではないですか。私の意志をちゃんと理解した上で、削除を強行するのは編集権の濫用だと思います。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式上同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかに真である。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。
ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態で刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である。
本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評の倫理」から考えてみよう。
荒木氏は「削除されなかった」場合に作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。
そもそも、作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家・樋口恭介がしたとおりウェブに反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。
ちょうど1年前の『文學界』新人小説月評に対し、作家の樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。
樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的な評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈がそもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷氏から不適切であったと謝罪・撤回を得ることに成功している。非常に健全な批評的やりとりだった。
ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈が提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示したこの事例との比較から、「反論の余地を与えない表現は批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。
荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己に責任をもつところの私自身にとっての大切な創造物であるということだ」と述べる。結論はこうだ。
私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。
荒木氏の論理では創造物なのは「(無)感動」である。解釈そのものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である。
だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である。解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身からの反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくその規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。
月評の制限字数がわずかであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。
解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。
ある意味で当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。
これは余談。批評の主体は愛や敬意、と言う人がいるが、必ずしもそうではない。それを必須条件にしたものは読み物としては心地よいが批評ではない。批評の主体は、テキストと論理と緊張感。対象作品の書き手の思いや反応や背景など気にする必要は一切ない。ちなみに小林秀雄は批評家ではなく評論家— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) February 6, 2021
テキストも論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。
まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界』編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き上問題はないが、合理的ではなかった」というものです。
仮に削除せずに全文ママで掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます。
あるいはもし仮に改稿・削除提案が荒木氏自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木氏自身がSNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。
それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。
無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集の作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。
ただし荒木氏自身も批評を書こうとしているので(「「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります。
よって、時評の存在意義や読者の需要はコメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。
最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いています。コメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト・論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的な応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます。
出品された4問のクイズから、お好みのものを競り落としてください。
4問で5人なので、
買わなくても構いません。
クイズは全て
を持ちます。
2クール終了後、
最も得していた人が優勝です。
入札は1万円単位です。
② 以降、入室順に、提示された価格を上回る価格を提示するか、パスするか宣言をしていきます。
③ 誰かの入札額に対して全員がパスをしたら、その入札者が額面を支払って、商品を手に入れます。
このゲームでは、
・自分が損な買い物をしても
・他人が得な買い物をしても
負けるゲームです。
答えがわからないからといって入札を早くに降りてしまうと、他のプレイヤーが不当に安くそのクイズを落札してしまうかもしれません。
目利きならば狡猾に、
さもなくばギャンブルを。
クイズのような、
心理戦のような、
そんなゲームをお愉しみ頂ければ幸いです。
※ 細かい事が気にならない方は、
■ 表記揺れについて ■
外来語には、「カヴァー / カバー」のように、複数の表記があることがあります。
クイズの解答には、なるべく表記揺れのない語を選んでいますが、作品名などの決まったの表記方法があるものを除いて、本ゲームでは、【大辞林の表記法】に従うこととします。
ヴァヴィ → バビ
ファ/ツァ/ティ はそのまま
語末の長音は表記
×ファスナ ○ファスナー
※「何語?」「何駅」と聞いたら、解答に「語」「駅」は含みません。
③ 現在山崎賢人がモデルを務めるファッションブランド「A|X」の A って何?
■ ルール ■
出品された4問のクイズから、お好みのものを競り落としてください。
4問で5人なので、
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2クール終了後、
最も得していた人が優勝です。
入札は1万円単位です。
② 以降、入室順に、提示された価格を上回る価格を提示するか、パスするか宣言をしていきます。
③ 誰かの入札額に対して全員がパスをしたら、その入札者が額面を支払って、商品を手に入れます。
■ ゲームのコツ ■
このゲームでは、
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答えがわからないからといって入札を早くに降りてしまうと、他のプレイヤーが不当に安くそのクイズを落札してしまうかもしれません。
目利きならば狡猾に、
さもなくばギャンブルを。
クイズのような、
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そんなゲームをお愉しみ頂ければ幸いです。
※ 細かい事が気にならない方は、
■ 表記揺れについて ■
外来語には、「カヴァー / カバー」のように、複数の表記があることがあります。
クイズの解答には、なるべく表記揺れのない語を選んでいますが、作品名などの決まったの表記方法があるものを除いて、本ゲームでは、【大辞林の表記法】に従うこととします。
ヴァヴィ → バビ
ファ/ツァ/ティ はそのまま
語末の長音は表記
×ファスナ ○ファスナー
【問題例】
※「何語?」「何駅」と聞いたら、解答に「語」「駅」は含みません。
③ 現在山崎賢人がモデルを務めるファッションブランド「A|X」の A って何?
■ ルール ■
出品された4問のクイズから、お好みのものを競り落としてください。
4問で5人なので、
買わなくても構いません。
クイズは全て
を持ちます。
2クール終了後、
最も得していた人が優勝です。
入札は1万円単位です。
② 以降、入室順に、提示された価格を上回る価格を提示するか、パスするか宣言をしていきます。
③ 誰かの入札額に対して全員がパスをしたら、その入札者が額面を支払って、商品を手に入れます。
■ ゲームのコツ ■
このゲームでは、
・自分が損な買い物をしても
・他人が得な買い物をしても
負けるゲームです。
答えがわからないからといって入札を早くに降りてしまうと、他のプレイヤーが不当に安くそのクイズを落札してしまうかもしれません。
目利きならば狡猾に、
さもなくばギャンブルを。
クイズのような、
心理戦のような、
そんなゲームをお愉しみ頂ければ幸いです。
※ 細かい事が気にならない方は、
■ 表記揺れについて ■
外来語には、「カヴァー / カバー」のように、複数の表記があることがあります。
クイズの解答には、なるべく表記揺れのない語を選んでいますが、作品名などの決まったの表記方法があるものを除いて、本ゲームでは、【大辞林の表記法】に従うこととします。
ヴァヴィ → バビ
ファ/ツァ/ティ はそのまま
語末の長音は表記
×ファスナ ○ファスナー
【問題例】
※「何語?」と聞いたら、解答に「語」は含みません。
③ 現在山崎賢人がモデルを務めるファッションブランド「A|X」の A って何?
簡単に纏めるとグループ研究で何もしなかった人間をみんなの前で干したら私が叱られた話。
大学生の時にゼミ研究が必修であった。卒論に向けてのなんちゃってゼミ。個人でやる人が大半だったが、担当の先生の勧めから私は共同研究を選んだ。テーマが近い三人での共同研究、正直楽できるとも思った。
それが間違いだった。
他の二人は全く調べてこない、まとめてこない、期限とは如何に。共同研究は運命共同体。やらない二人に合わせていると私の単位まで危うい。他に担当を振っていたものまで必死に調べまとめ上げて中間提出。「次こそはこんなギリギリになりたくない」と思った私は、こまめにグループLINEで調べること等の指示を出した。
しかし二人から出されるものは毎回3行程度の頓珍漢なもの。こんなもので単位が得られるわけがない。
丁寧に言っても改善されない、やる気が見られない。段々学習性無気力になってきた私は、いつからか指示することも無くなっていった。
逆に私がバリバリやることで他の二人が「自分も何かやらなきゃ!」となってくれることも期待した。
が、無駄だった。
何度か「共同研究をやめたい」と担当の先生や総括の先生に相談したが、二人とも他の先生の指示に任せるとしか言ってくれなかった。
残念無念、また来年。
結局私はレポートを一人でまとめ、スライドを一人で作り、発表原稿も一人で書いた。原稿が出来て共有した際に最後の情けで、「何処読みたい?」と聞いた。「何処でもいい」としか返ってこなかった。
完全に一人で戦うモードになった私は、共同研究にも関わらず一人で全て原稿を読み、質疑応答にも答えた。他の二人は私の後ろで立っているだけだった。
質疑応答の際に、他の担当だった先生から、「共同研究なのに何故増田さんだけ発表しているのですか?」と質問があった。
私は「他の二人が何もしなかったからです。」と答えた。
全先生と全生徒(うちは小さな大学だったので)の前で我ながら清々しいくらいに言い切った。
全員からの「まじで言いやがった…」という空気の中発表は終了した。
その後私は総括のババアから呼び出され、みんなが講義室から出ていく中、デカい声で説教された。
ババアは
・みんなの前で言う必要がない
・お前には思いやりがない
・他二人に歩み寄ったのか
という点で私を責めた。
私もババアにめちゃくちゃ反論し、沢山のギャラリーの中最早喧嘩になった。
おめーもみんなの前で私のこと説教してんじゃね〜〜〜かよお〜〜〜〜〜〜〜
私からすれば、丁寧に毎週やってきてほしいことのLINEを入れ、お粗末な文章に対しても、「ここもう少し書いて欲しいな〜☆」と頑張って喧嘩しないように努めた。そもそもやらなかったやつが全て悪いだろ、なんで私が叱られなきゃならんのやとも思った。
私は私でやるべき最善は尽くしたし、なんならお前に共同研究辞めたいと直訴しただろ〜がよ〜〜〜
もしかしたら優しくしてる"つもり"になっていたのかもしれないし、発表を全部一人でやってしまうことは大人気ないとは思う。しかし、部下でも後輩でもない同い年の人間に対して情けをかけることは嫌だったし、私が必死に今までやってきたものを、最後の発表だけ「私もやってました!」と言う顔で参加されるのはどうしても嫌だった。(共同研究は発表の待ち時間も長いなど個人の子よりやることが沢山だった)
発表自体は共同でも、レポートは各自提出だったが、他二人の内一人はレポートすら字数が足りないままの提出だった。やる気のないやつに合わす義理はない。
こってり叱られた後、他の先生方からはこっそり「良かったよ」「大変だったね」等の言葉をもらった。自分が一生懸命やった研究を褒めてもらえたことは素直に嬉しかったが、それを総括のババアの前で堂々と言ってくれよと少し思った。
ババアの言うように歩み寄る余地があったのなら、半年間の共同研究の中で、自分がどのように他二人に歩み寄れば良かったのかわからない。吊し上げる必要がないと主張する総括のババアに、みんなの前で叱られた理由も未だにわからない。
私はあの時どうすれば良かったのだろうか。
大人の対応ならば、他の二人にも発表に参加させれば良かったことはわかるが、私の気持ちを消化するにはこれが最善だったとしか思えない。
社会に出る前のクソガキなんだから、小さい大学内でスカッとジャパンすることくらい許されるだろ〜がよぉ〜〜〜〜とも思っている。
思いつきでバッと書いたので文章がめちゃくちゃだがまた起きてから推敲します。
ババアまじでムカつくぜ。
((追記))
正直、「増田は間違ってない」という言葉欲しさのエントリだったので少しスッキリ。
F欄なのは間違いないです。資格専門の大学で小規模だったので、総括のババアが派閥を作り牛耳っているような大学でした。偏差値も低いので自分はしっかりと4年間で国家資格を取得したので、特に後悔はないです!
他二人に関してですが、レポートの字数が足りなかった一人は当たり前ですが単位認定されませんでした。ざまあみろと当時これまたスッキリしたことを覚えています。
もう一人は空気だったのでよくわかりません。この人はあまり世渡り上手なタイプではなさそうでした。
総括のババアは、THE女という感じの正直難あり教員だったのですが、仮にも上の人間に楯突いたのは私なので、大人になって後日謝りに行きました。こういう人間は謝っといた方が残りの学生生活不備なく過ごせると思ったので。
共同研究は内容と言うよりか、他人との擦り合わせを円滑に行う訓練的な意味合いを、教員側は求めていることも理解していますが、当時の私はどうしても許せなかったのでこのような愚行を行いました。
勝ち気で正義を押し通したがる癖があるので、そこは社会人になった今必死にすり潰しています。たまに悪癖として出ますが…😢
正直反応貰えないとも思っていたので嬉しいです。
“小児科医の友人が未だに「日本は先進国では一番コロナ感染死亡者数が少ない」と言ってドヤるので、別の世界に住んでるのかなと思ってしまう。今や先進国とは中国をはじめとしたアジア諸国のことを言うと、私は思っているのだが。彼は、最早目も当てられないほど壊滅的なアメリカとかを先進国だと言う🤔”
言いたいことは、わからんでもない。先進国という括りでは感染者が少ないことに満足せず、もっと広い目で感染者が少ない国を見習えということなんだろう。
しかし、この書き込みで友人の小児科医を攻撃する必要があったんだろうか。何か上手いこと言った風ではあるので、仲間内ではわりと高評価のツイートのようだが。
しかし、書き手の伝えたい事を表現するだけなら、友人の小児科医氏個人を攻撃する必要はどこにもないのだ。
友人の小児科医氏を攻撃したいがために、先進国の定義を好き勝手に変えて、その定義に沿っていない相手を勝手に非難してるという無茶苦茶な構図になっていて、私からすると「確かに『別の世界に住んでる』みたいですね」としか言えない。
“小児科医の友人が未だに「日本は先進国では一番コロナ感染死亡者数が少ない」と言ってドヤる。経済先進国の中では確かにそうかもしれないが、今やコロナ対策まで含めて考えると先進国はむしろアジア諸国のとこを言うのではないか、私は思っているのだが。最早目も当てられないほど壊滅的なアメリカとかを先進国だと見做していいのだろうか🤔”
これで良いではないか。経済観点だけで先進国と評価して良いのかと言う問題提起になっているではないか。もっとも、中立的な内容なので仲間内の評価は高くならないかもしれない。
小学生の時、宿題として毎日日記つけさせられてたんだが、あんま書くことがないんで「楽しかったです」あるいは「がんばりたいです」みたいなことを書いて字数を稼いでた
作文書くときも、後半毎回あと4行書ければ終わる!って感じになるから必死になんか前向きなことを書いてお茶を濁してた
その習慣が未だに抜けてない感じがする
ちょっと長い文章書くとクセで最後に前向きなことを書いてしまう
本当はそんなこと全然思ってないし、頑張らねえのに!
「俺を採用しなかったローソンで新人バイトを見かけると粗探ししてしまう癖」っていう増田が消えてたんだけど
今同人でもそんなふうなのが見えるから大変そうだなって思った話。
絵師Aさんと小説書きBさんが仲良くしてるのが気に食わない人がしつこく毒マシュマロおくってるようだ。
その毒マシュマロを送ってることによってAさんとBさんがとても親密にみえる。
なんならいずれ合同誌でも出しそうなふうに目立って見えてる。
AさんもBさんもそれぞれ人気ある人でジャンルカプとも同じだがジャンル歴と作風がよくみるとちょっと違う。
AさんならBさんのための表紙くらいなら書けるだろうけど、正直Aさんの作風は万人向けに訴える小説表紙向きではない。
ただ、普段の作風や事情を知ってればAB合作はたまらんものになる可能性はある。
Bさんも丁寧な描写でエロくなくても字数が伸びるタイプで似てるといえば似てるし着眼点も似てるんだろう。けど。
結局毒マシュマロを通報でいなせずに表面に出して生真面目に怒ってくれる、イジりがいがあるってのがこの人たちの最大の共通点なんですよね。
いくつか「毒マシュマロに対していっておきたいこと」をタイムラインで発表した中には、
温和な傍観者である私にさえ刺さる(それはちょっと違うでしょうと反論したくなる)ものがあった。
AさんBさんとも「慰めマシュマロも多数頂いている、それはありがたい」とのこと。
Aさんに毒マシュがきたらBさんがタイムライン内で「そういうの信じられない」といいBさんに毒マシュがきたら「ダメですよねやっぱり」という。
大手が弱ったところにつけこむかまってちゃん行為みたいで逆に顕名のほうがわずらわしくない?って私なんかは思っちゃうんですけどね。
片方とは直接タイムライン内でリプ応答したことがあったけど、今は私なんか目にも入ってないだろうし
顕名なぐさめするほどそもそも毒マシュも正マシュもきてない。ジャンルの空気です。
なんだかんだなぐさめあいながら結局やっぱり毒マシュのみに過敏に反応して
(悪くいうと)それをサカナにオープン垢でいちゃついてみせるAさんとBさん。
私は今はどちらになにをなげつけても毒マシュに受け取られる可能性があるなと判断して
加勢?はげまし?したくても一切手を出さないことにしているんだが、そもそものそもそも。
マシュマロ公式早くきづいてあげてほしい。これマシュマロでやるべきことじゃないんだよなぁ。
「空気でいいや」って態度で、
控えめに地味に前ジャンルで創作してたらなんかブロックして去られることがつづいたんだよね。
ドマイナーカプだから、他の人がどう動いても加勢と受け取って味方でいよう、
ネタぱくられたら「ばんざい、新作一冊ください」って言おうって。
で? そう思ったならあなたは「違う」を並べ立てず、最初から私の駄文なんかにかかわらず、真田すごい論を繰り広げるべきです。私を踏み台にして落とすこと(しかできないので)必死で真田を持ち上げようとしてるのでしょうね。感想文テクニックの悪しき犠牲者はかわいそうですが、私には創作はできるので。創作すれば?とすすめるのは創作オタクの悪いクセだと貶しつつ、創作オタクの味わうクソデカ感情を(真田作品をとおして)十分味わえたと主張したい・・ほう、全く意味がわかりませんね。こんなわけのわからないわがままボーイに付き合ってあげる義理はありません。
私がいってる、創作している上でぶつかるもっとリアルなクソでか感情ってのは
https://twitter.com/PNPK4649/status/1327597828915351552
こういうことです。
あなたはネットにおさまる範囲でしか同人だの創作だのを知らない世代かもしれませんが、
同人女、同人男たちは黒子のバスケ脅迫事件、宮崎勤事件などもっとひどいすべての社会が揺さぶられた事件に余波をうけ、
それぞれ一人ひとりが新聞のトップ記事に毎日あぶられるようにクソデカ感情にふりまわされて生きてきました。
リアルの世界で起こる同人の悲喜こもごもからするとネットで探しものや表現を「しはじめた」くらいのことはかなりスケールの小さな「クソデカ」感情かと。
もちろん、ここで使った「黒子のバスケ脅迫事件」「宮崎勤事件」のようにほぼ記号化した固有名詞のちからをつかえば字数が短くてもあらかじめ経験がある、知っている人にクソデカ感情を伝えることは可能ですけどね。圧倒的に情報量が足りない万人にまで届くわけはないです。
長編小説のエントリをお見かけしたとき、自分の思考整理のために書いていたものを投げます。
私自身が誰になにを言われたわけでもないんだけど
今いる界隈で字数マウントっぽいのちょこちょこ見るようになったので。
いっぱい書いた貴方はえらいし褒めるし優勝!てなるのはわかるんだけど
じゃあいっぱい書いてない貴方はえらくないのかってことは全然ない。
ひとつの話を完成させてること自体を誇っていこうなという動機です。
というのは、自分が二次創作における文章の文字数に一回仮死状態になったからです。
筆を折ったというよりは筆を止めた。
家にスキャナがなかったので文字を書くことにした類の人間でした。
思いついたお話をかければなんでもよかったし「サイト」をやってみたかっただけです。
自分の考えたことが形になるのは楽しい。というのを繰り返して、
感想をもらって同好の方と交流を持つようになって、同人誌という存在に行き当たりました。
小説とは別にデッサンを習っていたのでそちらの言葉を使いますが
私にとって「書く」ことはクロッキーのようなものでした。速写です。
短時間でいかに核心をつけるか、そのものらしい一瞬をつかめるかが要点でした。
ワンシーンの抜粋、動作の美しさを描写して書き留めておきたい。
けれど本を作ろう、それも折本ではないものを作ろうとするとそれでは持たない。
シーンを複数用意して時系列や構成を思考して配置する必要が出てきて、それが正直めちゃくちゃ面倒だった。
でも油彩や日本画をしようとしたらもっと別の画材がいる。段取りもいる。
デッサンとするにしたって、完成度をあげるなら技法と知識がいる。
30秒や、長くても3分で完結するものばかり描いていた人間が、それを自覚せずに2時間以上、
下手すると無限に時間をかけてもいいものに着手するとそれはもう混乱する。
鉛筆一本だし、チラ裏に描いてたものを本格的に描こうとして「アレッ」てなるのは当たり前なんですね。
今思い返すとこういう言語化ができるけど、当時はできなかったので苦しんだ。
物語を読むことはできるし愛してはいたけど、私が傾倒して読んでいたのはほとんどが詩や短歌でした。
「情景を切り取って見せ方を演出する」が共通していても、小説のそれとは方向性が違う。
あと短時間でたくさん読める。
などの短文の魅力が好きでした。今も好き。
絵に関しても、美しく整えられて丁寧に塗られたカラー絵よりも
要点だけを的確に抑えて踊る筆致に傾倒しがちなので単に好みの問題です。
一口に長編といっても、実際は短編連作だったりする場合もあるので。
読んだの10年以上前なのに今でも思い出すお話あるけど、文字数とか覚えてないしね。
物量と、自分や誰かにとって魅力があるかは全く別なので混同しなくていい。
それがわかっていればよかったんだけど
小説というからには長いほうが立派で、分厚くないとならない。と無言の圧を感じて
(実際、紙媒体として本の形が成り立つためには物理的に必須なのですが)
それは私にはできなかったので、書くことから遠ざかりました。
今は自分がいちばん書きやすい文字数と話のスケールがわかってきたのでまた書いてる。
分量があってスケールの大きい物語を書きたくて目指すのは楽しいけれど
だからといって分量がないものを下に見たり、情けなく思う必要はない。
「こうしなくてはならない」を勝手に制定して自分をジャッジする必要はない。
なかったなぁという回想です。本当になかった。本当にないよ。
万字単位がかけるようになっても、140字以内にあるキラーフレーズが好きだし
3000字以下のショートショートに胸を打たれることがあります。
それに分量があるということはその分その世界に浸っていられる。
これは強い。好きな文章をずっと読んでいられるのは最高に楽しいです。
でも、短い文章が弱いわけでは決してない。恥じる必要は微塵もない。
「削ぎ落としてつくる」を考えさせられるのでとても好き。
長かろうが短かろうが、創りたいものが創れるようになるというのが理想だと思います。
私はインターネットお絵描きマンとか、字書きという呼称が好きです。
軽やかなので。
重厚で肉厚なものと一緒に、インスタントで軽やかなものが同じ空間で息をできるのが創作の醍醐味だとも思う。
そういう覚書でした。
(一般の出版物におけるショートショートは800〜4000字、
短編は4000〜32000字、中編は12万字までのようですが
二次創作においてはもっと細かくて感覚的な区分けがある、という認識です)
https://note.com/ikedanoriyuki/n/nb74ef6f71a54
うちも経緯は違うけど赤ちゃん亡くしてるから、筆者夫婦もそれぞれ傷付いてそれぞれ立ち直ろうとした記録だなと捉えながら読んだ
でもよく考えたら私の読み取り方のほうが深読みのし過ぎだったかもしれない
勝手に自分たちを筆者夫婦に、特に人一倍繊細な感情の機微を持ちながらそれを言語化できず「なんとなく」といった曖昧な表現すらできずに黙り込みがちな夫を筆者さんに投影し過ぎていた
そう思いながら読み返すと筆者さん自身のことをそんな風に表現した文章ではない
赤ちゃんを亡くして悲しみにくれる時、私が一番悲しいなんてことはない
夫も、母も、父も、義父も、義母も、みんなそれぞれ悲しかったのだ
悲しみの深さなんて測れないが、それは同じ人間の中であっても常に一定ではない
表面上強く現れる時もあるし、心の奥底で悲しい時もある
もちろん一時忘れたかのように何かを楽しむことだってあるし、それは立ち直っていくために必要な瞬間だ
一定ではないのは悲しみの強さだけではない
これも当たり前だが一緒に暮らしていくことを楽しみに準備していた赤ちゃんを早々に亡くすことは誰であっても悲しいものだ
私は立ち直る過程で「次に授かる赤ちゃんや私にとっての身体的リスクがあったとしても、それでも赤ちゃんを育てたい」と思った
その気持ちは揺らぐこともあるが、赤ちゃんを育てたいという思いは捨てきれない
夫は「妻や次に授かる赤ちゃんにとっての身体的リスクがあるのなら、赤ちゃんは諦めたい。例えその可能性が低くてもまた失うリスクがあるのなら危険な挑戦はしたくない」と思っていると思う
先述の通り言語化が苦手なタイプなので、断片的な言葉を一生懸命読み取った結果なのだけど
傷付き方、悲しみ方、立ち直る過程、全てが違う
筆者夫婦もそのように見えた
私の夫も自分の感情の機が熟したと感じるまでは「なんとなく」で行動を避ける傾向がある
それを思い出した
まあ当たり前だけど筆者さんと私の夫は全く違う人間なんだけどね
勝手に思い出しちゃっただけで
でもそんな風に読んでたからトップブコメの筆者さんを責める内容に驚いたってだけで
赤ちゃんの死後のお父さんの悲しみって、お母さんの悲しみよりもケアが手薄くなりがちなんだ
これは赤ちゃんを亡くした夫婦向けのブックレットにも書いてあった
男の人って感情を巧みに表現できずに大丈夫そうに見える態度を取りがちな傾向があるらしい
そんな私に夫が言ったのは「気持ちを表現しない=溜め込んで辛いという訳ではない。逆に気持ちを表現できる=発散できてるから大丈夫って訳でもない。だから俺は君のことも心配だ」という言葉だった
その言葉で私達の悲しみ方の違いが初めて実感できた
赤ちゃんを亡くした場合の気持ちのケアよりわかってもらえそうな似た例だと、お父さんの産後うつへのケアとかかな
そっちもやっぱりまだお母さん向けのケアより手薄だと思う
夫婦や家族のこと、複数人が登場してそれぞれの立場に自分や周りの人を投影しやすい経験談のようなものをネット上に書くと、どうしても登場人物同士を比較して誰か1人を批判する人が出てくる
そういう目を大事な家族に向けられたくない、というのが私が今まで家族の経験をネット上に書くのを躊躇って、想像上の腐女子になり切ったお気持ち文やらなにやらばっかり書いてた理由だ
勝手に想定した人物の気持ちになって捏造したエピソードへの感情を文に起こすのがただ好きってだけというのも大きいんだけど
ブコメを書こうとしたのを消して、匿名である増田に来たのも半分はその理由だ
だからそういうリスクがあっても起こったことをそのまま文章にして公開してくれる人は尊敬に値する
一番の後悔だ。このことがなければ今回の記事を書くこともなかった。
あなたの会社でも、採用候補者に対して身元調査を実施することがあるかもしれない。私の会社ではそうだった。
私が勤めていた会社というのは、普通の会社よりも多くのことを調べることができた。
例えば、戸籍だ。採用者の本籍がどこで、家族はこういう名前の人で~といった情報について、グーグル感覚で調べられる部署がある。
病歴もわかる。社内のシステムには、この人がこの病院にかかって、こんな病気で、医療費はこれだけで、自立支援を受けているから医療費は1割負担で~といった情報が入っている。
さて、採用内定を出す段階になると、採用候補者に対して上記の調査を実施する。担当部署に行って、個人情報の照会履歴ノートに自分の名前を記入し、システムを使わせてもらい、調べを進める。
会社にとって敵対的な人物が親類縁者にいる人や、過去にうつ病などの精神疾患になったことが判明すると不合格にする。具体的には、面接の評価を5段階中の2に変更すると必ず不合格になる。
犯罪歴に関しては、該当者がいた経験がないので何ともいえない。名簿に記載があった時点で、罪状に関わらずアウトなのだろうと思う。
こんなことはおかしいと思っていた。なぜ、公平で中立で平等であるはずの採用試験でこんなことをしないといけないのか。ずっと考えていた。
誰がこんな調査を行わせているのか? これが一番の問題だった。
誰が仕向けているかわからないのだ。毎年この時期が来ると、総務部長から指示が来て、特定の役職(全員係長~課長クラス)にある者が分担して任務にあたる。
放っておけばこんな習慣はなくなると思ったが、そんなことはなかった。毎年、内定者のリストを完成させて総務部長まで持っていくと、調査を行うように指示が来る。「これは誰の指示ですか」と聞いても、「定年までにはわかる」と言葉を濁される。
結局、定年までわかることはなかった。私が彼ほどに昇進できていればわかったのかもしれない。でも、私はそこまで出世できなかった。肉薄するところまでは行ったのだが。
今でも、この慣習は続いているのだろうか。誰かが止めたのだろうか。
私にはできなかった。
もし、これが総務部長が発した指示であれば、戦ってなんとかなったかもしれない。でも、トップの指示だったら?戦ってなんとかなっただろうか?なったとしても、会社にはいられないだろう。
私は矛盾している。あの時代に、私は悪習を絶つことができなかったのに、定年になって、何年も経って、あの時の自分は間違っていたと後悔している。でも、今の私がデロリアンに乗って過去に飛ぶことができたとしても、行動を起こすことはできないだろう。私にそんな度胸はない。
私はなによりも哀れだ。私は自由ではない。私には、自分の意志を実行する力が全くない。
なぜ、私は弱い? 私が何度も何度も道を譲ってきたからだ。それで、私は周囲の玩具になってしまった。私が周りに力を与えたのであって、周りが私を弱くしたのではない。
私は自由ではない。なぜなら、私が私自身と気が合わないからだ。私が自身を恥ずかしいと思って顔を赤くしているからだ。
最後に。
人事担当部局の役職者として約十年間、平社員だった時代を含めれば約二十年間、人事の仕事に携わって得た知見を共有したい。
今回の内容は、社員や職場の抱える問題への対処や、人事異動の内容まで含めて決定する層に向けて書かせていただく。参考になれば幸いだ。
一般的な問題社員への対応は、ネットに豊富な事例があるのでここでは述べない。ネット上に事例が載っていない案件(※私は見つけることができなかった)について述べる。
ここでいう問題社員(有能型)とは、以下の特徴を持った社員をいう。あなたの会社にも多分いると思われる。
軽度のもの…「自分はすごい」という自慢や、後輩社員へのマウンティング
中程度のもの…気に入らないと不機嫌になって悪態をつく。あるいは指示された仕事をしなくなる
重度のもの…パワハラやセクハラ。人前で後輩を怒鳴りつけたり、女子社員の身体的特徴を馬鹿にする
・上司にはへりくだる。弱い者には厳しい態度
昔は、こういうタイプの社員は放置されていた。こういう人いるよね、で済まされていた。
むしろ、上司が命じた仕事は十分なレベルでこなすので、ハラスメントを行う者であっても処罰されなかった。いなくなっては困る存在なので、マウンティングやハラスメントは表立って認容されていた。
昨今は社員のメンタルヘルスの観点から、こういったタイプの問題社員にも対処する必要がある。そこで、私の経験上、有効だった対策や、必要な視点を述べていく。
問題社員(有能型)は、他人をコントロールする権力を欲しがっている。他人に言うことを聞かせたいのだ。他人に舐められることを極度に恐れている。
行動傾向として最たるものは、『積極的に仕事を取っていく』というものだ。他人のものまで含めて仕事を取ることで地位を高めようとする。そして、自らの能力が高まり、裁量を与えられるようになり、ますます権威を増していく。
対策はすでに述べたとおりだ。たとえ、彼や彼女が有能で、多くの仕事を処理できたとしても、全員に対して同じ量の仕事を割り振る。
問題社員(以下Mとする)が他人の仕事を奪おうとしていたらブロックする。具体的には、仕事を取られようとしている人(以下Nとする)のところへ行き、「それでいいのか?」と合意を確認する。Nが拒否する、または何も言わなければ、拒否とみなしてMに対する指導を行う。
では、Nが「Mさんに仕事をあげます」といった発言をした場合はどうするか。この可能性もあり得る。自分の仕事が減るし、Mには逆らいにくいからだ。
この場合も、他人の仕事を取ってはならないとはっきり告げる。そのうえで、Mだけでなく、Nに対しても指導をする。
ポイントとしては、何度も繰り返し行うことだ。何度も行うことで、上司の指示を守っていないことをわからせる。これは何度行ってもハラスメントにはならない。その仕事の割り振りが組織内の決裁を経ている限りは、業務上の指示にほかならないからだ。
繰り返し行っていれば、向こうが根を上げることが多い。上司の見ていないところで仕事を渡している可能性があれば、ほかの社員に教えてもらう。
Mは、他者に舐められることを恐れている。態度が頑なになることが多い。普通の態度ではダメだ。毅然とした態度で接する必要がある。
反論時の想定問答としては、以下のやり取りを例にする。
M「私が暇になったらどうするのか。このままではやることがなくなる」
→「遊んでいなければ何をしても構いません。具体的には、業務マニュアルの作成や、後輩の相談に乗ってあげてください」
M「私はNを心配している。Nが潰れたらどうするつもりか」
→「これはNさんが実力をつけるために必要な機会です。私が必要に応じてサポートします。Nさんの負担が重いようであれば早急に対策を取ります。Mさんが今動く必要はありません」
M「業務を放棄するのは問題だと思うが、なぜ積極的に動くのがダメなのか」
→「他の社員が成長する機会を奪っているからです。あなたは成長しますが、チームが成長しない。だから必要以上に仕事をしないでください」
ただし、この方法には難点がある。あなたが優秀である必要があるのだ。
問題社員(有能型)のような存在がいなくても成り立つ職場であればよいが、昨今はそうでない職場環境が増えている。労働経済白書によると、1人当たりの仕事量は全国的に増加傾向にあるようだ。
Mの仕事を取っても、他の部下にすべて回せるとは限らない。回せなかった分はあなたが取るしかない。1人当たりの業務量が多くなった部下はあなたがサポートする必要がある。
これにより、業務効率の著しい低下が起こったり、メンタルを病んだ者を出した場合、この対策は失敗だったことになる。かつての、Mに業務が偏っていた状態に戻さざるを得ない。この点は重々気を付ける必要がある。
なにより大変なのは、あなたがMと対決せねばならないことだ。Mのような社員の特徴として、①口が回る、②攻撃性が高い、③恨みを覚えている、といったものがある。
以上を踏まえたうえで、あなたはMに言うことを聞かせないといけない。
あなたが『仕事量を偏らせない』という対策を行おうと決めた時点で、もはやどうしようもないほどに職場がMに依存していた場合も諦めるしかない。
この状況でMと対決するのは望ましくない。現実的に難しいことを無理に実行することで職場が不仲になる可能性があるし、もしMが病気その他の事情で職場に来れなくなった場合に崩壊するおそれがある。
私は、このタイプの問題社員に対しては、「北九州市の新成人理論」を採用している。
かつて、北九州市で新成人(の一部)がやりたい放題に暴れた結果、警察のお縄になる事件が毎年のように起こった。
彼ら彼女らは、何十万円もするド派手な衣装に身を包んで、何百万円もするド派手な車で来場し、会場の内外で大騒ぎし、酒を飲み、演題の前に立った市長に対して暴言を吐き、帰り道には警察の検問を強硬突破する。
そんな光景が全国ニュースで流れる度、テレビのコメンテーターが呆れ顔で意見を述べる。インターネットでも同じような反応で、この時ばかりはマスコミの意見とネットの意見が合致する。
しかし、「あいつらはバカなことをしているから規制すべき」という考えは誤っている。
バカでもいい。彼らは悪くない。成人式で飲んで騒いで暴れる馬鹿者は、むしろ地域社会を支えていく存在だからだ。
彼らのようなタイプの新成人は、今後もその地域に残る可能性が高い。未来の納税層にあたる。大げさにいえば、地域にとっての希望だ。
成人式の前には高級なレンタル品を一式借りる。濃紺や真白の羽織袴や、紅色の着物にふわふわのファーを首に巻いて会場入りする。
誰よりも目立ってやろうと思っているし、「成人式は特別な儀式である」と考えている。その意味では、主催者である市町村と同じだ。
彼らは成人式を大切に思っている。だから暴れる。暴れることが、成人式への彼らなりの真面目な参加行動にほかならない。
反対に、主催者のアナウンスに従って、席にじっと座っている新成人こそ、生まれ故郷から身も心も離れてしまっている場合がある。
彼らが暴れないのは……暴れないにしても、大騒ぎをしないのはなぜだろうか?彼らが故郷を捨てているからだ。
生まれた場所にうんざりして、東京などの都会に出て行った者は、「早く終わんないかな」と思いながら成人式に参加している。
地元を離れる日程は決まっている。大抵は次の日に、高速バスか新幹線で都会の住処に帰るのだろう。この青年達はまだましな方で、地元に愛が残っていない者はそもそも成人式に参加しない。都会で行われる地方出身者のための成人式に参加するか、またはアルバイトに勤しんでいる。
暴れる新成人はこれとは逆だ。彼らはこれからも地元で生きていく。だから、自らの存在を派手にアピールする必要がある。成人式におとなしく参加する層よりも、彼ら彼女らの方が地域を愛しているといえる。
彼らは、暴れる新成人と一緒だ。彼らにとって会社は大事な存在なのだ。存在意義を証明するための場所として。
会社にとって必要な人材になりたい。同僚や上司の行動が間違っているのを正したい。会社をよい方向に導きたい――彼らは、こういう想いでMをやっているのでは?と私は考えている。
逆に、Mを非難する立場の社員の方が、仕事にやる気がなかったり、能力面でも倫理面でも評価が低かったり、責任感のない行動、自己本位な行動を取ったりして会社を苦しめる。弊社における平均的な傾向はそうだった。
例えば、「あいつの行動はパワハラだから処罰してください」と言って、人事に通報してきた社員がいた。この場合のM(あいつ)は、通報した社員の先輩だった。(追記:後輩の誤りです)
その通報した社員は、特段の難点があるわけではないが、平均よりは下位の評価だった。
処罰する根拠として、30件以上のMのパワハラ行動が記された記録が付されていた。事実確認を行った結果、概ね事実だったので文書戒告の処分を行った。
不服として、そのMは反論を続けていたが、処分内容が示された書面を受け取ると何も言わなくなった。
これも私の後悔のひとつだ。というのも、その後の社内貢献のレベルとして、Mの方が段違いに優れた実績を出したからだ。彼が役職者に上がってからは、パワハラ行動は減っていき、実質的に残業ゼロの職場を作り出した。メンタルを病んだ社員もいない。
一方の通報した社員は、数年後に最悪の形で定年退職した。有給休暇がかなりの日数残っている状態で仕事が溜まっていたのだが、なんと、定年退職日までの全ての有給休暇を申請して会社から消えてしまった。(追記:ある日突然、全ての有給休暇の申請をして職場からいなくなったという意味です)
残された者は苦しい思いをした。彼がいた職場の1人当たり残業時間は、前月比100%(追記:100%増の誤りです)になった。彼の取った行動について処分が必要であるとの意見も出たが、労働関係の法令上は問題はなく、労働組合としても彼の行動に異論はないとのことだったので、処分は行われなかった。
ここまで読んでいただけたなら嬉しい。書いた甲斐があったと思う。
若干ぼかしているとはいえ、社外秘なことをここまで書き連ねようと思ったのには理由がある。
自死を考えている。
今日とか明日ではないけれど、年内にはこの世からいなくなりたい。
社会人として働いて約40年、多くの罪や後悔を残してきた。上には書いていないけれども、人として行ってはならないことにも手を染めてしまった。
数年前に定年退職してからは、嘱託職員として民間企業で働いて、公民館のカラオケ教室に通って、インターネットで同じ趣味をもった仲間とコミュニティを作って……
平穏な生活を続けるうちに、社会人生活で自分が犯してきたことに反吐が出るようになった。
最初の頃は思い出したくないという程度だったが、日中に何度も頭をよぎるようになった。
近頃は夢に出てくる。
大抵は、当時の思い出が醜く改変されていた。夢の中で、当時の関係者が私にグロテスクに復讐をする。
どうすればいいか真剣に考えた結果、死を選ぶという結論に達した。
私にとっての遺書を書きたいと思った。
はてなブログや、はてな匿名ダイアリーに投稿してみたかった。
それが叶って嬉しい。
読みにくい部分があったと思うので謝らせてもらう。
ありがとうございました。
8/31
コメントいただいた皆様に「言及する」により返信しております。
・俺 (成績中の下ぐらい)
高校の頃はろくに勉強せず好きなことを学びたいがために大学は芸術系に進むもあまり評価されず中途半端、座学も得意ではない レポートはネットでテキトーに調べて字数下限ギリギリで提出 実家で猫を飼えない
・友人 (成績上位)
高校時代から上位キープ 何故か芸術系の同じ大学にいるが芸術面でも毎回評価されている 完璧 レポートは本を何冊も借りて字数上限まで書くタイプ 実家で猫を飼っている
格差つらい
とある割と好きな小説書きさんAがなんか怯えた様子で「私は他人の二次作品を全然読んでない(ブロックしてる)のでネタカブってたらおしえてね」と書いていた
私は
「またまたそんな。あなた10万字も書くじゃないですか。たいてい2万字も超えたらカブりどころじゃないですよ。そもそもシェイクスピアの36類型ってのがあってどこかしらはかぶるし弊ジャンル派生CP数めちゃ多いしもっと失礼を承知でいうとあなたの作品ってご本人は王道だとおもっててもそんな王道じゃないです」
とマシュで書き送ろうとした。
字数が多くなったので前後編にわけて送ったマシュの前半が(焼きと判断されたのか)どうやらとどかなかったらしいのでフォローでCP数めちゃ多いとかファンですとかかいつまんで贈り直した(合計3通のうち後半2通とどいたらしい)
その後Aがなにに怯えてたのか判明。
偶然でジャンル内のカブり事件があったらしい(BとCと呼ぼう)、先に作った人Bがめちゃおこっていろいろ邪推して空回りして大騒ぎになった。
Cは偶然カブった事はだいぶ前に謝罪したしでも空回りされてどっちにしろ不愉快な目に合うのだからあげなおした。
それ以外のおぼえがないウォッチ行為とかありもしないことで怒られネチネチされて腹が立つと全部ぶっちゃけたのが昨日。
カブり内容はけっこうひどかったらしい。
で、波及でいろんなとこに毒マシュ投げてるBの取り巻きか病んでて便乗したいだけのアホが湧いてるらしい。
二次なんだから同一人物を考察してるわけだしBとCのはジャンル内の最大手CPであってしかもシチュもどこでも一度は流行するネタ。
とはいえBが病むしCも一度びっくりしてとりさげる程度にはあちこち似ていたらしい。
Cは前にいたわりとカブらないジャンルでよくある流れだったからそのままやっただけでBのを見たり参照したことはない(信用できそうだけど本人にしかわからん)。カブったという偶然について謝ってるだけといっている。
Bはまだ偶然とは信じられないがCが粘着してくる思い込みとか全部の悪事がCのせいと思い込んだことについては謝罪し筆を折るといっている。
最終的に最初のマシュがAにとどかなくてよかったなって思った。なんだかなー。
BC両方3万字超えてたから偶然ならそんな似てることはないだろと経験上思うんだがそうとわかってても比べるためだけに読む気力が1ミリもわかない。作者と作品は切り離したい方だし現実がバッドエンドだし。
Bは自分にとってはたまには読むというか目にしてたけど、長いから目立つだけであまりブクマしてなかったようだ。
あの長さで好みの展開だったら全作品掘ってるはずだから、「あ~いつもの少女マンガ的ベタベタ展開か」ってなってたのかな。でも囲いはめちゃ多いみたい。
Cは思い当たる作品があったので筆折られなくてよかったし、CとAさえ無事であればって自分も勝手だなぁ。
他にもDやE(両方絵描きさんじゃねえか)など勘違い毒マシュおくられてる人がいて気の毒だし迷惑でもある。
Fのほうが全然典型的で王道で知られている字書きさんだが心が強そうなのか全く触れられる気配がないのはさすが。
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