はてなキーワード: 夏休みとは
先にいっとく!!!!ちょ~~~~~~~!!!クソ長くなる!!!!
私怨私怨!!!!!悔恨!!!!!5箇条にまとめようとしたら失敗した5箇条の御誓文か?????
567で見えてきた色んな人の裏表に疲れてしまった大学生乙女ゲーと地下ドルのオタクの話!!!!!!同じ大学に通う人からの身バレ防止のためここからの大学の描写はボンヤリとしたものになります。コメントでの特定はおやめください。大学は生徒の多くが望んだであろうオンラインじゃない講義ができるようにどうにかこうにかがんばってるはず!それに私が対応できなかっただけで大学は悪くない。家に引きこもるのが社会的に批判されることがない・堂々と引きこもって自分のやりたいことできる今をその時間が欲しかった人が心から楽しめますように!!!!
誤字脱字はすいません。
いままで約20年間、数学や物理、化学の類いばかり熱心に取り組んできたので私には正しい日本語が使えているのか、日本人であるのに自信が無い。
大量のレポートに追われたまま、脳直で文章を打ち込んでいる状態なのでご了承願いたい。
私は本当にどこにでもいる地方国立大学二年生だ。つい2時間前まで教師を目指していた。
もし同じような境遇にいる子がいたら私みたいにならないよう、こんな文章があったな、ぐらいの軽い感じで覚えておいてほしい。
読んでくださった皆さん、こんな考えの人間がいるんだ、へぇ笑ぐらいに思って頂いて結構です。ここまで打ち込んでおいて自分でも文章の稚拙さが”マジで”やべぇ……とおもっていますが暇な方最後まで読んで頂ければ幸いです。
①去年~今年2月の話
学部一年生だった去年は将来の夢のため、周りの友達よりは長い時間勉強していた方だと思う。
趣味だったイラストのサークルにも加入し、高校が同じだった友達が学部に一人もいないながらも他学部に進学した高校のクラスメイトと協力しながら大学に慣れていった。
サークルの友達とは週に1回は誰かの家に集まりピザを頼んだり、学食で何時間も話したり。大人数で端から見たらアホみたいなやりとりを繰り返すあの空気感が好きだった。
安心できるバイト先も決まって、サークル内の人間関係に多少の不満はあったが今思えば望んでいた大学生活そのものだったかもしれない。
私の将来の夢が教師になったのは大学受験が終わってからである。もともと物理という科目が好きで将来は数学系の研究ができればと思っていた私は理系の学部に進んだ。(身バレ防止のため明確な表記は避けさせて頂きたい)
私の大学受験のサポートをしてくださった先生は、私が進学した大学の同じ学部出身の方だった。
有名な塾があるような都会ではないので、毎日高校の授業が終わってから校内に他の生徒が誰もいなくなるような時間まで、その先生や担任の先生、大学で理科を学んでいた購買のおばちゃん……色んな人に見守られながら勉強した。
私が受験に合格し、心から喜んでくれた職員室の先生方を見て、先生達みたいな大人になりたい・この高校で同じように生徒を見守れるような先生になりたいと思った。
これが理由で、理系学部に進んだ私は自分の学科の必修科目に加え教育学部の必修科目も履修するようになる。
もちろん授業が倍になるなら試験もレポートも倍になるということで確かに大変だったが全然苦じゃなかった。
1年間やりきった。成績も上々でモチベーションは入学当時と変わらず、今まで友達と呼べる友達が2~3人だった私の人間関係がどんどん広がっていくことに喜びを感じながら春休みを迎える。このころは人と連絡を取り合うのも一緒に出かけるのも大好きだった。
2月、実習も終わって大体の友達が実家に帰った。私も電車で何時間もかけ実家へ。
実家の周りは見渡す限り山!!!!!緑!!!!!!という空間が広がっていて私はそれが大好きだ。その頃、ニュースではコロナウイルスの話題が取り上げられ始めていた。まだ大丈夫な感じはするけれど、実家のある高齢化の進んだ小さな村で広がったらとんでもないことになる…と危機感を持ち始めたのはその辺りだった。
その後の展開はある意味予想通りだった。大学は次年度のガイダンスを予定通り行うと宣言していたがすぐに中止となった。4月からの授業はいつも通り行うということだったが私はそのメールが信用できなくて、下手に実家から動くことも不安で、結局大学へは移動しなかった。やはり、授業開始は5月からという一斉メールが届いた。教科書を買いに大学へ行くこともできなくてAmazonで教科書を用意した。
友達は出身も都会のほうで、2/3月はよく連絡を取り合っていたものの、みんな地元の友達とショッピングセンターや居酒屋に遊びに行くようになったらしい。もうその頃にはみんな地元の友達と毎日のように遊んでいたらしくてラインもzoomも使わなくなっていた。
私はというと同じように地元に帰っていた同級生はいたが、もし自分たちが感染していたらという恐怖から会うことをやめた。クラスターが進学先で発生していた子は自宅から一歩も出なかったという。その頃から私は人と会うことの必要性に疑問を感じていた。元からオタク気質だったことも原因かも知れないが、友達とのSNS上でのやりとりが少なくなっても特に私に影響はない。自分がひねくれた人間であるとは自負しているがまさかここまでとは、自分でも思っていなかった。どれだけニュースで危惧されていても・どれだけの芸能人が亡くなっても、それぞれの地元で遊び続ける大学の友達が理解できなくなった。
ほとんどの大学の友達とは連絡を取らなくなっていたが片思いしていた先輩とは毎日のようにラインした。毎日ライン来る度に小躍りしてた。
4月後半、家にこもり続けた私は全く暇を感じなかった。本を読んだりお菓子を作ったり、他にも筋トレにメイク、同人誌を作れるレベルで二次創作もした。自担(地下)の過去の映像を見て1ライブできるぐらいにはダンスも練習した。(クソデカ過大評価)
むしろ今までよりも忙しくさえ感じていた。5月になれば今までのように勉強漬けの毎日が始まる。だからこの何かをしていても誰からも途中で遊びに誘われない、家に勝手にピザだのウーバーだの頼まれて友達が勝手に上がってこない・勉強しなくても公的に、なんとなく自分の感覚で自分を許すことができるこの時間を人生の夏休みとして思いっきり使おうと毎日何かしらしていた。今までのみんなでワーワーする時間も大好きだったけれど、この過ごし方も最高だった。
5月になった。オンラインでの講義が始まった。大体の講義を受ける度に一つずつレポートが増えていく。
連日徹夜は当たり前、朝8時までのレポートを7時に提出して1時間仮眠を取ると1コマ。またレポートが積まれていく。私の要領が悪いだけかも知れないと感じていたが、初日には同じクラスのほぼ全員でzoomでの会議しながらみんな半泣きでレポートをこなした。みんな同じだった。家から出るななんて言われていたがその日食べるものを買いに行くことすら厳しいレベルで課題が出るのだから家から出ることが本当に、絶対、多分無理。
オンライン講義が始まってまだ慣れなかった一週間、実家にいるのに私は一歩も自室から出ることができなかったのだから、それ+家事である帰省していない友達はもっと大変だったと思う。私はその一週間スマホを触れなかった。そんな時間があるならレポートをやったし、私の性格だともし今暇そうで遊び歩いている人を見たら理不尽にイライラしてしまいそうだったからだ。そんな自分の性格は今でも嫌いだ。人はそれぞれなのに、SNSでみえる部分はその人の日常におけるほんの一部分なのに。
そのうちテンプレートを作ったり教科書を読み込んだりすることで余裕を持てるようになってきた。教育学部の授業も生徒との関わり方など、本当に学びたかったことを学べるのが嬉しくて真面目に受けた。苦手だった英語もせっかくだから少し取り組んだ。友達と話していたりご飯に行っていた時間を全て勉強に充てた。目が回るほど忙しかったが一日を一秒も無駄にしていない感じがして、4ぬほど充実感があった。多分ランナーズハイみたいな状態になっていたと思う。この頃の私の思考、今考えると狂ってる。怖ッ
そうやって暮らしていたら、片思いしていた先輩に彼女ができた。友達から聞いた。3日泣いた。
なんでも4ぬ程忙しかったり課題が出ていたのは私の大学では理系と教育学部、医学部、薬学部だけだったらしい。文系その他は相変わらず課題なんてない、流しておけば講義が終わるから余裕なんて状態だったらしい。悔しかった。先輩は地元で飲んでいたらその子と出会ったとかなんとか、先輩と仲が良かったサークルの男子が教えてくれた。マジで無理だった。
こんな世の中なのに先輩は毎日飲みに歩いていた事実も、もうちょっとで付き合えそうだったのに私はダメでその飲みの場にいた女の子は良かったことも。先輩は付き合ったら長く続くタイプらしいのでもう諦めた。悔しがっていることを知られたり、先輩に彼女ができた事実を知っているということを悟られたりするのが嫌でしばらくインスタをログアウトした。対面授業が再開して会ったら、知らなかった!よかったね!おめでとう!と言おうと決めた。
インスタをログアウトしたので特に仲の良い2人以外とは関わらなくなった。
正直、一旦距離を取りたい人間関係もあったためなんとも思わなかったが家族以外の人と言葉を交わさなくなってから、他人に会うことに抵抗を覚え始めた。さすがにやばいと思った。
メンタルボロボロのまま毎日徹夜でレポートを書いた。エクセルで演算した。勉強しても充実感はなくて朝7時に起きて授業を受けて次の日の4時に課題を終わらせて寝る、余裕がある日は推しの夢小説を読み漁った。オタクでいられたのでガチ夢女に戻ることでメンタルが回復した。多分推しのグッズ、末代まで「捨てるな!」って書いた紙と一緒に保管。
コロナ騒ぎも日常化して、実家のある村にも日常が戻ってきた。近所のおばあちゃん達にはまだ実家にいることがバレ、実は大学をやめたのではないかという噂がすぐに広まった。これはギャグ。もう私の家では笑い話。インターネット・オンラインという言葉をおばあちゃん達に理解してもらえなかったのでもしかするとまだ大学やめたことになっているかもしれない。つらい。
リアルの人間関係からほぼ身を引いていたため、ツイッターのフォロワーと夜な夜なTLを巻き込んで会話しながらレポートを書く。それは変わらなかったし確か6月の中盤まで、私は靴を履いていない。つまり家から一歩も出なかった。5月から1ミリも変わらない暮らしをしていた。
大学からある日アンケート回答のフォームが送られてきた。匿名のフォームで、今帰省しているのか・そうならば実家は通学可能な距離にあるのかという内容であった。正直に送った。
しかし次の日の授業で衝撃を受けた。今回のレポート提出は手渡し以外認めないと教授は言った。とても口が悪いので書くこともためらわれるが、このご時世でそれって狂ってんじゃないのかと思った。事情をメールして渋々だったが郵送させて頂いた。
その後も何人もの教授が大学に行く用事を作った。全て郵送やらメールやらファイル共有やらで代わりに提出を認めてもらった。正直メールにファイルを添付すればいいものばかりだったので助かったものの、もし私が他学部で実験科目がある生徒だったら?サンプルを取りに行くために泣く泣く地元から大学へ向かった友達もいた。このまま実家で講義を受けていたら落単するのではないかと、なんとなく恐怖心を持った。
もし町から町への移動がそのように咎められるものでなくなりつつあったとしても私の地元はどうだろうか。
教授の気持ちはわかる。高校の部活で演劇部だった私は裏方としてであるけれど人対人でなければ伝わらないことがあるということを何度も学んできた。絶対こんなに課題を出すよりも対面で、お互いの表情や空気感を読み取りながら講義を受けた方が1000倍伝わる。教授達が沢山努力していることはわかっている。でも一つだけ、ちょっとだけ考慮してください。アンケートで回答したみたいに、今は大学に通学できない距離で暮らしている子もいます。Word文書は気持ちが伝わりにくいなら、手書きはどうでしょう。「今すぐ」や「今日中に」大学にプリントを取りに来るように伝えるのではなくPDFを配布してみませんか。
この頃、一通のメールが地下ドル垢のDMに届いた。7月オープン予定でコンカフェを開く予定なのでキャストとして働いてみないか・お店で働く子達で地下アイドルグループを作ろうと思っている、ということだった。声をかけてくださったのは去年地下ドルの現場でお会いしたことのある方で事務所を経営してるとかなんとか…ということは知っていた。しかし怪しいと思い事務所名や名前で鬼のように検索した。本物だった。メイド服に憧れていたのでコンカフェには興味があった。どれだけいろいろな事情を抱えていてもステージに上がれば夢を見せてくれるきらきらした地下アイドルも大好きだ。かつて片思いしていた先輩も同じ地下の子が好きだったっけ。
しかし私に沸いてきたのは不信感だった。なぜこの時期なのか、私の推しでさえライブを自粛しているのに、都会でなければ成立しない「コンカフェ・地下」をなぜ今始動させようとしているのか、意味がわからなかった。
その頃だった。コンカフェの店舗を構える予定の歌舞伎でクラスターが発生したのは。
もういつもなら暗示や占いの類いは良いものしか信じないご都合主義頭だが、こればかりは神様がやめろと言っている気がした。だから断った。
捨て垢から見に行ったが、コンカフェは無事にオープンしたらしい。地下ドルグループもできたみたいだ。某メイドカフェでも感染確認、こんな世の中なのにメイドが働いているのってどうかと思った。大人が信じられなくなった。あとグループの曲は普通に私の趣味の雰囲気じゃなかった。(←これはお気持ち表明)
ということで先輩が好きなアイドルにはなれませんでした。前に現場に一緒に行ったことがある。
いつか地下で活動してそうだな、とか、そうなったらチェキ撮りにいくねとか言われたこと多分一生覚えてるけど、アイドルにはなりませんでした。(超怖いガチ重メンヘラコーナー)
そんな感じで相変わらずレポートに追われる毎日を実家で送っています。最近は本当に仲の良い2人と連絡を取り合うくらいで、レポートにも慣れてきて二次創作を適度に楽しみながら暮らしています。
私はこれでも勉強に趣味に…ってそれなりに外に出なくても毎日充実してる。それぞれの生活もあるんだし、私みたいな生活しろなんて誰にも思わない。それでも東京で毎日感染者出てたり、私の実家に近いところでもじわじわ感染確認されていたり、5月から世の中変わってないみたいだ。友達の住んでる市は勝手にロックダウンしたらしくもう当分大学には戻れないとか。
そしたら今日、大学からメールが来た。私はちょうど課題をやっていた。
8月頭から対面での授業を再開するって、教育学部が中止と予定していた介護実習や高校での実習も開講する予定ですって。受講を希望するなら今すぐ登録を、また必要な書類は大学窓口で手渡し以外認めないって。期限は5日後。
実習も8月に開講する科目も、教育学部以外の学生が教員免許を取るには必須で1科目でも落としたらもう4年間で卒業するチャンスはほぼないかもしれない。
だから私はどうする?
教師は今後10年間で必要なくなるなんて記事もネットにはいっぱいある。
メールが来てから2時間、ずっと私はなけなしの脳みそフル稼働させて考えた。
県内で感染者も増えているのに?移動中に感染する可能性は?土日ですら授業あるのにいつ動く?
介護施設も高校も、もし大学の誰かが感染していたら?大学のある場所で感染者が増えたのは先週の後半。これが決定したのは先週の始めらしいから明日になれば対面での講義中止のメールが届くのでは?社会的にどう?教師になることを諦めたらいい?そんなに簡単に1年半の努力は捨てられる?距離を置いていた大学のみんなにいきなり会うの?
私今まで通り大学生活送れる?
もうどうでも良くなった。大学ですら信用できない気がしてしまった。
なんて、こんなことが頭によぎって考え込んでしまうし、しまいにはこんな文章を書いてしまうのでもしかすると私の本当の夢、なりたいものは教師じゃないのかも知れない。
私が弱いだけだと思う。本当になりたい!と思っている子ならこんなこと考えずに書類出しに行くだろうから。対面での講義にもどることを喜ぶはずだから。
ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。
意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要な書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま Permalink | 記事への反応(1) | 02:20
(ずいぶん前の話)
帰宅してテレビをつけると、ニュースが流れており、飲食店の一部が「子供」向けにとそれぞれの条件をつけて値段を半額にしたり半額以下にしたりする様子が映っていた。わけがわからなかった。
どうしてそんなことをするのだろうか。やはり企業イメージの向上を図っているのだろうか。それとも、本当に見ず知らずの、一歩外に出れば赤の他人の家計を案じて安い値段で飲食を提供しようとしているのだろうか。
極めつけは飲食店内でインタビューされていた親が「休みがこうも長く続くとストレスがたまると思うので、(値段が安くなるのは)ありがたいですね」という趣旨を言っていたことだ。意味がわからない。※(値段が安くなるのは)の部分は俺が補ってあげた。
だいたい、ストレスが溜まるのは子供なのだろうか?そのストレスの解消と、飲食料金の値段引き下げがリンクしているというのか?
ストレスが溜まっているのは子供じゃなくて親の方だと解釈するのなら、わけわかる。だが、先の文脈では「休みが続いている」のは子供なのであって、やはりストレスが「溜まっている」のは子供としか読めない。
飲食店側の対応も疑問がある。コロナの休みなんて、小学校の冬休みと夏休みが合体した期間みたいなものなのだから、親が子供のメシを用意するのはさほど負担ではないはずなのだ。それに、勝手に子供を産んで育てているのだからメシを食わせる経済力だってあるのだ。だから、子供menuを普段以上に引き下げるというのはビジネスとしてナンセンスなんじゃないかと思う。
そのニュースを観ながら、自分は先週に買っておいた即席ラーメンをゆでて、メンマと薄っぺらいチャーシューをのせ、セブンイレブンの冷凍チャーハンをメインに、生ハムと香味野菜のサラダを作って一人で食べた。
嫁さんもいないし、子供だっていない。なんで旦那や嫁さんがいて、おまけに子供もついている人間が俺より低い金額をメシに払っているのだろうか。そう思うと、怒りと悲しみがこみあげてきた。
私の会社では、8月の好きなタイミングで5日間夏休みを取得できるんだけど、
どうするのよ。
せっかくの夏休みだから、有意義に過ごしたい気持ちはあるけど、
今年になって、自粛生活とかで疲れも溜まってるからそろそろリフレッシュしたいけど、
どうすればいいのかな。
どこか行きたいなー。
地方でゲストハウスといういわゆる素泊まりの安宿を経営している。
今年で3年目でまだまだこれからという状況だ。
日本人の休みのとり方上仕方がないのだが、年間の利益の半分をGWと夏休み期間に依存している。
そしていま旅行業界が熱望していると言われているGoToTravelキャンペーンに戦々恐々としている。
まずメリットがないどころかデメリットのほうが多そうだと予想される。
ホテルと客層が重ならないように価格帯や宿泊形式で差別化してきたわけだが、1泊2食付き1万円の宿にGoToTravelキャンペーンが適用されると客層がかぶってしまいキャンセルが発生したり予約が入らなかったりする気がしている。
それでも業界に活気が戻ればと思ったいたのだが、我々の宿、もしくは他のゲストハウスから新型コロナ感染者が出た場合のリスクが高すぎる。
ゲストハウスは相部屋が基本、かつ一人あたりの利益がかなり低いので高稼働でないともたない。
相部屋を休止するなどできる対策はすべてやっているが今の首都圏の状況からすると心配しかない。
まあ国のキャンペーンなので有事のときは国が責任をとってくれるだろと思っていたが、どうもそうではないらしい。
「Go Toキャンペーン」旅行者と事業者 感染防止策を 西村大臣 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200712/k10012511091000.html
望んでいないキャンペーン、かつリスクはある状況で、夏休みの予約はすでにある程度受けていて休業もできない。
キャンペーンを首都圏で感染者が落ち着いてからにするか、せめて夏以降にしていただくか、何かあったときは国が責任を取る旨、確約していただけないだろうか。
我々ゲストハウスは小さいが、業界における地域の役割は小さくないと感じている。
宿泊以外の飲食やアクティビティにおいてはサービス外なので旅行者は外でお金を落とすこととなるからでヨーロッパや東南アジアでは安宿が街を作ると言われている。
京都で100軒以上廃業したと聞いている。地域のためにもこれ以上ゲストハウス業界に負の影響がないようにしてほしい。
末端の安宿の現場事情まで官僚や大臣が知る由もないのは承知の上でのお願いだ。
追記:現在予約が入ってる隣県からのお客さんのキャンセルと感染リスクのある状態での首都圏からの来客を懸念しています。わかりにくくてすみません。
元増田だけど1日ぶりにログインしたら反応が多くて驚いている。せっかくなのでブコメとかトラバにいくつか言及させてくれ。実は増田でそんなに反応もらったことがなく、引用方法がわからない(blockquoteができない)のでこんな具合で書いていくが大丈夫だろうか。
ブコメ見たところブラザーが人気だと初めて知った。自分自身はキヤノンにこだわりはない(安いから選んだ)ので、ブラザーでもリコーでもなんでもいいと思う。
英語は教科書に書き込んでしまうと、書き込みを見て読めた気になってしまう。それを防ぐために書き込みや授業ノートはコピーを使っていた。
赤本などの過去問の本は分厚いから開くのが大変で、コピーしてノートに貼り付けて解いていた。科目別の「25カ年」なんかはまだしも、大学別やセンター過去問はあのクソ厚い書籍のまま勉強してる人なんていないと思う。
それに、最近は予備校が過去問をPDFで公開していることもある。それらの印刷には大いに役立った。
先述したが、分厚い赤本に直接書き込むのは無理。
増田の高校がどうなってたかは知らないが、大抵の学校のコピー機って2~3台くらいしかなくて混むだろ。
それに夏休みはどうするんだ。家にあったほうが絶対に効率がいい。
そういえば自分は中学受験でも親にコピーしてもらってたな。中学受験がある人は小学生から買っても良いかもしれない。
速度面ではどうなのか気になる。
すまん、これは書き忘れたんだが、カラーは純粋に高いしデカい。モノクロしか使わないならモノクロでいいじゃん?
受験本番の環境がデジタル化されてきたらそれでいいかもしれないが、少なくとも現状は紙媒体と鉛筆シャープペンシルに慣れておいたがいいと思う。
あと授業中にタブレットを使わせてくれる高校ってそんなにないんじゃないか。
持ちを考えると安い。このあたりは1枚あたりの単価をメーカーが公表していることもあるので参考にしてほしい。
また、純正が高ければリサイクルトナーを使う手もある。リサイクルトナーは品質次第では故障のリスクもあるから気をつけないといけないが。
https://kakaku.com/pc/printer/itemlist.aspx?pdf_Spec048=1&pdf_Spec101=8&pdf_so=p1
ただの愚痴
タイトル通り、あんさんぶるスターズ!新規が7月のラビッツシナリオ読んでくっそつまらんなと思った話です。
女オタク同調圧力社会の中、ツイなど名前の見えるところでは決して言えないけどめちゃくちゃつまらなかった。未読シナリオのスキップ機能付けてほしい。
まず、あんスタは女性向け男子高校生アイドル育成ゲーム。月2回のシナリオイベントでユニットごとに各アイドルたちを掘り下げていくスタイル。
7月上旬のイベント対象は2年生中心で「可愛い」が売りのRa*bits(ラビッツ)という4人組ユニットだった。モチーフは兎でライブ中に両手で耳作ったり半ズボンで踊ったりいわゆるショタっぽい子たち。
色々省略するけどメンバー4人のうち1人が大学進学を機にアイドル活動を休止していて、その間は残る3人でソロ活動・ユニット活動を継続していた。そろそろ大学生活にも慣れたので夏休み突入に合わせて活動再開することになり、せっかくだし復帰ライブを大々的にやろう!という話になった。
しかし所属事務所の都合で満足な資金や準備人員が用意できず、計画したライブは中止に追い込まれていた。
そこで、彼らが考えたのが「他のアイドルに資金提供をしてもらう」こと。
ユニット結成当時は人気もなく、対バンライブ中に客が帰るなど色々大変な体験をした彼らだったが、めげずに他のアイドルのバックダンサーをしたりスタッフの手伝いをしたり小さなライブにも全力で取り組んだ結果、今ではファンからも他のアイドルからも愛される人気アイドルになっていた。
そんな僕たちなら、きっと手を差し伸べてくれる人がいるはず!
うん、分かるよ。
その流れは理解できる。
キャラ1「どうしよう…ぐすぐす」
キャラ2「そうだ!俺にいい考えがある!」
→暗転
→ライブ当日
キャラ2「♪~♪~いや~みんな資金援助してくれたしファンはクラファン手伝ってくれたし無事ライブ開催出来てよかったな!それもこれも俺たちの日頃の行いが良かったからだな!えっへん!」
普通こういうのって、四人そろって先輩アイドルに頭を下げに行って、その先輩の口から「お前たちには沢山助けられたからな」みたいなお褒めの言葉をもらって「僕たち頑張ってきてよかった…!!」ってなるんじゃない?
ジャニーズで言うならデビューしたての新人がマッチさんとか木村拓哉の楽屋で直接お願いするところだよね?それによって他人から自分たちへの評価も分かるしお願いされる側のキャラの株も上がる良いシーンになるはずだったよね??なに一行で片づけてるの???
百歩譲ってこれがフルボイスなら、ちょい役でキャラ数増やすの大変っていう裏事情あるかもしれないけど汎用パートボイスを文頭でちょろっと流すだけのゲームなので…
会話中心でゲームシナリオ組み立てるの大変かもしれないけど、あまりのやっつけっぷりにびっくりした。
その後のシーンも、良い子だから俺たちは評価されたって自画自賛してみたり、自分の都合で活動休止していたキャラを不自然にべた褒めしてみたり、なんか…読んでて凄く虚無だなって思った。
そもそも私がこのラビッツというユニットが苦手というか、高校2年生身長170センチ近い男たちが「寂しいのでぎゅ~ってしてください♡」って発言するのなかなかホラーだなって思う。
音ゲーからあんスタを知って時系列順に過去イベントをちょっとずつ読み進めながら、初期のイベントは結構楽しいな~と思ってたのに、量浴びると積み重なった違和感から目が離せなくなっていく気がする…
何のこだわりか知らないけど台詞中の漢字をむやみにひらがなにするのとか、「うわ~スマホが鳴ってるぜ!誰かから電話がきてるんだぜ!」とかイチイチ口で説明するのとか、シナリオ読んでると文字読解力が下がっていく気がして怖い
あと、あんスタってどのシナリオも、全体が10話構成だとしたら1~2話くらいでとあるキャラが悩んでいる描写、3~7話で「どうしたの?一人で悩まないで!何かあったら相談して!僕たち俺たち仲間だもんね!」して、悩みを解決するための具体的な行動は無いまたは文字通り「相談」することで解決した上で8~10話で「いや~解決して良かった!」って事後ライブシーンして終わりって組立が多すぎて飽きる
そのライブシーンが「エピローグ」って名前なのも気に食わない。こっちはアイドルのライブシーンを見るためにプレイしてるんであって勝手にエピローグにするな!って見る度いらっとする
結局何が言いたいかというと、キャラデザや性格付けは悪くないのに、シナリオ側の文章力と見せ方でつまらなくなっちゃうゲームだなということです。
もちろん嫌いなところばっかりじゃなくて、過去シナリオ読む中で好きなキャラはいっぱい出来たよ!!
プレイ前、傍から見てる分には、女性向けゲームの中では超人気作だからもっと質のいいシナリオなんだと勝手に思ってたから期待値からの落差が凄い。素材は良いのにな~残念
前は、週2回くらい外でランチしてたけど、密が怖くてやめた。
・とにかく自炊
自粛中、買い物の回数を3日に一度にして計画的に買い物してたら、
毎日上手に自炊できるようになった。テレワーク中も自炊、今も自炊。
自粛解除後もプログラムのスケジュール的に行けなくなった。デブに戻りつつある。
落ち着いたら行きたいとは思ってる。
・週1で通ってた整体 +月8,000円
怖くて行けなくなった。猫背矯正で行ってたので健康上は今のところ問題ない。猫背に戻りつつある。
落ち着いたら行きたいとは思ってる。
いろいろどうでもよくなった。
・飲み代が減った +月10,000円
今まで月に2.3回かな。
友達と会う機会がなくなり、行きつけの店にふらり立ち寄る事もなく、
・旅行できない。
これからどうなるかわかんないから、うぇーい!と使う気になれない。
お金は貯まるのは嬉しいけど、
数少ない楽しみが減ったなーと思う。でも慣れる。それなりに楽しい。
コロナの影響がない人は割とこんな感じかなと思う。
スプラ2はゲーム性は確かに良くなったんだが、音楽とテンタクルズについてはどうしても1と比べてしまう。
いまだに1のサントラを聞いてるんだけど、1の音楽は夏のけだるくも楽しい感じがある。1はステージの絵作りも夏っぽかった気がする。強烈な夏の日差しのイメージがして、小学生の夏休みの午後、暑い中外で遊んでいた一瞬を思い出す。
2の音楽も悪くないんだけど、好みでいえば1のほうが圧倒的に好き。2の音楽はeスポーツのイメージ。どうしてもゲームって感じがしてしまう(ゲームなんだけどさ)。
小学校時代の思い出、パッと出てくるのが大体冬だということに気がついた。
短パンみたいな制服で太ももの寒さを感じながら歩いた通学路とか、町内会のイベントで振る舞われるカップに入ったぜんざいがうまかったこととか、水たまりに張った氷を指でつついた時の感触とかそういうのばっかり思い出す。
春の思い出は花の匂いだけで、夏の思い出は夏休みの登校日がボンヤリ頭にある程度、秋に至っては具体的なエピソードがなにも思い出せない。
冬が好きだったんだろうか?今も好きだけど、小学生の頃からそうなんだったとしたらなかなか渋いガキで良いねと思う。
最近は季節感のない思い出ばっかりでよくないな。秋口に淡路島を自転車で走ったのが秋の思い出ってくらいかしら。今年の夏は思い出なんか残せそうにないしなあ…
じゃあなんで夏休みや土日を楽しみにするの?
これは何年も前の話だ。私がカースト下位の女子高生をやっていた頃の話だ。最初に断っておくが、これから吐き出す話は事実に則ってはいるもののフェイクが混ざっている。そして物凄く長いのでこれを読むのはとてつもなく暇な人だと思う。
カースト下位の女子高生だった、と言ったが、学生をやっていた時に一度だけクラスの最下位にいたことがある。可愛くもなけりゃ勉強もできない女なのでまあそんなこともある。うちの高校はバカ校ではなく、いわゆる自称進学校程度に勉強ができるヤツが集まっていたので、クラスカーストが最下位でもこっぴどい嫌がらせを受けることはなかった。せいぜい最後の数ヶ月、クラスの女子から存在を無視される程度である。
ところで前述の通り私は可愛くないし可愛げもないしついでにこの頃はコミュ障のケもあったので異性とは滅多に話さなかった。そんな中で女子から無視をされるというのはつまりクラスから孤立するということである。
さて、私には友人がいた。幸いなことに仲の良い友人はほとんど別のクラスであった。私は休み時間のたびに彼女らのいる教室に避難して孤独を避けていた。昼休みはひとりで過ごすにはちょっとばかし長過ぎるのである。
そして、ここからが本題だ。
私には友人がいた。そのうちの1人は、当時同じクラスだった。女子達からの無視攻撃という名のちょっとした嫌がらせを受け始める前は彼女と昼休みを過ごしていたのだ。この友人、仮にAとするが、Aは友人達の中で一番とは言わずとも二番か三番目くらいには仲が良かった。
Aは可愛かった。メイクをしていたわけではないが、クラスカーストの一番上にいた派手な女子(仮にMとしよう)に気に入られる程度に顔が良かった。ついでにモテた。庇護欲を掻き立てるような小柄で可愛らしい女子高生を想像してもらいたい。それがAだ。
〜〜〜
ここまでの登場人物は、
A=二番か三番目くらいに仲の良かった顔の良い友人
でお送りしています。
〜〜〜
おそらくMは私が好きではなかったのだろう。というか邪魔だったのだろう。彼女はAを取り込みたかったのだ。マウントを取りたがるタイプの女子は自分とタイプの違う可愛い女子を自分の傘下に入れたがる。というのは偏見かもしれないが。
そしてMにとっては幸いなことに、私には大した人望がなかった。庇ってくれそうなA以外の友人は別のクラスにいた。Mは他の女子と共にAを取り込みにかかった。
私にとっては運が悪いことに、修学旅行というものがあり、私の宿泊部屋はAとM、それからMの取り巻き女子と同室だった。Mは学校側には禁止されていたメイク道具とヘアアイロンを使ってAを飾り立て始めた。
「わー、やっぱり可愛い!Aちゃんメイク映えすると思った!」とかなんとかMに言われてAも満更ではなさそうだった。その間私はそばでメイクされるAを眺めていたが、あからさまにMにはスルーされた。この頃から嫌がらせの片鱗はあったな、と今は思うが当時はなんとなく居場所がなく居づらいと感じるだけだった。
この日、一晩中何も喋らないのも気まずいので適当にMに話しかけたりもしてみたが、とてつもなくどうでも良さそうな受け応えしかされなかったのですぐやめた。Mは自分にとってどうでも良い人間からの言葉はヨイショするものしか興味を示さなかった。私も別にMのことをヨイショする気にはなれなかったので、会話がなくなるのは当然の帰結だった。
修学旅行が終わり、教室に帰ってきた。MのAへの構いっぷりは勢いを増した。昼休みはAと弁当を食べる私を押し除け、前のめりでAに話しかける。とても邪魔だった。しかし、Mにとって邪魔なのは私だ。
うっすらと、クラスの女子に圧力がかかり始めたのがわかった。それは、Aも例外ではなかった。私のことを無視しろと、そういう圧力だった。
AがMのことをどう思っていたのかは知らない。メイクには乗り気だったが、人間としてはたぶんそんなに好きじゃなかったのだろう。しかし、カースト最上位の女子には逆らいにくかったらしい。しかも、Mは特にAに対する圧が強かった。よほど取り込みたかったのか。Aが私と話し続けたら次のターゲットはAになるという雰囲気すらあった。Aはその圧力に負け、私を無視するようになった。
そうして私は、教室から居場所を失った。私もクラスでAと行動するのをやめた。若干裏切られたような気もしたが、それ以上にクラス中の女子から無視されるということに疲れてしまっていたので、Aにこだわる気力はなかった。
教室の外で目が合うAは、どこか気まずそうだった。Mの目が無いところでも、彼女が私に話しかけることはなくなった。私もAに自分から話しかけるのは気が進まなかった。私何も悪くないじゃん、という拗ねたような気持ちもあった。ただ、共通の友人達の前でだけ、私達は関わるようになった。
私は学生時代、クラスの絆とやらを感じたことがない。趣味も性格もばらばらの人間を3〜40人かき集めたところで絆なんぞ生まれてたまるか。しかし、そう思ってはいてもクラスの枠組みというのは高校生にとっては大きくて、抗い難い。
私はあの数ヶ月間、クラスの女子からあからさまに避けられ、教室に居場所を失くし、確かに孤独だった。毎日嫌だなあしんどいなあ、と思いながら登校していた。勉強もできないので授業の時間すら楽しくなかった。昼休みに隣のクラスで馬鹿な話をすることだけが救いだった。本当に、あの友人達がいなければ私は高校を中退していたかもしれない。ありがたいことだ。
この話はこれで終わりだ。中途半端で申し訳ない。これは私が昔受けた嫌がらせを、時折思い出してムシャクシャするので吐き出して忘れてしまいたかったから書いただけの思い出話だ。
ただ、これだけでは何か味気ないのでもう少しだけ、後日談を語ろうと思う。
当時、二番か三番目に仲が良かったAだが、高校の友人達の中では卒業後に一番よくサシで遊んでいる友人である。
結局、嫌がらせは年度が切り替わり、クラスが変わった時点で終わった。教師陣は一切直接の介入はして来なかったが、Mやその取り巻きは全員私とは違うクラスになっていた。
同じクラスになった女子はAだけだった。そして、その年のクラスには、共通の友人1人を除いて私にもAにも親しい女子がいなかった。必然的に、共通の友人を含めた3人で行動することが増えたのである。
結果として、うやむやのまま私とAの仲は元に戻った。それどころか以前より距離は近付いた。私が近付けたわけではない。Aが以前より近付いてきたのだ。
最初は微妙な気持ちだった。が、私は基本的に来るもの拒まず、である。そして、Aは可愛い顔をしているが根暗である。根っこのテンションが非常に私と近い。残った心のしこりを無視してしまえば、彼女と過ごすのは楽だった。結局卒業旅行までふたりで行った。事情を知っている母親には意味がわからないという顔をされた。私もそう思う。
久しぶりにあの時のモヤモヤを思い出したのは、たぶんAから久しぶりに連絡を貰ったからだと思う。コロナ禍が世間を襲っている間はすっかり連絡を怠っていたが、自粛解除に伴い再び連絡が来た。今度ふたりで遊びに行こう、という内容の連絡だった。私は「もちろん!夏休みが決まったら連絡するね」と返して、当然彼女と遊びに行くつもりである。
Aは今でも私と連絡を取っている。そして、AはMとはもう連絡を取っていない。
車で10分もかからない距離だったと思う アップダウンがかなり激しくてふた山くらい越えなきゃだからチャリだとキツそうだけど、キツいといっても無理ではない距離だった
いこうと思ってたんだよなあ 大学の夏休みに帰省してさ、朝9時くらいに家を出て、自販機で水買って、汗を拭いつつセミの鳴き声をBGMにチャリを漕ぐわけですよ 体力ないからときどき止まって、登り坂はチャリを降りて呻きながら登り、下り坂は風を感じながら駆け下りる 海が見えて、まあいつも車に乗って見てるところだしものすごい感動があるわけでもないんだけど、やっぱり自分の脚で来たという感動はそれなりにある 潮の香りのなか海沿いをチャリで走って物産館に行き、ちょっと商品を物色したあと併設のレストランで早めの昼食にフライ定食を食べる 食べ終わったら海に行って、日焼けを気にしつつ海面を眺める 帰り道はただただ苦痛 エアコンの風につつまれることを想像しながら無心にチャリを押す そういう小旅行を妄想してたわけだ
チャリが チャリが捨てられてなかったらなあ いや、チャリが健在でも暑いつって行かなかった可能性はあるけども でも行ってた可能性も結構あるんだよなあ 帰省したらチャリが無かったときのあの感情……
青春ってひとりでもやれるんだよな バカらしいことを全力でやればいいわけで、友達とか彼女の存在は不可欠ではない
夏休みにひとり、5キロの山道をチャリ漕いで海まで行く たいしたことなさを含めていかにも愛おしい青春の思い出になりそうだ
もうキツそうだなあ
体力がすっかり落ちてしまった 山道をチャリ漕いでたらしにそう つかチャリ買わんといかん 実家にもなかなか帰れない チャリなんて買ってどうする?
いっそ折り畳みのマウンテンバイクみたいなのを買えばいいのかな でも、青春海紀行は通学に使うようなママチャリでやるからこそのものなんじゃないかな
ああ…
いい海に行きたい 程よく田舎で、程よく行きにくい海 いや、いっそ電車でもいいや 普段いく方向ではないけどいこうと思えばいける距離に素敵な海が欲しい 今は海が遠すぎる
休日やることない人は学生の時は何してたの?学生の時のほうが圧倒的に暇なのにどうしてたんだろう。
60過ぎのリタイア世代ならともかく、社会人の間は休日がめちゃめちゃ少ないじゃん。
夏休みも放課後の時間もない。(最短でも9時17時勤務って長すぎだろ。さらに俺はもうちょい長い。)
学生の頃の趣味をこなすだけでも圧倒的に時間が足りない。仕方ないので「今一番やりたいこと」だけどうにか回している状態で、「ホントはこれもやりたい」って部分が全く手つかず。毎年やりたいことは増えていく一方で、もはや1年夏休みをもらってもとうてい追いつけない。
映画(アニメ)鑑賞を諦め、野球観戦を諦め、旅行も諦めたのにまだ時間が足りない。
休日にやることない人から、時間を貰えればいいのにな。そしたらもっとたくさん動けて、そんなハッピーな気持ちを趣味無い人に分けて与えるのに。
この間の自粛期間は大変良かったなーサボりにサボって趣味に時間を当てまくった。
私の父は世界一不器用でだめで、それでも脆いほどに優しい人だと私は知っている。
眼力が強く、冗談も言わない、笑わない、話しかけても会話は返ってこない、それから1度怒ると暴れ出し、弟と私をよく殴った。社会で上手く馴染めず仕事から帰る度に私たちに八つ当たりはザラで
自身の父ながら、父の家族や兄弟に友人、父の昔話や人となりの話も聞かされたことはなく、親父の趣味や好みも年齢もどこ出身であるかも小学六年生になるまで知らない、そんな未知な父親であったように思う。
仕事で家に帰ってくる事が少なく、また学校行事には来た事がない。親子の関係は冷え切っていた。
だが小学六年生のある日、とうとう母親に父親ってどんな人って思い切って聞いてみた。
父親=触れてはいけないもの、と思っていた私としてはかなり思い切った問い掛けである。
「おまえの父さんはな、親に捨てられて学校にも行かせてもらえず、橋の下で生活してた野生児やった」
と今ではありえない、漫画のような事を聞かされた。
最終学歴は中卒だが、厳密に言うと小卒レベルの学力で大人になってしまった子供だった、と母親は物思いに耽りながら答えてくれた。
借金を苦にした実の母親に捨てられ、近所の人に助けてもらうまで
アパートの一室で1人、それから大量のウサギ、犬、ネコ、ニワトリ、虫また、動物の腐乱死体(なぜ動物に囲まれていたかについては謎らしい)と共に糞尿にまみれ、
非常に飢えた状態で救出された後、施設から逃走し橋の下で半ば野生児のように生きたと父親談。
だがその後また施設に保護され、やがて青年になり父親は作業員として働いていた中今の母親と出会う。
母親は当時の親父とデートしてびっくりしたことが、まず服のセンスが壊滅的だったこと、また箸の持ち方やテーブルマナーが人並み以下だったこと、自分の名前すら書けず足し算レベルの計算もできず、学が無いため給料もちょろまかされている、感情の起伏が激しく癇癪をすぐ起こし警察沙汰になる といった親父の境遇と環境に、こいつを人間らしくしなければいけない と母親は強く感じたらしい。
いままで学と無縁だった親父の躾に苦労しながら、なんとか識字や計算、一般常識を覚えさせる事ができた所で、私が生まれたとの事。
私が産まれた時、滅多に泣かない(感情が乏しい)親父が泣いて私を抱き上げたのだ、と母親に聞かされた時、あの親父があの親父が泣いて喜んだのか、とかなりショックを受けた事を思い出す。
懸命に親父が母親のスパルタ指導で様々な事を覚える中、どうしても親父が理解できなかったものがある。
いままで誰にも愛されたことも無く、実の親に育てられず、人を愛せたことも無い人間であったため、私が生まれて嬉しいことは嬉しいがどう愛していいかが分からないままであったとのこと。
小さい赤子を触れることさえも怖くなり、ある日とうとう赤子の私を床に落としてしまった事から、私が小学生になるまで私に触れることも話すことも、関わることもできなくなったのではないか と母親が打ち明けてくれた事で、いままでの親父の素っ気なさと距離に対する違和感が繋がったような気がした。
親父の社会に馴染めなさ、おぼつかない字の書き方、下手な話し方、魚を食べるのが下手なところ、情緒不安定なところ、すぐ殴るところ 全てが親父の生い立ちに起因するもので、それらは未だに勉強中であるものだと分かった瞬間、親父にもっと関わろうと思えたのだ。
ある日親父に授業参観きてよ、って言うと親父の元々大きい眼が更に開き、びっくりしたように「行ってもええんか」と呟いた。
授業参観の日、仕事抜け出して泥だらけの作業着で見に来てくれた時は泣きそうになった。おやじも照れてて泣きそうになってた。
元々絵が得意な私に、普段の拙い落書きでも絵で賞を取っても「お父さん才能ないからなぁ、おまえ凄いな」と手放しで褒めてくれたこと。
繰り返していた自殺未遂と、シンナー吸引をやめて前向きになってくれたこと
「おまえ、これ好きやろ」と、好きな漫画のキャラが使う武器を木材で本物同様に作ってくれたこと。(親父は不器用だが、手先や工作に関しては神がかり)
「寒いやろ」と手袋を無けなしの小遣いで買ってくれたが、もう中学生なのにどれみちゃんの小さくダサい手袋を買ってきたこと、
夏休みの工作を手伝ってくれるが、完成度が高すぎて親父が作ったという事がバレバレなこと、
私が生まれてからも勉学でかなりつまづいていたが、とうとう一級建築士の資格を取得できるまでに努力してきたこと、
子供の私達にはしつけを厳しくしてくれたこと、またどんな人にも優しくするようにおしえてくれたこと、
冗談が言えるようになり、人付き合いも上手く行き部下に慕われるようになったこと、
箸の使い方も魚の食べ方も綺麗になったこと、穏やかになったこと
私が大学に行き、一人暮らしすることになった時、涙を堪えようとするけど鼻水垂らしながら号泣して見送ってくれたこと、
バイクの修理まで手伝ってくれること、
あの頃歩み寄って親父の事を聞いてよかったなって思います。
あの頃逃げてばっかだったおやじも、私と向き合ってくれたからここまで分かり合えたのかなっておもう。
たまにバカで雑でアホだけど、努力してきた親父は不器用だけど世界一優しいと私は知っている。
裏に「ご自由にお使いください」と書かれてるのは多分1つだけなんだけど、山田は開封済みのそれをず~~~っと使わずに持ち続けていたのだろうか?
それを karte.43 で満を持して使用したのだろうか??
案2だと美しいなー。でもちぃがナンパイセンに利用されたとき泣いてたよな確か。
karte.29で、市川はどうして足立の山田への好意に「初めて感じる不快感」を抱いたのだろう??
「山田の外面ばかりを見て好きになった事が気に入らなかった」
というのは文脈的にはわかりやすいのだが、ちょっと良い子すぎるし、それならむしろ市川は足立に優越感を覚えてもよさそう。
いわゆるアイドルヲタクの「同担拒否」的な事だろうか(同担拒否自体よく理解していないのだが)。
要するに自分以外の男が、例え部分的にでも、山田について自分よりも理解がある、という事への嫉妬が不快感の原因では??
より理解がある部分というのがエロ方面(太ももの魅力について)というのも中二らしくて好ましいので、この説を推していきます。
昔はそういう描き方ではなかったと思うのだが、どうだったかな?確認(どうでもいい)。
可愛さよりは美形さを表している感じ。
1巻中盤、プロローグが終わった7話あたりから鼻梁の線は短く目立たなくなっていき、鼻下の陰だけで描かれるように。
初めて鼻梁のハイライトが付いたのは karte.19 マックで遭遇回。このときはやや上を向いた際の1コマだけ。
その後 karte.27 あたりまで毎回1~3コマ程度鼻梁にハイライトが入るようになり、
職業見学が終わった後の karte.28 あたりから今と同じような感じに。
萌子やにゃあもごくたまに鼻のハイライトが付く。主に顔アップの時。
市川や足立さえもハイライトが付く時があるが、これは男のゴツイ鼻だからハイライトが付きやすいだけと想像(特に足立)。
"ミルクティー問題" のコメントの中に「山田は変わらない(反語)だよ」というのがあってハッとした。
え!!もしかして重要な変化がある場面では必ず「山田は変わらない」的メッセージが・・・!?
karte.15:お菓子を食べてニヤつける山田はやっぱりいつも通りだ
karte.30:やっぱり山田は何も変わらない
2か所。
「出たら重要場面」ではあるけど、「重要場面で必ず」ではなかった。。。
物語開始時点では夏服で、作中に夏休み描写はなく、karte.13 で冬服に衣替え(10月)の、3巻終わりが二学期末。
という事は karte.1 は二学期開始直後くらいで、3巻までで最長でも4か月程度しか経過していない。
文化祭9月なんだ??
同一日が複数話にまたがったのは
逆に1話の中で日をまたいだのはLINE交換の1回だけ。
ということは学校での出来事が 44 - 2 - 4 + 1 = 39 で39日分。
9~12月の登校日はカレンダーで確認したところ76日だから学校生活は50%以上の日がマンガになっているわけだ。
特装版の小冊子に市川と山田のプロフィールカード(自筆)が載っていて、市川の誕生日が3月26日と判明。
という事は今市川は13歳8か月といったところ。
13歳の平均身長は 158.0cm、市川の身長は 156.5cm で、実は言うほど身長低くないのかも。
ちなみに14歳の平均は 165.4cm だから、来年の今頃は 7.4cm 伸びて 163.9cmを期待できるぞ!!
山田が伸びなければあと 8cm!!
おねえはすでに風邪のお見舞いに来た「山田」なる一人称が「私」の級友?の存在を把握している。
さらにデート前日京ちゃんが「やまだ あんな」と暗号LINEしている事も見ている。
そしてEテレなど見なさそうな京ちゃんが視聴した「コロ学」のキャスト情報から、すでに「あんな」の正体に気付いているかも・・・!!