はてなキーワード: 夏休みとは
アメリカでコロナが流行るとヒヨコを買ってきて育てるって話し、
その後そのヒヨコってそろそろ成鳥になってる頃だと思うんだけど、
午前中は事務所にいない方が、
なんやかんやで、
なんか季節の変わり目だなぁーって思っちゃったりもするわ。
麦茶がなんだか風味豊で芳醇な感じがしない。
つまりは薄いってこと。
贅沢に1回沸かすごとに麦茶パック2つは使いたいところね。
こちらの方だと香ばしさがより感じられるし、
私1回やってみたいんだけど、
普通にノンアルコールビールになっちゃうんじゃないか?って夏休みの自由研究にしたいぐらいなんだけど、
結局これはまだだれも成し遂げていない偉業じゃない?
でも子どもがノンアルコールビールを醸造することに成功しても、
うーん!ビールに近いですな!って
果たしてノンアルコールビールの味のテイストを味わって判定することが出来るのかしら?
そう思ったわ。
より近いビールに近づくように私も、
うふふ。
これは美味しいわ!値段相応以上のニトリもビックリするぐらいのスケール!
正にアメリカン!
アメリカのそういうベーコンレタストマトサンド食べたこと無いけど。
思わずハンバーガーをスタンディングスタイルで食べるときに片手を壁に付けてテリーマン食いしたいところよ。
ちゃんと蕎麦湯にもできるお蕎麦です!ってのはわざわざパッケージにも書いてあったりするから、
あんまりここら辺のお蕎麦屋さんでは調子に乗ってオヤジ蕎麦湯!ってイキりまくり禁止の貼り紙がお店にしてあって笑ったわ。
今日もピンクグレープフルーツウォーラーを
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
オリジナルのBL小説が書きたくてBL投稿サイトBLoveに登録した
使い心地としてはかなり良い感じ
毎日新着とランキングを確認しに行って沢山のオリジナルBLを読んだ
当時の投稿機能は小説作成・イラスト投稿・マンガ投稿・会員のみ閲覧許可
毎日のように新着を確認していたから2017年7月まで9割がオリジナル作品だったと記憶
新着全てnmmnで埋まった
そんな時に某動画人がBLoveにある自身のnmmn小説を動画内で音読
小説もマンガも新着がnmmnで埋まっていく中でパスワードを付ける人はごく少数
仲の良かったオリジナル作者は次々と居なくなった
退会した
これが決定的だった
何市民権得たみたいな顔してんだクソが
山口県田布施町役場での隔離部屋異動が問題になっていて、内部告発者を異動させるというやり方は私もアウトだと思っている
一方である程度の規模の企業になればほぼ確実に問題社員を隔離するための部署は存在しているはずだ
私の勤務先は社員数が1万人には満たないかなという規模の上場企業だが、やはり隔離部署は存在していた
「隔離部署です」と明言されているわけではないが、問題を起こした社員が懲戒処分を受けたあとで必ずその部署に異動となるので社内の人間なら誰でも知っている
居た人たちはさまざまで取引先から過度な接待を受けて処分された人、コミュニケーション能力に問題がありすぎて絶対に外に出せない人、心を病んでしまった人などが40~50人ほど在籍していた
心を病んだ人やコミュニケーション能力に問題アリの人はどうあっても外には出せないので、長期間にわたりその部署で飼い殺されていく
一方で社内規定違反等で送り込まれてきた人たちはその罪状等で懲役期間(実際に社内で皆そう言っていた)が決まる
私がその部署に異動になったときも「増田君は初犯だし懲役1~2年かなあ 俺は3年超えたけどまだ釈放されないよ」と声を掛けられたことを今でも覚えている
その部署にはやるべき仕事は基本的には無い 私に与えられた仕事は朝と夕方に郵便局へ行くことだったがどちらも1時間程度あれば終わってしまう
余った時間はもっぱらネットサーフィンで潰していたのだが、当然のことながら他部署の人たちからはいつも蔑みの目で見られていた
そんなこともあるのでこの部署の人たちは誰も社内食堂を利用していなかった ほぼ全員が弁当を持参しお昼には各自のデスクで黙々と食事をする光景は異様だった
そんな日々に耐えられず辞表を出す人、酒に溺れ体を壊す人も多数居た
ただそんな環境にさえ耐えられれば一日何の仕事もしないまま過ごして給料はこれまで通り貰えるのだ(ボーナスは人事評価に連動するので当然のように最低評価をつけられ3割程度減った)
私の場合メンタル耐性だけは万全だったので、心を病むこともないまま毎日定時退社しプライベートの時間も睡眠時間も十分に確保できる非常に楽しい2年間を過ごすことができた
夏休みがあるので。みんな小学校から高校までの思い出があるんだよ。昔の大人も、厳しい部活に通った子供達にも盆と正月しか休みがなかった。GWが長くなったのは、ここ10年の最近の話だよ。
あっついだけじゃねえか 蚊もいるしよ
夏の良さとしてあげられるもん言ってやろうか
いいですか こんなもん夏じゃなくてもできんだよ
つうかなあ 海なんてなんで行くかっつったら暑いからでしょうが そもそも暑くなかったら行かなくていいの
彼氏さんの好きなところはどこですか?「優しく治療してくれるところです」治療って何をですか?「彼に殴られてできた傷を、です」 そういう話なんだよ 暑いから冷たいビールがうまいしエアコンが気持ちいいし海が楽しいの 暑くてやってらんねえから休みにせざるを得ないの
お前たちが夏の良さだと思ってるのは夏による暴力への治療行為なんだ 騙されてんだよ
だいたいなあ なんで夏のクソあっちいし虫に刺されまくる最悪な夜に祭りをやるのですか 秋とか春の方がいいでしょ絶対
イベント類を抜いたら夏に見所なんてないんだ
春:気候がいい 花が綺麗 爽やかな空
糞:暑い 虫が多い 蒸す 台風が来る ものがすぐ腐る 寝苦しい 入道雲は良い 雨の匂いが強い
冬:雪が降って楽しい 服をたくさん着られる 空が青い
ダメだよ夏なんて 「「夏にしかできないこと」なんてないんだ 「夏にやることになってる行為」ばかりだ
アファーマティブ・アクションってやつか?秋にレジャー詰め込み過ぎたらあまりに夏がゴミで嫌になっちゃうから、せめて青春要素を詰め込んで楽しくしようってことなのか いいよお 詰め込んだってゴミはゴミなんだっつの 夏なんかに付き合わされて祭りがかわいそうだろうが 解放してあげよう
ヨーロッパなんかで夏を喜ぶのはわかるんだ 向こうは蒸さないし蚊も少ない 網戸がない家だって多いらしい
日本は違うよお 最低の季節だ 湿度90パーセントじゃねんだよ ほとんど水中じゃねえか
文化のコーティングによってカスみたいな季節を少しでもマシにする その気持ちはわかるよ
でも「夏が待ち遠しい」なんて欺瞞に満ちた論説は許しがたい 糖衣に包まれた薬を飲まされて「お薬大好き!」って言ってるようなもので、哀れとしか言いようがない
さて、自分は受験生となってもやりたい事が全く思いつかず、遊んでばかりいた成績の大変悪い高校生だった。進路がマジで決まらず(本当に勉強しない)(宿題をまともにやらない)(日本史以外赤点ぎりぎり)当時の高校の担任教師に「あんた教員あってるんじゃない?」と何故かすすめられ、そこからまあ色々あって真面目に勉強して、卒業すれば9割は教員となる教員養成系の大学に合格した。受かった報告をすると数学の先生に泣かれた。いつも20点台、調子良くて30点台のやつが受かったらそりゃ泣くよなと教員を経験した今は思う。
そうして絶対なりたいという思いがあるわけでもなかったが、せっかく免許が取れる学校だからまあなるかと4年間過ごし、教育実習もしてああ教員になるのも悪くないかもなと思って受けた採用試験に見事に落ちる。ですよね〜
教員は慢性的人手不足なのでとりあえず登録すれば臨時採用はほぼ確実、というわけでここにクソ意識低い系教員は爆誕した。
→1年目でだいたい月手取り20くらいもらってた、ボーナスは50くらい
・夏休みに連続20日とか休みとれる(ただし本採用だと出張が多いから取れて10日くらい)
→ただし長期休み以外はお察し
→朝はやくて夜遅いので時間外勤務と呼んでほしいと思う。だいたい1日13時間労働だった。たぶん場所によるけどこの業界で時間外勤務が月40以下のとこなんてファンタジー、架空の世界。定時なぞない。
→端的に言うと敗北してメンタルぶっ壊れて教員辞めました。南無。
・9割はヤバい人
→1年目のとき先輩に教わった。「この業界は9割はヤバい奴で1割はめっちゃいい人だから1割を探し出せ。」これから教員目指してる人とか初任の人は頭に刻みつけるんだ。
もちろん楽しい事も無かったわけじゃないけれど、だんだんと思考と心と身体がバラバラになっていった。本当につらかった。
じゃあ親しい人や家族に相談すればええやんと思う人もいると思う。自分にはできなかったのだ。
卒業したら9割は教員になる大学ということで周りの友人は小さい頃から教員を目指していたものばかりなので意識が違うのだ。みんなこういった不満を覚悟で生き抜いてるので「どこもいっしょ」みたいなのが根底にあった。
家族、誰も教職がいない。つらいつらいと漏らすと「全く分からない仕事なのに聞いてるこっちがめんどくさい」と突き放された。それから相談するのはやめた。あまりにメンタルボロで限界過ぎてメンクリでもらった薬飲んでたらバレて何故かこんなもの飲むなと怒られた。解せぬ。
にっちもさっちもいかず、どうしても限界すぎて教員を辞めて無事転職。給料は決して良くないけど毎日がメチャクチャ楽しい。定時に来て定時で帰れる喜び。帰ってからこうして文章が打てるくらいには元気。
ただ、教員を今でも続けている友人たちや頑張っている人たちは本当にすごいと思う。今もコロナの分散登校や今後の対応に追われる中必死に子どものために生きているのだ。だからもし先生っぽいなと思う人がいたらどうか優しくしてあげてほしい。9割のヤバい人かもしれないけどヤバい人にも人生があってきっと何か疲れてるところもあるだろうからね。あ、学校の先生なんか嫌いだ!無理!って人はそうなる理由があったんだろうからまあ寝言だと思っといてくれや。君にも君の人生だったり思いとか考え方があるしな。
教員を目指している人へ、ボロクソ言ったけど別に教員になるなというわけじゃない。楽しい事もあるし、嬉しいことももちろんある。ただキツい現状があるのも確かなので慎重に。なにも教職だけじゃなくてどんな仕事にも言えるけど仕事選びは真剣にね…ほんとうに……
最後になんとなく教員になろうとしている人へ、考え直すなら今のうちだ。教員じゃなくてもその免許を活かせる仕事はたくさんある。なんとなくならやめておいたほうがいい。
観たら絶対に自分は怒るだろうなと分かっている映画がある。原作の小説がとても好きで、映画化の際に「そこは変えちゃ駄目だろ」と思うような根底の部分にドひどい改変をされた映画だ。予告CM開始3秒でそれが分かったので公開当時は絶対観ないと決めていたし、観るような気分になる日が来るとは思ってもみなかった。
しかし最近、「公式との解釈違い」のような文言を用いて苦しむ人々をよくSNS上で目にするようになってその映画の存在を思い出し、いい機会だから観てみようかなと思った。何かコンテンツとの付き合い方における知見を得られるかもしれないし。原作版を大事に思いつつも、派生版も楽しんで愛せるような人間になれるならなりたいし……。
観た後では感情が大きく動いて今の気持ちを100%は思い出せないだろうから、観る前に今抱いている改変ポイントについての思いを書きとめておく。
(ひとつその映画について鑑賞前から確実に言える腹立たしい点は、原作者が亡くなった途端にその映画が作られ、「映像化は不可能と言われていた名作が遂に!」みたいな売り文句付きで世に出された事だ。映像化を何度も断ってきていた作者だから余計に……今までは作者が止めていた設定企画を、もう止める者がいない+追悼とか言える勢いから好き勝手にやっただけではないのかと思う。せめて存命中の公開なら「作者はこの映画化を了承したんだな」と思えたし、そうしたらきっと作者は何かしらのコメントを映画へ寄せるだろうから、それを見られればもうそれで良かった。原作レイプ(こんな言葉があったのを久々に思い出した)を通り越して屍姦みたいだ。大切な人の墓に立小便をされた気分だ。)
映画のタイトルは『悪童日記』と言う。原作の小説も同題だ(海外文学の中では普通によく知られてる方だと思うので、勿体ぶった言い方をしてしまって少し恥ずかしい)。
十年以上前、私は好きな作家がたまたま雑誌でこの本に言及するのを読んで、高校の夏休み中に手にとったそれに首ったけになり、ひと夏の間何度も何度も繰り返し読んで過ごした。だからこんな、映画を観るのに支障をきたすほどに思い入れが強くなってしまったんだと思う。
しかしそもそも映画化されたものをこき下ろしたい訳ではなく、映画を映画として楽しめる作品にするためには原作からの多少の改変もやむを得ないというのは充分承知の上だ。だからこの作品についての改変もなんとか納得したいという思いから、今自分は何に納得いっていないかを整理して考えたく、文章に起こしている。
(このカッコ内は余談なのでとばしてくれて構わないが個人的に、映画化された作品は映画→原作の順でふれた方が大抵の場合はどちらも楽しめるように感じる。原作→映画の順だとカットされた箇所や改変部分が気になってしまって映画を100%楽しめない事もままある。例えば私は『ジュラシック・パーク』に映画から先に入ったおかげでスピルバーグのあの映画をメチャクチャ最高不朽の名作だと思っているが、もしも原作の小説を先に読んでいてファンだったら、そこまで手放しで褒められたかは分からない。映画と原作では構成も人物もかなり別物だからだ。原作ではティムとレックスはティムの方がしっかり者の兄でレックスは足ばかり引っ張る幼い妹だし、Tレックスは二頭いて小さい方がかなりチャーミングだし、グラント博士は最初から子供に優しいし、ハモンドさんはかなり嫌な感じの爺さんでコンピーに集られて無残に死ぬのだ。)
改変箇所について書いていきたい。
映画の予告から分かる改変箇所は主に「父親の存在」「日記帳というアイテムの出自」だ。私はこれがこの物語においてかなり重要パーツだと思っているので、予告CM開始3秒で見られる改変にガタガタ白目をむき憤死する羽目になった。
原作の小説は主人公(双子の少年)の一人称「ぼくら」で書かれた日記の形式をとっている。彼らが母親に連れられて小さい町の祖母の家に疎開してくる所から話は始まる。詳しいあらすじが知りたい人は原作のwiki(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E7%AB%A5%E6%97%A5%E8%A8%98)でも見てくれ。ラストまでネタバレされてるから気をつけて。別にあらすじを知らなくてもこの文章を読むのに支障はないと思う。そういうふうに書けていることを願う。
父親云々の話に戻ろう。
主人公の家族について、母親は冒頭から登場するし、すぐに主人公たちを置いて行ってしまうがその後、他の男の赤ん坊を連れて二人の前に現れ、どうこうなるくだりがある。二人が母親に対して色々思いを抱いていることが分かるような描写もある。
描写があるという事は、書き手である主人公の双子がそれを必要だと判断したという事だ。詳しくは後述するがこの日記はそういうルールの元で書かれている。主人公が無関心もしくは不必要だと判じたものは書かれず、必要なものだけが書かれる。例えば作中の時代設定は戦争中なのだがそれが一体いつの戦争なのか、年号や国名、地名や人名などの固有名詞はほとんど出てこない。<大きな町><小さな町><解放者たち>などの言葉でしか分からない。関わる人々も名前はなく、ほとんど代名詞や役職やあだ名などでしか呼ばれない。双子自身の名前も出てこない。彼らは大抵はあんた達、時に祖母からは雌犬の子などと呼ばれる。
「父親の不在・不干渉」が、この小説(というか作者であるアゴタ・クリストフの作品はわりとどれも)に通底するテーマのひとつだと私は思っている。そして出てこないということはそれは「書かない」という姿勢で主人公たちの無関心を示しているのだから、映画にも変にひっぱり出してほしくなかったのだ私は。しかも作品の根幹である日記に関する部分で。一原作ファンの気持ちを言わせてもらうならば。
以下は物語終盤のネタバレとなるので、知りたくない人は読まない方がいい。
原作の終盤、国境付近にある双子(主人公)の家に、国境を越え亡命したいという一人の男が訪れる。双子はその男が自分たちの父親だと気がつくが、父親は二人が自分の息子だとは気付かないまま、亡命の協力を頼みこむ。双子はそれを承諾する。国境までの間には地雷があちこちに埋まっているし、軍の見張りもある。双子は彼に地雷が埋まっていない道筋や、見張りの目の外れる時間帯などを教える。
亡命決行の日、父親は国境へたどり着く前に見事地雷を踏み抜いて死ぬ。すぐにその足跡の上を双子の片割れが辿り、その死骸も踏みつけて国境を越え、亡命を果たす。地雷は国境と平行して並べられている。一度爆発した地雷と国境を結ぶ線上にはもう地雷は無いので、先に一人立てるのが最も安全な亡命のやり方だ。
原作の小説ではこの場面がラストだ。一人は父親の死骸を踏み越え国境の向こう側へ渡り、一人は残ってそれを日記に記録する。父親殺しと、それまで一心同体のようだった双子の別離が同時に強く印象づけられて終わる。
それなのに映画ではどうして、別れる息子達に日記帳を与えるような父親像に変え、それを受けて日記を書く子供たちに設定したんだ? 原作では双子は自分たちの稼いだ金と自分たちの意志で紙と鉛筆を買い、自分たちの定めたルールの元で事実だけを、ただ必要と思われた事だけを淡々と記録し続ける。彼らは感傷や感情は不必要とし、そういったウェットなものが取り払われ切り詰められた文体はこの作品の特長の一つだ。彼らの考えのもと自発的に書かれていくその日記こそが『悪童日記』という作品となっているのだから、日記帳というアイテムとその経緯は何というかかなり……成り立ちの部分ではないのか? この作品の根幹において、重要な位置を占めるはずだ。
それが映画ではいきなり、別れる父親からの最後のプレゼントという陳腐でウェットなしろものとなる。双子は父の言いつけを守り日記を書き出す。制作側はそこに何の違いもないだろうと思ったのかもしれないが、違うのだ! と言わせてもらいたい。強く。
日記帳は、それにものを書き続けるということは、戦時下に父とも母とも別離し粗暴で抑圧的な祖母宅に身を寄せねばならなくなった主人公の双子が、初めて自分たちで選び獲得した、何かそれこそ父親や教師代わり(彼らは学校にも行かない)のような、「この世界で生き抜く上で己の力になり、時に導いてくれる(と彼らが信じ掴んだ)モノ」だ。繰り返しになるがそれを「彼ら自身が」、彼らの面している世界であるところの小さな町で、そこの文具店で「身銭を切って」獲得した点が肝心なのだ。この話は平たく言えば庇護されない子供たちが、彼らの対峙する厳しい世界の中で、自身の力で何とかやっていこうとする物語だからだ。
「父親から与えられた道具」では過ぎ去りし想い出のよすがであるばかりか(感傷は双子がつとめて日記から排除してきたものの一つだ)、それが上の者から与えられたという性質上、彼らにとってただの環境の一つに過ぎない。それでは全く意味が違ってしまう。そうでは無いのだ。彼らは道具がたまたま得られたから書くのでは無く、もちろん父親に言われたから書くのでも無い。書くことは彼らが生きるために必要で、だから彼らは道具を求め、書いた。「書くこと」自体彼らの周りには教えてくれる者がおらず、二人は一冊の聖書を使って独学で読み書きを学んでいった。
「彼らが巻き込まれるしかなかった環境に逆らって、初めて自分で望み獲得したモノ」であったはずなのだ、この日記帳は。「書く」という行為は。そういう意味合いがあったのだ、原作の中では……。
そしてこれは作者の生い立ちや創作の源泉とも重なることが多いので(この作品を含めた彼女の作品群は半ば私小説と呼べるものが多い)、私は映画でこんな改変をされた事について作者の気持ちを思うと、勝手にやり切れないものを感じてしまう。作者はもう亡くなっており、死者が尊重されないのは彼女の作風からするとむしろ合っている事なのかもしれないが……。
とりまとめて言えばまだ子供な上にただでさえ不自由が多い戦火の中、それが主人公たちにとっての武器であり糧であり強く生き抜くためのモノだった日記帳が、映画ではまるで父親から受け取った愛みたいなものに、ともすれば別れた父親を想って書かれているようにも受け取られるものにすり替えられてしまった。かなりアイデンティティぶっ潰れではないか? どうしてそんなことをしたんだ? この日記は彼らの「書く」という意志のもとの話でしかないのにその根本を摘み取り別な物に置き換えたのは何故? 映画を観れば何か納得できる答えは得られるだろうか。頼む、納得させてくれ! 煽りではなく心からそう思っている。
観たら本当にメチャクチャ怒り狂ってしまうかもしれないので心の準備をするためにいくつか映画レビューを読んだのだが、映画では日記帳にパラパラ漫画が描き込まれている描写があるという。パ……パラパラ漫画!? と二度目の憤死をした。あの全ての無駄を省き贅肉を削ぎ落としたような原作の文体、淡々と事実の記録しかしない所に物語的にも大きな意味が込められている事を知っているはずの制作側はどうしてそんな付け足しを? 主人公(ひいては作者)が定め、遵守してきたルールを踏みにじるような真似を……どうして……。
もちろん、映画化された事によって現代日本の読者からは想像もつかないような、主人公たちが生きた当時の暮らしの風土や感覚などを凄いリアリティで感じられる事などについては大変嬉しく思う。そういった映像表現についてはきっと素晴らしい映画であるだろうと感じられるのだ、予告からだけでも。
主人公の双子を演じる少年たちのビジュアルも、原作から受ける印象そのままと言っていい。もうそれだけでも十分以上のものだし、納得出来ない点があっても他に目を向けて感謝して観れば良いのだ……と思えるようになるまでに何年もかかってしまった。映画が公開されたのは2013年のことだ。
私は本当にこの映画を観て納得したいし、納得出来なくてもそれはそれで良かったと思えるようになりたいと本気で願っているが、どこまでまっさらな気持ちでこの映画を受け止められるかが分からない。願わくばこの物語に関する記憶を消して映画を観られたら、その後で初めて原作を読めるのなら、とても幸せなことだと思う……。でも、それは無理な話だ。
だから私はこれから記憶も思い入れも抱えたまま歯を食いしばってでも全部観て、自力で噛み砕いて納得するしかない。きっとそれはこの先の自分にとって有意義なことなんだろうが、こんな文章をジタバタ書いて整理しないと腹がキマらない位には苦しいものがあった。長くなってしまったが、読んでくれた方は本当にありがとう。
せめて映画ではラスト、父親はちゃんと地雷で惨たらしく死んで、主人公はその死骸を踏んづけてくれるんだろうなあ!? などとうるさく言いながら観ることにする。そういう観方でもしなかったら多分無理だ。その後言える感想があったら追記する。怒り狂っていたらすまない。
☆いきなり管を巻きまくってしまったが、小説『悪童日記』はマジの名作の上にアッと言う間に読めるので、気が向いたら是非読んでみてほしい。もし面白かったなら続き(『ふたりの証拠』、『第三の嘘』)もある。全三部作で、全て読むと分かる構成が本当に、本当に素晴らしいんだ。
増田に文化として根付いてるお気持ち長文、アレはまったく無視されるやつであれ最終的にすげえ伸びるやつであれ、最初は「うんち」「長すぎ」みたいなトラバがつくもので、基本的には嫌がられてるものだと思う。
俺もいろんな増田のいろんな増田が見てえなと思ってスクロールしてるところでクソ長い記事が混じってるといや長えよ要約しろなんて思うのだが、一方でこんなに長い文章が書けるのはすごいなあと素直に感心もするのだ。
なんせ書けない。夏休みの作文(800字)でつまづいてたんだから、根本的に長文を書くことが苦手なのだ。自分としては結構長文を書いたなあと思っているエントリを引っ張り出してきて文字数カウントにかけてみたら698字だった。夏休みの作文にすら届いていないというのはなかなかショッキングだ。
どうやったら長文が書けるのかってのを考えてみると、まあやっぱり気持ちの大きさなんだろうな。スーパーに行って出来合いのピザを買ってみたら思ったよりうまかったよ!なんてテーマでそんな何千字も書けないが、自炊するならピザを作れ!という強い気持ちがあれば5181字書けるのだ。あの増田そんなにあったのかよ。怖えよ
ここまでで500字ちょっとで、俺はこのあたりから結構書いたなあと感じ始める。でもこの10倍くらい書くのがお気持ち長文というもので、マジで空恐ろしい。いくらスクロールしても終わらないんだもんな。参ってしまう。
長文でも箸にも棒にもかからない文章ってものが結構流れていく(これもそうなる!)のが増田の魅力のひとつで、しかもそういう流れていく長文に限って気取ったタイトルが付いてたり読者への呼びかけが入ってたりする。ふはは、てめえの声は誰にも届かねえよと思いながらいよいよサルベージされない場所へと押し流されていく増田をみるのは小気味良くて、再投稿されると冷や水を浴びせられたような不快感がある。ダイアリーって名前なんだからあくまで日記であって、無視されたからってもう一回掲げなおすようなものではなかろう、と俺は思うからだ。Twitterかなんかでやれよな。
900字近くまで来た。これでもまだ長文ってほど長文らしさがないので、普段見ているお気持ち長文たちがどれだけすごいかがわかるというものだ。アレ1時間とかかけて書いてんのかな。創作やってる人が多いから文章かくのに慣れてるっていうのはありそうだ。
旅館に行きたいという気持ちがずっとあって、この前は一室の絵まで書いた。べつにすごい景色とか素晴らしい浴室なんてものは求めてなくて、むしろこぢんまりした感じのほうが好ましい。虫がいるのは嫌だけどな。半年前くらいに彼女と旅館に行って、俺は結構いいところだと思ったのだが女風呂の状態がメチャ悪かったらしく彼女が悲しんでいた。風呂には藻のようなものがあり、そのへんに虫がいて…と、ちょっと信じられないようなことを言っていてかわいそうだったな。次どこかに行く時は彼女も楽しめたらいいんだけど、その次がいつになるかがわからない社会情勢になってしまった。
コロナ禍でガラガラポン…という儚い望みはあるものの全然叶わなそうで、それだったらさっさと収まってほしいが、とはいえここで収まったらただ損するだけな気もしていて、やっぱり社会が破壊されるくらいにまで粘って欲しいという気持ちもあるものの、近所の店がシャッターを下ろしていくのをみると悲しくもなるので難しい。
あ~父親が亡くなって遺産が入ったから、預金が一桁アップした件か。
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何故なら、母がぜ~んぶ使っちゃったから(笑
それでも尚、父に財産と言えるものがあったのは、母が先に亡くなり、母はその母親(私にとっては祖母)からの遺産を受け継いでいたから。
その一部を相続した某親族がすぐに売り払い、そこにマンションが建った、と言えばかなりの広さを想像してもらえるだろう。
夏休みに近所の子が単なる林だと思って迷い込むような土地の一部を、母も相続した。
そしてそれをいつの間にか換金していた。
その中には未だ換金出来ていないものもある。でも私は呑気なので、まあその内、と思っている。
通帳に数字になって記されていた金額は、正直想像を超えた金額だった。
これが、私の口座の預金額を一桁アップさせた原因だ。
ついこの間、趣味の小銭貯金の壺がいっぱいになったので、預金しにいった。
すると、窓口の女の子が言うのだ。
「定期預金にされませんか? 万が一キャッシュカードを紛失して悪用されたら、全部引き出されてしまいますよ」
それもそーだ、と承諾したら、別の窓口に案内された。
そこで対応してくれたのは、窓口の女の子ではない全くの別人。我が息子程ではないがそこそこ若いお兄ちゃん。
「〇円単位だと利率が上がります。そこの電光掲示板の利率より……交渉で10倍になります」
はいぃぃぃぃぃ!?
ちなみに普通の定期預金だと、その時0.01%だった。普通口座なら0.001と、もう一個0が増える。
当分使う予定もないし、預けておくか。
「0.1%になりました!」
……はいぃぃぃぃぃ?
その時私は思ったんだ。お金持ちはこういう優遇がある所為で、もっとお金持ちになるんだ。
と、こう書くと私自身がめっちゃお金持ちになったように読まれてしまうが、本人に自覚はない。
高校入学時にパソコンを買ってもらって、FrontPageExpressってソフトウェアが入っていた。
触ったら、Webサイトを作るソフトって事を知って、その日に本を買ってHTMLでページを作った。
数日たって、掲示板を置いた。
その時にPerl言語を知って、ソースを見て何となくいじったりして覚えていった。
そんで、親戚が務めている会社のWebサイトを作ってくれって頼まれて作ったり、その会社経由でPCサポートのバイトをしながら
自宅でサーバを立ててみたくて、その時はFreeBSDをインストールして、色々必要なアプリのソースコンパイルしながらソース見て行って
C言語を何となく覚えて、自分でファイル圧縮を作ってみたりソケット通信作ってみたりした。
その後、たしか高3くらいでDirectXが面白そうでいじり始めて、一回挫折して
VB6で暇つぶしで電卓作ったり、関数をC++で作ってdll化とかしていて
ふと、DirectXをいじったらすんなり扱えるようになってたり
って感じで、とりあえず何かを作って表示させるってのは成功体験として凄く楽しいし、
だからといって、自分で調べないで教えてもらって表示出来ましたってのは、成功体験として弱すぎる。
何も見ずに全部作れるレベルになるまでには、相当な回数の検索をしないといけないから、その練習にもなる。
https://anond.hatelabo.jp/20200519162131
上の増田のブコメで「学校に通わないと勉強できない奴はプログラマーに向いてない」とか強い言葉の意見が目立つけど、こういうやつらはもちろんCS系の大学にも行かず、プログラミングの相談ができる友人もいない状況で、1つのノートPCとK&R本を片手にのし上がってきた天才たちなので、凡百の俺らは真に受けてはならない。
「プログラマーになるのにスクールはいらない。独学で十分」が成り立つ条件は、「小学生の夏休みくらい無限に時間がある場合」や「大学生特有のハイパーモラトリアム期間」に限る。バグに遭遇したら朝から晩まで試行錯誤しても何も言われないとか、環境破壊しちゃったら何もかもめんどくせーからOSごととっかえたりできるとか、そういう無限時間とご飯はお母さんが作ってくれる(もしくは一人で適当にすませることのできる)環境じゃないと難しい。ましてやスクールを検討してるのなんて成人済みが多いだろうから、よほど実家が太いとか養う相手がいないとかでない限り、短期集中でのスクールを検討するのは自然で合理的と俺は思う。ただ俺はスクールを知らない。
プログラマーとしてある程度のレベルになると(そして職業プログラマーになると)、あらゆるバグ・機能実装の要件・そもそも実現可能か?などは、自分(と同僚)で調べて相談して解決できるようにならないといけないので、そういう意味では「学校に通わないと勉強できない奴はプログラマーに向いてない」本当。しかしそのレベルにいくのに独学に拘る必要はない。
再度言うけど俺はスクールを知らんので、スクールが良いとも言わない。数十万の金があるならドラム式洗濯機買ったほうが良いとかいろんな意見が出てるから、それらを参考にして、結局は自分で決めるしか無い。ただドラム式洗濯機はお前にプログラミングを教えない。ドラム式洗濯機を推めるやつもお前にプログラミングを教えない。放送大学という選択肢もあるかもしれない。
ひとつはっきりと言いたいのは、「どんなにしょぼくても挫折せずひとつのアプリケーションを作りきってみせる」が最初は大切だと思うので、そのへんの面倒を見てくれる人が付いてくれるなら、スクールでもなんでもいい。プログラミングは兎にも角にも挫折ポイントが多い。
今回の増田のことをきっかけに、はて俺はどうやってプログラミングを覚えたかと考えてみた。俺は情報学系の大学になんとなく入って、そこから生まれて初めてプログラミングをやり始めた。大学で友人もできなかったので学業に力をいれていたら、そのままズルズルと惰性でプログラミングを生業とすることになった。大学院にも行ったので、6年をプログラミングに費やしてから就職したと言える。俺はスクールに行ってないし、先述したとおり友人もいなかったので、全部独学だ(大嘘。大学の授業を受けてC言語やアルゴリズムの基礎を覚えていった)。そんな俺がおすすめするのはドラム式洗濯機。あれはQOLが爆上がりする。プログラミングは教えてくれないけど。