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はてなキーワード: ぼんやりとは

2019-06-04

写真撮る人爆ぜていなくなって欲しい

私は写真が嫌いだ。

正確にいうと「写真を撮る人が大嫌いだ」。

嫌いというか、全員地球から消えていなくなってほしいくらいには思っている。一見見た目が普通の人でも、「趣味写真撮影」とか言われちゃったら、それだけで正直印象は悪いし仲良くしたくない。

恋人絶対写真以外の趣味をお持ちの穏やかな人がいい。絶対写真を撮る人とは深い関係を築きたくない。家族にいなくてよかったと思ってる。

ここまで聞いて「お前、写真を撮る人に親でも殺されたのか?」と思った人は沢山いるでしょう。

あと、「頭ごなしに否定するのもやめろ!全員が全員悪人じゃない!いい人も居る!」と思った人もいるでしょう。そんなのはわかってる。わかった上での結論が「写真を撮る人全員いなくなってくれ」だ。

なんでそこまで写真を撮る人を嫌いになったのか?

そもそも私は写真を撮る人だ。しかも、休みがあればその休みを全部写真撮影につぎ込むような人間だった。

更に言えば、写真好きが高じて「私も自分の手で大好きな写真業界を盛り上げる手伝いをしたい!」と思って、高校大学死ぬほど勉強をし、念願の写真関係仕事に就く事になった。(過去形だけど。)

その時はまだ写真を撮る人のことも全然嫌いじゃなかった。

写真を撮る友達も沢山いたし、写真を撮る人のみっともない言動や言い争いを見ても「まあ、写真ってそういうものだしな」とスルーできていた。

そこから数年経って、仕事私生活が忙しくなって写真撮影に行けなくなり始めた。新機種は追っていたものの、前と比べるとぼんやりと追っていたと思う。

そんな中、友人からの勧めでいくつかの別の趣味にハマった。

今までやったこともないような新しいことを体験して、知見が広まったような気がした。それでその時、「写真界隈ってなんであんなにギスギスしてたんだろう」と思ってしまった。

新しい趣味はどれも来るもの拒まず、去る者追わず、何も知らない人に対しては「もっと好きになってもらって欲しい!」と全力で応援するようなスタイルだった。知識量や写真歴でどっちが上とかもない。楽しんだもん勝ちで、みんながみんなお互いを尊重していた。ていうか、普通はそれが当たり前であって欲しい。

対する写真といえば、まず初心者所謂にわか」にとって全然優しくない。「(個人差はあれど)自分と違うスタンス人間が見逃せなくて、それを主張したくてたまらない人が多い」というのが、写真を撮る人であり運営側から少しだけ見ていた自分の印象だった。

本来であれば人の好きなもの自分が嫌いだからと言ってわざわざ面と向かって否定はしないだろう。だってコミュニケーションを円滑に行う上でその行為は害しかいから。

赤色が好きで、洋服はいつもワンポイントで入れてるんです。」という人に、「俺、赤色嫌いなんだよね〜w」とかいう奴はまずいない。いたとしても、空気が読めないバカぐらいだろう。

だけど、写真を撮る人には余裕でいる。余裕で言う。「写真ってそういうものでしょ?」という考えがあるから、言った側も「こんなのちょっとした冗談じゃん」程度で普通に言ってくる。言われた側からしたらたまったもんじゃない。

さっきの例えに続くなら、「酷いことを言われたと言っても、お前が赤色が好きなのをオープンにするのが悪い。言われて当然なんだから我慢しろ(納得しろ)」とまで言うような人もいる。セカンドレイプもいいとこだ。

極めて異常である。お互いにヤジを飛ばしたり、敵対心を持って対峙する撮影スポットでの空気がいつの間にかに染み付いて、現場の外にも持ってきてしまっている。

しかもこれが一般ファンだけじゃなく、内部にいるような「お前そう言う偏見持ちながら仕事してたらアカンやろ」というような立場の人にもいた。いたと言うかなんなら結構多い。「自分の方が上」とでも言いたいのか、ユーザーを見下すような発言もよく見られた。

数年経って転職したのもあり、写真という話題から離れて、撮影に足を運ぶ機会もどんどん減って行ってしまって現在に至る。

写真特有空気感や考え方が染み付いてしまうとおかしくなってしまう。めちゃくちゃやばいやつを見て「あいつ程ではない、まだ自分分別がついている」と思ってる人は多いが、普通一般から見たらおそらく大体の写真を撮る人はやばい人のくくりの中だと思う。

なんでこんな話を改めてしたのかと言うと、飲みの場で新人女の子が「去年から写真撮影をしてて、PENTAXを使っているんです」と言っていた所に、やっぱり「俺PENTAX嫌いなんだよね!」「やっぱオールレンズが安いかPENTAXにしたんでしょ?」、HELIOS-44が好きと答えると「まあ、安パイだよな〜笑」などと、平気な顔をして言う酔っ払いバカ複数いたのを見たからだ。

女の子の顔は引きつっていた。

やっぱり写真を撮る人は全員爆ぜていなくなって欲しい。

2019-06-03

はてなー全員爆ぜていなくなって欲しい

私ははてなが嫌いだ。

正確にいうと「はてなーが大嫌いだ」。

嫌いというか、全員地球から消えていなくなってほしいくらいには思っている。一見見た目が普通の人でも、「趣味はてブ」とか言われちゃったら、それだけで正直印象は悪いし仲良くしたくない。

恋人絶対はてなー、ひいてはネット以外の趣味をお持ちの穏やかな人がいい。絶対はてなーとは深い関係を築きたくない。家族にいなくてよかったと思ってる。

ここまで聞いて「お前、はてなーに親でも殺されたのか?」と思った人は沢山いるでしょう。

あと、「頭ごなしに否定するのもやめろ!全員が全員悪人じゃない!いい人も居る!」と思った人もいるでしょう。そんなのはわかってる。わかった上での結論が「はてなー全員いなくなってくれ」だ。

なんでそこまではてなーを嫌いになったのか?

そもそも私ははてなーだ。しかも、休みがあればその休みを全部ブクマにつぎ込むような人間だった。

更に言えば、ネット好きが高じて「私も自分の手で大好きなネットを盛り上げる手伝いをしたい!」と思って、高校大学死ぬほど勉強をし、念願のネット運営関係仕事に就く事になった。(過去形だけど。)

その時はまだはてなーのことも全然嫌いじゃなかった。

ネット友達も沢山いたし、SNSのみっともない炎上や言い争いを見ても「まあ、ネットってそういうものだしな」とスルーできていた。

そこから数年経って、仕事私生活が忙しくなってブクマできなくなり始めた。ホッテントリは追っていたものの、前と比べるとぼんやりと追っていたと思う。

そんな中、友人からの勧めでいくつかの別の趣味にハマった。

今までやったこともないような新しいことを体験して、知見が広まったような気がした。それでその時、「増田ってなんであんなにギスギスしてたんだろう」と思ってしまった。

新しい趣味はどれも来るもの拒まず、去る者追わず、何も知らない人に対しては「もっと好きになってもらって欲しい!」と全力で応援するようなスタイルだった。知識量やマウンティングでどっちが上とかもない。楽しんだもん勝ちで、みんながみんなお互いを尊重していた。ていうか、普通はそれが当たり前であって欲しい。

対するはてなといえば、まず初心者所謂にわか」にとって全然優しくない。「(個人差はあれど)自分と違うスタンス人間が見逃せなくて、それを主張したくてたまらない人が多い」というのが、はてなーでありネット運営から少しだけ見ていた自分の印象だった。

本来であれば人の好きなもの自分が嫌いだからと言ってわざわざ面と向かって否定はしないだろう。だってコミュニケーションを円滑に行う上でその行為は害しかいから。

Togetterが好きで、アプリも入れてるんです。」という人に、「俺、棘嫌いなんだよね〜w」とかいう奴はまずいない。いたとしても、空気が読めないバカぐらいだろう。

だけど、はてなーには余裕でいる。余裕で言う。「はてなってそういうものでしょ?」という考えがあるから、言った側も「違う。こいつは滅んでよし」程度で普通メタブしてくる。メタブされた側からしたらたまったもんじゃない。

さっきの例えに続くなら、「違う。酷いことを言われたと言っても、お前が棘が好きなのをオープンにするのが悪い。言われて当然なんだから我慢しろ(納得しろ)」とまで言うような人もいる。セカンドレイプもいいとこだ。

極めて異常である。お互いにトラバ飛ばしたり、敵対心を持って対峙する増田での空気がいつの間にかに染み付いて、ネットの外にも持ってきてしまっている。

しかもこれが一般はてなーだけじゃなく、階級上位にいるような「お前そう言う偏見持ちながらブクマしてたらアカンやろ」というような立場の人にもいた。いたと言うかなんなら結構多い。「自分の方が上」とでも言いたいのか、ネット民を見下すような発言もよく見られた。

数年経って転職したのもあり、ネットという話題から離れて、増田に足を運ぶ機会もどんどん減って行ってしまって現在に至る。

増田特有空気感や考え方が染み付いてしまうとおかしくなってしまう。めちゃくちゃやばいやつを見て「あいつ程ではない、まだ自分分別がついている」と思ってる人は多いが、普通一般から見たらおそらく大体のはてなーはやばい人のくくりの中だと思う。

なんでこんな話を改めてしたのかと言うと、とあるオフ会最近はてなブログ始めた女の子が「去年から増田鑑賞をしてて、AQMさん応援しているんです」と言っていた所に、やっぱり「俺アクメ嫌いなんだよね!」「やっぱ連投してて星稼ぐからお気に入りになったんでしょ?」、有名ブクマカが好きと答えると「まあ、キモイよな〜笑」などと、平気な顔をして言う酔っ払い古参気取りが複数いたのを見たからだ。

女の子の顔は引きつっていた。

やっぱりはてなーは全員爆ぜていなくなって欲しい。

anond:20190603150129

記憶曖昧

アラサーなんだが、学生時代記憶は朧気で、高校の時の担任ぼんやりしか覚えてない。

社会人になってから記憶曖昧

日常生活は送れているけど、学生時代同級生名前も思い出せない。前職の部下の名前も思い出せない。

からこんな感じで記憶がどんどん零れていくんだが、これ、普通

みんな小学生の頃のクラスがどこだったかとか覚えてんの?

辛かった記憶とか感情は残ってるのに、いつが幸せで楽しかたかとかはよく思い出せない。辛かった記憶も仔細を思い出すことは出来なくて、いつ頃こんなことあったな、ってくらい。まあそれも「高校2年の時不登校」ってレベル記憶で、なんで学校行かなかったのか、とか、家で何してたか、とかまでは思い出せないし、なんで学校に行けるようになったのかも思い出せない。

ふと「戻るなら何年前に戻る?」って考えたんだけど、いつがベストなのかよく分からなくて。

オタク的に『コブクロ』の人生ストライクすぎる話をしたい

皆さんは『コブクロ』というデュオをご存知だろうか?「ゆず」と区別のつかない人、身長差がある方です。

今やその名をインターネット検索すれば焼肉の部位よりも上位にヒットするようになった彼らは、2001年に『YELL〜エール〜』でメジャーデビュー2007年日本レコード大賞を受賞した『蕾(つぼみ)』や、卒業ソングとして知られるようになった『桜』も耳に馴染みがあるのではなかろうか。

知名度が高いゆえ、さまざまな印象を持つ方がいるかと思う。

卒業式で歌った!」という方、羨ましい。

「ゆったりした応援ソングばかりのイメージ」という方、間違ってはいない。ロックな曲も多いがヒットするのはバラードばかりなのが歯痒い。

ゆず区別がつかない」という方、わかる。私も区別がつかない歌手は山ほどいる。

自分は歌が上手いと思っているおっさんが部下を連れたカラオケで得意げに歌う歌手」という方も、まあそういう人が周りにいるのだろうから間違ってはいない。

「正直一時期流行りすぎて聞き飽きた、歌詞がサムくて胸焼けがした」と感じている人もいるかもしれない。コブクロ歌詞綺麗事が多いから、そういうのがアレルギーな人もいるだろう。ただこれに関しては、小渕さん(小さい方。詞曲ギター担当する)が「自分が落ち込んでる時に言われたい言葉を書いている」と言っていたので、そういう側面が大きい。ちなみに私は綺麗事理想論を貫くタイプ創作物が大好きな人間だ。

栄光の架橋?」、それはゆず

ケミストリー?」、顔面偏差値が違う。

スキマスイッチ?」、豆知識だがコブクロスキマスイッチはかなり仲良しだ。

ゆず?」、違う。大先輩。

はてな語で書いているので前置きが長くなったが、本題は「コブクロ人生がほぼ漫画」という話だ。

ことわっておくと私はヤバいレベルアニメオタクだ。ツイッター廃人で、ソシャゲ課金しまくり、dアニで毎日ホビアニを観て泣いている。同人誌も出している。家にはたくさんの漫画小説がある。舞台も観に行く。映画ドラマも好きだ。

つまるところ「人の作った物語」が好きなのだ。人の作った物語には「テーマ」や「意図」があり、それを直接台詞で、あるいは暗喩で伝えてくれる。「これはこういう意味で描かれたんだなぁ……」と思うのが好きだし、作品を観ていて「なるほどこれがこの話のテーマだったのか、これを伝えるためにここまでの本編の全てがあったのか」と分かったときの感動は凄まじい。そういう意味ホビアニテーマが明確なので最高だ。子供でもわかるように作ってある。

と、話がまた脱線したが、『コブクロ』という物語の持つ「テーマ」を私は「パートナーシップ」だと思っている。「パートナーシップ」というもの念頭に2人を見ているとエモくてエモくて仕方がないのだ。

まず、コブクロ誕生までのバックグラウンドを語っておこう。

小渕さん(小さい方)は宮崎県の生まれ現在42歳。18歳の時に亡くなったお母さま(有名な『蕾』の母だ)と、4年前に亡くなったお父さま(この時のことを歌った『星が綺麗な夜でした』という楽曲がある)は民謡を教えており、音楽に触れて育った。BOØWYに憧れるギター少年だった。

黒田さん(大きい方)は大阪府の生まれで同じく42歳。オトンとオカンの話はライブでも頻出するのだが、所謂ベタな"大阪人"家族だ。子供の頃から背が高く、ランドセルを背負っているとおかしいからと小学校は途中からトートバッグで登校させられていたらしい。めっちゃかわいそう。

2人が出会ったのは1998年、小渕さん(小さい方)は音楽で食べていきたいという夢をとうの昔に諦め、故郷を離れ大阪堺市サラリーマン仕事に精を出していた。シロアリ駆除会社営業主任をしていたそうだ。当時21歳で……すごいな……。そして仕事憂さ晴らしに毎週末ストリートライブをしていた。いや元気すぎるだろ。ちなみにこのサラリーマン時代経験から会社はクソ!!!!」みたいな曲も幾つか作っている。強すぎる。

黒田さん(大きい方)はニートの傍ら(?)堺市銀座通り商店街ストリートライブをしていた。「大きい方ってギターとか弾けるの?」と思った方、実はあまり弾けない。ノリで弾いていた。冬は軍手をして弾いていたらしいがそれって音とか出るのだろうか。にわかには信じ難いが歌がうますぎるので許されていたのだろう。

2人は偶然にも同じ時期に同じ商店街ストリートライブをしており、双方声がデカすぎるので徐々に周りから他のストリートミュージシャンがいなくなっていった。そして交流し、互いの歌を認め合い、「オリジナル曲を作ってくれないか」と頼んだのは黒田さん(大きい方)だった。カバーしか歌っていないのは小渕さん(小さい方)も同じだったがせっかくだからと了承し、仕事の合間を縫って少しずつ歌を考えた。そうして手探りで出来た歌が『桜』だ。テーマはうっすらわかるが、歌詞のまとまりがあまりなく、フレーズごとの繋がりがフワフワと宙に浮いているような感じがするのもそういう経緯が理由だ。

黒田さんは曲を貰うと早速ストリートで歌った。小渕さんが気になって聴きに行くと、歌はめちゃくちゃ上手いが相変わらずのめッッッッちゃくちゃなギター珠玉名曲『桜』は歌われていた。見かねた小渕さんが「イヤイヤイヤなんじゃその演奏!!!!!貸せやい〜!!!!」(※イメージです)とギターを奪い取り、ノリでハモって一緒に歌い上げた。すると商店街の道を塞ぐほどの観客が集まり、その後二人はコンビを結成する。『桜』の歌詞カードに「こぶちとくろだだから、『こぶくろ』」と書いて配ったのが、コブクロ誕生の由来だ。

ここから先も時間があればあるだけ語れてしまうような長い道のりがあるのだが、あまり長すぎても読んでもらえないと思うので泣く泣くカットして「パートナーシップ」の話をしよう。

オタク的なデフォルメ説明をするなら、コブクロの二人は「夢を諦めた天才と、夢を直向きに追い続けてきた天才」のユニットだ。

夢を諦めてサラリーマンをしていた作詞曲の天才が、ガツンと頭を打たれたような衝撃と共に歌の天才出会い、「この声世界に届けたい、この声を一番生かせる歌を書けるのは俺しかいない」と創作意欲を刺激されて再びギターを握った(一人でストリートをしていたのでギターはずっと握っていたが、これは比喩です)物語だ。

いやもうキンプリのコウジとヒロじゃん?(オタクすぐそういうこと言う) オタクこういうの好きでしょ?うたプリ1期でもハルちゃんが言ってたじゃん、「皆さんの歌を作れるのは私しかいません!」って。まさにそれ。

1998年の夏、人生を変える出会いをしたんですよ二人は。ジョジョ4部か?

今でも小渕さんは黒田さんの歌が大好きで、ライブ黒田さんの『流星』聴いて泣くんですよ。好きすぎか?普通相方の歌聴いてステージ上で泣くか?

すごいのが、小渕さんわりと「小渕さんから見た黒田さんのことだろうな……」って歌詞を書いて黒田さんに歌わせるんですよ。黒田さんどういう気持ちで歌ってんだろうな、これ……てなる。

「夢を拾った桜の下で君に出会わなければ今ここにいない」(『STAGE』より)

子犬のようにびしょ濡れでうずくまった rainy day 心にさす傘を探し彷徨った lonely days 君の声だけがどんな雨も避けてくれたんだ

(中略)いつでも 僕らここで一つになれる 夢だけ忘れないでいたなら」(『One Song From Two Hearts』より)

「短い針が止まれば長い針も止まる 同じ痛みを分け合えることいつしか喜びに変わるから (中略)出会えてよかった」(『時の足音』より)

イメソンだ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!(ニコイチに弱いオタク叫び)

いや……イメソン天才か?

これらの曲以外にもコブクロはめちゃくちゃ自分たちのことを歌ってくれてるので、私オタクコブクロのことを「二人のパートナーシップを題材にした少年漫画」と勘違いしてしまうんですよね。音楽コンテンツみたいな。

前述したように私はテーマや作り手の伝えたいことが見えるものが好きなので、こうもはっきりそれを伝えられてしまうと大歓喜をしてしまう。先程歌詞を挙げた『時の足音』なんかは特に顕著。

「誰もが一人 一つ 一瞬 一秒 一度きり 巻き戻せない時を躊躇わず生きていける そんな出会いを探してる」

という歌詞、まじで、コブクロのことじゃん……自分がそういう出会いをできたから、こんな歌が書けるんだ……てなって泣くんですよ。

私は常々「誰か一人に向けたたった一つの強い感情が一番多くの人の心に届く」と思っていて、まあこれも実は小渕さんに気付かされたことなんですけど。

小渕さんが以前インタビューで「千人に向けて歌っても誰も振り向いてくれない。だけどたった一人に向けて歌えば、千人が千通りの受け取り方をしてくれる」と仰っていたことがあって。全然違う場所だけど、映画ボヘミアンラプソディ』でもQueenが『Bohemian Rhapsody』をレコード会社に「意味わからん」と言われた時に「意味聴く自身が受け取ってくれる。聴き手はみんな自分のことだと思ってこの歌を聴くんだ」みたいなことを言ってて、マジでそれ〜!!!!と思った。

コブクロNo. 1ヒット曲の『蕾』もそう。ただ一人、世界でたった一人しかいない自分母親に向けて作った曲だからこそたくさんの人の心に届いた。うたプリの初期曲だって春歌のためだけに作ったラブソングがめちゃくちゃ私たちの胸に響くし、伏見弓弦の『ずっとそばで…』とかたった一人の愛しい人に向けてるからこそ強い力を持った曲になってる。大衆向けにぼんやり作られた歌は、やっぱりぼんやりとしたメッセージしか持てない。

そういうわけで、コブクロの曲っていうのはメッセージを伝えたい相手がたった一人であることが多い。小渕さんが自分自身に向けてのメッセージを書いてることも多い。ファンに向けて書いてる曲も。他人の歌じゃなく、自分たちの中にある物語を歌ってる。

から私はコブクロが大好きだし、コブクロの歌を「胡散臭」と思っている人たちにこの『コブクロ』という物語イメージソングとして聴いてみてほしいと思っている。

コブクロファンが 『桜』のことをやたら大切にするのは、この曲がヒロとコウジで例えた時の『pride』だからだ。あんスタで例えた時の『ONLY YOUR STARS』だからだ。うたプリで例えた時のオーディションソングからだ。

二十代の女が40過ぎのおっさん達に2次元アイドルさながらのコンビ萌えをしているのもどうかと思うが、ここで語ったことはコブクロに強く心惹かれる要因うちの一つであって、黒田さんの歌の強さ、声のすごさ、トーク面白さなどなど複合的な理由で私は一生コブクロオタクをやめられないと思うし爆音コブクロを聴いては「歌がうめえ……歌詞エモい……イメソンじゃん……歌うま……ここのしゃくりが最高……」と一生泣いてると思うし、これからライブに行きまくると思うし、とりあえず大阪移住したい。

何言っとんのか分からなくなってきたけど、とりあえず終わり。今年のツアーのオープニング映像を見て生きてる人間同士の映画のような奇跡出会い、共に20年歩んできたパートナーシップへの尊さが爆発して書きなぐったオタクの長話でした。

2019-06-01

PCエンジンミニの収録作と発表ニコ生の出演声優を予想するコーナー、それとミラクルガール替え歌

みなさん。

ここ最近ゲーム業界ブームといえば何ですか?

そうです「ミニブーム」です。

ファミコンスーファミPSネオジオメガドラと数々の往年の名ハードミニ化しています

次に続くのはなんでしょうか?

そうです、PCエンジンに決まっています

そこで、PCエンジンミニの収録作を予想します。

ですが、それだけではつまらないですよね。

PCエンジンといえば、なんですか?

ボイスです!

もう一度いいます、ボイスです!

なので、収録作10本を予想した上で、その収録作を発表する際に出演する声優も予想します。

以下まずは、収録作です。

天外魔境II

夢幻戦士ヴァリス

高橋名人の新冒険

誕生 〜Debut〜

龍虎の拳

リンダキューブ

あすか120%マキシマ BURNING Fest.

ADVANCED V.G.

雀偵物語セイバーエンジェル

アルカノイド(※言いたいことはわかりますが、最後まで読んでください)



どうですか?

みなさん、往年の懐かしいゲームがたくさんですね。

続いては、これらの作品を紹介してくれる、声優さんの予想です。

天外魔境II宣伝に来た横山智佐

広井王子作品横山智佐が出ていないわけがないので、調べてないけど天外魔境だって出ているに決まっている。

夢幻戦士ヴァリス宣伝に来た宮村優子

庵野秀明宣伝アニメ作ってたような記憶が薄ぼんやりとあり、庵野作品宮村優子が出ていないわけがないので、調べていないけどヴァリスだって出ているに決まっている。

高橋名人の新冒険島の宣伝に来た田村ゆかり

同じ事務所なので彼らはもう同じ釜の飯を食べた仲間、一緒に志倉千代丸バナナを食べた仲間に違いない。

誕生 〜Debut〜の宣伝に来た山本麻里安

OVA版の監督を見れば山本麻里安が噛んでいるのは一目瞭然、なんでも一人で出来るやつだなんてね貴方にどこかで思われたら悲しいので、井戸を通じて天使プレゼントを渡します。

龍虎の拳宣伝に来た浜崎あゆみ

ユリを見れば浜崎あゆみアテナを見ればさとう珠緒、K9999を見ればAKIRA、こういう脳直なネタの繰り返しを平成に置いていくべきではないと思いました。

リンダキューブ宣伝に来た夜鳥子

これぐらい夜鳥子心中するつもりがあるなら、あれも許せる気がしてきませんか?

あすか120%マキシマ BURNING Fest.の宣伝に来た荒木香恵

あすか120%のことを茶化すことは許されないので、僕の持ちキャラだった豊田莉奈役の荒木香恵さんに来てもらいたいですね。

全然関係ありませんが、センチメンタルグラフィティ沢渡ほのか豊田莉奈排泄物であれこれする薄い本中学生徒会室に保管してあったの、今思うと人生がこうなりだした一旦だと思うんですよねえ。

ADVANCED V.G.の宣伝に来た俺

俺は今さっき和食さとで早めの夕食を済ませる際に、ドリンクバーに落ちていた携帯電話を持ち主のテーブルに届けるというウェイトレス行為をしたので、ヴァリアブルジオに参加する権利がある。

雀偵物語セイバーエンジェル宣伝に来たこおろぎさとみ

ぶっちゃけ、ググっても声優情報が出てこないので、カンで書きます

このぐらいの時期のこういうゲームこおろぎさとみ絶対いるんだ! なんかこう! こおろぎさとみ! らしいああいうの! セラフィムコール寺本たんぽぽみたいな!(セラフィムコール寺本たんぽぽ川田妙子では?)

頼む! いてくれ!

アルカノイド宣伝に来た水田わさび

ドラえもんの声を演じることができると言うことはアルカノイドについて詳しいのと同義です。

なので、当然現ドラえもん声優が駆けつけるに決まっている。

……はい? え? アルカノイドPCエンジンで出てない?

そんなわけないやろ。

僕はこの「アルカノイド宣伝に来た水田わさび」を書くためだけに、残り9本を声優から逆算して選ぶという面倒臭い作業を頑張ったんやぞ?

第一アルカノイドが出てないゲーム機がなんてあるわけないやろ。

こんなんね、今時Wikipediaを見れば一目瞭然で……


それでは聞いてください、永井真理子ミラクルガール替え歌で、スグ来るガール


唇でペロリィ、いつでもシコる夕暮れ

街で見抜きしたい、君のパンツ見たい

シコりきれない、白のパンツ捨てないで

もう一度その胸、触らせておくれよ

ラブホテルの人の流れ

今、誰、どこ、『ナニ』してる?

口の中に陰毛とか、はさまるみたいな、ドスケベ

スグ来るガール

即尺はいつも、俺の財布次第

スグ来るガール

顔射の願いはいつか叶うはずよ

イく! イく! スグ来るガール

眠すぎて仕事してる場合じゃない

部屋の中もぼんやり暑くてすぐ眠くなるんだよなぁ。

今日は8時間は寝たい。

でも夜は仕事関連の飲み会だ。つらい。

[]5月31日

○朝食:なし

○昼食:覚えてない

○夕食:ワインとなんか

調子

仕事は遅くまでかかったものの、なんとかメドが突き出した。

ただ、相変わらずチーム内がギスギスしてて、やりづらい。

今まで割と「仲間感」があったと思うのだけど、それすらも崩壊して、最悪だ。

どうしようかなあ……

ゲーム

グラブルをやったような記憶ぼんやりある。

懐かしい感覚

地震で目が覚めて、しばらくぼんやりしていたら、ふと懐かしい感覚に囚われた。

自分世界の全てを知ることができる、と過去の私が目をキラキラさせる。

その頃世界には私自身と、親友と、ゲーセンしか存在していなかった。

親友は皆別々の道を歩んでいるし、好きなゲーム自分の手に負えないくらい大きくなってしまった。全てを把握できる、なんて勘違いだとしても到底言えない。

2019-05-31

ヒプマイを降りる

ヒプマイを降りることにした。

今までも降りたくなったタイミングはたくさんあって、けれどその都度楽曲のおかげで降りずにやってきた。CDを買って投票権を積んで、結果的に私の推しディビジョンは負けてしまったけれど、楽曲だけはどれも最高だったし、最初から投票システムへの諦めがあったのでなんとか乗り切ってこれた。ラップバトルという皮を被ったキャラクター人気投票特定ディビジョンの人気を知っていたから初っ端からどこか冷めた気持ちで参加していたのもある。けれど結果発表が出るたびに垢消しされる絵師さんや書き手さんもいて、毎回オタク人口が減ってはその分新規さんが入ってきた。こんなに目まぐるしく人が動くジャンルは初めてだった。

それなりにのめり込んでいたから、友達カラオケコラボコラボカフェも何回か行って、どれもそれなりに楽しんだ。パフェみたいな寿司を食べ、ガリを一生分食べたと感じたのも今となってはいい思い出である

本格的にダメになってきたのは、キャストさんの言動に不信感を抱き始めることが増え、畳み掛けるようにコミカライズの連載がスタートした昨年11月頃だった。

それ以降はもう何がきても苦しかった。キャラ設定矛盾に次ぐ矛盾、辻褄の合わないシナリオ改悪と言われても仕方のないキャラクター崩壊意味のないラップ。聞いててあんなに胃が痛いドラマトラックを、私は他に知らない。その後も細々雑誌コミカライズCDを追っていったけれど、ついに楽曲までも、本当に格好いいのか判断がつかなくなった。唯一Stellaにはシビれたが、その感動がジャンル全体の抱える雰囲気ストーリー展開の杜撰さへの失望を上回ることはなかった。

4thライブも発表直後は行く気でいたけど、なんだかやる気がなくなってしまって、4月発売のアルバム円盤付きのを一枚だけ買った。今となっては"元"だが、推しトチッたり音を外したりしていると思うのが辛く、円盤は半分も見られなかった。シリアル一口だけ応募してみたが、当然当たらなかった。

それから降りようか悩んで、曲を聴いては後ろ髪を引かれて、けれどやっぱり推しを見ても素直に喜べない日々がひと月続いた。途中でアルバムの曲がfullで公開されて、こんな商売が成立するのかと心底呆れたりもした。こんな状態オタクを続けていて良いのか自問自答しつつ、最近の私は目前に迫ったコミカライズCD付きコミックスを買うか悩んでいた。発売日は奇しくも推し誕生日。けれど当日になってもなんだか手が伸びなくて、腑に落ちない付属CD試聴を聞き、推し誕生日ケーキを食べながらぼんやりしていた。

今思えば完全に油断していた。

5月30日の夜、公式からキャラクター誕生日ツイートが上がった。このイラストに添えられたリリック(というにはあまりにお粗末だったが)で、降りようという意思が固まった。私は未だかつて、あんなにキャラを祝う気のないぞんざいツイート公式から出されているのは見たことがない。たった12人のメインキャラクターのうちの一人を大切にしてくれないジャンルにいても、これから苦しくなるだけだと思った。こんなことで、と我ながら思うけれど、ここが私の限界だった。

ヒプマイくん、一年ありがとう

立ち絵に色すらついていなくて、1ディビジョンにつき二つのドラマトラックしかない状態の頃から好きだったけど、今思うとディビジョンごとのアルバムリリースを楽しみにしていたあの頃が一番楽しかったです。サイトキャラクター紹介も初期が一番良かった気がするよ。古参思い出補正かもしれないけど。

これからソシャゲとかやるらしいけれど、何を展開するにしても、キャラクターの扱いで傷つく人がなるべく少なくなるようになればいいと思う。

キャストの皆様も、どうかあまりキャラクターイメージをこれ以上落とさないようどうかお願いいたします。何もするなとは言えないけれど、ヒプマイ関係の場で言葉を選んでほしいな、と思うことが多いので。声がキャラにこれ以上ないほどマッチしているので、それだけが本当に残念でした。こんなところで言ってても愚痴しかならないけど。

これでもう本当にこれっきりです。苦しくも楽しい一年半をありがとう

さて、家に大量に残ったCDをどうしよう。

夫がすき家って話

普通に毎日暮らしてるはずなんだけど、

朝起きて、すき家が同じ家に暮らしてるって感じるだけでとても嬉しくなってしまう。

キッチンワンオペしている姿とか、着替える暇もなく注文と配膳でうろうろしている姿とかぼんやり見ていて、

寝起きの頭がゆっくり目覚めて「あっ、いる」って認識したと同時に幸せスイッチ押される。

自分精神衛生を保つために有効そうなルーティンをなにやらやっているのをそっと遠巻きに横目で見て、内心「えらい!」「すき家!」「すごい!」って思いながらも邪魔しないように無表情で静かにしている。

https://anond.hatelabo.jp/20190531164942

夫がすき焼きって話

普通に毎日暮らしてるはずなんだけど、

朝起きて、すき焼きが同じ家に暮らしてるって感じるだけでとても嬉しくなってしまう。

キッチンすき焼き淹れている姿とか、着替え持ってうろうろしている姿とかぼんやり見ていて、

寝起きのすき焼きゆっくり目覚めて「あっ、いる」って認識したと同時にすき焼き押される。

自分精神衛生を保つために有効そうなすき焼きをなにやらやっているのをそっと遠巻きに横目で見て、内心「えらい!」「すき!」「すごい!」って思いながらも邪魔しないようにすき焼きで静かにしている。


すごく好きなんだけど100%すき焼きを表に出したらいけないんじゃないかってどこかで思っている。

好かれたいけど好かれる以上にすき焼きでいたいひとなんじゃないかなと思うから

から60%くらいに抑えようと思いながらたぶん90%くらいすき焼き垂れ流してる。

90%どころじゃなくもっとだだもれにすき焼きだったらどうしよう。


今の関係を保つためにはちゃんすき焼き感謝気持ちを伝えないとなと思ってるんだけど

たまに感謝すき焼きが混ざってしまってごめんなさい。

世のすき焼きって、そういうのどうやって暮らしているの?

細やかにいつも色々やってくれるすき焼きを当たり前だと思わず生きていたいのにな。

一方、すき焼きありがとうの言い方が上手だと思う。

重くなく、こまめに、すき焼き普通にこもってる。

見習いたい。


すき焼きはよく冗談ぽく目を輝かせるんだけどそれがなんかすごくかわいい

うまく言えないけど顔文字すき焼きってかんじ。

帰宅するとたまにその表情で玄関までお迎えにきてくれて「うわああすき焼きいいい」って内心思っている。

早く帰りたい。


元ネタ

https://anond.hatelabo.jp/20190530174149

2019-05-30

夫がすきって話

普通に毎日暮らしてるはずなんだけど、

朝起きて、夫が同じ家に暮らしてるって感じるだけでとても嬉しくなってしまう。


キッチンコーヒー淹れている姿とか、着替え持ってうろうろしている姿とかぼんやり見ていて、

寝起きの頭がゆっくり目覚めて「あっ、いる」って認識したと同時に幸せスイッチ押される。


自分精神衛生を保つために有効そうなルーティンをなにやらやっているのをそっと遠巻きに横目で見て、内心「えらい!」「すき!」「すごい!」って思いながらも邪魔しないように無表情で静かにしている。



すごく好きなんだけど100%好きを表に出したらいけないんじゃないかってどこかで思っている。

好かれたいけど好かれる以上に好きでいたいひとなんじゃないかなと思うから

から60%くらいに抑えようと思いながらたぶん90%くらい垂れ流してる。

90%どころじゃなくもっとだだもれだったらどうしよう。



今の関係を保つためにはちゃんフレッシュ感謝気持ちを伝えないとなと思ってるんだけど

たまに感謝に慣れが混ざってしまってごめんなさい。

世の夫婦、そういうのどうやって暮らしているの?

細やかにいつも色々やってくれるのを当たり前だと思わず生きていたいのにな。


一方、夫はありがとうの言い方が上手だと思う。

重くなく、こまめに、気持ち普通にこもってる。

見習いたい。



夫はよく冗談ぽく目を輝かせるんだけどそれがなんかすごくかわいい

うまく言えないけど顔文字のパアアってかんじ。

帰宅するとたまにその表情で玄関までお迎えにきてくれて「うわああかわいいい」って内心思っている。


早く帰りたい。

anond:20190530154934

アロー22ってそんないいの?手ごろなリュック持ってなくて一個買おうかなとぼんやり思ってたんだけど

無差別殺人犯

小学校の頃に、時々デブで頭も悪く馬鹿にされていた同級生椅子振り回してた事を思い出す。

デブの家はちょっと貧乏臭く、親は金髪ピアスのある人たちだった。デブ粘着して虐めていたのもまた、馬鹿ヤンママの息子みたいな奴らだった。

田舎公立校は親の仕事ぼんやりグループが分かれていて、医者教授公務員の子供の層と、地元出身の親の層は、住むところも交友も何となく違っていた。

水と油のように、誰が意図せずとも自然と分かれていた。

から下層の方の争いは、下層で起きることで、大抵皆無関心だったのだけど、デブ椅子を振り回す時だけは、我々にも被害が及んだ。

そのまま、ほとんどみんな同じ公立中に進み、それから地方進学校工業商業私立馬鹿高、と分かれていった。

いじめっ子工業に、デブは県1の馬鹿私立に行った。

デブが水の膜を突破して、こちらに踏み込むには、椅子必要だったのだと、川崎のを見て思った。

2019-05-29

絶望があること、理解されない恐怖があることを知ってほしい

論理的な正しさ、誠実さ

 人は誰しも、その行動原理に"正しさ"を持っていると思います。どのような正しさであれ、少なくともそれは"論理的に"正しいものであると信じている人も多いと思います論理というのは非常に強力で、確実に正しいと確信し、安心できます。これは学問的な場であればあるほどそれが求められ、それが"普通だ"と思う人も多いと思います

 しかし、社会的問題についてはどうでしょうか。周りを見渡せば、おかしな主張や理解できないことを言う人が多いと思います。それに対して私達は、絶対に間違っていると論理的判断しようとします。ここにこの記事でわかってほしいことがありますが、その主張をしている人は、""それが絶対的に、論理的に正しいと信じてやまない""と思っていることです。そしてこれは、立場を逆にすれば私達にも当てはまるということです。

社会との差・理解できない恐怖

 読者の方は、自分人生意味を見いだせていますか?

 浅はかながら、私の考えは、"生まれてきてしまった以上、幸せに、楽しく過ごす"です。

 誰しも考えたことがあると思いますが、人は必ず死にます。これをどのように捉え、人生意味を見出そうと考えているのかは人の数だけあると思います。終りがあることを悲観的に捉えない人もいることを、私は知っています

 私の考えをさらに言うならば、"宇宙意味はなく、生きていることにも本質的意味はないが、この脳は生きることに意味見出している"です。この考えに従うならば、私はこの悲しい生を産み出すことが理解できません。すなわち、子供を作ることの意味がわからないです。

 そんなに深く考えなくとも、"パートナーとこの先の人生を楽しく過ごし、辛いことがあっても、お互いに協力し、生をつないでいく"という考えがあることを、私は最近寛容的に認めることができていますしかしそれまで、どうして"普通に"子供を作ることが社会的に正しいのか、理解できませんでした。その時の私の思考は、理解できない恐怖で満たされていました。

絶望

何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安である

 私の意味する絶望とは、"論理的不安な要素を認識排除しきったとしてもなお残る漠然とした恐怖"です。この文は芥川龍之介遺書に記されているもので、私の意味するものに近いと思います絶望とは"死に至る病"だと、キルケゴールは述べています。私が彼の意味するところを理解したわけではありませんが、この"死に至る病"はなんら形而上学的な概念ではなく、本当にある現象であると知ってほしいです。

 私はこの数年、孤独暮らしていました。他人との関わりはまったくない、というわけではなかったですが、この行動原理には"社会の中で、俺は一人でも生きていける"という、傲慢な考えがありました。他人の主張は間違っていると確信し、ある主張には意味がわからないと排除していました。

 しかし、この考えを続けていると、だんだん理解できない他人が怖くなっていきますなぜつまらない問題に対して積極的に行動するのか。なぜ明らかに間違っている主張に気づかないのか。なぜ間違っているのに他人攻撃するのか。

 そのときには気づきませんでしたが、ぼんやりとした不安背中を這い寄っていたことを今では理解しているつもりです。

狂気

 不思議なことに、脳の異常なのかわかりませんが、このような環境にいると、寝る前の思考がどんどん加速していき、同じことを何度も何度も何度も考えるようになります。あるときふと、この考えはさっきもしていたじゃないか、と。また、ある行動をしたとき他人理解されないと、なぜか殺意が湧いてきて、しかしそれは確実に間違っていると理解出来るので、"絶対に人は殺さない"という言葉が頭の中を回っていきます

 狂気とはなにか、に対して一言で言うことはできませんが、少なくとも狂気に陥っている人は"すべての思考論理的に正しく、自分は冷静で絶対に正しい"と信じていて、そのことが脳内リフレインしていると思います

 おそらくで適当なことは言えませんが、PTSD後天的精神疾患等は、異常なストレス下によって脳内ニューロンの発火に異常が生じることで、何度も同じような思考や、他のことが考えられなくなってしまうのではないでしょうか。

川崎児童殺傷事件

 このようなことを踏まえて、昨日起きたこ事件をみると、犯人像が分かるのではないでしょうか。ツイッターでは「無敵の人犯行」や、"自分とは違う"と信じている人が多いと感じます

 それは違うと、声を大にして言いたいです。

 もしあなたが、自分とは関わりのない、違う種類の人間事件であると思っているならば、考えを改めてほしいです。

 『あなた今日一日やったことに、意味はありますか?』

 『あなた意味見出していることが、ある日突然意味がなくなってしまったら?』

 これを、夜寝る前に自分に聞いてみてください。もし不安になり、自分なりの答えが見い出せないのなら、それが絶望の始まりです。

「私は絶対ミスしない!」と豪語している人がいて、結構ぼんやりした感じの人なので意外にしっかりしてるんだなと思いつつ一緒に仕事したら、やることなすこと全部こっちに確認を求めてきて、それでミスが起こったら「私はちゃん確認した! だから私のせいじゃない!」と言われた。そりゃ、「私は」ミスせんわな。

2019-05-28

30過ぎて独身一人暮らし仕事に命捧げてるわけでもないか

私も一歩ずれると「無敵の人」になり得るなと思うんだけど

絶対的な「推しを推すために生きる」という使命があるからしばらくは大丈夫そう

ここにいる人達は「推しw」って笑うかもしれないけど案外生きる理由になるんだよ

ただ40歳になってライブに行きづらくなって

50歳になって今の仕事できてるかも分からなくて生活に困るような状態になって

なんとか生きて60歳になっても孤独死未来しかないことを思うと

どこかのタイミングで「無敵の人」になってしまうのかもなとぼんやり思う

anond:20190528191134

大麻解禁すれば充血した目をしてぼんやりした人だらけで平和なのでは

最近テレビに多い(と個人的に思っているやつ)

〇〇の同級生が今はこうだとか、昔人気だったけどなにかしらの事件やらトラブルで消えたタレントが、女優が、芸人が今どんな暮らしをしてるかとか。

この辺少し無知申し訳ない、それはいわゆるドキュメンタリーというやつなのかもしれないが

自分ではない」「この世界で生きている一個人の」「人生」ネタにする番組が多いなあと、ぼんやりテレビを見ながら別に良いとか悪いとかではなく純粋に思った。

私はついていれば観るが、ついていなければ別に自分からは観ない。

最近テレビで好きな番組はかなり限られてしまった。

けれど、上記の類いのものは何故かうちの父親お気に入りのようで高頻度でチャンネル選択されている。

(他にもいろいろ好みはあるようだが、得てしてどれも大変不快である)(原因はほぼ父親にあるが)

最近テレビはつまらない、と言う意見を見かけたり見かけなかったりするが、まあ地上波あんまり面白くないなとは思う。

正直やること何もないんじゃね?とかも思ってる。

改編期が来るたびに番組が消えて、また生まれて、その度にネタはどんどん消費されていく。

その頻度がますます上がって、似たり寄ったりのネタテーマしか無くなってきて、結局同じようなことをやっているか

冒頭のドキュメンタリー(仮)に落ち着いてる。

私自身、アイデアを出すとかネタを作るとかそういう、発想力があまりにも乏しい人間なのはもう悲しいくらいに理解しているので、

最初にそういう番組が増えてきたときは「あーなるほどな、他人人生ってもうそこにあるし、寸分狂わず同じ生き方してる人間なんていないし、こりゃ考えずして無数のネタゲットじゃん。ある意味考えたな」

とか勝手に思ってた。一個人の感想です。

で、まあそういうのが嫌いでも不快でもその原因は父なので、番組内で題材になってる人に関しては何の罪もなくて。

人生経験の“じ”の字もあるんだかわからない底辺の私はこれまた意外と真面目にすごいなとか思いながら観てたり聞いてたりするんだわ。まんまと制作側の意図に嵌められている。

その流れでなんとなく思ったんだが、私の生きてきたしょーもない数年でも文章に起こせば暇つぶしの読み物くらいにはなれるんじゃね?と思った。

私はメンタル的にちょっとだかかなりだか知らないが病んでいるやつで、時々上向きになるものの、今はかなり悪化してきた状況だ。

しかも何でかってさあ、フォロワーちょっとトラブルがあった(ちな2件くらい)とかそんなかすり傷みたいなことでよ?

まあそのうちの1件について話すけど、こっちがちょっと不快だったことをちらつかせたら向こうが察してすぐごめんって謝ってきたけど、

どうにも謝る気がなさそうな取り急ぎの謝罪文でこっちがカチンときて、キレ気味で返したら向こうが私だって実はこうだった、ああだった、あの時もそうだったなどと後から出してきやがって、こりゃ水掛け論になる埒があかねえなと思い、謝らずに話を進める方法は無いものかと考えてたら死にたいほどめんどくさくなったという話。

このめんどくさいが意外とやる奴で、つまり面倒がくさすぎて幸い死にたいとまでは思わないがその辺ももしかたらこの数年に起こしたこと関係あったりするかもしれない。

ノートに書いて置いておいても見るのは私だけで、結局完結しない自己完結みたいになるので、多少まとまったらまた書いてみようかと思う。

重ね重ね本当に申し訳ないけどとりあえずドキュメンタリー系多すぎ。あと外国人が〜とか◯百景とか遠い異国の地で暮らす日本人探しに行く系とか秘境の家訪ねにいくやつとか、あの類いの番組は本当に観るほど不思議純粋に。

予算削減かつ制作コスト(これは何回か書いたけどアイデアとかネタの部分)削減でスタッフロケ敢行してるのはまあ良いけどじゃあワイプに映ってるスタジオゲストって要るか??????

茶の間テレビ見てるワイらとたいして変わらんやんけ。コメントさせるためならコメント求めてやれよ。

ロケ映像流して終わりかい!!

とか思いながら、父親にまたチャンネルを変えられる日々です。

自分以外の誰かの人生ってものすごく良質なネタだよね」と言うことをまずクソデカ大声で言いたかったんだが、そこから派生が思ったより長くなってしまった。

読む人いるかな、いなくてもいいけどいたらありがとう

https://anond.hatelabo.jp/20170409173711

むかし「お金の使い方がわからない」というエントリを書いて、多少の反応を頂いたんだけど、この貯金が役に立つ日が来てしまったんだな・・。皮肉にも。

自己防衛。国なんかあてにしちゃだめ・・。

説得力のある虚しい言葉が心に響く。

この言葉説得力があるようなことには、なって欲しくはなかった。

年金なんてもらえない」 いままでも、そう言っては見たものの、多少はもらえるだろう、それだけでは賄えないにせよアテにはできるだろう、ていうか今まで払ってるんだからさ。取り返さないと。くらいにうっすらぼんやり思ってはいたんだけども。

本当にただ取られるだけの搾取なのかな。

2019-05-27

anond:20190527111118

横だが、少女漫画の話じゃねえの?

進撃も鋼も少年漫画だろ。

外国風少女漫画つったらベルばらとかポーの一族(未読)とかそんなんやろ。

個人的には、あれが流行れたのは、欧米少女向け児童文学のお陰だと思う。

小公女若草物語、足長おじさん、ワイルダーシリーズ、まあちょっとベルばらら辺とは時代が離れるけど、ぼんやりとした西洋生活に対するイメージと憧れがあったから成り立ったんやろ。

確か日本少女文化について論じてるおっさんの本あったけど、海外には日本ほど少女文化ないらしいで。という意味日本独自少女漫画文化は特異過ぎて他所では受け入れ難いんちゃう

2019-05-26

5/6

雨が降り続ける一日だった。昨晩は疲れていたのでよく眠れると思っていたが、朝の目覚めは悪かった。新しい本を鞄に入れ、電車の中で読むつもりでいたが、頭がぼんやりして手に取ることすらできなかった。図書館で少し読むことができたが、途中で眠ってしまった。

湿気が鬱陶しい一日だった。帰りの電車憂鬱だった。帰ってゲームがしたかった。本が読みたかった。心が欲しかった

パラレルママのはなし

長い上にオチもないけど…

妻が妊娠して、10月出産を控えている。

いろいろと育児準備に追われる中、先月、市の両親学級にも参加した。

数週に分けて沐浴体験とか妊婦体験とかをしたりする。

市の地区ごとにテーブルが用意されていて、

近所に住むママパパが自己紹介させられるというなかなか居心地の悪い場だった。

おなじテーブルに、気になるママがいた。

どこかで見たことがある気がするけど、全く思い出せない。

そのママの反応をみても、知り合いというわけではなさそうだ。

でも、その顔にものすごく見覚えがある。

1ヶ月ずっとモヤモヤしていたが、ふとした拍子に思い出して、

3年前に使っていたPCを引っ張り出して確認した。

間違いなかった。3年前に某マッチングアプリで会話したことのある女性だった。

3年前、独り身の寂しさから意を決して、そのマッチングアプリを使い始めた。

とりあえずまともそうなプロフィール女性には片っ端からいいねをしていった。

気持ち悪いと思われるだろうが、そしてプライバシー的にどうなんだと思われるだろうが、

いいね同士になった女性とのやりとり、プロフィール写真などは全部スクショをとって保存していた。

言い訳をさせてもらえば、多数の女性とやりとりをしていると誰が誰か忘れてしまうし、

やり取りの最中プロフィール画像まっさらにする女性もいたりして、

どんな人とやり取りしているのかを忘れないようにスクショしておく必要があった。

(これを期に、全員のデータを削除した。今思い返しても自分気持ち悪すぎて吐きそう)

当時、その女性東京に住んでいて、自分都内までほど近い埼玉に住んでいた。

お互いのいいねが成立して、会話を始めたが、自分チキンだったから結局会うこともないまま

そのうちどっちも何も話さなくなった。

そのとき写真や、会話の中で教えてくれた名前が、完全に両親学級のあのママと一致していた。

あのとき東京埼玉バラバラだった二人が、それぞれ結婚していて、

千葉の同じ市の同じ地区で、子供を持ったのだった。

未練があるわけでもないし、だからどうこうということもないのだが、

ふと、この人と一緒になる人生ももしかしたらあったのだろうか、と思った。

選ばなかった選択肢、というか選ぶつもりもなかった選択肢だけど、

もしその選択肢を選んでたら...ということをぼんやり考えさせられた。

結局、自分マッチングアプリからリタイアして、職場恋愛結婚したけど、

彼女はあそこで出会った人と結婚したのかな、なんてことも考えたり。

今は妻が大好きだし子供に会えるのも楽しみだから

こんな妄想はもうここで吐き出しておいて、終わりにしようと思い、この日記を書いた。

そういえば両親学級の日の夜、

妻がその女性のことを「あの人とはママ友になれそうな気がするなあ」といっていた。

そうだな、昔はあの人とは仲良くなれなかったけど、今は下心ないし、仲良くなれるのかもなあ。

いや無理だな、自分気持ち悪い人間だし。

2019-05-25

同人活動を始めた。それに伴い交流も始めた。

が、なんで交流はしないほうがいいと口酸っぱく言う奴がいるのかよくわかった。

少し前、生まれて初めて本を出した。

本を出すまでも5,6年落書きを上げたりはしていた。

しかしくすぶり続けた情熱が止まらなかったので本を出すに至った。

即売会で初めて「ネットの人」と会った。

メチャクチャしかった。

そもそもオタク友達ほとんど持たなかったので、twitterのリプのやり取りも最初はすごく楽しかった。

しかし、デメリットの方が多く感じるようになってきた。

まず第一に、私が「地雷表明が地雷」というのがある。

私は関係性厨の解釈厨だ。

地雷はカプでなくキャラ解釈に持つタイプである

でも地雷や嫌いなことは口にはしないように気を付けている。

そのぶん、「(私の解釈)って言われるの見ると悲しくなる」「(私と反対の解釈)が少なすぎふええ。マイナーなのかな悲しいうるうる」の類の言葉が心底不愉快になってしまった。

いやこれはただの我儘だよな~!とわかってはいる。

自分我慢するからてめーも我慢しろやとか何様?という感じである

ももダメだ。

正直キツイ

ずっと好きだった作家のことも傷つきましたアピール地雷アピールミュートにした。

第二に、これはお前交流向いてないよ、と自分で思う最大の理由なのだが、作家人間性がちらついてしまって作品純粋に楽しめなくなった。

支部作家のところに絡みのある人の名前が書いてあるとブラウザバックしてしまう。

その人に悪印象を持っていなくてもだ。

作家には雲の上でいてほしかったのだと痛感した。

知り合いの生産したコンテンツ消費がこんなに苦しいと思わなかった。

いずれ慣れるんだろうか。

それ以前に人格相手のやり取りが苦手なのかな、と思わないでもない。

感想を送るとき絶対匿名で送りたいのだが交流のおかげで難しくなった。

一方向のやり取りが最高だったのに双方向のやり取りが可能になった。

そのおかげで感想をくれた人の作品にはなんとなく感想を送らなきゃならないような気持がしている。

断言してもいいけど皆「気にするこたぁない、感想感想で返すな、気にする方が悪い」って言うだろう。

いやでも実際どうよ??????????????????

相互感想送って相手からミリ自分作品に対するリアクションなかったら気にしない?本当?

ちなみに私は感想を送るのももらうのも苦手だ。

でも見てもらったことは知りたいので評価数字でほしい。数字だけでほしい。

オフで会ったりするのはすごく楽しい

から交流を完全にやめてしまうのは勿体ないなあと思わないでもない。

長くストレス少なく交流続けてる人、いったいどうやっているんだろう。

いずれ慣れるもんなんだろうか。

ちなみに最初の頃は完全壁打ちにするつもりでいたのだが、リプをくれる人がいるので返信してたらあんまり意味がなくなっていったのでやめた。

FFからリプくれる人、どういう気持ちでやってんだ?

壁打ちってbioに書いてあんだろうがよ

読んでくれ

ジャンル移動するとしたら投稿先は支部だけにしようかなあとぼんやり思っている。

でも今の場所が沼沼の沼なのでその日は遠そうだ。

ジャンル移動する日までに交流苦手が克服できていればいい。

もしくは交流をすっぱり諦められるといい。

2019-05-24

『鳴鳳荘殺人事件』が許せない話。

やあやあどうもお前らこんばんは。

FGO最近全然やってないけどTLに冬木クリア条件のイベントがあるって流れてきたかシナリオ読んで来てその勢いで書籍版も買ってきたマンだよ。

*この先、FGOイベント及び書籍『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』のネタバレ満載ですご注意ください。



さて。

俺はこの『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という小説が許せない。

ゲームシナリオの方はどうでもいい……って言ったら失礼か。とにかく。小説独自要素?小説の落とし?が許せん。


この小説は。消費者にとって、そして二次創作者にとっては福音かもしれないけど、一次創作者にとっては、間違いなく、呪いだ。

タチの悪い呪いだ。

物語る者の矜持を打ち砕いて、迷わせてしまうような、そんな呪いが込められている本だ。


どういうことだとお思いの方も多いだろうから説明をする。

この『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』は、「脚本家が倒れたミステリ映画の続きを登場人物達が考える」という、メタミステリものだ。

個人的には『愚者のエンドロール』あたりを連想するところだけど、まあそれは置いといて。

作中では5つの「あり得たかもしれない未来」(ルート)が提示された。

ゲーム版では、プレイヤー達の「投票」によって、一番得票の多かったジャンヌ・ダルクオルタルートエリスルート)が選ばれ、"撮影"されたのだが、小説版では提示された5ルートの全てが一旦は"撮影"されたことになっている。


大まかなストーリー説明はこれくらいにして、俺の気に障った箇所についての説明をしていこう。

『鳴鳳荘』の冒頭には、ラストにも繋がる、とあるシーンがある。

おじさんが幼女大事な本を壊してしまい、図書館司書作中作の「映画」では脚本を務める)に修復を依頼する、そんなシーンだ。

ゲームではこのシーンは「映画」にうまく組み込まれるだけだったが(伏線回収は見事であった)、書籍版では、なんと、このシーンに対応するシーンがエピローグとなっている。

紆余曲折の末、壊してしまった「ペパーミントグリーン色の本」(ゲーム版の方で亡くなってしまったキャラのことを暗示してるらしいですね)を復元したおじさんが、幼女に本を返却する。

速読み始めた幼女は、ややあって、突然本を閉じてしまう。

「これはわたしの読んでいたご本とは違うような気がするわ。出てくる子たちや舞台は同じなのに、なんだか違う話を読んでいるよう……」

そう。

「不幸な事故」によりバラバラに壊れてしまった物語を、おじさんたちがなんとか修復し、意味の通じるようにページを繋ぎ合わせたが、もともとの物語とは全く違うものになってしまったのである

更に幼女は続ける。

「このままページを捲れば、本当の結末とは違うものが待っているんでしょう? それは……とても怖いわ」

これに対して、おじさんはこう答え、

「もし君にとって不本意な結末なら、忘れてしまえばいい。いや……」

「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいいんだよ」

最後に、こう読者に語りかけて、『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という「物語」は幕を閉じる。

登場人物感情物語上のマクガフィンを受け)「何より結果をもって、その選択肯定しようなんて……おこがましいとは思わんかね?

ちなみにこのおじさん自身は、世界史実在した人物テーマにすることが多いFateには珍しく、創作バックボーンもつキャラクターである。余談ではあるが。


俺には、おじさんのこの言葉が、呪いしか受け取れなかった。

創作者の、「物語る者」の役目は、責務は、自分の頭の中にぼんやりとある、つかみ所のない"話の種"みたいなものを、しっかり捕まえ、「物語」という形にして消費者に届けることである

もちろん、その過程で、いくつもの"語られなかった"可能性は摘み取られる。

でも、そうして、物語というのは"物語"になるのである


あり得たかもしれない未来ひとつを捨て、もうひとつ未来を掴み取るための主人公決断

見えかけていた可能性のひとつを捨て、別の可能性を選び取るためのヒロイン葛藤


世界にとってか、主人公にとってか、主人公の愛する者にとってか、はたまた悪役にとってか。

誰にとってかは不定しろ、とにかく、より良い「結果」を目指す登場人物たちの苦悩、死闘葛藤、そして決断

それこそが「物語」の本質だろうと、俺は思う。


から――

よりにもよって、そんな一次創作登場人物達に、「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいい」だなんて言わせるなんて、許せない。


「『本当の結末』なんてない」と主張するのは、「全ての結末は等しく同じ価値がある」のと同じことで。

それは、「本当の結末」のルートに辿り着くために主人公たち登場人物が払った犠牲を、抱えた葛藤を、定めた決断を、無価値である貶めることにはならないだろうか。

物語る者は、物語を創り出すと同時に、物語中の人物の"感情"も創り出す。

全部が嘘でも、主人公が、ヒロインが、登場人物が抱えた"感情"だけは本物で、そんな"感情"に人は共感するから人類有史以来物語を求め続けてきた。

そう、俺は思っている。


この『鳴鳳荘』は、ひょっとすればそんな「登場人物感情」は交換可能であり、等しく価値がある(≒等しく無価値である)。そう主張していることになりはしないだろうか。

だとしたら、俺は、この作品のことを許せない。一生根に持ってやる。



翻って、二次創作をする人たち(同人誌漫画を書いたり、pixiv小説を書いたりする人を想定している)からすれば、この「呪い」は間違いなく「福音」であろう。

というか、彼らが日頃からやっていることだろう。

あり得たかもしれない未来、語られなかった可能性を追い求め、掬い取り、自分の力で結晶にする。

だって二次創作したこともあるからわかる。

「こうだったらいいな」「あれがああだったらどうなってたのかな」

"if"を追い求めるのは、ロマンがあるし、楽しい。それはわかる。


でも、その楽しさは、「原作絶対」という前提あってこそのものではなかったのか。

公式で語られたことは全て「正しい」。その前提の上で、ちょっとだけ世界を歪めてみて、結末がどう変わるのか。

それを楽しむための、ただの思考実験ではなかったのか。

"全ての結末は等しく同じ価値がある"だなんて、俺にはとても思えない。



現実的なことを言えば、Fateがもともとマルチエンディングな"ノベルゲーム"という媒体から派生したものであることと、俺が抱えているもやもやは繋がっているのだろう。

ゲームセーブロードシステムが使えるから何回だってやり直しができるし、消費者プレイヤーはいくつも用意された結末を全て体験することができる。

それは素敵な体験かもしれないが、ある種「逃げ」である、かもしれない。

「選ばなくても結末に辿り着ける」あるいは「複数選択から複数を選べる」ことなんて、人生ではあり得ないのだから

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