小学校の頃に、時々デブで頭も悪く馬鹿にされていた同級生が椅子振り回してた事を思い出す。
デブの家はちょっと貧乏臭く、親は金髪でピアスのある人たちだった。デブに粘着して虐めていたのもまた、馬鹿なヤンママの息子みたいな奴らだった。
田舎の公立校は親の仕事でぼんやりとグループが分かれていて、医者教授公務員の子供の層と、地元出身の親の層は、住むところも交友も何となく違っていた。
水と油のように、誰が意図せずとも自然と分かれていた。
だから下層の方の争いは、下層で起きることで、大抵皆無関心だったのだけど、デブが椅子を振り回す時だけは、我々にも被害が及んだ。
そのまま、ほとんどみんな同じ公立中に進み、それから地方進学校・工業商業・私立馬鹿高、と分かれていった。
いじめっ子は工業に、デブは県1の馬鹿私立に行った。
デブが水の膜を突破して、こちらに踏み込むには、椅子が必要だったのだと、川崎のを見て思った。
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