はてなキーワード: ぼんやりとは
ウェブサイトをスクリーンセーバーにできるツールで表示したいサイトを備忘録的にまとめる。
https://github.com/cwc/web-page-screensaver
https://trends.google.com/trends/hottrends/visualize?nrow=5&ncol=5&pn=p4
Googleのトレンドをカラフルなタイル状に表示するサイト。ぼんやり眺めるぶんにはとても面白い。でもちょっと目がチカチカするし派手すぎる。
ドット絵のムービーを背景に、現在の時刻が表示されるだけのサイト。めっちゃいい。なごむ。サイバーな街並みから自然まであって最高。
https://randomstreetview.com/#slideshow
一定時間ごとに世界の何処か、または日本のどこかのストリートビューが表示される。日本にしたらだいたいどこかの田舎道に飛ばされ、どこかの山やどこかの田んぼが表示される。枯れた川を走り回っていた子供の頃を思い出す。
https://cybermap.kaspersky.com/
リアルタイムで世界の主要都市のサイバー攻撃の様子を見れるカスペルスキーのサイト。ここは確かスクリーンセーバーを配布している。
どんなものが必要なのかわからないからそちらで提案してこい、という。
おかしいよ、それ。
それって、ひょっとしてこんなもの要りませんか?とセールスするような話になってしまってる。
もちろん、組織として、そんなようなものがあったらいいな、的なぼんやりとしたニーズはあるんだろう。
こんなものあったらいいな、でも具体的によくわからないから、提案して、とか、おかしい。
通常は、クライアントから具体的なニーズや用途、担当者がはっきりとした要望が上がったうえで
また、具体的な担当部署はわからないが、彼なら扱えるかもしれない、といった属人的な話でもない。
そこにどんな持続性が?ちゃんと使ってもらえる保証なんてないよね。
でも、プロダクトアウトが効果があるのは、戦略的には、初期の段階。この期に及んでやるべき戦略じゃない。
ぜい肉おとしていきましょうよ。
「誰か」と親しくなる、ということは「他の見知らぬ誰か」と疎遠になる(距離が生まれる)と
いうことでもある。
SNSの普及によって「明確な味方」が少しだけ増えるかわりに、無関心層を含め「潜在的な敵」が
大量に存在しているのだ、という「現実」にイヤでも気付かされてしまう。
そして、「少数の味方」と共に、そのような思い通りにならない「現実」に繰り返し対面し続ければ、
「自分が住む世界(家庭でも会社でも国家でも)」に対しての敵対心や憎悪、絶望感が増すのは当然といえる。
死者を想う時間→待ち時間→想う時間→待ち時間→想う時間 の連続で、泣いたり平然としたり、泣いたり平然としたりを繰り返していて大変だなと思った。
焼香→待ち時間移動など→焼く前の儀式みたいなの→焼いてる間の待ち時間→骨を拾う→移動時間
みたいな
それでも葬式自体がセレモニーとしてシステム化されすぎていて、それはそれで気味が悪いなとも思った
スタッフの人もテンション低めで丁寧風の対応をしているが、連日こんな感じで続けてるとなると、微塵もそんなこと思ってないんだろうなとか
そうしないとやっていけないだろうけど
あとは火葬場という場があまりにも人間的らしいものから遠いデザインをしていて、もうちょっとやりようがあるんじゃないのかなとか思う。
釜なんか完全にパン屋か処理場だし(実際処理場なんだろうが)
釜の無機質な扉の前で焼香みたいのをするのも、なんかギャップがあっておかしいというか。
あとは焼かれて骨になった人に対して慈しみの対象にするのも変な感じがした。
完全に物として扱われるしね
あ、物になった!って思った。
今の所属は残業も今のとこ少なくて、給料は高くないけどそれなりに楽しくやってる。同僚もいい感じ。
真面目にやってれば給料も上がるだろうし(国が崩壊しなければだけど)、まあそれなりの人生も過ごせるだろう、
困ったことに具体的にやりたいことがあるわけじゃない。何もなく過ぎていく日々への、ぼんやりとした不満。
ここから40年くらい同じところで働いて、この片田舎で人生を終わらせていく、ほんとにそんな人生でいいんだろうか?
東京にでも行って、趣味に溺れたり様々な刺激を受けながらその場の雰囲気で生きていく方が自分の性にあっているんじゃないか?
結婚して(くそ喪女だけど田舎だし結婚は選ばなけりゃできそう)、子供産んで、育てて。
安定してあがる給料の明細ををみて家族とどこ行こうかなんて考えて。
結婚だけが人生のゴールじゃない、なんて知ってるけど、だけど結婚して得られる幸せを私は経験してみたい。
刺激から得られる幸せと安定から得られる幸せ、どっちも魅力的に見えて、選ぶことなんてできない。
まあ行動力ないしこのまま安定の道で行くと思うんだけどね。
このまま65歳くらいになったらもう一回18くらいからの人生二周目できないかな。
18歳までの人生に後悔はないのかと言われればそりゃあるけど、そこまでも変えちゃったら人格変わりそうだし、私は私のままでもう一つの人生をみてみたい、
大学受験に失敗した。予備校に通うお金もなく、宅浪する覚悟もなくて、後期で受かった地方国立大に通って2年目。眠れないのは隣人の騒音のせいじゃない。
第1志望の学科には合格できなかったけれど、最初のうちは長く続いた受験勉強から解放されたということもあり、自分なりに楽しもうと思っていた。でもダメだった。
周りと自分のやりたいことが全く違うのが苦痛だった。遊んでばかりいる人がやたらと目について、「本来自分はここにいるような人間じゃなかった」なんて考えるようになってしまった。
そんな態度が周りに伝わったのか、元々のコミュニケーション能力の低さが原因なのかはわからないけれど、友達もあまりできずに今は1人で講義に出ることがほとんどだし、サークルもやめた。バイトの同期は違う学科でほとんど会えない。土日は家から一歩も出ないことのほうが多い。今まで一度もできなかった彼氏は、今もできないままだ。
なんとなくフォローを返した大学の知り合いのインスタグラムのストーリーには、毎週のように飲み会の様子があがる。
予備校に通っていた高校のときの同級生は、志望の大学に合格して楽しそうに毎日を過ごしているみたいだ。
親のことは大事だけれど、奨学金を借りずに大学に行けている人のこと、留学できている人、予備校に通える余裕があった人を見ると、羨ましくてたまらなくなる。
具体的に何が辛い、というのははっきりと言えないけれど、ぬるま湯につかったような毎日に、ぼんやり死にたいなあと思っている。やりたいことがないわけではない。好きなもの、楽しみなことがないわけでもない。だけれど、それすら面倒に思えてくるほど毎日が億劫で仕方がない。
大学に入ってから顔への執着が酷くなった。周りの目線が怖くなった。
講義で当てられると泣きそうになった。
狭い講義室が怖くなった。
「大学生なのに」充実していないことをみんなに悟られるのが心底嫌だ。
夏休みに帰省するけれど、大学に行かない生活が長く続くと、もう行けなくなるのではないかと不安になる。かと言って中退する勇気もないし、今まで大学に払ってきたお金が無駄になるかと思うとこのままなんとなく通って卒業して、なんとなく就職するのだろう。
なんのために生きているのかほんとうにわからなくなってきた。
久しぶりに目玉焼きにしょうゆかけて食ってみたがまずすぎてワロタ
味がぼんやりしすぎ
味覚が老化しただけかもだけど
でも極めつけは最後溶け出した黄身とかけすぎたしょうゆが混じって食べきれなくなるところ
しょうゆそんななめたら塩っ辛くてたまらんし
現在は金子弌大さんと改名されていますが、昔のお名前で書く事をお許しください。
本日(6月15日)日ハム対巨人戦で金子投手が予告先発となっていたので、思いの丈が溢れて書いてしまっています。
私は巨人ファンです。
しかし、地方住みなので生で野球観戦出来るのが年に数回と限られています。年に一度地元の球場にセリーグパリーグの試合が組まれる程度で、後は東京行った時に巨人戦を見るくらいです。
ですが、私が見た数少ない生でのプロ野球選手の中で、最高で心が震えたのは貴方の投球です。
テレビで見ることはあっても、そこで見て凄いと思う投手は多くいても、貴方の数年前の投球には敵いません。
たまたま親が関西に来るタイミングと京セラドームで巨人対オリックスの交流戦のタイミングが重なりました。
その頃は、あまりプロ野球を見ておらず、基本的にセリーグを見ていたので、貴方の名前しか知りませんでした。
親がオリックス千尋ちゃんが投げるよ(親は大好きな選手をちゃん付けで呼びます)、と興奮していたのでエースが出てくるんだな、という感覚でした。
巨人ファンだったのですが、チケットの関係で一塁内野席で見ることになりました。
京セラドームは初めてだったのですが、とても見やすい球場で、一塁側でしたがオリックスファン、巨人ファンが入り乱れた感じの楽しい球場でした。
関西というと、勝手なイメージが阪神だったので、阪神巨人のようなビリビリ感が無く、安心して見れました。
(阪神戦が危険なわけではありません、伝統の一戦とはそういうものなのです)
試合前の選手紹介で金子投手の映像が流れ、新潟出身と知りました。
当時の彼氏が新潟出身で、親近感がわき、色白の姿を見て、凄い肌白いな、新潟出身でドームがホームだからかな、と頓珍漢な事を思っていました。
優男みたいな見た目だなぁとぼんやり思っていました。
恐ろしい球でした。
内野席でしたので高さと角度しかよくわかりませんでしたが、凄いということはわかりました。
我が巨人軍は全く打てていませんでした。
ノーヒットノーランペースでした。
全く、本当に、全く打てません。
巨人を見に来た私が圧倒され、巨人の不甲斐なさを責めるのではなく、何だあの投手は、という気持ちでした。
全ての球が凄いのです。
しかし、巨人軍もエース菅野が投げています、オリックスは何度も何度もチャンスを作りは潰していました。
互いに0点のままです。
エース菅野が投げているのに、私は貴方の投球に夢中になりました。
さて、結果として味方の援護は無く、9回にノーヒットノーランのまま変えられてしまい、最終的に巨人が延長戦に勝利しました。
菅野も勝ちがつきませんでした。
いつもならば、またか!!また菅野を見殺しだ!と憤っている気持ちと勝ったやったぁ!!という気持ちですが、その時心に残ったのは、9回貴方が変えられた時にオリックスファンが言った「金子可哀想ー!!!」という言葉です。
当然です。
どう考えても貴方のノーヒットノーランの記録のつく試合で、勝ち投手になる試合でした。
メッセンジャーや菅野の境遇に憤っていましたが、こんな投手がこんな目にあっているのか、と思いました。
オリックスが悪いわけではないです、ですが、貴方のピッチングは、格が違いました。
さて、長々と思い出話をしましたが、この試合は有名な2014年のあの試合です。
そう、あの試合で私は貴方の投球に魅了され、心は巨人ファンですが生で見た一番は貴方です。
そんな貴方が怪我をしたり、年齢の関係もあり、今は日ハムにいます。
そして今日巨人と札幌ドームで戦います。相手は山口投手ですが、また貴方相手に沈黙する打線となるのか、打ち返せるのか、とても楽しみです。
貴方はいつまでたっても私のナンバーワンなので、近年ドキドキするニュースが入ってきますが、長く活躍してほしいです。
でも、今日4勝目を勝ち取るのはやめてほしいです。
蒸し麺の1袋20円とかの焼きそば麺ってどうやって味付けしたらいいのかいまだにわからん
無難なとこだとおたふくとかのケチャップみたいな焼きそばソースを使えばいいんだろうけど、そんなしょっちゅう食うもんでもないのに1本買うのは気が引けるし、せっかく蒸し麺で安く済ませたいのに高くつく
だいたいいつも常備してるウスターソースとトンカツソースが無難なとこなのかなと思うけど、それらだけだとどうも味がぼんやりしちまうし、味が薄いと思ってかけまくるとびしゃびしゃになって余計まずくなる
ならばぴりっと引き締めるために王道の塩コショウだと思ってこないだたくさん塩コショウかけたらやたら辛くなっただけだった
どうしたらいいのかほんとわからん
毎日何となく憂鬱で、眠りも浅いし寝つきも悪くて、ぼんやり死のうかなと思うことも多い
病院にかかったところで劇的に何かが変わるわけでもなかったし、薬はどんどん増えるだけで金銭的にも厳しくなるだけだった
カウンセリングも知らない人と喋るのが苦痛すぎて、特に何を聞かれるわけでもない無言の時間が苦痛すぎてむしろそれがストレスだった
仕事がストレスなら仕事辞めたら?と言われても、辞めてその後どうやって生活するんだろう、死ねってことかなとしか思わないし
安楽死したいなぁ
生きてても別に楽しくないし
30年生きてもその先を生き続けたいと思うようなものが無かったら楽に死んでいいことにしてほしいなぁ
電車に飛び込んでも部屋で死んでも損害賠償で、失踪したら捜索費用がかかって、じゃあもうどこで死んだらいいんだよって感じする
私はココイチが好きだ。
哲学のない必要最低限だけのカレー、雑な揚げ物、やる気のないドリンクメニューが好きだ。下世話な一杯飯屋なのに割高な値段設定で客の足切りをしているのが好きだ。そこには懸命に働く外国人店員を怒鳴りつけて悦に浸るクシャクシャスーツの禿も、インターネットを長時間見ただけで賢くなったとイキるコスパ・コスパと囀る哀れな卑しい人々もおらず、心穏やかに思う存分ジャンクなカレーと向き合うことができる。。。そんなココイチが好きだ。
ここで下賤な一杯飯屋と縁遠い紳士淑女の皆様方へ、あなた方には一生関係しないであろうココイチのオーダー手順を説明しようと思う。同志とアンチの諸君は読み飛ばせ。
ココイチはラーメン屋や牛丼屋じみた定食もやっているカレー屋とも違い食券システムを採用していない。ルーの種類、辛さ、飯の量、揚げすぎて凄く良く言えばクリスピーな各種揚げ物、チーズ・煮込みチキン・豚しゃぶなどルーに混ぜ込む系トッピング、この複雑怪奇なカスタマイズメニューを入店後の着席と同時に出される水のタイミングでオーダーするか、この迷宮を心行くまで彷徨い、とりあえずその出口にたどり着いたものとして、ある種の諦念と共に店員を呼びオーダーするかの2択となる。ちなみに私は迷宮派である。しかし即決派の蛮勇には憧れるものがある。
そうして決めた本日のオーダーは、チーズカレー2辛温玉トッピングだった。出てきたカレーを前にして、さてどのような割合でカレー・チーズを配合し、白い砂浜たる飯をいただくか、どのタイミングで干乾びた福神漬けのシャクシャクとした触感を加えるか、温玉はいつ割るべきかなどと愉悦の微笑みと共に熟考しているときにそれは起こった。
この煉獄一歩手前の楽園ではついぞ聞かない奇声が、穏やかな空間に響き渡ったのだ。
「入ってから1時間もたっている!オーダーも取りに来ないとはどういうことだ!!」
私と同じカウンターの、その端に座った男が怒りの声を上げていた。その男はカウンターを叩き、横板を蹴りつけて世の中の不平等すべてが我が身に降りかかったかの如く怒りを振りまいていた。
しかし、待ってほしい、ココイチでそれはおかしい。
その男の前には水が出ていた。そう、水が出されたときにオーダーを聞かれたはずだ。そこでオーダーしていないなら男を迷宮派と判断した店員は「お決まりになったらお呼びくださいね」と告げて静かに去っていたはずだ。そして1時間も迷宮を彷徨う本格派の男を、店員は急かす事なくその場にいる事を許してくれていたはずだ。仮に店員の呼び掛けを聞き逃していたとしても、なぜこの浅黒く愛嬌のないタイプの猪八戒のような風体の男は、1時間も無音のまま火に掛けられ続けた圧力釜のごとく不穏な怒りをその身の中で凝縮し、突如奇人如く炸裂させているのか。なぜ、なぜ。。。
私は急ぎカレーを掻き込むと店を出ようとした。レジは男の後ろを通らねばならなかった。哀れな店員たちはよほど急いでカレーを用意したらしく、すでに猪八戒の前には私と同じチーズカレーが出ており、豚のごとくカレーを啜り上げていた。その余りに浅ましい様を見たとき、私の中で説明のつかない激しい怒りが恐ろしい勢いで燃え上がった。もしその時、ココイチのいかれた固さの揚げ物を貫くフォークがこの手にあったなら、思いのままに黒豚じみた刈上げ頭に突き立てていたかもしれない。そんな己の中の怪物に慄いた私は会計を済ませ逃げるように店を去った。
さて昨今、凝縮された怒りを突如として炸裂させ、無辜の人々を脅かす可能性のある人物について、インターネット上の人格者と怪物と大多数のぼんやりした人々が、死すべきか、死ならざるべきかについて議論を交わしていたが、このお話の死ぬべき人々は誰なのか、そんな事を聞いてみたい夜だった。
どうしても心療内科にかかりたくて予約の電話をしたら当たり前のように
「予約は1か月先の○日以降になりますが希望はありますか?」て聞かれて心が折れかけて
「考えます」て電話を切ろうとしてしまったけどでもここで電話切ったらまたふりだしに戻ってしまうと
思って頑張って予約入れて仕事も有給とったりして病院行ったけど自分より後に来たはずの人たちが
どんどん呼ばれて帰って行って自分が呼ばれたのは予約時間から1時間近く待ってからの診察で
やっと診察室入っても先生はニコリともしないで淡々と話をすすめていく人で途中何度も
よくわからない電話に出ては中断してを繰り返してこんな先生の診察でも1か月先まで埋まるんだなぁと
ぼんやり考えていたりしたけど、2回目朝イチで行った時にはやっぱり自分と同じように
今日見てほしいという電話がかかってきてて受付の方に「予約は2か月先になります。今日は無理ですね」
と軽く断られていて怖かった。
うちの母も、日本の政府も結婚を促すけど、結婚いいもんだなって思わなければ積極的にはしないよ。
しないと恥ずかしい、体裁が悪い等のネガティブな後押しは、その後の生活にも影を落とす。
若い世代に言う前に、自分の家庭での振る舞いを省みてください。
子供っぽい夫婦喧嘩や家族に対して自己中心的な態度の父を見ていて、自分は結婚すまいと思っていた。子供もいらないと思っていた。
結局興味が勝り、結婚出産育児を経験できた。子供かわいい。たまに腹立つけど。いろんな感情を味わえている。何ものにも代え難い。
兄はぼんやりしている。仕方ないと思う。母は老後のことを考えると結婚してほしいなどといってるけど、そんな理由で結婚したら相手が気の毒すぎる。自分が安心したいだけでしょうに。
まずは自分達が楽しく生きてほしいよ。