はてなキーワード: 青年とは
今までとは違いそれなりに内容があるので、加賀賢三氏のインタビュー記事と比較してみたい。長くなるので「口淫強要問題」の部分だけ抜き出してみる。
『童貞。をプロデュース』監督・松江哲明より
https://note.com/tetsuakimatsue/n/n7761229283cd
『童貞。をプロデュース』強要問題の“黙殺された12年”を振り返る 加賀賢三氏インタビュー
https://getnews.jp/archives/2308598
松江『「童貞。をプロデュース」企画の初期段階で「AVの撮影現場へ行く」ということがコンセプトの一つであり共有されていた。そして初期の打ち合わせ段階で、作品の大きな二つの軸「AVの撮影現場に行く」「好きな子に告白する」という話を共有しました』
加賀『ある日、松江さんが「AVの現場に取材に行こう」と言い出しました。』
はっきり言い分が違っている。松江氏はAVについて初期の話合いの段階ででていたと。加賀氏はある程度撮影が進んでからいきなりとのこと。
この部分は松江氏によるとカメラを回していたとのことなので松江氏が証拠を出せるのではないかと思われる。
どっちにしても撮影現場に行くのはともかく性行為をする的約束はなかったんだろうという印象。
松江『そこでしばし私達は談笑した後、その場を盛り上げようと加賀さんに「明日の撮影を実行するかしないか、コイントスで決めよう」と提案しました。作中の該当シーンでは、コイントスの結果が明示されるギリギリのタイミングで次のカットへ切り替わってAVの撮影現場当日へ繋がっていますが、実際の撮影現場ではコイントスは「撮影をやめる」という結果を示していました。しかし企画内容として私は「AVの撮影現場へ行くシーン」は絶対撮ろうと決めていたこと、コイントスはその場の雰囲気を盛り上げるための演出手法の一つでしたので、私は「やっぱり明日は撮影現場へ行こう」と説得しました』
加賀『松江さんが「AVの現場に行く」と言い出したときにも、「行きたくないです」とずっと断っていました。すると、松江さんは「じゃあ、コイントスで決めよう」と言い出しました。これは映画の中にもあるくだりです。結局、コイントスもぼくが勝ったんですが……なぜか、松江さんのゴリ押しで行くことになりました。映画では、コイントスして、手を開いて、「あっ」って言うところで映像は切られていて、次の画ではもうAVの現場にぼくがいる、という流れに編集されています。本当はぼくが勝ったから行かなくていいはずだったんですが、本編では松江さんが勝ったことになっているんです』
ここは面白い!
AV現場に行く、行かないの話合いを「しばし談笑した」と表現する松江氏。
コイントスをその場を盛り上げるためと語り、負けたにもかかわらず「撮影現場に行くシーンは絶対撮ろうと決めていた」ので「コイントスはその場の雰囲気を盛り上げるための演出手法」とごまかし『「やっぱり明日は撮影現場へ行こう」と説得しました』
これは卑怯だよね。松江監督の発言を最大限受け入れるとしても「説得」ではないだろ。
加賀さんは『松江さんは、本当にゴリ押しが酷い』と語っている。
もしコイントスで松江監督が勝利していた場合は絶対「約束しただろー」とか「男と男の勝負の結果だろ」とか言ってAV現場に連れて行かれただろうし、もう詰んでる。
これいじめっ子がよくやるやつだと思う。
松江『“約束事の共有”があったと思った幾つかの理由は「青年加賀にドキュメンタリー監督がビンタする」シーンでは、加賀さんは現場で「今のビンタは音が小さかったので、もう一度撮り直してもいいですよ」と私に提案しました。彼が作品の演出意図について理解している発言であったと認識しています』
加賀『ビンタされるのはいいんですけど、まず“ヤラセ”が嫌だし、「AV女優は汚い」と言うことも嫌でした。でも、これでオチをつけてくれるんだろうと思ったんです』
ビンタさえ我慢すればそれで終われる(オチがつく)と思い前向きに協力した加賀さんと、ビンタシーンで撮り直しまで提案してくるので、とてもやる気があるのだろうと勘違いしてしまったらしい松江さん。
悲しいすれ違いではある。
加賀『「これでオチがついたから、やっと終わる」と思っていました。ところが、部屋に戻ったらまた押し問答が始まりました。松江さんは、「お前待ちなんだよ」「やるまで終わらねえぞ」「松尾さんを待たせるなんて。お前、いい度胸してんな」と、脅しも入れるようになりました。「カンパニーさんって、そんなに怖い人なんだ」と想像を巡らせて、また怖くなりました。初めて会う方でしたし、「AV業界だし、怖い人たちがバックにいるかもしれない」と、さらに色々と想像して、どんどん怖くなりました』
ここも松江監督的には「ドキュメンタリー監督が青年加賀を脅かす」という演出であるってことになるのだろう。でもそれ言っちゃたらやばい部分は全部演出って言えちゃうからなー
松江『作品の性質上「嫌がっているように見える演出」と「本当に嫌がっている現実」をうまく分けるために役者さんにお伝えするもので、例えば女優さんがお芝居で「嫌よ」「やめて」といっても、芝居か本心なのか判断つきません。なので「その流れで発せられない」ありえない言葉を「ストップワード」として設定し、その警報の効力は絶対的で、発せられたら何があっても撮影現場の全てはストップします』
『「ストップワード」を、「お弁当」にしますと決めてお伝えしました』
加賀さんは覚えて無いとのこと。
松江『「明日、あらかじめシャワー浴びてきてね」「もしかしたら絡み(セックス)のシーンあるかもよ」と言葉で伝えました』
このへんは言った言わないの話になるんで難しい。
一応AV撮影現場のくだりはこんな感じ。今後松江監督の側から裁判を起こすらしく、今回書いてない言い分もあるらしい。
私の感想としてはやはりこれはパワハラに当たるだろうと思う。松江監督も認めている「コイントス」の下りが決定的。こんなの無理を押し通すってことは松江さんは加賀さんの意思なんか尊重する気は無かったのだろう。
『私はまるで「いじめている自覚のないいじめっ子」だったのか、と気づかされました』
と語っているが「まるで」って部分いらないよなーと、完全にただのいじめっ子でしょう。そして自覚がないってのも怪しいと思う。
お互いの立場の差を自覚した上で安全な場所から加賀さんをいじって楽しんだであろう、松江監督が長い時を経て逆襲にあったってのが今回の件の本質かなと思った。
歳を取ると、真面目に政治を語っていた奴らが胡散臭く青臭い奴らだったと気づく瞬間がある
もう少し歳を取ると、その青臭い少年・青年も、自分のように目が覚める人がいると気づく瞬間が来る
それで、世界の政治、大昔の戦も結局青臭い何かから生まれているのではいかという考えに至る
一旦「こんなのは偽物だ」と思ってから、「偽物こそ本物だった」という考えに至るわけだ
年齢ではないはずだ
ジジババになっても青年同様に青臭いことを言って地に足のついてない人はそこそこ居る
他に境界線を引くとしたら、命や生活に影響があるかどうか、実効性があるかどうかでしかない
Kutooとか、レインボーパレードとか、社会をよくするために行動する人たちがいる。
私は、それを、これは賛同できる、賛同できない、とかぼんやり考えたり、時に考えたことをツイートするだけの普通の人間だった。
「確かによくないことだとは思うけど、かといってゼロにしろっていうのもね」とか、そんな批判をしたり、「そんなことが起こってるのか、ひどいなあ」なんて賛同したりした。
賛同するときにも、いいことだと思いながら、実際に自分も行動することはせずに、
「正しいことを言っているのだから、自分がなんとかしなくても、きっとあの人たちの主張は認められて世の中はよくなる」
と漠然と思っていた。
それが変わったのは、あるパネルディスカッションに行ってからだった。
そこで、一人の参加者に声をかけられて、その人が参加しているという社会貢献アクションのFBのページを宣伝された。
私と同じ大学生だった。
ジェンダー論を専攻にしています。友達と一緒にこの組織を運営しています。
みんなに問題を知ってもらい、自分達も勉強するために、講演会やパネルディスカッションを企画しているんです。
そういう話を聞いた瞬間、急に、今までなにもしてこなかった自分が恥ずかしくなった。
「遠くでえらい人たちがいいことをやっている」
で済んでいたことが、目の前に来て、それが同じ大学生で、そんな状況がすごく衝撃的だった。
今まで「えらい人たち」で済ませていた人たちが、血の通った人間で、感情があり、傷つきながら必死に活動しているのだと、急に生々しく感じられた。
それから、かといって私は行動するわけでもなく、デモや活動を見るたびに、ジリジリと胸の焦げるような罪悪感を感じて過ごしていた。
世の中は勝手によくなっていくわけではなくて、血の通ったあの人たちが、血を流して戦ってよくしていっているのだと思った。
なのに、自分はなにもしないでそれを家から見守って、よくなった世の中だけを享受しているような気がした。
ローカルだから、東京のデモより自分が必要とされている気がした。
東京の大々的なデモより、報道とかも少なくてハードルが低そうな気もした。
たとえデモをしたところで世の中が何も変わらなかったとしても、なにもしない罪悪感で自分を嫌いになるよりはなにかしたほうがマシだと思った。
私の気持ちとしては、絡まれたなんてかわいらしい表現では物足りないぐらいの大きな衝撃だったけど、実際そのよっぱらいのやったことは、絡んだとしか言いようがないので、絡まれたと表現する。
私の主観では、私の心に土足どころかヘドロまみれの状態で転がり込んできてそこら中に吐瀉物を吐いていった、ぐらいの衝撃だった。
酔っぱらいは、散々みんなにひどい罵倒の言葉を投げつけた後、私の髪を掴んで、「高麗人か。高麗人か」と叫んだ。
あとで聞いたことによると、デモをよくしている人たちにとっても珍しいことだったらしい。
でも、当時の私にとっては、活動をして来た人たちはこんな理不尽と戦ってきたのかと思わされる出来事だった。
昔の自分はよくもまあ、主張の詰めが甘いだのなんだの偉そうに上から目線でデモにケチをつけられたものだと思った。
今までなにもしてこなかった自分も、そうして絡まれて何もできなかった自分も、全部が情けなくてボロボロ泣いていたときに、慰めてくれたのが、日本共産党の斉藤和子さんだった。
「私は政治家だから、みんなを守る方の立場なんだ。あなたが背負う必要はない」
というようなことを言われたと思う。
その後、日本共産党に、党員という形で党を応援するシステムがあり、それは誰でもなれることを知った。
(※後から知ったことだが、2020年1月現在の日本共産党の規約では、日本国籍を所持している必要はある)
他の人たちがこうして戦って世の中をよくしてくれているのに、自分だけその成果の甘い蜜だけ吸っている。
党員になれば、少しは、今まで世の中をよくしてきてくれた人たちに報いられるかもしれないと思って、すぐに共産党の事務所に行って、入党させてくださいとお願いをした。
そして、入党したら、私が「世の中をよくするために戦ってきた人たち」だと思っていた人が、共産党員だったことが次々と発覚した。
共産党が、青年が政治に参加する方法を学ぶための民青という組織を支援していることも知った。
どうしてあんな風に戦えるのか、到底同じ人間と思えない、と感じてきたことにひとつ納得できる理由がついたような気がした。
ああいった人達は、誰かから、こんな風に、政治に参加する方法を教わってきたのだ、自分はそれと出会ってなかったのだ、と思った。
党員の立場で言うのもなんだけど、政治に参加する方法を学ぶ場は、必ずしも民青でなくてもいいと思う。
でも、すべての人に、何かしら、そうやって、政治に参加して、世の中を変える方法を学ぶ場所や、共に行動してくれる仲間に出会ってほしいと思う。
投票は、政治に参加する方法のうち、一番簡素なものでしかない。
長い戦いの末に私たちの先祖が獲得した「参政権」は、もっと多様で、その中には、投票よりも細かく正確に自分の主張を伝える方法が含まれている。
「政治に参加する」とは本来、特別政治に詳しい人が独占するものではなく、誰も正解がわからない中、それぞれが生活の中で行っていくものだ。
デモにしろ署名にしろ、仕事帰りにとか、買い物のついでにとか、もっと生活の中で気楽に行われるべきものだと思う。
自分は政治に何を求めているのか考えを整理することも、それをどう社会に伝えるのかも、練習なしにできることではない。
民青などで教わりながら、ときには間違えて失敗しながら、少しずつ身に付けていくものだ。
民主主義とは、みんながそうやって気軽に政治に参加することではじめて成り立つのではないだろうか。
多分今の世の中は、みんな政治に参加するスキルが足りていないせいで、民主主義がうまく回っていないのだと思う。
ちなみに、みなさん気になるであろう、党員としての生活については、入党して1ヶ月経つが、今のところ大して入党以前の生活と変わらない。
危ないことは特にないし、離党したければいつでも離党できるし、中国共産党や武力の影は欠片も見当たらないし、嫌な活動を強制されたりもしない。
党員としての活動の内容も、得意なことをできる範囲でとのことで、私に関しては、バイトでもやっている慣れた作業を気楽にやらせてもらっている。
https://japanese.joins.com/JArticle/261501?sectcode=300&servcode=300
「韓国政府は低成長の原因に米中貿易戦争を挙げるが、本当の原因は所得主導成長(income-led growth)政策だ。むしろ所得主導貧困(income-led poverty)と呼ばなければいけない状況だ」。
米ハーバード大経済学科のリタウアーセンターで会ったロバート・バロー教授は韓国経済に関する質問をするたびに「このために韓国の成長速度が遅くなった」と語った。
バロー教授は過去の高度成長で開発途上国のロールモデルだった韓国経済が停滞する姿に遺憾を表した。バロー教授は「韓国が過去の高成長の栄光を取り戻すためには、今からでも経済政策の方向を変えなければいけない」とし「投資と生産性を増やし、企業・市場の自由を保障することがすべての経済成長の核心」と述べた。
バロー教授は代表的な供給主義経済学者(減税と規制緩和で経済成長と雇用を促進するという理論)で、市場経済と自由貿易の重要性を強調する。昨年ノーベル経済学賞を受賞したマイケル・クレーマー教授の博士課程を指導した。
「韓国で初めて聞いた用語だ。あなたの国の政府が作り出した言葉であるようだ。供給主義経済学の反対の意味でケインジアン(ケインズ主義)など需要主義経済学が存在することはある。政治的な名分を前に出して成長よりも分配に集中するという主張は理解できるが、人件費を引き上げて業務時間を減らしながら経済成長を図るという論理は生まれて初めて聞く」
「国内総生産(GDP)増加率が大きく落ちた。景気沈滞(リセッション)に陥る可能性がかなり高い。2019年の韓国の成長率は1.8%と予想されるが、過去10年間で最も低い水準だ。特に全体投資額の数値が減少した点が懸念される。2019年の固定投資額はマイナス4%と推定される。投資の冷え込みは今後の景気に対する自信が落ちたという証拠であり、リセッションの強い兆候だ」
「それは(韓国政府の)言い訳だ。もちろん対米・対中輸出比率が大きい韓国経済にマイナスの影響はあるだろうが、貿易戦争の当事者である米国・中国よりも韓国に大きな被害があるだろうか。まだ米国・中国の内部でも貿易戦争の経済的損失についてはさまざまな見方があるが、韓国の成長が貿易戦争のため阻害されたというのは少し誇張があるようだ。もともと(政府は)外部的要因が問題だと責任を転嫁すればよいと考える」
--実際、韓国企業は米中貿易戦争による業績の悪化を心配しているが。
「韓国と似た経済構造を持つほかのアジアの国と比較すればよい。政治的な混乱を迎えている香港を除いて、韓国は相対的に過去2年間の成長率が過度に落ちた。規制を増やし、人件費を引き上げた政策が企業に直撃弾として作用した。労働コストが増える状況で、雇用を増やして投資を拡大する企業がどこにあるだろうか」
--では、韓国政府はどうすべきなのか。
「今からでも市場的で企業が投資しやすい政策に向かわなければいけない。過去に韓国が高度成長した時期のようにすればよい。最低賃金引き上げは左派政治家のお決まりのテーマだった。労働者の賃金を引き上げれば裕福になるという単純な主張をする。しかし経済学者の立場で見ると、賃金は資本・労働生産性により効率的な水準で決まる時、経済的な効用性が最大化する。政府が介入しなくても賃金は十分に合理的な水準に決まる」
--富の再配分は必要ないのか。
「そうではない。不平等なイシューを解決するのは当然重要な課題だ。ただ、労働者の賃金を増やして富を再分配するほど経済が速く成長するというような誤った論理を展開してはいけないということだ。韓国は経済的に先進国に近接したが、まだ少なくとも年3-4%の成長率は維持しなければいけない。米国と似た今の成長速度は話にならない。韓国政府は経済成長のための政策と富の再配分に対する政策をもう少し冷静に区分する必要がある」
--最も良い富の再配分政策は何か。
「言うまでもなく教育だ。低所得層の子どもが十分に教育を受けて社会に進出するよう財政的に支援しなければいけない。韓国はすでにこの部分で優秀だ。大学進学率が半分を超え、国民の教育水準も非常に高い」
--教育だけで不平等問題を解決するのは難しい。韓国の場合、高学歴者が職場を見つけることができず「下方就職」という雇用のミスマッチ現象が目立つ。
「技術の発達による雇用の減少は世界的な傾向になった。かなり難しい問題だ。米国では青年創業、スタートアップ支援などの政策で雇用を増やしている。ただ、韓国は投資減少が心配されるほどであり、これも容易ではなさそうだ。経済成長率がさらに落ちる場合、雇用も減り、不平等に対する不満はさらに強まるおそれがある」
バスが止まると、乗客たちは押し黙ったまま次々と降りて行く。車窓から見える煤けた家々の影に吸い込まれて行く彼らを眺めていると、いつの間にかバスの中には僕と運転手だけがとり残されていた。分かるはずもないポルトガル語でなにかを伝えようとする運転手の表情を見て、ようやくここが終点のモシンボアダプライアだということに気付いた。
モザンビーク共和国の最北部、タンザニアとの国境に最も近い街、モシンボアダプライア。ナンプーラからミニバスに揺られること10時間、日も傾き始めた午後4時頃、やっとのことで到着した。
21世紀になった今でもまだ未開の森が残っているというモザンビーク北部。小さな村と村を辛うじて繋ぐ細い道路は言うまでもなく未舗装で、その上を走るトヨタハイエースのミニバスは、重ねて言うまでもなくオフロード向きの車ではない。乗車定員をまるで無視したぎゅうぎゅう詰めの車内で、膝の上に拷問器具さながらの重たいバックパックを載せて、しかも悪路を走る振動に耐えながらの10時間は、気の遠くなるような長い時間だった。
あわてて荷物を引っ張って外に出ると、空になったバスはそそくさと何処かへ行ってしまった。降り立った場所はバスターミナルなんて大層なものではなく、石造りの家々が建ち並ぶ小さな村の一角にポツンと広がった、ただの砂地の広場だった。広場の端に植えられたヤシの木の陰には何人かの女性や老人が座っていて、サトウキビをバリボリ齧りながらこちらをじっと見ている。ああ、ここ数日と同じだ。
モザンビーク最大の都市、首都のマプトは、南北に長い国土の一番南の端にある。南アフリカから陸路で入国した時、最初に到着した街もマプトだった。首都は首都なりに近代的なガラス張りの高層ビルが建っていたりもするのだけど、そこから北へ向かって縦断を始めると、車窓から見える景色がどんどん田舎に、自然に近づいていくのがそれはもう如実に分かる。白人の観光客がいるのはせいぜいマプトの次の街のイニャンバネ辺りまで。国土のちょうど真ん中辺りを東西に流れるザンベジ川を超えると舗装道路がほとんど無くなる。北部の街キルマーニを超えるともう公共交通機関が当てにならないので、道端にはヒッチハイクの代行をして日銭を稼ぐ子供達が居たりする。モシンボアの手前のペンバ辺りまでは、自分以外の酔狂なバックパッカーを見かけることもあった。しかし、ここに来てついに異邦人は自分だけになってしまったらしい。
いわゆる発展途上国の場合、自分のような旅行者は、バスから降りるなり土産物の押し売りやホテルやタクシーの客引きにもみくちゃにされてうんざりするのが常だ。しかしアフリカのこんな僻地まで来てしまうと、そもそも旅行者が訪れることなどほとんどないはず。外国人慣れしていない土地の人達も、突然バスから降りてきた肌の色の違う人間に驚きつつもどう対処したらいいかわからないのだろう。一挙手一投足を全方位から遠巻きに観察されているような視線は、動物園のパンダにでもなったかのような気分にさせてくれる。
惚けていても始まらない。まずは今晩の宿を確保して、それから英語の分かる人間を探さないと。ここまでの街で集めた情報によれば、モシンボアからは毎朝早くに国境行きのバスが一台出ているらしい。できれば明日の朝そいつに乗り込みたい。ここ数日、ATMもなければクレジットカードも使えないような場所を通ってきたせいで、手持ちの現金はもうほとんど尽きかけていた。今はできるだけ早く駒を進める必要がある。とにかく、話のわかる奴を探して情報を聞き出さないといけない。僕は檻から抜け出すようにしてその広場を後にした。
重い荷物を背負って村の中へ入って行くと、ここでも同じように奇異の目を向けられる。それでも、こういう時は一度誰かに話しかけてしまえば後は簡単だ。それをきっかけに周りで見ていた人たちも次々話に入ってきて、いつの間にか自分の周りは人だかりになっている。その中には英語を喋る奴が大抵一人くらいはいるもので、今回もその中の一人、僕と同い年くらいの青年を見つけた。彼が言うには、自分の兄貴が毎朝国境行きの車を運転しているとのこと。この村に来る外国人は十中八九陸路でタンザニアへ向かおうとしている奴だから、客になりそうな外国人がいると聞いてすっ飛んで来たらしい。村の奥、青年の指差す方向には一台のピックアップトラックが止まっていた。手を引かれ、群衆をかき分けながら近づいていくと、荷台に腰掛けた白いタンクトップの男がサトウキビをバリボリ齧りながらこちらに視線を投げている。トラックの前まで来ると、男はサトウキビの食べかすを地面に吐き捨て、挨拶もそこそこに言った。
「あんた、国境に行くんだろ。300メティカルで明日の朝こいつの荷台に載せて連れてってやるよ。早朝三時にここに来な」
なんとなく予感はしていたが、国境へ行く手段というのはバスや乗り合いタクシーの事ではないらしい。このトラックの荷台に乗って、荷物のついでに運んでもらうということなのだ。トラックの荷台には、明日の同乗者になるのであろうコーラの空き瓶が入ったケースや何が詰まっているのかわからない大きな頭陀袋が山と積まれているだけで、当然ながら座席のようなものは見当たらない。今日の移動もなかなか骨だったが、明日も今日に劣らずタフな一日になりそうだ。
運賃として提示された300メティカルは日本円にしておよそ500円少々。交渉が前提になっているようなひどく高い金額でもないし、村を歩いて探し回っても他の交通手段があるとは思えない。500メティカルなら、あと一日くらいこのモシンボアに泊まってゆっくり骨を休める余裕ができる。聞く所によればこの男は毎日国境まで行っているようだし、出発を一日先延ばしにしてもさほど問題にはならないはずだが、でもこの時はそうしなかった。前へ前へと懸命に移動することに、ある種の快感のようなものを覚え始めていたのかも知れない。とにかく僕はこのトラックで明日の朝、国境まで行く事に決めたのだ。
握手を交わすと、男は表情を和らげて言った。
「寝る場所が必要だろう。弟に宿まで案内させるから今夜はそこで休め。寝坊しても起こしに行ってやるから安心しろ」
男が目配せをすると青年は頷き、ついて来いと言って歩き始めた。もう一つの懸案だった宿の方も、彼らが世話してくれるらしい。それもそのはず、人や荷物を国境まで運ぶ商売をしていれば、僕のような旅行者を載せる機会も幾度と無くあっただろう。そんな旅行者への宿の斡旋も、彼らの商売の一部なのだ。
青年の背中を追って歩いていくと、少しずつ村の中心に近づいていくのがわかった。舗装された道幅の広い道路があらわれ、ガソリンスタンドや錆びたコカコーラの看板、商店や食堂などが民家に混じって見え始める。顔を少し上げると、視界の端にわずかに入るヤシの木や、朽ちて傾いた丸太の電信柱の向こうに、どことなく湿った雨期の青空がいっぱいに広がるのが見える。
10分も歩かないうちに、僕らは一つの建物の前で立ち止まった。周りに見える民家や商店より少し大きい、ちょうど郊外のコンビニくらいの大きさのその建物は、宿泊施設としてはやや小さく思える。水色のペンキで塗り染められた石の外壁には大きなひびが入り、風雨や土埃に晒されてくすんだ色になっていた。やれやれ、想像通りのボロさである。
「ここが宿だ。少し汚いけどこの村には宿はここしかない。悪いけど我慢してくれよな」
青年はそれだけ言うと、あっけにとられる僕をその場に置いて来た道を逃げるように帰っていった。僕が宿にいちゃもんをつける前に立ち去りたかったのだろうか。
入り口にかかる簾をくぐり、薄暗い室内にに踏み込む。簾に付いた鈴が音を立てると、奥のカウンターの向こう側から一人の老人がゆらりと立ち上がった。部屋が欲しいんだと大袈裟なジェスチャーを交えながら伝えると、彼は黙ったまま横の壁の一点を指差した。目をやると、石の壁に赤のペンキで直接文字が書かれているのに気付いた。
"Single 1200. Twin 1600."
シングルの部屋が日本円にしておよそ2000円ほど。いままで泊まってきた宿の中では一番高い金額だが、さて、どうするべきか。村にある宿がここだけだと言う青年の言葉は、この宿の大きさから考えて恐らく嘘だろう。ここより安いという確証はないが、土地の人間が使うゲストハウス位はどこの村にも幾つかあるものだ。しかし、重い荷物を再び背負って表を歩き回るのはやはり億劫だった。壁に書かれた赤いペンキの文字は酸化してほとんど茶色くなっていた。いつからこの値段でやっているのかは知らないが、少なくとも僕を金持ち旅行者と見てふっかけているわけではないようだ。値段の交渉は望み薄だが、僕は試しに聞いてみた。
「もう少し安くはならないの?」
老人は困ったような、それでいて僕がそう言い出すのを知っていたかのような苦笑いを浮かべ、少しの間を置いて言った。
「窓のついてない部屋が一つあるが、そこなら600でいいよ」
なんと、意外なほどあっさり宿賃が半値になってしまった。一泊1000円なら上出来じゃないか。窓が無いというのは、まあ多少風通しと明るさに問題があるとは思うがこの際妥協してもいいだろう。どうせ明日は日が登る前にここを発つのだから。
「部屋を見せてくれる?」
僕が言うと、老人は鍵を引き出しから取り出し、カウンターを出て奥へ伸びる暗い廊下を歩き始めた。僕もその後を追った。
一つのドアの前で立ち止まると、老人はドアノブに鍵を突き刺して、ガチャガチャと乱暴に鍵穴をほじくり始めた。なかなか開かないようだ。このボロさでおまけに窓の一つも付いていないときたら、本当に地下牢のような荒んだ部屋なのだろう。そんなことを考えながら、鍵と格闘する老人の背中を眺めていた。しばらくして鍵が開く。額に汗した老人は僕の方を向いて意味深な笑みを浮かべ、ドアを開いて見せた。
開け放たれたドアの前から覗いた部屋は、想像通りとても簡素なものだった。だが、想像していたより酷くもなかった。六畳程度の部屋のど真ん中にはセミダブルくらいの大きなベッドが石の床に直接置かれ、部屋の隅にはちゃちな木製の小さな椅子と机が、客室の体裁を取り繕う申し訳のようにちょこんと置かれている。そして、奥の壁の大きな窓からレースのカーテン越しに差し込む夕陽が、数少ない部屋の調度品と埃っぽい室内を舞う無数の塵を照らしていた。しかしこの部屋、さっきと少し話が違うんじゃないか。
「いや…ご主人、僕が見たいのは半額の部屋の方なんだけど」
「ん? この部屋は600メティカルだが」
僕がそう言うと、老人は黙って部屋へ入って行き、カーテンをめくる。そこにはあったのは確かに窓だった。窓だったが…窓にはガラスが入っていなかった。僕は思わず笑ってしまった。窓が付いていないというのがまさかこういう意味だったとは。明るくて風通しの良いこの部屋は、僕が覚悟していた牢獄の様な部屋よりよっぽどマシに見えた。しかし、中と外の境界を作るのが鍵の掛けようのない無い薄いカーテン一枚というのは、やはり安全面に問題がありすぎる。こんな部屋でおちおち寝ていたら命が幾つあっても足りないだろう。強盗、マラリア、野犬、その他諸々の野生動物、危険は数え出したらキリがない。半笑いでそんな事を考えていると、いつの間にか隣に来ていた老人に小突かれた。
「で、どうするんだ」
「…窓が付いている部屋も見たいな」
「だろうな」
ニヤリと笑みを浮かべた老人は静かに扉を閉めると、一つ隣の部屋の扉を開けて僕に見せてくれた。さっき見たのと一見全く同じ部屋だが、こっちのほうが心なしか手入れがされているように見える。中に入ってカーテンをめくってみると、くすんだガラスがしっかりと嵌めこまれた窓と網戸が見えた。
「1200メティカルだけど、いいよな?」
振り返ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた老人と目が合った。やれやれ、こちらの完敗である。
「…いいよ。この部屋にする」
宿賃を渡し、僕は笑ってそう答えた。老人は僕の肩にポンと手を置いて、隣の部屋のとはまるで違う綺麗に磨かれた鍵を渡してくれた。やっぱり、あの部屋には最初から客を泊めるつもりなんてなかったのだろう。
「明日の昼まで停電だから電気はつかないよ。ロウソクが引き出しにあるから使うといい」
「一本いくらですか?」
「サービスだよ」
僕が皮肉半分に聞いたことを知ってか知らずか、老人はどうだ気前がいいだろうと言わんばかりの誇らしげな笑みを見せ、ドアの外へ消えて行った。やり返してやった気にはまるでならなかった。
靴や荷物についた砂を振り払い、ベッドに寝転んだ。疲れ切った身体を動かす体力はとうに尽きていたが、不思議と気分は高揚していた。蓄積した疲労の中に滲む自虐的とも言える旅の充足感に気付いたのだった。
1つ目は、身体が役目を終えるとき。これを「物理的な死」としよう。
2つ目は、その人のことを皆が忘れてしまうとき。こちらは「認識的な死」だ。
どちらが先に来るかは人それぞれだが、ほとんどの人が「物理的」→「認識的」の順番で死ぬだろう。
みんながその人のことを覚えていてくれるから、葬式ではその人を悼んで泣くのだ。
身体は死んでも、誰かが覚えているかぎり、その人は未だ完全に死んではいない。暴君や独裁者すらも例外ではない。
それをある青年が名乗り出て、迷宮に踏み込み、殺した。そして、青年は英雄となった。
という神話が残っている。私の推しーーアステリオスもまた、皆に存在を忘れられる前に、物理的に死ねた。
もし、彼が物理的に殺される前に、皆から存在を忘れられてしまったとしたら?
2018年4月4日、私のもう1人の推しが死んだ。というか私が殺した。
ロシアというギリシャ神話とは全く関係のない地で、私は彼に出会った。
同じようにアステリオスが好きな人達と同じく、私も衝撃を受けたことを覚えている。
一般的に語られている神話通りの「怪物」といえる恐ろしい相手だった。
最期に「向こう側=主人公たちの世界が羨ましい」と呟きながらも、笑顔を見せて、死んでいった。
FGOでは大抵、こういうセンセーショナルな出番を与えられたキャラクターが、主人公の味方として召喚できるようになる。
私は、彼にまた会える日を待っていた。
ずっと待った。
ずっと、ずっと待った。
誰も彼の話をしなかった。
誰も彼の絵を描かなかった。
絵を描いた人も、「ネタバレだから」と自粛ムードで絵を削除してしまった。
雑誌に載った、2部1章のキャラクター相関図には、彼は載っていなかった。
ならば、どうして出した?
そのうち、毎月増えていく可愛らしい☆5サーヴァントたちがプレイヤーたちから「可愛い!」「好き!」と言われてチヤホヤされている様子を見るのに嫌気が差した。
ギリシャが舞台の2部5章「神代巨神海洋 アトランティス」に微かな望みを懸けていたが、新規実装サーヴァントはどれも私の心を惹きつけなかった。
エウロペがアステリオスから見て義理の祖母にあたるのは知っていたけれど、そんなことはどうでも良かった。
アステリオスはモーション改修されなかったし、ミノタウロスも(いつも通りだが)いないことがショックだった。
読むのに十数時間かかる重厚なシナリオにはもう興味がなくなってしまった。
でも、ギリシャが舞台だ。もしかしたら、万が一でもミノタウロスに関する情報が得られるかもしれない。だから私は、ネタバレだけ検索した。
宮本武蔵やカルデアの者といった人気者や、実装されま新キャラに比べたら圧倒的に情報が少なかったが、なんとか事の全貌が見えてきた。
ミノタウロスは、誰かによって召喚されたサーヴァントではなく、ギリシャ異聞帯から「輸出」された、「まだ生きている怪物」だったこと。
現地住民は、とうの昔に怪物と関わるのをやめて、名前すら忘れていたこと。
そして、ある一つのスクショを見て、私はFGOを見限ることにした。
迷宮に主人公とともに踏み入ったと思しきシャルロット・コルデーが、
「汎人類史のミノタ……アステリオスはどんなお方だったのですか?」
と主人公に聞いた。
その台詞に対する主人公の返しの選択肢が私の精神を抉ったのだ。
「大きかった……と思う」/「優しかったよ」
私はアステリオスのことを人一倍知っているつもりだったが、FGOの主人公は違ったらしい。
私はアステリオスのことを忘れてなんかいない。勝手に殺さないでくれ。
主人公≠プレイヤーなのは重々承知だが、私はこんな主人公に感情移入できない。
つまり、公式からも主人公からも現地住民からもプレイヤーからも存在を忘れられたミノタウロスは、サーヴァントとしては未来永劫召喚できないということだ。
それだけ知れて、私は満足した。
私が物理的に殺す前に、彼はすでにギリシャの人々から忘れられて「死んで」いた。
でも少なくとも、私が彼のことを認識し、覚えている。
それだけで、彼は生きている。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 52 | 11086 | 213.2 | 44 |
01 | 32 | 7197 | 224.9 | 48.5 |
02 | 27 | 5543 | 205.3 | 56 |
03 | 18 | 1168 | 64.9 | 42 |
04 | 14 | 1282 | 91.6 | 30.5 |
05 | 9 | 532 | 59.1 | 38 |
06 | 18 | 1093 | 60.7 | 43 |
07 | 43 | 1827 | 42.5 | 36 |
08 | 57 | 4278 | 75.1 | 41 |
09 | 64 | 3403 | 53.2 | 41 |
10 | 125 | 11507 | 92.1 | 35 |
11 | 89 | 9070 | 101.9 | 43 |
12 | 92 | 10584 | 115.0 | 38 |
13 | 103 | 12491 | 121.3 | 45 |
14 | 66 | 5835 | 88.4 | 49 |
15 | 135 | 15724 | 116.5 | 51 |
16 | 143 | 12529 | 87.6 | 59 |
17 | 147 | 13202 | 89.8 | 56 |
18 | 199 | 16000 | 80.4 | 45 |
19 | 110 | 8905 | 81.0 | 40 |
20 | 89 | 13423 | 150.8 | 41 |
21 | 76 | 6395 | 84.1 | 37.5 |
22 | 122 | 17413 | 142.7 | 37 |
23 | 125 | 9867 | 78.9 | 45 |
1日 | 1955 | 200354 | 102.5 | 44 |
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これを表面的にみてみると、主人公の父親であるパパスの願いが主人公とその子どもたちにしっかりと受け継がれていく話だ。
だが同時に、パパスの願いがまるで呪いのように主人公と子どもたちに降りかかる話でもある。
ドラクエは基本的にプレイヤーの視点と主人公の視点がズレないように作られている。つまり、プレイヤーは物語を主観として受け入れることになる。
ゲーム自体は主人公が子どもの頃から始まるが、青年期に入るところで家族を亡くし故郷を失くし、彼の手元に何も残らなくなったところで亡き父パパスの手紙がみつかり、その妻であり主人公の母であるマーサを魔物の手から助け出してくれ、そのために天空の勇者を探してくれ、という目的が与えられる。
この時点で冒険の目的をなくしているプレイヤー、つまり人生の目的を失っている主人公にこれはガツンとくるのだ。そして父の願いを叶えるために動き出す。
これはパパスにその意図がなかったとしても洗脳以外の何物でもない。
けれども、主観でみるとこの手紙は人生の目的を作る救いである訳だ。
前述の通りドラクエは主観の物語なのでプレイヤー=主人公はこの呪いを呪いと感じることはない。むしろそれを自分自身の願いとして主体的に取り込むことすらする。
そうして天空の勇者を探しているうちに、主人公も結婚し子どもが生まれ、その子どもこそが天空の勇者だったと分かった時に体験する複雑な感情は主観の物語だからこその体験だ。
そしてパパスの呪いは主人公の子どもにこそ深く絡みつく。しかしながら主観でこの物語に接している主人公はその呪いに気がつかない。主人公の子どもも素直に主人公の願いを体現してしまっている。そこがまたエグい。
彼らにはマーサを探す以外の人生もあり得たのだ。しかし、1通の手紙とそれが読まれたタイミングにより、他の可能性が閉ざされてしまった。これを呪いと呼ばずになんと呼べばいいのだ。
まぁ、こうしてドラクエ5の物語への批判めいた文章を書いてきたが、私自身がプレイヤーとして主観的にこの物語を体験してしまったため、それから何年も経ってこうして呪いの構造に気がついてもなお、結果的に呪いになってしまったパパスの願いを悪いものだとは思えないのである。
幼少期に体が小さく、女子にからかわれた。その経験を受けてか、女性に対し恐怖心や生理的嫌悪感がある。
思春期から青年期にかけても、その恐怖心が拭えなかった。そのため女性との深い関係性を持ったことはない。
社会人になってからは、女性からアプローチみたいなことをされたこともある。だが、正直気持ち悪かった。
また、過去に立場が上の女性から、タクシーの中で手を繋がれたりして、本当に気持ちが悪かった。僕はあれを性暴力と捉えている。訴えてはいない。
最近職場で、プロジェクトを主導する立場になってきた。過去に僕が上げてきた成果もあってか、女性でプロジェクトに参加したいと言ってくれる人がいる。出来ればお引き取り願いたい。
私はどこにでもいるJKなのだが、最近マックで級友から興味深い話を聞いた。現代日本には「キモくて金の無いオッサン」という一群が棲息しているらしいのである。
キモくて金の無いオッサン。なんという悲しい呼称であろうか。属性がそのまま呼び名になっている。いくらなんでも投げやり過ぎやしまいか。我々がJKと呼ばれるように、頭文字を取ってKKNOと呼んであげることは出来ないものか。それだけでずいぶんポップになるではないか。PPAPのように。
そんなことはともかく、私はキモくて金の無いオッサンという生物に興味を持ち、色々と調べてみたのだが、どうやら彼らは概ね37才以上で、家賃六万円以下のアパートに独りで暮らしていることが多いようだ。特段、人生に不真面目であるわけではなく、むしろ性格は小心で、毎日、与えられた仕事を粛々とこなすものが多い印象である。ただ、様々な能力が平均より少しずつ劣っていたり、運が悪かったりすることで、劣悪な労働環境に適応せざるをえず、そういった暮らしの果てに「キモくて金の無いオッサン」に成ってしまったと言えそうなのである。私はJKなので詳しいことはわからないのだが、これはなかなか厳しい人生と言えそうである。
キモくて金の無いオッサンは、現代の労働市場において、最も弱い存在と言って良いだろう。知識や経験を蓄える機会を持たないまま生きてきたので、自然、最低賃金での単純労働に従事せざるを得ない。また、体力や脳の働きなど、個体としての衰弱も進行している為、集団内部でも下位に位置付けられてしまう。自分の息子であってもおかしくないような、髪を金色に染めた暴走族上がりの青年に、顎で使われたり、脇腹を蹴られたりすることもあるようなのだ。
キモくて金の無いオッサンは、労働後の歓楽に興じる機会も奪われている。周囲の年若い集団からは基本的に疎まれている為、酒席に誘われるようなことはまず無いのである。結果、発泡酒と値引きの惣菜を買い込み、帰宅してインターネット動画を漁りながら、明日の労働に備えることになる。 JKの私には信じがたいライフスタイルである。
キモくて金の無いオッサンは、人生の全てがバカらしくなり、大暴れして周囲に迷惑をかけるようなことはない。夜中にいそいそと自慰を行い、翌朝にはまた働きに出るのである。私はJKなので、これらはすべて想像に過ぎないのだが、なんだか泣きそうになってきた次第である。
キモくて金の無いオッサンは、時に恋に落ちたりもする。職場で一回り以上年下の女性に気安く話しかけられたり、笑顔を向けられたりすると、てきめんに恋をしてしまう。そして、これらの恋が成就した例は、有史以来、ただのひとつもない。それどころか、大抵は、悲劇に発展する。キモくて金の無いオッサンは、恋をすると、とんでもない間違いを繰り返し、キモさが数倍、時には数百倍にまで膨れ上がり、全身がヌメヌメと湿り気を帯び、激しい異臭を放ち始める。そうすると、いよいよ駆除の対象とされてしまうのである。
恋に落ちたキモくて金の無いオッサンは、職場を追われ、アパートの家賃も払えなくなり、親の年金に寄生するしかなくなる。一度寄生してしまったら、もう自立することは出来ない。社会の酷薄さを知ってしまったからである。それでどうするかというと、一日中、オンライン将棋に没頭するか、近所の図書館のソファーで瞑想に耽るか、いずれかである。
では、寄生先を持たないものはどうなるのだろうか。それはJKである私の口からは何とも言えない。いずれにしても、チョベリバである。
こんな想像をしてみる。ある朝、気がかりな夢から目ざめると、ベッドの上でキモくて金の無いオッサンに変ってしまっていることに気づくのである。私は昆虫のように固い背中を下にして、寝そべっている。ほんの少し首を上げると、無数の弓形の筋が刻まれた茶色の腹が見える。私の腹である。たくさんの細い足が生えている。私の足である。しかし、それらの足はあまりにか細く、力が弱いため、どうしても立ち上がることができないのである。