2019-12-27

パパス呪いドラクエ5物語構造について〜

ドラクエ5は親子三代にわたる物語である

これを表面的にみてみると、主人公父親であるパパスの願いが主人公とその子どもたちにしっかりと受け継がれていく話だ。

だが同時に、パパスの願いがまるで呪いのように主人公子どもたちに降りかかる話でもある。

ドラクエ基本的プレイヤー視点主人公視点がズレないように作られている。つまりプレイヤー物語主観として受け入れることになる。

しかし、この物語客観的にみてみると結構エグい。

ゲーム自体主人公子どもの頃から始まるが、青年期に入るところで家族を亡くし故郷を失くし、彼の手元に何も残らなくなったところで亡き父パパス手紙がみつかり、その妻であり主人公の母であるマーサ魔物の手から助け出してくれ、そのために天空勇者を探してくれ、という目的が与えられる。

この時点で冒険目的をなくしているプレイヤー、つまり人生の目的を失っている主人公にこれはガツンとくるのだ。そして父の願いを叶えるために動き出す。

これはパパスにその意図がなかったとしても洗脳以外の何物でもない。

けれども、主観でみるとこの手紙人生の目的を作る救いである訳だ。

前述の通りドラクエ主観物語なのでプレイヤー主人公はこの呪い呪いと感じることはない。むしろそれを自分自身の願いとして主体的に取り込むことすらする

そうして天空勇者を探しているうちに、主人公結婚子どもが生まれ、その子どもこそが天空勇者だったと分かった時に体験する複雑な感情主観物語からこその体験だ。

そしてパパス呪い主人公の子どもにこそ深く絡みつく。しかしながら主観でこの物語に接している主人公はその呪いに気がつかない。主人公の子もも素直に主人公の願いを体現してしまっている。そこがまたエグい。

彼らにはマーサを探す以外の人生もあり得たのだ。しかし、1通の手紙とそれが読まれタイミングにより、他の可能性が閉ざされてしまった。これを呪いと呼ばずになんと呼べばいいのだ。

まぁ、こうしてドラクエ5物語への批判めいた文章を書いてきたが、私自身がプレイヤーとして主観的にこの物語体験してしまったため、それから何年も経ってこうして呪い構造に気がついてもなお、結果的呪いになってしまったパパスの願いを悪いものだとは思えないのである

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