はてなキーワード: 紳士とは
真面目に言うと、前島賢氏は後半(本編)の、エロを突き詰め過ぎた結果現れるグロテスクな世界描写の方を評価しているようなのですが、わたしとしては準備編の「新ヒロイン登場→セックス→寝起きからの(二人目以降複数)プレイ」の流れを律儀に五人分繰り返す普通のエロ描写の方が尊いものに感じます— いのり@JC2 (@srpglove) 2015, 11月 3
まあ準備編でも、嗜虐寄りだったり踝が浸かるほどの精液が床に溜まったりしてるので「普通」とは言い切り難いですが。あ、それと、この作品のキーワードに「母乳」が設定されてないのは実にもったいない。犬紳士さんにもオススメな一品です!https://t.co/qA1YrTM7xg— いのり@JC2 (@srpglove) 2015, 11月 3
エロの話をする時には他人を巻き込むに限る。— いのり@JC2 (@srpglove) 2015, 11月 3
つまり「最近のラノベ」語ラーの人々は、わたしがエロを見る時のような態度でラノベに接している読者が(独立した市場を形成するほど)大量にいる、と主張していることになるのだけど、これにはやっぱりわたしは、無理では?と感じてしまう。にわかには信じがたい。— いのり@JC2 (@srpglove) 2015, 11月 3
イギリスでは 「紳士はWindows10にアップグレードするものです」
ドイツでは 「規則でWindows10にアップグレードすることになっています」
イタリアでは 「美女がWindows10で困ってることがあるみたいですよ」
アメリカでは 「Windows10にアップグレードしたらヒーローになれますよ」
ロシアでは 「Windows10にアップグレードしている間は飲んでても怒られませんよ」
フランスでは 「Windows10にアップグレードしないで下さい」
このへんから引っ張ってきました
http://www.asahi-net.or.jp/~du1t-mrkw/keijiban2/440.htm
ググったらまあ結構言われてるな
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20151023/1445526000
シロクマが殴りたかったのは青二才じゃなくて犬紳士。青二才はついで、おまけ程度の価値。悲しみだが三年前と違い今の青二才は犬紳士を殴るためのダシにする程度の価値。シロクマそれほど興味ない青二才。
昔から悪い仲の犬紳士とシロクマ。シロクマは気にする威信値のため微妙なあてこすりのみ。犬紳士のガード固い。犬紳士が一方的にバックからつっつき続ける関係。
なぜシロクマは勝てない犬紳士に。シロクマは無自覚自分がやってることに。犬紳士は理解。
シロクマも犬紳士もゲス。相手がヘマをやらかした時だけ喜々として出て行って人に殴る。しかし殴られる自分は許さない。クズはダブスタ。
クズの自覚がありそれを恐れない犬紳士えげつないシロクマより。 シロクマ認めない自分のことはゲスと。邪魔をする社会的地位。
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20151023/1445526000
がっかりした。
よく陵辱モノのエロ漫画でこの時のために一ヶ月オナ禁してためてたんだ、濃いのぶちまけてやるからなハアハアといった定型句がある。実際には1週間以上ためたところで意味が無いのは知っている。それでもあえて言おう。3年もためてそれかと。いうなれば、女の子が堕ちることなくむしろ男のフニャチンにがっかりしながらそのまま家に帰るような肩透かしで終わった。3年もためたのに吐き出したものが薄すぎる。あざなえるなわのごとしの暇つぶしとどっこいどっこいのレベルだ。
あまりの薄さにNAVERまとめとやゆされたブロガーもこれには思わず苦笑。かくいう人も呆れ顔で軽くいなしてフィニッシュ。NAVERまとめに期待はずれと言われ、説教相手には鼻で笑われるはてなダイアリー時代の猛者って。満を持していたはずなのにこの体たらく。このままではシロクマの威信値が崩壊してしまう。
長く引っ張ったわりには期待外れな感じです。(ただの説教だし。) せめてこの10倍くらいは濃い内容のものをお願いします先生。 / “道化師ブロガー・tm2501さんにご忠告申し上げる - シロクマの屑籠” https://t.co/oWVdHbFZnY— しっきー (@sskkyy17) 2015, 10月 22
今回シロクマはあまりにも青二才を舐めすぎた。前々からそうだったが、シロクマは青二才を甘く見過ぎである。3年前に紳士犬やラフ00にツッコまれたのはそういうところだったのにまるで改善していないのではないか。
今回の記事もやる気が無いのであればやる気が出るまで黙っていたほうが良かった。これ読むだけだと、読んだ人は青二才だめじゃん、とはならない。シロクマが、宣言通り黙ってはいたけど3年間ずっと青二才のことを見ていたという気持ち悪さだけが伝わってしまう。シロクマが、マウンティングしたいだけの口やかましいおっさんに見えるだけになってしまう。はてな村ってやっぱり気持ち悪いってだけになる。むしろ対抗せず無視を決め込んだ青二才のほうがよっぽどまともに見える。fujiponの時はあれだけ慎重に記事を書いたのに、いくらなんでも青二才を甘く見過ぎ。今回のやり取りに関しては青二才は成長したがシロクマはまるで成長していないと見られたことだろう。 医師は、もし再戦を考えているのであればこの体たらくを猛省していただき、気持ち悪く思われたとしても全力出た叩き潰すくらいの気合で取り組むか、あと3年ROMるしかない。
なぜ物語の少年少女が「学園」に呪縛されるようになったのか - Togetterまとめ
このまとめの最初のあたりで芦辺拓氏が例に挙げている作品の刊行年は以下のとおり。
西條八十の白ばと組
→『あらしの白ばと』1952年
高木彬光の古沢姉弟
まず、このくらいのスパンの話だということを理解しておいてほしい。
たかだか十年前と比較するくらいの感覚で「最近のラノベ作家は楽をしたがるから」などと言っていると論点がズレてしまう。
さて、そもそも「昔は学園ものは少なかったが今は学園ものばかり」というのはラノベだけの問題なのだろうか。
Wikipediaの「学園漫画」の項には以下のように書かれている。
少年少女を主人公とする作品に学校を場としたりその人間関係が中心になることが多いことは当然であり、漫画以前の小説の時代から学校ものは存在したし、学校を舞台とする漫画作品も昭和30年代から存在した。ただ昭和30年代には、放課後に家の手伝いをする者や中学で卒業して実社会に出るものがまだ多く、学「園」ものという呼び方にはある程度の生活階層の青春ものを意味するイメージもあった。
結果的に、雑誌の漫画において学園漫画という「分野」(市場分野?)が生じたと言われるのは、日本の高度経済成長が成果を安定させて生活の向上や学歴の向上が既定路線となった1960年代半ば(昭和40年前後)からである。
学園漫画で言えば『ハリスの旋風』が1965年、『夕やけ番長』が1967年、『ハレンチ学園』や『男一匹ガキ大将』が1968年である。
芦辺氏と同じ論法を使えば「戦前や終戦直後には学園ものの少年漫画は少なかったのに今は学園漫画ばかり」とも言えそうだ。
もとより、「学園もの」増加の原因を、一足飛びに現代のラノベに求めたところで、何が分かるものでもあるまい。
学園小説が一定の発展を見せたのは、少年雑誌よりも少女雑誌においてである。もっとも著名な作家としては『少女世界』の読者から作家デビューした吉屋信子があげられる。
1916年に連載が始まった吉屋信子の『花物語』は、当時ベストセラーとなった連作短編で、女学校を舞台とした話が多い。→エス
これは「漫画以前の小説の時代から学校ものは存在した」「学園ものという呼び方にはある程度の生活階層の青春ものを意味するイメージもあった」ということの実例と言える。
こうしてみると、むしろ「1960年代以前の少年向け娯楽作品において学校が舞台とならなかったのは何故か」というほうが問題なのではないかと思えてくる。
そしてそれは、Wikipediaのとおり経済力に理由を求めるほうが、現代の青少年の心性を大仰に言い立てるよりは筋がとおっているだろう。
(もちろん他の要因もあるだろう、議論するならその点についてすべきである)
最後に、筆者が最近読んだライトノベル50作品を「A. 学校が出てこない」「B. 学校は出てくるが事件が起こるのは学外である」「C. 学校が主な舞台である」で分類したところ、以下のような内訳となった。
つまり芦辺氏が言うような「全てが学校で起きる学園もののラノベ」は16/50=32%である。
言うまでもなく、このサンプル数は少なすぎるし、個人の嗜好による偏りなどもあるので参考程度にお願いしたいが、
最近のライトノベルの全てが「学内で完結している」ということはありえない、とは確実に言えるはずだ。
大ヒット作だけを見ても、SAOやダンまちは「A」であるし、禁書目録や魔法科高校は「B」に分類されるだろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry.touch/ao8l22.hatenablog.com/entry/2015/10/16/201138
zhy zhy 誤読による難癖?「創作物やインターネット上の「JK」」」を揶揄する目的で取り上げ、「迷惑行為」も「仮想の紳士の嗜み」として作られたマナーで、想定読者(京大生)は真に受けずネタとして理解するのでは。
eri_pico eri_pico 「この人は何と戦ってるんだ」「ネタにマジレス?」ってオレカッケーコメントに見える。真剣に作ってるものに対して、ライター・編集視点から真剣に意見もらえるのありがたいでしょJK(常識的に考えて)……
醜悪なものがあってそれが批判を受けたとき、「ネタとして消費しろ」という意見が「知的水準の高い層」から出されることがある。
この構造は社会のいろんな場面で日常的に見られるものなのだと思う。
最近あった大きな事件では、シャルリー・エブドの風刺画問題がそれだろう。
「知的水準の高い」フランスの新聞会社が提出した醜悪な画像は、描かれた対象になった人々はもちろん、それ以外の人々にも不快な思いを与えた。
にも関わらず、日本国内でも「知的水準の高い」人から、「ユーモアを介さないのは『知的水準が低い』」と言いたげな発言が見られた。
小さな社会においては、これはいじめっ子の言い訳として出てくる性質のものだ。
日本でも、大学に通う層において、少なくない人がこの性質を持ってると思う。
そして、学生のうちにそれを治すことのできなかった社会人もいる。
もう少しその痛さに自覚的になった方がいい。
魔法・超能力を駆使した学園バトル。主人公はその中でも特殊な能力の持ち主、特殊すぎて落ちこぼれ扱い。でも実は強い。俺Tueee。女性登場人物の殆どは主人公に好意を持っている。ハーレム、またはそれに近い。
※学戦都市アスタリスク、落第騎士の英雄譚、新妹魔王の契約者、対魔導学園35試験小隊
地方都市や田舎で少女たちが遊んだり学校に通ったりバイトしたりする。事件らしい事件も起こらないし、悪役も登場しない。男性も登場しない。背景が異様にきれいに描かれている。作画と演出が命。
伝統的な巨大ロボット枠。遡れば鉄人28号までご先祖様はいるが、大体ガンダムかマクロスかパトレイバーかエヴァンゲリオンチルドレン。
文字通り腐女子向け。完全に腐女子向けの場合もあれば、普通の少年マンガ原作をここに含める場合もあり、定義はひとによって変わる。イケメンがたくさん登場する。ある意味石鹸枠の逆バージョン。ただ主人公の少女も美形。
※スタミュ、Dance with Devils、DIABOLIK LOVERS
文字通り王道のスポ根もの。ただし、最近は腐向け扱いされる場合あり。原作は週刊少年ジャンプ。
※ハイキュー!!
原作なしの描きおろしオリジナルシナリオのアニメ。しばしば質アニメになりやすい。
「紳士」とあるが実質エロアニメ。AT-Xでは乳首まで見れる。おっぱいが揺れることだけが重要で、ストーリーはどうでもよい。石鹸枠と違い主人公は女性。
邪気眼的な世界観のアニメ。石鹸枠やオリジナル枠とも重なるが、ラッキースケベやギャグは少ない。
※K、終わりのセラフ
ラノベ・マンガではなく一般文芸原作のアニメ。ミステリが多い。場合によってはメディアワークス文庫など半ライトノベルも含む。実写化よりはマシ?ノイタミナのお家芸。
まさに「どうしてこうなった!」。誰得アニメ。ギャグ枠とは別に考えるべきである。
一見すると日常もの、単なる萌アニメに見せかけて見ているものを精神的に追い込むアニメ。
※魔法少女まどか☆マギカ、結城友奈は勇者である、がっこうぐらし!
難民枠と違い男性の登場人物もいる日常もの。これも作画と演出が命。
※ラブライブ!、アイドルマスターシリーズ、Wake Up Girls、うたの☆プリンスさまっ♪
魔法・超能力は登場しない。一般的な高校の部活動。但し部活動自体は実在しない、よくわからない部活。主人公はヒロインや担任によって強制的に入部させられる。タイトルに「俺」「僕」が入る場合が多い。主人公は平凡、下手をすれば平凡以下。
※俺の妹がこんなに可愛いわけがない、僕は友達が少ない、やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
文字通り腐女子向け。完全に腐女子向けの場合もあれば、普通の少年マンガ原作をここに含める場合もあり、定義はひとによって変わる。
文字通りハード。または背景思想がハード。エヴァンゲリオンなんかもここ。
※攻殻機動隊シリーズ、PSYCHO-PASS、Fate/Zero
少々書き直した。今期って狭義の腐向けって無いのね。
まじめに見るにはあほらしいがデレステプレイしながら横目で見るにはちょうどいいアニメだ。くだらなさ過ぎて逆に面白くなってきたので毎回感想書く。
3話からはさすおにとISを封印して、両者の比較をしていきたい。アスタリスクは今日の夜に追記。
両者を比較すると
どちらもハーレムもの。どちらもメインヒロインがいるが、新ヒロインが登場してメインヒロインをたきつける展開が共通。
落第騎士はメインヒロインに一途なのに大してアスタリスクはふらふらしている。
主人公の性質は落第騎士の方が良い。ヒロインは落第騎士がちょろすぎでアスタリスクはそれなりにツン維持。
どちらも大会に出て勝利していくという展開は同じだが落第騎士は一人でOK、アスタリスクはペアが必要。
そのためか、落第騎士のヒロインは物語における重要度がひくせいか、2話でさっそくメインヒロインがソープ展開で存在意義をアピールするはめに。
以下メモ
英雄譚は今のところEDがアリプロであることくらいしかおすすめポイントがない。もう全く先の展開が楽しみじゃなくなっている。
1話の時点でさすおにじゃねーかと言ってたわけだけれど2話ではそれがさらに加速する。
http://anond.hatelabo.jp/20151007090612
ブラコンの妹しかも氷属性がでてきたり、実家より疎まれて影の存在として扱われていたなどさらにさすおに度が増した。しかし設定が屋上屋を架す状態になっているさすおにとくらべておそろしくシンプルである。余計なものはそれほどない。
子供の頃は達也を疎んじていた司波深雪と違い、妹は最初から兄のことを愛しているし、兄との能力的結びつきもない。主人公は単に能力がなかっただけで、さすおにと比べて改造されて極悪なものをつめ込まれた、というような設定もなさそうだ。というわけで、さすおにと似ているが、ストーリー的に複雑に、あるいは大きく盛り上がることは全く期待できない。俺的には「バトルに負けて下僕としてスタートしているが、そこから活躍してヒロインを見返していく」というゼロの使い魔方式のほうがはるかに面白かった。いまから考えてもゼロの使い魔は面白かったなぁ。アニメだとくぎゅうあにめにしか見えなかったやついるかもしれないけど。
さすおにとの大きな違いは主人公の性格と、それからちょろすぎるヒロインの存在か。単に学園モノをやるだけなら司達也の設定は盛りすぎなのでこれで十分といえば十分だ。実際さすおにについてはヨコハマ騒乱編が終わる辺りまで、その盛りすぎた設定の説明がくどくなり、アニメでもお兄さま自慢アニメという扱いになっていたしな。そういう意味でたいして深みもない代わりに、主人公の性格はさっぱりしていて不快でないのが良い。 さすおにみたいに境遇や経験のレベルが違いすぎるから仕方ないとはいえ学生相手に超上から目線で説教めいたことを語ったり、表面的な態度は紳士的であるが実際には妹以外の学園の人間などひとしく無価値とみなし、必要があれば利用しても切り捨てても厭わないという設定は、いくらややこしい大人メインの設定とはいえ不快だし、この作品では不要だ。それよりは学園における人間関係やイベントを真面目に全力で楽しむような主人公の方が適しているだろう。
というわけで、この作品の主人公はいいやつで、普通のやつなので、すべてのものを手にしながら妹一筋、みたいな展開にならないし女の子とキャッキャウフフを楽しみならストーリーがチマチマ進むのだろう。そのうえで、きっちりメインとなるヒロインを立てて、それを軸にして話を進めていく。
IS的ハーレム展開はアスタリスクの方だと書いたがこちらのほうがまだ見れる。
新妹魔王と全く同じ展開で、見た目も似たような幼なじみが登場。あと1話でもいた巨乳東山会長が登場。ぱんぱかぱーん。
強力な特殊武器を利用できるのが女の子以外は主人公だけという設定といい、ヒロインの造形と言いなんともISですなぁ。
落第騎士みたいにペラペラ主人公や妹がすべての事情を喋ったりはせず、まだ秘めてるものはありそう。
ヒロインたちもすでに完落ちの落第騎士と比べて癖があってよろしい。
さすおにとちがってISは特に語ること無いからアスタリスクも語ることはそんなに無い。
35小隊 1話
メタ的な要素をもちつつも結局ベタベタなテンプレ展開をなぞっている。
メインヒロインはやはり優等生だが一話でいきなり一人だけぶっとんだ設定をぶっこんできてわけわからん。演技はすごかったけど
屁の成分を余すことなく堪能するなら湯船の中が一番だろ。
まず、股間からゆらゆらーっと立ちのぼる泡のビジュアルがよい。
水面に浮かびあがって弾けるまでの間、はたしてどんな匂いがするのかと夢想するのも楽しいし、弾けた瞬間の濃密な臭気を至近距離で味わえるのも堪らない。
自国開催を4年後に控えたワールドカップ。サッカーファンが聞けば、1998年フランス大会を思い出すでしょう。なんかラグビーのワールドカップやってるっぽいな。ちょっと気になる。そんなあなたにラグビーに関するトリビアをいくつか。
・日本がワールドカップ初勝利をあげたのは1991年の第2回大会。相手はジンバブエ。フランス大会でジャマイカに負けたサッカー代表と異なり、きっちり勝利したのは偉い。ただし、ジンバブエはアパルトヘイトにより国際試合を禁止されていた南アフリカに代わってアフリカ代表として出場しただけの弱小国であり、サッカーのジャマイカ代表より遥かに弱かった。
・日本のワールドカップ2勝目が先日の南アフリカ戦。サッカーに例えるならグループリーグにおけるブラジルやドイツへの勝利に相当する。ただし、ラグビーの場合は自国リーグに所属する外国籍選手も登録できるので、Jリーグに所属する外国籍選手を5~6人起用した日本代表をイメージするのがより正確。
・かつて日本のラグビーは今より遥かに人気があった。早明戦では国立競技場が満杯になり、チケットを入手するのも困難だったほど。大学ラグビーの人気選手が次々と日本代表となり、強化を進めて世界の強豪国に近づこう、そんな空気感があった。それを打ち砕いたのは、1995年の第3回ワールドカップにおけるニュージーランドとの一戦。日本は次々にトライを決められ、17-145で敗れた。サッカーに例えると、1-9で大敗したようなもの。この一戦以降、日本のラグビーは急速に注目を失っていった。ドーハの悲劇で日本中の注目を集め、Jリーグブームに沸くサッカーとの人気差はどんどん開いていく。
・ラグビーワールドカップは5チームがグループリーグを戦い、上位2チームが決勝トーナメントに進出する。4チームで上位2席を争うサッカーよりトーナメント進出へのハードルは高い。
・ラグビーとサッカーは元々同じ競技のようなものが分化したと言われている。よって、発祥は共に英国。サッカーと同じく英国は地域毎の代表が認められている。イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド。サッカーと違って北アイルランド代表はない。ラグビーのアイルランド代表は国境を越え、アイルランド島としての代表を構成している。胸熱。また、サッカーと異なり英国の各代表はみんな強い。
・ラグビーの統括団体に加盟している国・地域数は約100であり、サッカーの約半数。
・強豪国は、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの南半球旧英国植民地と、英国4協会、並びにフランス。アルゼンチンやオセアニアの島々も結構強い。
・英国では上流階級のスポーツとされ、下層階級が楽しむサッカーと区別されてきた歴史がある。そのため、ラグビーを生活の糧とするのを拒むアマチュアリズムの影響が大きく、サッカーのようにプロ化するのはかなり遅れた。よって、プロ選手の年棒もサッカーに比べるとかなり低い。
・ラグビー選手は紳士たれと教え込まれる。そのため、試合中にサッカーのように審判に対して抗議するシーンを見ることはない。私はラグビー部に入部したての頃、練習試合の判定にカッときて審判に抗議した途端、先輩達や顧問の先生に滅茶苦茶怒られた。
・得点方法は敵陣までボールを運んで地面にボールをつけるトライ(5点)が基本。トライ後にはトライした位置後方からのゴールキックが与えられ、成功(H型のバーを越え)すると2点。相手が反則を犯した位置からのペナルティゴールを決めると3点。これらが主たる得点方法だが、サッカー好きならドロップゴールにも注目してほしい。フィールド内どこからでも、ボールをワンバウンドさせてキックし、H型のバーを越えると3点入る。ボールが楕円形なうえ、失敗すると相手ボールになってしまうので、相手のプレッシャーがかかる場面で成功させることは非常に難しいが、実力が伯仲しているとドロップゴールが勝敗を分けることもある。
・そのドロップゴールの名手といえば、2003年のワールドカップでイングランドを初優勝に導いた、ジョニー・ウィルキンソン。あのベッカムと並ぶ国民的大スターだった。
・フランスにも、好きなスポーツ選手アンケートで1位になるようなセバスチャン・シャバルという国民的スター選手がいた。
・歴史上、もっともセンセーショナルであった選手はニュージーランドのジョナ・ロムーを置いて他にいない。196cm、119kgの巨体ながら100mを10秒5で駆け抜ける彼にトップスピードでボールを持たれたら成す術はなかった。
現在、イングランドで第8回大会が行われているわけですが、いよいよ4年後には日本で大会が開催されます。
日本代表の戦いも注目ですが、世界の強豪国同士の本気のぶつかり合いを生で見られるチャンスはこの機会しかないので、できるだけたくさん観戦に行きたいと考えています。
大仁田厚とマネージャー(秘書?)らしき人、それに若い女性で食事をしていた。
それでも仕事という感じではなく、プライベートで誘われたような印象だった。
大仁田厚はいいところ見せようと笑いを取ったり知り合いの芸能人の話をしたりと必死。
いざお会計というタイミングになると大仁田厚は我先に財布からカードを取り出し、紳士的に支払いを済ませていた。
ここまでかっこよく決まったと思っていた矢先に、明らかに気の遣えないマネージャーらしき人物がまさかの空気を読まない発言。
女性にも聞こえるようなしっかりした音量で「領収書はどうしましょうか?」
そんなのわざわざ聞かないで黙ってもらっておけばよいのに、ここで受け取ったらいままでの流れが台無しにではないか。
「バカヤロウ!カードで払えば後で明細に載るから大丈夫なんだよ!」
多分もう大丈夫じゃない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%BA%90%E3%81%AE%E5%91%AA%E3%81%84
簡単に説明すると
資源があることで甘えが出てほかの産業への投資が怠る事や、資源があることで紛争や汚職がはびこる原因になることです。
資源がある国の多くが途上国であることからそう言われるようになりました。
資源は恩恵をもたらすものではなく、甘えや政治腐敗、紛争を引き起こすものであるという発想。
私はこの面白い考えが、今回のVWのディーゼルエンジン問題にも言えるのではないかと思いました。
日米貿易摩擦の時、ジャパンバッシングで日本車をひっくり返すパフォーマンスなどをやっていた時代
関税など、ビッグ3を守るためにあれこれ政治的に日本企業を妨害していましたよね。
しかし結果的にビッグ3がどうなったかみるとわかりますよね。政治力って本当に企業のためになるんでしょうか。
国際的な日本企業は、自国の国際政治の立場の弱さを知っているため、国を当てにしていません。
トヨタなどはそれこそ日本の政治家や官僚以上にアメリカ政治に対して神経とがらせています。
おなじくらい気を使っているのは、確かな技術です。技術は誰の目から見ても公平に評価ができる分野です。
なので私は、日本企業がまじめに技術と向き合っているのは、かなしいかな政治力のなさによって起こったものではないかなと思うのです。
なのでそういった理由からなのか日本企業の多くは国際的には技術押しで紳士に対応しますが、内政だととたんに横暴な態度とったりしますよね。
政治力が使える相手なら政治で楽に対応する。そんなイメージがあります。
かつてのドイツもそうだったのではないかと思うんです。
運よく政治力がなかったと。
歴史的にドイツが技術力で他国を圧倒するようになるのは第一次大戦以降ではないかと思っています。
大航海時代に出遅れたために植民地もてなかったドイツが、産業革命に出遅れたドイツが、第一次大戦に負けたドイツが、
その結果のヨーロッパでの政治的立場の弱さを、技術の習得に注力したのではないかと思います。
そして、そういったドイツの稲穂の垂れるような態度を作り上げた外的要因が、ことごとくEUの誕生、そしてユーロの誕生でなくなったと思います。
アメリカロシアに対抗するために誕生したスイミー作戦EUによってドイツは宗主国的立場になりました。
ドイツを仲間にすることでヨーロッパの争いを解決するというのもあったわけですが
皮肉なことにユーロのせいでユーロ圏内では、比喩ではなく本当に宗主国状態です。
ナチスに例える人も出てくるくらいですが、けして大げさではないと思いますね。あれはもはや帝国です。
いろいろケチをつけましたが、とにかくスイミー作戦EUによってドイツは国際的影響力を持ったわけです。
メルケルもさぞかし楽しい政治ライフを送っていることでしょう。
しかし、その強い政治力が、産業に悪い影響を与えているのではないかという考えが、私のなかにうかびました。
つまりドイツはEU宗主国的立場を利用し、ディーゼルをクリーンなものだということにして、技術開発競争から目をそむけたのではないかと。
かつてのアメリカのように。アメリカ化とでもいうんでしょうかね。
政治力が必要ないとはいいません。軍事産業やインフラ分野などは政治力が必要なところもあるでしょうね
標準規格の争いも政治がものを言いますよね。アメリカEU、そして中国が立場を強めています。
日本企業が勝手に行動するとむしろ国内の識者からガラパゴスだなんだとたたかれますし。
しかし、今のところ一般の車はどこぞの団体が規格を握っているわけではないですし、
政治がかかわるにしても今回のように排気ガスの規制などくらいです。
自動車産業は自由に技術を見せられる分野でうらやましいなと思います。
私は家電屋ですが、今になって白物家電がもてはやされているのは規格に縛られずに作れるからだと思います
将来OSが重要になり自動運転などが登場したときにどうなるかわかりませんが。
今のところ、日本の自動車メーカーは大丈夫だと思いたいですね。
話題になっている恋愛なんとかのあれの関連記事を読んでいてふと考えた。
「口では嫌がっているが心では~~」とか、所謂「いやよいやよも好きのうち」というやつ。
強姦とか強制的な和姦に持ち込みたい男性の論理なんだろうと思うんだけど、「いやよ」と言われたらやっぱりそこで引いといたほうが男性側にも利があるんじゃないか?
・本当に嫌だった場合→通報されずに済む・「拒否したらあっさり引き下がった」ならネタにもなりにくく極端な悪評での社会的信用失墜は回避できる+もしかしたら見直される可能性も?
・本当は嫌じゃなかった場合→紳士的という評価が付く+ちょっと物足りないと余計に欲求が高まる心理により次回は嫌がられない確率が高まる
行きずりで知り合いにばれるリスクもなく、今後の関係なんてどうでもいいからとにかく今すぐ一発やらせろ、という人は知らない。通報されとけ。
なぜアイマスの曲はラブライブと比べてキャラソンの印象が強くなってしまうのか
こういう記事はそれはそれで有りだと思う。 俺も音ゲーマーとしてはデレステには不満がたくさんある。
でも、そういう話は稼働初期の音ゲーにはありがちなことだから、紳士としては公式に要望を出せばいいだけのことだ。
上のような評価は多分ラブライブ稼働初期にもあったはずだしありきたりすぎる。 あるある、とは思うけどつまらない。
それよりも、モバマスをきっちり追いかけてきた人間たちからのデレステのストーリーやキャラ周りの感想が聞きたい。そういう話のほうが今旬であってほしい。
例えば当代の総選挙一位、シンデレラ・ガールの塩見周子はソシャゲモバマスではプロフィールページで「実家から追い出されたからよろしく」とフキダシで台詞があるものを
こういう話のほうが絶対面白いだろ。 ちゃんとプレイしてきた人間でしか書けないことを書いてる人がもっと評価されてほしいぞ。
・映画批評サイト「Rotten Tomato」からまとめてみました。
観客支持率 :90%
批評家まとめ:ポール・ラッドのチャーミングな演技のおかげで、『アントマン』はその小さなスケールにふさわしい形でマーベル的スリルを観客に与えてくれる。もっとも、マーベルとしては最高クラスの傑作というわけではないが。
褒「『アントマン』は面白い。なぜなら、大作映画的なトリックを大作映画的な誇張表現なしに実現しているからだ」――メル・キャンベル(「ジャンキー」)
貶「害虫ってスタート地点がスーパーヒーローとしてキワモノだな、って以外になにかあるの?」――リチャード・ローパー(「シカゴ・サン-タイムズ」)
観客支持率 :85%
批評家まとめ:スタイリッシュで、ロックで、なにより楽しい。マシュー・ヴォーン監督ははしゃぎまくりの放埒さでもってスパイ映画の打ち上げに成功した。
褒「『キングスマン』は紳士にはオススメできない。この作品は、お下劣で血に飢えている俺らのための映画だ。遺漏なく完璧に練られた技巧で、邪悪なオタクたちを爆笑させてくれる」――ビルゲ・エビリ(「ニューヨーク・マガジン/ヴァルチャ」)
貶「ヴォーン御大の問題は、映画的技術としてのバイオレンス描写に一切興味を持っていないところだ。彼はバイオレンス描写を使っているのではなく、浪費している」――マノーラ・ダージス(「ニューヨーク・タイムズ」)
観客支持率 : 45%
批評まとめ: 面白みのないタイトルが中身の独創性のなさをよく表している。『ラスト・ナイツ』は手垢のついたファンタジーによる比喩表現の寄せ集めだ。ジャンル的な目新しさ、面白みもない。
褒「往時の作り手たちはラグジュアリーな息吹をジャンル映画に吹き込むすべを心得ていたものだ。もはやそんな大作はあまり観られなくなってしまったがね。私はこの作品が大好きだよ……欠点も含めて」――ジョン・ダーニエル(「スレート」)
貶「『ラスト・ナイツ』はこの上ないほど完全な駄作だ。とにかくダルくてからっぽで、disる気力さえ沸かない」――クリスティ・ラミーア(「ロジャー・イーバート・ドット・コム」)
観客支持率:55%
批評まとめ: 懐かしのクソゲーのようだ。『ピクセルズ』は「やりなおし」のコインを追加する価値もないし、そもそも25セントに値するかも疑わしい。
褒「まあ、80年代ネタてんこもりの内容は子どもにはウケないだろうけれど、それなりに面白いよ」――レイファー・グズマン(「ニュースデイ」)
貶「『ピクセル』にはウィットもなければジョークもない。よって言うべきことも何もない。ゲロだけはたっぷりあるけどな」――ジョン・セムレイ(「グローブ・アンド・メール」)
『ファンタスティック・フォー』(ジョシュ・トランク監督、10月公開)
観客支持率:21%
批評家まとめ:かったるい上にテンションも低い。『ファンタスティック・フォー』は必要なユーモアや喜びや色とりどりのスリルを欠いた状態で古典コミックを現代的に翻訳するという、あまりに痛々しい過ちを犯している。
褒「主演の四人――マイルズ・テラー、ケイト・マーラ、マイケル・B・ジョーダン、ジェイミー・ベル――は良いキャスティングだ。彼らのギークな理想主義はジョシュ・トランク監督の広い視野によく合っている」――ベン・サックス(「シカゴ・リーダー」)
貶「笑えるほどチープ。頭の悪さでは『未来惑星ザルドス』に迫るレベル」――クリスティ・ラミーア(「クリスティ・ラミーア・ドット・コム」)
『ジョン・ウィック』(チャド・スタエルスキ+デヴィッド・リーチ監督、10月公開)
観客支持率 :80%
批評家まとめ:スタイリッシュ、スリリング、めまぐるしいアクション。『ジョン・ウィック』はキアヌ・リーブスのアクション映画へのカムバック作として満足な出来だ。今後のシリーズ展開が期待される。
褒「完璧とはいえない。だが、(特にハリウッド製中規模アクションドラマとして)際立っている。先週の金曜のレイトショーを観てからずっと私の心に固く刺さりつづけている作品だ」――デヴィッド・シムズ(「ジ・アトランティック」)
貶「スタイリッシュな暴力映画、ってだけ」――ブルース・ディオンズ(「ニューヨーカー」)
『コードネーム U.N.C.L.E.』(ガイ・リッチー監督、11月公開)
観客支持率 :80%
批評家まとめ:『コードネーム U.N.C.L.E.』は面白げな仕掛けとスター俳優でなんとか平凡なストーリーをごまかそうとがんばった結果、全体としては本質のなさをギリギリ露呈せずにすんだデコボコアクションスリラー、といった趣に仕上がっている。
褒「ここまで誰得?って作品もそうそうないと思うけど、だからこそ、この映画が上手にリンボーダンス踊れていることにビックリした」――ウェズリー・モリス(「グラントランド」)
貶「見た目はいい(ガイ・リッチーはいつだって巧妙な映像作家だ)ものの、古いドラマのリメイクとしては圧倒的に受け身すぎ」――アダム・グラハム(「デトロイト・ニュース」)
いや、岡田斗司夫あたりも言ってたけど、「男は譲歩してるから女の子が妥協すれば恋愛(関係)は成立する」というのは正しいには正しいんよ?ただ、問題は女子の場合「恋愛すること自体よりも特に知りたくない奴と一緒にいて掘り下げていく価値がねー」というのが向こうさんの合理性だからなぁ…
ちょっと興味があるのは少子化なり晩婚化といった社会問題を女の人がどう認識してるかだね。女性的なモテ論から考えていくと「出会いがあれば…で合コン・街コン開いても、そういう場所に参加する以前の男とそういう場所に参加できない男がそもそもモテない…つまり、意味がないというところか?
オタク用語でいう「※ただしイケメンに限る」のイケメンは顔面の良し悪しではなく、態度が紳士的だったり、かっこよかったりするところを指してるなら正しい。女子から見たイケメン(顔ではなく、足切りラインは突破できる人)だけを呼ばないと出会いの場は事実上機能しないんだよなぁ…。うーん。
「女子と同じ土俵に乗れない(乗ろうともしない)男は恋愛候補にもカウントしない」のが女性。逆に言うと女性の候補に入れた人にモテは集中する。モテる男にではなく女の子を理解しようとする人にモテたいが正解
つまり、少子化や晩婚化対策じゃなくて商業的・地場産業的にに「出会いがあるで」と恋愛足切り組の男にお金を出させて、どうせ付き合えない女にとりあえず男を選ばせてあげる程度には街コン・合コンは意味があるんだと思うのよね…。「出会いがない」を言い訳にしてる人の何割が出会いで解決できる?と
その土俵に乗るための手段がわかんねーよ!って男性が世の非モテにして「クラッシャられ」なんですかねぇ
そしてそれを教えてくれる異性はいない、ので少なくとも乗ってるように見える恋愛工学が生まれ、話題になった、ってところでしょうか
そう考えると、女性的なアプローチでの少子化問題やそれ以前の晩婚化の問題は3つ。1つは「お金・時間・労働の問題」で、多少なり女性経験があっても貧乏になって口説く資金も出会いのある場所にも来られない人の問題。もう一つは「(男側の)モテの問題」。もう一つは家族制と一致しすぎ問題かと…
仕事や育った環境次第では「自分の非モテや土俵に乗る方法を知る訓練をしてくれる女の子に会う」だけでお金かかっちゃいますからね…。恋愛工学や元にしてるナンパ理論はそれらに比べると低コストにしてわかりやすいんですよね…。向こうさんは理論化してくれないし
正確に言うと、同性とは多くの人と付き合わないと学校や職場でやっていけないから、男子については「余計なコミュニケーションコストを負担したくない」になるんじゃないですか?ただ、女性がクリーンなのではなく、低負担なら割とでも遊ぶので関係が複雑化するというね…
結局「出会いがない」のはあったところでそれだけじゃ意味がないんですよ。
その関係が終わったあとの次、が何処からスタートかというと、前の人と同じ地点で、前進がないんですよね。
さっきの「女性のアプローチで少子化とか晩婚の問題を考える」に話を戻すが、長くなるから結論をきっぱり。女性から足切りされない「モテうる男性」が増えることと、結婚制度・家族制度に過度に依存しすぎないこと(これが男には変なプレッシャーを生むし、女も女で逃げ腰になるから)良くないのよね…
ただ、不思議なのは僕の経験や聞き及ぶ範囲では「他人に承認されてないからモテたい」と変な力が入った男はそのコンプレックス自体を足切りされがちなのに、その足切りされるゆえんを毒親のお母さんやキモいと露骨に罵る女性が根源であることがしばしばあることね。
そう考えると出会いを作ろうとか女性の人の待遇を優先的に上げて収入を底上げしようというのはやればやるほど少子化問題・結婚しない若者問題をこじらせていくよね…。出会いがあっても解決できない非モテ男子も、お金がなくて出会いの場に参加できない貧乏男子増やしてドツボにはまるだけ。
結婚制度うんぬんの問題は…縁談を整える口実として機能すればいいんだけど、縁談という時代でもなくなっちゃったら「ありもしない社会正義・家族像を押し付けられるだけ」になるのよね…。まぁ、ここらへんの問題は田舎と都会、世代間、イデオロギーで揉めるからモテだけを基準に話していいかが疑問
追加侮辱ね。しかも原因と結果が逆であったりする、見当違いの指摘。
逆に男が露骨に罵れば「私こんなに頑張ってるのに…」と押し黙って恨んだり、「そんなこと言うから嫌われるのよ」なんて言い返すケースが散見される。さらに友人などに言いふらして敵を増やす。芯まで腐ってる。
待遇よくし過ぎても、女王様ばりに振る舞う傾向があるし、権力に近づければ御局化するし、高齢になっても「このように私は慎ましく頑張ってきました」などと語り草が増えたりして、ろくなことは無いかなと思う。