はてなキーワード: 相談員とは
予約制の心療内科に初診を断られた。
冷静に考えりゃそこの病院には入院施設がなかったし、入院経験が2回ある俺を受け入れられなかったんだろう。電話で受付の人に2分話すだけだった。今の病院は5分診察して薬貰って終わりだったから変えたかった。まともじゃなくて生きてるだけで申し訳なくて、死んだ方が効率的だとか考えてた。だから話を聞いてほしかった。
口コミで見つけたとこで優しいお医者さんとかで評判が良かったんだ。でも俺はそこには行けない。そんなこと誰も言ってないんだが、お前なんか診れない、見る価値もないと言われているようだった。とにかく放りだされたような気分だった。入院は二桁年前の話だった。
ちょっと泣いて違う病院に初診の予約をした。今月はいっぱいだからまた月末にかけてくれと言われた。症状のことも入院経験の話もしていないから、もし月末にかけても断られるかもしれない。けどこれ以上何か聞くのも悲しくなってお礼だけ言って切った。
とにかく誰かに話さないとやばいと思って国の自殺なんたらホームページの無料チャットに悩みを書いた。チャットで相談員が相談に乗ってくれるらしかった。電話は家人に聞かれるからできなかった。
一つ目のサイトはLINE友達になって話を聞くらしい。一応押したら「いきづらびっと」とかなんかの名前のウサギのゆるキャラが表示されてバカじゃねーのと思ってやめた。LINEで友達になって誰かにバレたくなかった。生き辛いラビットなんてただの煽りにしか聞こえないし寂しくて死ぬ奴と一緒にされるのも最悪だったしこんなことにケチつけてる俺はもっと最悪だった。
二つ目のサイトにチャットを送った。このサイトはWeb上で書き込めるからよかった。そこで悩みを書き込んだらカウンセラーは他の相談に応対中だからしばらくお待ちくださいと書いてた。俺大人しくそのまま待って、二時間くらいずっと画面そのまま。今も。全然返信は来ない。ぴくりとも来ない。
相談員て大変なんだろうな。給料もらってるかもわからんし、人手不足なんだろうな。一日一回、50分までらしくて、いや、一日一回50分、相談員側からしたらなげーよ。50分が何回もあるんだろ。俺たちには一回でも。全部楽しい話題じゃねーし最悪だよ。
でも俺はなんかここでもう心が折れた。
なんでも言ってね、話聞くからねと言ってきた上司は話聞いたあと適当に話を終わらせて、なんだったら若干説教も食らった。専門家じゃないとこんなもんだよな。仕方ないけどさ、こういう時聞く側って話終わらせたり説教して終わるからノーダメージなんだよな。俺が勝手に絶望して終わるんだよ。
だから病院行こうとしたんだよ。これも仕方ねーけどさ、まさか断られるとかあるんだって思ったよ。先生にちょっとだけでもいいから話聞いてもらいたかったよ。俺病院断られるようなヤバいやつじゃありませんて。先生だってそう思って断った訳じゃないんだろうし、他に病院断られたやつにも失礼な感想だけどさ。
ひと月待ちの病院にまた月末連絡すんのかな。気力あるかな。ライブのチケット争奪戦みたいだよな。少ない枠を取り合うみたいな。
別に今すぐ死ぬ!って訳じゃない。すげー辛いけど死ぬのって怖いし、まだ恐怖も勝ってるし、そもそもベッドから動く気力もないし。ベッドでじっとして生命維持するくらいならできる。それ以外まともな生活できてないが
死なないけど死ぬ時もこんな感じなんだろうな。ひとりぼっちだなあって思ってる。今。本当はそんなことないかもしれないけどそれしか考えられないし。
足立区で色々あったりさ、元気な奴は旅行したり、俺には全部関係ないけど。普通に生きること以外すんなって言外に匂わせてくるような世の中で適当に優しいふりすんなよ。普通に生きて普通に結婚して子供産む以外好きじゃねーならそれ以外全部いっそ殺処分してくれよ。普通で元気で健全で健康な奴らだけで世の中回してけよ。それでいいだろ。楽に殺してくれたらこっちだって文句ねーよ。
世の中全部のマイノリティを敵に回すようなこと言ってごめんな。俺もうすげー嫌になったんだ。
追加するけど、病院も相談チャットも悪いと思ってない。いきづらびっととか言うウサギは嫌いだけどアレ好きな奴もいるかもしれないからいいんだ。従事者ってすげーなって思うよ。俺も何度も助けてもらったし。
でも強いて言うならでっかく括って世の中は大嫌いだよ。見てくれてありがとうな。
一回目。十年以上前だった。すぐ繋がった。今でも覚えている、この人は当たりの人だった。恐らく年配の女性で、アルバイト先でセクハラを受け、辞めることにした。そのことを上の人に伝えたら職場の人達みんなの態度が冷たくなり、死にたくなった。その内容を親身に聴いてくれた。年齢を聞かれ、まだ若いからもっといい仕事見つけなさいと言ってくれた。
二回目。八年くらい前?なかなか繋がらなくて、住んでいる地域と別の県のいのちの電話にかけた。年齢は分からないけど、おばちゃんまでは行かないくらいの年齢の女の人だった。ハズレの人ではないけれど、相談内容に困っているようだった。兄弟格差が酷くて辛くて死にたくなった相談内容に、もっと兄弟に優しくしてもらえたらいいんですけどね、彼も調子に乗ってますねとかなんとか言われた気がする。
三回目。二年くらい前。この時も女性の相談員で、すぐに繋がった。家族のことで悩み、電話をした。この相談員の人はかなりのハズレだった。はいとそうなんですねと大変ですねしか言わなかった。しかもその相槌全てに感情がこもっていなかった。段々死にたい気持ちより相談員の人に腹が立つ気持ちが上回ってきて無言で電話を切った。
探せば普通にあるよね?都区内でも都区外でも。
無いです
正確にはカビや虫がヤバい1階かつ牢獄みたいな狭さで壁薄いか、
駅から遥か遠い・都外で築30年以上かつ牢獄(ry ならあるが、
メンタルよわよわは騒音・衛生に敏感なのでマジで住む場所には拘りましょう
※都内に住民票を移してじゃら非正規の仕事を決め、その状態になってから賃貸申し込んで欲しいと口々に言う。まず都内に住民票を移すアテが無い。
まずはバイトを決めてください
なお入居するまでネカフェとビジホにいたよ
こんなの ↓
自立支援ホーム(精神障害者グループホーム)ピュアルトとは?
ソーシャルワーカー、そして社会保険労務士としても10年以上経験を積んだ、専門の心理相談員が常駐しています。 お一人お一人に合った生活スタイルを送っていただくために、 企業への就労支援をはじめ、趣味や好きなことから始める在宅ワークなど、自由な働き方を支援しており、 仕事だけでなく日々の暮らしのご相談も大歓迎です。 一言で"自立"と言っても様々な形があると思います。そんな皆さんお一人お一人の"自分らしい生き方"を 身近で支えるホームでありたいと思っています。
○特徴1.自室で自分だけの暮らしと安らぎを
自立支援ホーム ピュアルトは、県内でも少ない完全ワンルームタイプのホームです。集団生活には自分は自信が無い、自分一人の時間が欲しい、誰かの目があると眠れない、などの不安を解消し、自分一人の時間を確保し、一人暮らしに限りなく近い環境を提供します。
○特徴2 .新築の綺麗なホームです
2018年4月開所の新築ホームです。お部屋は洋室で、お風呂・トイレはセパレイト(別)、オール電化でIHキッチンや浴室乾燥機を備えている他、モニターインターフォンなど嬉しい設備が備わっています。
○特徴3.生活家電付き!
収納、冷蔵庫、洗濯機など完備しているので、身ひとつで入居できます。
○特徴4.保証人不要!
○特徴5.初めての一人暮らしをしっかりサポート
専門ソーシャルワーカーが常駐しております。 食事の提供(希望者のみ)や服薬管理、生活面での指導など、個々の状況に応じてご要望にお応えする事ができますので、生活リズムが整い、 自分らしい生き方、安定就労に繋がってきます。 生活のこと、自分との向き合い方、お仕事のことなど、何でも相談してくださいね。
私が30歳の時に両親が離婚した。
その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害と静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか。
両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金や借家の更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。
そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。
私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつと飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。
大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由でアルバイトを辞めた。
就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか、子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態をかいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかわからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟だけがあった。
私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人と再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。
父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯の電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見も文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。
それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。
10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族の葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookのメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから約半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずにメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単なものだった。
ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初のメッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。
次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話と留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害を発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分の生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。
次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。
2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしか出さない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。
父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからもメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから、親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話で意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。
最初のコンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。
そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄の手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってからの再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要な書類を集めて回り、家庭裁判所の相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。
父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから。
父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手の名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻の継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。
家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。
長くなりました。読んでくださってありがとうございます。
特に元増田のような人は、誰かを助けることによって自分自身を助けることができるような気がするよ。
今は何をしたらいいかわからないかも知れないけど、若いから時間はあるよ。
で、自分が元増田の立場だったらこれから何をしたらいいか少し考えてみた。
例えば、いのちの電話の相談員(ボランティア)に応募してみるのはどうだろう?
元増田のような人なら、いろんな人の苦しみや悩みをちゃんと受け止めることが出来るような気がするし、きっとその人の力になれると思う。
今住んでいる場所、産まれた場所とは違う場所で就職することをIターン就職と言います。
私の面接能力の問題もありますが、その点は置いといて読んでいただけると嬉しいです。
面接官は、その県で産まれ育ち地元から出たことがない人、1度地元から出たけれどしぶしぶ戻ってきた人、東京や大阪の本社から転勤で来ている人です。
「私たちからしたらそれ当たり前ですけど??そんな理由で来るんですか?」と鼻で笑われます。
1度地元を出たけれどしぶしぶ戻ってきた人に魅力をいくら伝えても、
「でも、私は都会の方が住みやすいと思う。」と言われます。しぶしぶ田舎に戻ってきた人に何を言っても、その人は都会で働きたいんだから伝わりません。
「へー、そうなんだ。」と言われます。
家族や友人と好きで離れて田舎に行く人はいません。会社から命令をされてしぶしぶ田舎に行っているんです。そんな人に田舎の魅力を伝えても意味はありません。
ネットで調べると現住所は住民票がある所を書きましょうとあったので、住民票がある東京の住所を現住所に書き、居候先を帰省先として記入していました。
すると、Uターンで就活なの?と面接100%聞かれます。そして、なんでこの県に来るの?と言われます。上記の通りいくら魅力を伝えても、鼻で笑われます。
ハローワーク求人に応募するためハローワークに行った際、相談員の人にこう言われました。
私の住民票を移しても、私が生まれ育った場所は何も変わらないのに、表面的な住所が変わるだけなのに、移した方がいいらしいです。
内面より住所が大事だと元人事のハローワークの相談員が言うのだから、住民票は移すべきです。
私は気付くのが遅く、住民票は移していませんが、現住所に居候先を書くようにして、帰省先を書くのを辞めました。
大学は都心部にあるから現住所と帰省先書いていないとおかしいんですけどね。
コロナウイルスが問題の中対面の集団面接をして、駅に向かう途中、一緒に集団面接を受けた子と話す機会がありました。
「この県の就活はほとんどコネだから就活大変ですよね。頑張ってくださいね。」と笑顔で言われました。
〇〇さん家の息子、娘、知り合いだから
など
まあ、知り合いの方が安心ですよね笑
東京だとOGOBの繋がりは強いですが、知り合いはそこまで強くないです。
その会社は最終面接でなんでわざわざ田舎に??と、とてもしつこく聞かれました。田舎から東京に出た役員が面接官だったので、田舎の魅力は伝わりません。田舎が嫌で出ていったんだから。
これは今年だけかもしれません。
検査をしないため、コロナウイルスがあまり出ていない田舎だと、県外から来たと言うだけでコロナウイルス扱いされます。
ずっと居候しているので田舎にいる事を伝えても、コロナウイルス扱いされます。
「え、東京??Iターン??コロナじゃない?」と言われた時です。
履歴書にもESにもずっと田舎にいます。と書いても言われます。
過去2週間の行動履歴を書かされたこともありました。履歴書にずっと田舎に居ると書いているのにも関わらず。
履歴書なんて読んでないんです。
100%の精度がある訳でもない、今日は陰性でも明日は感染して陽性になるかもしれない。そんな検査に何万も出せません。
支援やNPOの1つ目、「精神障がい者グループホーム」 以前投稿した一例
自立支援ホーム(精神障害者グループホーム)ピュアルトとは?
ソーシャルワーカー、そして社会保険労務士としても10年以上経験を積んだ、専門の心理相談員が常駐しています。 お一人お一人に合った生活スタイルを送っていただくために、 企業への就労支援をはじめ、趣味や好きなことから始める在宅ワークなど、自由な働き方を支援しており、 仕事だけでなく日々の暮らしのご相談も大歓迎です。 一言で"自立"と言っても様々な形があると思います。そんな皆さんお一人お一人の"自分らしい生き方"を 身近で支えるホームでありたいと思っています。
○特徴1.自室で自分だけの暮らしと安らぎを
自立支援ホーム ピュアルトは、県内でも少ない完全ワンルームタイプのホームです。集団生活には自分は自信が無い、自分一人の時間が欲しい、誰かの目があると眠れない、などの不安を解消し、自分一人の時間を確保し、一人暮らしに限りなく近い環境を提供します。
○特徴2 .新築の綺麗なホームです
2018年4月開所の新築ホームです。お部屋は洋室で、お風呂・トイレはセパレイト(別)、オール電化でIHキッチンや浴室乾燥機を備えている他、モニターインターフォンなど嬉しい設備が備わっています。
○特徴3.生活家電付き!
収納、冷蔵庫、洗濯機など完備しているので、身ひとつで入居できます。
○特徴4.保証人不要!
○特徴5.初めての一人暮らしをしっかりサポート
専門ソーシャルワーカーが常駐しております。 食事の提供(希望者のみ)や服薬管理、生活面での指導など、個々の状況に応じてご要望にお応えする事ができますので、生活リズムが整い、 自分らしい生き方、安定就労に繋がってきます。 生活のこと、自分との向き合い方、お仕事のことなど、何でも相談してくださいね。
結果として1ヶ月と少しで内定貰えました。
大学卒業してから約4年塾講師のバイト経験のみ。就活経験なし。しかもコロナ流行中。
ハロワ、就活エージェント、転職サイト、NPO就活支援と一通り使ったので簡単に感想を書いていく。
○ハロワ
なんか職探しといえばハロワのイメージがあったのでとりあえず登録。
これがやりたい!みたいなのがなかったので職種を決めずに事務と接客あたりで求人検索。
しかも企業ごとに書類を送付しないといけないので封筒や切手などの手間がかかる。
手間も到着までに時間もかかるから全部の企業にネット経由で履歴書送らせてくれ。
そしてそんな手間暇かけた子たちが全滅すると心もお金も減るんだよ。
ハロワ既卒フリーターに厳しくね?中小企業が多いせいか分からんが、かなり経験者優遇されてるのではないだろうか。
個別塾講師だったので個別PC教室講師の求人はさすがに通ると思ったがだめだった。
というか数週間経っても何も連絡がなかった。不採用の連絡はくれ。
あとハロワに掲載されている企業はブラックが多いと言われる理由は求人情報を掲載するのが無料であるため。
ハロワの人が若い人向けのそういうサービスがあるって教えてくれた。
履歴書の修正や面接練習をする相手を確保したかったので電話で予約。
初回はzoomで相談。どの職種にしたいかなど自己分析が行えていない私に相談員の人イライラ。
私の担当の人には就活する時は職種を絞れって言われたけど結局絞らないまま就活続行。その後も面接練習や相談にのってもらった。
そこで職業適性検査ができると言われたのでやってみたがそれの結果がくるのが私の内定が決まった後だった。気になるから聞くけどさ。。。
こっちはサイト上でエントリーと書類の送付ができるので複数の企業にすぐ応募できる。一回登録した基本情報は残ってるから志望動機とかを書き直すだけで応募可能。
マイ●ビとリク●ビを頻繁に使用してたけど、結局勤務することにした企業はin●eedにのってたやつ。
でも明らかに怪しい企業が出してる同じ求人が複数あってそれが検索する上で邪魔だった。そういう企業は写真を求人ごとに変えて掲載するから、しっかり企業名覚えておくといい。
フリーター、既卒相手にしてるのサイトを複数登録。正直これはどのエージェントに出会えるかという面が大きい気がするのでこのサイトがいいみたいな確実なことは言えない。
最初に面談して自分のこと色々話して条件にあった求人情報をメールとかで送ってくれるっていうのが基本。でも中にはさっき私が話したこと聞いてた?みたいな条件とぜんぜんマッチしてない求人を紹介してくるところもあった。なんかとりあえず手元にあったの送りました。みたいな。まあ既卒未経験で雇ってくれるとこが多くないのはわかるけどさ。
そもそも既卒未経験子持ちで微妙な反応なのに「事務」なんて言ったらさらにだった。
私が面接で行った企業の人たちも応募がたくさんきたと言っていた。
その中で経験ない新卒でもない人間が選ばれるわけがないとみんなそう考えていた。
なんならNPO就活支援の人には事務職もそうだし就活自体かなり厳しいものになるだろうと予想されていた。
就活している人間に対して人は「大丈夫」なんて無責任なことを言ってうまく行かなかった時にクレームつけられたくないんだろうな。そりゃそうか。
話を戻す。
あと、エージェントが紹介してくるのは大企業の割合が多い。中小あんまない。
エージェントを仲介するにはお金がかかるのでそれを負担できる企業ということになる。
また、ちゃんとしたエージェント企業だと依頼した企業としっかりコンタクトをとっていて就業内容に嘘がないかなど確認取れたところしか紹介しないというところもある。(全てではないとは思うが)
ほとんどの企業が一度面接して一回求人紹介してもしいいのあれば応募するって感じだったけど、送られてきたものであまりいいものがなかったのでほとんど返信せず終了。
今回私が登録したエージェントの中で一番いい求人出してくれてサポート厚かったのはウズ●ャリだった。一回ではい終わりじゃなくて履歴書の改良や面接練習をなんどもしてくれた。他の人がどうかはわからないが、私が当たった人はしつこいくらいにとても面倒見がいい人だった。そこの紹介で内定もらったが辞退した。
・それぞれのいいところを吸収して利用する
・いろいろな選択肢を同時進行する
聞いてた話と違うみたいなことが珍しくないので面接で仕事内容説明してくれるからしっかり確認する。
・長所とかアピールポイントとかを全く聞いてこない企業もあった
そういうところはまず、就業条件や社内環境を開示してくれてそれに関して質問や話をしていく。その上でのコミュニケーション能力を見て決めてる。
そういう人にも物怖じしないでコミュニケーションを取れるかも見られていると思う。大学生時代にクラブでバイトした経験が思わぬところで生きた。相手によって適切な距離感で話す。オープンに会社のこと話してくれる人には突っ込んだ質問しても大丈夫だった。そこらへんはネットの情報鵜呑みにしないで臨機応変で大丈夫だった。
また思い出したら追加する。寝る。
私には血の繋がった弟が二人いるが、こちらとも絶縁している。
親の仕打ちを少しだけ具体的に書くと
●教育格差
私に対し親は「公立の学校以外駄目」と言い、指定した高校・大学を受験させられた。
当然浪人も不可。しかも「文学部は食えないからダメ」と学部も指定。
その弟は付属の大学に進学したが『遠いから』という理由で仮面浪人。
さらに大学院に進学(文系の私立の)し、すべて親がお金を出す。
私だけ親に暴力を振るわれていた。
弟が窃盗事件を起こした時でさえ親は「駄目だからね」と口頭注意のみで終了。
「なぜ私だけ殴るの?」と聞くと親は
「弟を殴ると倍になって返ってくるから怖い。女のあんたは二人がかりで殴れば言うこと聞くし」
とのこと
●私には「耐えろ」、弟には「可哀相」
小学生の時ブラスバンドに入ったけど、担当の教師はいわゆるスパルタ。
また小突いたり罵ったりとパワハラオンパレードでやめる子が続出。
私も「やめたい」と親に言ったけど、親は「やめたら家に入れない」と私を叱り飛ばした。
(ちなみにその担当教師は他の親の訴えで担当を降ろされ、のちに処分も受けています)
一方、弟はサッカー部に入り、高いスパイクやウエアを購入したけど二か月で退部。
親は「運動部は可哀相だな」とあっさり退部届に判を押した。
●都合が悪くなると「あなたは女の子。弟は男の子だから仕方ない」という
その反面、私が部活などで帰りが遅くなっても迎えに来てくれることはなかった。
急に雨に降られて私が「駅まで迎えに来て」と電話した時
親は「知らない。ずぶぬれで帰ってこい」と冷たく言うだけ。
なのに弟のことは毎日迎えに行っていた。
私が断ると「かわいい弟ちゃんが誰かに襲われたら困る。弟ちゃんが雨に濡れたら可哀相でしょ」とのたまった。
「私が襲われてもいいのか」と聞くと「あんたは自分でなんとかしな。ブタみたいだから大丈夫、襲う人いない」と笑った。
まだありますが、このくらいで分かっていただけると嬉しいです。
こんなことがあり、社会人になってから絶縁し、一切会っていませんでした。
絶縁する際、私の親は「あんたなんてもう娘じゃない」と言ったので、こちらも安心して(?)絶縁していました。
上気のことを伝え「絶縁してるから会わない」と言ったら
「もう許してやれ」と返ってきました。
許すなんてとんでもない。
暴力を受けて転んでしまったことがあり、そこがケロイドになって残っています。
「許す」なんて考えられない。
命を絶とうと思った時踏みとどまったのは
「あんな親のことをいつか見返してやる」「いつか(合法的な方法で)仕返ししてやる」と思ったから。
今でも心の中で
「ほら、あんたたちにブタと罵られて私はこんなにちゃんとした大人になった。納税も勤労もしてる」
とほくそ笑んでいる。
「いのちの電話」やお坊さんや各種の相談員に悩みを打ち明けたこともある。
親身になって相談に乗ってくれているのは分かるし、そう答えるのがセオリーなんだろうけど
私は彼らの回答を飲み込めない。
伴侶の親もいい人で、私は彼らを本当の親だと思っている。
でも、それはそれ、これはこれ。
多分、親を怨む気持ちがなくなったらあっさり命を手放すと思う。
親を怨む気持ちが、私の生きるパワーになっている。
今願うのは一刻も早く親が死んでくれること。
弟とも話したくない。
あんな人たちと血が繋がっていることが嫌なので、一刻も早くこの世から消えて欲しい。
こうして文字に起こしたらかなりすっきりした。
ボランティアだから賃金を貰えないことは知ってたが、自己負担が多すぎる。
研修が一年間もあって、週1回2時間。しかも宿泊研修2回も。交通費は全部自己負担。
志望動機に400字詰原稿用紙×2枚も書かせるのも絶句。学校の作文?
研修を終えても、24時間対応の電話を月2回もノルマが課されている。
今でも相談員が残っているのが驚きだ。対応がひどいと聞いて調べてみたが、これじゃ対応の質なんて期待できない。
これはちょろっと検索してみただけで、地域によって違うらしい。横浜が特別酷いだけかもしれない。
でもボランティアってこんなものなのかもしれない。他のボランティアとの比較をしたわけじゃないし。
でもこんなに大々的に宣伝されているいのちの電話というものが、こんな悪条件だとは思わなかった。
たいへんですね。死にたくなったら病院に行こう。
一例を拾ってきたわ
自立支援ホーム(精神障害者グループホーム)ピュアルトとは?
ソーシャルワーカー、そして社会保険労務士としても10年以上経験を積んだ、専門の心理相談員が常駐しています。 お一人お一人に合った生活スタイルを送っていただくために、 企業への就労支援をはじめ、趣味や好きなことから始める在宅ワークなど、自由な働き方を支援しており、 仕事だけでなく日々の暮らしのご相談も大歓迎です。 一言で"自立"と言っても様々な形があると思います。そんな皆さんお一人お一人の"自分らしい生き方"を 身近で支えるホームでありたいと思っています。
○特徴1.自室で自分だけの暮らしと安らぎを
自立支援ホーム ピュアルトは、県内でも少ない完全ワンルームタイプのホームです。集団生活には自分は自信が無い、自分一人の時間が欲しい、誰かの目があると眠れない、などの不安を解消し、自分一人の時間を確保し、一人暮らしに限りなく近い環境を提供します。
○特徴2 .新築の綺麗なホームです
2018年4月開所の新築ホームです。お部屋は洋室で、お風呂・トイレはセパレイト(別)、オール電化でIHキッチンや浴室乾燥機を備えている他、モニターインターフォンなど嬉しい設備が備わっています。
○特徴3.生活家電付き!
収納、冷蔵庫、洗濯機など完備しているので、身ひとつで入居できます。
○特徴4.保証人不要!
○特徴5.初めての一人暮らしをしっかりサポート
専門ソーシャルワーカーが常駐しております。 食事の提供(希望者のみ)や服薬管理、生活面での指導など、個々の状況に応じてご要望にお応えする事ができますので、生活リズムが整い、 自分らしい生き方、安定就労に繋がってきます。 生活のこと、自分との向き合い方、お仕事のことなど、何でも相談してくださいね。
肌感覚として、28歳ならまだまだ色々な可能性があるかなと思う。ご本人の状態や関り方を知らないから確証ではないけど、でも28歳という情報だけでいくと「まだいける!」と希望を持って相談に挑んでる。
お金の面はファイナンシャルプランナーの相談で目安を立てることはできるけど、40歳未満は両親にも覚悟がないので追い返すと畠中先生は言っていた。
いろんな人が書いているけど、兄弟にそこまで義務はない。将来も状態が変わらない場合、自分の生活が維持できた上で支援してくれるのは望ましいけれど義務ではない。
その前に、何年後に兄弟が支援する必要性が発生すると想定されているのかが気になる。先になればなるほど何が起こるか本当に誰にも分からないので色んな意味で杞憂に終わることも。
間違いない。税金でそこまで予算つけてくれないから。自治体によって全然できることが違う。自治体ガチャ。
定期的な訪問をしているところもあるようだけど、それだけ人口に対する保健師、訪問員に余力のある自治体さんどこー。
それ以上に、成人の人権が関わるようなことに誰がそこまで介入できるのか。
サポート十分って認識、多くの人が「何かをしてくれる」と思いがちだけれど、人権をもった、それも一人の成人に第三者が何をしろと。
で。何かをするのにおすすめは、まずはひきこもりの本人が住む環境を作っている同居されている方々が環境づくりに動くこと。
外に出ることに困難を抱えているご本人にどういう環境を作って、本人に影響を与えるかが何よりも勝負所。
本人と家族の関りが全くわからないので何も言えないけれど、そういうところを行政でも民間でもいいからひきこもり相談に相談してほしい。
まっとうな民間会社にお願いしても、結局最初は、本人の安心できる環境をどう作るか以外ないと思う。
お金出して知識ある人(これもとても重要。知識ない人怖い)にたまに訪問きてもらっても、毎日長時間接する同居する人が台無しにしたら何にもならないしね。
正直、引き出し業者みたいな人権無視、予後の悪いやりかたをする以外の方法ってこれ以外あるなら教えてほしいぐらい。
ということで、ご同居の方々に相談をお勧めしてください。そして、環境づくりに心が折れることは山のようにあると思うのでご同居の皆様を遠隔からサポートしていただけると、相談員としてありがたいです。
あと、斎藤環先生の「「ひきこもり」救出マニュアル 」はマニュアルとして分かりやすいのでお勧めです。
それと、ひきポスあたりを見ると、ご兄弟から見た世界が垣間見れるかもしれません。
参考になれば。
https://anond.hatelabo.jp/20200312121657
これ書いた人間です。
現状をまず述べますと、内定0、彼女と別れた、鬱悪化、メンタルドン底、何もやりたくないって感じです。
正直死にたい。いや、殺して欲しい。
で、なんでまた書いてんのっていうと、ここ3日間毎日「今日はES書くぞ」と思って結局何も進まずゲームしてましたって日々が続いてたのね。でもうその時点でもう精神的にヤバかったんだけど、Twitter見てたらフォロワーがいろいら新しいことに挑戦してて、それが自分の現状とあまりにも違っていて、でもって加えてさっき面接上手くいったと思った会社から不採用通知が来ました。それでまたメンタルポッキリ持っていかれたんだけど、そしたら急に過呼吸になってね、左半身が動かなくなったわけ。俺マジで死ぬのかなって思ってしばらく倒れ込んでて、まあ今は戻ったんだけど、あぁいよいよ俺は壊れちゃったんだなって思うと悲しくてね。
そのあとのことはよく覚えてないんだけど、洗濯物干そうとしたら急に足が止まって、今なんでこんなことしてるんだろう、俺は将来何か凄いことをするんだと思って生きてきたのに、みじめでどうしようもなく身勝手でクズで最低な人間に育ったんだなって思うと情けなくて、涙が止まらなくなりました。
そのあと何故かよくわからんけど(頭冷やそうとしてた?)外に出て、よたよた歩いてたら車通りの多い道が見えて、そしたら身体が勝手に「殺してください、殺してください、もう無理ですからすみませんでした」ってぶつぶつ言いながらそっちによたよた歩いて行って、心の中では「こんなことしたら家族は悲しむだろうな」って思ってたけどもうそんなこと疲れたからどうでも良くなっちゃった。そしたら車が一台こっちに曲がってきたから「チャンス!」と思ったんだけど身体は動かなくて、ああ結局虚言なんだなって思って虚しくなっていのちの電話適当にかけたら回線混んでるって言われてバカバカしくなってキレて今ベッドの上でこれ書いてる。
なっが。
親にはもう鬱だって話したんだよ。そしたらなんでもっと早く言わなかったって言われて、これからは何かあったら相談しろなんて言われたんだけど、正直話せるわけないじゃん。もう就活やめたいです学校も休みたいです何もしたくないです鬱がこのあと治るかはわかりませんが今はもう疲れました無理です死にたくはないけど殺されたいとさえ思います、って言えるはずないでしょ。
がっこの友達にも相談は度々してたんだけど、彼らも彼らで就活大変そうなので無駄に負担かけたくないし。
ネットの友達には散々話聞いてもらってたからなんか頼みづらいし。
何も頼れなくなっちゃった。
今したいことは特にないです。少なくとも未来のことを考えたくはないかな。辛いので。あ、やりたいことはあるわ。APEXやりたい。てかゲームやってたいなずっと。好きでも嫌いでもゲームひたすらやるだけの仕事あったら教えてください。いくらでもゲームできます。ゲーム奴隷。
正直、鬱になる前からここが限界だったのか、それとも鬱だからハンディキャップがかかってるのかわからないんだけど、後者は最早逃げじゃん。それはしたくないよできないよ。逃げたらもっと惨めな目に遭うに決まってる。みんなに申し訳ない。謝りたい。
就活の相談員も親も、内定取ろうとか卒論書こうとかいうんだけどさ。正直無理だよ。この精神状態は俺が思うにガス欠なんだよ。もう推進力がないの。辛いこととか嫌なことに挑戦する気力が無くて、ずっと逃げてるの。鬱とゲームって逃げ道に。
じゃあどうすりゃいいんだろな。死ぬか。死のう。
生きてるのが今は辛いですよ。もうどうにかなっちゃいそうだ。大学休学とかできたらいいんだけど、卒論の担当教員が今年で退職だからさっさと卒論書かないと。もう無理かも。本当に死んだらこれが遺書ってことにしといてください。デジタル遺書。ちょっとカッコいいね。そうでもないか。
ここまで揃うと、笑うしかない。
こんな状態なのに、去年介護がワタシにやってきた(サンタが街にやってきた風)。
「お父さんが緊急搬送されたと病院から連絡がありました。あなたの電話番号を病院に教えていいですか?」
という不動産屋からの電話。先方も事情がわからないようで困惑している。
定時で帰ろうと呑気に考えていた春のある日、こんな風に始まった。
当初は脳梗塞も軽く済み、介護サービスを使いながら独居することも可能だった。
その後のリハビリのおかげで、身の回りのこともできるし、簡単な会話もできるくらいには回復したが、細かな判断(お金周りとか)を要する質問には返答できない。
兄弟姉妹もいないので、1ヶ月半おきに北海道に帰省した。終の住処になる施設に落ち着くまで、約1年間続いた。
毎回4泊5日のスケジュールで、病院・役所・父のアパートを何往復もした。お金は勿論のこと、体力的にかなりきつかった。
金額は石狩管内私調べなので、田舎に行くともっとお安いところもある。
CMでよく見かけるのはコレ。あれは金持ち用の至れり尽くせりな施設だ。
母が医療関係者として働いていたことがあり、「料金が高いせいか、入所者になにもやらせない(家族もそれを望んでいる節がある)。結果、入所後にボケる人が多い」らしい。
通常家屋で暮らせる程度の身体能力がある人が入所していて、痴呆症の受け入れも多いようだ。
脳梗塞の後遺症で、通常家屋に住むのはちょいと厳しいので深くは調べなかった。
金額的にはピンキリの様子だが、18万円は高い部類だと思う。都市部のグループホームだろうか?
ただし、終の住処にはなり得ないので、3ヶ月後には退所しなければいけないことが大半。
また、入所中の通院、日用品の買い足し等は家族が行うので負担が大きい。施設に入っているから一安心とはならない。
最近建設された施設は、個室またはユニット個室なので、利用料も12万円台〜。
多床室と呼ばれる大部屋の場合は利用料9万円台〜。
裏技的に特別養護老人ホームの入所待ちに使われることもある(自分もそうだった)。
首都圏では施設数が増え、待機期間が短くなっていると言われているが、空いているのは個室またはユニット個室で利用料は高い。
利用料の安い多床室は、相変わらず入所待ちが続いている。
現在、新しく施設を作る場合は、個室またはユニット個室である。
多床室は昔の制度下で建設された施設のため、建て替えなどで個数が減ったとしても増えることはないと思われる。
特養の利用料は老健と同じようなレベルだが、特養は自宅介護が不可能な人たちが入所してきている。
「終の住処」と呼ばれているが、見取りを行っていない施設もあるし、胃瘻やインスリン注射が必要な人の入所数を制限したり、断っている施設もある。
入所は順番待ちになっているが、介護度が重いほど上位に来るかというと…そうでもなかったりする。
介護度5を最優先にしている所が大半だが、施設によっては、状態の重い人を入れ過ぎてスタッフが疲弊、バランスをとるために、ちょっと介護度低い人にしよう…となることもある。
これは、各施設の方針によるので、見学した時にざっくばらんに聞いてみるといい。ぶっちゃけてくれる相談員もいる。
ありがたいことに、比較的すぐに特養入所ができたため、ほとんど帰省しなくて良い状態になった。
定期検査で通院する時は、施設のスタッフが付き添いをしてくれるし、日用品がなくなると代行して購入し、月末に利用料と一緒に領収書添付の請求書が送付される。
そもそも老健と立ち位置が違うので、比較するのはよくないことなのだが、老健に移動してから負担が恐ろしいほどに減った。
世の中的に介護施設のお給料は少ないと言われてるので、もっとお給料あげて欲しいと思う。
スタッフの献身のみに支えられているのは異常だ(でも、利用料は据え置きでお願いしますw)。
元増田さん
正直、母上のグループホーム18万、父上の20万という利用料は大きすぎると思う。
首都圏では普通にあり得るんだけど、北海道では、高額な部類に入ると思う。
この状況が10年20年続いた時のことを考えなければいけない。
ご両親の蓄えがなくなった時、元増田さんや兄上は金銭的な負担ができますか?負担しても、それぞれの家庭が壊れないと断言できますか?
私は家庭を築く気持ちも能力もない、頭アッパラパーな人間です。
そんな人間に言われるのも心外だと思うけど、自ら作った家庭に対する責任を第一にした方が良いと思うんだ。
多分、老後もそろそろ考えないといけない年齢だよね。
金銭的援助を20年続けたとして、その間に自分たちの老後の蓄えできるだろうか?
玉突きのように、子供たちに負担がいったら…親としては、ものすごく辛いんじゃなかろうか?
どちらもお金が関わっている。
大事なのは「愛」というけれど、世の中の不幸の大半は「お金」で解決できる。
自分は「愛」より「お金」が大事な守銭奴なので、父親の介護に関して持ち出しをしないことにした。
ただ、父には蓄えがなかったので、当初は50万〜は持ち出しした。ボーナスもぶっ飛んだ。
でも、そんなことを続けていたら共倒れするので、病院の「無料・低額診療制度」を利用して、入院費や定期検査を1年間無料で受けられるようにしてもらった。
その他にも、役所にある地域包括センターに相談して施設を探してもらったり、任せきりにせず、自分で施設を探すために電話をしまくった。
「法律は法律を知るものの味方」とはよく言ったもので、介護も制度を知らないと金銭的にも心身的にも疲弊する。
利用できる窓口に相談する以外にも、自力で動く必要もある。そして、それがめちゃくちゃ気が重い。
親の介護やお金のことって、簡単に相談できるものじゃないから、わからないことだらけ。
でも、「助けて!」と叫ばないと、どこにも声は届かないんだよ… 。
つらつら記載したけど比較的両親が若い状況で倒れ、治る見込みもなく医療費が月40近くかかり、実家は資産家でもなく、かつ自分や親族は遠方というベリーハードな状況の人っているのかね?
元増田さんから見ると、ベリーハードな状況から脱しているように見えると思う。
でも、安心してください!
去年から、ずーーと続いてるよ!
続く時は続くというけど、本当だっだねー…元増田さん、まだハードモード続行中なんで安心してください!
でも、私やあなたよりも酷い状況下で戦っている人はたくさんいるはず!ひとりじゃないよ!
あと、毎月医療費が40万円もかかってるなら、高額医療費として払い戻しできるんじゃない?ぜひ調べてみて!
自分は健康診断で「高度」判定されたのだけど、再検査では「低度」になったので自然治癒する可能性があった。…残念ながら、先日の再々検査で「中度」に格上げされてしまったので、このまま自然治癒せず「高度」に上がってしまうと、めでたく手術になる。
案外、自分のことは冷静で、いの一番に「生命保険で手術・入院費が支払われるか」を確認した。
母の方がうるさいくらいで、「セカンドオピニオンしてもらった方がいいんじゃないの?」と心配してくるが、正直かなりウザイ。
この辺りは独身の気軽さで、「ダメになっちゃったら、もう仕方ない」という境地にたどり着いているのが原因かも。
この世にいる以上、生と死があるのは仕方ないこと。
配偶者や子供がいたら、セカンドオピニオンでもなんでも受けると思う。
今のところ、自覚していないだけなのか、手放して惜しいものが一つも思い浮かばない。
https://anond.hatelabo.jp/20200420143736
という記事を書いた者です。
宅配ボックスに入っているはずの荷物がなくて、色んな所に問い合わせまくったけど結局迷宮入り不可避な雰囲気になっていたのですが、つい先日いきなり収束したので報告します。
ある日突然フリマアプリから「この取引は今回に限り補償適用となりました」と通知が来て、出品者には売上金が、購入者である私には商品代金が全額返金されることになり、ケースクローズ。本当に突然だったのでびっくりです。
というのも、あれだけ各所に電話したり、何時間も...は言い過ぎだけどそれなりの時間を勉強に費やしても結局郵便局が「紛失」と認めてフリマ運営側に報告しない限り、補償は受けられないし、郵便局はのらりくらりと後手後手な対応で一向にお話が通じない。
フリマ運営側からは「これ以上やることないから、あとは当事者同士で決めて」と匙をなげられた。
悔しいけど、勉強代と考えられなくもない額だし。と。
しかし、もう半分は諦めきれずにいました。
だってなんで私が4万も自腹切らなきゃいけないの?それで儲かるのは出品者とフリマ運営側じゃない?私がまるっと損するなんておかしくね?と。
消費生活センターというのは商品やサービスなど消費生活全般に関する苦情や問合せなど、消費者からの相談を専門の相談員が受け付け、公正な立場で処理にあたってくれる公的サービスのことです。
だいたい市町村レベルで設置してあり、面談形式の他にも電話でも相談に乗ってくれて、相談料はかかりません。
私の居住区では新型コロナウイルスの影響で対面での面談は当面実施しないということだったので、電話で相談しました。
対応してくれたのは年配の女性と思われる方で、親身になって話を聞いてくれました。
彼女曰く、
・あなたが泣き寝入りする必要はないけど、どこまでやるかがポイント
・商法うんぬんで攻めるなら、やはり法律の専門家=弁護士に間に入ってもらうのが良いのでは
・もし弁護士に依頼するなら、事前準備をしっかりしていった方が良い
・事前準備としてフリマ運営側に「今回の補償対象外の判断は、約款(規約)のどの部分に基づいているのか」について回答してもらい、取引成立時の約款全文をpdfなどの形式でもらうと良いのでは
なんというか、とても頼もしい方でした。
日弁連の電話番号や、区で案内している無料の弁護士相談窓口の電話番号を調べて教えてくれ、最後には「また何か困ったことがあったらいつでも電話してきてね」と実家の母かと思うレベルでした。ありがたや。
彼女のアドバイスに従って、まずはフリマ運営側に「今回の補償対象外の判断は、約款(規約)のどの部分に基づいているのか」について回答を請求し、取引成立時の約款全文をpdfなどの形式でくださいと問い合わせ。
お問い合わせいただいた件につきまして、ご案内いたします。
配送業者にて調査を行う場合は、調査結果に基づきカスタマーサポートにて対応をすすめております。
本件は、日本郵便より「盗難として進めてください」との回答をいただいております。
なお、重ねてのご案内となり恐れ入りますが、「あんしん補償」は配送中の紛失を対象とした補償サービスとなっております。
配達完了後の盗難においては対象外となりますので、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
というもの。この後には約款ではなく、補償についてのFAQのURLが案内されていました。
なんでこう微妙にズレた回答しかしてくれないんだ..........
仕方がないので、運営とのやりとり等全てスクリーンショットして印刷し、さて、弁護士に相談しよう....と思っていた矢先、冒頭に書いたようにフリマ運営側から通知が来て、今回は特別に補償対象にしてあげるからこれにて一件落着!と突然終了しました。
私としては、今まで頑なに補償適用してくれなかったのに、この手のひらの返しようはなんなんだ...?と怪しく思う気持ちと、何はともあれ全額返金になった訳だし結果オーライじゃんという気持ちの両方を感じる次第です。
今回の一件で得た学びはこちら
・泣き寝入りする前にやれるだけのことはやろう。それまで受取評価はしない
・これまで一貫して「補償対象外」とつっぱねていても、ある日突然「やっぱ対象にしたるわ」と言われることがある
新型コロナウイルスによるアレコレがあり距離をとるため受付の前に半円形のデカい机が置いてあった。ソーシャルディスタンス。
12番窓口に呼ばれる。ほぼおじいさんに近いおじさんが座っていた。
アベノマスクみたいな布マスクをしている。鼻が丸出しだった。意味。
じゃあちょっとあなたについてのデータを入力していくのでね。そう言って先程記入した書類を見ながらぽちぽちキーボードを触るおじさん。
希望している職種ある?まだわかんない?うん、全然いいんだけどなんかとりあえず入力しないと送信できないですよね。事務系にしとく?そんな感じで30分くらいかけてゆっくり入力していく。そんな打ち込む量ある?
はい、じゃあ送信っと。ん?あれ。どっかだめだったぽいな。一からになっちゃった。
わたし「(……)」
うっすら期待していた、このおじさんは入力担当なだけであって相談員は別にいるんじゃないかという希望はあっさりうち砕かれ、普通にこの人が担当らしい。名刺ももらった。
大体初回に担当した人が継続して相談に乗ることになるらしいよ。嫌だったら変えてもらうこともできるよ。
そこからはおじさんの自慢五割、今後の流れについて三割、わたしの現状についてヒアリング二割という感じだった。
価値観の古いっぽい人で、まあ年齢的に仕方ないとは思うけど「あなたご両親は?サラリーマンでしょ?」などと平気で言ってくる。
在学中は就活ほとんどしてなかったと言うとややちくっとしたことを言われた。いやーすみません。ほんと既卒ですみません。
わたしの前に担当したらしい人の情報をぼろんぼろん言うのにはちょっと閉口。「さっき話してた子はね、親が精神的に参ってるんだつってそのことでカウンセリング受けてるんだよ。」
法学部出たの?私の息子もそうなんだけど向いてないからって結局広告代理店行ったんだよなあ。そこそこ稼いでるみたいですよ。
今のアルバイト先〇〇(地価高め)なの?私もむかし住んでたなあ。だからけっこう詳しいよ。うんうん。
・
・
・
あ、これ今後の流れが書いてある紙ね。渡しておきますね。
はいそれじゃ、また相談あれば名刺に書いてある連絡先にね、ご連絡を。
いつでもお待ちしてます。
終了
とまあこんな感じでした。
思ったよりのんびりした感じでしたので行くか迷ってる人は行ってみてもよいかと思います。
隣のスペースではハキハキしたおばさまが熱心に指導している様子だった。相談員に関してはまあガチャ引くくらいの感覚でいたほうがいいかもしれない。やべーと思ったら変えてもらおう。