はてなキーワード: 指定校推薦とは
きみが指定校推薦や公募制推薦を受けることを希望しないなら、授業はてきとーにやっつければいい。
受験科目について、別に今から変えてもいいんじゃないかな、とおもう。
受験する学校だって、無理に外国語学部にこだわる必要はないんじゃないかな。
とにかく、何とかして大学に行くことだけ考えてみるのもいいかもしれない。
私の妹は私から見れば、「要領悪いし勉強できないやつ」だった。
美大に進学して、ある日図書館で借りてきた本を読んで、「世界史面白い! 勉強面白い!」となって、それ以来よく本を読み、作品を作り、卒業していった。
(しきりにゴンブリッヂ先生がーと言っていた。元増田もよかったら読んでほしい。私は読んだことはない。)
知識を得るだけでなく、組み合わせること、表現すること。それを妹はよく実践していた。
今は販売の仕事をしているが、「お客さんにどうしたら興味を持ってもらえるか?」 情報を仕入れたり、実践したり楽しそうだ。
妹は大学で、まさしく学びのあり方を学び、卒業した今も実践しているのだと、誇らしく思う。人間として尊敬している。
世界について学ぼうと思ったとき、回りと自分を比べる必要はない。自分の力で学んでいけばいい。
ぶっちゃけいくら進学校だったって入学時にそんな進路に関わる無茶苦茶な選択させるんじゃねえよとか、分割履修やめろ転入のとき面倒なんだよとかそんな気持ちです。
かなり昔の話になるが、僕が出た首都圏の某私立高校はやばかった。
高校受験の偏差値一覧表を見ると60は一応超えて進学校に見える。
だけど実態はひどかった。
具体的に言うと異常な行動をする生徒がちらほらと居たからだ。
まあ、今からかなり前なので多少の改善はしているかもしれない?が
何が異常かと言うと、風俗狂い、校外で当時合法だった脱法ドラッグで乱行パーティーしてる輩、学校内での盗難の多さ。
もちろんそれはほぼ全員でなく一部生徒がそのような逸脱した行為を行なっているから目立つのであるが。
授業に関しても超底辺、中下位クラスでもほとんど成立してない。
動物園だ。
ちなみになぜそこまで酷かったのか答えは簡単だ、スポーツ推薦や中学版指定校推薦、事実上の一科目入試、書類だけで入れる推薦入試などの入試を経て入る人の比率が圧倒的に多く、
一般的な入学試験を受けて入るが全体の20パーセント未満であったからだ。
あと特質すべき点は、スポーツ推薦で入る面子が尋常でなくレベルが低いことだ。
一般的にスポーツ推薦で入る人はマナーがいいだとか挨拶をしっかりとするとかっていうイメージがあると思うが、そんな聖人君子みたいなのはいなかった。
そんな生徒は監督や一部の教師の前では借りてきた猫のような態度を示し、そうでないときは尋常でなく横柄な態度をとる生徒が多かったし、授業は全部寝ていた(威厳のある先生の前でも堂々と寝ていたので、授業は寝ることを指示していたのかと思うくらい)、それにテストではカンニングは横行していた。
また学年によってはそう言った生徒によるおごりの強要や恐喝じみた行為も蔓延していたらしい。
しかもあれだけ豪華な施設を持っているのに関わらず、野球などは大会に出るとほぼ必ず地方予選の二回戦三回戦で負けて、弱小校としか言えない悲惨な状況であったそうだ。
ではどうしてスポーツ推薦で入った生徒のレベルが低いのか、理由は二つある。
まず、首都圏には早慶、マーチ、日東駒専などまともな大学の付属の学校がたくさんあり、
本当にスポーツができる、または、スポーツはまあまあだが勉強ができる生徒は大抵、まともな大学に進める高校に行くからである。
2つ目の理由は学校の施設が余分に豪華で、一日の維持費が200万かかる(噂)の施設やサッカーコート、野球場、ラグビー場、バスケットコート、柔道場、剣道場、水泳場とそれぞれ2つずつあったり。
さらにトレーニングセンター、野球の室内練習場、さらには豪華博物館もどきの施設、図書館が6つ、さらには語学研修センター的なもの(一般生徒は使えない)などありそこら辺の大学よりも豪華なので(一応大学も同じ敷地にあるがそれらの施設はほとんど大学生が使えないらしい)維持費は相当かかる。
だから生徒のレベルが低かろうと大量の生徒を受け入れないと維持できないという理由からだ。
また国や地方自治体からの補助金は生徒の人数に応じて額が決まると言うのも要因であるからであろう。
以上の理由で質の悪い生徒を相当受け入れざるを得ない状況にあるのだ。
そのほかにも、僕の経験した中でインパクトに残っていたことをいくつかあげると、不良の生徒10名前後が学校を終えたら騒音撒き散らしベンツやBMWに乗って暴走行為を始めたり、改造バイクに乗って騒音を発するなどの行為をしていたことだ。
だが、授業中はほぼ100%寝ていたのでほとんど無害であることが救いであった。
ちなみにその生徒は皆町田の中学から推薦で上がってきたそうだ。
あとは薬物乱行パーティーの件だがこれもやはり町田の中学から推薦できたやつが中学の時の女やその仲間を連れて、サッカー部のスタメン落ちやよく分からない運動部の生徒と一緒に
脱法ドラッグ使用し乱行騒動を行なっていたという公然の秘密があった。
しかも高校生なのにも関わらず、風俗パチンコ狂いもかなりいたし、女子生徒は金髪が当たり前(校則では禁止されていたが)で結婚している生徒もうじゃうじゃいた。
で、進学校を自称しているのにも関わらず、普通科で大学に行く連中は大抵は推薦でニッコマレベルの大学、一般入試組は大東亜帝国、実力でマーチに行けば内部で頭がとてもいいと大絶賛される、それに専門学校への進学者もそこそこ居た。(一時期話題になった典型的な自称進学校?)
ちなみに早慶へ行く人たちは大抵が帰国子女だったりでAO入試での合格者だそうだ。
10年以上前の情報も含まれているので、現在とは異なっている可能性もあります。
この記事について、「昔のことだから今は違う、今の体育は楽」という意見があるようです。
最初に記事を書いてから5年ほど経っているので、多少は状況が変わっているかもしれませんが、
大きくは変わっていないと推測できます。
理由は、韮山高校の体育科の教員は20年以上異動しないのが慣例になっているからです。
ほとんどの教員が40歳前後で韮山高校に赴任し、そのまま定年退職まで勤務を続けるというパターンです。
教員達が10年前と変わらない顔ぶれなのに「昔とは違う」と言えるでしょうか?
●服装
・女子は股下10cm丈の黒いショートパンツ(ホットパンツ?)。体育座りをすると下着やナプキンが見えてしまう。
・太っている生徒は露出した腿がこすれて股ずれを起こしてしまい、赤く腫れあがることがあるが、特に配慮されない。クロカンでは身体的にも精神的にも激しい苦痛を伴う(後述)
・ジャージの着用は禁止。そもそも学校指定のジャージはない。冬期に寒冷じんましんが出る生徒がいるが、特に配慮されない。
・準備体操まではジャージを着用していても良い。その際のジャージは部活のジャージでも私物でもなんでもいい。
以下、補講が科せられる授業について記します。
●水泳
・ひたすら泳がされた。
・泳ぎ方は教えてくれなかった。平泳ぎは手足の動かし方が分からなくてできなかった。
・泳ぎ方を教えてほしいと教員に頼むと「他のやつを見て自分で学べ」と言われる。
・授業を欠席・見学すると放課後に補講があり、500m泳がされた。
・補講では足をついていいのはプールの端だけというルールがあった。つまり50mは足をつかずに泳がなくてはならない。
・足をつくと50m無効になった。
・まったく泳げない生徒は10m泳いでは足をつき、プールの端まで戻り、また10m泳いでは足をつき・・・を2時間繰り返し、教員から「もうお前帰っていいよ」といわれるのを待たなければならなかった。
●新体力テスト
・韮山高校は新体力テストが男女とも県1位なのを誇っており、新体力テストで記録を伸ばすためにさまざまな工夫(と不正)を行っていた。
・まず全種目のテストを行い、2ヶ月間授業と補講でトレーニングを重ねて記録を伸ばしていく方式。
・最初のテストで目標値に達しなかった種目があると補講票が渡された。
・補講票はA7くらいの紙片で、種目名と氏名欄、補講日とその日の記録を書く欄があった。
・各種目、少なくとも週1日は補講日が設定されていた。
・シャトルランなど補講対象者が多い種目は週3日などもあった。
・補講は放課後に行われた。反復横跳びなら反復横跳びを行い、記録を補講票に書いて体育課に提出した。
・記録が目標値に達していれば補講票は返却されない。もうその種目の補講に出る必要はないということ。
・記録が目標値に達していないと「再」のハンコが押されて翌日朝にHRで返却された。
・目標値に達するまでは、何回でも補講に出席し続ける必要があった。
・体育の授業での記録を補講票に書いても良いことになっていた。
・体育が苦手な生徒は複数種目で目標値未満なことが多いので、毎日補講に出る必要があった。
・補講が長引いたり、毎日のように補講に出ていると部活動への参加が遅くなってしまった。
・補講は部活動に優先したが、補講のせいで部活動に遅れると顧問から叱責された。
・シャトルランの補講に週3回出ていると疲労が溜まって記録がどんどん悪くなった。
・補講対象者が減ってくると一日で全種目を行うこともあった。疲れるし、部活に出られなくなった。
・結局、補講を終わらせるために生徒は実際の記録より高い記録を補講票に書くようになった。
・そもそもこの補講システム、生徒が自発的に記録を改ざんするのを狙っていたようだ。
・補講システムが功を奏し、韮高は十年以上連続で新体力テスト県内1位を達成している。チーム韮山の成果である。
●クロカン
・授業時間内に走りきれない人は前の授業を途中で抜けて、先に準備してスタートするよう指示があった
・全授業で、絶対に指定された距離を走らなければならない。脱落は罪。
・途中で過呼吸を起こすなどしてリタイアした人や授業時間に間に合わなかった人は教員に車で回収されるが、その際必ず罵倒された
「気持ちが足りない」「気持ちが弱い」「気持ちが表に出ている」など抽象的に罵倒された
・ぜんそくやチアノーゼを起こしている人も罵倒されていたし殴られていた。
・太っていたり脚が太い生徒は股ずれが悪化し出血することがあった。
・股ずれの出血は、はた目には急に生理が始まったようにも見える。恥ずかしさのあまりか、顔を覆って泣きながら走っている生徒がいた。
・見学した人は後日の放課後に授業と同じ距離を走るノルマがあった。
・たとえば1週間風邪を引いて授業を3回休むと5km*3=15kmが課せられる。風邪が治り次第毎日走って少しずつ返済しなくてはならない。
・クロカン本番の順位は指定校推薦と密接な関係があると聞いたことがある。
●「韮高の体育は第二の入試」
・「韮高の体育は第二の入試」という言い回しがあった。主にお互いを励ますときに使ったりした。
・「韮高の体育は高校入試並みに辛く厳しい」の意だが、体育に耐えられなくて不登校になったり、中退したりしてしまう生徒がいるのは仕方がない、という意味もある。その生徒は「第二の入試」に不合格になった、ということ。
●影響
・文化部の女子生徒を中心に、市販薬の乱用が流行した。「ロキソニンを5錠飲んでから走るとお腹が痛くならない」などのテクニックが広まっていた。
・中退率は2%台後半から3%。一応進学校なのに全国平均を大きく上回っている。
●近年の動向
自分が生まれて育てられてきておいて何だが、今の日本社会は産むのも育てるのも生きるのもしんどいのに、わざわざ子を持つ理由がない。
つべこべ言わず産んでから考えて生活してる人が大半だと思うが、それで何が得られて何を犠牲にしているか考えても同じこと言うだろうか?
こういった時の反論の1つに、子供がかわいいとか育てて一人前というような「経験してみて初めて分かって、自分も成長する」のような宗教観に近い自己啓発論。
自分の息子・娘が何事もなく、己が思う真っ当な人生を送れるとでも思ってるのが甚だしい。
君たちは自分の息子・娘が性欲を満たすために暴走したり、メールを無視されたから殺してやったり、マットやコンクリートに沈めたり、誰でも良かったから殺してみたかったとか、金に困ればすぐ股開いてビデオ撮らせるとか、無関係だと思っているのか?
重犯罪でなくても、タバコの火で部室燃やしてしまい指定校推薦で入った高校なのに甲子園行けず無期停学になりましたとか、深夜のスーパーで騒いだネタが炎上してニートになるとか、ありえないと思っているのか?
そういうのは自分とは無縁だと信じて疑わない人に限ってN=1の再現性のない子育て論を大事に抱えてる。
またバカな子無しが適当なこと書いてると思う者もいるだろうが、それが子ありの人なら、明日ご子息・ご令嬢が犯罪なり揉めごとを起こして警察や学校から連絡がこない理由があるかね?
今どきは15歳まで医療費無料だったり子供手当など支給されたこともあったり、少子化で公立学校なら一人当りの単価が高い授業料を税金で負担してたり、昔より税金が使われているのに、自分の息子・娘が社会の不良債権にならずに税金や年金を納められるほど、(それぞれが思う)まともな教育を受けて仕事につけられるかね?
まともな教育・仕事につけたとして、自分の息子・娘だけはなぜ社会の不良債権にならずに真っ当な人生を歩めると思っているのか、その根拠が知りたい。
年金を納める話をしたが、子無しの分際で年金もらおうなんてクズだと意見もあるだろう。
そもそも子がいたって、あなたの子供は年金納められるだけの価値を生み出してる子供なんですか?って話だ。
例えば、年収たかだか300-400万だと納める税金年金より当人に使われる税金の方が多く、同等額の税金を納める人は人口の数%なのに、それでも子無しが社会に貢献していない論調は勘違いが過ぎる。
税金優遇を受けているのに社会に還元できませんて、そんな人に税金使うな。
私立のFラン大学であろうと、文科省から助成金受けて高等教育受けさせてるのニートのままにさせておくな。
あと、実質的な介護の話で、自分が老いたり介護が必要になったら家族な手助けが必要だというが、子ありの君たちは介護させるために子を持つのか?
子ありほど独身や子無し世帯をバカにしている風潮にしているが、こちら側からすれば、今の日本において子ありほど人をバカにした生き方はない。
小さい子供でも高校生でも自分の子供なら尚かわいいと思うだろうが、生活に子供はリスクでしかないし、他人の子供は迷惑な存在にしか過ぎない。
サークルの後輩に、ちょっと何かあるとすぐリスカしたくなって、リスカしたら片っ端から男に「もうだめしにたい」って電話かける子がいた
初めて彼女のメンヘラ癖が明らかになったのは、私の同期の友人男子にあてて「もうしにたい…」と電話がかかってきた時で、
びっくりした純朴な友人男子は、同じサークルにいた私の彼氏にあわてて電話をかけてきた。
ちょうど彼氏と一緒に居たので、私もいるよーと電話ごしに言ったら、ちょうどよかった二人とも来てくれ○○がしにたいといってると、あわてた様子だ。
私は、その時はまだ彼女がメンヘラだと全然気づかなかったので、わー大変行ってあげよう慰められることでもあれば、と思ってあわてたのだが
彼氏はあわてずに「それは行かない方が良いよ」と言う。昨日は俺のところにかけてきた。夜中に何言ってんだ無理と言ったら電話切られたけどまだ生きてる。アイツのフェイクだ、周りをあわてさせて快感を得ているだけだと。
えーなんじゃそれ…と思ったが、とはいえ、こちらも気が落ち着かないし本当に何かあったら困るということで、取りあえず何かあったらタクシーで駆けつけられる場所で飲んでよう、と友人と合流して渋谷の安居酒屋で飲むことに。
私彼氏は「もう一度、後輩からお前(友人男子)に電話がかかってきたら、ちゃんと何があってしにたいのか話を聞いて、納得したらお前が行けばいい」「たぶん、かかってこないと思うけど」と言う。
しばらくすると、今度は、私彼氏の携帯にメンヘラ後輩女子から電話がかかってきた。着信を見て、私たちは「…ああ。」と何となく状況を理解した。
彼氏が、私に携帯を渡してきたので、私は電話に出て「今××くんと友人くんと一緒にいるんだよ、大丈夫?心配してるよー今から行こうか?」と行ったら、しばらくの沈黙の後「…いいです。だいじょうぶです」と返事があった。
大丈夫だったならよかったねーなんてのんきに思いつつ、なんで彼氏は驚かなかったの?フェイクだって分かったの?と聞いたら、高校時代にメンヘラ女に付きまとわれた経験があるらしい。
その子も、夜中に「…しにたい。会いたい…」と電話をかけてきたらしいが、ある日プチっとキレて、付き合ってもないし興味もない女のために何故俺が夜中に安眠を妨げられるいわれがあるかと、
「いやごめん、眠いから無理。お前非常識」と電話を切ったら、以降は彼氏には電話がかかってこず、一か月ぐらい後に、クラスの別の男子の自宅で彼女がリスカして双方の親と学校を巻き込んで大騒ぎになったと。
「夜中に死にたいなんて言って人に迷惑かける奴の相手をまともにしたら、こっちが付け込まれるだけだぞ」と、友人男子と私は説教?をくらった。
死にたい、だけじゃなくて「俺はもうだめだ」とか「ちょっと消えます」とか、迷惑の程度に差こそあれ、こういうのは全部かまってちゃんなメンヘラだ。
付き合いたい奴は付き合えばいいが、その末路は、自分の部屋を血だらけにされて家族や先生に怒られて、大学の指定校推薦が取り消されて…なんてのがオチで。
当該のメンヘラ後輩は、半年後ぐらいに「あれ何だったの?」と聞いてみたら、ケロッとして「彼氏と喧嘩したから、どっちかとヤるのもアリかなと思って」言っていた。
それまでは、私と彼氏が付き合ってるのは後輩たちには内緒にしていたので「そうなんだ、うーんでも私、彼氏くんと付き合ってんだよね」って釘を刺しておいた。
メンヘラ後輩は「えーそうなんですか!いつから?えーそんな前から?だから電話しても冷たかったのかな」と、間違った解釈で納得しようとしていたので、
「ちがうよ、そうやって人を試すようなことをしていると、そのうち誰からも大切にされなくなっちゃうよ」と答えておいたが、ピンと来たかどうかは分からない。
高2の時の進路相談でウチの高校は98%の生徒が大学へ進学する(96%がAO入試や指定校推薦)なため就職するという選択肢はなく、自然と進学することを選んだのですが、受験を意識したのは高3の8月でした
人気校は校内で評定平均の争いが激しくニッコマレベルの大学でも評定4.6ないと推薦してもらえないような現象が起きており、元々評定3程度しかなかった私は一般受験で大学へ行くことをキメました
私は、高3の時に志望していた偏差値50台前半の大学に落ち、浪人させてくれるように親に頼みましたが親に浪人はクソだ絶対にさせないと言われ、田舎の偏差値40台後半の高校を卒業後、3月の後期入試で偏差値35(河合塾)の底辺私立文系に一般受験で合格し現役で進学しました
しかし、無理やり入学した大学だったので全く興味のない学問と2ちゃんでの叩かれっぷりと学内の暗くて無気力な雰囲気と推薦で入ってきた同じ高校の知り合いの馬鹿さ加減に嫌気がさし、大学再受験することを誓い6月から学校へ行かなくなりました
予備校へ話を聞きに言ったりもしましたが途中からはキツイなどと言われ8月までは参考書を使い独学で勉強をしていました、
9月に親がやっと納得したので大学をやめ、学年で唯一浪人している友達が通っている駿台へ話を聞きに行きました
そこで私は政治経済選択で私立を受けると言って、私立向けの政治経済の授業があると聞いたので入学したのですが入学した途端に「政治経済の授業はない」「私大の政治経済はセンターの政治経済で補える」などと言われ騙されたことに気が付きました
私は、駿台予備校を2日で退学しました。少しはお金を返して貰えたのですが7万円ほどは返って来ませんでした
そこで次に途中からでも自分のペースで進んでいける映像形式の塾へ説明を聞きに行き、次こそは間違いのないように説明を聞きそこへ入学しました
次回へ続く
仮にここでは、B君とする。
彼は、今までの出席とか評定平均を見て、指定校推薦を選んだのね。
この手法や指定校推薦の是非は置いとくとして、彼はとある大学への指定校推薦を教師に頼んだ。
受け持った教師は、評定平均の確認やその他諸々も終えて、オッケーサインを出したのね。
それで、彼は喜んでいたんだけれど、1ヶ月ほど経った後、自分に「勉強を教えてくれ」といきなり来たの。
「え、どしたんオマエ指定校推薦だったやん、なんで?」と聞くと、
「推薦がポシャってしまったから、一般入試を受けなきゃいけなくなった」
自分は一般入試組で推薦入試にも詳しくなかったから、大学側の基準が相当に厳しいものだったのかなあ
指定校推薦も舐めたもんじゃねえなあ、恐ろしいとか思ってたら、そういうことではなかった。
「評定平均の数値」を教師が間違えて算出してたの。
どんな計算かは知らないけど、とにかくミスっちゃって、わずかだけど実際よりも高く見積もってしまった。
その結果、志望してた大学の推薦基準には届かなくなってしまい、推薦も出せなくなった。
このミスが、指定校を決めた時点ですぐに判明してたら別に問題などなかったんだけど、
実際に判明したのは、ほとんどの大学の指定校推薦の出願時期が終わった時期だったんよ。
彼には他にも2、3個大学の候補があって、第一希望がダメだと分かれば当然志望校は変えたんだろうけど、
第二希望以下の大学の出願時期も終わってて、つまるところ指定校推薦が不可能になってしまった。
教師からは「悪いことをしたが、一般で頑張ってくれ」との旨を伝えられて途方に暮れていた。
最初に聞いた時には、あぜんとした。口ぽっかり。
勉強を教える云々の前に、そんなことがあって何で問題にならないんだ???と頭の中はハテナマークで混乱状態。
本人もすごく怒っていたけれど、まあそんなこと言ってても仕方ないねと、一緒に勉強し始めたんね。
あんまりこっちから何かできたとは思わないけど、彼はすごくバイタリティのある人で頑張って勉強してた。
それで、B君は一応のレベルの大学に進学できたんだけど、当初望んでいた大学とは就職率その他諸々に歴然たる差があった。
終わったことだからと、かれはおくびにも出さずにその大学に通って卒業して就職した。
その大学が決して悪いわけじゃなくてね、一応だけど。
それで、先日久しぶりに「会おう!」ってなって、居酒屋で飲んでるとその話題が出たのよ。
やっぱあの指定校推薦のゴタゴタひどかったよなあっていう気持ちもあって、心の片隅で残っているようだった。
彼は、その話題以外は終始笑顔だしそのことに強く憤る様子は見せなかったけど、
話題に出した時には少し苦笑いになって、引っかかってる様子ではあった。
そんで、広島の万引き誤認の推薦取り消し問題を見たときに、この事を思い出したんね。
なんであんな大事が当時は、問題にならなかったんだろうと考えると、語弊があるかもしれないけれど自殺までしないと問題にならないのかって思った。
とうぜん、広島のあの子には何の罪もない。全面的に教師や学校が悪くて、本当にあの子は何も悪くない。
だけど、じゃあB君のような、
「死ぬまでに至らなかったが、人生を大きく決める教師のミス」に対して、どうやって対処したらいいんだって思うようになってしまった。
(市教委はその地方にもよると思うけど、先生方の保護を優先するし。経験がある人は分かると思う)
B君は、自分の命を断ってはいないまでも泣き寝入りしてるわけで、それっておかしくねえかと。
自殺した子はとうぜん可哀想だけど、自殺しないと問題にすらされねえのはどうなの?っていう風に思った。
どこに問い合わせたら、きちんと問題として扱ってくれるんだろうと。
http://anond.hatelabo.jp/20150305021937
に触発されてひとつ僕の話と考えを。
僕はいま21歳だ。
同じ時期に入った友達は4月からは4年生だが、僕は事情があり休学していたので4月に復学し3年生になる。
少し長くなると思いますが僕の過去の話を。(結構個人的な話で大した面白い話も無いのでとても暇な人だけ読んでもらえればと。)
僕は家からすぐ近くの市立中学をヤンチャな人達とも適度に仲良くしながら、僕自身は道を大きく外すことなく適当に勉強したり部活したり恋愛したりして卒業した。
高校受験は奇跡的な倍率1.5倍のおかげで面接試験のみで市内有数の校則の緩さでありながら、偏差値やランクは中の上ぐらいの校舎がクソボロい第一志望の県立高校に合格した。
高校時代は部活には所属せずに夜は居酒屋でのアルバイトをしながら、髪の脱色をしたりピアスを開けたりして校則の緩さを楽しみながら、授業はほとんど寝ているかサボっていたので、テスト前には赤点を取らないように適当に勉強し、友達と馬鹿なことをしたり、人並みに恋愛をしたりして過ごした。
同級生の中には2年生のうちから予備校に通い、大学受験に備えていた人ももちろんいたが、僕が高校卒業後のことをしっかりと考え始めたのは高校二学年を修了してからだった。
僕はそれまでデザイン系の専門学校か美容師学校にでも行こうか、それか簡単に入れそうな適当な大学に行ってみるか等とボンヤリと考えていたのだが、高3になって間もない頃に僕の二歳上の女子大に通っていた姉と話していて、その時姉の言った「良い大学に行けば行く程遊べるよ。」の一言で〝良い大学〟を目指す事に決めた。
それまでの高校生活のせいで成績が芳しくなかった+モロに文系タイプの僕には指定校推薦などは無理だと判明し、親に頼み予備校に通わせてもらった。
夏終わりの予備校の自習室、肌は日焼けで真っ黒になり鼻の頭の皮が剥けているのは僕ぐらいだった。
予備校の模試の成績ランキングにも入るようになってくると「なんだ。受験なんて大げさに戦争だなんだ言っといて余裕っぽいな。」ぐらいな感じに思っていた。
後から聞いた話だが予備校内では僕は一部から相当嫌われていたそうだ。(僕はそんなにメンタルが強くないので当時それを知らなくて良かったと思う。)
いまでも忘れられない僕にとっては気持ちのいいエピソードがある。
高校三年の受験直前の冬、僕は廊下に貼られた学部のジャンルごとに分かれた偏差値ランキング表のようなもの(説明しづらいです。すいません。)の前に立ちボーっと眺めていた。
そうしているとたまたま通りかかった二年生の時の担任(まぁまぁウザくて嫌な奴)が僕の横に止まり、「おぉ◯◯。お前も大学行くのか。どこ目指してるんだ。」と聞かれ、僕は第一志望であった現在在籍している大学の学部を指差して「ここ。」と言うとそのまぁまぁウザくて嫌な奴の教師は「お前にそんなとこ無理に決まっているだろー。」と言って笑いながら去っていった。
まぁそんなこんなで僕は第一志望の都心にある大学の一番独特な何やっているか分かりづらい学部に合格し、高校も無事に卒業し現役で大学に入った。
いわゆるザ・大学生との温度差を感じサークルにも所属しなかったのだが幸いにも数は多くないが誇りに思えるような気の合う捻くれ者の良い仲間はできた。
そんな仲間達とサークルに入っているキャピキャピしている大学生を小馬鹿にしながら、時には僕たちも馬鹿な事をやっていたらあっという間に時が過ぎてしまった。
僕はこれまで〝自由〟だとか〝遊ぶ〟だとか〝楽しそう〟ってだけで進路を選んできた。
語れるような将来の夢っぽい夢というものは小学校低学年の時以来持ち合わせていない。
いま振り返れば大きな挫折なく「なんとなく」で大抵のことはなんとでもなってきた。
周りの人間にも「やれば出来る」や「◯◯君って何でも出来るよね。」などとずっと言われてきた。
これは全く自慢したくて記事にしている事ではない。
『自分を良く見せることを恥ずかしいと思ってしまうし、夢を語ることもできない。』(
適当に生きられなくてしんどい http://anond.hatelabo.jp/20150305021937)
この点は僕も全く同じだと思った。
何を仕事にしても嫌になりそうな気もするし、第一これで飯を食って行きたいと思えるものが無い。
お金持ちになりたいかと聞かれれば答えはNOでは無いが、本当にやりたくない僕がダサいと思う事はいくら仕事といえど僕はやりたくない。
っていうかそんな事をやらされる仕事には就きたくない。
就活をしないという選択を取ったとして何をすればいいのかも分からない。
『フリーターや一般職になることだってプライドが許さない、そんな自分がもうどうしようもなくて、なかなかしんどい。』(適当に生きられなくてしんどい http://anond.hatelabo.jp/20150305021937)
その通り。とても分かる。
世の中の就活生はどんなことを考えて就活というものをしているのだろう。
高校のとき付き合っていた、指定校推薦で中の中ぐらいの大学に行きサークルでキャピキャピしてたっぽい僕の苦手なザ大学生みたいなアイツは今何を考えて就活しているのだろう。
僕は冒頭にも書いた通り休学している為、復学しても3年生だ。
同じ年に大学に入った友達は次から4年生ということもあり、話したりしていても全てが悲観的なものばかりではないが、将来や就活の話がどうしても多くなる。
だが僕の仲のいい友達の中には学校に通わずモデルとして仕事をして充分生活できている奴や、学生をやりながらモデルとして仕事を取れている奴や、俳優事務所に所属している奴、他にも大学院に行く事を決めた奴や留学していたため卒業が遅い奴や卒業後留学に行く事が決まっている奴など、〝大学4年で卒業→スグ就職〟というレールから外れた友達が多い。
なのでなんとなく僕の感覚も一般的な大学生の感覚に比べて麻痺してしまっているのかも知れない。
まぁそんなものどうでもいいのだけれど。
まぁとにかく言いたいのは不安だねってこと。
僕は文章を描くのが元々とても苦手な人間なのでこの記事もとても読みづらい記事になっていると思う。
それに同じ理由で僕の就活だとかに対する考えの全てをこの記事に出し切れているとも思わない。
なにしろもう相当眠いのでそろそろ適当に終わらせて眠りに就きたい。
買ってすらいないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20131012170647
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
退学しましたが、文転して、別の大学で文系の学問を初歩からやっています。
今は精神面から身体もバランスを崩してしまい、休学中ですけれど、奨学金は仕方がないので親がその親(祖母)が無くなった時に受け取った遺産から一括で返済してくれました。
ずっと、心に整理がつきませんでした。
最近になって、やっと給食に携わる仕事に就けないという現実を受け入れられるようになり、また筆をとりました。
そして、こんな記事を見ました。
http://orcinusorca.hatenablog.com/entry/2013/10/13/214117
高校から推薦で大学を受けられるくらい欠席日数が少なかった時点で、もう寛解でした。
大学でも、100単位以上履修している時点で、もう健常者と同程度の学力や作業能力があると、自分で過信していました。
臨床栄養学などの座学での成績もよく、講義を行う教員からも「石田については国家試験のことは一切心配していない」などといわれ、喜んでいました。
給食経営管理実習という大学内の給食室の機能を持つ教室で行う授業がありました。
それに関しても、予算内の金額で、予定時間内に調理を終える上に、美味しくて季節感のある献立作成、実際の調理の実務を担当するときの連携、週替わりで巡ってくるパートごとのリーダーを担当した時のアクシデントへの対処など、実務については問題なくできると学内実習の担当教員も言ってくれました。
別の必修授業でのことですが、経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)をする実験の授業もありました。
前日の夕食後から何も食べずに1時間目の授業にきて、ぶどう糖溶液を急いで飲み、30分ごとに自分で指先に針を刺して血糖をはかりました。
その実験のときに、私が一日三食毎食後の服薬を医師から指示されているが、朝の薬が食後に飲めないと直訴したら、ほかにも朝食後の服薬が指示されている学生がいました。
パキシルを飲んでいた方の学生は、学外実習に参加していました。
退学することを決めたあとも、ショックで、何にも集中できなくなり、今ではなぜ栄養学を勉強するためには自分でできていたこともできなくなり、不思議なくらいに病気は悪化しました。
幻聴は無いので、再発ではなく、うつ病の発症だと思いましたが、医師の診断名は統合失調症のままで、抗うつ薬が増えたり減ったりしています。
パキシルという薬は、うつ病に代表される不安や神経の過敏なときに用いる攻撃的な衝動との因果関係のある薬です。
その生徒は、授業も時々欠席する方でした。
それを服薬する学生が実習を受けれて、統合失調症が寛解で薬の副作用はあるものの、病気の症状がない私が受けれないのには、憤りを感じたものです。
退学してから、すっかり引きこもりになり、これからはリハビリしながら、長い目で社会復帰を目指します。
高校も、栄養学科時代も、週に5日(高校は土曜含め6日)学校に行けていたのに、今では自宅のゴミ出しだけでも、辛くて、心因性の別の病気でも発症したのではないかと思うほどです。
大学に入学してから私は今まで自分がいた環境のおかしさに気付いた。
私の出身高校はガツガツ勉強したのにインフルエンザであえなく落ちまくって滑り止めで入った私はとてもイレギュラーな存在で、生徒のほとんどが親の中学生の一番楽しい時期に受験なんて可哀想ざます!で中学受験をした割と裕福な家庭の(学力はお察しな)子供が多かった。
そんな環境であるが故か、友達もその友達も大体が一部上場企業の息子を始めとする中小企業の社長の子供、世界的〇〇の子供、神社仏閣の跡取りやマスコミのお偉いさんの〜〜などというラインナップであった。
リーマン家庭の我が家は当然下流の存在であったものの、よくある漫画のような貧乏人差別などは全く無かった、というより友人が六○木ヒルズに住んでいるような環境が標準状態で生きて来たお嬢様お坊ちゃんの意識のなかに自分達が恵まれていることなど全く存在しないのである。
私は都内から通える首都圏の大学に進学したのだが、これが私の転機だった。
まず驚いたのが公務員の子供の数だ。私は今まで地方公務員に縁遠い生活を送って来たのだが、大学に入ると突然の公務員率に見舞われた。
更に彼らの多くは進路に公務員を入れていた事にも驚かされた。
今までの友人の口から公務員という言葉を聞いたことはなく、そもそも進路に関して真面目に考えている人間の方が少なかった。
家という後ろ盾があるからとほとんどが指定校推薦でやりたいことを大学にしに行くというのが高校のスタンダードで、高卒で働く選択肢なんてものは考えたことすらなかった。
しかし大学の友人達の友人は同じ年で既に自分の将来を見据え、様々な理由から勉学よりも仕事を選ぶ子がいるという事実に少し恥ずかしくなった。
冷静に考えると、アホ高校から全員わざわざ大学行って人生の夏休みを体験する必要が本当にあるのだろうか。いや、ない。
また、アルバイトに関しても私の中でアルバイトは大学生がやるものだと勝手に認識して何も気にせずお小遣いをせしめていたがそれもまた違った。奨学金も成績上位者のご褒美ではなかったのだ。
1年に何週間か海外に行くのは普通ではないし、我が家の国内旅行年3回も少なくない。お母さん達が働くのは暇潰しじゃない。都内の真ん中に持ち家があることは貴重なことなのだ。
我が家は下流ではなくあくまで中流であることもここでようやく気付く。
高校の友人たちを世間知らずと馬鹿にしていた私も同じ位世間知らずだったことを知った。
私と同じ様に、高校の友人は同じ反省をしている子がかなりいる。共通の困りごとは高校の調子で口走ると嫌みに聞こえてしまいそうなことがあること。
こんな事匿名でも無い限り言えない悩みではあるが結構本気で悩んでたりする。
問い合わせは、こちらに。
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
本来は、実習先には受け入れ義務はありません。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
こんばんは、前回統合失調症で夢をあきらめたと書いた石田サナです。
ブックマークコメント、ツイッターなどの、皆様の反響を、一つ一つ読ませていただきました。
ずっと栄養士を、目指して十年以上、そのことだけを心に思い描いて、生きてきました。
しかし、生きている中で、統合失調症や、躁うつ、てんかんなど、とても多くの病気が誤解されていることを知りました。
私ひとりには、何もできませんが、もしこのはてな匿名ダイアリーをみて、何か私に協力しようと思ってくれたなら、その誤解を解くお手伝いをしてください。
私は、もう、栄養士をあきらめ、就職活動し、働いて奨学金を返します。
4年間、片道2時間の通学を実家からして、卒業要件単位のほとんどを取れた私には、きっと働くこともできます。
そして、世界は、美しいです。
ほかの生き物、動物や植物を食べられ、生きていけることにも、感謝します。
生きていたら、確かに辛いことも苦しいこともあります。
しかし、生きてさえいれば、それ以上の幸せなことが、必ずあります。
どうか、自殺も、自傷もせず、自分の体を大切にして、生きて下さい。
努力が必ず報われるわけではありませんけれど、何も身につかないってことは、絶対にありません。
高校は、面倒みのいい私立で、全日制普通科に行きました。トータルで四年通って卒業しました。
@kihara_hfpdd 本人です。入試に面接はありませんでした。入学してすぐ、新入生全員で主要4科目の筆記試験をしたら、学年でトップ20人以内でした。つまりは、学力が十分あったから、入学はできました。
@kihara_hfpdd きはらさんから、なにか質問があれば、このアカウントにツイートいただければ、答えます。石田
@kihara_hfpdd 実習が、必修科目なんです。しかし、病気を隠して頼むことはできません。そして、病気を告げると、断られるそうです。
@kihara_hfpdd 留年です。来年度受けれる場所を必ず探してくるといわれました。その間在学するように。 (注意大学の対応についてどうか?という返答)
もう、ほとんど卒業要件単位取っちゃったから、留年しても、受ける授業ないんだよね。
@kihara_hfpdd しかし、私は、退学するつもりです。四年超えたら、奨学金がでなくなったり、返済を求められるでしょうから。
@kihara_hfpdd でも兄弟がいるんですよね。妹か弟かは、ここでは伏せますが、そっちの学費もかかるので、早く働いて楽させてあげたいんです。
@kihara_hfpdd 私は、高校生のとき、とても成績が良かったので、奨学金が通りましたが、下の子は、めちゃくちゃ成績悪くて、まず奨学金を断られる成績です。でも、姉としては、望むなら進学させてあげたいんです。
@kihara_hfpdd バイトで、年間100万円以上稼げるでしょうか。留年すると、結構な学費を、納入します。下の子も、進学ですし、下の子は奨学金制度使えそうにはないし。
@kihara_hfpdd とりあえずは、まだ大学に四年生として在学していて、まだ退学願いは出していません。もう少し学校と相談して、みると、いいかもしれませんね。
@kihara_hfpdd 仕事に就くこと自体は、できそうな健康状態なんです。ちゃんと通院して、服薬すれば、なんとかなりそうです。
@nohohondo 大学が悪いとは、あまり思っていないですね。私が統合失調症なのに、学力入試に受かったからと、面接してない大学入ったのが悪いんですよ。
@nohohondo でも、入試は、学力で一定以上勉強ができれば、入学させてしまうではないですか。私も、大学入ったら、学年でトップ20人以内でしたから。管理栄養士として、不適格でも、勉強できれば、合格なので。
以上、コピペです。
実話です。
学力があったため、管理栄養士養成施設の大学に合格して入学してしまいました。
統合失調症だったのに。
だれか、これをもとに、二次創作をしてください。
原案、石田サナ、とクレジットを入れれば、自由に使ってくれてかまいません。
妹か弟を主人公として、「統合失調症の姉」という話でもかまいません。
まだ、大学4年生です。
ただ、3年のときも、実習先は来年度と、先生に言われ、信じていたら、4年になっても、いけませんでした。
そのため、管理栄養士の夢をあきらめるつもりです。
ここまで、読んでいただき、ありがとうございます。
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
本来は、実習先には受け入れ義務はありません。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
担任へ親の意見を伝えると「君の成績なら推薦も可能」ということなので推薦をしてもらうことにした。
実は悪い同級生と付き合いを持たなくなったので生徒会や運動部、そして勉強でそこそこの力を得ており、推薦は難しいけど地元では一番の進学校へ余裕で受かる成績だったのだ。
この頭悪い文章をきちんと書きなおしてください。まずはそれからです。
上からは悪い同級生と付き合いを持たなくなったとかなんだとか内申も相当良いと言う類のことが書いてあるが?意味不明だわ、ってのが元々の話なんですが?
おーい、そんなキモイやつが反論すんなよ。
高校でも大学でも、「入試めんどいから推薦欲しいっす」「馬鹿言うな、お前はもっと上の学校行ける。試験で上ねらえ」
ってのが当たり前。かくいう俺も、高校進学時は高専推薦で行きたいっすって言ったら進学校に行けるんだからいけと言われ、
大学で指定校推薦欲しいっす、って言ったら、もったいないからちゃんと受験しろ、と言われた。
しらねーよ。7年で手取り35まで上がるんだろ?そのこと考えたらそれくらいからじゃなきゃおかしーだろうがってんで書いただけだろうが。
だから、35ってのがおかしいだろ、って最初から言ってんだろうが。
あと、手取りだけで言うなら新卒30とか35とかってのもあったが?船乗りならあるんだってさ。よく知らんけど。お前のがご存知じゃないのかね?
それらはこのバカそうな技術学校出じゃさすがにないだろうからそんなもんか?って言ったんだが?
お前は何いってんの?
もう後のことに付いても書こうと思ったけど面倒すぎてやめとく。おまえが元増田なのか、
地方と都会とか、低学歴と高学歴とかいう括りもあるけど、それぞれ一様じゃないんだよなぁという感想を持った。
元増田の人は私と同世代のようであるが、大卒以上/高卒以下でそれを括っていたけど、私の同級生とか見ると
大学出るのは2割くらいかな。元増田の学校よりも進学者そのものは多かったと思う。
中学100人のクラスで20人位は大学か高専など大学に準ずるレベルの高等教育は受けてたと思う。
だけど、その20人のうち、首都圏に行くのは2~3人、地方の国公立に進学は5人くらい。
残りはいわゆる地元の名前書けば入れそうな大学に入る人だったな。そういう人はいわゆるここで言う「低学歴」の人と思考はそんなに変わらんように映った。
だから大卒か高卒かで区別することの妥当性は俺は無いんじゃないかなぁと思う。
地方だと、いわゆる早慶や、その下のマーチとか言われるような大都市圏の有名私大に行くためには、学力だけじゃなく
両親の経済力というハードルもクリアしなきゃないというのが問題で、もちろんバイトなどを頑張って自力で行くという選択肢はあるだろうけど
それやっちゃうと学業がやっぱり中途半端になってしまうし、本末転倒になりそうではある。
学費以外の生活コストを考えると、国公立だろうが私立だろうが東京や関西の大学に行けるだけで、地方にとってはすごい事だと思うわ。
自分も両親からは私大だろうが国公立だろうが都会はダメという約束で、高校は地域の進学校に進学した。
親父は大学行きたかったが行けなかったらしく、経済的には余裕はなかったが、それでも私にはそれなりの大学に入って欲しいと思ってたらしい。
成績はそれなりをキープしてたので、3年時に担任から某関西と東京の有名私大(今大河ドラマになってるとこと、マーチのRなところ)の指定校推薦に行かないかと誘われた。
早慶やマーチなどこういう有名私大の指定校推薦が全て揃っていたが、埋まるのは半分くらい。
早稲田政経は流石に人気だが、年によっては慶應も指定校推薦応募者がいなくて、
教師が慌てて成績優秀者に声をかける(0だと取り消されかねない)が、経済的事情からなかなか行く奴は現れない
という現状があったりする。
かくいう私も担任からも親に色々説得してもらったが、結局うちの経済力ではかなわず。
んでも、田舎の国公立って、入試難易度の割りには元増田が書いてるような意識の高い感じの人ってあんまり多くないと思う。
東京のもっと入るのが簡単な大学のほうがそういう人が多いように自分には映った。
「壁を超える」には、学歴とか頭の良さじゃなく、多様な人材が集まる場所で学業や仕事をする機会が必要なんだろうと思う。
そして、都会で何不自由ない良い家庭環境に育つと、意識せずともそうじゃない人と交わる機会が減る。
日本にはいろんな階層があるということを知らなければならないのは、アイスのショーケースに入ってるような奴もそうだが、
11 :卵の名無しさん:04/01/26 10:55 ID:QxfYqAlS
そんで、つつましくしてるとケチだと思われるし。
12 :卵の名無しさん:04/01/26 11:32 ID:rkVwCccw
風呂もろくに入らなかったらしい。
15 :卵の名無しさん:04/01/26 11:44 ID:cmxYjD42
親父が3代目
兄と弟は進学校
落ちたらプロボクサーになろうと考えていたが
親族が家に来るたびに
「将来はお医者さんかなー?」
マジでぶち殺そうかと思ってた
19 :1 ◆fSAb5cRqRI :04/01/26 15:37 ID:nKt4UP2E
>>15
超わかる超わかる
私は父は二代目。私は進学校へ。しかし挫折、中退。下の子が今進学校でトップ。
それまでは親戚とか知人とかさ『将来はお医者様かな?』とか言ってたけど、進学校に行っても父を見てたら医者になりたいと思った事は一度もない。
んで中退したら親戚ん家行く事なくなった。近所の目とかあるし私は臭い物に蓋状態。それまで順調な道を歩んでた私が崩れる様を明らかに喜んでる近所のばばぁとかいたし、いるし。
てかやっぱり同じ事考えてた人いたんだなぁ。
いつまでも金持ちと思われるのも確かにアレだよね。小泉内閣から行政変わって医者も前より稼げてないんだよー!!
確かに得なのは風邪ひいてもただで治療して貰えるからね。怪我でも。
父は尊敬してますが、早死にしそうで心配。祖父が医者で早死にしたから。
………メンヘラーも多いのかな…
73 :おいは精神科医でごわす(^^;笑):04/01/28 12:32 ID:Zi1EEEHH
なんか身内に医者がたくさんいたから、高校卒業時何気なく医学部を受けました。
他の道はあまり考えなかったね。でも今は少し後悔してるわ。
卒業の時には、身内のものが誰もやっていなかった今の科に入りました。
医者の子はそれなりに苦労しているとおもうよ。医学部に行かなかったら、周囲か
らなぜ?と言う形でみられるし。いったらいったで、親族の知り合いの医者からは
◎◎の息子さんという形でみられるから、そのプレッシャーはきついよ。
89 :卵の名無しさん:04/02/01 03:49 ID:tU1HHKfK
父と母が医者。小学校からずっと公立に通ったけど楽しくやってた。
最近、中学時代仲良かった子に、当てつけのように嫌味を言われてしまって
後になってから、その子が医者の家にすごく憧れてたとわかった。
だから自分と仲良くしてた面もあったんだと気づいて尚更ショック受けた。
思い返してみて、自分と同じような状況の友達って一人もいなかった。
なんかそれに気づいた時さみしかったー。人付き合い嫌になっちゃった。
137 :卵の名無しさん:04/02/04 00:27 ID:aAw30SZE
実家は開業医だが、いたって質素だし、普通に厳しくしつけられた。
父も母も地味で普通、でも
だから、人のねたみを買わないように振る舞う癖がもう身についている。
医者の奥さんでこれ見よがしに威張って気取る人を身近にみて、
カルチャーショックだった。本人は玉の輿気分みたいだけど。。。
みっともない、、、
150 :卵の名無しさん:04/02/04 13:15 ID:7T6tQXj3
父・母ともに医者で、指定校推薦で医学部に進学する事を薦められていた。
「これからは医者も厳しい時代だし、女の子なのだから尚更向かない」という
理由?で止めるように言われた。私大に進学したけど
自分のやりたい事がさっぱり見えない。それ以来鬱ぽくなってしまった。
一人だけ「自由に生きていいよ」といわれると、見捨てられた気分だったな。
273 :卵の名無しさん:04/02/10 15:37 ID:XafxB9uo
医者の子ってだけで、親戚や近所は口を揃えて「将来はお医者さん
だよねー」と子供だった俺に言ってきた。
こともあった。
406 :卵の名無しさん:04/02/21 22:29 ID:RPtawQCp
開業医の長男に生まれ文系行くといったら村八分。脅迫されて一浪して今年旧設私立合格。私立なんて恥ずかしいと親が泣く。…もうどうでもいいや……
414 :卵の名無しさん:04/02/22 02:34 ID:w+jdgvEx
かなりのプライド持ってる。ほんとに苦労して憧れてなったんだと思う。
そのへん私立出身だったり、二代目以降の人だと余裕もあるのだろうな。
状況として>>406さんに近いかも。医者以外は仕事じゃない、くらいの勢い。
そうやって育てられちゃうと、いざ医者になれなかった時に辛いんだよね。
自分は女で逃げ道があったけど、男の人、それも長男だったりすると
肩の荷も重いだろうな。
この手のスレは絶対に変なやつが沸いてくる
小中学校と特に成績が良いという訳でもなく、かといって悪いでもなく、
目立つような人間では決してないけど、友達も普通にいて、部活もやり、ぐれることなく、
身の丈にあった高校を志望し、高校入学。
部活やって、バイトもして、成績は中の上くらいで、平穏な3年間を過ごし、指定校推薦で大学入学。
そこそこに勉強しつつ、サークル入って、バイトして、友達と遊んで、いよいよ就職活動。
特にやりたいこともなく、かといって就職しないのはまずいと思い、人並みに頑張り、内定もらう。
何かに本気で取り組んだことがなく、向上心も強くないので、いつもそこそこの所で満足する。
なんとなく生きてきたけどそれは学生だったからで、なんとなくやって仕事が務まるとは思えない。
大きな挫折もせずに今まで生きてきた自分が社会でやっていけるのか不安。
社会は厳しいだろうし、今までまわりに恵まれてきた分ツケがくるのではと思っている。怖い。モラリアム。
私はそれほど頭の良くない公立の中学校へ入学しました。成績はそれなりにできる方(といっても中の上)でしたが、家庭学習などはしたことがありませんでした。
しかし最高学年となって進路を考え始めた時、私は焦り始めました。高校に落ちたら親の顔を潰すことになる。そう思った私は、一心不乱に勉強し始めました。私の勉強は暗記作業で、深層の理解ではありませんでした。数学の例題も、国語の教科書本文も、全て丸暗記でした。なのにどうしてか、成績は見る見る上がり、2学期のテストでは学年首位になってしまいました。
いよいよ進路を決める時、周囲からは進学校を進められました。しかし近場の進学校が私服登校だったのが嫌で、私はレベルが低いと言われる制服校への進学を決めました。レベルが低いと言われようが、私は絶対に落ちたくなかったので、毎日死にもの狂いで勉強しました。結果からすれば、私は高校に合格しました。おまけに首席で。
そのため、周囲の人にはすぐに名前を覚えられました。増田さん、増田さんと話しかけられました。テスト近くになれば、増田さん、次のテストはどこ出そう?なんて聞かれることも多かったです。私は優越感に浸っていました。友達はみんな増田さん=頭が良いと思っていましたし、私もそうなんだと思っていました。
しかし学年が上がるにしたがって、私は暗記が出来なくなりました。テストの範囲が広くなったこと、やる気が起こらなくなったこと、友人や先生との間でストレスが増えたことなどが理由だと推測しますが、成績が落ち始めたのです。入学してからずっと首位をキープしてきた首位も、2年生の半ばになると2位、3位となってしまいました。
そうなってから、私は気づいたのです。私は頭が良いわけじゃないんだと。そう思った瞬間から、全てが嫌になりました。先生に「増田は頭が良いって聞いているから…」と生徒の前で言われたり、「増田さんって頭いいから~…」と友達から言われるたび、嫌な気分になりました。私ではない私の話をしている人が嫌いでした。2人1組で相手の長所を言い合う企画があって、私の相手が「増田さんは、頭がいい!あとは~…」と言葉を詰まらせた相手を見ているうちに、私に価値が無いことを思い知らされました。私は頭が良い訳でもないのに、頭が良いと言われる感覚が本当に嫌でした。それは運動音痴の人が走るの早いね!と言われるのと同じ感覚だと思います。
それでも、勉強しなければならない、周囲のイメージに合わせなければならないと何度も焦りました。私が頭が良くなければ、取り柄など無くなってしまうのではないかと不安な毎日を過ごしていました。でも一度緩めたねじを巻き返すのはとても難しく、次は頑張ろうと思っても、なかなか踏ん張れなくなってしまいました。次第にテストなどどうでもよくなり、それから私が首位に返り咲くことはありませんでした。
進路を考える季節になり、私は迷いました。本来ならば就職したかったのですが、この不況の中、良い求人が来るとは思えないので、就職は諦めました。公務員は試験が大量にあるので面倒だと思いました。となると大学か専門学校への進学ですが、専門学校は特定の分野の知識しか身に着かないので、もしその道が閉ざされたときに価値のない人間になることを恐れた私は、大学への進学を選びました。最初はFランと呼ばれるような大学に進学して悠々と過ごそうと思っていました。しかしそうなると、また高校の繰り返しになってしまうような気がしたので、指定校推薦枠で少し偏差値の高い大学へ行くことにしたのです。
大学に進んで、半年が経ちました。私のことを「頭が良い」と言う人は誰もいません。私はそれでよかったと思っています。無理に周囲のイメージに合わせる自分を作るよりも、私が周囲にイメージを与えていくことが、何と楽しいことだろうと。
今思えば、私は世間の目を気にしすぎていました。なぜあそこまで世間の評価を気にしていたのでしょう。それを捨て去った今となっては、過去の自分が馬鹿のように思えます。
担当編集がいるとか出版社社長や有名クリエイターと会話できる仲とか
地方人ゆえに、東京にはこのレベルの18歳がゴロゴロいると勘違いしたんだな。
18歳そこそこで企業や業界の大の大人達に本気で一緒に仕事したいと思わせるような
この手の微妙な偏差値の私大ってAOや指定校推薦で埋めてるからねー。
頭の悪さといい、異常なほどの世間知らずっぷりといい。
あんまり書くと特定されちゃうかもしんないから書かないけど
ちなみにわたしは商業出版に関わるような結果出してますからねー。
けっこう有名なクリエイターの人とも話せたりして、そっちの方がめっちゃ刺激的だしー。
わざわざゴミ溜めに入って仲間作る必要なんかないし。
こっちで知り合い人のほうがぜんぜん代え難いものですし。
ICU 620人 350人(56.5%) 270人(43.5%) 1校
上智 2160人 1322人(61.2%) 838人(38.8%) 0校
慶応 6145人 3920人(63.8%) 2225人(36.2%) 5校
早稲田 8880人 5880人(66.2%) 2000人(33.8%) 5校
法政 5850人 3965人(67.2%) 1920人(32.8%) 3校
中央 5410人 3694人(68.3%) 1716人(31.7%) 3校
立教 3685人 2575人(69.5%) 1110人(30.5%) 2校
明治 6205人 4421人(71.2%) 1784人(28.8%) 3校
青学 3132人 2285人(73.0%) 847人(27.0%) 1校
そしてさらに新たな問題が最近になって浮上してきている。それは、AO入試(学力試験の代わりに書類審査、
建前上は、一発勝負の受験の弊害を排したり、多様な学生を集めるためのものだが、有効に機能しているとは思えない。
推薦組、とくにAO入試組の低学力が、各大学で問題になっているのだ。
私の知る限りでも、早慶レベルの学校に、それより偏差値が10以上下の大学の付属校から成績不良で大学に上がれなかった
生徒が推薦やAOで数人入学している。基本的にAO入試というのは、アメリカで行われている試験制度を採り入れたものと
いうことになっているが、アメリカの場合は、SATと呼ばれる統一学力テストの点数も評価したうえでのセレクションが原則だ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/174705/より抜粋
2009年の大学の実力で読売新聞が収集した一般入試、推薦入試の
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/07/post_461.html
たとえば中京大学は、
AO10名、指定校732名、公募623名、付属・系列218名。
一般入試への占める割合が、51.34%
かなり激しい偏差値操作です。
ちなみに名城が59.29%で中京と比べればかなり割合が増える。
推薦入試枠がなければ、名城と中京の偏差値が入れ替わるかもしれません。
ちなみに総合大学で、割合が高いのは、
このへんの大学は、推薦枠を広げれば偏差値を上昇させることができる大学。
(あえてしないのは、在学生の質が落ちるからだと思われる。)
悲しいことに私立大学の偏差値でトップにたつ慶応、早稲田大学は一部しか公表せず。
一般5割、推薦4割、AO帰国1割って感じ。
今は一般入試の枠を減らしてセンター利用枠に替えているので純粋な三教科型の一般枠はもっと減ってるはず。
http://www.waseda.jp/kyomubu/hyouka/2005houkoku/2005_03_01_01.pdf
一般入試 611名 51.6%
内部推薦 250名 21.1%
指定校推薦 213名 18.0%
AO入試 109名 9.2%
帰国入試 1名 0.1%
政経法商なんて一般募集は半分以下にして、一部はセンター利用で東大一橋落ち拾うようにしてるけど残りは全部推薦AOにまわした。
1990年 1060名 1100名 1000名 840名 1000名 540名 480名 420名
1992年 920名 950名 ↓ 900名 970名 650名 ↓ 380名
1994年 ↓ 900名 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
1998年 ↓ ↓ 900名 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
2001年 800名 750名 800名 820名 960名 590名 410名 355名
2004年 500名 350名 500名 640名 700名 500名 450名 330名
2007年 450名 300名 ↓ 440名 700名 500名 500名 330名
2008年 450名 300名 460名 440名 700名 500名 500名 360名
ーーーーーーーーーーーーー------------ ------------
増減 -610名 -800名 -540名 -400名 -300名 -40名 +20名 -60名
90年比 (58%減) (73%減) (54%減) (48%減) (30%減) (7%減) (4%増) (14%減)
早稲田の学生の半分が一般入試を経ないで入ってくる現状だとこれからは
っていう風な区別の方がより重要になってくるんじゃない?w
というか学部間の学生の差が、昔以上にかなり均質になっているのは間違いない
(ttp://www.admissions.keio.ac.jp/exam/ippan.html参照)
試験科目数別の定員
3教科~ 1270名 ←一般私大
1、2教科 2650名 ←Fラン入試www
0科目 2235名 ←推薦馬鹿w内部w裏口www
慶應法 一般460(36.5%) センター100(7.9%) /A030(2.4%)/指定校160(12.7%)付属420(33.3%)
慶應経済 一般750(62.5%) /付属450(37.5%)
慶應文 一般580(72.5%) /公募推薦120(15%)/ 付属100(12.5%)
慶應商 一般700(70.0%) /指定校150(15%) 付属150(15%)
慶應理工 一般650(61.9%) / 指定校195(18.6%) 付属190(17.6%)
慶應SFC 一般550(61.1%) /AO200(22.2%)/ 付属150(16.6%)
慶應医 一般66(60%) / 付属39(39%) /帰国1(1%)
見れば分かる通り、慶応法とか試験通らないで入ってくる奴が半分以上で酷い。
指定校は基本、成績にばらつきがあって、真面目だが、一般では入れるとは思えない印象。
付属は多すぎて、特に一般では難関の学部に限って、付属枠が大きいため、多少
馬鹿でも希望の学部にいけてしまうらしい(法や経済は極めつけ)
ちなみに・・・
ttp://www.admissions.keio.ac.jp/topics/info_20070731.html
世界史Bの出題範囲は1500年以降を中心とし、日本史Bは1600年以降を中心とする
2009年度入試からは、筑波大学(社会・国際学群)および、一橋大学で廃止。
筑波大学と九州大学は、2000年度に、国立大学初のAO入試を導入した大学であるが、
「AO入試組」の学力不足・入学後の学業不振を理由に、見直しを決定。
「2005、2006年度に一般入試とAO入試で入学した学生の成績を比較したところ、
授業が進むに従い、AO入試で入学した学生の成績に低下が見られた」
「AO入試で入学した学生の成績がほかよりも低い傾向にあった」
「センター試験を課す学部では目立った差がなく、基礎学力の不足が原因と判断、廃止を決めた」
「(AO入試では)しっかりした学力を身に付けているかどうか判断できない」
そこそこの高校からそこそこの大学に入ったつもりの自分からすると、
指定校推薦は例外なしにバカですよ。定期試験しかできないやつ、ってイメージが強い。
慶應法だったら、まぁ、高校内でのヒエラルキーは「そこそこ優秀」って感じかな。
非旧帝に行った推薦組は、本当にバカ扱いだった。
指定校推薦は、それこそ「有名高校」で評点が高かった連中のこと。学校の評点が高いタイプなので、真面目で優秀な奴が多い。
付属上がりは、要領がいい奴・地頭がいい奴が多い。慶應の付属高の偏差値見てみれば分かるが、そんじょそこらの「有名高校」よりも優秀じゃないと入れない。社会に出ると、コツコツ真面目にやるタイプじゃないかも知れないけど、成果を出せるタイプ。人脈の利用とか上手い。親のコネで入ってくる奴にも、優秀な奴と馬鹿な奴がいる。前者はいわゆる本物の上流階級。後者は確かにクズだが、数は意外なほど少ない。あと数少ない「本当の馬鹿」は付属高の段階で進級できずに退学になる(これは中等部・普通部から上がってきた馬鹿に多い)。
なお経済B方式の社会科は、年代こそ狭いものの日本史と世界史を組み合わせたような問題が出るなど、明らかに東大・京大を受験する人狙いの出題。
なんで私指定校推薦申しこまなかったんだ・・・
それ、第二志望だったんだけども、
いまさらになって第一志望がゆらぎだしてねぇ。
で、その指定校推薦取った人、納得できないのよね。
そのくせ、指定校推薦があるって聞いたところで、
「あ。おれとるわ」
とかいって、私大だし、学部も法学部じゃないのに申し込んだ。
で、取れちゃった。
動機が舐めすぎ。
そしてそんなの選んだんだから私がもし申し込んでたら・・・あああああ!!
って今ムカつく&苦しい&後悔してるところ。
まあ、私も2年で25日休んでたし。
それ、3回も海外行ってたからなんだけど、だから自業自得なんだけど。
だけどmarchはすべてA判定なんだよ二年の時から。
しかも、私はやりたいことがふらふらの彼とは違って超明確。
LGBT関連なんだけどもw 日本だけじゃなくて中国を中心としたアジアの。
お前なんかなー
大バカで進級できなくて中退しやがれ。
って言われてリストラされやがれ。
おう、これはありえないことじゃないぜ。
実際にうちの父が・・・・orz
私は、ここ入れなくても、どこかしらでやりたいことやるよ。そして花咲かしてやる。
吐き出してすっきりしたので寝る。
明日は三倍勉強しよう。
俺が使ったチートはこれ。
「指定校推薦入学」
俺は最初、そこそこ難しい国立大学を一般入試で受けるつもりで勉強していた。
学校の図書館は朝一番、誰よりも先に入って朝の授業が始まるまで勉強してたし、夜も寝る間も惜しんで、いっぱい勉強した。
すると、夏季休業が始まる間際に担任から「指定校推薦を受けてみる気はないか」と誘いをうけた。
なんでも、校内で実施した実力試験で、俺が学年トップの成績だったらしい。
「だからなんだよ。頑張ってんだからあったりめーだろ。」と思ったのだが、そのテストは指定校推薦希望者を篩に掛けるための材料にするものだったらしい。
知らんがな。
俺は言い放った。
「俺は自分の実力で大学に入るんです。指定校なんて知りません。」
それでも、担任の勧誘は止まらない。とりあえず親に言ってみろということで帰宅。
親に言う。
「まぁ、俺はこんなの受ける気は一切ないんだけど。だってこれ、東京の私立大学だよ?お金いっぱいかかるじゃん。俺が国立受けようとしてる本末転倒じゃん。」
しかし、親は言った。
「金云々言う前に、お前はどう思ってるんだ?」
正直、東京で暮らすのは悪くないと思っていた。
しかも、その大学はなかなか有名で、ブランド効果も高く、実際魅力的だった。
「・・・まぁ、行きたくないわけではない。けど、やっぱり自分の力」「これはお前の力で勝ち取った誘いだろう?」
で、
いろいろ考え、話し合った結果、結局俺は担任に敷かれたレールの上を行くことになった。
秋にはもう完全な入学許可を得て、俺は受験勉強をする必要がなくなった。
もともと、"点をとるための勉強"というヤツが嫌いだった俺はみるみる勉強しなくなった。
毎日ギターを弾いて、頻繁に彼女(事情があって今年は受験をしない)と遊ぶようになった。
そういう生活を、今日まで続けていた。
すると、ちらほら聞こえてくる「落ちちゃった><」の報告。
「え?明らかに俺より頑張って勉強してたろお前」ってヤツがどんどん落とされていくのを見て、
なんて酷い現実なんだと思い、こんな自分が情けなく、恥ずかしくなった。
みんなごめんよ。