はてなキーワード: 視線恐怖症とは
元々ある程度の会食恐怖症と視線恐怖症持ちだったけど、鏡に反射した食事中の自分の顔見たらクソブス過ぎる事にある日気がついてしまい嫌になった
その事実に気がついて以来、会食恐怖症と視線恐怖症がますます酷くなって一人で外食するのも人目が気になったり怖くなってしまいあまり食べる事が出来なくなった
実際に他人に自分の食事中の姿が見られているのがどうかが問題ではなく(気になるけど)、それ以上に食事中の自分の顔がクソブスという事実がしんどいし、そんな顔を周りに晒しているのかと思うと死にたくなってくる
人の食事している姿を横目に見ていると、食べているだけなのに綺麗だったり可愛かったりするのでなんで自分はそうならなかったのだろうかと思い消えたくなる
特に可愛い人は多少ガサツな食べ方をしても、どこかに可愛さが残る感じがするので羨ましく思う
食事中の所作とかマナーで注意されたり怒られるような事は無いから、所作やマナーの問題ではなくもはや顔の骨格や肉付きの問題なんだろうな
ブサイクは食べても泣いても笑っても、どの顔してもブスだからしんどいなと感じる
ふとした瞬間に鏡に写った自分を見るたびにそう思うよ
視線恐怖症ってのとは違うと思う。
なぜなら、そこに隠され(ているかもしれない)た意図に怯えている訳ではないから。
こちらが接客として笑顔を見せ、それに対応して相手も笑顔をみせる。
そこにコミュニケーションを円滑にし敵対意図が無い事を表現する以外の意図など、両者にとって存在しないはずのシチュエーションで、
ぞわっと するのだ。
相手が笑顔を見せているのだから嬉しい若しくは緊張が和らぐはずなのに、脳が痺れるように騒つく。新入社員で、接客を初めてからずっとこうだ。
はじめは"嬉しい"のかな?と思っていたが、どうも嬉しい、の感情とは少し違う。ベクトルがズレている。"恐怖"には近いけどやっぱり違う。考えてみたが、本当によくわからない。わからないから"不安"の感情が湧いて来る。これは接客上のマナーである、と強く思う事で多少落ち着く事ができるけど、強い感情が脳裏にこびりつき、チリチリという刺激(目線、表情、が繰り返し再生される)が心の安定を奪い、次のタスクに集中できなくさせる。
自分は今大学に通っている。高3の1月から3ヶ月間この脇見恐怖症に悩み続けてきた。具体的な症状は授業中に周りの生徒に視線がいってしまい目の前のことに集中できない、貧乏ゆすりや周りの声が全て自分に仕向けてくるんだ!のような感覚に至る、自分の視線によって相手を不快にさせているのではないかなどがある。(この自分の視線というのは黒板を見ているときの視野の左右90度から130度あたりにいる人に対して視線を送っていると思っている。)今までは運よく前や後ろの席だったのでそのようなことはなかったが中央の席になってから周りの視線がかなり気になるようになってしまった。この妙な感覚に違和感を持って学校を休んでしまいこの症状について調べてみた。すると同じような症状を持つ人が多いと分かり安心したと共に病院へ診察へ行った。結果社会不安障害であると分かったが、肝心の自分の今抱えている症状については全く理解されなかった。この症状の一番の原因は自分が他者とのコミュニケーションをうまく取れていなかったからだと思っている。その理由として、先生に僕の隣に座っている人に僕の視線が隣の人を不快にさせていないかと聞いた時、そんなことないよ!と答えたからである。当たり前である。今思えばこれは好きな人をこっそり他の物に焦点を当てながらチラ見する、つまり脇見する感覚なのだろうが、自分にとってそれは視線を送ることと同義だと勘違いしていたのだという点である。このことに気づいたことはかなり前進したと思っている(他の人は解決策を見出していないので)。症状が発覚して環境を変えたり他者との接触でこの脇見をすることに対する恐怖は95%激減したと思っている。(異性との食事もできたので)
完璧主義拗らせて自分を否定されたり理想からズレたりしたらキッツイ一撃を放つ嫁
〉驚きました。完璧主義があるのは事実です。それでうつになった所もあります。文面でも伝わるのですね…
「理想からズレる」という所は、「こうした方が理想だから」と動く自分だと思いますが、
「自分を否定」の所が理解が及ばず、少し分かりません。もしよろしければ教えて頂けますでしょうか…?
「キッツイ一撃」は、「子供」「DV男」のくだりだと思いますが、普段は我慢していたのです…
言い訳で恥ずかしい限りですが…
好き勝手に振舞うくせに被害者ぶって一本筋の通らない論理で一方的に甘える旦那
〉私が間違っていた(夫の気持ちを理解してあげられてない)と思っていますが、「視線恐怖症」という所を入れてもでしょうか。
自分が病気への理解が足りなくて、夫がどれだけ恐怖に震わされるのか判ってないと思っていました。
「一本筋の通らない理論」が何なのか、よく分かりませんが、よろしければ、本当によろしければ教えて頂けるないでしょうか
割れ鍋に綴じ蓋
でも、傷物同士、痛みが分かる分互いの労ろうと思っていました。
お前が教育
〉この事ですが、よく夫に「主さん(私が何歳か上です)また俺に説教言うようになっている。俺の話は聞いていない。これは話し合いではなく説教だよ。(私が諭す様に話すかららしいです)」言われているので、
「旦那を愛してる」って言ってるのも「そういう自分でなければならない」
〉…………
しばらくの間固まってしまいました。
そうですね。そうかも知れません。
でも、この人のいい所だって沢山知って、でも、今は違うかも知れないという事が恐いです。
しかし、もしかしたら、anond:20200213120138様の仰った通りかも知れません。
少し考えてみます。
あとはサンクコストだけの話
〉それでも二人が幸せになれる道があるなら、
私は苦労してでも、幸せになりたいです。
辛いのは事実ですが…
色々考える事が増えましたが、ためになりました。
〉私が夫を選んだのは、今まで付き合っていた人達が彼より優しく思いやりがあったけど、欠点を直す事ができない人で、夫は少しずつですが、確実に改善する人だからでした。
しかし、「衝動的に結婚指輪を投げる」というのは、「衝動的にカッとなって殴る」よりも上回る出来事だったので衝撃だったのです。
あなたが旦那さんになにかきついこと否定すること言ったのかもしれないけど、
〉夫が「一線を超えた」と指摘した所は、「視線恐怖症である事を知りながら、人前で恥をかかせ、DV夫呼ばわりをし、自分を傷付けた」という事でした。
旦那さんの承認欲求、ワガママのツボがどこにあるか?自分の承認欲求、わがままのツボはどこにあるのか?
それを踏まえて、今後の人生生きなさいな。
〉難しいですが、とてもためになりました。
今後それを考えながら接したいと思います。
3行の事といい、大変ためになるアドバイスありがとうございます。
まず、初めての投稿で慣れてなく、拙い文で、
短くいうと、
(3行の要約追加しました)
先日、外でデートしてる時に喧嘩をして、夫に結婚指輪(夫の)を捨てられました。
事はこう始まりした。
喧嘩から、彼は「もういい、帰る」と言い放ってまた帰ろうとしていました。
(一回2回じゃなく、家で喧嘩すると寝たり、外に飛び出たり、外で喧嘩するといきなり消えるなど多かったのです…)
取り敢えずいきなり帰る事を止めるべく、追いかけても止めても「いい、帰る」と言いました。
私は「戻って!」「ここからもう私は追わないよ、遠く行ったらその分声が大きくなるよ」と話しました。
夫は人の目をとても気にする人で、それなら止まってくれると思いました。
距離が開いてもそのまま進んだので、私の声も大きくなりました。
「戻って!」「戻って!!」「戻って!!!」
それ以上離れたら人からは私が(一人叫んでいる)気の触れた人として見そうで、
「そこの〇〇の服を着ている人!」
「そこの〇〇のバッグを持っている人!」
でも止まらなかったので
「そこの〇〇の服を着て、〇〇のバッグを持っている□□□□(本名)!」
とまですると、彼は振り返って、
中指を立てて、また進みました。
それに怒った訳ではありませんが、あまりにも幼稚な行動(何かとあれば逃げる、中指を立てる)に呆れて
と言ったら、建物の中の狭い所に入ろうとして、
視線恐怖症だから取り敢えず人目が少ない所に逃げげ込んだのかな、
一瞬力で止めようとしてるのかな、殴られるかな、と不安になりましたが、追いかけました。
したら夫は「もう無理、無理…」と呟いてました。そして私に「なんで俺の傷付く事をするの?」と問いかけました。
私にした事は忘れて、「俺を傷付けた」に集中している所に少し呆れましたが、話そうとしたらそれでも逃げます。
「主さんが〇〇をしている(忘れました)。限界だからかくまって欲しい。」
最初は以前にも夫婦喧嘩の時に妹さんを頼っていたので、また妹さんなのかと思いました。
私は電話越しでも聞こえる様、
と泣きそうになりましたが、ぐっと堪えました。でも、声が更に大きくなってしまいました。
「また妹さんを頼るの?また私を悪者にして、また被害者になるの?」
電話している間も、当たり前ですが、普段怒ってる時無視する様に、無視して、
「親に来て迎えて貰う事にしたから。」
とだけ言い放ち、また逃げ回りました。私も激情し、「何故自分自分なのか、何故自分だけ傷付いたと思って夫婦の事を他の人まで巻き込んでまで逃げようとするのか」と思い、半分は私も夫に攻撃するつもりと「ここまで言ったら呆気に取られて、足を止めてくれるかも知れない」と思って
「このDV男!!」
「最低。」
と言い放ってまた逃げました。
また追いかけると、ちょっと人目が少ない所でいきなり止まり、指輪を外し、地面に投げ付きました。
「うん」
「どう意味か分かっててやってるの?」
「離婚でしょ?もう無理、別れよう。」
と言い放ってまた早足で去っていきました。
私は呆然と地面に置かれた指輪を眺めて、拾うか拾わないか迷いましたが、
また夫の衝動的な行動だと思い、
それを拾いました。
どうせ私が拾うと想定して捨てたんだろうな、「どうせ」私が別れないと思って捨てたんだな、と悲しくなりました。でも夫を追いかけました。
「□□が失踪しました。消えました。指輪も捨てて…逃げて…もう見えなくて」
義父は落ち着いていて、「今から□□を迎えに行く事にしたから、主さんも迎えに行くから。取り敢えず落ち着いて。泣くなよ…」
と宥めてくださいました。
私は電話越しに何回も謝って、何故か止まらない号泣の中、電話を切りました。
その後からも夫を探し回りましたが、号泣が止まらず、泣きながら夫を探しました。
指輪の事に付いて話し、別れましょうと言われ、「お父さん〇〇に向かってるから」と伝えました。
また号泣してから、また号泣しながら探し回って、義父に落ち合って、車に乗りました。
私が行った駅との反対側で夫を拾い、前に夫と義父、義母と私で座り、帰りました。
私は親御さんに謝り、途中で普段の会話をしました。夫は沈黙していました。
義実家に着き、義父は夫と車で話し、私は義実家で義母と話ました。
物に当たったり、物を投げたり、暴言を吐いたり(氏ね、クズ、消えろ、カスなど)いきなり出て行ったり、いきなり外で消える事はずっとそうだったと。
(義父はまだ夫が乗ってない時に、それを冷却のための行動だと言いました。)
義母は自分も似た思いをしていたと共感して下さいました。夫が不機嫌になると、不安と恐怖に襲われる事を理解してくださいました。
そして、夫と義父が帰って来て、義父義母を媒体に、話し合う事になりました。
途中途中、夫が激情する度に、二人が落ち着かせたり、私が落ち着かせました。
「二方がいてもこうなのに、二人っきりの時の私の気持ちが分かりますか」
とすると、親御さんは静かに頷きました。
いよいよ二人とも話し合いが終わり、
指輪の話になりました。
鞄の中に入れて置いたので、「私の手元にない」と言ったら、夫は呆然としていました。
「指輪、捨てたの後悔している?」
「…してる。でも仕方ないでしょ。今更探してもないし。」
すると、義父が
「そうじゃないでしょ、これから探しに行くんだよ」
「もうないよ…どうせこんな時間だし…見付けたってはめる資格があるのかなと… 主さんは俺にはめて貰いたい?」
「(笑)なんでそこで嫁さんに聞くの。探す事で誠意を見せて、指輪をはめたいです、そうしてもいいですか?と聞くの。」
「でも、もう無理。しんどい。動けない。指輪を探す元気ない。」
「誠意の事だよ?探しもしないの?」
「もういいかな…って…」
義父の怒りが尋常じゃない圧で伝わって来たので、このままだと夫を殴りそうで、
「昔、私が婚約指輪を返した時、あなたは酷く傷付いて、あの時も出て行ったね。とても傷付かなかった?
でも、未練があって私もあなたを下らない理由で呼び止めたり、呼び戻そうとしたりして、
あなたもそのまま帰ればいいものを、何回も家の前まで何往復した。
分かるかな。」
というと、しばらく考えていた夫が
「主さんの言葉であの時の自分の気持ち思い出した。…指輪、探しに行ってもいい?」
で、私は「待って」と言って、
別室に置いた自分の鞄を探りました。
「見付かった。あった。」
「結婚生活に大変な事があった時だけ、中を覗いて考え直すと言った事あったよね。指輪の中読んでみて。」
「主から□□へ…はめても良い?」
私は私の指輪を外し、私の指輪の中も読み上げました。そして私の指輪を渡し、手を差し伸べました。
「もう二度と外さないで…」
と抱き締めると夫も抱き締めて背中を撫でました。
これで終わりだと思ってました
帰って来た夜、
当時は、指輪を投げ捨てた事は棚上げに、「如何にあなたが俺を傷付けたのか見ろ」をされている感じがしました。
落ち着かず、眠るのに時間がかかりましたが、夫を落ち着かせ、取り敢えず先に眠らせました。
次の朝、よく考えて「それとは別で、病気の事だから自分の意思とは関係なく生じる発作」だと受け止めました。心は苦しかったのですが。
夫がとてもしんどそうだったので、仕事を休む事を勧めて、休む様に言いました。(夫自身も希望しました)
前日帰宅後、ちらっとデートのリベンジをしたいとの事がありましたが(観ようと思っていた映画が結構有名なので、トラウマ化したくないとの事と、私とのデート自体がトラウマ化したくないとの理由)、
昼まで休んでいたし、無理をさせる事もないと思って夕ご飯の支度をしようとしたら、夫から昨日の映画を観に行こうとの誘いがありました。
自分の傷の中心の話になってないのか、と少し考えましたが、よりを戻したいという夫の善意を信じる事にし、身支度をしました。
外ではやっぱり、いつも以上に視線が恐くなっていた様で、
いつも繋いでいた手も再び(昔は視線が恐くて繋げなかったのです)繋げなくなっていました。
気が立っていて、私が何を言っても悪い意図として受け止めていて、少し疲れましたが、疲弊している人はそういうものだと思い、できるだけ明るく振る舞いました。
嫌な顔をして私を止めて、
「(そういうのやめて(当事者が悪い思いするかも知れないし、それによって視線が集まるから))」
としました。
少し、息が詰まりました。
何故、他の人にはできるそういうのが、私には適用できないのかな。
何故、耳の垢や眉毛が眉間に生えても気にしないのに、他のは気にするのかな(私が化粧をしないとか)。
降りてからその話をすると、
「主さんだってうつなのに、携帯で遊ぶ事はできるんだ、と言われれば傷付くでしょ?だから、そういうのやめて」
「じゃあ、他の人も気にして視線が集まる事は確認してもいい?実際集まるかも知れないし。例えば、立ってまでゲームをするとか、臭いとか、そういった」
「立ってゲームするのもダメなんだ、としんどくなるからそれはやめて欲しい」
少し理解し難かったのですが、もっとしんどくなる様なら、言わないのが夫が安心するな、と受け止めました。
映画を待っている間に、
なんとなくツイッターを立ち上げました。すると、ブロックされていました。
…?
「ごめんね」と来たので、
「今送った?」と聞いたら
と言われて、ショックでしたが、
ツイッターまでブロックされている状態って事にまたショックを受けました。
取り敢えず画面を見せると、
気持ちの整理…?
昨日したんじゃなかったの?
気持ちの整理?
ごめん、忘れてた。じゃなくて?
私は混乱しました。
今この人がどういう気持ちでここにいるのか分からなくなりました。
映画は始まり、なにもなかったかのようにまた雑談など普段の様に振る舞いました。今、デートの最中、映画が始まる直前に事を荒立てたくなかったので。
映画が終わり、私だけ公開されている状態というのが嫌だったので、非公開アカウントに変え、夫にその事だけを伝えました。(夫のアカウントは元より非公開です)
帰り道、またその話をしたら、
「映画終わってフォローし直したよ」と言って、一瞬、「自分の都合の悪い事を呟きそうでフォローしたのか」と思いましたが、憶測なので、
それはさておき、確認をしても、エラーなのか、フォロー申請は来ていませんでした。
「またし直して欲しい」との気持ちでまだ非公開のままです。
そして家に帰り、しんどそうな夫を慰めて、指輪は本当に傷付いたし、そういうの(離婚)は衝動や勢いで言わないで欲しいと言ったら、
と言いました。
話が進んでいる内、「もしかしてこの人、反省してない?」と思いました。
「俺を怒らせた、俺を傷付けたお前が悪い、だからそんな事されるのは仕方ない」と思っているのではないのか、と。
「私の事好きなの?」
と聞いたら
「(今怒っているけど)好きだよ」
と即答する人だったので、
聞きました。
「私の事好き?」
「…………………………………………好きではある。」
私は、親に反対され、
住み慣れた街も捨て、友達も、家族も捨て、この人だけを信じてここに来て、結婚しました。
日常生活にも支障をきたすレベルのうつ病で、共働きやパート所か、家事をする事でやっとで、それも自由にできない事が多く、荷物になる存在で申し訳なく思っていました。
人より学歴が足りなくても、職業がどうだろうと、汗水を垂らして、毎日苦しみながらも頑張る夫を尊敬し、毎日感謝の気持ちを伝え、
特に辛い月曜や、辛い事があった日には夫の好きなメニューで待っていたり、
慣れてないゲームに付き合ったり、せめて付き合えない時なら、家に帰ってご飯だけ食べてずっとゲームをしていても(最初は怒りましたが)理解するようにしました。
彼は今とても辛いから。
私が理解すべきだ。
私じゃないと誰が理解する、と。
彼の好きが揺らいだ瞬間、
私はどうすればいいのか分からなくなりました。
彼の好きだけを信じ、
そして、夫は
と言いました。
流石に一人では堪えられなかったので(また眠りに逃げられる気がして)私が落ち着くまでは起きている様にお願いしました。
今朝は、いつもしていた、いってらっしゃいのキスができませんでした。
いってらっしゃいの時も、おかえりの時もしていた、
喧嘩した次の日も、喧嘩した直後も、私が欠かさずしていた、一種の儀式でした。
それがやっとでした。
少し戯けましたが、自然に笑う事はできませんでした。
どういう気持ちでこれを書いたのか、私にも分かりません。
もう私の話を聞く人がいないからなのか、
もう彼に私がどうなっているのか分からなくなって混乱しているからなのか、
愚痴を聞いて欲しいのか、
誰かの意見が切実なのか、
私に新しい視野を教えて欲しいのか
はたまた全てなのかも分かりません。
最後までお読みください、ありがとうございます。
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2020.02.14 22:36 追記
こんにちは。主です。
サイトにも慣れず、改行が変だったり、拙い日本語や謎の行動で理解し難かったと思いますが、…
今更明かします。
私は外国人で、日本には4年くらい住んでいます。(結婚はそろそろ1年です)
(どこの国なのかは明かしません。
同じ国の人が誤解されそうなので)
開示が遅くなって不本意ですが、
〉常識どうなってんの?!
一対社会、ではなく私と私の目の前の人に集中する傾向があります。
日本は和の国、夫が視線恐怖症だからもっと気にするんだな、と思ってました。
(他の日本男性と付き合った2年は問題なく…?か相手と相性がよかったのか、我慢してくれたのか問題はありませんでした。元彼の家族家族とも仲良しでした。
自国でも別に問題がなかったので、夫だけ「とっても日本人+内気+視線恐怖症」だと思っている所がありました。
視線恐怖症のくだりは、
私から「??普通はそこまで気にしないと思う、視線恐怖症かも」と言って、夫が認めて、通院する事になりました。(結果は視線を気によく止めるバイポーラでした。)
もしかしたら人とズレている所があるかも知れません。
(今回の辛い意見はすごく勉強になりました!ありがとうございます!)
率直な意見、「普通?」の日本人の認識ではどう映るのか、普段とても気になっていたので
(実際では「そんな事ないよ」「全然」で終わる文化って事はよく…わかります)
色んな意見が聞きたかったので、全体を見て欲しかっただけです。ただ、先の方だけ出されて判断されるのは心外だな、と。
喧嘩の内容を省いたのは、普通に(二人とも認めた)売り言葉に買い言葉だったからでした!
(ベッドには拘りたい←俺は安くても良い。じゃあ自分がもっと出せば?
いや身体の休息のレベルがちゃうねん(夫はうちの収入に見合わない新婚旅行しようとしてるじゃん怒(我慢して言ってない)))
(〇〇党の政策ってさ(褒めるつもり)←もう良い聞きたくない
なんでなん聞いてもないがな→
←どうせ〇〇というつもりでしょ?
なんで決め付けるの?→)
↑
ここから…ヒートアップして、「もう良い帰る」の流れだったのでなんか書き難かったのです
全体的には、
朝から夫の機嫌が悪く、機嫌を直そうと話しかけてた私(PMS)も疲れて、テンションが落ち、どんどんピリピリ→二人とも爆発した事でした!
(普段夫の不機嫌を耐えるのはいつ当たってくるか不安になるので、私が無理に宥めようとして、こじらせて、
夫「もう良い、寝る/帰る/出る」
私「取り敢えず話をしよう」
夫「嫌だ、寝る/帰る/出る」
私「取り敢えz夫「(行動)」
で、私が限界が来たのもありました)
普段は喧嘩する時も声を上げない様にしていましたが、声をあげたのは一年前お酒を飲んで爆発した時以来初めてです…
これも夫の2週間くらいの不機嫌を解決しようと、料理もお酒を用意したのに無下にされて爆発した件でしたね…
無理に不機嫌を解決しようとしない&思い通りにいかないからといって怒って暴走しない&時には(コメントの通り)放置がいいかも知れません。
今までは恋人達に「お前は冷静でいいよな」と皮肉を言われるくらいでした。
でもやってしまったのは一回としてもやった事なので深く反省しています。
私が夫に酷い事をした事は間違いないと思いました。
喧嘩した事、相談した事でよりお互いを理解する事ができました。
因みに、「匿名掲示板2箇所に載せてる事」「希望すればコメント(とっちかというと私が叩かれる内容)を見ても良い」と伝えましたが、
「精神衛生上断る」という反応でした。
普通に寝やぁと言いましたが、頑張ってくれたから皿洗いをしたいとの事で、後で起こします。
その分ちょっと疲れても、
その分また互いを知る事ができると思います。
私はともかく、夫はより良い人になろうとする人なので
(そして少しずつですが、確実に良くなる人です)
それでも好きという気持ちがある間は精一杯その気持ちに従いたいと思います。
馬鹿な夫妻で、
お騒がせてしまいました。
みぃ
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2020.02.18 08:26 Permalink | 記事への反応(10) | 11:42
最近就活の為のガイダンスとかでマナーについて色々話聞いたけど、大体が会社の人は細かいところまで顔の表情、目線とか振る舞い見てるしマナー身につけてないやつはドン引きされる&就活上手くいかないぞ(要約)って内容で、そんなに自分のこと見られるのか...って視線恐怖症的というか不安な気持ちが止まらなかった。
まぁ駅構内、電車内で見てられない振る舞いする社会人(スナック菓子食べる、肘打ち、横入りしてくる、スカートなのにガバッと足開く)って沢山いるし、そういう人達でもどこかしらの会社に属してるってことはまぁ大丈夫だろうな...って安心したけど、じゃあちゃんとしたマナー身につける必要ってなに?自分の品格を保つ/高める為なんだろうけどマナーちゃんとしててもそれが当たり前で褒められることあんまり無いし、人目を気にせず自分の欲望に素直な方が人生得なのでは?っていう人として最低な考えが浮かぶ。実際にそういう振る舞いする勇気はないけど...
今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。
私は小学校と中学校、合計で五年間ぐらい不登校(保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。
面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネットで動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。
両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。
結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかわからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立のチャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制。
そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。
でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語の家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。
結局私は担任の先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学の文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学生時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。
でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍もしました。おめでとう。
大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思います。バイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。
次に私が応募したのは、カードゲームのショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーンは一部の人しかやってないし、MTGはオンラインが全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。
仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。
その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たちの関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係、結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。
そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活をしました。
私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。
受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います。
そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味にお金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。
もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分をアピールしたりすることが怖かったのかもしれない。
私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。
入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分にマメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。
それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。
今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。
私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリックの上司の下で仕事をしました。
上司はイエスマンだから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分がワーホリだからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会とかにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間とかいってるワーホリでした。いまでもそうです。
それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。
なんだか身体がおかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。
昔から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。
私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。
プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。
視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。
母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。
その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。
でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。
あのしびれの正体も知りたかったからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸を引き起こしたのでは」ということでした。
お医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。
休憩スペースで面談をしました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。
受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春からの仕事の話をされて終わりました。
その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社を休みました。
私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識にプライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーとちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車がストレスなのか、わからなかったからです。
翌週、私のところにやってきたのは課長でした。
「別に産業医面談を拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから、部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」
課長は私が部署を移動することになってしまった場合の人間リソースの低下を懸念していたのです。
「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。
もしかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトにクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。
薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。
私は抗不安剤と睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。
咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。
母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社を休みました。
体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。
それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。
私はわからないなりに、以前の経験と知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクトの上長は先日面談をした課長でした。
参画してから一週間ほどした日、私は唐突に課長に仕事の依頼を受けました。
この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。
どうやら課長のその認識が根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。
どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対にミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。
私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります。練習ができません。経験もありません。
しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテランの技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。
彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。
元請けからはことあるごとに「絶対にミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。
手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社が中途半端に撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。
けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。
上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト未経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。
ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます。絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。
私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテランと上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力が平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。
産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。
新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤と睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。
このころから、ホームで電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線は都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。
転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。
今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対にミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまいます。解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。
少し、辛いな、と思いました。
別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分の身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。
部長も課長も主任もワーホリですが、きちんとしてはいると思います。中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。
だから、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。
それは悪いことだと思っています。だって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。
どうしてこうなったんでしょう。生まれたときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。
薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。
優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。
仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブルを解決できた時はとっても楽しいです。
ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います。自分にとって、「絶対にミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。
会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。
生きたいです。オタクは楽しいし、ちゃんと毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまいます。
私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。
なんで生きてるのか、わからないのです。
それを吐き出したかっただけなのです。
職場とかカフェとかが特にそうだけど、ずーっと視界に人が入っている状況にストレスを感じる。
具体的には、自分が横目でその人達を見てしまっているんじゃないか、見てしまうことで不快にさせてないか、不快な感情を自分に向けてこないか、ということが不安。
いやそこまで自分のことなんて気にしないだろうと思いもするけど、ふと、あ、今横の人見てしまっているなと思ったときに、ちょうどその人がため息をついたり頬杖を組み直すような仕草をする気がする。それが僕には僕が見てしまっていることで与えたストレスによるものと思える。
偶然にしてはよくありすぎる気がして。どうすればいいんだろう。辛い。もう15年くらい続いてる症状だけど。
なんでだろう。
どうも俺は「話しかけづらい」「何を考えているか分からない」というようなタイプらしい。
初対面の人が複数人集まる場面のとき、高確率で自分はスルーされて他の人に話しかけられる。
別に話しかけてもらいたくはない。
完全なる非コミュで、人付き合いは望んでいない。
だけど、嫌そうな顔をされたり、付き合いづらそうな態度をとられたり、嫌われたりすることも望んでいない。
空気として扱って欲しいが、何故か嫌な顔をされたり、おおおああ!
まあ自分から人避けオーラが出ているんだろう。いやよく分からない。
俺はなんなんだ。
自分も目立たないと言えば目立たないのだが、悪い意味で周囲から注目されていたような気がした。
気がしたというかされていた。
なんなの俺?
水に浮く油。
いや油に浮く水だ。
俺が水だ。
一般的に空気と呼ばれるような人種も溶け込めてはいるような気がする。
空気として。
俺は浮いてる。 なにこれ? 超絶不細工だから??
なんだろう、分からない。
どう説明したらいいのか、文章にしたらいいのかよく分からない。
うまく言葉に表せない。
昔はこんなことなかったんだけど。
俺は基本的に無表情、表情が固いから怒っているように見えるのだろうか。
それとも視線だろうか。
自分は視線恐怖症のようなものがあり、視線を自然な形で維持出来ない。
「自分が見ていないところで自分を嘲笑している奴が居るんじゃないだろうか」
そんなことを無意識で気にし過ぎているような気がする。
だから周囲を歩く人間をもれなく監視したいような気持ちになっている気がする。
こんなことを言うと
「誰もお前なんか気にしてないから。興味ないから。」
のようなことを嫌味ったらしく言ってくる非人格者のどうしようもない下衆野郎が湧いて出てきたりするのだが、それくらい分かっている。
というか変えようともしていない。
昔は今の自分を改善しようと思案して、色々と頑張っていたような気がする。
でも何時からか疲れきってしまっている。
枯れているような感じ。
干物かな。
どこに行っても疎まれる。
自分を変えろということだろうけど。
俺はもう疲れた。
そんな気力はない。
でも自殺すら出来ない。
楽に死ねない。
どうしてやろうか……。
ああ分かんねえ。
俺はどうしたい?
無能なんですよ俺は。
働けない。
色んなバイトを試してみたけどどれも続かない。
なんで続かなかった?
それも今となってはよく分からない。
なんだったんだろう。
甘えと言われればそういう部分もあるかもしれないが、それが全てでは無いと思う。
なんなのあれ?
なんかもうレッテル貼りに使われすぎていて形骸化しているような気がしないでもないというか。
人が集まる場所に居るのが苦痛というか、多くの人がなんでもなく感じていることが自分にとっては大きな苦痛を伴なうというか。
なんなんだろう。
人から仕事を教わってもよく理解できない。
人の話を聞こうとしても右から左へ通り抜ける。
頭へ入らない。
読書も苦手。
自分しか居ないような場所でならなんとかなるかもしれないけど、電車内みたいな人の集まる場所では絶対に読めない。
音読ができても意味が頭に全く入らない。
集中が出来ていないのだろうか。
まあ、周囲の人間の動向を絶えず気にしている部分があるのだから当然か。
このままじゃ死ぬしかない。
いや、自殺すら出来ないんだけどさ。
あれなら何とか出来そうだ。
個人で手軽に安楽死。
でも俺だってあまり死にたくはないよ。
だけど出来ないのだから死ぬしかない。
訳がわからない。
わっけがっわっからにあ。
どうしようもない。
クズだとか生きている価値がないとか何と罵られようとも、もう知った事ではない。
知るか。
どうすればいいのだ。
知るか。
でも俺はそうはならないだろうな。
そんな勇気ないし。
そもそも他人にあまり執着しないというか、いやしてるか。
周囲の評価気にしまくってるもんな。
でも殺したいとかは全く思わないなあ。
恨みもないし。
どうでもいい。
どうでもいいです。
そんなことを気にしている余裕がない。
どうしたらいいんです。
もう駄目ですね。
分かってますとも。
だめですよ
死んだ犬です
死んだ犬を蹴らないでください。
狂犬になれば保健所に連れていかれて殺してくれるかな……
なーんてねッ星
で、なんなの俺は。
病気なら病名つけてくれ。
生きられない。
バイタリティ絶無。
俺が可愛い子猫ちゃんフェイスだったら誰かに助けられていたかもな……
でも僕猫で言ったらスフィンクスみたいな奴だし。(毛のない品種の猫)
ああスフィンクスちゃんが可哀想だよね。かわいいよスフィンクス。
でも俺実際禿てきてるし? でもすね毛は濃くなってきてるし?
まあゴキブリだよ俺は。
しーね!みんなしーね!