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はてなキーワード: 運動音痴とは

2024-04-24

anond:20240422150824

朝10kmで走りすぎとかはてなー運動音痴多すぎワロタ

本当に運動経験ない奴多いんだなガチ危機感もったほうがいいよ

元増田呆れてんだろこれ

2024-04-23

anond:20240422102755

これを読んで思い出したこと

中学高校の頃、男子じゃなくてよかったって思ったことがある。

私はまぁまぁ運動音痴で、よく転んで血だらけになったり、体力無くてへとへとになったりしていたけど、それで責められたことはなかった。

しろちょっとバスケシュートを決めただけで過剰に褒められた。

女子運動できない子は珍しくなくて、ドジ踏んでもあははで済んでいた。

だけど同じクラス運動できない男子は、他の男子達に疎まれていて、肩身も狭そうだったな……。

おい、若い衆、見合い結婚はいいぞ

今は見合いなんて風習なくなったんだろうか。婚活アプリとか会員制クラブとか使うのか。

今つくづく思うんだが、俺の場合はかなり幸運だったのだろう。

それで、俺の場合の概略を述べる。

俺のスペック(という言葉自体よろしくないが)

当時34歳

東北地方県庁所在地在住

大卒無名関東地方大学

収入不安定(ただし、当時の平均以上)

兄が結婚して両親と同居、すでに子どもたちは小学生

身長170cm、痩せ型

++ヨメさんのスペック++

当時29歳

俺と同じ県の某市内在住

大卒地元の人しか知らない国立大学理系だぞ)

当時は収入ほぼゼロ

長女で、両親の世話をする可能性あり

妹は既婚で遠方に在住(すでに子どもあり)

身長164cm、痩せ型

+++共通する点+++

どちらも同じ県の生まれ

どちらも先祖代々日本人

どちらもサラリーマン被雇用者の家庭ではない

どちらも家は昔から仏教宗派は異なる)

どちらも食い物の好き嫌いは少なく、酒を飲む

これは後から判ったことだが、家族親族にはギャンブル依存遺伝病、犯罪歴のある者はいない。

どちらも、ほぼ、童貞処女

まあ、こんな感じだが、むこうが俺をかなり気に入ったようで、積極的に攻められて、見合いから3か月後ぐらいに結婚した。今から思うと、やっぱり女のほうからグイグイ攻めないと、話はまとまらないと思う。特に俺みたいな優柔不断な男の場合は。

当時、俺は相手スペックなんて、ほとんど気にしなかった。

ヨメのほうは、当時としては年齢的にはあせる時期で、将来的に親の面倒を見るのは、かなり不利な条件であると思っていたようだ。それに、当時の女としては学歴が高すぎて、釣り合う相手が少ないという事情もあったかもしれない。それにしても、こっちの収入心配じゃなかったのか、今でも不思議だ。

さて、これからがこの匿名ダイアリーポイント

結婚後のトラブルの9割は、双方の家族、具体的には親の問題なのだ。俺の父親は、説明不能トラブル人間で、それを母親、兄、兄嫁が支えていた状態スペックのところで書いたように、遺伝病もギャンブル依存も無いが、それと同じくらいのやっかい人間だ。

ヨメのほうの両親も、いろいろ問題がある。これも犯罪歴とか詐欺とか新興宗教から問題ではないのだが、やはり身内にしか判らないトラブルがあったわけ。

しかし、これ、現在婚活クラブとか婚活アプリでは、判らない問題だと思う。勢いで結婚して、なんとか家庭を作った後で生じる問題なのだ

今の若い衆が、結婚したくない、家庭を持ちたくない、ってのも実はこの家族問題が大きいのじゃないだろうか。どうですか?

もう一つの問題健康問題

これも、事前には判らない。家族の病歴とか、血液検査の結果とか、健康診断の結果とかを、相手に出させるわけにはいかないでしょう。(あるいは、現在の習慣として、そういうデータを交換しているのか?)

俺たち夫婦も、けっして健康で体力抜群とは程遠い体質で(さら運動音痴で)、今までいろいろ問題があった。しかし、これも事前には判らんよな。

今の若い衆が、やたらと顔やボディに注文つけるのも、実はこの体力と健康度を見ているのかもしれない。俺のまわりの連中でも、早く結婚したやつらは、心身ともに健康なやつらが多いもん。20歳前後パートナー獲得合戦ってのは、実は健康なオス・メスを見つける行動なのかもしれない。俺とヨメの婚期が遅れたのも、実は、はっきりと表に出ない健康度の競争に敗れた結果かもしれない。

さて、現在、しみじみ思うのは、今のヨメと結婚してよかったってことだ。あの見合い後の1か月ぐらいの期間に、ぐいぐい攻められなかった、たぶん結婚していなかっただろう。だから最初からすぐに結婚するという条件で付き合う見合いがよかったのだ。結婚してしまえば、多少の身体の不調や病気やケガは、なんとかなるもんだ。ちなみに、ヨメはなかなか妊娠せず、さらに一度流産している。その後やっと生まれ、すぐに二人目も生まれた(ぜんぜん避妊してなかった、アホですね)

から若い衆も、収入がどうだとか、会社の規模がどうだとか、こまかいことにこだわらず、さっさと結婚しちゃえばいいんだよ。いやあ、結婚当時のヨメはかわいかったぞ。いっしょに、おそろいのパジャマ買いに行って、それを着て毎夜寝ていた。ミニスカのヨメといっしょに自転車に乗って鰻屋に行って、ビール飲みながらうな丼食ったりできるぞ。

2024-04-20

anond:20240420130926

最近スポーツが、軽音楽バンド活動)並に、社会不適合者を育てるのではないか?と思うようになった増田です

(ヤベー口の利き方するプロパーがかなりの割合いる某社を見て)

 

まぁ体育会系有害さと、男女のあれそれは横に置いといて・・・

筋肉貯金、体力作り、運動による脳内物質コントロール、これらの有用性については異論ないです

きっちりやっていきたいよね・・・

ただ、発達にありがちなこと言うと、協調運動問題あるから、それ以前の問題なんだよなぁ・・・

(もちろん、発達のアスリートフィジカルワーカーもいるので全員ではない)

 

ジム行っても筋トレすらロクにできないよ・・・レナーつけても全然効いてる様子ないのよな

めっちゃ運動負荷の低いサークルトレーニング用の機器なら、まぁ運動音痴でもなんとかなるけど、

そういうのの助けなしで出来るの、トランポリンと、ストレッチと、有酸素運動くらいですね・・・

(筋肉貯金・・・)

2024-03-31

20年くらい前に発達障害と診断されるまでとされてから

当時小学生だった。

子供ながらにあの頃は発達障害についての情報ほとんどなかったと思う。インターネットも今より普及していなかった。母親は髪を振り乱しながら、おかしい、普通の子じゃない、普通に出来ないなんて、おかしい、おかしい、変、変、変、どうして出来ないのと毎日叫んでいた。

じゃあどんな小学生だったかと言うと、まず運動音痴だった。リレーはいつもドベだし、逆上がりもできない。跳び箱に挑むとタイミングがわからなくて、そのままぶち当たって箱を破壊する。マット運動で転がると眩暈がして上手く起き上がれない。逆に勉強自分で言うなって話だけどかなり出来た。字を書くのは上手くはなかったけど、勉強自体は楽しかったしすぐ理解できたので何もしなくても満点だった。

運動会ではお荷物だったしドッヂボールでは毎回泣きたくなるくらい当てられてたけど、体育自体は好きだった。勉強だったら負けなかったし、友達も沢山いた。

変わったのは、親の仕事の都合で県外に引っ越しからだった。

子供なんてちょっとしたこといじめてくる。田舎からたからとか、身長が高くてのろまだったからとか、服がユニクロからとか、ゲームを持ってなかったからとか、流行りのドラマを見てなかったからとか、塾に行ってないのにテストで満点取ったからとかであっという間にいじめられるようになった。

教室に入るとささっと4人くらいから囲まれて、色々言われた。メンバーは日替わりだった。半年くらいは我慢してたけどある日急に行く気がすっかり失せてしまって、仮病を使って休むようになった。

それを母親は許してくれなかった。学校に行かないなんて普通じゃない、おかしい、と毎日私を打つようになった。いじめられるから行きたく無いと言えばよかったのかもしれないけど、私が田舎から来たのもユニクロを着てるのも、ゲームを持ってないのも、ドラマを見てないのも、塾に行ってないのも、テストが満点なのも全て紛うことな事実だし、事実を言われただけだしな…これはイジメではないはず!ただなんか学校行きたくないだけ!と謎に前向きだった。いじめってバカとか死ねとか言うものだと思っていた。

(あの頃の自分に言いたいけど、階段から突き飛ばされたり、靴の中に土入れられたり、クラスメイトが川に落ちた時お前の責任にして学級裁判もとい糾弾会開くのは立派ないじめだと思うよ!)

叩くもの母親の手から布団叩きに変わる頃、ようやくクラスの子からダサいとか謝れって言われるから行きたくない!と泣いて吐き出した。それくらいがなんだ戦え!やり返せ!と言われた。

ブランド物の服を着たあの小柄なクラスメイトたちが、私には小鬼に見えた。そんな小鬼と戦えない。

普通はどんなことがあっても行ってるはずなのに、どうしてこの子は行かないのか、普通じゃないのか、こんなのおかしいと母親ノイローゼになっていた。父親は俺は知らないの一点張りで、他の女性たちに夢中だったし、もう少ししたら私にも手を出すようになってきた。我が家は完全におかしくなっていた。

真冬に寝巻きのまま裸足で外に出されたり、どこかの川沿いや公園児童養護施設の前に置いていかれるようになった。この頃になると、うちの親は話が通じないからおまわりさんに助けてもらおうと交番に行くようになった。毎回家に送ってもらってお宅の娘さんが…とインターホンを押すや否や両親は飛び出して私を抱きしめていた。涙を流して、ほんの些細な喧嘩なんです、私たちが悪いんです、厳しくしすぎました、本当に帰ってきてくれてよかった、この子私たちの宝物、ご迷惑をおかけして申し訳ありません…と泣いてぺこぺこしながらおまわりさんたちにお礼を言っていた。そういう両親を見ておまわりさんたちもすっかり態度を軟化させて、ご両親に迷惑をかけちゃ駄目だよ、と私に説教をして帰っていく。外面はめちゃくちゃいいのと隠すのが上手いので、今でも両親は周りからは、上品で優しいお母さんと思慮深く手先が器用でなんでも作れるお父さん、こんな素敵なご両親なんてあなた幸せだよと言われている。嘘だろ。

子供ながらに何もかもがもうだめかもしれない、と思うようになったある日、機嫌の良い母親ならお出かけしよう、と連れ出された。狂言自殺を繰り返していた母親を前に心中という単語がチラッと頭をよぎった。長い長い時間電車に揺られ、着いたのは病院だった。そこでまた長い時間ゲームのような、簡単テストのようなものを受けた。今まで何度か精神病院に引きずられて行ったことはあったけど、あそことは全然ちがうな、と思った。

アスペルガー症候群の傾向が出ています、みたいなことを言われた。

なにそれ?頭の病気?治らない?一生?と一瞬ショックを受けたものの、治らないなら仕方ないと諦めた。

それから母親は激しい浮き沈みはあるものの私の不登校基本的には許すようになった。この子アスペルガーから、頭の病気から仕方ないと。反面で私に天才になれと言うようになった。エジソンだってアスペルガーだった。学校にも行かなかった。同じアスペルガーから絶対になれると当然のように言った。少しでも逆らうと怒り狂って、お前は人殺しになってお母さんのことも殺すんだろうと怒鳴ってきた。当時話題になっていた事件犯人が、発達障害だったからだそうだ。

私が中学の頃に父は単身赴任となり、私たち母子だけで暮らすようになってから、だいぶん楽になった。ちゃんと「学校」と呼ばれる場所に通えるようになったのは高校からだった。そこの高校名前漢字で書くことができれば受かると言われているくらいのレベルだった。一番最初数学の授業は2桁の足し算のプリントをひたすら解けと言われた(後ろの席の男子からこれわかんねぇから答え教えてくれと言われた時はびびった)。長い期間のストレスからか、自分名前漢字平仮名カタカナ以外ほとんど書けなくなっていたのでとにかく早く、どうにか楽しつつ巻き返せないか試行錯誤した。相変わらず短距離走球技は酷いものだったけど、長距離ならそれなりにできるとわかった。家にいたくなくてボランティアやら勉強会やらに積極的に参加した。授業態度は良かったので(そもそも周りが最悪なのもあった)先生からは良くしてもらえた。先輩達は挨拶もろくにできねぇのかと凄んできて恐ろしかったけど、お陰で誰にでも大きな声で挨拶ができるようになったし、怒らせなければ面倒見の良い人達だった。ヤンキーばかりかと思ったクラスメイトも親切で、今でも何人かとは親しい付き合いがある。頑張れたお陰か無事大学にも通えた。

途中就職に失敗して鬱になりかけたりニートになったりして、心療内科から貰った全然効かない薬を飲みながらカウンセリングを受けたけど、結局一番効果があったのは、気晴らしに始めたバイト給料を使っても良いと言われた時だった。現金を使える自由が私には何より効いた。

本屋に行くと発達障害に関する本がズラッと並んでいる。少し前までは発達障害の人とどう付き合うかという内容ばかりだったのに(それでも最初本屋にあった時点で衝撃を受けた)、発達障害自分がどうやって生きていくかのライフハックが書かれた本たちが並んでいるのを見ると、昔に比べて良い時代になったのかもしれないとしみじみ思う。

ところで、私が子供の頃貰った「アスペルガーのお友達どう付き合うか」の本を読んでみると、症状が全然当てはまらない。肌触りに敏感でもないし、誰か(この本で言うとクラスメイト)が泣いていたらどうしたのかと心配になる。怒らせてしまったら私のあの言葉や態度が悪かったのかと気付くし、これじゃないと駄目みたいな強いこだわりも特にない。社会復帰してから遅刻寝坊もした事がない。作業にのめり込むこともないし、無くし物もしない。特に親しい友人や夫に、もしかしたら発達障害かもしれないから当てはまるなら正直に教えてほしいと頼んでみたけれど、特にない、別に普通だと言ってもらえた。私を含めた全員素人からなんとも言えないけども…。

最近気になる話を聞いた。子供のうちに猛烈なストレスを受けると、発達障害によく似た症状が出るらしい。それに関する論文をしっかり読んだわけでもないので、あくまそうかもしれないの粋だけど、もしかしたら、と思ってしまう。もう一度あのテストでも受ければ良い話なんだけれどめんどくさい。

私は普通になったんだろうか。なっててもなってなくても、今それなりに幸せからどっちでも良いか。もう寝よう。

2024-03-09

anond:20240308163423

コミュ障のワイですらボール転がってきたらスッと蹴り返すのに

運動音痴って大変だね

2024-03-04

anond:20240304000749

不登校経験があったり学校に馴染めない子でも楽しめるスポーツがあればにと思う。

これに加えて「運動神経が悪い子も楽しめる」そしてなによりそういった子たちが「まともに参加できる」体育があればいいと思う。結局体を動かす楽しさを味わえるのはどうしてもチームスポーツになりがちだが、チームスポーツ先生が上手く回さないと上手な子しか楽しくなくなりがちだ。


私は運動神経ポンコツだが、先生によっては体育がすごく楽しかった。具体的には

運動が得意な子と苦手な子で授業を分ける

苦手な子同士だとギスギス勝ちに行かないし、得意な子達も足を引っ張られず伸び伸びプレイできてみんな楽しかった。

ボールの数を増やし、1チームの人数を減らす

例えばサッカーでいえば、1チームの人数を5人くらいに減らしてボールを2個に増やしたりしていた。するとどうしても全員が参加しないとゲームが成り立たない。だから下手な私がボールを持っても上手い人に嫌な顔をされなくて堂々とボール遊びができて楽しかった。

この先生の時は運動音痴でも体育が楽しみで仕方なかった。


成績に関してはまあ、よいに越したことないが、自分運動音痴なことはよくわかっているので正直そんなに良くなくても個人的にはあまり気にならない。それよりまずは楽しく身体を動かせたら嬉しい。


あと、「座学の体育」とかもあっていいと思う。個人的に「スポーツルールや正しいフォームを知る」と「体を楽しく動かす」は全然別物だと思うので、いわゆる保健体育の体育の部分を完全にレクリエーション的なものにして、体育が担っていた「競技の正しいルール」とかは全部座学で済ませちゃえばいい気がする。それこそプロスポーツを観戦しながら解説するとかだったら、スポーツ観戦の楽しみ方とかも学べてよさげ

2024-02-28

anond:20240228170609

デブブス貧乏馬鹿運動音痴家族仲悪い人、普通におる。

ていうかそのどれか一つの要素があると他の要素も芋づる式についてきがち。

2024-02-12

バレーボールやってる夢で目が覚めた

運動音痴からみんな俺のとこにボールを投げてきて味方からまれるし先生は俺が運動音痴すぎてアドバイスのしようがないという顔するし体験させなきゃいけないから休んでなさいとも言えない顔するし敵コートはみんなニヤニヤしてるしなんで体育っていう教育が世の中に存在してるんだ?という絶望感で目が覚めた

まだ5時台だしもう少し寝よう

2024-02-01

anond:20240201172549

運動音痴かつ中学くらいまで勉強とか全然してなくて大してできなかった。

当然県下トップ校なんて及びもつかないしょぼい高校に進学したけど、中学終わりくらいか勉強に興味が出てきてそのまま旧帝大に進学した。

俺の高校では東大はおろか、旧帝大に進学するやつすら学年に1人いるかどうかという感じだった。

そんな俺でも興味のままに勉強して大学進学以降の成績はトップクラスだったんだよね。

増田みたいなタイプがなぜ大学で成績悪くなるのかよくわからない。

人生への嘆き

中学時代、私は運動が全くできない運動音痴だったが、勉強は得意だった。レベルの低い田舎公立中学校だったので常に定期テストは学年1位。私のアイデンティティ勉強しかなかった。田舎男子中学生の社会の中で、運動音痴はヒエラルキーの最底辺。体育の時間苦痛で、運動音痴で鈍臭い動きしかできない自分馬鹿にされているように感じていた。だから私は勉強ができない人間を内心馬鹿にしていた。体育の時間に散々私を馬鹿にしたのだからお互い様だと思っていた。

高校県内トップ進学校を志望し、模試では常にA判定だった。フィジカルの強さが物を言う野蛮な田舎とはおさばらできると思っていた。

念願叶って高校受験第一志望に合格し、私は県内トップ進学校入学した。ようやく、運動音痴の呪縛から解放されると思った。だが、現実は違った。

県内トップの子たちは運動勉強も私より出来る子ばかりだった。基本的に皆優しかったが、中には粗暴な者もいて、露骨に私の運動音痴っぷりを見下す態度をとられたこともあった。私のアイデンティティ崩壊した。勉強でも運動でも周囲に勝てない私は、自分がとてつもなく無価値人間のように思えた。その結果、自分のような無価値人間クラスメイトに話しかけても迷惑なだけだろうと思い込むようになり、誰とも会話をしなかった。勿論、高校時代友達が出来なかった。

一応、自分なりに勉強は頑張った。でも、東大京大に行くようなレベルには到底なれなかった。高校の成績は受験直前期でも半分より少し上くらいだった。トップにはなれなかった。

とはいえ大学受験地元旧帝大法学部に何とか滑り込んだ。

大学入学後、運動呪縛から逃れたかった私は、音楽サークルに入った。音楽センスがあるわけでも、楽器が特段上手いわけでもなかったが、友達人生で初めての彼女サークル内で出来て、それなりに楽しいサークル活動だった。

勉強のほうも、それなりにやった。政治に関心があったので、政治ゼミに入り自分の興味関心の赴くままに、ゼミ論文作成した。学部生の書く拙いものだったが、満足感はあった。

旧帝大ということもあり、地元ではちやほやされた。私は高校時代に潰された勉強というアイデンティを取り戻そうと思った。県下トップ進学校から旧帝大に入った実績がある。中学時代は学年1位だった。勉強は得意なはずだ。そう思って、学部3年生の時、私は法科大学院に進学し文系最難関の司法試験を受けようと決断した。

前述のとおり、ゼミ政治ゼミだったため、周りに司法試験を目指す友人はいなかった。そのため、相談できる友人もおらず、孤独勉強だった。勉強は何から手を付けて良いかもわからなかったが、とりあえず勉強して法科大学院試験に臨んだ。今思えば、全く努力方向性を間違った勉強法だったと思う。論証パターンという言葉を知ったのは試験の2か月前だった。もちろん既修者試験は落ちた。私は未修者コース入学することになった。

 法科大学院での生活は大変だった。学部のころに法律勉強を一応していたとはいえ講義の内容は難しく、予習復習に追われた。ほぼすべての科目が必修科目で、一つでも単位を落としたりGPA一定値以下だと留年卒業延期になるため、期末試験が近づくと、精神的に不安定になった。法科大学院生活では楽しいこともあるにはあったが、トータルで見たら辛いことのほうが多かった。

 期末試験を何とか乗り切った私は、一年から二年生へ進級できた。二年生になり、既修者と合流して講義を受けた。周囲のレベルの高さに正直ついていけず司法試験に受かるとは思えなくなった。深夜に自習室勉強しながら涙を流す日が続いたことをきっかけに、中退を決めた。勉強というフィールドで戦うことに心が折れたのだった。

 未修者コースには東京の中堅レベル私大法学部卒や地元私立大学法学部卒の人間などもいた。私が心折れて中退した後、彼らは卒業までこぎつけ、ついには司法試験に受かり弁護士になった。私より勉強が不得意な人たちだと思っていたが、私が断念した試験に受かり、立派に弁護士をやっている。

 一方私は、法科大学院中退後になんとか就職新卒カードを失った私は民間を諦め、公務員試験を受けるしかなかった。新卒就活だったら切符が手に入ったはずの企業に足蹴にされるのが怖かったからだ。法科大学院法律勉強をしていたこともあり、公務員試験筆記試験特に苦も無く合格した。面接もそれなりに振舞えたようで、第二志望の自治体採用が決まった。入庁後は上司や他の自治体職員から執拗にきつい言葉をあびせられたことを機に、メンタル病み休職。今は完全に閑職に飛ばされ、精神的負荷の少ない仕事を任されている。出

世の見込みはないだろう。

 中学生以来の私の勉強というアイデンティティは完全に失われた。こんなことを言ったらドン引きだろうが、私より入学難易度の低い大学出身人間弁護士として働いていることや、中学時代に私より勉強のできなかった中学校の同級生東京大阪大企業新卒入社してギラギラと頑張っていることを知るたびに、猛烈に落ち込む。学生時代は私のほうが勝っていたのに、なぜ。。。と。

私が学生時代積み上げてきたものは何だったのか。ときたま人生意味を見出せなくなる。人生意味を見つけようと私なりにもがいた。音楽社会サークルに入ったり、大学公開講座に参加したり、大学院進学を検討したり(来年放送大学大学院を受験しようと考えている)。だが、何をしても私の心は満たされない。

32歳にもなってこんな内容の長文を書いて、我ながら心底みっともないが、ありのままの心情である

2024-01-29

anond:20240129205757

そういうことをするのではなくストレスそれ自体に向き合って克服するしかないのではないかと思う

10代・20代の頃にモテなかった、運動音痴だった、体格に恵まれなかった等々を理由として嘲笑する連中は多々いるのだから高校卒業時に難関大学入学できなかったことがコンプレックスならそういう揶揄を見るたびに精神不安定になるわけなので、今代償行為をしても解決策になるとは思えない

2024-01-25

資格勉強を代わりにやってくれる優しくてエッチなお姉さんがずっとそばにいてほしい

飲まず食わず不眠で生きていられて風邪をひかない、でもぼくが風邪で弱りきったお姉さんがみたいなってお願いしたらいいよって言って風邪をひいてくれる

運動能力はあらゆる種目で世界記録樹立できるほど突出しているけど基本的にぼくの身の回りの世話をするために生まれた人だからそういう記録にはまるで興味がない、でもぼくが運動音痴でドジっ子なお姉さんがみたいなってお願いしたらいいよって言ってお盆をひっくり返すようなドジっ子になってくれる

お姉さんの笑顔をみたらすべての肉体疲労・倦怠感・ストレス不安・心的外傷が吹っ飛んだように治癒する、でもぼくが女王様みたいな鋭い眼光でキッと睨みつけてぼくの心を震え上がらせてくれるお姉さんがみたいなってお願いしたらいいよって言って捕食者のような鋭い目つきでぼくを委縮させてくれる

そんなエッチなお姉さんがある日ぼくの家を来訪してぼくの制止を振り切ってムリヤリ家に居ついてほしい

2024-01-18

紅白けん玉失敗したやつ

楽屋では誰も失敗した奴を責めず謝る必要はないと言い、三山ひろしDJKOOは直接優しい言葉をかけて励ましてくれたけど

本人が罪悪感でいてもたってもいられず土下座してしまった

謝罪の際にはYouTubeでいつも一緒にけん玉をやっている友達も付き合ってくれた

今は立ち直ってまた前向きな気持ちけん玉に挑戦している


っていう記事が上がってイイハナシナンダナーと思ったけど

見出し土下座謝罪のことにしか触れてなかったか

勝手に「集団で白い目で見られた」「無理やり土下座させられた」「いじめられた」「友達がいなくて誰も庇ってくれなかった」と脳内変換して自分いじめ体験ぼっち体験と重ねて発狂して他の参加者叩いてる奴多すぎで草

ちょっと最近異常すぎる

見出ししか読まなかったり雑は決めつけはいものことだけど最近それが本当に酷くなってるというかあまりにも調べなさすぎる

ちょっと前まではちゃんと読めよ文盲ソースちゃんと確かめたのか?wってバカにしてたはずの層がソースを見ない側に回るようになったというか

いじめられて弱者男性/弱者女性になったとか発達障害があるとか何かしら被害者的な立場であることは本当なんだろうけど被害者意識だけ増大しすぎてひどいことになってる


ちなみに自分は「あっ失敗した!!失敗したせいで負けた!!」みたいな局面が辛いかスポーツ全般見れない

運動音痴から嫌な思い出もある

でもスポーツのものをなくすために声を上げていこうとか球技を楽しむ児童からボールを奪ってしまえとかは思わない

辛い気持ちになった=自分正義ではないだろう……

2024-01-01

anond:20240101204221

😷運動音痴ワイは見えてる段差ですら躓くやで

2023-12-26

anond:20231225064431

子供はそういうの察知するよ。長男さんも、本心では嫌われるの悟ってるけど、気付かないふりしてると思う。

てか運動神経が悪くて鈍いのも、太ってるのも、あんたの管理不足やろ。かわいいかわいい甘やかして、好きなことだけさせて好きなもんだけ食わしたんだろ?

子供がみんな次男みたいに自然運動神経身につくわけじゃ無いんだよ。幼い頃からどれだけ運動してたかがかなり重要。そこでもう生涯の運動神経とか空間認識能力とかが決定しちゃうんだよな。外に無理やり連れ出してボール遊びさせ、ボール遊びすら嫌がるようなら何か球技のチームとかスクールにぶち込むべきだったな。そうすりゃどんなに先天的センスが無いとしても運動音痴にはならん。

2023-12-04

学生時代多分回りの大人や半数ぐらいの同級生障害者だと思われてた

成績はほぼ勉強せずに常に上位3割ぐらいにはいたんだが、運動音痴なのとほぼしゃべらない、頭が人より大きめなのがいけなかったんだろな

普通に勉強できるから知的障害の要素はないと思うんだがなぜ意志疎通しないだけで障害者だと思ってしまうのだろう

2023-11-27

ジムすごい

ジム行き始めた

理由運動不足解消とダイエット

年取ってから全然体重減らないかやばいと思って、週2程度だけど行き始めた

初めは器具の使い方とかわからなかったけど、今はなんとなくわかるようになってきた

ただ長年の運動不足故に正しい姿勢全然できないなら目下の課題

ジム行くたびに体重を測るけど、筋肉量が増えていくのがわかって結構楽しい

ジムは午前中に行くという目標を立てたので、早寝早起きができるようになった

あとこれは予想外だったけど、ジム行きだしてから集中力が上がった

プラセボとか勘違いとかかもしれないけど、仕事中に集中できない・ボーっとすると言うことが減ってきた

運動音痴から体育って苦手だったけど、トレーナーさんが優しくて丁寧に教えてくれるから体を動かすのが苦じゃなくなってきた

ジム楽しい

これからも頑張る

2023-11-26

anond:20231126051651

運動音痴だったのなら正当な評価では。

たとえば九九もできないのに他の科目の成績が良いからって数学が2とか3だったらおかしいじゃん。

anond:20231126051651

自分運動音痴ナードタイプだったから体育の授業はよく休んでたし非意欲的だったけど

保健のペーパーでカバーしてなんとか5段階評価で2ぐらいつけてもらってた、10段階評価では5ぐらいになったかな?

その評価は悪意があると思う

開示請求とかできればいいけど、いまさら動きにくいし苛々つのるよね、かわいそう

中学の頃体育の評定1だったの普通に訴えたい

他の科目の評定は10段階で8ぐらいだったけど保健体育だけずっと1だった

まあ運動音痴から仕方ないんだけど…

三者面談で「相対評価から仕方ないよ(笑)」って担任に言われたの今でも覚えてる

1つけられる人の比率的に、自分は学年で下から4番目か5番目までに入る成績らしくて

1回も休まずに授業受けて補講も受けてペーパーテストは満点近く取ってたのになんで???ってすごい悲しかった

体育1やったわ!!って教室で話してる子もいたけど、どの子ヤンキーというか、そもそも学校全然来てない子だった

毎日学校来てクソ真面目に体育の授業受けてる自分が惨めに思えた

評定=受験で加算する内申点から1つでも1があるとかなりハンデで

(しかも副教科の内申点だけ何故かウェイト高かった)

塾でも「1があるとちょっとなあ……」って先生に言われて

本番の試験でかなり点数取れたのに志望校に落ちたのはやっぱり内申のせいだった

別に今更中学の時のこと思い出して悩むことはないけど、やっぱりムカつく どう考えてもあの評価おかしかっただろ

2023-10-19

anond:20231019221642

小谷野敦秋葉原事件があった時に言ってたけど、「本当のコンプレックスは口に出来ない」そうだ。

秋葉原無差別犯人は見た目をコンプレックスだといってるが、他にもっとコンプレックスな事があるはず

ってな事言ってたな。

弱者男性もたぶん自称してるやつはコンプレックスでもなんでもない「どこか余裕がある層」なんだろう。

別に責めてる訳ではなくて、確かにこの傾向は誰にでもあるよな。

ちなみに小谷野先生は「運動音痴コンプレックスだった」と告白していた・・

(当時は)自分講師教授でないことを自虐的に書くことが多かった人だが、それはそんなにコンプレックスではなかったらしい。

2023-10-03

球技センスものを言うのか?運動音痴は治らないのか?

いきなり自慢みたいな入りだが、俺は小中学校の成績は5段階評価でほぼすべて5だった。主要5教科は当然ながら、美術音楽も5だ。

だが、運動音痴だった俺は、体育だけはどんなに頑張っても4、時々3、一度だけ2だったことがあった。


小中高と、俺は体育教師に嫌われがちだった。2をつけられたときに何故だと抗議しにいったのだが、真面目に取り組んでいないだろうというようなことを言われた。確かに俺はスポーツを猿の遊びだと心底バカにしていたが、授業は真面目に受けていたつもりだったのでショックだった。


さすがに2はまずいと、次の学期はさらに熱を入れて取り組んだ。30過ぎたいまでも覚えている。その時のカリキュラムバスケットボールだった。実技テストとして「レイアップシュート」をやらされた。だいたい一ヶ月くらいの間に一度は成功させるのがノルマだった。

まず初日、当然のように俺は失敗した。そもそもドリブルしながら走ることができず手足がぐちゃぐちゃになった。アメトーク運動手芸人のアレだ(当事者からするとアレは笑えないし変な汗が出る)。


だがその時の俺は一味違った。体育教師に頼み込み、昼休み部活前などのスキマ時間練習を見てもらうことになった。

まずはドリブル練習だ。ゴール下まで辿り着けない大問題があるので、スタート地点からゴールまでの歩数を数え、1・2、1・2、左・右、左・右……みたいな感じでゆっくり近づいていく練習をした。そもそも立ち止まっていてもダムダムしているうちにつま先に当たってどこかへ転がって行ってしまうので大変難航した(体育教師は頭を抱えていた)が、少しずつ歩けるようにはなってきた。

放課後ブックオフスラムダンクを読んで備えた。庶民シュートは「置いてくる」。俺は完璧理解したと思った。


特別訓練を始めて二週間が過ぎ、ようやく俺は「歩いて」ゴール下まで辿り着けるようになった。走るのはまだ無理だった。ゆっくり歩いてゴール下に近づき、びょんと跳び上がって手を伸ばし、ボールを放す。見当はずれの場所へ飛んで行くボール。慌てて追いかける俺はシューズの紐を踏んづけて転び鼻血を出した。体育教師は無言で氷嚢を持ってきてくれた。


そして迎えたカリキュラム最終日。俺はここまで一度も成功していない。残っているのは俺だけだ。テストパスした他のクラスメイトはほぼ自由時間で、テストに使っていないゴールの下でミニゲームみたいなことをしていた。

それを横目に、俺は体育教師視線を向けた。小さな頷きを確認して、俺は徒歩ドリブルを始める。一歩、二歩、やがてゴールの斜め下までやってきた俺は、意を決して助走をつけ跳び上がって手を伸ばす。毎日寝る前にイメトレした。ボールを置いてくる。力まず自然に行えば必ず入ると体育教師も言っていた。

果たしてボールはすっぽ抜け、あらぬ方向へと飛んで行った。虚しく弾む音はミニゲームの歓声に掻き消された。


結局、最終日の授業時間を目一杯使っても俺はレイアップシュート成功させることができなかった。自主練をした挙句これだ。俺は酷い自己嫌悪に苛まれた。授業後、体育教師の言った言葉が忘れられない。

「まあ……バスケができなくても死にはしねぇから……」

体育は3だった。俺の自尊心は死んだ。


多少の脚色こそあれど、不本意ながらこれはまったくの実話だ。運動音痴はやる気を出して自主練をしてもこれだという悲しいエピソードだ。

かたや、なんの苦もなくできるように見えるクラスメイトがいる。これは幼少期からの蓄積ゆえなのか? それだけだろうか。やはりセンスものを言うように思えてならない。

願わくば俺の息子が、俺よりも球技センスがいくぶんかマシであることを祈ってサッカーボールを買いに行く。

2023-10-01

和太鼓始めた。ドラム齧ってたか打楽器やるの楽しいけど、運動音痴からダンス的なパフォーマンス部分の動きが我ながらダサすぎる。

小さい頃から初めて高校生だけどキャリア10年以上みたいな子もいてめっちゃかっこいい。

やっぱ祭りは動けるかっこいいやつの勝ちだよなあ。

追記】翌朝案の定筋肉痛であるロックソーランが効いたわ。

2023-09-25

なんの特技もないけど、匿名ダイアリーで何度も一位取ってる

バカ、ブス、無能運動音痴仕事できない、ダメダメ人間の私が、唯一持ってる才能だってことに最近気づいたんだが、この才能があったとて金にならないことに気づいて絶望している。

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