むしろどうやったら破けるんだ
破けない使い方をマスターすること。
どうしても見たいドラマがあったため、昨日は残業を早めに切り上げ帰宅した。
ドラマ終了後、すぐに仕事(持ち帰った)にとりかかるべきか迷ったのだが、安定剤を飲んだせいか、どうにも眠気が止まらない。ドラマの次に見たい番組が2時間後にあるため、それまでに仮眠をとろうと横になる。当然、「仮眠終了時間」用の目覚ましと「見たい番組」用のアラートはセット。
―気付いたときは、朝のニュース番組が始まっていた。カーテン越しに朝日が差し込んでいるのに、部屋の明かりも煌煌と。
化粧したまま歯磨きもしないで寝ちゃったんだな・・・目覚ましと携帯、鳴りっぱなしだったのかな・・・ウチのテレビ、ずっと砂嵐放送してたんだろうな・・・とか思いながらのろのろ出社支度をした。当然、持ち帰った仕事を小人さんがやってくれたなんてオチは無い。
正直、今までも家で仕事するときに、うっかり寝てしまったことは何回かある。だが、少なくとも夜中3〜4時頃にはハッと目覚め、慌てて化粧を落としたりしながら目を覚ましたものだ。
ひょっとしたら疲れが原因なのかもしれないが、今回は安定剤が原因のような気がする。いや、そう思いたいだけなのかも。徹夜で仕事〜とかムリな性分なのかな。
そいつは痛いV/Oだ。
何てったってワタシは二年間も「これで最後」と公言していたのだからな。
しかも今回も止める事が前提。リミットは後1ヶ月程とさせて頂く。
〜T/H
彼らはそこまで醜くは無いよ。美しくも無いけど(笑)
勿論、本気で怒っている時は使わないが、
基本的にやや「喜怒哀楽」の「何れか」だと思って頂ければ幸い。
「友敵」の感覚と「美醜」の感覚は多分ダイレクトで繋がってますね。
つまり「戦争」とは「我らは正しく、彼らは汚い」と公言する事である。
〜T/H
いよいよ始まった行政刷新会議!
行政刷新という鳴り物入りで始まった会議だが、オープンにする姿勢など一定の効果はあがっているご様子。
今回はそれについて書こうと思う。
暇な人はホームページ「http://www.cao.go.jp/sasshin/index.html」が出来ているので、見てみよう。
急いで作った感があるが、必要な情報はありそうだ。
ここで配布資料、今後の計画、議事録、珍しく実況中継機能までカバーされている。
鳴り物入りといったが、国民新党なんかの静香ちゃんは、評定する委員の構成に外人がいるとか、
またいつものぼやきかと思うかも知れない。
新与党最高のトリックスター静香ちゃんがいうことは大体ピントがずれているが、
発言するタイミングは政治家特有の勘からか当たっている事が多い。
おっとと「行政刷新会議とは?」「事業仕分けとは?」
という人は、まずはこのあたりを事前に読んだほうがいい。
(第1回配布資料)
資料5-1 事業仕分けを含む今回の歳出の見直しの考え方
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d1/pdf/s5-1.pdf
資料5-2 事業見直しの視点
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d1/pdf/s5-2.pdf
(第2回配布資料)
資料2 事業仕分けの対象となる事業・組織等(案)
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d2/pdf/s2.pdf
上記は、事業仕分けの意義や視点がある。たしかによくまとまっている。
第1回の配布資料は乱暴にまとめると「国民に見える形で、無駄な事業を棚卸しして、予算を圧縮しましょうよ」っことだ。
おもしろいのは第2回の配布資料2。
ここに「事業仕分けの対象となる事業・組織等」の一覧がある。
よ~く読んでほしい。
まず、ここから浮かび上がる1つ目の疑問は、どうしてその事業が行政刷新会議の俎上にあがったかということだ。
案を作った財務省の担当あたりは、すげー苦労してつくったんだ、とか言いそうだけど、部外者が見たら、恣意的以外の
何者にも見えないリストだ。
おそらく各省庁の横の調整もあまりうまく言っていなかったんだと思う。(上層部だけはつながっているかも知れないが)
弱い省庁たちの夕暮れ、さらに弱い部局を叩く。
権限の弱い部局や事業は悉く俎上にあがっているように見える。
逆に言うと、本当のエリートの官僚たちの逃げ道はこのリストにはないと言っても過言ではない。
このリストにない出先機関が本当は聖域なのだ。官僚たちはこのリストが、逆に読まれることまで気が回らなかったに違いない。
うまく隠蔽したつもりかも知れないが、ここにない事業や出先機関こそ大事だと思う。
よく読んで外部にある資料類と比較すれば、おかしい省庁がいくつか見つかるはずだ。
切られてもさして痛くない蛸の足をリストにあげている省庁こそ疑うとよい。ここではあまり具体的には書かない。
一般人も傍聴に参加できる事業仕分けであったが、予想以上の人数のため受信レシーバーやスリッパが足りなくなったらしい。
おばちゃんが「スリッパがないっ」て怒ってる映像があり笑えた。
突っ込むのはそこじゃないよ!
蓮舫女史の口角泡飛ばしが見所じゃないよ!
後ろに映っている風景!えだの、うしろ、うしろ~。
東京のど真ん中の市ヶ谷に、ものすごくでっかいバスケットコート付き室内体育館。
バスケットをして腕力を鍛えないと、重い輪転機が回らないんでしょうか?
3ポイント入れる集中力ないと、透かし技術は成功しないのでしょうか?
不健康な絵。シュールとはまさにこのこと。さいごに体育館が役に立ってよかったねって、じゃねーー!!
責任者でてこーい。
そうそう予算の執行しか(強制的に)目が言っていないけど、収入の分配はどうすんだ。
酒類の研究所が事業仕分けにあがっていたが、同じ嗜好品のたばこの収入はどうなる?
これを活かせば、目的の削減額はかなり近くなると思うんだけど。
弱い事業をちくちく公開でいじめて、民衆のルサンチマンを解消しなくても済むかもね。
(もちろん精査は今後も必要だけど、やるならもっとフェアにやるべき)
たばこ税なんて副流煙含めて国民の健康を、ガリガリ削って得られるまさに血税だ。
どこかの省庁が一人占めなんてしないで、当然差し出してくれるよね?
国民のために。
つるんで遊んでたのが母親になったときはショックだったな。
【主要先進国】
オーストラリア 64%
スペイン 59%
英国 46%
カナダ 42%
オランダ 39%
米国 37%
フランス 31%
イタリア 28%
ドイツ 16%
日本 -4%
【主要新興国】
中国 246%
インド 157%
ブラジル 143%
韓国 77%
障害とはいっても、主に知的障害の話です。
多動、自閉、ダウン等ありますが勿論軽度から重度まであり、一概に言えない分野でもあるとお断りを入れておきます。
主に自閉の場合です。
世話をしなければいけないし、気苦労は耐えないし、なにより日常の一般社会から外されてしまう。
外されてしまうというより、子供が物心付く頃には障害児の子と自分二人の普通ではない世界の<普通>が彼らには常識になってしまうから。
―不思議なもので子供が不可解な奇声を発していてもそれが普通になる。
―多少変な行動をしていても目を離せるようになる。
―一つの対象に執着し、例えば人形の髪をこねくり回していても気持ち悪い所か微笑ましい。
そうして外へ出れば当然奇怪な視線に晒され、そこで彼らの奇怪が日常になっていた親は一般社会との差異を初めて猛烈に感じることになる。
そんな一般社会から親はわが子をどう守り育てればよいか?
そのポイントで一般社会からどういう目で見られるか分かれ目になっていると思う。
どうにも残念な親の方が多い気もするが・・・
一般学級に通う兄弟が居る親の方が、我が子の振る舞いに申し訳なさそうに腰が低いパターンが多い。(※1)
「親が付いているのに奇声奇行をスルー」それは親にとっては<普通>だから。
残念だが奇声は静止できない。
けれども障害のレベルでは危害を加えないもしくは他人に不快感を与えないレベルに出来なくはない。
勿論親も度が過ぎる場合は叱らなければいけない。
それがどのレベルか分からない人もいるが、個人的には人に興味を持ち絡む時には相手と場所を考えて静止すべきはする辺りがライン。
周囲に理解がある場所が少なすぎる⇒施設だけでなく社会でも、が理想だが理解を得られていない。寧ろ偏見。
http://anond.hatelabo.jp/20081211235156
注意して理解は出来るレベルなら怖がらずに注意を入れたほうがいい。
でないと野放しになるから。
彼らは親と施設関連という狭い世界で育ってきたから一般社会の常識はその住民が教えてあげるしかない。
実際の所は怖い、危うきには近づかずの偏見で注意する人はいないが・・・。
それに「人に注意されても聞かない聞けない(逆キレ)」レベルの重度、
そういう躾をされていない(親が障害だからと叱ってこなかった)場合、ストレスが貯まっていてプッチン、
もあるので難しい問題ではある。
ついでにhttp://anond.hatelabo.jp/20091108162347
何も分からないと思っていたら大間違いで、一般の人より感情が分かる。
周囲の気持ちが筒抜けだったんだろう。
お金をちゃんと払えたんだから、せめて「ちゃんと払えた!出来た!」と生暖かい目で見守ればよかったパターン。
所謂池沼に理解が全くない例。
(奇行が)キモイ・(何も出来ないから)邪魔という認識しかないから、世間から消えろと思うのは当然。
せめてそれが(奇行は)ある程度しょうがない・(学習能力はあるから)お金をちゃんと払えたな、そういう人も居る、
位の理解を持てれば、障害者とその親も少しは生き易くなるのかもしれない。
苦労は一般の子供の数倍手は掛かる。
成長はするが遅い。一日で覚えることを一年かかって覚える。十年かかることもあるだろう。
当然障害者支援施設のスタッフならばそれを親と見守り理解して褒めるが、それはその閉鎖された世界だけの話であって社会は厳しい。
そもそも成長する事すら知らない人が大半だと思う。
彼らにはその数倍手を掛ける事が<普通>であって、
その彼らは「彼らにとってはあたりまえである<普通のきくばり>を周りにもして欲しい」と考えている節がある。
問題なのは「周りにもして欲しい」という思いが一般社会の他者にはとんでもない負担なのだという事実を彼ら自身気付かない事。
世界に落差がありすぎて、その主張は奇怪異端にしか聞こえない。
しかも彼ら自身はそれを当たり前だと感じているからどうしようもない。
当然両者は合間見えない。
モンペに近いとは思うが、その感覚を一般社会に持ち込むパターンも性質悪い。
上長の親戚が障害児、受け入れられないか?というレベルならまだしも、出来ないなら自分が直接見るから受け入れて
という事を平気でやる。身内びいきを悪びれなくナチュラルに言う辺り過保護さに唖然。
言いたい事は多々あるが別で。
まずは理解してもらうしかない。
同性愛のように、こういう人間が居ると主張し、まずは存在を認めてもらうのが偏見脱却には一番だと思う。
そういう団体もあるかもしれないが、いきなり「路頭で奇声あげて困りうろついてたら助けてあげてというレベル」
で理解を求めようとしても落差があり過ぎる。
同性愛者団体が「自宅で兄が男とセックスしてても理解して許して」と主張するような物で、
まずは「同性を好きになる人が居ます」から始めないといけないように、
障害者も「奇声をあげたり言葉を繰り返したりしてします人間が居ます。奇怪に見えますが危害を加えません。」から
理解を求めないといけないと思う。それでも敷居は高いが。(※2)
勿論差別はなくならないが、障害の内容を理解してもらえば実際問題少しはマシになるからだ。
奇声を発する/意味のない言葉の連呼/突発的な所作、この辺の騒音+奇怪行動レベルでも理解は得られる。
我慢して頂ける。
勿論当初はクレームも付いたが・・・駄目と注意すれば理解し成長すると周囲理解が得られるとその子へ声を掛けてくれるように。
当然こちらも静かにするよう注意したりもする。(が、きつ過ぎると我慢後酷くなる場合があるから難しい。親の苦労を思うと・・・)
ただしその「我慢していただいている事」を当たり前だと思ってしまっては駄目。
この部分を忘れて「我慢するのが当たり前」とならないよう(なってしまっている親はモンペと言われる)気をつけないといけない。
大変だと思う。現に大変ではあるし。家から社会から。
出来るのは「障害者が居る」という事と「育てる人の苦労」を理解する事。
親がモンペとなり理解されないからせめて権利を主張する、とならないように。
※1;周囲の目を気にして行動できるが、兄弟に負担を求める。
※2;「わが子の見せしめ」と思うだろうからほぼ無理かもしれないが。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tvhumazu/20091109/p1
そういうのは「会った」とは言わない。「見かけた」だけだ。
「会った」というのはお互いが相手を個性として認識しているときに使う。相手が有名人じゃなくても。通常は知り合い同士だ。
有名人を至近距離から見た場合、こっちは向こうのことをメディアを通して知っているわけだが、向こうはこっちのことをなにも知らないわけだ。
そういう場合に「会った」は成立しない。会話が成立すれば「会った」に入るかも知れない。
俺も今日は感じる
ちょっと前に思わず書いたんだけど
http://anond.hatelabo.jp/20091112223841
やっぱ今日は変な雰囲気なのかな
おーーーーーけーーーーーーーーーーーーー!!!!
志を持つことはいいことだぜ!!
まずは仕事探しだ!
間違えるなよ! スタート地点はここからだぜ!!
ちゃんと読んでなかった
小説家か
仕事…辞めちゃったんだっけね…
がんばれよ
頑張るんだー、という意気込みの元に頑張った一年半。
頑張って結果もついてきたのだけど、会社を辞めてしまった。
うつなのかな、よくわからない。精神科にいって薬はもらってたけど、辞める一つ気前からは忙しくていけなかった。結局取れなくって有休も少し残したままだった。
そんなこんなで今、NEETというべき状況だ。
自分は転職してやっていけるのだろうか。そのことを考えると死んでしまいたくなる。
大学時代は小説を書いていたけれど、友人は本気でやってみたらどうかという。でも作家になるのは難しいと思う。
デビューするというスタートラインにたつことが難しい気がする。世の中にそう考えている作家志望者は多いのではないか。
今日も転職サイトを見ながら自分には何のスキルもないという現実を実感し、人生を投げ出したくなる諦念に襲われる。
友人が言った「死ぬんだったら作品書いてから死ね」という言葉を真に受けてもいいものか。
ほかに選ぶ道もない以上、書いてみるのがいいのかもしれない。
一年半、書くという活動からだいぶ遠ざかっていた自分は、あのころに戻れるのだろうか。
戻らなくてはいけない。書かなくてはいけない。
好きだから、だけではやっていけない。自分は商品になるものを書くのだ。
ニッチな層に向けた作品になるかもしれない。どこに投稿すればよいのか今はまだぴんと来ない。
でも、書くしかないなら書くか。