はてなキーワード: 私の転機とは
http://m.huffpost.com/jp/entry/8902352
私も塾には行かなかったし行きたいとも思わなかったが、仮に行きたいと思ったとしても、行けなかったと思う。
別に黒い服を着たおじさんが家に来たり、親がギャンブル中毒で離婚したりはないし、(大学に入って一人暮らしをするまでは)特段ひもじい思いをしたことも記事に書けるようなドラマチックな出来事も何もなかった。
しかし、子供心に塾の授業料を見て、ウチの家計では無理だろうなと思ったくらいの家庭に育った。要するに田舎の一般的サラリーマン家庭だった。
周りはあまり裕福ではなく、飯場のようなところで、ギャンブル中毒の親、母子家庭、父親の自殺、小学校6年間で4回も苗字が変わった子、夜逃げしたためどこか遠くから車で送られてくる子等だらけだった。
(金銭感覚や教育観といった観点で)まともな両親が2人とも健在だった時点で、そこでは最も恵まれた環境だった。
そういう意味で、私は当地では最も恵まれた環境に生まれ育ったと思う。
大きなショックを受けたのは、親の預金通帳を盗み見た時だ。
それ以来、私は親にモノをねだらなくなった。当然塾に行きたいとは言えなかったし、私は小さいころピアノが習いたかったのだが、習いたいと言えなかった。
私は14歳の時、田舎を出ることを決心し、田舎の中学を出て、片道2時間以上もかかるような遠い街の進学校へ行き、東京大学に現役で合格した。結局塾には一度も行かなかった。
私自身はそれが当然だと思っていたので全く辛くはなかったのだが、多分傍から見れば相当努力した部類だと思っている。
受験期には文字通り一日中勉強していた。これまでテレビとゲームとゲームセンターとボーリングくらいしかなかった私にとっては、本を読むこと、勉強はとても楽しかったのだが、貧しい体験からくる出世欲と反骨精神、この世に対する恨みのような気持ちは並々ならぬものがあったと思う。
今の私は、東京大学を出て大きな、公共に係わる仕事をしている。
田舎にいたころとは比べ物にならない人生だ。世間一般的には、エリートの部類に入るだろう。
給料は、外資に行った同級生、弁護士になった同級生と比べたらかなり少ないだろうが、普通の給料をもらって生活している。
社会階層を上げるためには大学に行くべし、というのは多分正しいと思う。
日本の大学受験(というより東大受験)の良いところだと思うことは、基本的にはどんな境遇の人間でも、ペーパーテスト一発、しかも普通の教科書理解できていれば合格できることだと思う(それが相応に難しいことは否定しないが)。
つまりは個人の資質や、やる気次第でどうにかなるものだと思うのだ。
だがしかし、このやる気というのがかなりの曲者で、その大半は環境で決まってしまうと思っている。
地方の進学校だったが、地元の中学とは全く違う人種が集まっていた。ゲーセンやテレビ、ファミレス以外の世界を知っているのだ。
この世界に多感な高校時代に飛び込み、周りが読むように本をたくさん読み、たくさん考えた。
これが今の自分の基礎だ。
そして高い交通費をかけて、遠い(公立だが)進学校に通うことに、反対せず後押ししてくれた両親の存在も大きい。
親がまともで精神的に安定していること、これは本当に大事なことだ。
不幸にもこのような環境が確保されなかった場合、私は同じように東京大学に独学で入り、今のような人生を歩めていただろうか。
おそらく無理だ。
視座を広げるためには、まずそれができる機会が与えられる環境にいることが重要だ。
モチベーションを維持するためには、少なくとも将来に前向きな人たちの多い環境にいることが大事だ。
負の感情だらけの中で、周りに影響されず自分を貫き通すのは、然して気持ちの強くない高校生の私にはできなかっただろう。
私は幸運にも環境に恵まれ、これから何でもでき、何にでもなれる人生を手に入れた。
最近やりたいことに悩んでばかりで、鬱々としているのだが、こうした経験をした自分だからこそできる方法で、世の中を良くしていきたいと考えている。
大学に入学してから私は今まで自分がいた環境のおかしさに気付いた。
私の出身高校はガツガツ勉強したのにインフルエンザであえなく落ちまくって滑り止めで入った私はとてもイレギュラーな存在で、生徒のほとんどが親の中学生の一番楽しい時期に受験なんて可哀想ざます!で中学受験をした割と裕福な家庭の(学力はお察しな)子供が多かった。
そんな環境であるが故か、友達もその友達も大体が一部上場企業の息子を始めとする中小企業の社長の子供、世界的〇〇の子供、神社仏閣の跡取りやマスコミのお偉いさんの〜〜などというラインナップであった。
リーマン家庭の我が家は当然下流の存在であったものの、よくある漫画のような貧乏人差別などは全く無かった、というより友人が六○木ヒルズに住んでいるような環境が標準状態で生きて来たお嬢様お坊ちゃんの意識のなかに自分達が恵まれていることなど全く存在しないのである。
私は都内から通える首都圏の大学に進学したのだが、これが私の転機だった。
まず驚いたのが公務員の子供の数だ。私は今まで地方公務員に縁遠い生活を送って来たのだが、大学に入ると突然の公務員率に見舞われた。
更に彼らの多くは進路に公務員を入れていた事にも驚かされた。
今までの友人の口から公務員という言葉を聞いたことはなく、そもそも進路に関して真面目に考えている人間の方が少なかった。
家という後ろ盾があるからとほとんどが指定校推薦でやりたいことを大学にしに行くというのが高校のスタンダードで、高卒で働く選択肢なんてものは考えたことすらなかった。
しかし大学の友人達の友人は同じ年で既に自分の将来を見据え、様々な理由から勉学よりも仕事を選ぶ子がいるという事実に少し恥ずかしくなった。
冷静に考えると、アホ高校から全員わざわざ大学行って人生の夏休みを体験する必要が本当にあるのだろうか。いや、ない。
また、アルバイトに関しても私の中でアルバイトは大学生がやるものだと勝手に認識して何も気にせずお小遣いをせしめていたがそれもまた違った。奨学金も成績上位者のご褒美ではなかったのだ。
1年に何週間か海外に行くのは普通ではないし、我が家の国内旅行年3回も少なくない。お母さん達が働くのは暇潰しじゃない。都内の真ん中に持ち家があることは貴重なことなのだ。
我が家は下流ではなくあくまで中流であることもここでようやく気付く。
高校の友人たちを世間知らずと馬鹿にしていた私も同じ位世間知らずだったことを知った。
私と同じ様に、高校の友人は同じ反省をしている子がかなりいる。共通の困りごとは高校の調子で口走ると嫌みに聞こえてしまいそうなことがあること。
こんな事匿名でも無い限り言えない悩みではあるが結構本気で悩んでたりする。