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はてなキーワード: 編プロとは

2024-03-28

anond:20240327125848

気持ちはめちゃくちゃ分かるけど、増田さんはたまたま無職の時に自分が好きな業界募集があって舞い上がっただけなように見える。

向こうとしては当然プロを求めてるわけだし、業界経験ゼロ提供できる価値が人当たりの良さとマルチタスク、ではふんわりしすぎているかも。

氷河期土地柄や性別で悔しい思いをしたところ、同情できる点はたくさんある。でも私はずっとやりたかったクリエイティブ系の仕事のために別の仕事しながら資格かめっちゃ取ってオンラインやらオフ会や展示会の度東京行ってコネ作って準備が整った30歳の時点で全部家族との縁とか捨てる覚悟で一念発起して地方から上京した(今もその業界に何とかしがみついてるよ)からぶっちゃけ増田さんの職務経歴書を作り込んだという話だけでは"甘いな〜"とも思ってしまった。

東京本社出版社なんて、もっともっとガツガツして準備して郷を捨てて人を蹴落としてでも職を掴んでやるって覚悟の人がごまんといるよ。学生時代から編プロに潜り込んでなんとかコネ作ったり、顔覚えられるぐらい出版持ち込みしたりとかね。

増田さんは小説書きになりたいの?それとも本気で編集者になりたいの?編集者に本気でなりたいなら、九州在住でもやれたことはたくさんあったはず(地域誌のバイトボランティアに参加するとか、勤めてた医療系の広報と関わりを持って出版系のコネを作るとか、オンライン編集技術のワーク受講とか)そういうのがない時点でいくらグイグイ面接に来てくれても"お客様気分で応募してきたミーハー同人作家"としか見れないと思う。

でも面接までやってくれてのは、多分九州支部の人が"この人は見込みがあるから一度面接だけでも"と東京の人に伝えてくれたんだろうし、オンラインだろうと面接実施したのはきっと増田さんの職務経歴書履歴書編集者目線で見て光るものがあったのだと思うからすごい。全く落胆する話ではないと思う。その行動力を活かして次何をするかが1番大事だと思う。医療という絶対に食いっぱぐれないスキルがあるのは強いから、思い切って別業界に飛び込むのもアリなのでは。

自分と重なることが多くてついキツイ文章になってしまいごめんなさい。応援してます

2024-03-27

anond:20240327125848

でも実際のとこはその会社増田雇う理由ないよね。

普通会社アラフォーっていったら管理職とかやってるベテランだし、下手したらそれよりも年上の他業種未経験、実績なしのワナビー採用されないよ。

自分より若い管理職立場に立ってみても、年上の未経験者(しかも一昔前の同人経験豊富で熱意だけはあるオタクワナビー)と働くのは嫌だと思うよ。

たいていの会社地方支社って、コールセンターとか単純労働部門を置いて安い時給で現地のアルバイト採用してコスト抑えるか、その地域の優秀な学生地元から離れたくないタイプを囲い込むか、東京編プロとか出版社に勤務してたけどUターンJターン考えてる人を取るのが目的であって、現地で仕事がない未経験ワナビーのための慈善事業ではないことを理解したほうがいいと思う。

編集者希望する若い方々に現地採用の門戸を設けて頂ければ幸いです」 とか言うのもさ、増田がわざわざ言うようなことじゃないよ。

優秀な若い人になら増田心配するまでもなく門戸は空いてるよ。東京企業で働けるレベルの実力があるけど地元から出たくないor地元に帰りたい若い人にはね。

なんか言ってやった感出してるけど、結局自分相手需要に合わなかっただけのことを「悪徳企業が年齢とか職歴とか地方出身からとかで差別して不当に門戸を閉ざしてる」と解釈して安心してるよね。

地方の人って、地方から不利ってのを言い訳にしたがるけど、九州因習出身女性でも親の反対押し切って東京に出て、学歴はなくても若さ武器編プロバイトから下積みしてる人はいるんだから、そういう人と比べてガッツがないのは否めないよね。そういう人たちと比較されて判断されてるんだよ。他人と横並びで田舎から出られず特に突出した能力もないワナビーを救済する義務なんて企業にはないからね。

漫画編集って全国区で読まれものを作る仕事なのに、田舎価値観に縛られてる時点でアウトじゃん?

しろ増田地元ローカル漫画プロダクション作ればいいかもね。よくある因習村でドアマットヒロインがひたすら耐えるようなやつ、増田地元ならリアリティがあるかもしれないし。

まあ、確かに先方の人事の態度は悪いように書かれてるけどさ。

冷静に考えてみてよ。一度エージェント経由の書類で落としたワナビーおばさんが現地支社に友達のツテ使ってまでゴリ押しバイト応募してきた段階で、最初からネガティブ評価になるのは当たり前では?仕方なくミーティングの場は持ったものの「やっぱ無理だから断っといて」って現地の担当者に言って終わり、それで現地の担当者増田に言いづらくて放置作家さんの友達だし、断ったら逆恨みされそうで怖い)って流れが目に浮かぶわ。

それと、オンラインだと目線合わないのも普通にあるよね。先方が見てるのは画面でありカメラではないから、微妙目線ずれて当然。

増田も画面見ながら相手の目を見て話してたかもしれないけど、カメラから目線ずれてるから向こうとは目はあってないよ。

画面での目線が合わなくて話しづらくなるって、オンラインコミュニケーション力が弱すぎるのでは?それでコミュ力に自信があるってのもよくわからん

相手事情を考える想像力とか、年相応の社会経験に乏しく自己分析もできてないんだから、そりゃ落ちると思ったわ。

anond:20240327125848

高年齢未経験で1社決め打ちというのが最初から無理ゲー

都内であれば無限出版社編プロあるから中小どこでもいいから片っ端から受けろ

とりあえず業界経験ついて一人でそれなりに回せるようになればいくらでも転職先はある

anond:20240327125848

熊本コアミックスかな?

https://kumamoto.coamix.co.jp/

漫画編集者新卒でも相当狭き門だし、中途は編プロに勤めた等で仕事を回すスキルがあることが前提の採用ほとんどだろうから

地元共通なだけのアラフォー経験が熱意だけで入るのは相当無謀かな…という印象

anond:20240327125848

出版社だけに応募してない?

編プロだったら誰でも入れるよ

2024-02-10

anond:20240210105751

月80時間残業デフォでも40歳年収500万とかそのくらいまでしかいかず、しかもどんなに優秀でも契約社員以外では大手版元に転職できないのにも関わらずマンガ編プロ選考激烈で早稲田出た新卒だらけなのバグだよな

anond:20240210105751

編プロとしてyoutuberやっちゃえよ。

そして視聴者からどっかで落とされた作品をみせてもらって講評でもすればいい。

anond:20240210105751

例え話のところが正直わかりにくいのと、話の筋がどこへいくのか(編プロの話なのか漫画家の話なのか自分の話なのかプロパー若手編集者の話なのか)がわかりにくくて読みにくかった。

結局A先生は当初の持ち込み企画を連載できたということなのか。

お体大切になさってください。

漫画編集者の端くれだったことがある


青年向け漫画編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである

本日記は『セクシー田中さん』の件とは関係ありません。

働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくま編集プロダクションである出版社編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請け下請けだ。出版社出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品のものを作って、編プロ雑誌本体を作って、その制作過程印刷所やデザイン事務所といった専門集団関係することになる。

イマイチ説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。

自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社ひとつ。そういうアナロジーだ。

出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営制作現場の間にあるような仕事は、出版社社員が直接することもあれば、編プロ出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。

前者の例だと、マガジンサンデーチャンピオンなどだ。コンビニ書店にほぼ必ず置いてあるレベル漫画誌。大手出版社総合職コース入社した人が、(編集取材制作、資材、宣伝マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門ひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。

後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロ出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌関係

ほかの長文増田記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくま自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。

その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生作品を読んだ。

その後、編集部責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。



A先生について

A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。

弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。

画力が抜群だった。小学校中学校で、学習ノートフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。

難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。

A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているか微妙だった。

子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。

私という人間は、具体例で物事説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URLhttps://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントきっかけで元ネタを知ることになった。

あの時のA先生イラストは、ベルセルクセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコファルネーゼを抱きかかえて、

申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」

と言うシーンの模写だった。

さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。

その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。

内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌亜流「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナルスピリッツスペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、

「なぜうちの編集部に見せなかった?」

という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合玉虫色の返事があるだけだったりする。

話を戻そう。この時の自分は、編集部自分デスクのあたりでA先生次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。

自分としては、A先生マンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。

うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。

「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなた判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」

要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則一般会社と変わらない。

その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。

その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。

「この作品はい意味で重たいねちょっと考える時間がほしい」

と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店ご飯をおごっている。

A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生ご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生幸福だと、自分幸福だと思えた。A先生漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。

ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分A先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分ことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。



○ B先生について

持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶あやしい

実際、B先生作品面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品雑誌掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。

絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクター台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。

光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。

私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。

それで、テーブルではこういうやりとりをした。

私「イイ作品だと思います特にセリフ回しにセンスを感じます掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」

B「ありがとうございます

私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」

編「私よりもほかの人がいいと思いますもっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で

私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)

編「難しいです」

私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)

編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」

私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)

B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」

私「後日連絡しますね。必ずしまから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」

B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」

私「なんとかしてみます

作品のものと、作家プロフィールと、付属資料コピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビル入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。

持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。

最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしま可能性がある。あれも、実際は諌山先生門前払いではなく、週刊少年ジャンプ担当が付くか付かないか微妙ラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体公的飲み会で囁かれていた。



○ その後~

B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部トップを交えてB先生原稿コピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。

その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社プロパー社員。いわゆる総合職である

最初は、私に選択権があった。B先生担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。

A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。

私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。

今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。

以後のB先生は、例の持込漫画ブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなスターダム上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。

一方で、私が担当を続けたA先生は地道な努力を続けた。

上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力シナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazon第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。

今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品コンビニ立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。



2024年現在、私は東京を離れて田舎暮らしている。地元町役場Uターン就職して、実家農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。

実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者から指導があった。

それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動スタートした。

A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。

入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。

もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。

若いから編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。

もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。

ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOL高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある人生は運試しである

2023-10-05

二度名前を消されかけた馬鹿な私の話

これは仕事で疲れ切っていた若くて馬鹿な私が、云年越しの真実に打ちのめされる話かもしれない。

どこか嘘かもしれないし全部本当かもしれない。ただただやりきれない気持ちだけで書く。

この日記を一行でまとめると下記の通りだ。

業務時間外に書いた云十万字の小説権利が、一切自身になかったことを知った話、である

* * *

学校卒業後に就職したのは小さなさな編集プロダクションだった。執筆編集者がやるタイプ編プロだった。

ニッチな界隈の本を細々と出していた会社で、今はもう存在しない。

好みの分野を扱うことが多かったので仕事自体は楽しく、担当していた界隈がにわかに盛り上がったときは激務に次ぐ激務だったがかなりのやりがいを感じていた。

編集者のいいところは、自分の関わった商品本屋という身近な場所に陳列されて、しかも奥付に自分名前が載ることだと思う。

「私はこれを作ったんだ」という実感は激務を忘れさせるほどの麻薬だった。

会社はいろんなタイプオタクがいて、コミケサークル参加するような同人作家も在籍していた。

スタッフ創作であることは仕事に生かされ、それが会社の強みにもなっていた。

私もそんな創作者のひとりだった。小学生のころから二次創作小説を書いていたような、生粋創作する側のオタクだ。もちろんコミケサークル参加したことがある。会社でも小説を書くことは隠していなかった。

前述したとおりいろんなオタクが集まっているのはこの会社の強みであり、取引から面白がられていたので、何かとそれは話題にあがった。「あなたは何のオタクなの?」という感じの雑談から、私が小説を書くオタクであることは取引先にも知られていた。

ある日、上司に呼ばれて席まで行くと、「小説を書いてみないか」と言われた。

とある人の半生が面白いので、脚色を加えて小説にする企画があるのだが、書き手ライター)が見つからない。

そういえば御社小説を書く人がいたよね? ――と、取引からお声がかかったらしい。

素人の思い出話を物語として成立させるには、筆力のほかに構成力も必要になってくる。

小説が書けて、編集者視点も持っている人にお願いしたい、というのが私が選ばれた大まかな理由だ。

人生何が起きるかわかんねぇな」と思いつつ、正直先方の正気を疑ったが、特に断る理由もないので「自分でよければ」と答えた。

そして、企画が動き出した。

当時私は中堅の社員で、後輩の教育も任されており、わりと大きな継続企画も抱えていたので、まあそこそこ忙しかった。

そこそこ忙しくはあったが、後輩に任せられることは任せ、溜まりに溜まっていた有休を無理くり使い、執筆作業に当てた。

徹夜もよくしたし、午前中にネカフェ執筆して午後から出社、終電後まで働くみたいなことも多かった。

執筆はすべて業務時間外にしていた。これは単に会社にいると仕事が降って来るので落ち着いて書けないし、原稿料をもらうからには切り分けねばと思ったからだ。

会社を空けることが多くなり、雑用確認作業が頼みにくいと上司からはよく嫌味を言われた。

通常の仕事に加え、睡眠時間を削りながらの執筆、「自分で書くのだから」と資料作成・装画周りにも関わり、とんでもなく忙しくはあったがやりがいも楽しさも感じていた。

初稿が上がり、大勢の人の目が入り、製作も大詰めというときだった。

上司が、軽い調子でこう言ったのだ。「著名は原案者だけにするかも」と。

反射で「私の名前が載らないってことですか?」と尋ねると、「そういう案も出ている」と言われた。

忙しくて頭の回っていなかった私は、ただただ「そんな話が出ているのか」とショックで、会話はそれで終わりになったと記憶している。

デスクに座ったまま、ぽろっと言われたくらいのノリだったように思う)

その日の夜になってようやくだった、「いや、私の名前が載らないのはおかしくないか?」と怒りが湧いてきたのは。

前述したとおりこの本は、とある人物の半生を脚色して小説化するというものだ。

当然、この「脚色」は私の創作である些細な話題を膨らませてドラマチックにしたり、つなぎになるエピソード創作して物語を盛り上げた。

たとえば登場人物の紹介をするのに、設定にある特徴から勝手エピソードを作ったりした。

こうした追加エピソードについては、原案からも「まるで本人を知っているかのような描写で驚いた」とお褒めの言葉をいただいている。設定から妄想を広げるのは二次創作同人屋の得意分野だ。

そう、この小説は相当私の「創作」が含まれているのだ。それなのに何故、ゴーストライターにされてしまうのか。

怒りのまま、とはいえギリギリビジネス文章に落とし込んだ形で、私は上司出版社担当者にメールを書いた。

個人アドレスから送ってやろうかと思ったがそれはやめた。不審メールとしてはじかれたら元も子もないかである

要は「私の名を出さないのなら、創作部分をすべてカットする」という内容だ。原案者が著者なら創作部分は生まれなかったはずだから、という理論だ。

私のガチギレぶりにめんどくささを感じたのだろう。私のペンネーム原案者と併記されることになった。

ガチギレメールについて上司から小言をくらったが知ったことではない。私のやることなすこと気に食わない上司文句などすでに聞き飽きていた。

今思えば原案/著で記載されるべきだったのだろうが、この後の出来事を考えるとこの時からすでに事は動いていたのかもしれない。

その後無事本は出版されたが、ろくな広報はされなかった。

発売後、今度は社長に呼び出された。社長と総務の前へ、何事だろうと寝不足の頭で棒立ちになっていた。

印税についての話である

個人出版社契約でなく、会社出版社契約を結び、入金された印税の中から褒賞として私に支払う形にする、という通達だった。

当時二十代半ばの私は、この言葉意味をよく理解しないまま、印税がもらえるならいいかと了承してしまった。

ここがすべての間違いであったのだが、そんなことは当時の私が知る由もない。

その後、若い私にとってはそこそこの額の執筆料をもらったが、当然のことながら重版などかからなかった。

なんやかんやあってその数年後、いろいろ限界を感じた私は逃げるように辞職した。このままでは飼い殺される、という危機感が一番強かった。

同じ家に暮らす家族から最近顔を見ていないけど元気?」とメールが来るような日々だったのだ。

それなりに「できる社員」として取引先にも認められていたので、おかげで再就職比較スムーズに進んだ。

* * *

それから結構時間が過ぎたころ、なんと前述の本のメディアミックスが決まった。

私がそれを知ったのはネットニュースでだった。

起き抜けのTwitterTL巡回中、見覚えのあるタイトルが目に入って一気に目が覚めた。それは結構な規模のメディアミックスで、有名な人も参加するプロジェクトだった。

何事かと思って公式サイトに飛んで、さらに驚いた。

スタッフクレジットの「原作」欄には、原案者の名前しか書かれていなかったのだ。

とはいえ、今も同人活動をしている身としてはあまり名が売れてほしくない思いもあり(商業活動をしているわけでもない)、それについてはそこまで怒りも湧かなかった。

何よりかにより私が衝撃を受けたのは、原作欄に掲載された書影から私の名が消されていたことだった。

ぱっと見た瞬間、変だと思った。画像の一部に雑な加工の跡があったからだ。何故加工されているのか、よく見たら名前が消えている。そういう順番での認識だった。

なんだかんだ長く出版界隈に居座っているので、画像加工については見慣れている。本職デザイナーの手にかかれば、あたかも初めから存在していなかったような「画」を作れることも嫌というほど知っていた。

その書影の加工は、どこから見ても素人仕事で、スタンプツール連打したんだろうなって感じのものだった。私でももっとましに作れる。

加工者が誰であれ、私の名は意図的にその画像から消されたという事実に変わりはなかった。

少し前に好奇心から知財の本を読んでいた私の頭には、人格権翻訳権、氏名表示権などなどいろいろな言葉が浮かんでいた。名を消されたことに関する影響も危惧していた。

それと同時に、ずぅっと謎だったけれど、見ないふりをしていた疑問も浮かんでいた。

私の印税ってどうなっているんだろう。

前述したとおりこの本はほとんど広告が行われていなかったため、重版など夢のまた夢だと思っていた。だから、それまで考えないようにしていた。

メディアミックスされるとなると話は別だ。

この時私は打算的にものを考えていて、名前を消した理由を尋ねるところから入り、この本に関する私の権利について確認を取ろうと思っていた。

正しくない書影掲載したという非が向こうにはあるので、多少強気でかかって話を引き出せると思ったのだ。

微々たる額でも印税がもらえたら御の字だなと考えていたのだ。なんたって印税契約をしていた会社はすでに倒産していた。

小狡い私はこの問い合わせを、出版社ライツ部に送った。

担当部署に直で聞くのが手っ取り早いが、権利に関する問題であるし、内々で片付けられても困る。よそを巻き込んで大事にしてやろうと思ったのだ。

結果、私は惨敗することになる。

なんと、当時の担当者がライツ部に異動になっていたのだ。こんな偶然があるのだろうか。

午前の早い時間に送ったメールは、午後には返事が来ていた。

お久しぶりです!」の文字にくらくらした。

この本が出たのはもうずいぶん昔の出来事で、だから、当時を知る人がもう社内におらず、だから、私と連絡が取れず、だから書影から名を消していたのだろうと、そう思っていた。

問い合わせのメールには、連絡が取れないか名前を消したのだろうか、だとしてもこんな雑な方法で消すのはどうなのか。何故名前を消したのか理由を知りたい。権利にかかわる問題はらんでいる恐れがあるためライツ部に連絡をした。製作時も記名に関してひと悶着あったというのに残念だ。そんなようなことを書いた。

当時を知る人がいない前提の文面だ。

だというのにどうだ。その担当者は私が転職したあとも仕事のやり取りがあり、だから、私の連絡先は知っていた。なんなら携帯番号も知っている。

連絡しようと思えばいつでもできたはずだった。

返信には、非常に軽い調子でこう書かれていた。

「先方に間違った画像を送ってしまった(入稿のものだったのかも?)。今正しいものを送ったので即時修正されるはずだ。今後の重版に関しても名前が消されていることはないので安心してほしい」

あのずさんな加工画像を、製作過程画像だと言い切った。

製作に関わっていた私が、そんな画像存在しないことくらい知っているだろうに、そう、本当に軽い調子で書いていた。

誤魔化すつもりなのだ公式サイトに私の名を記載しないが故、書影との差異を出さないように雑に消したのだろう。バレないとでも思っていたのだろう。これだけ対応が早いということは、この人が本件に関する責任者なのだろう。

まり、あの時私の名を本から消そうとしていた担当者が、私の名を表紙から消したのだ。

大事にしたかったのにならなかった。この時点でもう打つ手はないなと感じつつ、「当時を知る人がいるとは心強い!」とよいしょしながら、本書の権利について尋ねた。

念のため最初からメール署名から電話番号を消していた。電話では余計なことを口走ってしま可能性があるし、丸めまれる恐れがあるからだ。諸々のことを文章として残しておきたかったのもある。

この時点ですでに、職務著作という言葉が頭をよぎっていた。簡単に言うと、業務制作した著作物の著作権は会社帰属するというものだ。

わざわざ業務時間外に小説を書いていたが、契約会社に委ねてしまった時点で私は著作権を放棄したことになっているのだろうなとほぼ確信していた。

とはいえ契約である会社はすでに倒産しているわけだし、そこはどうなっているのだろう。この際だからという気持ちでいろいろ疑問をぶつけてみた。

会社在籍中は印税の一部は会社から支払われることになっていると聞いたが、という話も伝えていた。

(誤魔化そうとしているのは明白だったので、雑な加工については「画像の送付間違い」ということで流した。一応修正前の魚拓は保存している)

結果、分かったことは以下のとおり。

著作権は原案者のみが所持、会社とは業務委託の契約しか結んでいない。

印税契約は元社長が持っている別会社が引き継いでいる。

はあ、つまりだ。

職務著作どころでなく、はじめっから私の権利は知らんところで放棄されていたのである

ずいぶん話が戻るが原案/著表記にしなかったのは、こうすると私が著作者として確立してしまうからだったのでは?みたいな気持ちもある。

こんなめんどくさい人間を絡めるといろいろやりにくいと思われたのだろう。事実暴れてしまった前例もある。

そしてこの本がいくら売れようと、印税が入るのは案件ノータッチの元社長の懐だ。

結局、知識のある人間が得をするのだ。悪いのは無知な私だ。目の前の仕事で目を回していて、いったん持ち帰るということができなかった、仕事に疲れ切っていた若くて馬鹿な私なのだ

いろいろ教えてくれたことに感謝はしつつ、とはいえ雑に私の名を消した恨みは募っていたので、最後っ屁のつもりでやり取りの最後はこう締めた。

本来書影に書かれている名が意図的に消されていると、『この消された人物は何者なのか』と無為な詮索にさらされる危険性がある。それが一番の懸念だった。もう二度とこのようなことが起こらないよう留意してほしい」

シンプル名前が消された怒りもあるが、この危惧もあった。メディアミックスに際して名を消された著者。もし、私がこのペンネーム商業活動をしていたとしたらどう思われるだろうか。

消されるだけのことをしでかしたのではないかと思われる危険性は高い。これは信用問題になってくる。

それに、今のネットの「面白そうなおもちゃ」に対する残虐性は認識しているつもりだ。自分が掘り出した“真実”を喧伝し、当事者炎上させる。何かあったら嫌だ、と身構えるのは致し方ないと思われたい。

とはいえ、これを読んでいるような人なら理解してくれるだろうが、出版社のこの手の人間には理解されないだろう。

それでも、もう二度とこんな雑に人の存在を消さないでほしい、という訴えは届いてほしかった。

* * *

若人よ、契約書を作れ。契約書を読め。

この件に関して、私は別に詐欺にあったわけでも、法を犯されたわけでもない。ただただ無知で、己の権利に鈍感だっただけだ。

手痛い授業料だと思っている。このエントリーは半ば逆恨みだし、書いてすっきりして忘れたかったのかもしれない。炎上させたいわけではない。

自分無知で痛い目にあった私ができるのは、二度と同じ過ちを犯さぬよう、そして後進たちが同じ轍を踏まぬよう努めることだけだ。

提案は一度持ち帰って調べろ、即決するな。とくに寝不足とき危険だ。

教訓として、とりあえずこの一連についてはいたるところで語っていきたい。

なんせ、私と出版社は(ついでに元社長も)、なんの契約も交わしていないのだから

ほんの少しだけよかった話をする。なんと印税をもらえたのだ。

印税契約譲渡した元社長の現会社から連絡があり、お小遣い程度の収入を得た。夢にまで見た不労所得である

連絡をくれたのが元総務の人だったので(元の会社上層部がそのまま現会社に移っていた)少し話をしたのだが、出版社担当者の話題は一切出てこなかった。私とその人がやり取りしたことは知らないようだった。出版社から入金があったので粛々と対応した、という感じだった。

献本は送られてこなかったので自分で買った。初版と第二版の年月日を見比べると渇いた笑いが漏れた。ずいぶん長い時間がかかったものだ。

メディアミックスについてはとくに興味も湧かず、とはいえ周囲から話題を聞くこともないので、爆死も盛況もしていないのだろう。

もう一回ぐらい重版からいかな、と思っているが難しそうだ。

2023-06-01

anond:20230601115011

お前が思ってる以上に記者独自取材して入稿間に合わせる記事は減ってるんやで。

で、通信社の垂れ流しや取材済みストックとかをベタベタ貼ってくんや。

あとコラムよりは少し見分けにくい特集とかな。

この辺に外注編プロライターが入ってる。

そのスペースがどんどん出てこなくなってる。

2023-04-20

anond:20230420145009

A.

日本語文章を読みやすくするためには、2つのことを守るだけで済みます

1つ目は、会話カッコを会話や引用以外で使わないことです。このようにすることで、記号意味限定され、読み手負担が減ります。よくある乱用は、強調したい語句を会話カッコで囲むことですが、この場合は別の記号(例えば【】や〈〉)を使用するようにしましょう。

2つ目は、テンを英語カンマを打つ場所限定することです。つまり、複文をフレーズ(句)で区切る場合にのみテンを使います。一番よくある間違いは、「読むときに一息入れる場所にテンを打つ」ことです。しかし、実際にはテンがあるからといって必ずしも読むときに一息入れるわけではありません。読むときに一息入れるようにするための記号は、三点リーダーや列挙中黒物理的な空白分かち書きなど、たくさんあります

以下は、3つの添削例です。


筆者は出版社実用書の編集者として7年、編プロで学参の編集者として10年の経験があります文芸編集経験はありません。

たった2つのことを守ると日本語文章は読みやすくなるです

以下は文学には当てはまりません。ふつう文章限定してください。

1:会話カッコを 会話と引用だけに使うよう限定する

2:テンを 英語でもカンマを打つ場所限定する

●1:会話カッコを

会話カッコを会話および引用限定することで、記号が持つ意味限定化して、

読み手負担を減らします。

よくある乱用は、強調したい語句を会話カッコで囲む手法

でもそれは、【】でも〈〉でもなんでもよいので、別の記号しましょう。

●2:テンは英語カンマの場所のみ

ようするにフレーズ(句)で複文を切るようなケースのみに使うです。

いちばん多い間違いは、「読むときに一息入れる場所にテンを打つ」です。

これは逆で、「テンがある → 読むときに一息入れる」が真なだけで、逆は真ならずです。

列挙しますと、三点リーダーや列挙中黒物理的な空白分かち書きなど、

読むときに一息入れるようにするための記号はいっぱいあるわけです。

●3:添削例 ホットエントリよりてきとうに。

https://studyhacker.net/growth-check-3points

自分って成長できてるのかな」と思ったとき確認したい3つのこと。あなたは “○○ばかり” していない?

これは独白あるいは引用にあたりそうなので、正当です。

後者があえて“”なのも好ましいです。

https://www.asahi.com/articles/ASR4N1SS1R4MUHBI03Z.html

スーダンから自国民救出計画ドイツが中止 戦闘激しく避難困難

テンを を にしたほうがよいんじゃないかと。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230420/k10014040731000.html

じゃりン子チエ」なぜ時代超えて共感? 作者の直筆メッセージ

これは文字数制限でもあったんでしょうね。

じゃりン子チエはなぜ時代を超えて共感されるのか?

のほうがよいです。

●4:いちおう自己紹介

出版社での実用担当編集者歴7年。編プロでの学参編集者10年。文芸歴はなし。

2022-12-20

anond:20221220203759

デビュー作一本すらまともに作りきれない奴と出版社は付き合いたくないんだよね

賞を取るための対策してきたような作家がその後どれだけ生き残ってるか知ってるかい出版社編プロと組む事を前提としないプロダクショニングがしたいのか作家業したいのかわからんのだわ。

増田の作文読んでも作家っていう属性や受賞っていう事実が欲しいとしか書いてなくてその事実をもって次に何やるか虚ろなの。そういう人間ビジネスとしてはお付き合いできないわけ。

プライド高かろうが低かろうが貧乏だろうが浪費家だろうが話が書けるなら拾ってやるよ

2022-12-19

防衛費をいきなり2倍にした時に起きること

「いきなり防衛費2倍」に防衛省OBとか身内から疑念が出ているが、ここではめんどくせえので防衛力増強するのがいいかどうかは触れないでおく。

しかし過大な予算を付けられた省庁が何をするかの経験は共有されているのに全然言及されていないのがとても気になる。

 

過大な予算問題は消化できないこと

予算が余った省庁はどうするかと言うと「予算を消化する」。

一見トートロジーだが、要するに余らせないために必要のないことやモノに金をぶっこむって事だ。或いは設備投資などを前倒しにする。

前者の代表コロナ補助金で作ったイカ銅像が有名で、後者代表は年度末の道路工事だ。

そうして予算を消化しておかないとその部署来年度の予算が減らされる。

イカ銅像」みたいなことが何で起きるかというと、前例が無いからだ。やる事が例年決まっているなら予算が余った時は追加発注すればいいし前倒しにすればいい。

でも前例が無い、若しくは前例で処理できるのを超えた過大な予算場合は頓珍漢な発注をして金を使ってしまう事になる。代表例がクールジャパン(以下CJ)で、CJ自体は0年代初期から細々と続いてきた政策だが、第2次安倍政権予算肥大させた結果、外国デパートに誰も買いに来ないCJ売り場が出来たり国内広告代理店に金が流れるという結果になった。「海外への日本文化宣伝」の方ではあまり成功していないわけだ。「英語日本文化宣伝チャンネル」には日本語コメばかりが並んでいる。

 

いきなり防衛費2倍もトップダウン政策なので下の防衛省の方では予算の「適正な」消化が難しいのではないかと思われる。

 

取引粘着

適正な消化が出来ない場合どうするかというと、頭を捻って考える、というよりは商社相談した方が早い。多分今頃各商社名刺持って営業始めてる頃だろう。

でもその中には役に立たん、怪しい商社営業も入ってくる。そして後に大きい予算運転軌道に乗った時にはそいつらがいつまでも居座ったままで予算を圧迫させるようになる。これは法人取引粘着性の為だ。

ドライネット取引などが出来ても新規事業でもなければやや高額でも営業経由で取引するのが主流なままだし、この辺は購買担当対外的職務をした事がある人なら判るだろうと思う。営業経由にしないと「営業との相談」が出来ないので担当者には高いスキル調査する時間必要で、結果「たか担当者」を交代できなくなるという経営上のジレンマが出来てしまう。だからネット通販専業のDELLだって法人担当営業マンは置いている。

 

そういう訳で調達元と癒着が出来るといけないので役所関係調達競争入札式や公開プロポーザルなどにして透明化して役人接待されるな、ゼロ円入札させるな、という事になっている。

ゼロ円/赤字入札が可能なのは取引粘着性がとてもとても強くてその後に楽々回収出来るからである

そんな感じで変な商社虚業シンクタンクみたいなのと契約すると後々まで切れなくなってしまう、という懸念がある。

 

防衛省官製談合問題

実は増田は「防衛省官製談合」の現場に居た事がある。

とすると大事件のフィクサーみたいだが、なんてことない、防衛省では「あ~、それについてはA社さんと相談してそっちで決めて」っていうのが当たり前に行われて居たのだ。

当時運送会社に勤務していてオフィスプランニング会社下請け仕事が多くあった。

オフィスの組換えで土曜日に居残りした事ある人は判るかもしれないが、例えば床を工事する時に「配線工事の上流ってどこの会社だっけ」とかいちいち考えるのは大変だ。今次作業発注先の下の会社だったら相手に任せておけばいいが別会社場合自分の方で連絡取っておかないと作業日にその部分が出来ずにやり残し、追加作業って形になる。

から各社の関係者が居る時にその2人で相談して決めたのを参考にしたりって事はままある。

でもこれは前述のように役所がやってはダメなのだ。規模極小であっても官製談合になるからだ。

防衛省場合はなんというか普通に相談して決めて」が行われていて昭和役所っぽかった。それで休憩時間に他の人らと「あれってほんとはダメなんだよね(苦笑)」とか話していたのである

下働きの我らがなんでそんな判断できたかと言えば、他の省庁では「あ~、それについてはオタクらで決めて…ってうちが言えないか(笑)あとで連絡する」一同ワハハ、ってやり取りがよくあったかなのだ

しか六本木庁舎から市谷への大引っ越しがあったのでその前後で大量の追加発注やポンギから持ってきたけどやっぱ不要とか机配置の変更など(セキュリティ高いオフィスではフロア毎のスタッカブハブを使うので席変更は線引き直しになって大仕事)があって「あれはどこの社だっけ」というのが大量に発生しており「A社さんと相談して」も多かった。

まり他の省庁が晒されて来た厳しい談合監視みたいなものがなくてなんていうかルーズ

 

そういう感じなので変な営業への耐性とか大丈夫なんですかね?というのは思うところなんである

最近だとWILLとかHanada誌の周辺で自称防衛シンクタンク実態youtuberヘイト本編プロみたいなのが防衛省防衛産業をよいしょしまくるっていう、田舎水商売みたいな事をやっていて、その結果中に立ち入ったり中で講演したりしているようだが、こういうのも見ると大丈夫か?と感じるところである自分なんかは営業におだてられたりすると逆に不愉快になるのだけど。

しかもそういうのを「人間誰でも肯定的な人に靡くのは当然だろ」的に擁護されていたりする。いや権限与ってる人間がそれやったら普通左遷免職されるんですが。

因みに「外国スパイ」っていうのは煽てと肯定、腰が低くて実態がある事業の振りしてくるもんですし、ソ連スパイ右派サンケイ新聞にいたんですが。

 

この手の変な自称シンクタンク以外にも「ネットでの評価評判を自在操作できます」と営業かける逆SEO業者など怪しい業者が手ぐすね引いて待ってます大丈夫なんでしょうかね?

予算余り」に就いては過去批判的な言説と経験が積み重なって居るはずなのになんで参照されないのでしょうかね?

2022-07-28

弊社の年齢構成危険水域に達している。

業種は伏せるけどイメージとしては零細編プロのような感じ。

人数は25人くらい。うち半分を占めるヒラが全員40代管理職が50~60代。20~30代ゼロ

これでもわずか15年前は20代がいちばん多い、フレッシュベンチャー風の会社だった。

みんなあまり辞めず、ゆえに新規採用を控え、仲良くそのまま歳を取ってこの年齢構成に。

自分は26歳で入社して、そのときいちばん歳下で、41歳になった現在いちばん歳下。部下どころか後輩もいない。

5、6年前から危機感を覚えだして、若い人入れないとやばいですよと言ってきたけど、

上層部は「若い人いっぱいいるじゃん」って顔してスルー20代で入った社員20代のまんまに見えるらしい。んなわけない。

このままだと上が抜けたあと、人を育てたり管理した経験のないヒラのオッサンバサン(自分含む)が

あとに残されて壊滅するのが目に見えている。好きな仕事から続けてきたけど先行きが暗すぎる。

30代のうちに転職すればよかった。

2022-07-08

素人から食えるライターへと育てることをあきらめた

自分のまわりのスラングに、「仕事をおごる」というものがある。

腕は悪いが人柄がいいライターに大きい仕事を回し、リライトしたり、間に合いそうにない部分をもってあげたりしてなんとか形にして、ギャラは満額わたす。

ひどいと7割くらい編集が書いている。

当然企画取材も噛んでいるので、最初から自分だけでやった方が圧倒的に効率がいいが、それでは一生こなせる仕事量が増えないし、自分が頼めるライターも増えない。

なので根気よく育て、頼れる存在を自前で育てる。

から仕事をおごるのは今も昔も当然、という風潮。

ひと昔前のライター雑誌編プロで鍛え上げられていたが、今はそういう環境がない。驚くほど人材が育たない。

特にwebデビューした個人ライターの質の低下が止まらず、ちょっとの下調べも文章推敲もできない。

一般常識がなさすぎて取材の申し込みひとつ頼めない。

本当に卒論を書いたことがあるんだろうか、というレベルで、ごく普通文章が書けない。

とはいえ、そういう人間を片っ端から切っていてはもはや本が作れないし、人材も育たない。

人を育てる、というのは、要するに「その仕事で食えるところまで面倒を見る」のが業界の慣習なので、

編集は若手ライター仕事をおごりまくる。

どうにか一人前になったかな、というところで、

彼らの営業先を増やすため、別のクライアントを紹介する。

こういう人脈作りは必ずいつか自分にも恩恵がある。

ところが、そうやって独り立ちしかけていた若手が、

ここ数年で次々とライター廃業してしまった。

まったく食えない、と。

紹介したクライアントに聞くと、仕事が遅く、キャパがないのでまとまった額になっていない、とのこと。

16ページそこらのノベルティ小冊子程度を2ヶ月かけて作っていたという。

情けなくて涙が出そうになった。

その倍の量を毎月こなせるようになったと思っていたのに、まったく独り立ちできていなかった。

自分の育て方が悪かったのもあるだろうし、

おごりすぎて彼らの仕事感覚が現状にあっていなかったかもしれない。

ただただつらい。

それでもモチベがあるライターにはなるべく仕事をふっているが、

若手時代からほとんど成長していない。

申し訳ないが、いつまでも仕事をおごっていてはこちらの身が持たない。

もう雑誌は消えていく一方の存在だ。

この先、人材が育つことはほとんどないだろう。

最初から戦力を計算できる、野生の一流ライターを発掘するか、すでに実績十分のライターに依頼するのが当然。

やる気があるド素人プロライターに育てるのが時代錯誤なんだろうな、とさみしく思う。

老害まるだしの回顧で恥ずかしいが、

昔はそんな二流三流の人材でも、

泣いたり笑ったりしながら何日も編集部に泊まり込んで一緒に仕事をして、

仕事がハネたら朝まで酒を飲んで、みんななんとかいっぱしの書き手になっていた。

そうして自分のもとから骨のある文筆家が出ていくのが本当に嬉しかった。

たぶん、もうウチのスタッフがそういう経験をすることはないだろう。

みゆく船だとわかっていながら、自分はこの業界に何の爪痕ものこせなかった。

そんな自分9月から取締役になる。

経営側に回り、完全に現場を離れる。

自分が見捨ててしまった、廃業していったライターたちは、どんな気持ちでこのニュースを聞くだろう。

平凡で無策な編集長だった自分が、

すでに傾きつつある自社を立て直せる自信はまったくない。

売上はそれなりには立つだろう。

大金を積んで実績のあるライターに依頼し、クライアントの意のままに体裁だけを整えた誌面で。

ライターデザイナーを育て、また自分も育てられた、成長の実感に満ちた本作りは、

気がついたら過去のものになってしまった。

自分はその最前線にいたはずなのに。ひたすら悔いが残る。

こんな泣き言は社内では口にできないので、

ここに書き捨てながら、老いた顔でボロボロと涙を流している。

2022-05-04

転職に行き詰まった。誰かアドバイス下さい。

発達障がい(アスペ)持ちの40代後半です。


法学部卒で就活をなめていて全滅し、小さな編プロに入ったものの、ボスアスペで誰とも仕事が続かない方だったので、私もミッション途中で解雇

業務委託契約雇用保険も未加入だったので、日雇いで食いつなぎ、京都リサーチパークの小さなコンサルアルバイト入社

Web制作商売になり始めた頃でしたので、織物産業系の会社ホームページを売り歩いて実績を積んで正社員になったものの、社長会社解散

その後ポリテクセンターを利用して雇用保険で食いつなぎながら、就活してリクルート制作会社に入り上京

でも遠距離恋愛メンタル悪化して、早々に退職して数年実家引きこもり


このままではヤバいと思い、農業実習生に行ってみたけど、休憩時間に水も飲めず挫折

その後はボランティア活動に参加するようになったら、ITスキルを買われて、研究員として再生可能エネルギー実証実験に参加。

GISを使った資源調査学会発表や共同特許取得の経験を積んだものの、上司研究データ抽出方法でもめて離職。


しばらく考えて、あえて障がい者枠で福祉施設支援員になるも、ずさんな経営に憤りを感じて、離職。

文科省モデル事業とある学校支援員をしながら、通信制専修学校社会福祉士勉強をして、合格

福祉の道を歩もうと思い、福祉施設を立ち上げたいという営利企業に雇われ、作業所設立

でも作ってから運営方針でまた役員ともめてパワハラを受けて、離職。


それならいっそ営利企業ではなく社会福祉法人で働いてみようと、家から近い法人就職

相談員資格を取得したものの、保守的法人運営方針と、社会福祉士倫理綱領との乖離会社に行くのが辛くなってしまいました。

だって入社式でマスクの色まで指定して、少しでも違った人はその場で交換させるなんて、多様性が重んじられる福祉業界であり得なくない?

毎日仕事のことを考えると歯を食いしばりすぎて、歯神経が痛みを発するようになっています

抗不安剤を勧められるけど、ベンゾ系の薬は卒業したので今さら飲めず。。。


転職しようにも、地元田舎なんでほぼ最低賃金に近い仕事しかなくて、福祉でやっていこうと思っていたけど、まともな法人はもう通える範囲求人がないのが現状です。


お付き合いのある自治体で雇ってくれる話もあるけど、会計年度任用職員なので、これまた最低賃金レベル


ITに疎い業界だと重宝がられるけど、今さらIT業界に戻ろうとしても、ブランクもあり、厳しいかな。

IT系の資格は取得してないけど、以下のようなしょぼいスペック

サーバーたてたりはLinuxとかでFTPサーバーWebサーバーをたてて遊んでいたレベル。古い時代でごめんなさい。

データベースはアクセスが触れるぐらい。

Webhtmlは読める。デザインもできる。WordPressは分かる。ディレクション経験は大昔ならあり。

プログラミング言語は未経験

さな自治体DXの要件定義ぐらいならできる。


経理:売上1億円レベルの小さな企業給与計算法人決算経験あり。

助成金申請報告書作成:1,000万ぐらいの案件までなら経験あり。採択実績も複数あり。

法務名義変更登記とか不動産登記はできる(無資格図面イラレで書ける)。

コンサル福祉事業所設立運営コンサルは単年度で受注実績あり。

その他:農水省補助事業研究員プロマネ経験あり。

保有資格は:社会福祉士運転免許(中型・大特)ぐらい。

放送大学で細々と心理系の単位を取得中。

もも福祉系を諦めて、他の士業の資格を取得するのも検討中


シネという選択肢はなしで、どの分野に進んだら生き残れるんでしょうか?

正直生きるのしんどい。はてな以外に居場所がない。

2022-02-09

「夢ってなんですか?」 お菓子絵本をいっしょにつくった上岡麻美さん

上岡麻美さんが、すべてお菓子で作り込んだ世界写真に収めた「おかしおかしなおはなしえほん」が、新刊ながら「kodomoe」の昨年11月号に結構大きく掲載されて、とってもうれしかった。

私の経験上、作家にとって初の著作が、こうして絵本専門誌に紙面の写真とともに(書影だけではない!)、しか新刊タイミングで紹介されることは、あんまりない。これはとてもうれしく、興奮した。

掲載情報を全社メールするときに、「絵本新刊でkodomoe載るのは結構凄い……」と一文つけたしてしまった。

キモかったと思う、また一人で騒いでしまった、恥ずかしい。恥ずかしいけど、会社に行く私。大人から、がんばる。

kodomoe掲載誌を上岡さんにお送りしたら、すごく喜んでいた。そのとき、ふと、この企画立案当初を思い出した。

しか2019年の春なので、もう3年近く前。

中垣ゆたかさんに『ハロウィンゴーゴー!』というゆかい絵本を描いていただいたとき

そのなかには、大きなかぼちゃパンプキンパイがでてくる。そのレシピ制作上岡さんにお願いした。

絵本に出てくるお菓子を実際につくれたら素敵なので、絵本レシピをのせようということになったのだ。

上岡さんに初めてお会いした日。上岡さんがおもむろに取り出したもの

それは1冊の絵本だった。クラウドファウンディング資金を集めて自作したという絵本

その絵本開いて、私は言葉を失った。

お菓子でこんなことができるの⁉」※いや、言葉にしているじゃん。

不思議の国のアリス』の世界上岡さんなりに翻案し、すべてお菓子でつくりこみ、それを写真にとったシーンの数々が収められていた。

絶句した。

まさか、打合せでこんな絵本を見せられるとは思っていないのだから

上岡さんは照れくさそうに、でも、とてもしっかりとした目で、「こういう絵本企画って、どうですか?」と言う。

もちろん、「言葉を失う」という言葉しか出てこないいほど、わたし、今、魅了されている! 実現したいに決まっている!

……でも当時、私は自信がなかった。今ももちろん自信はない。しかし、当時はもっとひどかった。

自分が良いと思うものを信じることすらできなかったんだから

「素敵ですね! もちろんやりたいです! ……でも、社内で検討してみます!」

……そう言って、打合せが終わり、二人で喫茶店を出た。

恥ずかしかった。素晴らしいものを前に、「でも……」と口ごもる自分が。

2人してエスカレーターにのって、駅の改札に向かう。そのとき後ろから上岡さんにかけられた言葉は、今も忘れられない。

(※出版社会社である以上、そこに所属する会社である以上、社として決まっていない企画を「検討してみます」と伝えるのは当たりまえです。

 ここで私が言いたいのは、会社のみんなに納得してもらって、納得のクオリティでつくり、そしてそれを全力で世の中に届けるために奔走するのだという覚悟が、自分にその瞬間なかったということです)

黒田さんの夢ってなんですか?」

不意を打たれた。

(私の夢?)

私の夢ってなんだろう。

子どものころは、童話作家になりたかったです。

中学生のころは死なずに生きるのに必死あんまりおぼえていません。

高校生の頃はロックミュージシャンになりたかったです。バンドもやっていました。

大学生のころは、映画監督になりたかったです。

新卒で入った会社子どもとかかわる仕事をして、子どものための仕事に目がむき、児童書編プロへ。

本をつくることは、もうこうして毎日夢中になってしまっているほどに、楽しい

辛いことももちろんめちゃくちゃあったけど、編プロで本づくりを教えてもらったらもうやめられなくて、もっといろいろな本を作りたいと思って、今の職場にやってきました。

でも、そんな私の「夢」って、なんだろう。

夢って、子どもときにだけ語れるものだと思っていた。

社会人になったら夢とか言ってらんないよと思っていた。

とはいえ、聞かれたことにはなんとか答えねばと思い、「夢は……一人出版社ですかね……?」と苦し紛れに答えた

(が、特にそういった思い入れはなく、私は組織のなかで色んな人の考えや意見を知りながらもみくちゃになりながら働くのが好きっぽい……。めちゃくちゃ協調性なく迷惑をかけるけど……。)

その答えを聞いた上岡さんが、「そうなんですね!」と曇りのない笑顔で言った後、こう言った。

「私は世界活躍したいです」

シビれた。

未だに忘れない。

あのエスカレーター。振り返ったて上岡さんの目を見て、上岡さんも私をみて、そう言ったんです。

上岡さんの作品SNSでは見ていたし、さっき自作絵本まで見て言葉を失うほどの素晴らしさだったから、それはまったく無謀な夢とは思えなかった。

世界中の人々を魅了できる世界を形づくっている確信をもちながら、妥協なく表現をつきつめる。それができる人の言葉だった。

私は、「でも……」と口ごもっている場合だろうか?

上岡さんに自作絵本を手渡され、それを開いた時。これはどう見てもすごいと、私は本心で思った。

でも、「売れるか」とか「うまくバズらせられるか」とか、そういった絵本の魅力そのものではなく、周辺の、私なんかにコントロールが難しい事象にばかり考えを巡らせてしまった。

見た瞬間センス・オブ・ワンダー。心にどストレートに届く。それを大切にしなければいけないと、気が付かされた。

それから、私がやらねば誰がやる、とキャシャーン気持ちが沸き起こって、社内で企画を通すに至る。

長い時間をかけて、カメラマンの林ユバさんも加わり、じっくりつくりあげました。

たくさんの人に届けたい。

上岡さんの作品出合い絵本撮影に18回立ち会ってわかったのは、私はこういう、言葉ではうまく説明できないようなセンス・オブ・ワンダー表現をこの世界に残したいということ。自分は、だからこの仕事をやめられないんだということ。

私の夢ってなんだろう。

あの日上岡さんにかけられた言葉は、折に触れて私の心によみがえってくる。

これから編集者として生きていく私にとって、とても大切な言葉になっている。

2020-04-04

anond:20200404091046

私服OKとか規則の緩い会社勤めなんじゃないの?編プロにいた時そういう人何人かいたよ

テレビ業界でもなきゃ大体は大した経済力じゃないだろうし近寄らなくていいと思う

2020-02-18

出張先でデリヘル呼んだ話

「旅の恥はかき捨て」とは言うが、出張先でデリヘルを呼ぶときは、解放感と寂しさが同居する言うなれば旅情ともいうべき感情を覚えることがある。

その当時、私は首都圏の零細編プロに勤めるしがないライターだった。出張先が能登半島と決まった時には、久しぶりの遠征に心躍る反面、アクセスの悪さにやや辟易したことを覚えている。何を隠そう、その当時、私は素人童貞であった。肩書き解説は他の文献に譲るとして、端的に言えば、ごくありふれた、さえない彼女なしの三十路前の男であった。

無事現地でクライアントと合流後、取材自体は滞りなく進んだ。関係者と軽い打ち上げをした後、事前に予約してもらっていた七尾市ホテルに泊まることとになった。七尾市和倉温泉という高級温泉街を有し、バブル経済華やかなりし頃は北陸有数の歓楽地であったそうだが、少なくとも駅前景色からはその面影は全く感じられなかった。

ホテル備えつけの温泉に浸かった後、外気にあたりたくなり外へ出る。能登地酒と熱い湯にあてられ、火照った身体に冬の外気が心地よい。時間はちょうど0時を回ったところ。ポケット煙草を取り出そうとしたところで、ふと、デリヘルを呼んでみようかと思い立った。

旅先の開放感と、久々の出張先で仕事を全うしたことへの安堵感がそうさせたのか。気づけば私はgoogleではじめにヒットしたお店に電話をかけていた。

すぐにボーイと思しき男性電話口に出た。七尾市ホテルにいることを伝えると、10分ほどでやってくるという。慌てて財布を取り出すと、諭吉がたったの一枚寂しそうにこちらを見ている。速やかに嬢の派遣を依頼すると同時に、最寄りのコンビニまで走る。現金調達して帰ってくると、ホテルの前には既に一台の黒いセダンが停まっていた。

近づいていくと、「〇〇さんですか?」と声をかけられ、車の中から二十代と思しき可愛らしい女性が現れた。彼女は、自分のことを『春華』と名乗った。連れ立って足早にホテルに入る。クライアント鉢合わせしたら最悪首が飛ぶなーと考えつつ、フロント男の若干の視線を感じながらそそくさとエレベーターに乗りこんだ。

無事に何事もなく部屋へ入って安堵する。春華が時間確認タイマーをセットする。素人童貞とは言え、私はどんな時にも紳士さを忘れない男だ。ホテルの一室で、互いに知らない者同士が邂逅するとき特有の気まずさのなか、精一杯何かしてあげようと彼女コートをかけようとしたが無難に断られる。間を持て余した私は、無意味自分荷物を移動したりバッグの中身を整頓したりした。そんなことをしている間に春華は速やかに全裸になりユニットバスへと消えていった。

程なくして「どうぞ~」という声が聞こえ、そこではじめて、私は思い出したように全裸になり、ユニットバスの扉を開けると、そこには全裸の春華がいた。

バスの中で体を洗ってもらう。特に、愚息の洗い方は丁寧だった。年齢を聞くと「二十歳です。」短く答える。実際には22,3だろうと思ったが、それ以上の詮索をしないのが紳士たるもの

さて、ベッドに身体を仰向けによこたえ、非常にスムースな流れで、春華は私の愚息を口に含んだ。極めてスタンダードフェラチオである。愚息がぬらぬらとしたあたたかものに包まれ、大変に心地が良い。ただ、少々打ち上げで飲みすぎてしまったようだ。それなりの硬度には至るものの、一向に射精する前兆・気配がない。春華も焦りを感じはじめたのか、次第にストロークが大きくなり、それに伴い彼女の歯が軽く当たるようになったことで、愚息はいっそう前立腺門番を奥へと押しやってしまうのであった。

体勢に限界を感じた私は、体を横に倒し、極めて紳士的な態度で自分の手のひらに春華の頭をのせてやった。そうすることで、彼女がよりリラックスした体勢で愛撫に集中することができ、私も腰を動かすことで刺激をコントロールできる、一石二鳥の策略である。これで多少はマシになったものの、射精神様はまだ一向に降りてくる気配がない。

すでに彼女が口淫をはじめてから体感でおおよそ15分が経とうとしていた。それが意味することをデリヘル経験の諸兄姉にもわかりやす説明するのも紳士たる者の務めである。今回のプレイ時間契約上60分間の予定だが、実際のプレイ時間はその半分がせいぜいといったところ。タイマーは部屋に入った瞬間からスタートし、そこから互いの身を清め、ベッドインするのにおよそ15分、終了15分前にはタイマーが鳴り延長の是非を判断するので、実際のプレイ時間は30分にも満たないことも多い。したがって、その時点ですでにプレイ時間の半分が経過しようとしてた。

このまま続けてもらって射精できる可能性は低い。おそらくはやってできないことはないのだが、万が一逝けなかったときに、嬢の自尊心を著しく棄損してしまったり、自分の心に黒部の峡谷ばりに深いわだかまりを残すことになる。そんな未来絶対に避けたかった。

果たして私はそれを打破するイデアを持っていた。そして恥甲斐もなく、それを言葉にする軽薄さをも持ち合わせていたのだった。

「あの、、ちなみに、お金積んだら挿れさせてくれるとかってあります?」

彼女は即答した。

ゴムありなら一万でいいですよー」

「あ、それじゃ、お願いしまーす」

かくして私は令和はじめのセックス七尾デリヘル嬢と修めることとなったのである。なぜ私がコンドームを持参していたのかという点についてここでは触れないが、プレイの内容自体は、とりたてて特筆すべきことはなかったということを書き添えておく。

正常位で射精にいたり、そのままゆっくりと倒れ込む。いくばくかの満足感と虚脱感に身を委ねたのも束の間、終了のアラームが鋭く鳴り響いた。

「すごいタイミングですね。」と笑いながらユニットバスへ導かれ、再び火照った身体と愚息を丹念に洗ってもらう。ふと、春華の首元に光るネックレスが目に入った。無事に時間内に射精に至った達成感と、形だけとはいえ、挿入事後の妙な連帯感も手伝い、バスの中で少し雑談をした。以前は新宿ソープランドで働いていたこと。昨日に初めて七尾で出勤したが指名が一件も入らず店のボーイにめっちゃ謝られたこと。

そこで私には不覚にも、邪な思いが芽生えたのだった。それはすなわち、春華が七尾にきて初めてセックスした相手が私だったのはないかと。

恥を忍んで聞いてみた。

もしかして七尾にきてから初めてのセックスだったりします?」

彼女は少し言い淀み、それからしかしハッキリと

「いや、はじめてではないですね。」

と言った。

なんと。ということは本日すでに同様のケースが少なくとも1回はあったということか。内心動揺を隠せず、「そっか~。そうだよね〜」といった感じのとりあえずのリアクションを返しながら、どう繕ったものかと必死に思案していたところ、彼女は少しの沈黙の後、くしゃっと表情を崩して、こう言った。

「私、素直だから言っちゃうんですよねー。お店の人には、必ずそういう時は”はじめて”って答えた方がお客様は喜ぶからって言われてるのに。風俗嬢向いてないんだわー」

そのあけすけな笑顔に一瞬で引き込まれ、あまりの可笑しさに思わず、私はユニットバスはおろか部屋の外まで響き渡ろうかという声で大笑いしてしまった。彼女も「そんなに笑うことありますかー!?」と気恥ずかしそうに笑ってくれた。その時たしかに、彼女はどこにでもいる二十歳前後女の子の顔に戻っていた。

それからいろんな話をした。家族のこと、5人兄弟の長女であること。首のネックレスは二十歳の誕生日に弟からプレゼントされたものであること。以前は飲食店で働いていたこと。好きな音楽のこと。

彼女back numberが好きと言ったので、Spotify人気順再生した。まったく聞かない流行りの曲も、嘘をついて一緒に聞いて、いいねと言って笑った。

2回目の終了アラームが鳴り、春華を外まで送る。送迎の車がきていることを確認し、手を振った。

・・・

30になった今も素人童貞肩書きは消えないが、確かにあの瞬間彼女はどこにでもいる二十歳の女の子だったし、いち素人女性と一緒に体を洗い、身体を拭き合い、家族の話や好きな音楽の話をして一緒に笑った経験は、確かな現実のものとして記憶に刻まれている。

朝の日差しに浮き上がる能登島と、どこか瀬戸内海を思わせる穏やかな七尾湾の景色と共に。

2019-09-12

編集現場イカレた面接対応を紹介する

柏書房

面接の案内が紙できて、細かい調整が後からメールできた。どっちかにしろ

面接に行ったら、そもそも受付に面接の人が来ることが共有されてなくて、「面接……ですか……?」とか聞かれた。勘弁してくれ。

内容自体民放適当にやってる5分間のニュース番組みたいな、なんか噛み合わない感じでまるでだめ。

そのくせ不採用通知は紙で来た。まあご丁寧なこと。

・由木デザイン

漫画編集とかやってるとこ。

近くのファミレス面接させられてまあびっくり。職場がよっぽど汚いんでしょうね。

面接自体最初からこっちを小馬鹿にさせられた対応取られてだめだった。

っていうかHP電話番号全然載ってないの駄目じゃない??

編プロK

対応はまとも。ただし結果がサイレントお祈り

まともだったし、「必ず連絡する」とか言われてただけになんか許せない。

2019-08-13

世界を救わないけど、好きな子を救うバカって、最高だ!

※以下の駄文は「天気の子」のネタバレを含みますネタバレが嫌いで、「天気の子」をまだ観ていない方は読まないでくださいね


登場人物バカばかりで、最高だった。家出して、捜索願まで出されているのに、東京バイトを探す十六歳少年バカだろ。そんなバカを雇うオカルト編集プロダクション代表バカだろ。その十六歳少年と仲良くなる「十八歳」少女履歴書ウソを書いてバイトしている本当は十五歳の少女母親は死去、小学生の弟と二人暮らし普通に児相案件だ。バカだろ。ゴミ箱拳銃を拾って持ち歩いている十六歳少年バカだろ。それ故に警察に追われる十六歳少年の逃亡を手助けする編プロ代表の姪。バカだろ。このご時世にコンプライアンスカケラもない。お前ら、最高だ。

極めつけのバカはやはり十六歳少年だ。雨に沈む東京を救おうと人身御供になることを決めた十五歳少女を助けようとする。そして、助け出す。東京なんて、水没していい。好きな女の子がいれば、それでいい。バカ世界を救わないが、でも好きな子を救う。そうだ、それでいいのだ。

正しい世界を取り戻すために、誰かが犠牲にならなくちゃいけないなんて、間違っている。間違っている世界でも、好きな人犠牲にならなければ、好きな人がいてくれれば、それでいい。

この「世界」に、色々なものを代入する連中がいる。「会社」であったり「国家」であったり。ブラック企業で頑張っているきみ、国家のために何者かと戦っているらしいきみ、そんなことしなくていいよ。きみはそんなもの無視して、好きな人と好きなことをして生きることだけを考えればいいんだ。

世界を救う魔法少女戦闘少女勇者剣士にならなくていいんだ。セカイ系のセカイは、きみたちとは関係なく、勝手にセカイをやっているから、きみたちも勝手にきみたちをやっていればいいんだ。

ほしのこえから十七年、長峰美加子がもうトレーサーに乗らなくていい世界を作ってくれてありがとう新海誠

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