はてなキーワード: そんじょそこらとは
そして、フランク・フラゼッタですよね
フラゼッタの絵に初めて出会ったのは小学生低学年ぐらいだったでしょうか
親戚からスーパーマンのアメコミをもらったりしたのが切っ掛けでした
ビキニアーマーどころかトップレスの女性が川で怪物たちから逃げているところを、筋肉ムキムキマンが救う、その彼の背中が強調された絵だったと思います
当時の私は大興奮でした
トップレスのねーちゃんにも大興奮でしたが、やっぱりムキムキマンの背中がいいですね
やはり、描いても楽しい題材です
そんな私も、今では立派なキモいデブのオッサンになってしまいました
余りの日本の夏の暑さに、クーラー稼働させつつも、パンツいっちょでキモいデブのオッサンが集合住宅の、この世界の片隅でひっそりと暮らしているのです
チャイムが鳴っても居留守を使うことが多いのですが、出たくてもいちいち服を着るのが面倒なんですよ
パンツいっちょで玄関に登場してもいい、なんならフルチンでもいい、というならやりますけど
スーパーやコンビニに買い物に行くのも億劫なんですよ、服着なければいけないから
パンツいっちょで買い物できる世の中にならないですかね
そういえば、中国のタワマンなんかは、寝間着とか着たままで外出するのがステータスだって聞いたことあります
要は、高級住宅街でも部屋着で歩けるぐらい、この世界は俺の室内なんだ、という主張がカッコイイといいますか
つまり、俺もパンツいっちょでスーパーで買い物するということは、中国流の金持ちアピールにもなるのではないか
いっそ、女性も下着でスーパーで買い物してもいいようにすれば、猛暑の日本の夏も快適になるのではないだろうか
下着は良くないですね、水着とかビキニアーマーとかがいいですね
日本の古来からの言い伝えに、パンツじゃないから恥ずかしくない、というのもありますし
トカゲ?に跨ったビキニアーマーのアラレちゃんの絵とかプラモもあった気がします
なんなら、自分が率先して手本になるべく、ビキニアーマーを装備して外出するのもいいかもしれません
男女平等の時代ですからね、男性がオッパイデュエルで勝つことだって時代としてはアリだと思うんですよね
納豆チャーハンが好きなんですよね。お昼に困った時はいつも使っています。100円くらいでできるのに食べて得られる満足感はそんじょそこらの外食よりもよほど大きいです。ジャンクフードを食べた時のような快感を得られながら体にもいいです。
恥の多い人生を歩んできました。誇れるものなど何もありません。でもふと、納豆チャーハンを食べている時に、自分が死んだ後もこの幸せを誰かが享受できているのならばそれは私が生まれてきた意味と言えるのではないかと思い、今まで磨き上げてきた秘伝のレシピを書き残しておこうと思いました。
材料(1人前)
・納豆(タレつき) 3パック
・卵 1個
・ご飯 1合
・ごま油 大さじ1
・味塩胡椒 3振り
・ご飯 1合
1. 納豆(タレも)と卵をボウルにいれ、よく混ぜます。納豆にはたまにカラシが入っている製品もありますが、絶対に入れてはいけません。捨てましょう。
2. フライパンにごま油をしき、1を炒めます。ここがこのチャーハンのポイントになりますが、よく炒めて下さい。このよく炒める、というのがポイントです。粘りなどは一切出ないようにして下さい。以前、このレシピを友人に伝えた時、納豆のよさは粘りじゃないか、と笑われました。そのバカとは依頼連絡をとっていません。納豆のよさが粘りだ、というのは本当でしょうか?確かに納豆ごはんにおける粘りは粘り自体に強い旨みがあるように感じます。でも欲しいのは粘りに潜む旨みであって、粘りそのもののくっつく、伸びる性質は不快なだけではないでしょうか?納豆チャーハンにおいては粘りは粘りとしての性質を失うものの、旨みは米に残ります。そのことを見落としてこの炒めの工程を軽視した友人を私は心から軽蔑しています。
3.米を加えて味塩胡椒を振ってください。そのままパラパラになるまで炒めてください。
4.鍋肌に醤油を垂らし、軽く炒め合わせたら完成です。
とにかく納豆をこれでもかと炒めるのがポイントです。ぜひ作ってみてください。もし作ってみて味がイマイチだな、と思ったら、きっと炒めが足りないのだと思います。
ストーカー事件からの諸々で「自分は色恋営業にはハマらない、何故なら異性が自分を好きになってくれるなんて期待していないからだ」という意見が男女問わず散見されたものの、実は期待しなさ過ぎるというのも危なかったりする
脳のやる気スイッチは「いいことが起きたからやる気が出る」「悪いことが起きたからやる気をなくす」というものだが、この良い悪いとは何で決まるのか?それは自分の予想だ。つまり、自分の予想より良いことが起きればやる気スイッチが入り、予想より低ければやる気が失われる。そしてその度合いは、予想と現実のギャップに比例する
すると何が起きるのか。異性にハナから期待していない人間は、異性からの対応をかなり低めに見積もるので、そこに普通かそれ以上の対応をしてきた異性が現れると、予想と現実のギャップに脳がハックされてしまうのだ
そしてそれは、お金を出せば会える異性よりも、偶然知り合った(と思い込んでしまう)異性に対して起きてしまう事が多い。何故なら、お金を出して会える異性に対しては「お金を払った分は接待してもらえるはず」ということで多少は期待度が高くなり、ギャップが少なくなる。一方で自然な、お金を介さない、自由意思に近い出会いをした異性には期待度が低めのままなので、そういうタイプに温かくされると、予想と現実のギャップの大きさにコロッといってしまうのだ
そうやって異性をハックしてきたのがりりちゃんであり、あるいは木嶋佳苗である。彼女らはそんじょそこらの水商売の人間よりも鋭い毒牙を隠し持ちながら、表向きは純粋な人間を演じ切った。そしてこういうタイプは、期待していない人間に特攻を持っている
冒頭に書いたストーカー事件の犯人は常軌を逸した人間だったのでちょっと例外だが、事件になっていない部分ではもっとまともな人々が密かに搾取されていると増田は推測する。ということで、そんな人々に増田から伝えたいことは一つ。それは、騙されちゃってもいいやと考えることである
何か価値のあるものを得たら、それを知った誰かから狙われ、落とされてしまうかもしれない。それでいいじゃないか。たとえ騙されていたとしても、騙されている間は人生で一番幸せだったりする。それなら、そんな体験をさせてくれた相手に感謝すればいい
なので、自分の価値に期待し過ぎないことは危険であり、他者から自分への対応に期待し過ぎないことも危険であり、そして何より自分の理性に期待し過ぎるのは危険である。もし何か目的を持った人にアピールをされたら、素直に喜び、そしてどこかで察すればいい。それが積み重なることで、本当の好意と裏のある好意が分かるようになる。人生は楽しんだもの勝ちだ
おかしくねえか??
俺は毎日毎日Eテレを見ているので、そんじょそこらの大人よりはSDGsに詳しいつもりだ。
1:貧困をなくそう (英: No Poverty)「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」
2: 飢餓をゼロに (英: Zero Hunger)「飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する」
3:すべての人に健康と福祉を (英: Good Health and Well-Being)「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」
4: 質の高い教育をみんなに (英: Quality Education)「すべての人々へ包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」
5: ジェンダー平等を実現しよう (英: Gender Equality)「ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う」
6: 安全な水とトイレを世界中に (英: Clean Water and Sanitation)「すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する」
7: エネルギーをみんなに、そしてクリーンに (英: Affordable and Clean Energy)「すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する」
8: 働きがいも経済成長も (英: Decent Work and Economic Growth)「包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用を促進する」
9: 産業と技術革新の基盤をつくろう (英: Industry, Innovation and Infrastructure)「強靱なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化の促進及び技術革新の推進を図る」
10: 人や国の不平等をなくそう (英: Reduced Inequalities)「各国内及び各国間の不平等を是正する」
11: 住み続けられるまちづくりを (英: Sustainable Cities and Communities)「包摂的で安全かつ強靱で持続可能な都市及び人間居住を実現する」
12: つくる責任 つかう責任 (英: Responsible Consumption and Production)「持続可能な生産消費形態を確保する」
13: 気候変動に具体的な対策を (英: Climate Action)「気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる」[注釈 2]
14: 海の豊かさを守ろう (英: Life Below Water)「持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する」
15: 陸の豊かさも守ろう (英: Life on Land)「陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する」
16: 平和と公正をすべての人に (英: Peace, Justice and Strong Institutions)「持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する」
お前らもSDGsが何の略蚊くらいは知ってるだろうと思うが、(S)ustainable (D)evelopment (G)oal(s) すなわち持続可能な開発目標と言ってるものだ。
俺の理解するところ、持続可能性、というのは、究極のとこ地球のリソースは有限に決まっているのだから、それを使い潰さず、人類が恒久的に存続し発展していける可能性を残している状態ということだ。
俺はその究極目標は気に入っている。人類が無限の未来までその足跡を残せるよう、俺たちは最大限努力すべきだろう。それが先祖と子孫と、人類が見つけてきたすべての叡智のために、現在の我々ができることだ。
6、7、8、9、11、12、13、14、15あたりはわかる。
公衆衛生、エネルギー持続性、経済と雇用、産業と都市のインフラ、マテリアルリサイクル、気候変動対策、生物多様性……
1、2、3、10、16もまあわかる。貧困だの飢餓だのを放っておくと人間が死ぬし、社会がある程度公正でないと戦争が起きたりする。
俺が意味わからんと思うのは、4と5だ。高い教育とジェンダー平等だ。これが人類の持続可能性に資するかどうか、まだ誰もわからなくないか?
いやもろちん、高い教育、ジェンダー平等、まことに結構だ。やったら良い。より良い社会のために、是非とも必要なことだ。
だがこれ、持続可能な開発目標か??こいつら無理やりねじ込まれてないか??
もちろんすべての目標は未だ人類社会で達成されてないことばかりだが、それにしたって、この4と5が持続可能な社会を作れるかは不明すぎやしないか?
(おまけ)
また、正直なところ、俺は特にジェンダー問題については、このままやって本当に大丈夫か?と思ってもいる。
率直に言って、ここまでの人類の存続は、男女の役割という苛烈な人権制限の上に成り立ってるんじゃないだろうか?
特に女だ。狩猟の時代が終わって男の肉体の役割はずいぶんマシになったと言えるだろうが、女の肉体は相変わらずとんでもない無理をして次の世代を作っている。
こんな状況では、ジェンダー平等なんてのは土台無理な話なんではないかと思っている。
何万年前と同じように、俺たちは女たちの本能に期待する以外に種としての持続可能性を持っていない。
ジェンダー平等が達成された世界で、古い男女の役割(女の役割)をやってくれる人間たちだけで人類を持続させられるのだろうか?
男女逆のパターンもあるにはあるんだよね
最近知って話題になってないのが不思議だと思ったカップルは、42歳女性弁護士と気象予報士に最年少合格した上に司法試験に在学中合格した大学生のカップル。おそらく年齢差は20歳くらい女性の方が年上。
男女逆でもなかなかない年齢差だと思うが、特に話題になっていないのが不思議ではある。
まあキモいという人もいるかもしれないが、個人的にはキモくは感じない。
多分年下の男性の方がそんじょそこらの年上では太刀打ち出来ないレベルに頭がよく、権力勾配を感じないから。
芸能人とかの歳の差恋愛も、年下の方が押しも押されもせぬ大スターレベルだったら平気なんだよな。かつての安室奈美恵とSAMとか。
SNS、YouTube、TikTok、ブログ。今や発信してリアクションを得られる可能性があるプラットフォームに触れていない人の方が少ないと思う。
鍵アカウントもあるが、公開範囲を限定しているだけで多くの人は少なくとも親しい友人やネットで繋がりのある人などが見られる環境を作っていると思う。
僕はまるで他者からのリアクションを求めていない、と言うような素振りをすることがある。まじ滑稽。
リアクションを求めないことは美徳でもなんでもないし、社会に生きる以上何かしらの発信にはリアクションが伴うし、誤解されては生きづらい。
リアクションから逃げることは「私は社会性がないです。」と言っているようなものじゃないか?言いすぎ?
とはいえ、リアクションを求めるがあまり、本心を隠したり言いたいことを歪めたりするのは不健全であると思う。
服を買う時、「これ少し自分っぽくないな」と思い手に取ることをやめたことはないか。自分みたいな人間がこんなお店に入るのは違うな・・・と入店を躊躇ったことはないか。
リアクションを求めないというスタンスに常に立って世捨て人のようなスタイルを保つことは非常に力のいることだし、この社会で生きる以上不用意にそんな振る舞いをすべきではないと思う。
しかし、たまには「うおぁぁぁぁ〜〜!!!!俺だ俺だ俺が全てだ!!!!」というムーブをすることも必要なんじゃないか。
我々はあくまでも個人。個人であることを忘れて集団のうちの一人であるという意識を強めすぎてしまうと、誰かが、もしくは自分が勝手に決めた自分が固着してしまって人生にセレンディピティが生まれないように思う。
自分では普段しなさそうだな、という選択をたまにすると人生がまるで豊かになったような気がしたことはないか。1人で旅行に行ってみる、
作ったものがない食べ物を作ってみる、なんかこれとこれでプリンみたいなもの作れるんじゃね?(レシピは知らない)とかなんでもいい。
自分の中に遊牧民を住まわせろ。そんじょそこらのノマドワーカーなんてものとはわけが違う。それはあくまで集団から少しだけ距離を置いて「特別なあたし」を楽しんでいるにすぎない。
ほんの一瞬でもいい、自分の精神的なパーソナルスペースをバカ広くして敢えて社会から隔絶したような心持ちで、自分の評価軸のみで物事を選択することをしてみる。
評価軸なんてない?やりたいことなんてない?小難しく考える必要はない。
例えばあなたの目の前に米が2合、野菜、肉、魚などなど様々な食材があるとしよう。普段なら米は2〜3食分に分けて、食材もいくつかのレシピを作るために小分けに調理するだろう。もちろんそれがあなたのやりたいことで、スタイルなのであれば好きなようにして構わない。そうでないのなら?
私は一介のサラリーマンで、特段見どころのあるような人間ではない。だが、眼前にそれらが広げられたら、今の私は豪農モード。全ての食材を余すことなく調理し、一食で食らう。
普段なら絶対にできないだろう。妻もいる、もちろん食費や向こう数日分の食材をまた買いに行かなければいけないという問題に豪農モード終了後にぶち当たるだろう。しかし、今の自分はその問題に直面しているだろうか?断じて否だ。
豪農がそんな生活をしていたか定かではないが、自分のイメージからかけ離れた存在になるということが重要で、それこそが日々社会で暮らす我々の数少ない寄る辺になると信じている。
今日は妻がいない。冷蔵庫には納豆がある。妻は納豆が大嫌いで家で食べることは普段絶対にない。なんなら結婚して以来初めて買った。
帰ったら大量の米と納豆、昨日こさえた温泉卵でパーティと行こうじゃないの。
そんなことをして何になるんだ?そんな問いは豪農モードの私にはナンセンスだ。普段自分がしないことをすること、無意義なことを行うことこそが肝要。
どうせ同じサイクルを繰り返して年老いていくだけなのなら、外界からは観測も接触も不可能な異質な自分を見出し、作り上げ、楽しむのもまた一興なのではないだろうか。
もうすぐ父親になる。この後13時に産院に行って立会い分娩をする。どう過ごしていても落ち着かない。家の中をルンバのごとく彷徨いては、水を飲み、彷徨いては茶を飲んでいるのだが、そわそわしても仕方ないので、いっそ黙って筆を取る。
人並みに不妊治療をしての妊娠であった。僕も妻も31歳だが、僕は精索静脈瘤による激弱精子の持ち主、妻は多嚢胞生卵巣による不定期排卵卵巣の持ち主ということで、そんじょそこらの性交で子供ができるような様子じゃなかった。少しでも問題解決になればと、静脈瘤を結索してみたが、激弱精子に改善の様子は見られず。かくして不妊治療のステップを華麗に駆け上がり、顕微受精で受精卵を生成、3度の移植の末に妊娠したのが、今、妻のお腹にいる子となる。
結婚して2年半。妻と二人の生活はものすごく楽しい時間だった。これまで過ごした二人での日々が終わっていくことが寂しく、新しい生活の始まりをもう少し先延ばししたいような気持ちもある。一方で、生活の変化はとても自然に起こる。人は生まれ死んでいくし、育っていく。時間は等しく過ぎて、変わらないことなど何一つない。その流れの中で感じる寂しさは、これまでの生活が楽しかったことの反証であり、名残惜しいままに次の生活の幕が上がっていくことは、きっと幸せなんだろう。
破水をしたものの、お腹の子は元気に動いているようだ。無事に産声を上げられたらいい、元気に生まれてこられたらいい、健やかに育ったらいい、よく寝てよく食べる子だったらいい。人生の道すがら、世の中悪くないな、楽しい場所だなと思う瞬間がたくさんあったならいい。なんて、思う。少し前までは受精卵ができたことで喜んでいたのに、大層な願いをこめるようになってしまった。人間の欲深さを身に染みて感じる。
岩下志麻の極妻が流行ってるころを振り返って今の女優を見ると、もう女優って誰でもなれんじゃねって思う有様。顔じゃないってだけの理屈なんだろうが感覚としてはね。
そこらへんの顔レベルか下手したらそれよりちょいブスが女優になれるっていうのがどうも。
よくいえばAKBの商法みたいな感じで親しみのある顔で距離感を近く思わせる狙いなんだろうか?いやあ女優ぐらい、そんじょそこらの顔じゃ太刀打ちできない高嶺の花でよくねと思うが。
エロ漫画とかだと数百万で買える高級娼婦ってのが出て、あああいうの実在するのか知らんけど(クラブキャバクラのような多少なりとも頭を使う接待ならともかく、吉原とかあった江戸時代というわけでもなく、今の世に性行為で数百万もらえるってあるのかってこと)
いたとしたら高級娼婦のほうがルックスよくて、酸いも甘いも裏社会も知ってる人ほど高級娼婦のほうが女優より稀少性の高いルックスと評価してそう。
こんなものは単なる消費行動上の選好にすぎない。
SMモノのAVで抜いたらサディストで、ロリ仕立てのを選んだらロリコンなのかといえば別にそんなことはない。
まいたび同じようなものばかりでは飽きるので、目先を変えるために今日はたまたま〇〇モノをチョイスしたというだけのことだ。
熟女モノとかJKモノといったパッケージは、本質的には似たり寄ったりのポルノコンテンツをささやかに差別化するためのフレーバーにすぎない。同じ女優が化粧を変えて出ていたりするし。
中には飽きもせず「自分は絶対ネトラレものしか観ない」みたいな消費者もいる。だからどうだということもない。そういう偏った傾向も、「どっちかいうと巨乳好き」とかの単なる好みの延長線上にある。
増田は単なるズリネタチョイスの傾向が己の「アイデンティティ」なのだという。
それと同時に「単なる好みなのだから不当に差別するな」という。
真っ向から矛盾しているようで実はしていない。これはごくありきたりなオタクのメンタリティなのだ。どういう商品が気に入ったかというだけの事を自分のアイデンティティだと、そしてそのチョイスは他人が侵すべからざる神聖なものなのだと、大袈裟に言い立てる。
傍目にはたかがどのフレーバーのドロップを選んだかというだけの話なんだけどな。
呉智英先生はかつて「血液型占いは差別の代償行為」だと喝破した。
ひと通り衣食足りてそれなりに平和な、のっぺりとした日常生活空間をドラマチックに彩りたい欲望が人間にはある。
そのお手軽な手段が、占いや陰謀論といったオカルトの類であり、また「単なる消費行動上の選好に過剰な意味付けをする行為」なのである。
似たりよったりの商品を手軽に表面的に差別化するためのトッピングと同様、周りの有象無象と似たりよったりの自分に「〇〇推しの自分」というフレーバーを施すのだ。
そういう「遊び」なんだという自覚がどっかにあれば、それは高度化した消費社会を軽やかにたのしく生きていくための知恵だとも言える。
でもなんかマジでその気になっちゃって「この性癖故に迫害される自分」みたいに被害妄想こじらすバカがいる。
お前は悲しきモンスターでも不当に迫害されるマイノリティでもない
ただのそんじょそこらのエロまんが好きのボンクラだ。あんま深刻がるな。
■それにしてもたかがお店で売ってるものを「命」「魂」にできるって本当に手軽でいいな。
そんなんじゃ到底満足できない者こそ身の処し方を考えなければならない
■「何が好きかで自分を語れよ!」何が好きかでなんで自分を語ったことになるのか。何が好きじゃないからですぐ喧嘩するし。幼稚な。