2010-09-07

それは私ではない誰か

 私はそれほど頭の良くない公立の中学校へ入学しました。成績はそれなりにできる方(といっても中の上)でしたが、家庭学習などはしたことがありませんでした。

 しかし最高学年となって進路を考え始めた時、私は焦り始めました。高校に落ちたら親の顔を潰すことになる。そう思った私は、一心不乱に勉強し始めました。私の勉強は暗記作業で、深層の理解ではありませんでした。数学の例題も、国語教科書本文も、全て丸暗記でした。なのにどうしてか、成績は見る見る上がり、2学期のテストでは学年首位になってしまいました。

 いよいよ進路を決める時、周囲からは進学校を進められました。しかし近場の進学校私服登校だったのが嫌で、私はレベルが低いと言われる制服校への進学を決めました。レベルが低いと言われようが、私は絶対に落ちたくなかったので、毎日死にもの狂いで勉強しました。結果からすれば、私は高校に合格しました。おまけに首席で。

 そのため、周囲の人にはすぐに名前を覚えられました。増田さん、増田さんと話しかけられました。テスト近くになれば、増田さん、次のテストはどこ出そう?なんて聞かれることも多かったです。私は優越感に浸っていました。友達はみんな増田さん=頭が良いと思っていましたし、私もそうなんだと思っていました。

 しかし学年が上がるにしたがって、私は暗記が出来なくなりました。テストの範囲が広くなったこと、やる気が起こらなくなったこと、友人や先生との間でストレスが増えたことなどが理由だと推測しますが、成績が落ち始めたのです。入学してからずっと首位をキープしてきた首位も、2年生の半ばになると2位、3位となってしまいました。

 そうなってから、私は気づいたのです。私は頭が良いわけじゃないんだと。そう思った瞬間から、全てが嫌になりました。先生に「増田は頭が良いって聞いているから…」と生徒の前で言われたり、「増田さんって頭いいから~…」と友達から言われるたび、嫌な気分になりました。私ではない私の話をしている人が嫌いでした。2人1組で相手の長所を言い合う企画があって、私の相手が「増田さんは、頭がいい!あとは~…」と言葉を詰まらせた相手を見ているうちに、私に価値が無いことを思い知らされました。私は頭が良い訳でもないのに、頭が良いと言われる感覚が本当に嫌でした。それは運動音痴の人が走るの早いね!と言われるのと同じ感覚だと思います。

 それでも、勉強しなければならない、周囲のイメージに合わせなければならないと何度も焦りました。私が頭が良くなければ、取り柄など無くなってしまうのではないかと不安な毎日を過ごしていました。でも一度緩めたねじを巻き返すのはとても難しく、次は頑張ろうと思っても、なかなか踏ん張れなくなってしまいました。次第にテストなどどうでもよくなり、それから私が首位に返り咲くことはありませんでした。

 進路を考える季節になり、私は迷いました。本来ならば就職したかったのですが、この不況の中、良い求人が来るとは思えないので、就職は諦めました。公務員試験が大量にあるので面倒だと思いました。となると大学専門学校への進学ですが、専門学校は特定の分野の知識しか身に着かないので、もしその道が閉ざされたときに価値のない人間になることを恐れた私は、大学への進学を選びました。最初はFランと呼ばれるような大学に進学して悠々と過ごそうと思っていました。しかしそうなると、また高校の繰り返しになってしまうような気がしたので、指定校推薦枠で少し偏差値の高い大学へ行くことにしたのです。

 大学に進んで、半年が経ちました。私のことを「頭が良い」と言う人は誰もいません。私はそれでよかったと思っています。無理に周囲のイメージに合わせる自分を作るよりも、私が周囲にイメージを与えていくことが、何と楽しいことだろうと。

 今思えば、私は世間の目を気にしすぎていました。なぜあそこまで世間の評価を気にしていたのでしょう。それを捨て去った今となっては、過去自分馬鹿のように思えます。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん