はてなキーワード: 広告業界とは
はてなでは嫌われ者のイケダハヤトさんだが私はあれだけ結果出してるのすげーなと思ってる。
だから、批判されるような点が数多く有ったとしても、批判だけしてる人の意見はあんまり興味なくて、なんであんなに結果だしてるのかに前から興味があった。
で、今までそれについてなんだかんだ最新の現場での情報発信を続けてるからだと思ってたんだけどどうもちょっと違うらしい。
てなわけでブロガーフェスティバルで会った広告業界の人のイケダハヤトさんの評価が面白かった。
彼の評価は
「イケダハヤトは間違いなくすごい。だが彼を真似したり、ネットでフォロワーをするのは意味が無い。彼を利用したければ直接会って話をする方がいい。
本人はそれがよくわかってるから高知に避難している。賢い人間だと思う」とのことだった。
彼は広告業界の中の人からは「ファーストペンギンメソッド」あるいは「平成進化論。メソッド」と呼ばれているらしい。
未開拓の市場において、小さくても結果を出し、その結果そのものを公表し続けることでファーストペンギン、つまり先駆者としてのブランディングを築く。
こうやって作り上げた先駆者としてのイメージそのものを売り物にして稼ぐ。 そういうメソッドらしい。
うろ覚えだがこんな感じだったはずだ。
平成進化論というメルマガがあるらしい。 日本で最大のメルマガであり、読者数は30万人を超えるそうだ。全然知らんかった。
はてなブログの読者がトップでも5000、ベスト30でも1000以下というから規模がまるで違う。
そしてそのメルマガは、自己啓発的なことをコンテンツとして毎日発信しているが、そのコンテンツそのものよりも、
本人が誰それと会ってご飯を食べた。 今月はいくら稼いだ、という報告をする日記部分の方が読者にとってメインになるそうだ。
そんな成功者としてのストーリーを読みたがるは起業家ワナビーだったり、意識高い学生だったり、ビジネスでの人脈を求める人間が多い。
そういう人間を集めて、メルマガ上に「てーきゅう!」もびっくりなくらい割合で広告を掲載しする。
広告掲載料は1記事のヘッダに50万とか100万とか取り、単独記事だと150万以上というから驚きだ。 広告掲載料だけで毎日300万以上稼いでいるらしい。
その広告料で儲け、儲けているから自分だけは他の有力者と会って話をすることが出来、そうやってメルマガの著者だけがステップアップしていく。
そういう仕組らしい。 正確じゃないと思うから詳しい人がいたらツッコミ・解説をしてほしい。
そういうふうに説明されてみると、イケダハヤトさんも似たような感じに見える。
確かに彼は毎日精力的に起業関係のビジネスの情報を提供している。それはそれですごいと思うが
それだけだったら、個人レベルではなく企業がやってる似たようなサイトに圧倒的にまさるとは思えない。それ以外の強みが有るのだ。
それが、このファーストペンギンとしての地位ということなのだろう。
StartUPの梅木さんのようにサロンビジネスに手を染めている人は多いが、
イケダハヤトさんは有料メルマガを中心としたサロンビジネスにはそれほど強みを持っていないように見える。
サロンビジネスは、一般的なコンテンツ提供だけでなく個々の会員に対して実態のあるサービスを明確に要求されるため
実力と乖離した会員料金を設定できないという事情があるそうだ。
一方、ファーストペンギンメソッドの場合、強気な姿勢を打ち出し続けられる間は本人の実力以上に評価されることが可能らしい。
価格設定も自分で決定権を持つことができる。 そういえば最近執筆料の値上げしますみたいな記事を書いていた。
評価と実力の差にあまりに乖離が生じすぎるとファーストペンギンメソッドでもいっきに墜落するが、その頃には十分すぎる収益を得ることができるとか。
話を聞いていて、通称ポンツーことIR名人日本通信のことを思い浮かべたが似たようなものなのであろう。
わかるようなわからんような話だが、簡単に言うとイケダハヤトはファーストペンギンあるいはオンリーワンのブランドを築くことに成功しているからそれでくっていける。いくら記事の内容や性格の悪さや頭髪の薄さにケチをつけられても彼の利益の源泉はそのブランドだから痛くも痒くもないのがすごい。 そのかわり他の人がイケダハヤトの真似をしてもフォロワーは成功しないし、イケダハヤトのようになりたいならイケダハヤトとは別の分野で何らかのファーストペンギンを目指す必要があるよ、ということらしい。彼のフォロワーたちはそのことを本当に理解できているだろうか心配に成る、といっていた。
これが正しい話かどうかは分からないが、私は結構腑に落ちる気がした。
他にも広告業界の人間として具体的なはてなのブロガーに対してそれぞれ将来性はどうやって見ているかというような話があって面白かった。
いろんな要素を数字で見て有望かそうでないかを考えるらしい。はてなブックマークの数で言うと、
・ちょっとした煽りでも50~70ブクマくらいまでなら誰でも出せる。このあたりまでの数字しか出せない人はただのノイズ。
・まず一番大事なのはコンスタントな能力よりもMAXの実力。その人のポテンシャルの部分。「時事ネタ以外」の、つまり自分発のコンテンツで最大ブクマ数500を越える記事を書いたことがあるかが大事。100記事以上書いて200ブクマを一度も越えられないような人はライターには不向き。
・コンスタントな成果ももちろん重要。月に1度は炎上に頼らず100ブクマを越える記事をコンスタントに出せているか。読者数の伸び方はどうかなど。はてなブログは良い書き手を「出荷」できるように書き手の能力を数値で可視化しようとはしていたのに、あまりいい人は現れず逆に近視眼的に数字を追うアマチュアブロガーばかりが目立ってしまう結果になってしまって気の毒だ、とか言ってた。気の毒がられてますよ運営さん!
・他にも、PVが伸び止まる期間が長すぎる人間はNGだとか、よほど優秀でない限り文章だけで勝負する人は一生ブロガー止まりで、自分でブログデザインなどをいじる意識があるか、など色んな話を聞けて大変おもしろかった。
内容より数字で考えるあたりはいかにも広告屋さんであるなと感じた。私もブロガーとして抵抗はあるのだが長期的に見れば、確かにこのあたりのハードルを越えられないブロガーはそこそこの位置で止まってしばらくしたら目立たなくなっているように思う。
「しかし、こういう見方で人のブログを見るのって面白いのかねえ」ってちょっと皮肉言ってみたら何言ってんだ超面白いよ、って力説された。いろんな考え方があるものだなぁ。
あ、特にオチはないです。しいて言えばこの記事を真っ先にツイートしたのがfujipon先生だったので、先生イケダハヤトってワードを監視でもしてるのかとちょっとびっくりしたという話ですかね。先生ほんとにイケダハヤトのこと大好きだよね
http://anond.hatelabo.jp/20151019171654
あーうん、あなたが言うとおりだと思うよ。別にすごく新しいことだとか格好いいことを言ったつもりはないんですが。なに勝手にキレてんだろ。
こんな感じでケチつけるための文脈を一生懸命こしらえる人いるよね。
こういうのを見つづけてきた結果として、いくら上手にケチつけられてもそれにあわせて新しい情報提供できない人は、態度はでかくても大したことないってことに気づいてきた。
最初はよく騙されたもんだけど。
ダイタイアンガーとまでは言わんけど、ケチつけだけで終わる人ははてなブックマークまでにしてほしいな。
イケダハヤトさんもどうかと思うところいっぱいあるけど、こういう何のプラスも生み出さない人よりは夢振りまいてるだけ存在意義あるかなって思う。
害も大きいから気をつけないといけないけどね。
●動画広告が流行ってるらしい。これからは動画広告だとか、効果が高いとか
Googleが検索結果に動画広告を検討している噂なんかも出てきたし、ここはてなでも動画広告が出てくる。
私は動画広告が嫌いだ。音がうるさいし、音のないものでも動くと目について目障りで、
こんなものに時間を、PCの処理性能を、通信速度を、自分の思考能力の一部をとられることに腹が立つ。
そしてブロックする。通常の広告であれば内容によってブロックしないけど、動画は100%有無をいわさずブロックしている。
はてなのみなさんはどうだろうか
私は動画広告はインターネットの広告業界にとってトドメの一撃になると考えている。
広告ブロックが加速し、インターネットとの接触時間を減らすトドメの一撃に。
そうなればそれは広告効果が高いどころか、未来の広告業界の需要の先食いじゃないか?
●TVはCMがどんどんうざくなって、内容が糞になって、そこでポッと出てきたインターネットに潰されたけど、
インターネットはどうなるんだろうか。有望な代替がなさそうだから問題ないのかな?
海外では広告を出す側が自制をすべきではないかという動きが起こってきている。
CMの音圧を上げて目立つことを優先し、このあとすぐ!を連発し、
そしてCMカット機能付きのレコーダーを潰し、デジタル化で今までのTVで見れなくなって客離れは決定的になった。
広告を守ろうと、広告を見せようとすればするほど人はTVから離れていった。
もちろんTVの内容が広告重視になりすぎて見るに耐えない内容になったのもあるだろう。
でも、音圧を上げる、この後すぐ!で引き延ばす行動も、当時は広告効果が高いとか言われてたんじゃないのだろうか?
広告効果が高い、でユーザーを軽視していった結果潰れていった業界の見本にならないだろうか?
インターネットで広告がこのまま増え続けるとどうなるだろうか。
広告はどんどん派手に、邪魔になっていったが、動画広告黎明期の今ですら、広告ブロック問題が火を吹き始めている。
動画広告がそれほど普及していないにもかかわらずこれらの現象は起こっている。
そして動画広告というのは多くのユーザーの堪忍袋の緒を切るラインだと私は考える。
A、殻を作って閉じこもる
ユーザーは頻繁な追跡広告や、邪魔な動画広告、場違いなエロ広告などに嫌気が差し、
それらを行うサイトに行かず、安心できるサイトに引きこもってしまう
これらABCの複合型が生まれると思っている。これらの複合型とはどういう人間か。
同じサイトばかり見るために、新規遭遇の広告が少ないため、徹底的に広告をブロックできる。
そのうえ、ネットを見る時間が少ないために、ただでさえブロックされる広告の視聴頻度が更に下がる。
広告ブロックが普及すればネイティブ広告が増えるだけであり、インターネットはつまらなくなる。だからブロックはだめだという声を聞くが、
それはTVショッピングと広告番組に嫌気をさされ視聴者離れを起こしたTVと同じ自滅の道だ。ネットとユーザーの接触時間が減ってしまう。
広告があるからインターネットは面白い、という話は一理あるが詭弁でもある。
広告がなかった時代や広告が少なかった時代のネットはつまらなかったか?そんなことはない。私の体感では今より面白かった。
広告があるから存在できる面白いWEBもあれば、広告を見せることが目的のつまらないWEBもとんでもなく増えた。
私は、後者の害のほうが大きかったのではないかと思う。
●上述したABCの行動に見覚えはないだろうか?すでにTVもこのような道を辿っているのだ。
垂れ流しをやめ、同じ番組しか見なくなり、CMをカットして視聴する。それと同じ行動だ。
過剰な広告でポストにチラシ禁止を貼る家庭が増えたように、一定ラインを超えると、人は防御行動を起こしてしまう。
不要な情報の洪水に対し、殻を作ってしまう。得るものより、ゴミが多ければその傾向は一気に進むだろう。
どうでもいいチラシの束や、「重要」と「工事のお知らせ」とか書いてある光インターネット勧誘とか、
検索に引っかかってユーザーに踏ませることだけが目的の中身の無いサイトとかだ。
買い物でも何でも得るものより損が多ければまたやろうとは思わないはずだ。
駅前チラシは貰いたくないけど、ティッシュならもらってもいい気分になるでしょ?要はリターンが釣り合うかどうか。
過去のメディアの自滅例や今のメディアの考え方を見ていると無理だろう。
おそらく「広告ブロックを使うやつは結局使う。そういうことをしない人にどんどん広告を見てもらえばいい」と判断してそのまま進むだろう。
それは、いままで広告を許容していた人、インターネットとの接触時間が多かった人、を徐々に減らしていく道だ。
TVのようにどうしようもなくなるまで進むのか、引き返すか。今が分岐点でありメディアの方には考えて欲しいところだが、
日本のWEB広告は無法地帯であり、一人がやめても影響は薄く、全体に意見を波及できるようなリーダーもいない
どうしようもないのが現実だろう。
●人々はインターネットをやめるか
やめないだろう。ほかに変わるメディアがない。
ただし、上述したようにインターネットとのつきあい方が変わり、娯楽から道具に位置づけを変える人が増えるだろう。
道具になり、インターネットとの接触時間が減れば、それは広告との接触の現象を意味する。
結果広告業界には衰退が訪れる。
●オマケ:インターネットに取って代わる、というほどではないが、将来的に本が少し見直される時代が来る可能性がある。
ここ10年、本というのはゴミのような扱いだ。なにしろネットで調べたほうが速くて、タダだ。
雑誌もどんどん死んでいる。
でもラジオが見直されたように、本も良い特性を持ったメディアであり、息を吹き返すに足る素晴らしさを持っている。
これには電子書籍も含まれる。のでインターネットの範疇とも言える。
本というのは素晴らしい情報がわかりやすく集約されたもので、インターネットのようにいちいち検索する必要が無い。
広告があってもすぐ飛ばせる。純粋に中身を楽しめる。雑誌は広告が多すぎて有益な情報は少なかったりするのだけど。
なにより本は、専門的な用語を知らなくても、情報を教えてくれる。
今のインターネットは検索が大変で、専門的な、少範囲を意味する用語で絞り込まないと答えにたどり着けない。
たどり着いても水で思い切り薄めたカルピスのような中身しかない事が増えた。
以前なら検索だけですぐに芋づる式に情報を引き出せたが、今はそうは行かないのだ。
なにより、目に優しいので寝る前にピッタリだ。電子ペーパー以外のタブレットで見る場合には当てはまらないが。
ネットの情報検索の利便性は本に取って代わられることはないが、より深く知りたい、新しい分野を知りたい、
ゆっくりと自分の時間を楽しみたい人にとってはネットは本より劣るのだ。
ネットがどんどん不便になればなるほど、不便だったはずの本と一部で逆転することになる。
■ムダに長いので全体を要約
今、インターネットの速度向上は鈍化どころか、スマホだけで過ごす人々や格安SIMだけで過ごす人々の増加により、退化している。
そしてその人々はスマホ世代の台頭などにより見逃せない人口まで増加していくだろう。
この層の増加は高速回線を必要とする有料コンテンツの商売に影を落とす潜在的な危険がある。
長年の過剰で無神経なWEB広告の結果、WEB広告業界が広告ブロックの脅威に晒されているように、徐々に問題が顕在化していくだろう。
そのためには今一度、コンテンツ容量やそれにかかる通信量を軽量化し、拾える客のパイを維持する必要がある。
この対策はコンテンツ販売をする業界が客から見放される前に行わなければ、業界全体からの客離れを招くだろう。(完)
■はじめに(読む気力がある方はこっから)
インターネットは速度を上げてきた。人々もインフラの乗り換えを良しとしてきた。
画像ファイルの読み込みに膨大な時間がかかった昔と比べて今、画像ファイルの読み込みは一瞬だ。
昔のように画像をブログに上げるときに容量を気にして縮小をかけるような人は少なくなっただろう。
もはやインターネットは生活に必要なインフラであり、殆どの人が活用している。
しかし、ここにきて低速なインターネットで満足してしまう人々が出現している。
彼らはインターネットからの脱落者でもあり、インターネットを見放したものでもある。
そのような人々の出現はインターネットでコンテンツを売る時代において、パイの縮小を意味する。
なぜそのような人々が生まれ始めたのか。
スマホの出現と、PCを持たない世代の出現、そして若者の貧困化、ネット依存からの脱却
そしてそれを後押しするのは無料インターネットコンテンツの黄昏だ。
スマホがあれば、通信としては事足りる。速度制限時でもISDNよりは速いのだ。
インターネットでもっとも重要なことはメール、検索、地図の閲覧、通販などだと思う。
それがスマホで事足りるとなれば、高価な固定回線を捨てるのも不思議な話ではない。
固定電話が急激に減少したように、固定回線の光が減少してもふしぎではない時代だ。
そもそも光の出現時点で、そんなに早くて何をするなどと言われたものだ。
ADSLは基地局から遠いと速度低下が著しかったが、よほどの僻地でなければ十分な速度が出ていた。
そして、PCを持たない世代であれば、わざわざ固定回線を持つのはバカバカしいことに映るだろう。
しかし、有料のインターネットコンテンツは大抵回線速度が必要となる。
固定回線を捨てた彼らを、有料コンテンツを提供する人々は見逃していいのだろうか?
■無料のインターネットが崩壊に向かっていることは回線の2極化を生む
無料のインターネットはずいぶんと住みづらくなった。広告、広告、広告、広告。
無駄に分割されたり、続きを読むをわざわざ押させるアクセス数稼ぎ。
検索をしても、アフィサイト、まとめサイト、他人の剽窃、どうでもいい情報や同じ情報ばかり引っかかる。
そして会員にならないとまともに見ることができない重いサイトの増加。ニコニコ、Pixiv、Mixi・・・
昔のインターネットは少し検索すればお望みの情報がいくつも手に入って、比較して良い物を選別して…
なんでも教えてくれる有能な、自分が世界中の情報にアクセスできる魔法使いになれたような錯覚すら覚えるものだった。
当時はgoogleでワードを複数使わなくても、""なんて使わなくても、-なんて使わなくても答えを拾えたものだ。
15年前はこんなGoogleの使い方を知っていれば結構詳しい人だった
商業インターネットの発達によってインターネットは整理整頓された書店のような姿から、ごちゃごちゃしたドン・キホーテのように姿を変えた。
まあ、ドン・キホーテのほうが今のネットよりは整理整頓されているのだけど。
ここ15年の私達のパソコンの性能と回線速度の向上は、ベタベタと大量にはられた重い広告の処理に当てられているといっても過言ではないだろう。
2000年ごろのサイトを見てみると、あまりの軽さと見やすさに驚くかもしれない。
話がそれているが、つまるところ、インターネットを古風な使い方しかしない人々にとっては、速度や性能がもたらすものがなくなっただけでなく
インターネットそのものが変質し、インターネットサーフィンなど楽しむに値しないページが増えている。
それはインターネットそのものの魅力低下を呼んでいる。ということだ。
もはやインターネットは高額な固定回線料を払ってまで高速に楽しむものには値しないと思う人が増えてもおかしくはない。
■有料インターネットは速度を必要とするが、低速回線族にはそれがない。彼らは客としてどうなのか?
ソーシャルゲーム、Youtubeの有料プランや、ニコニコの有料会員、Hulu、Netfix、バンダイチャンネル、Kindle、Steam。
動画、ゲーム、電子書籍など今隆盛を始めた有料ネットコンテンツ。
これらには高速な回線が必要だ。スマホ回線程度の貧弱な回線では万全に楽しめるものではない。
そして、スマホ回線だけで生活する人々、スマホ族とでも呼称したいところだが、すでにある言葉のようなので無線族としよう。
無線族は有料コンテンツ供給者から見て見逃していい存在なのだろうか?
・一人暮らし、夫婦のみ、一人っ子家庭など少数で暮らす人々 多くの家族と暮らしているなら回線代は微々たるものだ
・貧乏 金持ちなら回線代を削る必要はない。金持ちとて無駄な出費と捉えれば削るけど
・パソコンに疎い パソコンが必要でなければ固定回線はいらない
正直に言って、客として微妙だ。見捨てていい客と言っても過言ではない。
客になる可能性は薄く、金払いもあまり良くないだろう。
しかし、そうやってパイを狭めた結果、潰れていったものが多いの事実だ。
果たして、高速な回線を捨てた人々は、拾い上げるほど人口がいるのだろうか?
■無線族の増加は永続的に続く可能性があり、回線速度の伸びも鈍化している。
無料コンテンツの劣化などにより高速なインターネットに見切りをつける人々は増えていくだろう。
そして、結婚をしない一人暮らし世代や子供を作らない、一人だけの夫婦は増加しており、パソコンよりスマホに親しむ世代も増加している。
回線速度の増加にも限りがあり、無線回線の速度増加は足踏みを続けていると言っても過言ではない。
高速無制限のウリ文句だったWiMAX2で速度制限がかかったことが記憶に新しいが、無線回線はあっという間にパンクする。
無線である限り、爆発的な技術の向上が起きてもそれが安く提供されないかぎり、高速な回線を持たない無線族は増えていく。
安ければ、最低限のインフラが高速なら、それを良しとするだろうが、自分たちから高速を求めないだろう。
年月が経てばいつのまにか、遅い無線回線しか持たない人々が多数派になる可能性すら秘めている。
なんらかの対策を考えたほうがいい層として見たほうが良いだろう
■対策は国家としてのバックアップか、商売として低容量のものを提供するか、回線そのものをサービスするか。それとも?
●近頃、安倍総理がスマホ回線の料金を下げるように通信各社に要請していたが、あれはそれだけ通信環境が重要視されているということだろう。
うまく彼ら無線族を繋げなければ、商業的なリスクが起こる可能性すらあるのだ。
ソシャゲで今月の通信量を使いすぎて規制されるからと、ソシャゲプレイの頻度を下げる、
容量の多いものは買わない、など身に覚えがある人もいるのではないだろうか?
それが今後さらに通信量を必要とするコンテンツの増加で、商売の機会を逃す可能性があるのだ。
しかし、政府主導で民間の会社に圧力をかけるのは容易ではないし、反発を招くだろう。
●またはコンテンツの容量を下げるという方法だ。サイズが小さければ低速回線のユーザーも取り込める。
現在のコンテンツは通信速度の増加を当てにした異常なコンテンツ容量の増加が続いている。それを見直す時期が来たのではないだろうか?
●回線そのものをサービスにする。これはとんでもない考えのように見えるが、Kindle3Gやブックライブリーダー リディオではすでに実施されている。
Kindleは低容量の商品にしか使えず、漫画はダウンロード出来ないという問題があるのだが。
端末を買ってしまえば、商品を買う分には通信量が無料となるというもので、低速回線ユーザーには持って来いと言える。
もっとも、Kindle3G程度の回線では効果が薄いだろうが。ブックライブリーダー リディオは漫画も可能とのことだが端末のページ切り替えが遅いらしく購入に至っていない。
そもそもリディオは知名度が低すぎて最近知ったということもある。リディオは宣伝が足りない気がする。・・・本題に戻そう。
このような回線サービスで、ユーザーを繋ぎ止められる可能性や引き込める可能性があるだろう。リディオはコンテンツや信頼性、端末の速度がKindleに並べば
すでに持っているKindleライブラリを見捨ててでも移住してもいいと思うほどだ。それが出来てないから移住してないのだけど。
しかし、無料の回線を提供する企業には多くの負担を強いるだろう
オフラインでデータを渡す。買い切りのコンテンツではあまり有用な方法ではない。前時代的すぎる。
が、プロモーションとして基本無料のゲームの基本データを詰め込んで、ユーザーの通信負荷を下げるという場合には一応は使えるだろう。
問題はそのデータをどう受け渡すか、である。DVDなどではもう読める環境のないユーザーもいるだろう。
USBや無線で提供できる機器を雑誌などにつけたり、プロモーション用のWifiを設置するのも手だろうが、コストが掛かり過ぎるだろう。
面白く話題性のあるプロモーションになるだろうが、低速回線の細い客に対するプロモーションとしては過剰投資になるだろう。
回線の混雑や、当てにできない政府、鈍化している技術の進歩、高コストな無料回線の提供とオフラインでの提供に問題が多いことを考えれば、
昔のインターネットに立ち返り、軽量なコンテンツの提供を考えるのがベストだろう。
今は問題が目立たないが、徐々に問題が顕在化してくるタイプの問題で、早めの対処が必要だと考える
似た例で問題が顕在化している例といえば、WEB広告と広告ブロックソフトの攻防だろう。
今や広告でも高画質な画像や、音声はたまた動画まで使うものがある。そして利用者の好みを追跡し同じ広告ばかり見せる。
何かを検索していたら、弱みを煽るような広告ばかり出てきた覚えがある方もいるだろう。o-netとか。
あれで広告ブロックの再インストールを面倒だと思ってた私も広告ブロックを入れようと決意したものである
WEB広告の未来の芽を摘んでいることを自覚すべきだ。小さなバナー広告程度であればアドブロックがここまで当たり前の存在にはならなかっただろう。
コンテンツ提供者にとって、コンテンツと広告は一体のものであり、広告ブロックは泥棒と言いたい行為かもしれないが、
一見さんのユーザーにとって警告もなく出現する重い広告はぼったくりバーも同然の行為だ。やり過ぎということである。
そうでないサイトまで被害を受けているだろうが、それはWEB広告業界の自制心のなさが招いた結果といえる。
このように相手のことを考えないコンテンツはユーザーに負担をかけ、結果としてユーザー離れを招いてしまう。
一見問題のない状態だと思える現状も、徐々に侵食が進んでいる。
ソーシャルゲームなども容量を食わないものがあっても、十把一からげに通信容量を食うと見られている。
動画など容量対策が難しい物もあるが、可能なものであればどんどん対策し、ユーザーに寄り添うことが、業界の助けにもなるだろう。
■追記
●1,なんで回線状況の悪いアメリカのほうがWEBサービスが発展しているのか?
推測ですが、米国でWEBサービスが発達したのはWEB発祥の地ということもあるでしょうけど、国土が広く人口密度が低いからでしょう。
日本でも僻地に住んでれば本屋やCDショップは遠すぎて、低速回線でも十分にメリットがあると思います。
米国の僻地では通販にしても送料がそれなりに掛かるか、日数がかかるものだろうと思います。
日本なら近くの本屋でも通販でも近くの倉庫からあっという間ですが、僻地ではそうも行きません。
通信速度が遅くともインターネットで買うより速くガソリン代も手間もかからない。
日本でも実店舗からソフト売り場が消えたPCゲーム業界がダウンロードサービス主流になっているのは似たような経緯だと思います
米国は都市部なら無料Wifiが発達してるのも有利な点でしょう。
調べてみると米国でも回線とコンテンツは問題になっているようで、米国でグーグルが独自に高速回線インフラを提供し始めたのはその対策でしょう。
●2、>インストールした後云々は、AppStoreでは100MB以下のアプリでないと3Gでダウンロードできないとか、GooglePlayでは50MB以下でないと登録できないというプラットフォーム側の制限によるのです。
これはコメントについてたコメントで、本文とは直接関係ないのですが、捉え方が気になったので少し話を。
その説明はメーカーとしてはしょうがないことと説明したのでしょうが、ユーザーから見るとそのやり方は詐欺もいいところです。
ひどい言い方ですが、そのくらいのことであって、まさにスマホゲーム業界全体の信用に関わる、客離れに繋がる問題なんです。
ユーザーはアプリストアでアプリの容量を確認して「これならうちの回線でも大丈夫だな」とダウンロードするわけです。
ところがそこから場合によっては100メガ単位、ギガ単位のダウンロードが必要になる…
そしてユーザーはそのゲームを諦め、他のゲームをやろうとしたらまた同じような目に会い、見た目が重そうな美麗なゲームははじめから候補にすら入れなくなる。
40メガポッキリだと思ったら1000メガ必要で結局ゲームを諦めて、通信量丸損で、他のゲームを探したら同じ状況で、と言うのは
3000円ポッキリだと思って入ったら金だけ取られてサービスを受けるには10万必要です、なんて店をたらい回しにされるようなものです。
これはスマホのシステム上しょうがないというお気持ちかもしれませんが、スマホ業界の慣習に慣れていないユーザーには関係のない話です。
アプリによっては追加ダウンロードが発生することを商品説明に明記してありますが、その説明のない商品のほうが多いと感じます。
「刑事罰の対象でない」というだけで不法行為と合法な行為を一緒にするんじゃねぇよ!
アップルは最近、プライバシー保護について強調してきてるので、今回の決定もユーザのセキュリティの為なのだと思います。
セキュリティリスクについての知識が乏しい一般人でも安全にwebを利用できる必要があり、web広告がらみのマルウェア感染は大きな問題となってるので対策するのは妥当ではないでしょうか。
ほんとは広告業界がなにか対策をしていれば、アップルも今回のような決定をしなかったのでは?と考えてしまいます。
広告ブロックの利用に反対する人は、まずセキュリティ問題について語るべきではないでしょうか。
コンテンツの窃盗などに例えてられたりしてますが、webではコンテンツやサービスの利用に至る経路について考える必要があるかと。
webではリンクを踏んでコンテンツのあるサイトやサービスに移動するのですが、実際に移動するまでどのようなサイトなのか分からないことも多々あります。
通信料が気になる場合、見るか見ないかの判断を下せるのがサイト表示後では困るわけです。
判断のつくリンクだけ踏めばよい、という考え方もあるかもしれませんが現在のwebの使われ方から考えるに、非常に不便なものとなってしまいます。
このように、web外でのコンテンツ購入のような、明確に選択をするフェイズが存在しないことを考えないと、非現実的な意見になってしまいます。
専用アプリがあるサービスは、アプリの導入というやり方でユーザが明確に選択をすることができるという点で、問題になりにくいと思われます。
通信料をTVの電気代に例えてる人が居ますが、スマホだって電気代はかかります。
しかしスマホでも広告表示に関連する電気代に怒る人が居ないように、電気代は話として無視できるほど十分に小さいものであり、通信料と比べるようなものではないかと思います。
広告ブロック利用への反対意見には、全部の広告を受け入れるか、全部の広告を拒否するか、の話になってるものが多い気がします。
そうではなくブロックツールはユーザがサービスを選択する為の手段としてとらえるべきです。
サービス側はユーザが広告ブロックを有効にしてるか判別できるので、対応を決めることができます。
ユーザは使いたいサービスはホワイトリストに入れればいいわけです。
ユーザに選ばれるサービスは収入を得られ、選ばれないサービスはそうでない、という当たり前のことを実現するためのものです。
めんどくさい場合は、信頼できる広告会社だけをホワイトリストに入れるというのもありでしょう。
まだブロックツールは有料らしいので、すぐには大きな影響は出ないでしょうが、広告会社や各種webサービスは何かしら対策をしてくると思われます。
広告ブロック回避をさらに回避するツールが出る、とか、技術はいたちごっこになりやすいですが、多くの人たちはいちいちそれらをキャッチアップし続けることはないのでは、と思ってます。
AdBlockという、Web上の広告を非表示にするツールがある。
はてブほか、このようなアド(=広告)ブロックツールを喜んで使っているやつらは多い。
しかし、彼らは自分たちが「割れ厨」と同じことをしている自覚が無いのだろうか。
割れ厨とは、漫画・アニメ・ゲームなどのコンテンツやソフトウェアを正当な対価を支払わずに
無料で入手している人たちのことを指すのは御存知の通り。
このワードのポイントは、「正当な対価を支払うことなく」、「無料でコンテンツを取得」しているという点だ。
殆どのアドブロック利用者は、自分の行動が割れ厨の行為と類似していることに無自覚である。
特に、Web上のサービスというものは、サーバ代がかかる以上は必ずお金がかかる。
つまり、Web上のサービスにおける広告表示とは、サービス料金がタダである代わりに利用者側が支払う対価である。
だからこそ、多くのWebサービスやアプリで、お金を支払うことで広告が非表示にする機能があるのだ。
すると、AdBlock利用者のやっていることは、本質的には割れ厨となんら変わることがない。
「正当な対価を支払うことなく」、「無料でコンテンツを取得」しているからだ。
これは、言うならば「アド割れ厨」とでも呼称すべき存在だろう。
厳密に言えば、マンガのダウンロードに関しては現在も罰則規定はない(よって、民法上の争訟しか存在しない)。
一応法律上の規制はあったが、歩行者の信号無視や自転車の並走禁止と同レベルの規制でしかない。
だから、割れは問題無いと主張する割れ厨が多かった(今も多い)ことはご存知か?
アド割れは現在のところ刑事罰の対象になっていないが、それは法律の問題でしかなく、倫理的にやっていることは大差ない。
以下の記事にもあるが、米ネット広告業界ではこの機能への訴訟が検討されている。
http://zen.seesaa.net/article/425387889.html
もし訴訟で勝った場合は、アドブロック行為が犯罪であることが法的にも示されることになる(あくまでアメリカでだが)。
答えは単純で、ライバルの利益を阻害しつつApple自身の売上には全く響かないからである。
Appleは基本的にハードウェアを売って儲ける会社であり、Webサービスを売上として会社ではない。
それはさながら、Winnyでファイルを大量にアップロードしたものが捕まっても、ダウンロードしか行っていないユーザーは捕まらないので割れを続けている状況に似ている。
確かに、ウザい広告はある。特に小さい画面を専有する広告がウザいのは私も同意だ。
だが、それがなんだと言うのか。
「この本は、本文で著者が他の作品の宣伝をしていてウザいから無料ダウンロードしても問題ない!」
「この映画は、動物虐待があるインモラルな映画だから無料ダウンロードしても問題ない!」
と主張することと何が違うのか?
広告がウザかろうが、それはコンテンツ配信者が選択した広告なのだ。
つまり、コンテンツ利用の対価として運営者が設定したものなのだ。
その対価がウザい(=料金が高すぎる)というなら、そのサイトを見ないようにすれば良い。
幸いにして、普通のボッタクリ店と違い、うっかりそのサイトをクリックしても、広告が表示されるかされないかの段階でブラウザバックすれば対価は取られずに済む。
広告がウザいからブロックして問題ないという主張は、どう考えても割れ厨の自己正当化(どうせ買わない作品をダウンロードしているだけだから問題ない、など)とあまり違いがない。
コンテンツを読むなら対価を払え。それが嫌ならブラウザバック。
ただ、それだけの話なのだが。
以上より、アド割れ厨たちのメンタリティがいかに割れ厨と被っているか、また彼らが自分たちの犯罪的行為を正当化するために用いている論理がいかに脆弱かが分かったと思う。
しかし、割れ厨がいくら批判されても割れを止めないのと同じく、この文章を読んでもアド割れ厨たちはアド割れを止めないだろう。
統括するにはまだ早いと思うのだけど覚書。
【1】一連の騒動について
【2】デザイン的に見てどう思うか
【3】佐野氏に同情できるか
【1】一連の騒動について
サノケンのエンブレム取り下げまでの一連の事件を振り返ってグーグル会長が書いたエリック・シュミット『第五の権力』を思い出したので書いておく。
まず第五の権力とは何か。
行政、司法、立法の3つの権力に対して今まで報道を第四の権力となぞらえていた。それを本書でエリックは第五の権力のことを、全世界の人がオンラインでつながったことで手にする力と言っていて、つまりインターネットをもった我々のことで、有体にいえば『炎上』のことである。
で、サノケンの炎上だけど、これまでの炎上と明確に一つ違う点があることを留意しておきたいと思う。
海外のデザイナーやフォトグラファーらとニュースを通じてオンライン上で繋がり、情報が次々と提供され、外堀を着々と埋められてしまって国はもう言い逃れできなくなってしまった。
恥の文化がある日本人にとって、海外のリアクションはすごく耳が痛かっただろうなと思う。
で第五の権力、つまり『炎上』についてまだまだ日本で過小評価されているような気がする。
佐々木俊尚氏に限っては、いまだにネット民の自制が必要みたいなナイーブな話をしているし、茂木健一郎氏は、権威者層に対する下位層による妬み、対立みたいな話になっている。
いやいや、デザイナー・広告業界からのタレコミが多かったと思うけどな。政府関係者の中にもサノケンのエンブレムが気に入らなかった人は大勢いたんじゃないかなと思うし。
ていうか、妬みの力だけで国は動かないし、動かせるわけがない。もし妬みで国を変えられるのなら、Gakut何人必要なんだよって話だよね。
トートバックの事案、過去のデザインの掘り出し、原案の意匠の発表と、無視できない事案が重なってエンブレムが取り下げになった。
もしかしたらデザイン業界ではコピペ(盗用)・改変(剽窃)は、慣例的に、普通に行われていたのかもしれない。
でも、もうそれは許されることではなくなった。
どうでもいいけど、茂木氏がクオリア(死語)的にデザインが受け付けないと語った時にはこれはギャグなのかなと思った。
【2】デザイン的に見て
素人目に佐野エンブレムのデザイン的に悪いところを個人的に挙げておく。
1:デザインが堅苦しい。
スポーツの躍動感がない。
祭典のイメージがない等
2:パラリンピックの白黒反転ロゴが、『T』に見えず、『U』に見えること
佐野的にはパラリンピックは『=』(イコール、平等)をイメージしたらしいがパラリンピック関係者は、それを
聞いてどう思っただろうね?
まだ『U』でUNITE(結合)とした方が良かったのではないか。せっかく26文字作ったんだからさ。
3アルファベットイニシャルが、日本人にはそもそも受け付けないものであること。
なんでTOKYOのTなんだろうね?
たぶんあれは原案を元に作成されたもので、意匠変更を経て発表できなくなったものなんだろうなと推測。
素人目には、ここまで悪いところを挙げられる。
あとプロと素人の境界は職務に対して『批判的』になれるかである。
批判的になれないのは『商売人』であって、『プロフェッショナル』ではない。
【3】佐野氏に同情できるか
はっきり言って、どうでもいい。
同情は彼の仲間が(同情)するべきことで、無関係の我々がすることではない、よね?
著作権を軽視してトレパクすることは、他人の住所を勝手にネットに書き込みすることに等しい犯罪であることを認識してほしい。
とりあえずインターネットウィルスによる情報漏えいと同クラスの対策を取らないと自社、取引先の企業価値を大きく毀損する結果になるとだけ忠告しておく。
TPPによって著作権侵害の非親告による摘発が可能になればさらにこの流れは加速するはずだ。
むしろ、このことによってオリジナルのクリエイターの権利が守られることを望みたい。
そういえばトートバックの件でで剽窃したと思われる猫のデザインはいつになったら取り下げてくれるのだろうと思っている。
佐野デザインと名前を付けている以上、名前に大きく責任を持つべきだと思う。
盗用されて被害を受けているデザイナー、フォトグラファー、クリエイターが実際にいることを忘れちゃいけないと思う。
クリエイトすることによって飯を食っている人たちであることを忘れちゃいけない。
佐野氏より、五輪提携企業より先に、こちらに対して、まずどう補償していくのかが今後のこのサノケン事件の焦点になるのかなと思っている。
才能があるのに無名で売れないクリエイターってたくさんいるんだからさ、これを機に還元される流れになってほしいな。
以上です。
http://anond.hatelabo.jp/20150901191914 に端を発して
http://anond.hatelabo.jp/20150902074750 とか
http://anond.hatelabo.jp/20150902114813 とか
理想論をかざすなら、そういうアホなクライアントでも理解できるモノを作るのがプロフェッショナルだと思ってる。
そういう意味のプロフェッショナルではなくて、ミッションをこなすのが至上というタイプのプロなら正直「クライアントがうんと言えば」なんでもいいんだと考えてる、そういう自称クリエイターとか自称アーティストはたくさん見てきた。
選んでもらう為、クライアントに気に入られる為、突き詰めればたかが食べるため必死にならなきゃダメな程に追い込まれた「かわいそうな人たち」であって、なんでそんな心貧しい人たちがクリエイションとかやってるのかって事の方がよほど問題。
後、今回のエンブレムの件はどっかに関係者の名前顔、関連事業を一枚にまとめたような画像も出回ってる通り、デザインに詳しいワケでもなんでもない「自分たちはよくわからんけど重大事なので業界で名前が通ってる人間を集めて選考すればよかろうガハハハ」みたいな、前世紀には駆逐されてないといけなかったような人間がそれなりの権利権限を握って、群れているのが本質的な原因だと断言してもいいと思ってる。
そんなクソみたいなモノやパクり、仕事の規模を考慮してマズい異物異分子を検知したり排除する仕組みが機能しなかったからこういう表沙汰で盛大に騒ぐ。そしてただでさえ少ない日程が食いつぶされて、各方面にしわ寄せがやってくる。
「ぱっと見で完成度の高く、(どっかで見たことあるから)理解しやすいカンプデザイン」を
即座に提出することがミッションなんだよね。
ここ連日の博報堂叩きというか、広告業界の実態が炙り出されたというのか、
博報堂を好きだった私はとても悲しい。
かつて、私が一緒に仕事をさせていただいた博報堂のプランナーの方は、情熱があり、
一方で、品があり、スマートでとても好感を持てた。
今回のオリンピック関連の一連の問題(佐野さんは元社員なので、直接的には関係だろうが)、
さらなる追い打ちのようなステマの問題を知り、正直、がっかりした。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150829-00048930/
http://news.aol.jp/bloggers/miura-takahiro/
品がなく、クリエイティブ性を全く感じることが出来ない。
ライターではないとは言え、正直、暴言にしかきこえません。。。
”本当のリア充は、この時期サンタの格好してコンパに登場して一日に3回戦までこなすようなツワモノです”
と言ったり、
9股している友人を
自分の先輩のことを、
”大学時代にお世話になり今は某グローバル企業でアジアナンバー1のセールスを務める先輩”
と言ったり、
自慢をしたいのだろうが、全く嫌みにしかきこえてこない。
この方は一体何を言いたいのだろうか。と読んでいて怒りを覚えてくる。一方で、
こういった文章を書く人なので、ステマをやることに抵抗がないのだろうと理解出来る。
博報堂も、企業として、何故こういった価値のない暴言をコントロールしないのだろうか。
日本の名だたる広告会社で、社会に大きな影響を与える組織だからこそ、
今回の飛び火パクリ騒動。
どうも巨額や高い地位(博報堂)が絡むとそれも相まって炎上具合が凄まじい。
数難前、某絵画のコンクールで大賞とった人がトレース疑惑で叩かれまくっていたけれど
これも賞金うん百万が絡んでいたのがかなり大きいと思っている。
結局、妬み辛みが絡まないとデザインも絵画も世間ではほとんど見向きもされない存在で、
美術・広告業界と世間との恐ろしいまでの乖離を感じたのと同時に
元々表立って世間(ネット含むマスメディア)に認知されない業界だから、沈静化したら
業界の内々感に支えられて、難なく生き残っている可能性は高い。
先にあげたトレス疑惑作家も、その後色んな賞をとってて、業界内では悠々と生きている現実。
トレスやパクリの時だけネットがやいのやいのしても、「門外漢はわかってないなぁ 笑」と業界内から
助け舟を出す人間は五万といるので、さほど傷を負わず復帰できる。
結局普段から関心持たれなきゃ欠点だけあげ吊られても、業界全体がへっちゃらになっちゃうのかも。
ネットの袋だたき具合も気色悪い反面、業界での常識感覚で悪意なくパクっている
気もするので、俯瞰しながら追っていきたいと思ました。
ブコメの
woodnotexx お友達だからブクマ、お友達だから褒めちぎる、お友達じゃないからこき下ろす、・・・そういうのをコミュ力って言うらしいですよ あとで読む
これ、全然違うでしょ。
単に金になるから。
まあ、そういう意味では社会における「コミュ力」により近い。特にイシキタカイ系の。
で、一番の問題はステマに通じるものだけど、良いものでなくても自分にフィードバックさせるためだけに相手を「褒める」こと。
それによって、他の人が騙されること。
今問題になってる某オリンピックのロゴを考えたデザイナーとかも、デザイナー同士で賞をあげ合う、と言う互助会。
http://ryotaroneko.ti-da.net/e7828075.html
それによって、知らない人達は「〜賞受賞者!」ということで凄い人だ、と勘違いする。
http://d-lounge.jp/blog/2014/09/7565
の様に、特定の新人賞を採ってると申し込み条件に入るのに、その本賞をとっても条件に入らない、という、明らかな意図的な物もある(今話題の人は新人賞をとってる)
この様に、いくら内輪で何らかの賞をあげあったり褒めあったりしても
外から見るとそれがまるで一般化されたもの、として見られることもある。
もちろん、はてブは一つのコメントでは誰だかわからない人がコメントしてるだけなので余り意味は無いが、
これが10人、数十人となっていくうちに、それだけの人が同じように褒めてるなら内容も正しいに違いない、素晴らしい物に違いない、と思ってしまう人もたくさんいる。
いまやお母さんどころかお祖母ちゃんでさえスマホを使うようになった時代だ。
逆に小学生でも持ってる。
一方でそれらに関する教育は一切ない。
だからこそ「ネイティブ広告」といった人を騙す様な手段が流行ってるのだ。
広告業界の人間は「PR」と書いておけば問題ない、書いてないネイティブ広告は悪だ、みたいな正義ぶってる阿呆もいるが、
「PR」と隅に書いてあったら広告だ、と認識出来る人間が実際のスマホユーザーのどれだけ居るか。
さらに言えば「広告」と大きく書いてあったとしても、その記事部分を見て「広告記事だ」と理解できる人間だって恐らく半数も居ないだろう。
なぜなら彼らは「広告記事」という存在自体を知らないのだから。
はてブを使うような人たちはそのような最下層の人よりは一歩進んだ人出はあると思うが、やはり大半は取捨選択をできる様な人ではない。
TwitterやFacebookに比べればまだましな傾向はあるが、ユーザーが膨れるにつれその傾向は薄れつつある。
それは仕方ないことではあるが、はてブ側のシステムとしてなんとか出来ないものか?
一つ出来るコトとしては、やはりブコメ数にカウントしない(新着、ホットエントリーに入れない)"ブックマークコメント"を作ることだろう。
ユーザーの中にはこれをホットエントリーに上げたくない、でも一言言わないと気がすまない、と言う人が多数いる。
また、上にもあるように、ホットエントリーに入って全てが賞賛コメントだと見た人が疑いを全く持たなくなってしまう。
そんな時に、明らかな反論や、正しい指摘があると、こちらとしても、あ、やっぱりこの記事はおかしかったんだ、あ、この部分やっぱり間違ってるよね、
とか、さらに間違いの指摘部分を自分で調べて、逆にやっぱり正しいとか、やっぱり間違ってるとか考えることも出来る。
が、反論コメントをブックマーク数にカウントしてホットエントリーに入れるのは明らかに間違っている。(本来、そのような間違った内容を否定するためのコメントなのに逆に広めるのに役立ってしまう)
なので、ブックマークの機能として、「あとで読む」とかそんな機能を追加してるひまがあったら、
「このブックマークはカウントしない」と言う機能を入れて欲しい。
「いいね」の代わりの「ダメだね」、というネガティブなカウントを導入するのが理想的だが、
これをすると、今度は逆にアンチによる攻撃の的になる可能性もあるのでネガティブカウントは危険かもしれない。
一方で、単にカウントに入れないだけであれば、少なくともそれ程詳しくない人から見れば、
賞賛コメントの数が減るわけではないし、一方で間違ってる、という訂正コメントを躊躇することなく入れられる。
はてなさん、ほんと、これ導入できませんかね?
かなり上から目線で吐き出させてほしい。
広告業界を志望している学生で、結構な確率でに出会うのが、「泥臭い」「粘り強い」という言葉を推してくる体育会系出身者。
(実際にうちの会社は例年20%体育会系出身が新卒入社する。)
そしてもうひとつのパターンとして、デザイン専攻・表現工学専攻で学んだ内容をそのまま志望動機に直結させてくる学生。でもこっちはまだいい。
(一番よくあるパターンが「自分は広告業界で働きたくてこういう勉強をしてきた」という的外れな志望動機。)
心底落ち込んでしまった。
単純に、そこをアピールしてくる新卒に入ってきてほしくないと強く思った。
自分は商学系学部出身で、今は一言で言うとプランナー。たまにデザインもする。
この会社に新卒で入ったときは、自らの広告業界に対する人生との縁、『愛』、そして自分が捉える「課題解決」の本質、それに基づいた作品を発表して内定をもらった。
経験した身だからわかるのだが、ただ大学2年間遊んで3年目の終わりあたりから就職活動に躍起になる学生が一番短絡的にやりたい仕事として思いつかれてしまうのが「広告」なのである。
俺らは君たちの学んだ内容はちゃんと評価している。だからもっと広告業界以外のことを知ろう。もっと広い世界を知ろう。
この業界じゃなくても君がやりたいことはできる。経験上広告業界を志望してから勉強内容を自分で決めて大学に入学した学生が、クリエイティブとして3年以上続いた試しがない。
みんな「自分がやりたいことと仕事内容が違った」といって辞めていくんだ。
自分でちゃんと考えてみよう。頭の良し悪しは重要な要素だけど、ようは使い方の問題だから。
だけど、俺らは頭を『使わない』やつはなにがあっても取らないよ。
最近目を着けているのが大学受験をせず、また小学校からの進学ではなく中学受験で系列付属校に入学した内部進学生。
彼らのアイデア力と使い方は、見ていてとても良い。
なんかおもしろい企画、バズる企画、そういうお題を毎日毎日与えられて考えて。決まったら実制作が始まって、並行して新しいオリエンを受けて。そんなMTGと立ち会いとディレクションで昼は埋まり、やっとこさ夜の10時から昼に受けたオリエンの企画を考え始める。それが終われば、次は別件提案資料。深夜にひと段落したら、家に帰り2時間寝てまた会社へと繰り出す。明日の企画進捗報告資料を作ろうと思っていたのに、またまた新しいオリエンで時間が取られる。そんな状態なのにあっちの案件が揉め出した、対応だ。あぁ今週も土日は休めそうに無い。あれ?でも日曜はロケハンと別件のインタビューだったな…。
コミュケーションデザインだとかインテグレートなんちゃらだとか、かっこいい肩書きの先にあるのはCMもグラフィックもWebもイベントもやらなきゃいけないタスク過多。テレビも見る暇無いのにテレビの企画、雑誌も読む暇無いのにタイアップ制作、ソシャゲもやらずにアプリ開発。それでも何とかカンヌも取って、アドフェストだって電通賞だって取りました。賞を取ったら人気クリエイターの仲間入り。それで得るのはなんかおもしろい企画、バズる企画、新たなそういうお題。
若いうちは働け?いやいや、澤本さんも木村健太郎さんも未だに変わらない生活でしょ?僕に才能があると信じれば信じるほど、結果を出せば出すほどこのサイクルがくるくる回る。たしかに、その螺旋階段は上には向かっているんだけど。
でもね、これがつらいんじゃなくて楽しくて、楽しみで仕方ないの。