2015-10-08

広告過多が創りだす未来は、消費者側の広告拒否を生む

動画広告流行ってるらしい。これから動画広告だとか、効果が高いとか

Google検索結果に動画広告検討している噂なんかも出てきたし、ここはてなでも動画広告が出てくる。

  

私は動画広告が嫌いだ。音がうるさいし、音のないものでも動くと目について目障りで、

こんなもの時間を、PCの処理性能を、通信速度を、自分思考能力の一部をとられることに腹が立つ。

そしてブロックする。通常の広告であれば内容によってブロックしないけど、動画100%有無をいわさずブロックしている。

はてなのみなさんはどうだろうか

  

私は動画広告インターネット広告業界にとってトドメの一撃になると考えている。

広告ブロックが加速し、インターネットとの接触時間を減らすトドメの一撃に。

そうなればそれは広告効果が高いどころか、未来広告業界需要の先食いじゃないか?

  

TVCMがどんどんうざくなって、内容が糞になって、そこでポッと出てきたインターネットに潰されたけど、

インターネットはどうなるんだろうか。有望な代替がなさそうだから問題ないのかな?

  

海外では広告を出す側が自制をすべきではないかという動きが起こってきている。

しかし、日本ではその動きはあまり見られないようだ。

  

TVが死にかけていた頃、TVは何をしていたんだろう。

CMの音圧を上げて目立つことを優先し、このあとすぐ!を連発し、

このあとすぐ!だと思ったら来週に続いたことすらあった。

そしてCMカット機能付きのレコーダーを潰し、デジタル化で今までのTVで見れなくなって客離れは決定的になった。

  

広告を守ろうと、広告を見せようとすればするほど人はTVから離れていった。

もちろんTVの内容が広告重視になりすぎて見るに耐えない内容になったのもあるだろう。

地デジ化がちょうどいいトドメになったのもあるだろう。

  

でも、音圧を上げる、この後すぐ!で引き延ばす行動も、当時は広告効果が高いとか言われてたんじゃないのだろうか?

広告効果が高い、でユーザーを軽視していった結果潰れていった業界の見本にならないだろうか?

  

予測されるユーザーの行動

インターネット広告がこのまま増え続けるとどうなるだろうか。

広告はどんどん派手に、邪魔になっていったが、動画広告黎明期の今ですら、広告ブロック問題が火を吹き始めている。

動画広告がそれほど普及していないにもかかわらずこれらの現象は起こっている。

そして動画広告というのは多くのユーザーの堪忍袋の緒を切るラインだと私は考える。

  

A、殻を作って閉じこもる

知っている居心地の良いサイトばかり巡回するようになる。

ユーザーは頻繁な追跡広告や、邪魔動画広告場違いエロ広告などに嫌気が差し

それらを行うサイトに行かず、安心できるサイトに引きこもってしま

  

B、広告ブロックを徹底的に行う

広告ブロックソフトを徹底的に使い、快適なWEBを維持する

  

C、ネットとの接触時間を下げる

ネットの使用を最小限にし、必要検索以外は行わない。

  

これらABCの複合型が生まれると思っている。これらの複合型とはどういう人間か。

  

同じサイトばかり見るために、新規遭遇の広告が少ないため、徹底的に広告ブロックできる。

そのうえ、ネットを見る時間が少ないために、ただでさえブロックされる広告の視聴頻度が更に下がる。

広告効果も目に見えて落ちていくだろう。

  

広告ブロックが普及すればネイティブ広告が増えるだけであり、インターネットはつまらなくなる。だからブロックはだめだという声を聞くが、

それはTVショッピング広告番組に嫌気をさされ視聴者離れを起こしたTVと同じ自滅の道だ。ネットユーザーの接触時間が減ってしまう。

広告があるからインターネット面白い、という話は一理あるが詭弁でもある。

広告がなかった時代広告が少なかった時代ネットはつまらなかったか?そんなことはない。私の体感では今より面白かった。

広告があるから存在できる面白いWEBもあれば、広告を見せることが目的のつまらないWEBもとんでもなく増えた。

私は、後者の害のほうが大きかったのではないかと思う。

  

●上述したABCの行動に見覚えはないだろうか?すでにTVもこのような道を辿っているのだ。

垂れ流しをやめ、同じ番組しか見なくなり、CMカットして視聴する。それと同じ行動だ。

そしてTVCM効果は激減した。

過剰な広告ポストにチラシ禁止を貼る家庭が増えたように、一定ラインを超えると、人は防御行動を起こしてしまう。

不要情報洪水に対し、殻を作ってしまう。得るものより、ゴミが多ければその傾向は一気に進むだろう。

  

ゴミっていうのは、TVの「このあとすぐ!」や

どうでもいいチラシの束や、「重要」と「工事のお知らせ」とか書いてある光インターネット勧誘とか、

検索に引っかかってユーザーに踏ませることだけが目的の中身の無いサイトとかだ。

  

買い物でも何でも得るものより損が多ければまたやろうとは思わないはずだ。

駅前チラシは貰いたくないけど、ティッシュならもらってもいい気分になるでしょ?要はリターンが釣り合うかどうか。

  

日本広告業界の自制は働くか?

過去メディアの自滅例や今のメディアの考え方を見ていると無理だろう。

おそらく「広告ブロックを使うやつは結局使う。そういうことをしない人にどんどん広告を見てもらえばいい」と判断してそのまま進むだろう。

それは、いままで広告を許容していた人、インターネットとの接触時間が多かった人、を徐々に減らしていく道だ。

  

TVのようにどうしようもなくなるまで進むのか、引き返すか。今が分岐点でありメディアの方には考えて欲しいところだが、

日本WEB広告無法地帯であり、一人がやめても影響は薄く、全体に意見を波及できるようなリーダーもいない

どうしようもないのが現実だろう。

  

●人々はインターネットをやめるか

やめないだろう。ほかに変わるメディアがない。

ただし、上述したようにインターネットとのつきあい方が変わり、娯楽から道具に位置づけを変える人が増えるだろう。

道具になり、インターネットとの接触時間が減れば、それは広告との接触の現象意味する。

結果広告業界には衰退が訪れる。

  

●オマケ:インターネットに取って代わる、というほどではないが、将来的に本が少し見直される時代が来る可能性がある。

ここ10年、本というのはゴミのような扱いだ。なにしろネットで調べたほうが速くて、タダだ。

雑誌もどんどん死んでいる。

  

でもラジオが見直されたように、本も良い特性を持ったメディアであり、息を吹き返すに足る素晴らしさを持っている。

これには電子書籍も含まれる。のでインターネット範疇とも言える。

  

本というのは素晴らしい情報がわかりやすく集約されたもので、インターネットのようにいちいち検索する必要が無い。

広告があってもすぐ飛ばせる。純粋に中身を楽しめる。雑誌広告が多すぎて有益情報は少なかったりするのだけど。

  

なにより本は、専門的な用語を知らなくても、情報を教えてくれる。

今のインターネット検索が大変で、専門的な、少範囲意味する用語で絞り込まないと答えにたどり着けない。

たどり着いても水で思い切り薄めたカルピスのような中身しかない事が増えた。

以前なら検索だけですぐに芋づる式に情報を引き出せたが、今はそうは行かないのだ。

無知な分野や事に対してインターネットはあまりにも弱い。

  

なにより、目に優しいので寝る前にピッタリだ。電子ペーパー以外のタブレットで見る場合には当てはまらないが。

  

ネット情報検索利便性は本に取って代わられることはないが、より深く知りたい、新しい分野を知りたい、

ゆっくり自分時間を楽しみたい人にとってはネットは本より劣るのだ。

ネットがどんどん不便になればなるほど、不便だったはずの本と一部で逆転することになる。

  

それと、話は変わるけど、インターネット時間をつぶすより、外に出たほうが、

電車とかでスマホ眺めずに、考え事をしたり、風景を眺めたほうが楽しいと思う人も増えるかもしれないなあ。

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