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はてなキーワード: 公共交通機関とは

2016-09-07

東京ばっか来んな地方都市でいいだろ」って、具体的にどこなの?

タイトルのような言説がはてブでもたまに見られるが、正直言って現実的ではないと思う。

仮に実現したとしても、東京ではなく周辺の県の人口ばかり食ってしまうというのもあるが、

地方民として思うのは、「地方都市にはそんな多くの人口を都合よく受け入れる余地などない」ということだ。

土地がない

そもそも、東京に比べて圧倒的に土地が足りない。だから今の規模より大きくならず、

それ以上は郊外を開発してしのぐしかなかったのだ。

政令指定都市といっても、周辺の郊外合併して帳尻を合わせたケースが多いのはそういうことだ。

田舎なんだから土地ぐらい余ってるだろう、というのはあまり無責任物言いである

交通インフラがない

東京圏アドバンテージが何かというと、あの地獄のような混雑であっても、とりあえず電車が使えることだ。

これが地方だと、大半の郊外は車前提だし、ちょっと中心部から外れると電車が来るのが20分に一度だったり、

運賃がクソ高かったりする。バスは一山越えるだけで片道400円だの500円だのがザラだ。

結局、地方都市でまともな公共交通機関に頼れるのは、都市圏のごく一部でしかない。

雇用がない

以上の2点から東京に準じた生活を送れる場所は、地方都市の中でもごく一部に限られることがわかる。

そんなとこに住めるのは、医者公務員金融マスコミインフラメーカーなど、これまたごく一部の勝ち組だ。

そういうとこに入れるなら苦労はしないが、今更新参者に入れる余地などほとんどない。

夫婦共稼ぎ正規雇用に滑り込めればどうにかなるかもしれない。

ただ、子育てとの両立の難しさも東京と似たようなものである

結論

これらを踏まえた上で、あなたはどこの地方都市なら住んでやってもいいと思いますか?

2016-09-03

感動ポルノ倒錯

オリンピックの開催後、パラリンピックが開催される。

すると、エンターテイメント産業である日本報道各社は、障碍のある方々の、その障碍を克服して素晴らしい躍動を発揮する姿を広く伝え、感動を得ようと、いや、つまり視聴率をあげ、スポンサーから広告収入を得ようと躍起になる。

そういう背景があるということを潔しと思わないからか、何かこう、素直に感動出来ない自分がいる。

いや、それでもいいじゃないか、感動をもらえれば。その素晴らしい姿に勇気をもらえれば、という意見も多いだろう。

その前に、と思う。

さて、かつて同級生で、事故で肩から先の腕をなくした奴が居た。

その同級生を、クラスメートは皆特別扱いしなかった。

ごく自然に彼の片腕がないことを受け入れ、どうしても片手では出来ないことは周囲の誰かが手助けしていて、彼自身もそれ自然に受け入れていた。

今の職場でも、車椅子の同僚が居る。耳の不自由な同僚も居る。

周囲の同僚も、その不自由な部分を自然に受け入れ、時間がかかる作業も待ち、彼らの出来ないことは無理強いはしない。

障碍があろうとなかろうと、更に言えば肌の色が黒かろうが白かろうが、その人の個性として受け入れて、付き合うことが必要だろう。

その一方で、一見、健常に見える人でも、相対する人を認めず、その人格否定する、という心の障碍をかかえた人を何人も見てきた。

そういう、目に見えないところで健常でない人は、身体に障碍がある人より、よけい人間として厄介な存在だ。

公共交通機関シルバーシート。「お年寄り身体不自由な人に席を譲りましょう」という趣旨から設置されているはずなのに、松葉杖を使い足が不自由そうな人が前に来ても、ひとりも席を譲ろうとしない人々の姿を、何度も見てきた。

あまっさえ、車椅子を使う人や盲導犬誘導された人を、満員電車の中であからさまに邪険にする場面にも、何度か遭遇している。

そんな、「他人の身になって考えられない、想像力の欠片も持ち合わせていない」ひとたちこそ、実はとんでもない「障碍者」なのではなかろうか。

身体障碍者の姿を公共電波世間に広め、「感動しろよ」と強制するテレビ局も、実はそんな、とんでもない障碍者の集まりなのではなかろうか。

感動ポルノ」に倒錯した者たちの集まりではないのか。

2016-08-30

しろ高齢者公共交通機関マナーについて言及すべき

電車なりバスなりだいたいは整列して待ってるじゃないですか。

するとですね、電車なりバスなりが到着するやいなや順番を無視して列の最前線に現れる高齢者がいるんですよ。

わりと多く。

私の利用している路線ではほぼ毎日そういう高齢者がいる。

もうね、直線一気ウィニングチケットですよ。

それで、堂々と車内に突入するや否やさっさと着席すりゃいいのにもたつく。

偶然会った知り合いと通路で立ち話しはじめたりもする。

もうね、邪魔くさいったらありゃしない。

でも、なんもいえねえ。

って思ってるの自分だけじゃないよね?

あとさ、優先席が設けられてるのにわざわざ優先席じゃないところに座りたがる高齢者な。

さらに、優先席が開いてるのに優先席じゃない席の人が座ってる席の前に仁王立ちする高齢者な。

んーーー、とか思いながら寝たふりしてると周囲の方々(だいたいは中年女性なんだが)から

「もう近頃は若い人優先よね。世も末よね。」的な会話が聞こえてくるんだ。

はああああああ。

もうお願いします、ほんとに、お願いだから優先席に座ってください。

こちらも疲れてて座りたいんです。

そのために電車一本見送ったりしてるんです。

たのむ、駅員とか運転手とか乗務員とか公共交通機関運営に携わる人々よ。

ぜひ高齢者マナーについても言及して啓蒙してくれないか

ほんとにお願いします。

2016-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20160820141427

たぶん地方都市だとかなり厳しい。ちょっと郊外出ると、住民気質が一気に田舎のそれと化すから

そういうのと関わり持たずに暮らそうと思えば、札福広仙あたりでも、たぶんその中心部の、

バス以外の公共交通機関だけでおおむね生活が成り立つ圏内ぐらいしか候補がない。

でもそういうのって、東京に比べるとものすごく割合が少なくて、もう席が埋まってる。

これ以上雇用も住居もない。

東京だったら、新しい産業が出てきて儲かりだすと、さっそく渋谷オフィスを構えたりして、

たちまちのうちに地図が塗り替えられたりするけど、地方だといろいろ鈍いのでそうもいかない。

何より、東京もんが誤解してるのは、田舎地方都市なら土地ぐらいあるだろうと思ってることだ。

いから。ないか都市部が今の規模にしかならず、必死郊外宅地開発してたのにね。

地方で快適に暮らせる層がいるのは実際その通りだけど、それはやっぱりごく一握りの勝ち組だし、

なるのも楽じゃない。その彼らすら、子供が2人もいれば手狭になって、

それこそ東京夫婦埼玉千葉に移るがごとく、郊外宅地を探さねばならなくなる。

地方住みとしては、「みんなして東京来なくても、地方都市に留まっておけば……」という物言いこそ無責任だし、

そんなハッピー脳内地方都市なんかねえよクソボケと思うこともしばしばである

2016-08-10

電車内では文庫本新書週刊誌新聞といった紙のメディア禁止です。

http://anond.hatelabo.jp/20160809233218

ということにしたらどうなるだろう、と今朝の会社デスクでふと思いを巡らせてみた。

というのは、いい年して週刊誌新聞を広げるサラリーマンOLを見ると、ガサガサと当って他の人の邪魔になっているのも気がつかず、無駄資源を消費して、この人たちを後ろから見たらホントバカな感じに見せるだけでしかない。そんな人たちが一車両に何十人もいるのである。彼らをその三重から救ってやりたいという気持ちもある。

公共交通機関であるはいえ、安全とかなんとか理由を付ければ電車会社の都合でいくらでも禁止にできるはずだ。

仮に、禁止したとしよう。まあ画面を見ないで音楽聴くのは許すとして。

赤の他人と互いに接近した車内での手持ちぶさたを解消するために、多くの人はスマホKindleといったコンパクト電子機器をもって電車にのるようになるだろう。ほんの1,2年前の実際の風景である

これにより、出版物電子化がより進むだろう。

また、多くの人に読書の習慣が蘇る。本を読む楽しさに気づいた人は、通勤時以外にもkindleで本を読むようになる。

文章の良し悪しがだんだん分かるようになる。

会社で書くメール報告書文章も、少しずつまともになる。

読解力がつき、テレビ政治家のもちいる詭弁が見抜けるようになる。

無駄に消費していた紙の資源や運搬コスト印刷コストは削減され。

少しずつ、日本が良くなる。

本の需要が高まった結果、本の専用機器は発展し、本屋には最新のタイトルの表紙のみ並び、気軽に専用機器で店頭ロードして販売される。

IT最先端インフラが作られ、明らかに日本IT経済は一つステージが上がるんだろうな。

俺が日本経済関係者なら、絶対ロビー活動をして車内での本や雑誌の利用を禁止するよう求めるんだけどな。

公共交通機関での喫煙義務化すれば

日本もっと良くなる。

まず第一タバコが売れるようになるのと、タバコを吸えない人のタクシー利用率が増えるので、経済が一気に好転する。

2016-08-02

誰も障碍者ことなんかみていない

障碍者が宝だとか感動だとか大切さだとか言ってるのは

人間の体からまれた人と認定されたもの

どんな状態になっても守られるという基礎がある」という

社会自分たちがいるという幸福感を満喫するためにある価値観なので

自分たちはすごく安全で豊かな社会にいるという幸せに感動してむせびなくわけだ

仮に重度の障害動物と差がないどころか生命として単体で生きていけない状態であったとしても

「だから見捨てる」というなにかしら一定ラインをもうけると

あいつはへんなやつだから生きる権利を奪おう」というラインまでの差がなくなる

重度の障碍者一人を社会的に切り離すラインを設けると

の子はすごくかわいくて気立てが良くて人がいいけど

自分に振り向いてはくれないか死刑という判断もできるということになる

それは基準おかしい 言い過ぎだ と思うのならば

その差を絶対的評価として言葉にしてみてほしい

自然の摂理だとか常識的にだとか感情的にといった

身近な相対でしか表現できないのではないか

偉い人がお前に生きる権利はないと言われたら

あなたは何を以ってしてそれに抗うのか考えてみてほしい

繰り返すけど、障碍者安心して幸せに暮らせる社会というのは

自分安心感の量なわけでそれについてのみんな感動しているわけ

その制度に便乗して高級車に車いすマークをつけたり

公共交通機関無料で乗る時にだけ杖をついたりしてるところをみても

障碍者をささえている側の人間のほうの利益のほうが多いようにみえるね

黄色シャツのやつらもそれでがっぽりもうけているわけなのだから

2016-07-26

ポケモンGO自動車

もちろん運転しながら使うやつが馬鹿だという前提で。

ただ地方だと

っていう実態があって

必然的に「生活の中にポケモンGOを組み込む」ってのが都会に比べて難しいんだよね。

から会社まで、自宅までの歩行距離というのも存在しないし。

そうなるとまぁ自制心の弱い人は運転中とか信号待ちの一瞬を狙ってプレイなんて事態になる。

しかしこの辺はもうちょっとシステム側で何とか対処できないものかねぇ。例えば

最低限これくらいの実装をしてくれれば地方民でも比較安全プレイできると思うのだ。

まぁこれやっちゃう公共交通機関利用時とかゲームバランス崩れるとかいろいろありそうだけど

位置情報ゲームは都会人だけの楽しみみたいな流れは少し変えたいなぁとは思う。

2016-06-25

ギャンブル依存症の奴って生きてる価値有るの?

時間に数万スッて。

取り戻そうとまた数万下ろして。

無くなったらサラ金に借りて。

家族に使うのは100円でも勿体無いとケチるがギャンブルには湯水のように使う。

公共交通機関に乗ればヤニ臭さでスメハラ。

負けてイライラして他人八つ当たり

揉め事起こして電車を遅らせ。

帰ったら家族八つ当たり

家族の為にやってるんだ!と自分正当化

時間価値も金の価値も人の気持ちもわからないゴミ

本気で思う。生きてる価値有んの?

2016-06-21

電車ベビーカー連れに嫌がらせしていく奴がいた。日本終わってる

さっき地下鉄帰宅中に、ベビーカー連れの親子に散々嫌がらせをしていった中年男性がいて、胸糞悪くなった

19時過ぎに電車に乗ると、ベビーカー2台, お母さん2人, 2~4歳くらいの子供3人が、電車の席3シート分くらい使って座っていた。

少しベビーカー場所を取っていたが、5人分で3シートなら全然問題ないレベル

とくに泣き叫んでいるわけでもなく、ワイワイ親子団欒していた。

ちょっと狭いけど、その横が空いていたので座った。

スマホ電池も切れてたし、なんかはてぶでストレス発散には瞑想運動がいいとか言ってたから、何も考えずに瞑想っぽく座っていた。

すると反対側に立っていた男が、突然こちら側にきて、お母さん達のほうに手を突き出していた。

瞑想中だった俺はとくに振り向きもせず、ぼんやりみていたので、何をしているかからなかったが、

「ああ、子供のお父さんなのか、何かお菓子でもあげてるのかな。俺が隣に座ってしまったけど、大丈夫だったかな」

とか思いながらスルーしていた。

数駅過ぎて、その男電車を降りようとしたときベビーカーに男の足がかかり、ベビーカーが倒れそうになった。

子供がいる座席側に倒れそうになって、子供が圧迫されそうになっていた。

あっぶねーな、とか思ってたが、男は謝罪もせずドアの前に行ってしまった。常識がない奴だな、とか思っていると、ドアの前で男がお母さん達に向かって指を指している。

初めは、知り合いに向かって、なんか示しているかと思っていたが、よく見ると中指を突き立てて見せつけている。

ここでようやく、その男が悪意を持って一連の行動をしていたことに気づいた。ベビーカーにつまづいたのもワザとだ。途中、手を突き出していたのも、おそらく去り際と同じく中指を突き立てていたのだろう。

めちゃくちゃ胸糞が悪い。子連れ妊婦嫌がらせをされるという話は聞いたことがあったが、目の前で実際に見て、マジでこんな糞な奴がいるのか、と呆然とした。 お母さん達は何も抵抗せず、子供の身を案じていた。抗議しようにも、子供になにかされたら、という思いで何もできなかったんだろう。そんな守るべき立場の人に向かって、嫌がらせをしていくとか本当にありえない。ここまで終わってたか日本

フィンランドに住んでたことがあるんだが、本当に子連れにやさしい社会だった。

電車バスは、ベビーカーを連れた親子連れ無料になるし、ちゃんとベビーカー用のスペースも用意してある。フィンランドバスは前から乗って真ん中から出る方式だが、ベビーカー連れの親子の場合は広い真ん中の出口から乗ることができる。降りるときは、ベビーカーを降ろすのを他の人が手伝ってくれる。だから公共交通機関にはベビーカーを連れた親子が多かった。 こういう経験をしていると、本当に日本の糞さを痛感する。

一番の原因は、国民性ではなく、人口過密と交通公共機関キャパティだと思う。人が過密していると誰だってイライラするし、問題も起こりやすくなる。 普通自転車電車に持ち込んだ経験ってある? フィンランドだと持ち込めて、ちょっと電車乗ってから別の場所サイクリングすることも簡単だった。すごい快適。自転車持ち込めるくらい余裕があると、ベビーカー乗せててもそんなにイラつくことはないだろう。

もちろん国民性とか民度も原因だとは思う。日本人は、他人迷惑がかかることを極端に回避する国民性で、レジ会計手間取ってるだけで迷惑かけてしまってると感じてしまレベル

他人迷惑をかけないが身にしみすぎて、個人の事情よりも水知らずの他人のほうを重視せざるを得ないようになっている。

たまたま周りに不利益を被る形になったとしても、たまたま自分がその事情立場になってしまっただけで、他の人がそうなる可能性もある。だからこそお互い様で、許容しあうという考えが少ない。

少し話はズレるが、日本人気遣いが色々な変化を経て、いびつものになってる気がする。

初めは、一人のちょっとした気遣いからまり、その行為が良いと評判になると、みんながそれをし始める。ここまではすごくいい話。 それがいつの間にか、みんなが守らならければいけないマナーになり、守らないと批判されるようになる。 別にその気が無かった人も、集団的価値観により、それを守らなければいけなくなり、我慢し始める。こういう人は、守っていない人を見ると非難をし始める。 こういう社会になると、本当に生きづらい。

さらに、我慢してた人が、我慢しないほうが自分の得になる、と気づいておかしなことになる。今の日本はこれが進み始めてる気がする。保育園建設反対運動とか、マイルドヤンキーとか。

からとっとと日本を出たい。

2016-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20160531002308

とは行っても、安全担保するためにはインセンティブがないと良い運転手は逃げていくし集まらなくなる。

安月給で極限まで業務つめ込まれ集中力欠いてそうなバス運転手に命預けたくないね公共交通機関だろうが民営だろうが。

俺は別にバス運転手奴隷労働シバキ回せとは思わないよ

市場論理だけで行くとそうなりかねないのでそ規制と言うものがある(緩和しすぎたら数件だが大惨事が起きたね)

けどこのツリーの元は逆に半分公務員市場原理無視世界で異様に高給取りだったバス運転手の話

競争の無い世界税金原資にしてて職能ハードさに比して高すぎる給与はそれは是正されますねと

そこ恨み言言うのは間違いでしょと

要するにバランス

http://anond.hatelabo.jp/20160530201251

とは行っても、安全担保するためにはインセンティブがないと良い運転手は逃げていくし集まらなくなる。

安月給で極限まで業務つめ込まれ集中力欠いてそうなバス運転手に命預けたくないね公共交通機関だろうが民営だろうが。

2016-05-16

この日本治安世界一ひどいことがわかった

公共交通機関の中では、座りたければ座ってる人を背負い投げしてまで座ればいい

そういう事態に遭遇しました。

そういう事実がある以上、日本は何ともいえません。

安倍晋三さん何とかしてください。

東京オリンピックやる資格ありませんね。

2016-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20160329193624

都心部では

・大規模ビルが増えた→人多い

安全管理上、敷地内に通勤者のクルマはおろかバイク自転車も停められない。

駐車禁止の徹底→クルマ無理、バイク無理。

環境負荷低減のため、建設業界もなるべく公共交通機関でという行政指導

車両定員オーバートラックで詰め込み輸送→昔はわりとあったが、今は無理。

2016-05-10

うーん…平行線だね。もうやめよう。堂々巡りで二人ともがアホになる。

お前の主張する【予想外のイレギュラーに対しては運転手に同情すべき論】俺は全然納得しないけど、まあ住宅地辺りの子供の飛び出しは含まれないなら一理あるとします。でも対人間である以上納得はしないからな。

http://anond.hatelabo.jp/20160509224725

制限速度20kmだと渋滞まみれの非生産的国家ね。これは俺最初に30km以上出せない車作れみたいなこと言ってんだけど、現状では不可能だよ。そんなの分かってる。根本的に車の量を減らす。これが大前提

から趣味や娯楽の不必要な運転はやめる。公共交通機関を使う(もちろん今より充実させなきゃ意味ない)。さらには30kmしか出ない車。んなもん乗る楽しみもなく、車離れも相まって一気に非車社会へ進む。30kmしか出なくても、たいして車いないか渋滞しない。これが理想

何十年かかるか分かんないけど、非生産的国家に成り下がることなく、脱車社会が実現すれば日本は素敵な国になるんじゃないかしら。

ごめん途中からたんなる理想

でもそう願うくらい交通事故で亡くなってしまう人が可哀想で仕方がない。

それだけは理解してほしいわ。

2016-05-07

悪でしかねえ。は訂正します。

送迎は最高時速30kmで送迎する。

絶対必要自動車だけでいい。

公共交通機関で補えるならそっちで。

無意味自動車運転はやめる。

それだけで事故は相当減るはず。

渋滞もなくなる。

年寄りを守りたいだけじゃない。車社会のせいで未来ある子供が車に殺されるのは絶対に駄目。

国も自動車メーカーも、弱者を守ることに全力で取り組んでほしい。

自動車大国に甘んじるのはやめてほしい。

以上です。

http://anond.hatelabo.jp/20160507221145

2016-05-06

ベッドタウン主婦には軽自動車必須なのよ

23区政令指定都市の近郊に長く暮らしてると

シングル女子自転車公共交通機関でなんとかなるから

その必要性に気がつかず出産までいっちゃう

免許持っていてもペーパードライバーで乗車を避けたりする。

(クレしんのみさえがこのパターン)

そんなおっとりママさんがチャリ前後子供乗っけてひいひいいってたり

しかめっつらしながら子ども連れてバス電車に乗っていたりする。

でももしかしたら車が欲しくても買えない人たちも増えてきているのかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20160506225032

2016-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20160502093754

うるせえカス。だから増田は嫌いなんだ。

オマエは連休コンビニにも病院にも公衆トイレにも行くなよ?

インフラサービスも一切使うな。電気もガスも水道ネットもだ。オンラインゲームもやるな。

もちろん公共交通機関も一切使うんじゃねーぞ。バカの有り難さを思い知れ!

2016-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20160424131357

男性が「女性専用車両」に乗っていいの?という質問への回答は「乗ってもいい」になります

しか勘違いに多いのは「法律禁止されていないから乗ってもいい」という答えです。

法律禁止されていないから」ではなく「憲法で『すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない』と保障されているからこそ乗ってもいい」のです。

公共交通機関は、同じ運賃を払った人なら誰でも、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別することなく乗車を認めなければなりません。

それが分かってるからこそ、「反対する会」の質問に対し、国交省鉄道会社も「乗ってもいい」と回答しているし、鉄道会社職員女性専用車両に乗り込んだことをもって男性に降車を命令することはできません。

現状、女性専用車両は、弱者である女性を守るために男性に協力をお願いをすることで維持されてる仕組みです。

2016-04-02

DIY葬儀は無理、と言うあなたに、お寺に相談や、行政の規格葬儀の勧め

http://anond.hatelabo.jp/20160331150720

お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話

人によっては非常に役立つ、と言う話の一方で、批判もあるこの記事

人の生き死にについては宗教観が付いてくるのでそれをどうこう言うつもりはないけれど、ブコメには「すごいけど、できそうにない」という声が多いみたい。

そこで、おじさんを2人看取ることになった田舎貧乏農家長男の俺がどうやって費用を抑えたか書こうと思う。

こちらの方が、比較的やりやすいのではないかなと思う。

具体的に書かないと意味が無いので具体的に書く。表ブログの読者の方は誰だかわかるかもしれないけど、できたら黙っていてくれるとうれしい。

前提条件

親父は8人兄弟で、そのうち3人は田舎にいるが、残りは都会に出て行った。

そのうち1人は早々になくなり、もう一人は癌で死亡、その時点で存命は6人、1人のおじさんは生涯独身を貫き、もう1人のおじさんは子どももいないままに早いうちに奥さんを亡くして、独り身だった。

俺の親父は次男だったが長男が都会に出てしまったので跡継ぎである。ただ長男が継ぐつもりだったので結婚が遅く、自分の歳の割には高齢だ。さらに俺はその長男なので、跡継ぎである。と言うことで、小さい頃から「親戚が困ったら、本家のうちが助けてやるんだぞ」と言われて育った。

育ったが、本家と言っても、昔なら山を守ってそこから得られる富で支える事ができたのだろうが、今となってはただのワーキングプア貧乏農家であって、お金がない。

それでも、宗教観にあった葬儀をしたかった。

それで、あまり会葬者がいない葬儀を出費としては38万円ちょっとで上げた話をする。これには振る舞いや精進落としを含み、真夏エアコンのない我が家特に必要になったドライアイス代等も含まれるので、そこを省くとたぶん20万円ぐらいでできる。香典を入れると、収支はプラマイゼロでできた。

ポイントはは、お寺との関係だと思う。

上の叔父の時の話。

死亡するまで

上の叔父の時は、叔父から突然「病院からどうしても親類の人に一緒に来てくれと言われた。申し訳ないが、来てくれないか」というのが始まりだった。が、すでに70を超えた親だけをいかせるわけにはいかず、同行、距離にして400キロほど運転して駆けつけると、記憶にあるよりずいぶんとやせた叔父がおり、医師の話を聞くと、やはり癌だった。ステージIII。

叔父はだいたい想像が付いていたようで気丈に振る舞っていたが、こちらは正直、当時22歳だった俺は何のことだかわからない状態だった。

叔父の「今まで1人で暮らしてきたんだから大丈夫」という言葉があったが、ほっとけるわけもなく、とりあえず手術をすることに。手術は後、病理検査が出たのだが、家族だけ医師に呼ばれ話を聞きに行くと、医師曰く、非常に悪性が高く、見えるところは取り切ったはずだが、砂のような癌ですぐに戻ってくる可能性が高いという。本人は癌と闘う気があるので、抗がん剤をやるが聞きづらい可能性もあると言うこと。

みてやりたいという意思はあったが、抗がん剤は周りの支えがカギ、と言うことは一番上の叔母が癌になったことがあったので知っていた。

支える事は、400キロも離れていると難しい。叔父現在の在所に住み込むような金ははっきり言ってない。畜産はやってないにしても仕事はあまりほっとけるわけではない。

持病を持っていた叔父保険にも加入できてなかった。蓄えはあったが、まとまった金と言うほとではなかった。

幸いにして発覚したのが農閑期ではあったのだが…そこで親父と医師相談し、ありのままを告知して、その上で、最後田舎に帰ってこないか、と言う話をした。

それで、最後叔父地元病院で息を引き取った。

葬儀 お寺に相談

このような形で、叔父人生ほとんどを過ごしてきた街ではなく、子ども時代を過ごしたとはいえ、あまり縁のある人のいない田舎でなくなった。そのため、会葬者などはおそらく家関係義理しかかないだろうと想定された。

人生最後引っ越しをしてもらうなど蓄えもほとんど使ってしまっており、実は叔父からは通帳一式預かったのだが、ほとんどお金はなかった。

そこで、親と相談して、お世話になっている菩提寺相談をした。

菩提寺僧侶曰く

  • ここ(お寺)を使って葬儀をすればいい。祭壇は本堂の祭壇をそのまま使いなさい。高い葬儀のものを使う必要は無い。
  • そのようなご事情では、ここへの御布施は最小限で、書き物(卒塔婆や位牌など)等の実費程度でかまいません。他のお寺に頼む伴奏僧侶には出していただきたい。ですが、ここは近隣の若い修行中の僧に依頼しましょう。
  • 地元に済んでいたわけではないので、組合迷惑をかけるのは心苦しいというのはわかるが、彼が幼い頃を知っている年齢の人たちには個別にお願いしても良いのではないか。お手伝いを頼めば葬儀からは最小限で済む

葬儀社は地元農協系を、和尚から依頼をしていただいた。

結果

お寺の場所代
5000円(これは御布施ではなく、総代会の規定で支払う。お寺は和尚さんの持ち物ではなくて、檀家の持ち物)これで祭壇も含まれた。
布施
お寺には10万円。伴奏には3万円2人。若い僧侶で。地元相場だと、本来は寺に30万、伴奏に5万×4人で50万だそう。
お棺など
9万円。本来はかかるが、事情を話して最小限にとどめてもらった。結構かかったのは、真夏ドライアイス代金が3万円近くかかったことが大きい。
遺体搬送
2万円。病院から自宅、自宅から霊柩車も含む。
精進落とし料理その他
10万円
火葬
5万円だが、補助がでて実質無償。(本来は補助がでても1.5万だが、所得が少ないと補助率が上がる)

合計37.5万円。

実際には告知することもなく小さくやったので、あまり人が来ないと思っていたら、叔父と幼い頃一緒だった同窓生などが、どこから知ったのか来てくれたりもした。また、葬儀場が当たり前になっていて、お寺で葬儀を行うことがなくなっていた(お寺はそもそもそんなに大きくないので)のだが、やはり雰囲気が非常に良く、お金がないなりにそれなりにできたと思う。

組合の方々は香典を持ってきてくれたし、また叔父叔母もお金を出してくれたので、当家の出費はほとんど無かった…と言うか、実は少しだがプラスになってしまった。

それはこの後の法事に回す事にした

ポイント 最初にお寺に相談して金がないと率直に言う

実は病院で死亡宣告を受けた後、最初相談したのは葬儀社ではなくお寺だった。地元では葬儀社を手配しても、葬儀からまずお寺のスケジュールを抑えてくれと依頼されるので、先に葬儀社ではなくお寺に連絡をすることが常識だと言われていた。

今まで全部親がやっていたので、自分がかけるのは初めてだった。このとき借金をする覚悟を決めていて値切るつもりはなかったのだが、そのときに率直に「今からお金を借りに行ってくるが、今日日曜日なんで」と言う話をしたら、お寺の方からアドバイスをいただいて、こういう形になった。

これは特別対応なのかと思いきや

最近はお困りの方が非常に多い。実は珍しい話ではない。家族葬という形で小規模にやると後で悔いが残ることや大変なことも多い。なにより、現世との区切りが上手くできない。

これは、仏様にとっても大変だが、後になって自宅にお線香を上げに来る方が絶えず来て困るという事になってしまうので、現世に残された者のためにもこういう形を勧めている」という事だった。

これは、ほぼ同じやり方を下の叔父の時にもやったし、そう言うつもりで注意をしていると、あちこちのお寺でこういう小規模な葬儀をやっている事に気づいた。

余所土地でもできるかどうかはわからないが、宗教家というのは基本的には(あるいは、建前的には、と言ってもいいかもしれないが)困っている人をほっといたりしないので、相談するべきだと思う。

下の叔父の時の話。

死んでから、迎えに行くまで

下の叔父は突然死だった。突然病院のコーディネータという人から電話があって、外出先で倒れて運ばれたが死んだと言う。

叔父も300キロぐらい離れた別の所にいる。が、なさけないこと最初に頭をよぎったのは、300キロ搬送したらどれだけ金がかかるのか、と言うことだった。調べたら下手をすると数十万単位お金がかかるという。当然だがそんな金はない。

とりあえず親を公共交通機関で送り出しつつ、考えた。

実は元増田と同じようにレンタカーを考えたのだが、レンタカー屋になんとなく効いたところ「そのような用途は断っている」とのこと。他にもあるかと聞いたら「まず遺体搬送を許しているレンタカーは無いでしょう」と言うことだった。曰く、遺体を直接禁止しているものではなくても、輸送特別規制があり許可必要ものは断るという規定になっている場合ほとんどではないかと。

きっと元増田のように選択肢が多い都会ならばもう少しなんとかなったかもしれないけれど、やむを得ない。ただ、レンタカー屋の担当の方は「ただし、知らない場合にはお断りしません」と暗に黙認してくれるようなフォローをしてくれてはいたのだが。

そこで、どうしたかというと、自前のトラックで迎えに行った。普段作業に使っているものだ。まず、お寺に連絡をした後、先にお棺を出してもらって、それを荷台に載せ、動かないように詰め物で色々と詰め込んで、緑色カバーを掛けて、トラックで迎えに行った。おじさん、すいません。

から相談したところ、最後の手段として、赤帽的な小規模運送業者を手配するという方法もあると言うことだった。組織としてはリスクがあるので断ることがあるが、個人事業主が多いので、受けてくれる業者もあるらしい。ただその場合でも、荷主が診断書をもって同乗するというイレギュラー対応になる。

故に頼み込むと専門業者場合は数十万円かかるのが常識距離でも、数万円で受けてくれることもあるらしい。ただこの場合は必ず心付けを渡すことを忘れないほうがいいと思う。人間として。

葬儀について

このときも、お寺で上の叔父と同じように葬儀を行った。

ただ、御布施については、前回余ったという事、それからこちらの叔父病気療養でお金を使っていたわけでもなく多少はあると思われたので(確かめ時間はなかったが)、多めに出すことにした。

ただし、このとき叔父が長年暮らしていた家の周辺の人々に何も通知していなかったことが失敗だった。

最終的に叔父の家に片付けに行ったとき、近所の方に声をかけていただき、話をしたら、叔父はきちんと近所づきあいなどもしていたようだった。また、引退して気楽な一人暮らしだ、と言っていたのだが、実は在籍していた会社からちょくちょくアルバイト仕事を受けていたらしく、そちらの方もあった。

その後、暮らしていた街で親しくしていた方や、近所の方、元の会社の部下の方などが遠い距離墓参りに来てくれたりもした。葬式というのは、故人や親戚のためだけにやるものではなく、むしろ周りの人間と現世と区切りをつけるためにやるものだ、と言うことを実感した。

それ以外の方法について「規格葬」という考え方

今回は利用しなかったが、自治体には大抵簡易な葬式のやり方を規格化して、「規格葬儀」あるいは「自治体葬儀」という形で定型化し、安価パッケージにしてあることがある。それを利用すると言う手がある。

この場合自治体相談すれば基本的に利用できる。それが利用できる葬儀社の一覧があるので、そこで申し込みをする。どういった場合でも広く利用でき、規格化されているので交渉も必要が無い。檀家になっている寺院が無い場合ネットでいきなり検索して怪しげな所を選ぶよりは、これの方がいいのではないかと思う。地域性も加味されているし。

ただし多くの場合

地元では遺体搬送が別で28万円。実際には10万円ぐらいでできるさらに簡易なプランもある場合があるらしかった。地元だと、28万のプランは表に出ていたが、10万円のプランについては一般には示していなくて、基本的生活困窮者のためで葬儀社はほとんどボランティアになる、と言うことだった。

エンゼルケア、について

元増田にはエンゼルケア、と言うのが出てくるが、最後病院で亡くなったため、病院側のターミナルケアに含まれていたので、追加でお金がかかることはなかった。

増田自分でやったという事なんだけど、介護保険にはターミナルケア加算制度というのがある。これはいわゆる緩和ケアのことではなくて、患者が亡くなった後の遺体ケア家族フォロー一式の作業のこと。

おそらく施設の人に任せても施設ターミナルケア加算を受けられることもあって、追加で高額なお金を払うことなくやってくれたのではないだろうか。

これが死亡後に施す特別な化粧のことだったら話は違うけれど。

以上、何かの参考になれば幸いです。

【追記】2016年4月3日

反響いただいてどうもありがとう

地域性家族宗教観を大切に そのまま適用しようとしないで!

葬式はすごく地域性が強いはずなので、そのまま適用しようとしないでください。普遍的に言えることは、何事もそうだけど立場的に中立的発言が可能な人に相談すること。

例えば葬儀社に依頼したら、葬儀社の方は立場上、よほどのことが無い限り「うちは高所得者向けの商売から辞めた方がいい」とか言えないので…。

僧侶宗教家の人、自治体担当者や、病院にはコーディネータとか、コミュニケータという患者患者家族フォローを専門にしている人がいるので、そう言う人にお願いするという方法があります

お寺様とのかんけいについて

お寺との関係が肝かな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/aoi-sora

ポイントは、お寺との関係だと思う。」ここで討ち死にのはてなー多そうだな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/atoh

想像の通り、うちではお金がないのはお金がないなりに、お寺様との関係はつないでいるというのはあるとおもいます。総代会には入っていて、負担金は払っているし、施餓鬼など季節によってある行事には必ず参加しているし、何回忌といったものも、和尚様の言われるようにやっています

これは大変じゃないかと思われるかもしれないけど、まずそれが一つの宗教観からというのもあります

ただそれを置いといて言えることは、実はあんまり費用はかかっていません。これは地域ごとの相場があるけれど、施餓鬼料は5000円で、総代会は年間5000円程度。一年で1万点程度。実は毎年必要になるお金はこの程度です。ただし、これは我が家が腐っても本家なので、実際には施餓鬼、総代会の年間負担金は3000円が普通だそうです。これ以外に法事を行う年や、寺院の大規模改装なんかが必要になると色々とありますが…。

ではそれがずいぶん疎遠になっている場合はどうなのか、と言う場合ですが、お寺には過去帳という者があって全部記録があるので疎遠になっていても相談する価値はあるのではないか、と思います。あるいは、うちには菩提寺がない、わからない、と言うケースですが、こういうときはそもそも葬儀などから遠くなっていると思うので、まずは自分だけでやろうとせず誰かに相談した方がいいのではないかな…。ネットでは情報が出てきにくいけど、人は必ず死にますし、逆縁になっていなければ多くの子どもは親を2人見送るから絶対経験談を話してくれる人がいるはずです。

結局寺に負担かけるのな
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/kvx

もうめんどくさいから適当に書くけど、ちゃんと金払わない屑増やすようなことを次々に書くな。寺に負担かけるのは結局他の檀家負担かけてることに他ならない。http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/dadabreton

これには言い訳のしようがありません。お寺様には大変感謝しています。でも、無い袖は振れないと言うのが正直な所で…。親とかの分はきちんと積み立ててはいるのですが、突発的な事態には借金するぐらいしか手がありませんでした。

そこで手をさしのべてくれたおっさまには本当に感謝しています。ただ、2回目の時は御布施は始めよりはたくさん払っています相場よりは安いですが…。

葬儀社の方について

葬儀屋諸悪の根源なんだろうかな。そっちの言い分も聞きた
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hiruhikoando

葬儀社の方がどう動いてくれたかが書いてなかったので追記をします。

葬儀社の方はこんな最小限の動きでも、きちんと葬祭ディレクターの方が付いてくれました。また葬儀当日は、お手伝いとしてお一人女性の方が付いてくれました。また、料理なども葬儀から依頼しています

からない仕事申し訳ない、と葬祭屋さんには言いましたが、少なくとも問題は無いと言ってくださいました。まぁ和尚様に紹介してもらったので、断れないというのも、あるとは思うのですが。でも、費用は全部葬儀社に払っているので、赤字ではないのではないかと…。

個人的感覚では、非常に公共性が高い仕事ですし、最短2日で葬祭道具から返礼品、料理まで全部そろえる態勢にはお金がかかると思うので、それほど暴利とも思ってはいません。

もっと安くするには、宗教無し、散骨なしバージョン

http://anond.hatelabo.jp/20160403011302

まず、宗教を軽視して「ステマ」とか言うのはやめましょうよ。

主語自分にだけおいてください。「私はいらない」だけにして「他人も捨てろ」とか言うのはやめましょう。自分がそうだからといって他人自分と同じだと決めつけるのはやめていただきたいです。多様な価値観があります

その上で、

死亡→診断書死体処理→搬送→保管→火葬散骨

最短距離として、今回私が取れば一番シンプルに済んだのは、病院から連絡があったとき「引き取れません」と断るという方法があります。すると後は行政無縁仏の処理のラインにそって公金で処理がされるはず。

正直、自分もそう言う選択肢が頭をよぎらなかった、といえば嘘になります

宗教を壊そうとしているのでは?

最初記事では行動しない奴らが多くて、日本の寺、仏教日本人精神的な拠り所の1つ)を潰せないな。しょうがねー、もっと簡単なのも紹介しておくか」 「日本人精神を潰すのは楽しいな、生きがいだぜ!」
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hayato1999a

煽りマジレスするのもなんなのですが、和尚様がこういう安いやり方で葬儀提案してくださったのは、宗教を壊すとかではなく、全く逆ではないかなと思いますよ…。

私も、葬儀きっかけに、その後のお寺の集まりのなかで、掃除とか Permalink | 記事への反応(3) | 18:54

2016-03-08

子育て自己責任について

とある雨の夜、保育園からの帰り道。

1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。

住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。

朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。

結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車タクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバス横断歩道の手前に停車してくれた。

3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔バス運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。

自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。

つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。

まず、十分な金銭的体力が必要だ。

出産費用にはじまり医療費教育費はもちろん重くのしかかる。

家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。

年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。

子どもを育てるコスト負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。

私たち夫婦は貯蓄も保険も、ずいぶんと積立額を増やした。

問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。

成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。

となれば、椅子取りゲーム競争に勝ち、立場給与を力づくで手に入れるしかない。

勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。

それも競争社会における自己責任なのだから仕方がない。

そしてその競争に参加するには、子ども存在は重たい足かせになる。

家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子ども時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事効率化する。

だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。

子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。

この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟実践要求する。

この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。

では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。

私たちの親世代一般的だったように、企業戦士専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。

答えはノーだ。

なぜなら、私たちの親世代私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。

かつて、日本企業滅私奉公要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。

のしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。

今は違う。

主たる生計者が期間限定雇用に甘んじている状況は珍しくない。

正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。

から私たち共働きを選んだ。

どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。

競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金必要とする子どもたちに応えるためだ。

そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。

数が足りない認可園に入れないリスク対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。

秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考ポイントを加算するためだ。

11月まれ1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所入園できれば、私たち夫婦収入でも対処できる。

本当は4月5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年仕事を離れることになり、復職ハードルが高すぎる。夏から4月までをシッターで乗り切るのはあまり経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。

結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。

そこまでして復職しても、いわゆるマミトラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。

保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。

同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。

それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。

誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。

保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。

ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。

行政提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービス活用している。

そこまでしてでも、母親正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。

少なくとも私はそう考えている。

母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。

そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。

誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。

自己責任」という言葉のなんと暴力的なことか。

ひとり、あるいは複数人間新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。

それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから自己責任範疇である

費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。

それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。

もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。

ここまでは、物質的な話だ。

子どもを育てるには、物理金銭的に大変な努力必要なのはもはや否定できない。

次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。

公共交通機関子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。

冒頭、娘が呟いたように、横断歩道ゆっくりしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。

私は別に子どもいるか配慮してほしいとは思わない。

必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。

それでも、子ども連れでいることで向けられる世間まなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。

一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから安全確認するまで辛抱強く待つ。

走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。

帰省の時期、私たち家族はよく新幹線を利用する。

もちろん、指定席子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。

大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。

飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。

万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。

少しでもぐずれば即座に席を立ち、デッキであやす

だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両デッキ自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。

一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。

子が公共の場所で泣かず、疲れたわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。

この国で、親子で公共の場にでかけることはあまりにも苦しい。

容赦なく投げつけられる批判まなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。

人の親なのだから、当然のことだ。

だが、そう理解していても、親だって傷つく。

育児仕事を両立し、世間には頭を下げて生きていく。

自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。

仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。

今のところ、私たち家族はそれを実現できている。

本当に幸せなことだ。

川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。

だが同時に、ひどく不安にもなる。

私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?

家族健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?

身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。

本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。

仕事に集中し、結婚出産もしなければ、私がとるべき自己責任対象は私1人分でよかったはずだ。

(もちろん、親の介護は忘れるわけにはいかないが)

幸せを求めて、家族を築いたのは私のエゴなのかもしれない。

そのエゴの対価を、私ごときに支払い切れるのだろうか。

長くなってしまったし、いささか愚痴っぽくもなってしまった。

ただ、保育園子どもをいれられなかった親が怒り、子ども障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。

そして私はこれから子どもを持つかもしれないひとに伝えたい。

今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲子ども全員にまで広げるということだ。

そこに伴う困難は、おそらく想像を絶するものがある。

それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。

…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。

この国は総論としては少子化を憂い、子どもを求めている。

だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティしかない。

私たちは誰もが自分幸せ自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。

子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判さらされることが増えると覚悟してほしい。

それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクペナルティ度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。

どうか、人生の大きな決断は慎重にしてほしい。

私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。

まだまだだな、と思うばかりである

2016-02-22

公共施設のおふざけの限界

毎日JR大崎駅を利用しているんだけど、数カ月前から変な鳴き声が構内に響くようになった。初日は犬を連れた人でもいるのかな?と思っていたんだけど、その次の日も鳴き声が聞こえてきてなんなんだよとちょっと不安に思っていたら、実は「山手線ウルトラマンスタンプラリー」の告知放送だったということが分かった。大崎駅ベムスターという怪獣のスタンプが設置してあり、構内放送でその鳴き声を流しているということらしい。3分に1回位の勢いで、犬みたいな鳴き声を流している。

いや、ベムスターとか知らんし。

ざわざわした構内に急に大音量で鳴き声が流れるもんだからビクッとするんだよね。去年はバルタン星人放送をやっていて、その時は多くの人が知っているであろう「フォッフォッフォ」っていう鳴き声だった&低い鳴き声だったからあまり気にならなかったんだけど、ベムスターの鳴き声は高いのですごく耳に障る。

あんまり堅いことは言いたくないんだけど、公共交通機関の構内放送で高頻度におふざけの放送を流すのってのはどうなんだろう。JR東日本になってから積極的スタンプラリー芸能人コラボ企画をやっているけど、不特定多数が利用する公共交通機関にはやっぱりある程度の節度が求められるんじゃないかと思う。これってモンスタークレーマーなっちゃうのだろうか。

2016-02-17

保育園とか怒りましょうとか

保育園落ちた日本死ね!!!

http://anond.hatelabo.jp/20160215171759

保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由

http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20160217-00054487/

この人らの中では、バブル絶頂期も結局のところ子供増えなかったのは、どういう理由づけになっているんだろうか。

金がない、待機児童で働けない、子供産めない。

そういう理屈らしいが、多分この人らは、事態改善しても救われないだろう。

いや、むしろ追い詰められるのではなかろうか。


世の中に不備があるのは、ある層の人らにとって良い事だ。

だって、「世の中が悪い」のだもの

保育園に入れられないから」「ベビーカー電車に乗れないから」そういうのは、自分たちが上手くやれない事の言い訳になる。

上手くやってる人はもちろんいる、そういう人と自分を比べてしまう事もあるだろう。

でも安心してほしい、世の中はあなた方に理解が無いよ。

病院で、飲食店で、公共交通機関で、時にパートナーですら判ってくれない。

子育て孤立している。

日本は終わってる。


そう、悪いのはあなたじゃない。




色々よんでいると、愚痴ってる人は愚痴が言えなくなったら、さら病みそうな気がする。

2016-02-04

子供が嫌い

例えば、子供電車の中に泣いているのが嫌い。

これが、酔っぱらいサラリーマンが騒いでいるのだったり、粋がった若者下品な会話で盛り上がってるならいいんだよ。腹は立つけれど、100%そいつらが悪いからそいつらに対して思う存分怒りをぶつけられる。

でも、子供だとそうはならない。子供は泣くのが仕事だって言葉がある通り、どうしても仕方ない部分がある。子供は悪くない。

親が悪いって考え方もできる。けれど、公共交通機関に乗せざるを得ないシチュエーションなんていくらでもあるだろう。皆が皆運転免許を持っているわけじゃないし、タクシーを使えというのも酷な話だ。勿論、泣いているのを全く宥めようとしない親はどうかと思うが、そんな親を見かけることはほとんどない。つまり、多くの場合親が悪いともいえない。

そうは言っても、子供の泣き声でこちらがイライラしているのは事実だし、かといって誰が悪いわけでもないから、怒りのやり場も見つからない。

一種天災のようなものだ。誰が悪いわけでもないが故に起こる悲劇

2016-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20160130160029

同じような理由で、女性専用車両で男を差別するのをやめてほしい。

性犯罪が、男から女に対して多いというデータはけっこう存在するかもしれない。

しかし、性犯罪は「狂人」による犯行であることは明らかだ。要は、頭がおかしから性犯罪を犯したのであって、属性によってすべての人の公共交通機関の利用を区別するのはどうみても見当違いである。

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