はてなキーワード: 公共交通機関とは
一級の大先輩ですね。僕はまだまだ下っ端です。
自転車の事故ですが、知り合いはバイクで車につっこまれて車いすになりました。
公共交通機関にのってても事故で障害者になる可能性はありますし、それは誰にでも存在することだと思います。
最近はいろんなところで終末ケアとか安楽死とか聞こえてくるようになってましたが
例えば家族も本人も同意して国も幸福追求権として認めてくれればいいと思います。
僕もおそらく年間7,800万円は公のお金を食いつぶしている身なので、これだけ納税するには2000万とか稼がないと恩返しはできません。
ほんと、援助を受けてる側からしたらこの国のシステムはすばらしい。
水素カーだの燃料電池車だのが最近やかましい。トヨタの車は数年先まで予約待ちだそうだ。
ガキの頃の社会見学で勉強した限りでは、どうも市販車が出るのは当分先という感じだったから、
思った以上に早かったな、というのが正直な感想だ。
しかし、都会でいくらステーションができてニュースになっても、だからどうしたと言いたくなる。
本当に車がないと暮らしにも困るような地域まで、果たして普及してくれるのだろうか?
というかそんなとこだと、今あるGSすら老朽化で法規制がどうとか言ってるうちに、
気がついたら潰れていたりする。
ランプや電気がそうだったように、このインフラは全国の山々まで届くのだろうか。
それとも、地域ごと土に返るのが先か。
http://anond.hatelabo.jp/20151019063108
元増田へのコメント見ても、当人の気質の問題に帰結させようとする人が見受けられるけど、ぶっちゃけノンキなもんだなあと思いますわ。貧富の格差が広がってきてるのに富の再分配が適切に実施されていない社会では、元増田のようなメンタリティの人が増えていく―自分は他人にも社会にも優しくされたことなんてないから、自分も他人や社会に優しくする義理はない!って風潮が蔓延していくんだぜ?
電車つながりで思い出したけど、隣に座った見知らぬ乗客に突然殴られたって話が少し前あったじゃん。あれは極端にしても、そういう殺伐とした社会の実現へと着実に向かってるのが今の状況でしょ。妊婦だのベビーカーだのが公共交通機関を利用するのはどんどんハイリスクになっていくかもしれない。少なくとも、車内でウトウトする乗客なんつー牧歌的な情景は、今後10年で見られなくなるかもしれないわな。
けっきょく”あいつらの性根が腐ってるから”って切断処理したんじゃ済まないんだよ。”あいつら”と同じ社会に生きていく以上”俺ら”の問題なわけ。
貧困層を犯罪者予備軍扱いすると左巻きのはてなーは激怒するかもしれんけど、置かれた状況や立場が人の衝動や行動を左右することは社会心理学なんかでもうわかりきってて、そりゃ個々人で見れば己の良心で踏みとどまる奴もいるだろうけど、総体としては貧すれば鈍ず人々なのですよ。そしてもはや、社会互助やら道徳やら説くだけでは、そんな人々の行動を変えることはできないわけでしょ。”あいつらの性根が腐ってるから”って糺すポーズで自分の品位の高さアピールして悦に入ってる場合じゃないだろっていう。事態は既に、社会福祉orモヒカンって状況よ?社会互助を尊ぶ人々こそ”あいつら”をどう救済するのか考えないと、社会互助が成り立たなくなる時代がすぐそこまできてるんだって危機感を持てよ。
いや、俺が知らないだけで、もしかしたらみんな既にゲーテッドコミュニティに移り住んでるのか、それともトゲ付き肩パッドの準備が万端なのかもしれないけど、そのいずれでもない連中が元増田に石投げてるんだとするとホントにノンキだなとしか思えなかったからさ。
以下、長文になります。要するに、今回の鬼怒川水害で「もっと早く避難しておけばよかったのに」「行政がもっと早く避難指示を出せばよかったのに」と感じた方々に「それはそうなのですが、農村部での水害避難には都市部にはない難しさがあります」と説明するものです。
これらの問題が解決され、農村部でも円滑な避難と安全の確保がなされることを願っております。
◆
水害での避難について。
水害が発生した、あるいは発生が危惧される場合には、避難が重要である。
②行き先
③交通手段
このすべてが適切でなければ、十分な避難はできないだろう。
多くの人に注目されているのは①だと思う。「もっと早く避難すべき」「行政は早く避難指示を出すべき」といった指摘だ。
確かに、タイミングは重要である。だが、問題はそれだけではないのではないか。避難先ごとに、行き先と交通手段の観点から問題を考えていきたい。
◆
1.近隣への避難
まず、地域の中で比較的安全な場所へ避難することが考えられる。例えば、公民館や学校である。水害の場合、津波と異なり水の高さはそれほどでもない場合が多い。今回の水害でも、民家の2階には水が届かないケースが多かったようだ。そこで、できれば3階以上の高さがあり、かつ流される心配のない鉄筋の建物に避難することが有効であると考えられる。
だが、ここには問題がある。鉄筋の建物がない地域が多いのである。
都市部であれば、鉄筋の建物はいくらでもある。だが、農村部では、集落の中に一つも鉄筋の建物がない、ということも多い。あるいは、小学校の学区(あるいは、徒歩30分~1時間程度の範囲)に鉄筋の建物は数えるほどしかない、という地域もざらにある。そういった地域で、数少ない鉄筋の建物にたどり着くことができるのか。あるいは、避難した住民全員を2階ないし3階以上に収容することができるのか。さらに言えば、数少ない鉄筋の建物が川の近くなど水害での危険が大きい場所に集中していた場合、どうすればいいのだろうか。
さらに、そうした避難先へどのように移動するかという問題がある。特に夜、雨の中を数十分かけて徒歩で移動することには危険が伴う。また、そのような負担がある場合には住民の抵抗が強くなり、避難行動をとらない人が増えることが想定される。おそらく多くの人は自家用車で移動することになるが、渋滞が発生する恐れがある。また、自家用車を持たない家庭や、自家用車や運転免許を持つ人がたまたま家にいない家庭に対して、どのように交通手段を提供するかという問題がある。
次に、同じ自治体の中で別の地域へ避難することが考えられる。例えば、隣の校区にある学校である。これならば、比較的短い時間で避難できる。
第一に交通手段の問題。近隣への避難以上に距離があり、異動に時間がかかる。徒歩での避難もさらに困難になる。いきおい自家用車を使うことになるが、渋滞や自家用車を持たない家庭への対策がさらに大きな問題となる。特に他の地域への移動に使える道路が少ない場合、川を渡るための橋が少ない場合などには、渋滞のリスクは跳ね上がる。
第二に行き先の認知の問題。同じ自治体の中であっても、校区が異なったり、川や山を挟んでいたり、あるいは平成の大合併まで別の自治体であったりした場合、交流が乏しいことが考えられる。その場合、「どこへ行けばいいのか分からない」「目的地までの道順が分からない」という人が相当数出ることが想定できる。知名度が高い施設に住民が集中すれば、さらに渋滞を引き起こすことになる。第三に収容力の問題。特に安全な避難先が限られている場合、ただでさえその地域の住民が避難してきている中に、別の地域の住民を受け入れることができるのか。あるいは、知名度が高い施設に住民が集中すれば、さらに収容力の問題が大きくなる。
3.広域避難
最後に、別の自治体や比較的遠い地域へ避難することが考えられる。
この場合、時間がかかることに加え、交通手段の問題が大きい。数千人、あるいは1万人以上の住民が自家用車を利用して避難を試みれば、大規模な渋滞が発生する可能性が非常に高い。特に自治体や山や川をまたぐ場合、利用できる道路が少ないことも多いのではないか。水害とは異なるが東日本大震災でも、自家用車での避難の途中に身動きが取れなくなり、津波にのまれた人も多かったという。
渋滞を避けるためには、鉄道や路線バスなどの公共交通機関が正常に機能しているうちに避難を始めるか、貸切バス等の大型バスを大量に動員することが考えられる。しかし、そもそも鉄道や路線バスが存在しない、あるいは存在したとしても輸送力が大きくない地域も多い。大型バスを集めることが現実的だろうが、かなり早い段階で手配を始める必要があり、費用もかかることが想定される。
◆
では、どうすればよいのだろうか。
凡庸な結論になるが、「前もって想定し、対策を頭に入れておく」ことが重要ではないかと考える。
住民が被害を想定し、いざという時にどこへ避難するか、どのように避難するかを考えておく。あるいは、行政がバス会社などの企業と連携し、避難計画を立てておく。
御多分に洩れずうちの地元にもゆるキャラがいるんだけど、これがどうにも好きになれない。
例えば自治体のシンボルマークなら、それがどんなデザインだったとしても旗や広報誌くらいにしか登場してこないから大して気にならない。
でもこれがゆるキャラとなると、TVCMやら駅やら土産物やら公共交通機関やら自治体からの配布物(例えばランドセルカバーとか)やらにまで
地元のゆるキャラは、街を歩けば少なくとも一日一回は必ず見てしまうレベルにまで増殖している。
うちの地元のゆるキャラはいつ決められたのだろうか。誰がどういう経緯で決めたのだろうか。
これだけ公共空間に増殖させるものだとしたら、もう少し地域住民の意見を取り入れるなどしても良かったんじゃないだろうかと思う。
「ゆるキャラに対して何堅いこと言ってんのw」と思われるのかもしれないから文句が言いづらいんだけど、
よくわからない経緯で決められたものが、ゆるいから、かわいいから、ということでなし崩し的に増殖しちゃうのってどうなんだろう。
2月8日に西武ドームで行われたリアル車将棋のニコ生タイムシフトを見終えた。言わずと知れた羽生善治四冠と新進気鋭の豊島将之七段が対局したのだが、まず場所が野球場であること、対局者はそれぞれ4時間の持ち時間を持つが、普段の対局とは異なり時間切れの場合秒読み勝負とはならずその時点で負けとなること、また直接対面せずに一塁側、三塁側に設営されたテントの中で考慮し、マイクで指し手の宣言を行い、そしてそれを合図にドライバー達がグラウンドへ駆け出し、でかでかと描かれた「将棋盤」上に配置された「駒」である車に乗り込んで目的の場所へと移動することで対局を進めていくという、スケールの大きい、あえて別の言い方をすると非常に馬鹿馬鹿しい企画だ。
個人的には将棋は駒の動かし方と大まかな戦法しか分からず、見る方も有名な棋士はなんとなく知ってはいるものの棋戦を積極的に見ることはあまりない程度の者なので将棋の詳しい内容を語ることは難しいし、車に至っては公共交通機関の発達している都市部での乗用車利用は禁止してしまえばいい、くらいの考えを持ったことがある程度には車の所有欲がない人間である。
そんな自分がこの番組に興味を持ち、最後まで見続けることになったポイントは、なぜこのような企画を立て、実行できたのか?という一点に尽きる。
今回の番組はドワンゴに並んでトヨタの主催という立場で行われた。つまり番組の本質はトヨタの宣伝だ。ドローン空撮を利用した壮大なオープニングから始まり、MCやゲスト、解説の棋士が次々と入れ替わりながら途中休憩時以外ほぼノンコマーシャルで進行していくのは快適だ。ゲストは盤面の動きの多い序盤と終盤に将棋側、長考が多い中盤に車側を多く呼んでいたように思うが、盤面解説の棋士に対しても積極的に車のエピソードについても聞いていくというコンセプトで進められ、番組全体の長さは10時間を超えるものとなった。
駒となる車も、羽生側は往年のトヨタ車、豊島側は世界初の量産型燃料電池車であるMIRAIをはじめとした最新のトヨタ車が選ばれ、豊島側の歩兵、銀将、飛車が成ったときは専用の車種に入れ替わるという演出も用意された。展開の都合上、成銀と龍王の出番はなく閉会式での紹介のみとなったが…。
陳腐な表現だとは思うが、今回の番組はネット番組ならではの特性というか、地上波テレビではできないことを惜しみなく行う「良さ」を見た気がする。今回のような番組は当然ながら地上波では行えるはずもない。例え無尽蔵の予算があったとして、公共性が求められるとされる地上波放送においては10時間もの間、たった1社の宣伝のためだけの番組を生放送し続けることを許す土壌がないからだ。地上波で行うとなるとたとえば1時間とか2時間の枠に圧縮され、視聴者に分かりやすいように編集され、宣伝色も薄められたものが届けられる。それはおそらくクライアントの思惑と必ずしも合致しないものになるだろう。
登場するゲストたちも、次々に「こんな企画誰が考えたんだ?」と口にした。東洋経済の記事によるとドワンゴがトヨタに持ち込み実現した企画とのことだが、トヨタ側の真剣な取り組み具合もその記事から見て取れるように、この番組を通していわゆる「若者の車離れ」をなんとかしたい、というトヨタの思いが強く感じられる番組作りだった。ネット番組にありがちの低予算番組とはせず、社長決裁が必要となる規模で行うほどの企画を通した担当者の努力には敬意を表したい。
そういう意味で番組全体を通して特に印象深かったのは、終盤戦に差し掛かったあたり、レーサーの脇坂寿一氏とトヨタマーケティングジャパンの社員が登場した時間帯だ。脇坂氏がトヨタ社長の豊田章男氏自らレースに出場するというエピソードを紹介したり、チャーリー・チャップリンが「あなたの最高傑作は何か?」と問われたときの言葉を引用した「ネクスト・ワン」を会社のキャッチフレーズにしているといった話、そして企画担当者の話を通して、トップをはじめとした社員達がが商品を好きであることが企業にとって強い力であるということを感じた。
本論とは外れるがピストン西沢氏の言葉も車将棋ならではといったもので興味深い。「羽生陣営の玉将である二代目クラウンはエンジンが冷えてしまうと大変なので、車ファンとしては定期的に動かしてほしい」。玉将はいったん駒組みが終わってしまえば終盤攻められない限り動くことはないし、実際本局でもその願いが叶うことはなかったのだが、終盤羽生玉が攻められた際に、移動中エンストをしてタイムロスを起こしてしまうクラウンを見たときにはある種の痛快さを覚えた。
さて、このように自分としては今回の番組はクライアントであるトヨタの思いが強く反映され、それが功を奏した画期的なものであるように感じられ、それが最後まで見続ける原動力になった。もちろん100点満点の番組だったという訳ではなく、段取りの悪いところや会場のチョイス(他に会場の空きもなかったのだろうが、吹きっ晒しの西武ドームで10時間以上過ごすとか…)などの改善すべき点も見られた。トヨタの思いにマイナス方向の印象を持った視聴者もいるかもしれない。もしこの番組に続編があるとしたらどうなるだろうか?たとえば「○○社vs××社」のような企画となったとき、別の意味を持つことになるだろうか。また、今後もドワンゴがまったく別の業種に対して大規模な番組企画を持ち込み、それが実現した際にどういう番組になっていくかというところについても注目していきたい。
ここ数年(?)車離れという言葉を聞くようになった。
自分の車も15年物。なかなか買い替えが出来ない。
収入が少なく買う金が無い。停めておく場所が無い。税金・保険・燃料他の維持費が高すぎる、とか色々言われている。
自分は田舎だから停めておく場所には不自由していないけど、車を買うまでの資金を貯めるのがこの安月給では辛い。
かといってローンで買う気は無いし(利子もバカにならない)。
15年も所持していると税金は割り増し。愛着を持って大切に乗っているのになぜ罰金を払わねばならないのか。燃費が悪くて環境に悪いとか言うけど、廃車にしたりリサイクルにしたり、新車作ったりの方にかかる環境コストはどうなのかね?
2年に一度の車検時にかかる金額もでかいため、車検用に毎月積立をしている。計算すると車検と自賠責と毎年の税金を毎月積立、月払いの任意保険だけで合計毎月1万円を越える。これに燃料代、6ヶ月毎の点検、消耗品の交換費用を考えると、燃料代以外にとんでもない金がかかる。
それはDQN車が多くなってきて、気持ち良く乗っていられない事。
おかげで車を運転する、ドライブをする楽しみを感じられなくなってしまった。嫌な思いをする事が増えた。
山奥の林道はほぼDQN車はいないから楽しく走れるし、サーキットもDQN車はいない。高速道路も一般道に比べればDQN車の割合は少ないように思える。
せっかくドライブ等で楽しい気分で帰ってくる途中でDQN車に遭遇したら、一気に楽しき気分は吹き飛び、嫌な後味しか残らない。
DQN車が我が物顔で走っているところには近づきたくない。
何故か「覚えられやすいナンバー」、センターよりに傾いて座る運転姿勢、車種、搭載アクセサリーや装備等、挙げると結構共通点がある。
誰も意図していないのにどうしてあんな共通点が出来るんですかね。
と思ったら、まとまってた(笑)
DQN御用達車種 http://ja.uncyclopedia.info/wiki/DQN%E5%BE%A1%E7%94%A8%E9%81%94%E8%BB%8A%E7%A8%AE
ナンバープレートなんかも斜めにしたりカバー付けたり文字色落としたりで他人に見られない・覚えられないようにしてるんだろうけども、そんな事をするのは、「これから犯罪を犯す予定なので身元を分からないようにしてる」って事だろ? そこまでするならそもそもナンバープレート外してろ、と思う。でも、もしかするとランダムな数字4桁が覚えられないくらい脳が弱い生き物なのかもしれないな。気の毒に。
通勤に使っていると、どうしても同じような時間に同じような道を走ることになり、必然的に同じようなDQN車を鉢合わせする確率が増える。気分良く通勤出来ないんで、もう車をやめて公共交通機関を使おうか、それとも会社の近くに引っ越して徒歩にしようか、とか考えている。
それと、特に代わり映えのしない、似たような車ばかり。選択しようとか買い換えようとか思わせる車が無い。
確かに似たような車にして、部品の共通化や効率を上げれば、コスト削減かもしれないよ、メーカーやその下請け企業にとっては。ユーザーとしては選ぶ楽しみは減ったね。
自分の場合、MT車、4WDが第1選択肢だが、絶滅危惧種、っているか絶滅してる?
どの車を見てもAT車。運転する楽しみを減らしている。自分は、操作している、メーターが動く事も運転する楽しみの1つなので。
燃費が10Km/Lが20Km/Lになったのなら大きな変化をユーザーが感じられるかもしれないけど、36Km/Lが40Km/Lになったところで、ユーザーは違いを全く感じないと思うし、そもそもそんな燃費で走れるわけが無い。燃費を追求するのもいいことかもしれないし、技術開発・継承の面でいいことかもしれないけど、それより安全装備や個性的な車を作った方がいいんじゃないかな。
DQN車の絶滅が自分にとっては切実な願いかなぁ。メーカーを含む車産業・車サービスからみれば、いいビジネス相手なのかもしれないけどね。
いや車の所有の有無と教養の有無を結びつけるアホに腹立ったのはわかるけどさ、
●タクシー http://www.nihon-kotsu.co.jp/taxi/fare/simulation.html
72.2km
21880円 x 2+高速道路代
124.4km
あー、ちょっと三崎港へドライブ、美味しい炙り丼でも食べてこようと思ったら往復4万円+高速道路代、雄大な八ヶ岳をみながらサイクリングしようと清里にいくと往復7万円+高速道路代がかかるんです。ちょっと高過ぎ。というかタクシーでいくとこんなにかかるんだと改めてビックリ。
結婚するまでずっと実家にいたため、家事は専業主婦の母親に任せきりだった。
まぁ子供はいない(これからもずっといないだろう)からなんとかなっているのかもしれないが。
もちろん実家のほうが食事や掃除などクオリティは高かったと思うが、まぁ、大人二人暮らす程度にはそんなに困らないレベルの家事はこなせている。
(父親は風呂上がりの下着が風呂から上がるまでに脱衣所に用意されてないと母親を怒鳴るくらいの人間だった。なぜなら家事を任せきりにしているのでどこに下着があるか知らないからだ。)
旦那が一人で夕飯を作ったりするなどびっくりするほどありがたい話だった。
夜に少し買い物をしにコンビニに出かけることもできるし、
(実家では一度帰宅した後にコンビニに行こうとすると夜遅いのだからと止められる。なおコンビニまでは徒歩三十秒である。)
飲み会で遅くなって最寄り駅からタクシーで帰宅しても許されるし、
(実家では公共交通機関で帰れる時間でないとゆるされない、大学の飲み会は夜十時までに離脱しないと死亡だった)
(実家では婚前旅行など許されなかったので架空の友人が毎回登場していた。バレたら大変なので結婚式に招待した友人の何人かに旅行の偽証証人を頼んでおいた)
確かに実家にいれば家事は母親がかなりのクオリティでこなしてくれるから楽だ。ついでに父親もそこそこ資産持ちなのでお金も今よりもっと自由に使える。
けれども行動の自由は本当になかったと結婚した今気付かされる。
一人暮らしや、結婚したら親の有り難みがよくわかると云うけれど、
自分(と旦那)でこなせる家事レベルと母親がハイレベルでこなす家事レベルの差額を考えると、
その価値は実家を出てから得られた自由を失うほどの価値はないと断言できる。
もちろん育ててもらった感謝はあるのだが、だからといって有り難みを感じるか?と言われると、
あの程度の家事のランクアップのためになんて不自由な生活をしていたんだろう?と思わざるをえない。
離れて感じるのは「ああ、親というのは単なる人間で、そこまで神聖的に尊敬しなきゃいけない存在じゃないんだな 」ということだ。
その印象を決定づけたのが、父親の父親(つまりは私にとっては祖父母である)の遺産相続にまつわる兄弟の争い(私にとっては父親と叔父の戦い)である。
以前から父親はどうも威圧的で、権利をやたら主張し、人を支配下に置くことを好む人間だなとは感じていたが、
遺産自体は大した額ではないのだが、人間ただで貰えると思えば少しでも多く欲しくなるのだろう。
やはり揉めることになる。
父親の主張はこうだ。
「自分は長男であり、長男として長々重責を負わされてきた。だから遺産は多くもらう権利がある。半分以下になるなど許せない。」
父親の弟の主張はこうだ。
「自分は次男ではあるが、親の介護にはかなり力を使った。自分の妻も自分以上に実家に帰り、面倒を見てくれた。息子だっている。そっちは女一人じゃないか。それで何が長男がーだ。少なくとも介護で苦労したのだから半分以下になるのは許せない。多くもらう権利がある。」
父親には一人娘(私のことだ)しかいないし、
介護に関しても父親と母親はたまに見舞いに行く程度でほとんど弟夫婦が面倒を見ていた。
金銭的な負担は祖父母がきちんと自分で用意していたのでほとんどない。
弟夫婦が近くに住んでいるわけではなくどちらも祖父母宅からは飛行機と電車を使って二時間はかかる遠距離である。(距離はほとんど変わらない)
こういう事実がある。
だからどう考えても弟は優遇されるべきなのに全く父親は譲らない。
だがボロボロにしたのは父親が悪い。娘の目から見てもそう思う。
そう思うと父親のことがどんどん嫌いになっていく。
こんな人を尊敬はできない。育ててもらったことと尊敬することは別。
そんな父親が最近体を壊し始めたと聞く。
全く面倒を見に行こうという気にならないのは自然な感情だろう。
母親には様子を見に来て欲しいと言われたが、とりあえず死んだら連絡してねと返しておいた。
母親に恨みはないから申し訳ないけど、父親に会いたくないのだ。
そういやマイルドヤンキーの話でも、
地方在住者がミニバンに乗りたがるのは「公共交通機関が充実してないので車が生活必需品だから」&
「家族持ちだと家族全員(乳幼児のチャイルドシート含む)が乗れて余裕がある車が必要で、それはミニバンしかないから」だけど
時々そういう実用性を考えず「ダサくてセンス無くて、でかい車がかっこいいと思ってるから」だと思ってる都会人()いるけど
その辺を勘違いしたのが仮に「マイルドヤンキー向けの車」を開発したら
「人数乗れないし荷物積めないしチャイルドシートへの子供の乗せおろししやすさとかも考えてない、ただでかいだけの車」とか出してきそう。
特にイケダハヤトなんかに影響を受けたような、意識高い系(笑)の若者はIターンなんかしないほうが賢明である。絶対に後悔することになるから。
首都圏・中京圏・近畿圏以外はとにかく仕事が無い。いや、厳密に言えば選ばなければ仕事ある。
例えば介護、ホテルや飲食、建設土木業などはどんな不景気な地方都市でも仕事はあるし、年間休日80日のブラック営業なんかの仕事はいくらでもある。
しかし意識高い系のやるような仕事、WEBとかIT系の技術者や広告代理店などはもちろん無いし、電機や自動車メーカーの工場の現地採用は給料のやすさの割に競争倍率が高く、とても就けるものではない。
あなたがまだ第二新卒でMARCHか駅弁大学を卒業したぐらいの学力の持ち主でコネがあれば、市役所や県庁、あるいは地方銀行や地方紙、ローカル局などに潜り込めるかもしれないが、それらがないならやめておいたほうがよい。大卒でも東京の高卒初任給レベルの給料で使われるのが落ちである。
イケダハヤトはクラウドソーシングなどを活用してフリーで仕事をとれというが、残念ながら東京の発注主は東京近郊在住のフリーランスにしか仕事をよこさない。あったこともなければ、いざとなった時にあうのに莫大なコストがかかる人物に仕事を頼むほど、世の中のクライアントは甘くないのだ。
さて、ある程度妥協してそれなりの仕事についたとして、今度は職場に不満を持つことになるだろう。こう言っちゃなんだが、地方というのは全体的に仕事のレベルが低い。
例えば仕事外部に発注するときに優先するのは、単価でもクオリティでも納品スピードでもなく、地縁やら血縁やらコネやらまず人間関係が優先される。たまに地方都市でコピー機やら光回線やら広告枠やらを飛び込みで売っている営業マンを見かけるが、彼らは首都圏の2/3ほどの給料を首都圏の1.5倍の苦労をしなければ稼げないのである。
そんな調子なので、仕事をしている連中のレベルも低くなる。地方のエリートが集まっているはずの地銀やローカル局ですら、いわゆる「都落ち」みたいな連中が多く、やたらエリートぶって威張るくせに仕事ができない連中がのさばっている事が多い。
「都落ち」以外では、いわゆる一度も地元から出たこともないような、本格的な世間知らずも多く、こいつらもはっきり言って仕事のレベルは低い。レベルが低い上に、他人の足を引っ張ることに情熱をす注ぐので、ますますレベルが下がっていく。彼らにとって仕事は何かを作るとか、何かを成し遂げるとか、そういう目的ではなくただ時間だけいて給料をもらう行為なのである。
エリートどころか、そこら辺のショップの店員のレベルもはっきり言って低い。注文したものを何日も連絡もされず放置されたり、間違えられたりなんてこともよくある。おかげでネットでしか買い物をしなくなるのだが、今度は配送員のレベルの低さに悩まされることになる。
Iターンを目的とする連中は、東京で疲れたとか田舎でのんびりとかそんな理由なんだろうけど、はっきり言って地方は給料が安い上に休みも少ない。下手すれば労基に引っかかるような求人がまかり通っていたりする。
あなたがもしIターンを画策していたなら、Iターン先のハローワークの求人をネットで見ることをおすすめする。一例として、とある県のバス会社の求人情報をここに引用してみよう。
求人広告内容 ・乗合路線バスの運転業務・就業時間内での6時間前後の運転(バスの運行時間により出退勤時間が変ります)*大型2種免許がない方でも養成いたします。*正社員登用あり(採用時45歳以下の方で、約1年半の期間を経て審査となります)※大型2種免許養成期間(9日~3週間)の賃金は時給675円となります
募集資格 保有資格:普通自動車一種運転免許(AT限定可) 経験について:不問 学歴:不問
勤務地 **県**市、**県**郡**町、**県**郡**町
勤務時間 変形 1ヶ月単位05:30~01:30の間の7時間程度(残業月10〜20時間程度)
休日 5働1休を基本とした勤務割*有給休暇は、入社2ケ月後より付与となります 年間休日:66日
給与 日給月給 a 基本給(月額平均)又は時間額150,400円~150,400円
b 定額的に支払われる手当a + b150,400円~150,400円
c その他の手当等付記事項拘束手当他20,000円~60,000円
勤務待遇 加入保険:雇用 労災 健康 厚生 通勤手当:実費支給 上限あり 月額:6,500円 マイカー通勤:可会社敷地内に無料駐車場あり 定年制・再雇用:なし 育児休業取得実績:あり 入居可能住宅:
上記の求人は大体月の休日が平均5〜6日(良くて隔週、下手をすれば週休1日)で、月の労働時間が残業が有った場合250〜260時間、手当を含めても手取り20万行くか行かないかというところである。ちなみにこのバス会社は去年事故連発で行政処分を何回も食らっている。
こういう、ウンコ見たいな求人が当たり前のように転がっているのが地方都市である。年間120日休めて、手取り300万円を超える仕事はないと思った方がいい。イオンに入っているようなショップで、年間休日105日で、手取り200万円代といったところか、これでもマシな方である。
もっとわかりやすい話をすると、北東北の県庁所在地のファストフードの時給は680円、東京都中央区のファストフードの時給は1200円である。
「そうは言っても物価は安いだろ」と思うかもしれないが、安いのは家賃と生鮮食品だけである。イケハヤなんかは一戸建てが1万円で借りられるぞとアジっているが、築60年で上下水道なし、10年ほど前に老夫婦が他界して以来空き家でほとんど廃屋なんて家にあなたは住みたいだろうか?そういう家に住もうとしてらリフォームが必要になるし、浅築物件だとせいぜい東京より2割安い程度の家賃になる。
更に地方は自動車必須になるので、自動車本体とその維持費がかかる。走行距離も伸びるので、保険料・タイヤ代・オイル代で大体年間40〜50万円ほど、もちろん車本体は別である。そのせいか、東京じゃまず見かけない2代目マーチや初代デミオ、5ナンバー時代のカローラやすでにモデル自体が生産されていないサニー、車検が通るかどうかも怪しい軽トラ軽バンが走っていたりする。
更に東北や北陸などの場合は、光熱費がかかるので結局家賃や食料品の部分で浮いた部分を引いても、生活費は東京と変わらないぐらいとなる。
イケハヤが「近所の人が野菜をくれる」なんて嘘を言っているが、よそ者にくれる野菜などもちろん無い。秋田県には上小阿仁村という、よそ者の医者を老害がいびって追い出し続けている、絵に描いたようなクソ田舎の無医村があるが、はっきり言って首都圏以外近畿圏以外の地方都市はあれよりマシという程度の排他性である。名古屋や京都ですらあやしい。
あなたが豊臣秀吉や田中角栄や水無灯里級のコミュ強で、地元の消防団に入団したり、知らないばあさんを病院へ送って行ったり、知らない爺さんの葬式に出たりすることが苦痛でなければやっていけると思うが、意識高い系には無理だろう。地元の消防団はマイルドヤンキーみたいなのがゴロゴロしてるし、ジジイやババアは不条理な存在である。
ちなみにドラゴン桜の三田紀房も、岩手県へのUターンに一度失敗し漫画家デビューして再上京している。
よく「何の能力もない人間は東京になんかこないで地方でおとなしくしてろ」的な言説を見かけるが、むしろ逆である。バカとブスは大げさかもしれないが、平凡な人間こそ首都圏で仕事して生活するべきである。確かにブラック企業や倒産寸前の零細企業の労働条件は、日本全国どこでもいいものではないだろう。それでも、首都圏では地方都市に比べればそういうハズレ会社に当たる確率は大幅に低い。少なくともウンコみたいな労働条件で、事故と行政処分を連発するようなバス会社は、東京では存在すら許されないのだ。
何も東京都港区や千代田区で生活しろということではない。埼玉県所沢市でも東京都町田市でも、神奈川県藤沢市でもいい。大都市圏にいる人は頑張ってそこで生活すべきだし、駅弁大学の若者は一度大都市圏で生活してみるべきだし、大学から首都圏に出てきた若者は、そのままそこで就職したほうがよい。国は地方再生など諦めて、都市化をもっと進めるべきである。
結構気合を入れて書いたのに、全然トラバもブコメもつかなかくてがっかりしてたらいきなりホッテントリ入りしてびっくりした。
いやいや、お前のほうがいい加減だろ。こっちは地方のハローワークの求人状況と家賃相場と公共交通機関のダイヤとか、人口動態統計ともろもろの地方経済統計データとかを調べながら書いたのに、そんな特殊な成功例を2個あげられてドヤ顔されても困る。島根県海士町とか徳島県神山町とかDMMとかそういう「地方で成功した企業」とか「成功した町おこし」の裏には、ウンコみたいな地方零細企業と失敗した役所の町おこしの屍が山のようにつまれてるんだから。
ちなみに県庁所在地レベルならITの仕事もなくはないが、技術レベルがアレなSIerか東京に本拠を置くWEB系企業のオフショアセンターみたいなのになる。もちろん薄給激務。技術も身につくかどうか微妙。そういうのも含めれば、無くはないといえる。
・車に乗る必要があるか?
住む場所による。
公共交通機関+自転車で不自由しない大都市圏なら車なしで問題なく生きられる。
鉄道が役に立たない場所だときついだろう。(そんな場所に住んだことはないが)
・教習所ウゼー
完全に同意。
・100対0で相手が悪い場合も含めて人をひき殺さない自信があるか?
ない。
過去に徹夜明けの交差点で踏んでたはずのブレーキが緩んで追突したことがあるから、
油断していると「100%こっちに過失がある事故」すら起こしうるという自覚はある。
・過失の有無はともかく、人一人ひき殺した事実を背負って生きるのは嫌じゃないか?
たしかに嫌だ。
そこには不同意。確率が十分に低いことまで心配していられるか。
ほかの増田も書いているが、身分証明書としては日本国内で最強なのよな。
別に君の考え方もあるだろうしそう思うならとらなくてもいいと思うけど。
ただし免許とらないリスクも多少はあるだろうけどね。万一仕事で地方飛ばされたときとかに
車を使う仕事ができないとか、そういう不利益は生じるかもしれないけどそれも踏まえてとらないならそれでいいんじゃない。
自分はそもそも公共交通機関だけで私的に不満なく生活をまかなえる場所に住んでいないので自動車を運転しないという
選択肢がそもそもない。だから危険リスクがあるから乗らない、ではなくどうやったらリスクを減らした運転ができるか、
を考える。君と自分ではそのリスク評価には大きな隔たりがあるみたいだけどまあ人の価値観なんてどうでもいいんじゃないですか。
だから乗らなきゃいいと思うよ。