はてなキーワード: 実践とは
https://note.com/mshin0621/n/n7330a7f9f398
”悪しき文化から脱却しようと主張しているが、その悪しき文化とは何なのかについての説明が明瞭でない。
題目は「女性差別的な文化を脱するために」(OL)だが、本文では女性差別だけでなくマイノリティ差別全般も問題にされており、その差別にしても単体でなく繰り返し「中傷と差別的発言」「中傷や差別的言動」(OL)というように中傷と並列され、最後は「女性差別的な文化」でなくより広い「中傷や差別的言動を生み出す文化」(OL)から脱しようという一文で締め括られている。
また、中傷と差別が並列されているのだから両者は別個のもののようだが、しかし中傷は差別の一部であるかのような「中傷を含む性差別的な発言」(OL)という表現もあって、やはりよく分からない。
先日来、OLが何を言って何を言わなかったのかについて、ああでもないこうでもないと意見が飛び交わされている。
そういう混乱が生じている原因は、読んだ人たちの読解力以前に、公表された文章にあったと考えるべきだろう。”
もちろん、私も今年4月の記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その2)」で書いたように、女性蔑視は深刻な問題だ。
女性は全人口の半数を占めているが、「日本のアカデミア」(OL)では今なおマイノリティであることが多い、などについても異論はない。
だが呉座たちは、有名大学教授や政治家、資産家などのことも、自分たちの気に食わなければ男性だろうと手当たり次第に、「フォロワーたちとのあいだで交わされる「会話」やパターン化された「かけあい」の中で」「「お決まりの遊び」として仲間うちで」(OL)誹謗中傷揶揄罵倒していた。
呉座はOLが出る前にystk氏と北守氏に謝罪しており、男性被害者が複数いることは明らかだった。
OLはわざわざ「このような呼びかけに対しては、発言の萎縮を招き言論の自由を脅かすものであるいう懸念を持つ方もいるかもしれません」(OL、「あるいう」ママ)と言及してそのような懸念の払拭に努めたのだから、男性被害者の存在にも言及するとか、マイノリティ差別だけが問題でないと表明するとかのことはあってよかっただろう。
率直に言って、私がこのOLを読んだ時、「私のような男性被害者のことはどうでもいいんですか」という疑問が浮かばなかったと言えば嘘になる。”
”以上の2つは、文章に少し言葉足らずなところがあったというだけのことで、あまりとやかく言うべきではないのかも知れない。”
”私がOLを実にクソだと思う理由は、何よりもその的外れな再発防止策にある。”
”日文研が今年10月15日付で公表した「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」にしてもそうだ。
全教職員に教育プログラムを受講させ、本センターの所信を周知徹底させると言っているだけで、日文研はあれだけの大事件があったのに未だ教職員の鍵垢利用について規制を設けておらず、通報窓口すら見当たらないままだ。
仮に今も呉座のような有力研究者から鍵垢で誹謗中傷揶揄罵倒され、悩み苦しんでいる学生がいたら、一体どう声を掛けるつもりなのだろうか。
もしかして、「多くの人が何らかの形で「距離を取る」ことを表明し実践するようになると、いつかこういうこともなくなるよね」だろうか。
鍵垢で不適切なTWを繰り返すような教員はどこの大学、どこの研究機関にいてもおかしくない。”
”このままではいつか第2、第3の呉座界隈問題が起こるだろうと思っている。
その時、もし誰かが「どうしてあのOLを出したのに同じような問題が繰り返されてしまうんだ」と嘆いたら、私は「どうしてって、そりゃああのOLを出すくらいしかしなかったからでしょ」と思うだろう。”
試行錯誤?お前がどの段階か知らんけど、0からは何も思考できないんだよ、わかるか?
お前が言う試行錯誤っていうのは、経験値があるからできることなんだよ
例えばの話、メトロイドシリーズをやったことあるやつは壁を壊せてその先になにかあることを知ってるという経験をしてる
だからメトロイドヴァニア系のゲームをすればその経験に基づいて壁を殴って壊せるか確かめられるわけ
その経験値が無い始めてゲームやりますって人がそこにたどり着けるかどうかは完全に運
たとえチュートリアルがあったとしてもそれが他の場所で実践できるかどうかなんて経験値が少ない人にはわからないことのほうが多い
あと性格にもかなり左右される
性格によっては特定の思考にたどり着けない。それがプレイスタイルってやつだ
いいか?ダクソ系でアイテム使えば大して強くないのに戦闘になると視野が狭くなって通常攻撃しかできないような脳筋はごまんと居るんだよ
そしてお前は昔一人プレイ用ゲームを友人と一緒にやってあーだこーだ言いながらプレイしてた奴らを否定するのか?
昔書店には攻略本コーナーがクソデカかったことを知っててそれを言ってるのか?
今も昔も対してかわらねえんだよ
投手がボール投げなくてもいい申告敬遠とまではいかないものの敬遠していたの。
だけど!
やっぱり食べたい餃子!って時もあるので、
餃子の後の匂いをどう克服するか!ってのが私の研究課題でもあり宿題でもあったわけなの。
で気が付いちゃったんだけど、
ググれば良いじゃない!って
「餃子の後のキッスは目にして」
って検索したら
まだためしてガッテンでも取り上げられてない、
翌朝にはそれはそれは
世の中のお店から濃いお茶がなくなってしまいそうなほどの勢いで私は早速それを試すべくべくのべくで
餃子食べた後に濃いお茶投入食後30分以内に!ってのを実践してみたの。
ってお笑いのセオリーから言うと餃子の匂いはあります!って残ってるんかーいってなると思うんだけど、
話半分小保方さんばりに言っても
以前はまあ昨今の今昨日食べた餃子もマスクしてるから結構ガード出来るはず!って思っていた時代があったんだけど、
かなりうゎってニンニク臭したので、
マスクで防げていても、
で濃いお茶がいいとのことで、
例の俳句をありがたく読みながら
「餃子食うその後に息立ちのぼる」って俳句だったから笑っちゃったわ!
たぶん寒い時お店で餃子食べて外に出たら温まってるから息が白くなっちゃってたまさに日本の冬の様を表した感じで素晴らしいわ!って思ったわ。
私は自ら実験台となり試してみたんだけど、
みんなも餃子の痕には餃子は行く読んでこいお茶を飲んだらいいわよ!って大声で言いたいの。
そこは「ありまーす!」やないんかーい!って思うけど、
やっぱりそれを払拭する
あれさー
濃いお茶のメーカーも餃子俳句掲載の餃子のあとの専用濃いお茶を出しているのなら、
もっとそれ餃子食べた後のエチケットには濃いお茶おーい!ってもっとアピールするべきだと思うのに、
結構もっと餃子も濃いお茶もおーい!って勢いで爆売れすると思うんだけどなぁ。
だから今度あなたがリケジョの小保方さんばりに割烹着を着て言うために
このバトン、
いや割烹着は渡したいと思うわ。
って!
今日はもの凄く上手いこと言えたような気がして何でも無いようなことが幸せだったと思うロードの次章にしてみたいわ。
うふふ。
喫茶店にあれば私頼んじゃうかも。
ヒコロヒーさんをやっと空でヒコロヒーって言えるようになったと同時な感覚よね。
分かるかしら?
分かんないでしょうね。
最近全然野菜食べてない鍋してないもう冬も終わっちゃうよ!って
松任谷由実さんが冬の鍋の歌をそろそろ歌い終わる
いやそれは矢野顕子さんだったわ!って思うぐらい鍋してないわー。
炭酸も今朝は寒かったわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうるかもしれません。
何らかの形で「距離を取る」ことを多くの人が表明し実践することで、
中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうるかもしれません。
何らかの形で「距離を取る」ことを多くの人が表明し実践することで、
これも既存の項目と近くなるのだが。
結論から言えば『多様な食品』という項目をもってパン食を週2回にまで増やすことが正しいとは言えないだろう。
通達を尊重すべきとかそういうことは別として学校給食に対するメリットとして・・である。
ひとつは、この個所があろうがなかろうが米飯給食中心である部分は変わらないからだ。
https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/syokuiku/1407704.htm
食品構成については、「学校給食摂取基準」を踏まえ、多様な食品を適切に組み合わせて、児童生徒が各栄養素をバランス良く摂取しつつ、様々な食に触れることができるようにすること。また、これらを活用した食に関する指導や食事内容の充実を図ること。なお、多様な食品とは、食品群であれば、例えば、穀類、野菜類、豆類、果実類、きのこ類、藻類、魚介類、肉類、卵類及び乳類などであり、また、食品名であれば、例えば穀類については、精白米、食パン、コッペパン、うどん、中華めんなどである。また、各地域の実情や家庭における食生活の実態把握の上、日本型食生活の実践、我が国の伝統的な食文化の継承について十分配慮すること。
単純に和食中心の給食のうち、スキマを使って「食パン、コッペパン、うどん、中華めんなど」と他の主食で取り合う事になりそうである。しかしそれは今起きていることに近い。それか多少増やしたとしてもパン食を週2回では多すぎる。
もう一つ。これは仮定に過ぎずはっきりしたことは言えないのだが。給食ひろばという団体の分析でいえば、どうもこの通知はパン業界の要望を反映したものであるらしい。
https://twitter.com/KyushokuJP/status/1159633373377073152
その成果も見えてきました。
大きなものとしては文科省から発出された学校給食実施基準の一部改正の通知文。この通知を読んだ瞬間に「あ、やったんだ」とわかりました。
この投稿の分析が当たっているかは文部科学省の担当者で無ければ分からない。
この通りパン業界の”成果”であるならば、『多様な食品』が盛り込まれている理由は学校給食で必要だからというよりは、各社に配慮した記述にしたから・・・という可能性を考えてしまう。
内容を重視するにしてもパンにとってはうどんや中華めんがライバルになり、パンは2回で麺は1回という目標は難しくなってくるのではないだろうか。
長くなり過ぎたので下記でも投稿した。
元増田が競走馬や品種改良を例に挙げている通り、人間においても、優秀な(望ましい)遺伝子を掛け合わせたら、優秀な(望ましい)個体が生み出せる確率が上がる、というのは真でしょう。もし、人間のみが例外だと考える人がいれば、それは人間を神聖視しすぎでしょう。
実際に個人で実践したのが室伏重信であり、その成果物が室伏広治ということになります。
ただ、国家や他人がそれを強制して良いかというと、そんなことはありません。その理由は単純に人権で、ある個人が誰と子を成すのか成さないのかは、個人の自由だからです。ましてや、人種や障害で人を差別したり、虐殺したり、断種したりはもっての他なわけです。
"優生学"は優秀な人間同士を掛け合わせて、優秀な人類を作っていこうという、思想自体を含み、人種差別などにも繋がることから、人権観点で否となるわけです。
なお、人権のことをいったん忘れて、実践するとしても、ある時点での優秀さの基準が未来での基準に合致するか分からず、またある特性を追い求めた結果、別の特性が悪化することも考えられます。そのため、実践してうまく行くかは難しいところでしょう。
近々のブクマカお喜び案件で言えば、マインドフルネス・アンガーマネージメントとかを無批判にありがたがっちゃう
キラキラ社会的弱者アドバイザーのヤツが該当 → これ anond:20220117131920
『万人に効果があるものでもないのに万人に効果があるように称している』、
もうこの時点でマインドフルネス・アンガーマネージメントについて言及いるか?って話なんですけど
それで察することができるような人は "極端に物を考えないヤツ" じゃあ無いですよね?
極端に物を考えない人たちは考えることを拒否している禅を極めし者たちなので、
短く区切ったところで頭に入りやしないのだけど、せっかく増田を書いたので書いておきます
上記の1〜5は誰でも到達する結論で、本来ならわざわざ口にするまでもない事なんですけど、
140文字を下回る100文字で大喜利ではなく何かの主義・主張をしようというブクマカさんたちは極端に物を考えない人達なので明示的にしないと理解しません
いえ・・・はっきり示したところで理解しません。考えることを拒否している禅を極めし者たちですからね
どうやったって頭に入りやしないのです
けれど『極端に物を考えない』は、特定の特性(キラキラ社会的弱者アドバイザーの言説によればADHDはワーキングメモリが少ないので短略思考になるらしい)の人に限った話でしょうか?
まぁこれも勿論、"NO" ですよね
極端に物を考えないはマイノリティーの特性ではありませんし、この特性を持つ人が社会的弱者かと言えばこれもまた "NO" です
でなければマインドフルネスアプリが630億とも言われる規模感になったりはしないです
もちろん、自身を律し自分の人生の手綱は自分で持とうという姿勢自体は非常に好ましい物だと思います
ただ、自由意志があるかどうか以前に、能力主義の傲慢以前に、自分の人生の手綱以前に、
自分自身が何言っているのか(反応しない・認知を変える・感情を手放すは高尚で高度な技能)、
自分自身が言っていることが実践できている・もしくは実践できる見込みがあるかどうかくらいは、
理解しようとしても損はしないはずです
最初はおにぎりとスープジャーだけだったお弁当もついに曲げわっぱになりました
まあ寒くなってからは冷食持ってくだけとかの日もあったけどまあまあそれはそれとして……ね……
世の中のお母さんお父さんたちこれ毎日やってるのすごすぎる私絶対無理だわ子供産めない
端は傾斜をつけてその日のメインのおかずをご飯に立てかけるといいらしい
・メインおかずはなるべく高いところに盛る
弁当箱からはみ出そうなほどいい 高さ稼ぎに他のものを下敷きにするかご飯の上にドンと載せるかどっちか
・とりあえずごまとか唐辛子とか渋めのふりかけかけとけば手間かかってる感が出る
黒ゴマとかしそひじきとか黒い乾物が入ると雰囲気が締まっていい感じな気がする
・副菜は緑系とそれ以外の両方あると良い
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。 しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限り PTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。 自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo 個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinoko マインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1 なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。 瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
読んで、元増田氏はすごい人だと思った。
努力を続け、結果が出ていて、思索をして纏まった文章化ができて、
自分ができることと不得意なことを見つめられていて、何を希望しているのかも見えている(ように見える)。
褒められるために勉強をした、それは全く不自然だと思わないし、誰だって褒められれば嬉しくてモチベーションになるでしょう。
子供が、「親や周囲の関心を引くためだけに勉強しちゃ駄目だ。もっと自分の為に自分がしたい勉強をしなくては」なんて
考えられるとは想像し難い。
与えられた環境下で最大限の成果を出せているように思える。
やらずに後悔するよりやって後悔のほうがいい
なんて知った風な口きいたりはできないけれど、
でも自分が関心を持っていることとか得意なこと楽しいことが、仕事に生かせたらと思うよね。
残念ながらたいていの人にとっては難しいことだろうけれど
コミュニケーション能力だとかは、本やワークショップ等々学ぶ教材がいっぱいあるんだし
臨床心理士や看護師等の対人職向けの講座があるくらいなんだもん。
リアルが充実していれば自然に身につくものだなんて考えないで、これから得ていけば問題ない筈。多分。
沢山の"できる"ことを持っているんだから自信をもってほしい。
そういえば思ったんだけど、この一生懸命書いた文章、きっと未来で大きな意味をもちそう。
数か月後、数年後に読み返したとき、
「あー、あの頃の自分はこういう考えをもっていたな。この点は変わったしこの点は今も変わらないな」
なんて、俯瞰できそう。
漫画「おおきく振りかぶって」に出てきた食事の方法で
食う前に「うまそう!うまそう!」食事中「うまい!」食後「うまかった!」と言って脳内ホルモンを活発にする
というのがあって、俺はこれを実践している
ただしこれは俺がそうしているというだけであって
キミはキミのやりたいようにやればいい
2022年1月14日(金)奥平 等(ITジャーナリスト/コンセプト・プランナー)
地方発の中小企業からグローバルなデジタルプラットフォーマーへ──決して荒唐無稽な話ではない。すでにシリーズAによる資金調達を果たし、上場へ向けて確かな歩みを続ける企業がある。1960年、奈良県天理市で自動車整備工場として創業したファーストグループである。現在は天理市と東京都渋谷区に本社を置き、自らの事業を「グローバルカーライフテックサービス」と位置づけ、全国の自動車整備工場にSaaS型マーケティングサービスを提供している。本稿では、地方の自動車整備工場がデジタルトランスフォーメーション(DX)に挑む同社のビジョンと打ち手に迫ってみたい。
自動車販売の「オートアフターマーケット」と聞くと、脇役的なイメージがあるかもしれない。だが実のところ、各種の市場調査データからファーストグループが算出した市場規模は下記のとおりで、自動車整備市場だけで実に5兆5000億円に達している(図1)。また、国内外300社以上が出展する国際展示会が開催されるなど、グローバルでも確固たる市場が築かれている。
図1:オートアフターマーケット市場規模(出典:ファーストグループ。自動車年鑑2019、自販連、自軽協統計資料、平成30年整備振興会整備白書を基に調査)
一方、矢野経済研究所が2021年3月に発表した調査によると、2020年の国内自動車アフターマーケット市場規模は19兆14億円。ここには「中古車(小売、輸出、買い取り、オークション)」「自動車賃貸(リース、レンタカー、カーシェアリング)」「部品・用品(カー用品、補修部品、リサイクル部品)」「整備(整備、整備機器)」「その他関連サービス(自動車保険、ロードサービス)」の5事業が含まれている。
前年比1.8%減と2年連続で微減しているものの、2019年10月の消費税増税や2020年2月に顕在化した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大をもろに受けて新車販売台数が前年比11.5%減(日本自動車販売協会連合会の発表)と大幅に落ち込んだことと比較すると、マイナス幅は小さいと言える。
ファーストグループ 代表取締役社長の藤堂高明氏(写真1)は、「実はオートアフターマーケット、とりわけ自動車整備市場はリーマンショックやギリシャショック、そして今回のコロナ禍においても大きな影響を受けなかった不況に強い産業なのです」として、その理由を次のように話す。
写真2:ファーストグループ 代表取締役社長の藤堂高明氏(出典:ファーストグループ)
「理由は大きく3つあります。最も大きいのが、道路運送車両法に定められた車検(自動車継続検査)があること。自動車の所有者は半ば強制的に整備工場に足を運ぶこととなります。次に、定期点検やオイル交換などに代表される定期接触が必須のビジネスであること。そして、サービスの供給側と利用側の情報格差が大きく、供給側主導のビジネスとなっていることです」
こうして、オートアフターマーケットは不況に強いビジネスではあるが、年々飛躍的な成長を遂げているかというと、残念ながらそうではない。その背景に、従業員が少ない小規模な工場が地方に分散しているというこの市場の形態がある。ディーラー系を除いた小規模な自動車整備工場は全国に約5万7000も事業所があるが、メカニックエンジニアや経営の後継者の不足などに悩まされ、ここ数年は減少傾向に転じているという。
また、ガソリンスタンドが付加価値の提供を目指したサービスステーションにシフトしていること、整備入庫を包含したビジネスモデルへの再編を狙うメーカー系ディーラーをはじめとする異業種の囲い込みなど、厳しい外的環境にもさらされている。
それでも、藤堂氏はこの市場のポテンシャルに注目する。「全国に約5万7000事業所。この数って、実はコンビニエンスストアの出店数に匹敵します。さらに、ディーラー系を含めると9万事業所を超えるわけですから、コンビニが出店のために費やしてきたコストや労力を考えれば、こんな魅力的な業界は他にないのではないでしょうか」(藤堂氏)
「同時に、これは私の試算にすぎませんが、日本に8000万台あると言われている自動車の登録台数からの換算で、その資産価値総額は約200兆円に上ります。商圏を2~5kmに絞り、1事業所あたり1000人の顧客がいたとして、1台あたり100万円としても10億円規模の資産を預かるビジネスとなるわけです。自社の課題を克服して、ラストワンマイルの発想で、いわゆる自動車整備工場から脱却して、1人ひとりのカーライフを支えるビジネスパートナーとしての地位を担えれば、大きな飛躍があると確信しています」(同氏)
ファーストグループが掲げるミッションは「カーライフ革命で人々に喜びと感動を」、企業ビジョンは「GLOBAL No.1 CAR LIFE TECH COMPANY─世界の人々から最も必要とされるカーライフカンパニーへ─」である。
この壮大なミッションとビジョンに辿り着くまでに、ファーストグループは実際にどのような手法とプロセスで自社の変革を進めてきたのであろうか。藤堂氏は、同社が決して特別な存在ではなかったことを物語るエピソードとして、「父から引き継いだ段階で毎年7000万円の赤字を垂れ流していた企業だった」と振り返る。その歴史と変遷をたどってみよう。
2007年、先代社長の他界をきっかけにMBO(Management Buyout)により事業を取得、2代目を継承した藤堂氏は先頭に立ってマーケティング指向の経営管理手法で企業再生に着手、翌年には黒字転換を達成する。成長への第1ステップは、自らが培ったその再生モデルを武器に、「同様の課題に直面している全国の自動車整備工場を元気にする」(同氏)ことにあった。
それは、いわゆる買収・再生モデルの横展開だが、実際にはそこにも紆余曲折があり、2つの段階を踏まえて、進化と深化を図っていった。①資産・負債のすべてを原則譲り受けるM&Aモデル、②事業のみ譲渡を受け、土地・建物を賃貸借して継続させる賃貸借モデル。この2段階のプロセスを実践した14年間で、ファーストグループは年商1.5億円を約30倍の50億円に拡大したという。
具体的な打ち手はバリューチェーンの創出だ。ファーストグループが特化しようとするカーライフにまつわるマーケットは、①車検をはじめとするメンテナンス領域、②更新が見込まれる保険領域、③カーライフのサイクルを最適化する車両販売領域、④万が一の事故に備えた各種サービス領域に大別される(図2)。
図2:カーライフマーケットにおけるバリューチェーン(出典:ファーストグループ)
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しかしながら、これまでの自動車整備工場はその一端となるメンテナンス領域のみで、事業の維持に努めてきた。つまり、顧客とのライフタイムバリューを最大化するチャンスを逃してきたのである。そこで、藤堂氏は、同社が買収・再生を手がけてきた自動車整備工場に対し、徹底的にバリューチェーンの創出に注力した。
藤堂氏は、カーライフにまつわるサービスが多岐にわたることを、同氏のシミュレーションを示して力説する。「18歳で初めて免許を取得した若者が生涯にわたってクルマにかける費用は最低でも1600万円。高級車に乗られる方はその何倍ものコストを費やすことになるはずです」(同氏)
藤堂氏によると、これまでの自動車整備工場は車検や修理に依存した事業形態から抜け出すことができず、カーライフの起点とも言えるクルマの販売にはあまり積極的ではなく、むしろ苦手としていました。
「ところが、その壁をクリアさえすれば、バリューチェーンは簡単に創出できるのです。車両販売を手がけて成果を上げれば、自らのメンテナンス領域の仕事も増えて安定します。さらに販売時に必要となる保険やさまざまなサービスを包含して提供する窓口にもなれば、さまざまな異業種の人たちとの接点が生まれ、エコシステムが形成されます。つまり、バリューチェーンによって、LTVの最大化と事業ポートフォリオ変革を同時に成し遂げられるというわけです」(藤堂氏)
ファーストグループ自身が先陣を切って、このバリューチェーンの創造とエコシステム構築に取り組んだ。すると、瞬く間に車検の年間受注件数が急増し、奈良県内では断トツの年間1万件を超えるまでになったという。メーカー系ディーラーが何十年もかかって達成した件数を、ごく短期間で凌駕するまでになったのだ。年商は1.5億円から、現在では実に30倍の50億円に達している。